第66話 サプライズ
「く、草薙君⁉︎」
美容院から出てきた彩花は、甲高い声を漏らした。
口元を押さえ、パチパチと目を瞬かせる。
「っ……」
一方、この状況になることを知ってたはずの翔も、雰囲気の変わった彩花から目を離せないまま、固唾を呑んで固まってしまっていた。
二人の間を吹き抜ける風が、彩花の髪の毛をさわさわと撫でる。
だから、というわけではないだろうが、先に硬直から解けたのは彩花だった。
「それで、あんなことを聞いてきたのか、あの人は……」
ため息まじりにつぶやき、肩でふわりと跳ねた毛先を指でそっと揃えると、背後の看板を恨めしそうに一瞥し、すぐに視線を戻した。
「ねぇ。これ、希さんの差し金でしょ」
図星を刺され、翔の肩が跳ねた。
「な、なんで?」
「こんな積極的な行動、草薙君らしくないもん。わかるよ」
「……悪かったな、ヘタレで」
「あれ、私は紳士的だって褒めてあげようとしたんだけどな」
彩花がイタズラっぽく片眉を上げた。
翔の口からため息が漏れる。驚かせたのはこちらのはずなのに、いつの間にか主導権を握られているのは、プロデューサーと生徒の力関係だろうか。
「それより、その……どうかな?」
彩花が手の甲で髪をさらりと撫で、少しだけ顔を傾ける。
「めっちゃ似合ってるよ……正直、びっくりした」
「お、大袈裟だなぁ。そこまでじゃないでしょ」
彩花が苦笑いを浮かべ、ひらひらと手を振ってみせる。どうやら、本気で受け取ってもらえていないらしい。
それでもいいのかもしれない。けれど——
「大袈裟じゃないよ、双葉」
「えっ?」
「もちろんロングも清楚で似合ってたけど、丸みを帯びた今のシルエットは、なんていうかその、すごく女の子らしさが増してて……かわいい、と思う」
「なっ……⁉︎」
彩花が目を見開き、再びその場で固まった。
ごめん、言いすぎた——。
喉から出かかった言葉を、翔はかろうじて飲み込んだ。
今の言葉は紛れもない本心だ。誤魔化したらダメだとも思った。
——けれど、頬が熱くなるのは、どうしようもなかった。
「……恥ずかしいなら、言わなきゃいいのに」
「う、うるさい。俺が髪型を提案したんだから、感想を言うのは最低限の礼儀だろ」
「別にそんなことはないと思うけど……でも、ありがとね。かわいいって言ってくれて、嬉しかった」
彩花はくいっと鼻をこすりながら、へにゃりと表情を和らげた。
そのはにかむような笑みを直視することができなくて、翔はそっと視線を逸らしてしまった。きっと、新しい髪型が見慣れないからだろう。
「……それより、双葉としてはどうなんだよ? 今更だけど、本当に切っちゃってよかったのか?」
「うん。なんかさっぱりしたっていうか、夏っぽくていい感じだよ」
「それなら、よかった」
翔はホッと胸を撫で下ろした。正直なところ、そこが一番の気がかりだった。
それにしても、この反応は希にどう伝えるべきだろうか。
こちらもペースを乱された手前、ドッキリ大成功とは言いづらい。
(結局、希さんの一人勝ちのような気が——ん?)
気づくと、彩花も黙り込んでいた。
翔に気を遣っていただけで、実は不満があったのだろうか。呼吸がわずかに乱れる。
ふいに、彩花の瞳がこちらを向いた。
「草薙君。このあとって、時間あったりする?」
「え、このあと? あるけど」
返却科目の解き直しは、待ち時間でほとんど終わらせてある。予定は空いていた。
「だったらさ。驚かせた罰として、買い物に付き合ってよ。この髪を見てたら、買いたいものが出てきちゃってさ」
「なるほど、そういうことなら喜んで。というか、別に罰じゃなくても、都合が合えば付き合うぞ」
「えっ……」
彩花が小さく息を呑み、目を見開いた。
翔としては「だから、用事があれば気軽に言ってくれ」程度のつもりだった。予想外の反応に戸惑う。
「ん、どうした?」
「な、なんでもないっ。ただ、その……男子代表としての自覚が出てきたようで何よりだなって、思っただけ」
「まあ、髪型も決めさせられたしな」
無意識に後頭部へ手が伸びる。言外に積極的だと言われた気がして、胸の奥がむず痒い。
「ふふ、次も草薙君に決めて——プロデュースしてもらおうかな」
「わざわざ言い直さなくていいし、せめて参考程度にしてくれ。プレッシャーがすごいから」
彩花のほうが、おしゃれに対する熱量もセンスもはるかに上だ。
彼女が翔をプロデュースする正当性はあっても、逆はない。というより、荷が重すぎる。
「もう、そういうところ、ほんとにヘタレ——紳士的だよね」
「それもわざわざ言い直さなくていいから」
翔が眉を寄せると、彩花はパチッとウインクを決め、歩き出す。しかし、すぐに足を止めて振り返った。
「そういえば、草薙君」
「ん?」
「草薙君も、爽やかで格好いいと思うよ?」
「っ——」
彩花はそれだけ言うと、固まる翔を残して、今度こそスタスタ歩き出した。
……翔がかわいいと言ったから、義理で返してくれただけなのだろう。事実、美容院で最初に見たときは、格好いいなんて言っていなかったのだから。
自分にそう言い聞かせながら、わざと大股で一歩を踏み出す。
——夏休み間近なのに、頬を撫でる風がやけに冷たく感じられた。
◇ ◇ ◇
「双葉、持つよ」
