第37話 ツーショットと、名前呼び
「じゃあ、女子を真ん中にするか」
潤がそう言いながら、スマホを取り出した。
ガラスに午後の光が跳ね、画面が白くにじむ。
「だね。じゃあ、双葉さんは私の左で、翔はその隣に並ぼうか」
「うん、わかった」
「了解」
琴葉の指示に従って、翔が一歩踏み出すと、ちょうど彩花の頭に顔を寄せる形になった。
「っ……」
シャンプーの香りがふっと鼻先をかすめ、反射的に半歩だけ距離を空けた。
「ほら、翔。もっと寄らないと映んないよ」
「お、おう」
すかさず、琴葉の声が飛んできた。
翔は息を吸い込み、そろそろと距離を詰めた。
「はい、チーズ……翔、なんか目ガン決まってんだけど」
「ちょっと眩しかっただけだ」
「そっか」
翔が素っ気なく答えると、潤は苦笑を浮かべるだけで、それ以上は何も言わなかった。
「次、私たちのもお願いしていい?」
琴葉が潤の腕をつつき、彩花にスマホを渡す。
「もちろん、いいよ」
「ありがとう。潤、ポーズはどうする?」
「普通にピースとかでいいんじゃねーか?」
「だね」
二人は身を寄せ合い、人差し指と中指を立てた。わざとらしさなどなく、ただただ仲睦まじさが伝わってきた。
何枚かシャッターを切ると、彩花は二人に近づき、スマホを差し出した。
「めっちゃいい感じだよ。確認してみて」
「ほんと? ありがとう」
スマホを受け取った琴葉が、潤と画面を覗き込む。
「おっ、いいじゃん」
「ね。カメラマンが優秀だ」
スワイプしながら笑い合っているだけなのに、自然と空気が甘くなるのは、これこそ魔法のパワーだろう。
「じゃあ——」
琴葉がふと顔を上げて、翔と彩花を見比べた。
「次は、二人の番だよ」
「「……えっ?」」
二つの声が重なる。
「い、いや、俺らはいいって」
「ダメだよ。せっかく二人で来たんだし、一枚くらいは思い出として残さないと。私と潤のも撮ってもらったんだしさ」
「お前らは付き合ってるだろ」
彩花も、ある程度の好感は持ってくれていると思う。
それでも、一般的に考えて、彼氏でもない男とのツーショットなど、撮るメリットがない。
「関係ない関係ない。男なら、こういうとき恥ずかしがらないの」
「別に、恥ずかしがってるわけじゃないけど……」
語尾をにごして彩花に視線を向けると、彼女は小さくあごを引いた。
「私は別にいいよ。なんかほら、そういう流れってあるし」
「おっ、さすが双葉さん。ノリがわかってるねぇ。ほら、翔はどうするの?」
琴葉の手のひらの上で転がされるのは、なんだか悔しい。
だが、彩花が嫌がっていない以上、これ以上断るのは失礼だろう。
「……わかったよ。撮ろう」
「そう来なくっちゃ! さ、二人とも並んで」
肩が触れない程度に、横並びになる。
彩花が上目遣いで、翔にだけ聞こえるようにささやいた。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「大丈夫、こういうノリは理解してるから。さっさと終わらせちゃおうぜ」
「……そうだね」
返事まで、少しだけ間があった。彩花は翔ではなく、自分の足先を見つめていた。
どうしたのか、と問いかける暇もなく、スマホを構えた琴葉の楽しそうな声が飛んでくる。
「ほら、二人とも表情固いよ! 私たちの、ちゃんと見てた?」
「状況が違うだろ」
翔が顔をしかめると、袖口をちょん、と引かれた。
「天羽さんが満足すれば終わるだろうし……せっかくなら、笑顔で撮ろ?」
「……確かに、それもそうだな」
琴葉に乗せられているとはいえ、仏頂面の写真など残したくないのだろう。それは翔も同じだ。
うなずき合い、カメラに視線を戻そうとした瞬間——シャッター音が鳴った。
「おい、どのタイミングで撮ってんだよ」
「いやぁ、なんかいい感じだったから。ほら、今度こそちゃんと撮るよー」
「うん、お願い」
彩花がさりげなく半歩だけ近づき、彼女の服の袖が、翔の手をかすめた。
直接触れ合っているわけではないのに、二の腕がじんわりと熱くなった。
「はい、チーズ……って、翔は写真慣れしてないねぇ」
「悪かったな。写り悪くて」
「そこまで言ってないじゃん」
翔が口の先を尖らせると、琴葉はくすくすと笑みを漏らした。
それからふと、真面目な表情になる。
「それにしても、まさか、あのお姫様とお話しできるなんて思ってなかったな。楽しかったよ、ありがとね」
「あっ、うん……私もだよ」
彩花は頬を緩めたが、どこかぎこちなく、歯切れも悪かった。
琴葉が訝しげに眉を寄せる。
「あれ、私、なんか変なこと言っちゃった?」
「ううん、違うけど……」
「双葉、お姫様って呼ばれるの、あんまり好きじゃないみたいなんだ」
言葉を詰まらせた彩花に代わって、翔が補足を入れた。
「そっか。それはそうだよね。ごめん、無神経だった」
「ううん、全然。気にしないで」
彩花は穏やかな表情で首を振ると、翔のほうを向いて目尻を下げた。
翔は肩の力を抜いた。思わず口を挟んでしまったが、余計なお世話ではなかったようだ。
