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7. 俳優の卵

 十一月の初め、海斗に大きめのオーディションの話が来た。


 動画配信サービスで公開される連続ドラマの、新人社員役だった。


 主要キャストではないけれど、名前も台詞もある役だった。


「すごいじゃん!」

 

 事務所でその話を聞いた俺は、自分のことのように喜んだ。


「まだ一次審査が通っただけ」

「でも、一歩前進したってことでしょ」

「次が対面でのオーディションだから、その日はシフトを誰かに変わってもらわないといけなくて」


 確認すると、その日は海斗は早番で、俺は大学だった。


「俺、入るよ」

「でも大学あるだろ」

「一回くらい休んでも平気」

「それは駄目」

「なんで海斗が決めるの」

「大学行くために高い学費払ってるんだろ」

「俺の親みたいなこと言わないでよ」

「他の人に聞く」

「もし、見つけられなかったら?」

「その時は、オーディションを辞退すると思う」


 あまりにも当然のように言う海斗に俺は腹が立った。


「なんのために東京に来たの?」


 海斗が黙る。


「俳優のためだろ。バイトのためなんかじゃないでしょ」

「でも、人に迷惑をかけてまでやるのは違うと思う」

「だから、俺は迷惑じゃないって」

「望は、すぐに自分のことを後回しにしすぎ」

「海斗だけには、言われたくない」


 少しだけ強い声色になってしまった。


 俺たちはしばらくの間、お互いに何も言わなかった。

仕事中に喧嘩をするわけにはいかない。


 遠くでエレベーターの到着音が鳴った。

俺は軽くため息を吐いて、声を落とした。


「午後の授業、資料はオンラインで配布されるし、出欠も取られないから本当に大丈夫」

「でも」

「代わりに、受かったら三軒茶屋で奢って」


 海斗は困ったように俺を見た。


「もし落ちたら?」

「その時は、俺が海斗を慰めるために奢る」

「どっちにしても行くんだ」

「海斗と行きたいから」


 やがて海斗は、観念したように笑った。


「分かった。望、シフト代わってほしい」

「もちろん!絶対に受かってよね!俺、大学生だからお金ないんだから」


 オーディション当日、俺はホテルのフロントに立ちながら、何度も時計を見ていた。


 オーディションの開始は、十四時。


 十五時を過ぎても、十六時を過ぎても、連絡は来ない。


 結局スマートフォンが鳴ったのは、早番が終わった三十分後の十七時半だった。


【終わった。今日はありがとう】


 それだけだった。

俺は早まる思いを落ち着かせた


【どうだった?】

【分からない。でも、できることはした】

【じゃあ、受かってるね】

【なんで分かるの】

【だって、俺がシフト代わったからね】

【本当に理系?なんの根拠にもなってない笑】

【バチバチの理系大学生が保証します】

【笑】


 結果が来たのは、一週間後だった。


海斗は落ちた。


その日、俺らは、シフトが被っていた。


海斗はいつも通り働いていた。

チェックインの客へ笑顔を向けて、電話に出て、予約情報を入力する。


 何も変わらない。


 でも、いつも見ていた俺には分かった。


 声が少し低い。

 

 笑顔が消えるのが早い。


 休憩へ行くように勧めても、「大丈夫」といって、働くことで何も考えたくないという風にその場から動こうとしない。


 退勤したあと。俺は自動販売機で買った缶コーヒーを二本買った。


 ホテルの裏口を出ると、海斗は壁際に立って俺のことを待ってくれていた。


「はい」


 一本渡す。


「ありがとう」

「落ち込んでる?」

「別にそんなことない」

「嘘下手だね。俳優なのに」


 海斗は乾いたように笑った。


「向いてないのかもしれない」


 その声に、俺は言おうとした言葉を飲み込んだ。

いつもの冗談で励ますのは違う気がした。


「上京して四年。もう俺も二十二だし、同い年で売れている人も沢山いる。オーディションでは、毎回似たようなことを言われる。悪くはないけど、何かが足りないって」

「何かって?」

「分からない。分からないから直しようがない」


 海斗は缶を片手に持ったまま、俯いた。


「前の職場がつぶれたときも、実は少し安心した」

「安心?どういうこと?」

「これで地元に戻る、俳優を諦める理由ができたって」


 俺の胸が冷たくなった。


「帰るの?」

「帰ってない」

「これからの話」


 海斗はその問いには答えてくれなかった。


 俺は無意識に、海斗の袖をつかんだ。


「帰らないでよ」


 自分でも驚くほど、子どもみたいな泣きそうな声が出た。


 海斗が俺を見る。


「俺、海斗が本当に俳優になれるかどうかなんて分かんないし、無責任に絶対なれるとも言えない。」

「うん」

「でも、今回落ちたからって向いてないって諦めちゃうのは違うと思う」

「どうして?」

「だって、俳優の話をするときの海斗の目が、一番輝いていて楽しそうだから」


 俺は袖を掴んだまま続けた。


「俺は、やりたいことがあって、頑張ってる海斗が好きだよ」


 今回は冗談に聞こえないように真剣な声で伝えた。


 言ってから、気が付いた。


 これは励ましなんかではない。ほとんど告白も同然だった。


 海斗もきっと気が付いたはずだ。


 長い沈黙があった。


「望」


 名前を呼ばれて、心臓が跳ね上がる。


「今優しくされると、俺、望に甘えそう」


 海斗は、俺の手を袖から外した。

三軒茶屋の夜と同じように、乱暴ではなく、優しく。


「それは、望にとって良くない」

「なにが良くないの」

「俺は、何も約束できないから」

「どういうこと?約束なんてしてくれなくていい」

「今はそう思ってても」

「勝手に俺の気持ち決めつけないでよ」


 声が震えた。


 海斗は何かを言おうとして、それを飲み込んだ。


 「ごめん」


 その謝罪が、俺を突き放すように、拒絶してるようにしか聞こえなかった。


 「謝らないで」


 俺は笑おうとした。

 

 でも、上手く笑うことができなかった。


 「俺が勝手に言っただけだから」


 駅まで一緒に歩く気にはどうしてもならなかった。

 

 俺は海斗を残して、一人で帰った。


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