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二人目

 茜色の光が差す放課後の教室に、机に伏せって静かに肩を上下させている女生徒が一人。他の生徒は既に下校しており、教室は昼間の賑やかに過ぎる空間とはまるで趣が違う。


「ん――」


 ふと差し込んだ、まだ夏の香りが残る風に、少女、三条さんじょう愛莉あいりはゆっくりと目を覚ます。


 嫌な夢を見た。


 夢の中では、気が付くと出口のない部屋に閉じ込められていた。そこは完全に密室と定義される空間。天井がない、なんてオチもないくらいに完璧な密室。


 いくら考えても、犯人が自分をそこへ運んだトリックが分からずイライラとしていたところに、突然現れたおかしな少年。全身黒タイツを着込んだ六人の人間。そして告げられたのは悪趣味なゲームの開幕。


 妙な現実感が余韻として残っているため、愛莉の気分は最悪だった。

 そんな不快感を吹き飛ばすべく、目を閉じて、深く息を吸い体を伸ばし――


「え――」


 だが、愛莉の瞼の裏に映りこんだもの。それが、彼女を一気に覚醒させた。


〈探偵者〉 三条(さんじょう)愛莉(あいり)

 ヒロイン 高峰たかみね瑠々(るる)


〈主人公補正〉

即興作家(インスタント・クリスティ)

彼女の行く先々で、必ず事件が起こる。この力が、その場の誰かを犯人に選び、ふさわしい動機を作り、世界を書き換えるのだから――


「な、何、です、これ!?」


 椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、『探偵者』の座に据えられた愛莉は思わず周囲を警戒した。


 誰も居ない。これはイタズラではないのだ。もしそうなら一体誰が人間の瞼の裏に、映像を映すことが出来るというのか。

 

 もう一度、今度はゆっくりと目を閉じる。

 

 同じだ。無機質な字体の文章で書かれているのは、探偵者としての自分の情報。そしてあの〝主役狩り〟のルール説明。


――あの夢は現実で、今なお続いているとでも言うのか?  


 乾いた笑いを張りつけながら、事実を否定できる根拠を必死に探す。だが、推理を進めるほどに、自分がゲームの参加者なのだという証拠が積み上がるだけ。最早狩りの存在を疑う余地はない。自分は戦いに巻き込まれたのだ。


「ど、どうしたの、アイリちゃん? そんなに慌てて」


 と、自分を見上げる声に気付いて目をやる。幼なじみの少女、高峰瑠々が、小さな体を目一杯反らしている所を見ると、よほど自分は取り乱していたらしい。


「いや。ちょっと怖い夢を見ただけさ。そう心配しなくても大丈夫だよ、ルルー」


 何とか平静を装って言った愛莉の言葉は、まだすこしぎこちない。


「……そっか。あ、分かった。またオバケに囲まれてわっしょいされる夢でしょ? アイリちゃん、昔っからホラーが苦手だもんね」


 からかうように瑠々は言った。


「いや、全然! ボクは探偵だぞ。何をバカな。ホラーなんて……虚構だし、トリックだし」


 ブツブツと何やら弁解を口にしたかと思うと、


「というか、幽霊はわっしょいではなく恨めしや~だ!」


 かあ、と頬を染めて、弁解するように愛莉は言った。その仕草は年相応の可愛いものだった。


 三条愛莉。彼女のその華奢な双肩には、三条という家の重みがのしかかっている。三条の家は代々探偵稼業を生業としており、特に愛莉の父、雄一ゆういちは名探偵として世間に名を轟かせる程で、数々の難事件を解決に導いており、愛莉もそんな父を誇りに思っている。


 が、同時に愛莉は父親に、三条という名に、誇りとは別の感情を抱いている事もまた事実だった。


『さすが、三条の娘さんだ』

『あいりちゃんのパパ、めーたんてーだもんね~』


 小学校の授業参観で起きた、ちょっとした事件を解決した時の場面。

 何をしてもしなくても、少女は三条愛莉という一人の人間として見られることはなかった。


 愛莉が積んだ努力がどれほどの物でも、それは全て三条の名で片付けられ、犯した失態は全て家の名によって何倍にもなってはね返る。


 そんな日々のなか彼女は、高峰瑠々だけは、愛莉を三条家としてでなく、愛莉という一人の人間として見てくれていた。


 ちらりと瑠々の顔色を伺うと、彼女は心配そうに愛莉を見つめている。その曇りのない瞳に、まるで自分が見透かされているように思えて、気後れしてしまうのが常だった。


 そんな居心地の悪い沈黙に耐えきれず、愛莉は言葉を探して空白を埋めようとする。


「そ、それにしてもルルー。君はボクが起きるまでずっと待ってくれていたのか? 起こすなり、先に帰ってくれて良かったんだよ」

「え~? だって、アイリちゃん、一度寝ちゃうと何しても起きないから、一人だと心配だよ」


 優しげな笑みを受けべて瑠々は言った。かと思うと


「それに、良い写真もゲット出来たんだよ」


 にやりと挑戦的な笑みを浮かべ携帯を愛莉に見せる。画面に写っていたのは、愛莉のだらしない寝顔だった。


「……何、これは?」


 愛莉は携帯を奪おうとするも、瑠々はその行動を予想していたとばかりにひらりと交わし


「えへへ。これでまたアイリちゃんの変顔コレクションが増えたね」


 と、得意そうに胸を張る。

 