「確かに、私も自分がそんなふうに呼ばれていたら、居たたまれなくなる自信あるな」
琴葉が腕を組みながら、神妙な表情で何度もうなずいた。
「琴葉がお姫様って呼ばれることはねーと思うけど——」
「潤、なにか言った?」
「なんでもありません」
目が笑っていない琴葉に、潤は即座に頭を下げた。
「ふふ。ほんとに仲良いね」
彩花が軽やかな笑い声をあげ、和やかな空気が戻る。
「あー、えっと……」
しかし、今度は琴葉が歯切れ悪く切り出した。
その瞳は、ちらちらと彩花を捉えている。
「どうしたの?」
「いや、嫌だったら素直にそう言ってほしいんだけど……」
琴葉は指先を絡ませ、小さな声でおずおずと切り出した。
「その……彩花って、呼んでもいい?」
「……えっ?」
彩花が口を小さく開けたまま、ぴたりと固まった。
「あっ、い、いや、なんでもない!」
琴葉が声を跳ねさせた。その顔は、隠しきれないほど真っ赤になっている。
彩花はスッと息を吸うと、目元を和らげた。
「もちろんいいよ——琴葉」
「っ……!」
琴葉は息を呑んだ。やがて花が咲くように、その顔に笑みが広がっていく。
「ありがとう! これからもよろしくね……彩花」
「うん——って、なんか恥ずかしいね、こういうの」
「だね。潤と名前で呼び始めたころのことを思い出すよ」
「うわあ、青春だ」
言いながら、彩花がチラリと翔を見る。翔は苦笑して肩をすくめた。
「琴葉が照れ屋なの、意外だよな」
「あっ、うん。それはそうなんだけど……」
彩花の声のトーンが、一段下がった。
(あれ、言いたいこと違ったか?)
翔が首を捻っていると、琴葉が「くぅ〜……!」と悶絶した。
「こ、琴葉っ」
彩花がほんのり頬を染めながら抗議をするように声を上げると、琴葉は「ごめんごめん」と手を合わせた。
なにか、二人だけで通じ合っているらしい。
「えっと、どうした?」
「う、ううん、なんでもない……それよりさ。琴葉と草薙君が名前で呼び合うときも、こういうやり取りあったの?」
「いや、まったくと言っていいほどなかったな」
潤が翔のことは翔、琴葉のことは琴葉と紹介したため、その流れでそのまま自然と名前で呼び合うようになった記憶がある。
「彼氏の親友と親友の彼女って立ち位置だったし、恥ずかしさとかなかったよね」
「それはあるな」
最初から異性として見ていなかった、というのは大きいだろう。
事実、彩花との名前呼びは、おふざけとはいえ照れくさかった。
「そっか……」
「くっ……!」
彩花の肩から力が抜け、琴葉は再び胸を抑えて呻いた。
「琴葉、今日発作すごくね?」
「大丈夫だ、問題ない」
「無駄にキリッとすんな」
潤と琴葉のテンポのいいやり取りに、翔と彩花はそろって吹き出した。
◇ ◇ ◇
「そうだ、翔——」
モールの最寄り駅の改札を通ったところで、琴葉が手を叩いた。
「四人のグループ作ってよ。写真送るから」
「あっ、そうだな」
柱のところで立ち止まり、グループを作成する。
「俺、アルバム作っちゃうわ」
「ありがと。じゃ、そのあと追加するね」
潤が四人の写真でアルバムを作成し、琴葉がそれぞれのツーショットを追加した。
潤と琴葉は手慣れた笑顔で、彩花もぎこちなさは残るが、柔らかな表情がよく撮れている。
(俺だけ明らかに固い……まあ、経験の差だな)
追加された写真を全て確認してみるが、琴葉が勝手に撮った翔と彩花の一枚は、共有されていなかった。
いい感じだったと言っていたが、どんな仕上がりだったのだろうか。
「翔、どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
翔は少しだけ迷ってから、首を横に振った。
お願いしたら送ってくれるだろうが、確実に冷やかしがセットでついてくるだろう。
「ふーん? まあ、いいけど」
琴葉がスッと瞳を細めてから、スマホをポケットにしまった。
『間もなく、一番線に電車が参ります——』
アナウンスが聞こえて、琴葉が「あっ」と声を上げた。
本来なら潤も同じ方面だが、彼は翔の家に来るため、今は琴葉だけが別の方面だった。
「それじゃ、もうすぐ電車が来るから——」
「あ、琴葉っ」
ヒラヒラと手を振りながら歩き出そうとする琴葉を、彩花が慌てたように呼び止めた。耳元に口を寄せ、恥ずかしそうに何かを囁く。
琴葉は目を丸くしたあと、もちろんと言わんばかりに、大きくうなずいた。彩花はほっと肩の力を抜き、はにかむように笑って、鼻の下をこすった。
「くっ……じゃあ、また……!」
琴葉が悶えながら、階段を登っていく。
事情を知らない人からすれば、ただの不審者だ。別の方面で良かった。
彩花はスマホを胸元に抱えながら、その後ろ姿を見送っている。
(なんかお願いしたのかな)
気にはなるが、わざわざ耳打ちしたということは、聞かれたくないことなのだろう。
彩花が思いのほか琴葉を気に入ったようなので、それでいいかと思うことにした。
二人の名前呼びと、琴葉さんが撮った写真の行方はいかに……?




