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断罪された悪役令嬢は、なぜか隣国の美しい王子様に支配され溺愛されます。【※ただし、冤罪ではない】  作者: 重井 愛理
二章

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14話:約束の時

 彼に横抱きにされて、王宮の廊下を進む。やがて、目的地にたどり着いた。


 それは、本宮の奥まった場所にある、特別な防音室だった。

 厚い絨毯の前に足音は存在を許されない。部屋の中央には、鏡のような光沢を放つグランドピアノが鎮座していた。


「ここは、君だけの為に用意した場所だ。」


 ルイスは私をピアノの前に座らせると、年季の入ったチェロを抱え込んだ。構えた姿勢からは、血筋が持つ天性の優美さに加え、途方もない鍛錬の痕跡が窺えた。


「アリエル。君の魂に捧げる。」


 深い低音が空気を震わせる。彼の演奏は、冷静な仮面を砕く、痛ましく激しい旋律だった。狂愛と独占欲が、精密に制御された情熱として、張り詰めた糸のように放たれる。

 私は、彼の内奥の告白に、呼吸を忘れて聞き入った。



 演奏を終えた彼は、弓を置いた。

 弦に塗る松ヤニの匂いが微かに香る。


 私は長い拍手の後に、賛辞の言葉を贈った。


「ルイス様。長きに渡る鍛錬が魂の叫びとなって結実した音色でございました。……音楽を愛好する者として、ただ息を呑むばかりです。」


「次は、君のピアノを聴かせてもらえないか?」


「数カ月、鍵盤に触れていません。ご期待に添える演奏ができるかどうか。」


 ルイスは、私の隣に腰を下ろして、ピアノの蓋を持ち上げた。漆黒の黒鍵が私を見つめる。


「心配は要らない。君の指は、僕と共にある。」


 彼は要領を得ない表現で、ピアノに向かうよう促した。

 私が高音域を、彼が低音域を担当するように、互いの温度を行き交う至近距離で並んだ。


 鍵盤に手を置いたとき、ふと違和感に気づいた。

 真新しく見えるピアノは、低音域の一部の鍵盤だけが、長年酷使されたかのように、極端に摩耗し、指の形にわずかに凹んでいる。


「何を弾く?」


 ルイスは、楽譜立てに視線すら向けずに、尋ねた。


「……社交界のデビューで弾いた『月の揺りかご』を。父が、私のためにヴェルザードの作曲家に依頼した曲です。」


 あえてその曲名を口にした。


「わかった。君のタイミングで始めてくれ。」


 私は、小さく息を吸ってから指に力を込めた。

 旋律を奏で始めると、ルイスは、完璧なタイミングで伴奏を始めた。彼は、旋律の裏側のあらゆる音符と強弱記号を暗記していた。それは、私をリードし、私の指を未来へと導く道標のようだった。



 呼吸と鼓動が同期する数分の連弾。そんなもののために、彼は公務に忙殺される中、膨大な時間を練習に費やしたのだろうか。



 夜想曲がピリオドを打つ頃、時計の針は丁度夜の十二時を指していた。

 ルイスは、私の呼吸が整うのを待ってから、懐からビロードの小箱を取り出した。小箱に染みついた、ローズマリーと白壇の香りが仄かに漂う。


「三年前の今日、”初めて”君と出逢った日、星月夜のような旋律に魅了されたんだ。」


 箱が開かれると、彼の瞳を写したかのような、トパーズが埋め込まれた指輪が姿を現した。


「これは僕からの愛の印だ。」


 彼は、私の左手に自身の掌を重ねた。


 今思えば、夜会へ向かう馬車での会話も、冗談などではなかった。

 それは一時の迷いで口にするものではなく、永遠の誓いだ。


 私は確かに彼に縋り付いてしまった。けれど、王宮での生活は、あくまでも使命を果たすまでの”現実逃避”だ。そこから目を背けることは許されない。

 私は必ずこの檻から抜け出して、あの司教を葬る。祖国からの報復は避けられず、故に、生きて帰ることはない。



「私……、受け取れません。」


 私は、決意と共に固く両手を握りしめた。

 ルイスの指はわずかに空中で停止した後、代わりに私の右手を取った。


「僕のアリエルは凛とした姿も美しい……。では、これは君が僕のものである証だ。」


 彼は、指を絡めて、私の握り拳を解いた。そして、所有の証を、右手の薬指に根付かせた。


「フロストリアスにおいて、トパーズは王家の象徴だ。この国にいる限り、誰も君を傷つけることはできない。」


 彼は幾つもの感情がない混ぜになった笑みを浮かべた。渦の中で大部分を占める感情を、私は直視することができなくて、目を逸らした。

 私はあの時から何も変わっていない。


 だけど。ほんの数センチだけど、私は精一杯身体を彼に寄せた。彼はそんな私の肩に手を回して、重力よりも強く抱き寄せてくれた。



 静まり返った空間で、彼の存在を感じた。

 私は、やっぱりこの体温と心音を知っている。  


 金色の光輪をシャンデリアにかざしながら、彼に問いかけた。


「ルイス様。……嘘をついていますよね?」


 彼の顔に濃い影が差す。



 ――幼き日の、朧気な記憶が蘇る。


『僕はレイス・ド・ノヴァ。数合わせで呼ばれただけの地方の貴族さ。』



 あの少年は、今、隣にいる。

 私は意を決して、言葉を続けようとした。


「私たちは、もっと前に——」


「僕の名はルイス・ツー・フロストベルクだ。三年前、そう言っただろう。」


 彼は会話を切り上げて、私を抱き上げた。


 私は、強靭な腕の中で、再び私室へと送り届けられるしかなかった。

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