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10. チェックアウトのあとで

 付き合い始めたからと言って、すべてが急に変わるわけではなかった。


 海斗はホテルを辞めて、撮影のために地方へ行った。


 俺は、大学へ通い、週に一度か二度、相変わらずホテルで働いていた。


 会えない日が続く。メッセージの文章も相変わらず短い。


【撮影終わった】

【お疲れ!どうだった?】

【台詞、二回間違えた】

【新人俳優っぽくて、いいじゃん】

【よくない】

【監督さんに怒られた?】

【怒られてない。明日撮り直しすることになった】

【じゃあ、明日上手くいけば問題ないね】

【頑張る】


 そのあと、少し間を置いてからメッセージが届く。


【望も、レポート頑張って】


 最初から名前で呼ばれてはいた。だけど、恋人になってから言われる「望」は、以前とは少し違って見えた。


 俺だけが勝手にそう感じているだけかもしれないけど、それでもよかった。


 撮影が終わって、海斗が東京に戻ってきた日に、俺たちはまた三軒茶屋で会った。


 最初に二人で飲みに行った店は満席だったので、近くの別の居酒屋へ入った。


 海斗は少し痩せていた。でも、表情は明るかった。


「どうだった?俳優の仕事は」

「緊張した。でも楽しかった」

「映ってる?」

「たぶん」

「公開されたら百回は見る」

「別に一回でいいよ」

「写真撮って、バ先に貼って宣伝する」

「やめて」

「古参なんで」


 俺は笑いながら、ビールを飲んだ。


 海斗はそんな俺をまっすぐと見ていた。


「何?」

「会いたかった」


 不意打ちに言われたその言葉に、危うくビールを吹き出すところだった。


「せ、台詞?」

「違う」

「急に何?」

「言った方がいいと思って」

「そういうの誰に教わったの」

「望」

「俺、そんなに素直じゃないけど」

「会うために、休みの日なのに何回もホテルに来てたじゃん」

「え、気が付いてたの?」

「途中から」

「じゃあ、分かってたのに毎回〈何の用?〉って聞いてたの?性格悪くない?」

「望が何て答えるかを聞きたかったから」

「うわ。実は海斗の方が俺よりも面倒くさい性格してるかも」

「そうかも」


 二人で笑い合った。


 店を出たあと、俺らは駅とは反対の方向へ歩いた。


 初めて飲んだ夜、海斗の家に泊めてほしいと言った道だった。


「今日は帰る?」


 海斗が聞いた。


「何それ。俺誘われてる?」

「嫌なら駅まで送る」

「嫌じゃない」

「後悔しない?」

「まだ聞くの、それ」

「大事なことだから」


 俺は海斗の手を取った。


 あの夜は、手首をつかまれただけだった。


 でも、今夜はお互いの指を絡めた。


「後悔しない。あと、今日は酔ってない」

「少し顔赤いけど」

「それは寒いから」

「さっき、ビール二杯飲んでたよね」

「細かい男は嫌われちゃうよ」

「俺のこと嫌い?」

「大好き」


 今度は、冗談にしなかった。

 海斗も笑わず、綺麗な目で俺のことを映した。


「俺も、大好き」


 言葉というものは不思議だ。


 同じ「好き」の言葉でも、逃げるために使うと軽くなる。でも相手へ真剣に渡すつもりで言うと、その言葉は途端に重くなる。


 でも、その重さがとても心地よかった。海斗の手の温もりと同じで、確かにここにあると分かる重さだった。


「映画が公開されたら、一緒に見に行こうね」

「自分の演技見るの、恥ずかしい」

「ダメ。俺、隣で感想言うから」

「厳しそう」

「理系なんで、客観的に評価させていただきます」

「望の客観は信用できない」

「なんでよ」

「俺の顔が好きすぎるから」

「自分で言うようになったね」

「いつも望に言われるから」

「実際、好きだけどさ」

「顔だけ?」

「そういう面倒くさいところも好き」

「それ、褒めてる?」

「もちろん褒めてるよ」


 海斗が立ち止まった。街灯の下で、つないだ手を引かれる。


「どうしたの?」

「キスしていい?」

「それ毎回聞くの?」

「嫌?」

「嫌じゃない。でも、たまには勝手にしてほしいかも」

「じゃあ、次から」

「今からでいいよ」


 海斗は笑って、俺の頬へ手を添えた。


 三軒茶屋の狭い路地。遠くで電車の音が下。すぐ横を自転車が通り過ぎ、俺らは慌てて未知の端へ寄った。


 映画みたいには、上手くいかない。背伸びしたらバランスを崩すし、鼻が少しぶつかった。


 それでも、海斗は今度こそ自分からキスをした。


 海斗がホテルで働き始める前は、俺はホテルを辞める理由ばかりを探していた。


仲のいい人が辞めた。大学が忙しくなった。週に一度しか入れない。


 でも本当は、続ける理由なんて、一つあれば十分だったのだと思う。


 その一つだった人は、もうホテルにいない。


 それでも、俺はもうしばらくは働くつもりだ。


 海斗と出会った場所だから、という理由もある。


 三年続けた仕事を、途中で投げ出したくないという気持ちもある。


 何より、今はホテルへ行かなくても海斗に会える。


 会うために忘れ物をしたふりもする必要もないし、適当な理由を作る必要もない。


「次、いつ会える?」


 俺が聞くと、海斗は少し考えた。


「来週、オーディションがあるから、それが終わった後なら」

「そしたら、受かったら奢って」

「落ちたら?」

「その時は、俺が奢る」

「前と同じだね」

「どっちしても、俺は海斗に会いたいから」


 今度は、海斗も意味を間違えなかった。つないだ手を少し強く握り、俺を見て笑った。


「俺も」


 俺たちは、まだ何者にもなれていない。


 俺は将来やりたいことも決まっていない理系大学生。

 海斗は、次の仕事が決まっていない俳優の卵。


 来年、どこで何をしているかもわからない。


 でも分からないこそ、一緒に考えていけばいいと思う。


 未来の予約確認画面なんて、どこにもない。予定通り進まないことも、突然キャンセルされることもある。


 それでも今夜だけは、確かに二人の居場所はある。


 海斗の隣を歩きながら、俺は思った。


 もう、会いに行くための理由を作らなくていい。


 それが、たまらなく嬉しかった。


Fin


最後までお読みいただきありがとうございました!

続きや、海斗視点など今後一人でもご希望がいれば書きたいなと思ってます。

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