第65話 希のアイデア
「お、さっぱりしたね」
彩花が現れたのは、翔がスタイリング剤で仕上げをしてもらっている最中だった。
「あら、彩花ちゃん。いらっしゃい」
「希さん、こんにちは」
軽く会釈した彩花が、翔の頭をしげしげと観察する。
「もしかして、前よりちょっとだけ軽くしてます?」
「わかる? 夏だからね」
「いいですね。爽やかで」
「でしょ? でも、彩花ちゃん。まずは荷物を置いてきちゃったら?」
「あ——そ、そうですねっ」
彩花はパッと飛び退くと、そそくさとレジ横のロッカースペースに向かった。
「違い、気づいてもらえたね」
「っ……ですね」
これから夏本番なので多めにすいてもらったが、些細な変化だ。
実際、翔自身は見た目では違いがわからない。そもそも、前回の自分の髪型すら、正確には思い出せないくらいだ。
(さすが、プロデューサーだな……)
耳元でバリカンをされているわけでもないのに、背中がむずむずして、意味もなく座り直す。
「草薙君。動かないで」
「あっ、ハイ」
耳がほんのり熱を持つ。つい、どこかに人がすっぽり収まる穴でもないかと探してしまった。
実際には、鏡により顔を隠すことすらできないのだが。
◇ ◇ ◇
「彩花ちゃんは、どういう感じにするの?」
翔の髪を整えながら、希が友達を相手にするような口調で、戻ってきた彩花に尋ねた。
「うーん、ちょっと迷ってるんですよね」
「なら、草薙君に決めてもらったら? せっかくだし」
「あっ、それいいかも!」
彩花がパチンと手を打つ。翔は思わず眉を寄せた。
「いや、よくないだろ。希さんとしっかり相談したほうがいいんじゃないか?」
「でも、これだけ顔を合わせてるんだから、なんとなくわかるでしょ? どれが似合って、どれが似合わないとか」
どうやら、翔に任せるというアイデアを、すっかり気に入ってしまったらしい。
翔は反論を諦め、スマホで「女子高生 髪型 夏」と検索バーに打ち込んだ。まとめサイトがいくつも出てくる。
「どう? 良さそうなの、あった?」
「うーん。でも、基本的になんでも似合いそうでさ……」
あまりに奇抜だったりゴージャスなものは例外だろうが、そういうものはそもそも載っていないし、ざっと出てきた髪型を脳内で彩花の顔に当てはめてみるが、どれも似合っていた。
だからこそ、彩花も翔に意見を求めたのかもしれないが、そんな状況で、素人が何かを判断できるはずもなく、
「やっぱり、プロに決めてもらったほうがいいんじゃ——って、双葉、どうした?」
振り返ると、彩花はなぜか顔を背けていた。
「う、ううん。なんでもない」
「そうか」
ほんのり耳の先が赤いように見えるが、それは指摘しないほうが良さそうだ。
「それより、草薙君が一番いいと思ったものを選んでみてよ。普通の髪型なら希さんに聞けばいいんだし、ちょっと冒険してみてもいいかなって思ってたんだ」
「確かに、夏休みだしな」
途中から文化祭の準備が始まるが、新しい髪型を試しやすい時期ではあるだろう。
(もう少し直感に頼るか。そういえば、双葉に雰囲気の似てる女優がいたっけ)
花音もそう言っていたから、間違いないだろう。
名前を捻り出し、検索をかける。三枚目で手が止まった。
「おっ、何か見つかった?」
「はい。こういうのとか、どうでしょうか?」
声を弾ませたのは希だが、彩花もチラチラとこちらを気にしているようだ。
「ふむふむ。Aラインのミディアムって感じだね」
「双葉はいつもロングだけど、夏だから、このくらいの長さもいいんじゃないかなって思って。あくまで俺から見て似合うかもって、だけですけど」
前髪を残しつつ、鎖骨の下あたりまでふわっと広がるシルエットで、毛先は少し内巻きになっている。清楚な雰囲気だ。
「うん。これならベースは重めで、顔まわりだけ薄くして、前髪は軽く透ける感じがいいかな。彩花ちゃん、どうする?」
「そうですね……」
彩花が小さくつぶやきながら、手元を覗き込んでくる。
翔は画面を少し彼女のほうへ傾けて、鼻先をくすぐる甘い香りからはさりげなく距離を取った。
「これ、結べる長さを残しても、違和感ないですか?」
「うん。むしろ、いい感じになると思うよ」
希が親指を立てて、ニヤリと笑った。
「わかりました。じゃあ、これにします」
「えっ——もっとしっかり検討したほうがいいんじゃないか?」