「うん、ありがと」
店から出てきた彩花に手を差し出すと、素直に渡してくれる。
もう一往復の押し問答があった以前よりも、やり取りがずっと自然になっている実感があった。
「やっぱり、ジェントルマンだね」
「それこそ大袈裟だろ。これくらい、普通だって」
「ふふ、草薙君にとっては、そうだね」
揶揄われているのだろう。翔は視線を外すと、そのままエスカレーターに向かった。
「他に寄りたいところはないか?」
「うん、大丈夫」
目的のものを買えたためか、彩花の小鼻は満足そうに膨らんでいる。
(にしても、まさかここでも意見を聞かれるとは……)
翔の手に提げられた袋には、細い黒リボンがついた広めのつばの帽子が入っている。ストローバケットハットと言って、日よけとしてもおしゃれアイテムとしても優秀らしい。
服ならともかく、リゾート感のある小物のセンスは門外漢だ。けれど三つの候補を前に「自分は優柔不断だから」と決断を委ねられ、今回も直感で選んだ。
彩花が即決したところを見るに、もともと最上位にあったものを当てられたのだろう。
人が他人に意見を求めるときは、本命はあるけど決めきれていない場合が多いと、どこかで聞いたことがある。
ちなみに、翔は袋をもう一つ持っているが、そちらは意見を求められることはなかった。
日用品なので、買うものは決まっていたのだろう。
「喉乾いたな……」
「だね〜」
思わず漏れた独り言に、彩花が同意しながらスマホを取り出した。
「ごめん。上の階にお手洗いがあったみたい。ちょっと行ってきていい?」
エスカレーターを降りた踊り場で、彩花がスマホを挟むように両手を合わせた。
「もちろん。じゃあ、俺はベンチに座って待ってるよ」
「はーい。すぐに戻るね」
ベンチに座り、道行く人たちを何の気なしに眺める。しかし、彩花はなかなか戻ってこない。
少し長いな、と時計を確認していると、軽やかな足音が近づいてきた。
「ごめん。お待たせー」
彩花は両手に、薄茶色のドリンクカップを持っていた。中には黒い粒々が浮いている。
「もしかして、タピオカ買ってきたのか?」
「正解。——はい」
「えっ?」
片方のカップをぐいっと押しつけられ、翔は反射的に受け取りながら、目を瞬かせた。
「草薙君。久しぶりにタピオカ飲みたいって、前に言ってたでしょ?」
「ああ、うん。言ったけど……」
ただの雑談の延長のつもりだった。よく覚えていたものだ。
さすがは学年一位の記憶力、と言ったところだろうか。
「いや、でも——」
「遠慮せず、飲んでいいよ?」
彩花は小首を傾げて微笑んだ。かわいらしい表情のはずなのに、どこか圧がある。
手の中のカップが、一段と冷たさを増した気がした。
「……わかったよ」
翔が白旗をあげると、彩花が満足げにうなずく。
これで貸し借りはなし、ということだろう。彼女は以前も、対等な関係を主張していた。
……髪型や帽子を選ばせたのはこのための布石だった、なんてことはないだろうけど。
「じゃあ、いただきます」
ストローを吸い上げると、黒糖風味の甘さが、ほのかに口の中を支配した。
タピオカのもちもちした食感も、いいアクセントになっている。
「やっぱり普通に美味いよな、これ」
「だよね。私もいただこうかな」
彩花は翔の隣に腰を下ろし、そっとストローを咥える。
その頬は、斜めに差し込む日差しに照らされて、ほんのり色づいていた。
並んでベンチに腰掛け、ポツポツと言葉を交わしながら、合間でストローを吸い上げる。
飲み終えたのは、ほとんど同時だった。
「こういうのって、たまに飲むのがベストだよね」
「そうだな。ゴミ、もらうよ」
「助かります」
彩花が空になったカップを寄越しながら、ぺこりと頭を下げた。
今度こそエスカレーターを降りて、ショッピングモールを後にする。
時刻は午後四時三十分を回ったところ。移動時間を含めると、正味一時間ほど滞在していたことになる。
(思ったより、時間経ってたな)
それでも、日差しはまだまだ存在感を発揮していた。
翔は額に手をかざした。隣で彩花も同じようにしている。
「いつの間にか、陽も伸びたねー」
「いよいよ夏、って感じだな。早速、使うか?」
翔は袋を軽く掲げてみせた。
「このためのものだからね」
彩花は袋から帽子を取り出すと、軽く一周眺め、そっと頭に乗せた。
そして、横目でちらりと様子をうかがってくる。
「めっちゃ似合ってる。それに、しっかり日焼け対策にもなってるな」
「実用性も重視したからね」
そうは言うものの、どことなく高貴な雰囲気が漂ってくるのは、使用者の影響だろうか。
同級生が見たら、ますますお姫様のイメージに拍車をかけそうだ——。
そんな余計な感想は、口に出さなかった。
このとき、翔が想像していたのは、潤を筆頭とした一部の例外を除く、クラスメイトの男子だった。
遭遇したら面倒なことになりそうだとは思っていたが、彩花と出かけている以上、仕方のないことだとも覚悟していた。
それらの懸念が全て外れたという意味では、その人物との遭遇は、不幸中の幸いだったのかもしれない。
「えっ……翔?」
「……香澄」
腕に紙袋を抱えて目を丸くしたその少女は、香澄だった。
次回、初めての三人での対峙です……!