 全く、この幼なじみにはかなわない。

 一見ほんわりしているようで、妙に鋭いところがある。

 先ほども、何か言い淀んでいたところを見ると、何か感づいたのかもしれない。


――ルルーには、この戦いについて、話しておいた方が良いのかもしれないな。


 改めて目を閉じると、やはり瞼の裏に映る文字。これは紛れもなく愛莉自身の事だ。


 そう。こんな悪夢に迷い込む前から自覚はあった。幼い頃から愛莉という少女は、行く先々でよく事件に巻き込まれたり、事件の第一発見者になってしまうのだった。

 

 教室内で何度盗難事件が起こったか。学校行事では何度奇妙な出来事に遭遇したか。

 それが今回、〝主人公補正〟という言葉で定義され、愛莉は改めて自身の奇妙な体質を認識するとともに、諦めにも似た感情を抱く。


「即興作家。……ふざけた名前を付けてくれるね」


 ふと、二人だけの教室の開いた窓から、ひゅうと風が吹き込んだ。それは遠い日に聞いた音と同じ寒々しい響き。残響が徐々に別の音となって愛莉の耳に残る。


 それは声だった。

 

 小学校の低学年の頃はまだよかった。ところが六年生になったある日、近所で立て続けに起こった殺人事件を境に周囲の人間の自分を見る目がはっきりと変わった。


 今でも彼女は思うのだ。

 

 あの忌まわしい事件の以前から兆候はあった。町では、少し前から小さな事件が頻発していたのだ。それを些細な出来事だと、面倒だと放置しなければ、そこに探偵の目があることが知れ渡っていれば、あんな事件は起きなかったのではないかと。


 やはりあれは皆が言うように、自分が呼び寄せた必然だったのだろうか。


 自分が何と呼ばれ周りから忌み嫌われていたかが彼女の脳裏によみがえる。

関わる事を避けられ、話しかけても無視されて、自分を囲む罵声の波。


 それ以来愛莉は、自分が疎まれることよりも、周りで事件が起きるのが、自分以外の誰かが傷つくことを嫌った。もう二度と悲劇が起こらないように、彼女はどれ程つらい事があっても探偵であり続けた。


 そんな日々にあってただ一人、瑠々だけは友達のままでいてくれたのだ。それは愛莉にとって、唯一の居場所。温かな陽だまりだった。


 だが、瑠々を大事に思いつつ、いつだって心の何処かでおびえていた。

 いつか彼女でさえ、他の皆と同じ目で自分を見るようになるのではないか。離れていってしまうのではないか。不安は拭っても拭っても捨てきれず、瑠々と話すときはいつも、嫌われないように必死になってしまう。瑠々を傷つけまいとする度に、心はどんどん曇っていく。


 頭に浮かぶ、昔の場面の数々を見送った後、愛莉はゆっくりと目を開き、静かに、だが力強く息を吸った。


――これは私に与えられた機会だ。この戦いのなかで、弱い自分に打ち勝つことに、事件という呪縛を解く答えが見つかるような予感がする。そして、こんなふざけたゲームを仕掛けた者。それが例え誰であっても、必ず暴いてみせる。その時こそ、私は初めて前に進むことが出来るのだから。


 瞼の裏にははっきりと、瑠々の名前がヒロインとして刻まれている。

 下手をすれば、夢の中で見せられた映像に出てきた少女のように、瑠々が狙われる可能性があるのだ。


「この戦い、負ける訳には行かない。父様の名に懸けて!」


 探偵者として戦いへ参加する意思を固めた。

 

 突然ドヤ顔で決め台詞を言いつつビシッとどこか彼方を指さす愛莉に、瑠々はやや戸惑いの表情を見せるも、


「よく分からないけど、何だかアイリちゃん、楽しそう」


 えへへ、と嬉しそうに笑った。 

 

 不意にそんなことを言われ、愛莉はきょとんとするが、瑠々は優しげに微笑んで「何でもないよ」と首を振った。

 

 その笑顔を前にして、愛莉はふっと息を吐いて、口を開いた。


「ルルー。実は、ちょっと話しておきたいことがある。また家に来てもらっても、良いかな?」


「うん。分かった」


 何か言いにくい話をするときに決まって見せる、愛莉の仕草。

 瑠々は何かを察したように優しく微笑んで頷いた。

 

 探偵者とその相棒。

 

 二人はどちらからともなく手を取り合い、夕暮れの教室を後にした。

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