簡単に決めてしまったように見えて、翔は咄嗟に口を挟んだ。
「いいの。短くするのもありかなって思っていたし」
どこか拗ねたような口調が返ってくる。声のトーンも、少しだけ低い。
なぜ怒らせてしまったのかはわからないが、これ以上は何も言わないほうが良いことだけは、翔にもわかった。
「——はい、完了」
少しだけ張り詰めた空気に、希の声がスッと差し込まれた。同時に、背後で流れていたジャズもフェードアウトした。
一瞬の静寂の中、翔と彩花は「「おぉ」」と揃って声を上げた。ハッと顔を見合わせるが、彩花はすぐに視線を逸らした。
「草薙君は荷物を取りに行っちゃって。彩花ちゃんはそっちの席にどうぞ」
希が軽い口調でそれぞれを促す。
翔は「はい」とうなずいて、ロッカースペースに向かった。彩花のことは気になるが、今はそっとしておくべきだと思った。
ふと振り返ると、希が覗き込むようにして、彩花に何か言っていた。彩花の頬が薄っすらとピンクに染まる。
その視線が一瞬だけこちらに向けられたような気がしたが、何を言っているのかは、全く聞き取れなかった。
希は勢いよく立ち上がり、どこか励ますように彩花の肩を叩いてから、こちらに向かってくる。
翔は慌てて、ロッカーから荷物を取り出した。
「バーコード支払いね。お店のカードはある?」
「あ、ちょっと待ってください」
財布を漁り、黒いカードを差し出す。希がさらさらとメモを書き添えた。髪型に関するメモだろう。
カードを翔に返しながら、彼女はふと声をひそめる。
「今度は、君がサプライズで待っててあげれば?」
「えっ……」
翔は思わず彩花に目を向けたが、すぐに希に向き直り、小声で返す。
「でも、なんか怒らせちゃったみたいなんですけど」
「あれはそういうのじゃないよ。同じ女として保証する」
「はあ……」
髪を切っているよりも自信に満ち溢れているのは、気のせいだろうか。
「でも、予想してないタイミングで見られるのって、嫌じゃないんですか?」
「大丈夫だよ。一番かわいくしてるときなんだから」
希の言葉は妙に説得力がある。面白そう、という好奇心も頭をもたげていた。だが、調子に乗って嫌われたくはない。
そんな翔の逡巡を感じ取ったのか、希は少しだけ語気を強めた。
「なにかあったら私の責任にしていいからさ。その代わり、ドッキリ大成功だったら、また様子を教えて。だから、お願い!」
「……わかりました」
近くのカフェかカラオケでテストの復習をしていれば時間は潰せるだろうし、今回の髪型は曲がりなりにも翔のセレクトだ。出来上がりが気になっても、不自然ではないだろう。
それに、すでに一度やられているのだ。やり返す権利はある、はず。
「ありがと。じゃあ、そうだね……三時十五分に、下で待ってて。それくらいで終わるように調整するから」
「了解です」
同級生らしき客は、彩花から一枠空いているらしいので、鉢合わせるようなことにはならないだろう——。
翔はふとそんなことを思いながら、店を後にした。
◇ ◇ ◇
「ありがとうございましたー」
翔を見送ってから、希は軽やかな足取りで彩花のもとへ戻った。
「彩花ちゃん。一応確認しておくけど、本当に切っちゃっていいんだよね?」
「結べるくらい残してくれれば、大丈夫です」
「了解。じゃあ、かわいくしていこっか」
髪を軽く束ねて、長さを確かめながら、希はふと尋ねてみた。
「ねぇ、この後、草薙君と会う予定はないの?」
「な、ないですよ。どうしてですか?」
鏡越しに、彩花の瞳がわずかに鋭くなった。
希は表情を変えずに、小さく首をかしげてみせる。
「んー? だって、髪型を決めてもらったんだから、仕上がりを見せる義理があるんじゃないかなって」
「あ、そういうこと……で、でも、どんな感じか聞かれたら、写真を送るくらいで十分だと思いますけど」
彩花は瞳を伏せながら、草薙君はそこまで気にしてないだろうし、と小声で付け加えた。
「まあ、見せつける感じは、確かに彩花ちゃんっぽくないもんね。——じゃ、先にシャンプーしよっか」
希は何事もなかったように微笑み、彩花をシャンプー台へ誘導する。
「背もたれ、倒すねー」
「はい」
椅子に合わせて倒れていく彩花の頭を支えながら、希は小さく息を吐いた。
——お節介ではあっても、大きなお世話にはならずに済んだようだ。




