第九十四話 ハイケア祭・前夜
「──んーーーー、いよいよかぁ」
明日は祭当日。
海鮮スープを食べ終えた俺たちは、念のため滞在中の食材を切らした場合の買い物できる場所や、他の出店者らの準備の様子を見て情報収集。
そのまま商業ギルドで尋ねた宿のうち、なるべく市場に近い宿を選んで滞在した。
『市場ってやつぁ、なんであーもワクワクするんですかねぃ』
ベッドに腰かける俺の肩で、すでにお腹を空かせた様子のツーク。
「ほんとになぁ。【鑑定】で視る前から、どんな料理にしようかと想像が膨らむよ」
それもこれも、自分が料理をするだけでなく、それをいろんな人に提供したいと思うようになったり、知らなかった料理を食べてみたり……王都以外での『食』に関しての経験が俺の想像力を刺激してくれるからだろう。
王都にも食材は多く集まっていたが、買い物のときは予算だったり『風神の槍』メンバーの好き嫌いであったり。その時の俺が考えていたことが、今とはずいぶん違っていたんだろうな。
「……」
「Aランクのメナールは王都でも旅先でも、いろんな料理食べてきたんだろうなぁ」
「……」
「?」
なぜか部屋の隅で壁に向かって考え込んでいるメナール。
あまりに深く思考しているためか、俺の声も届いていないようだ。
「……メナール?」
「──はっ、はい!?」
「!?」
近づいて声を掛けると、あまりに驚くもんだから俺もつられて驚いた。
「な、なんでしょう!?」
「……どうかしたか?」
「いえ! 今日寝る際にはどの服を着ようかと考えていて……」
「服!?」
てっきり明日の本番を前に緊張しているのかと思った。
「いつもどおりでいいんじゃないか?」
「ですが、あまり軽装ですと夜通しで見張るとなれば……」
「見張り!?」
今朝、出発前からどこか様子のおかしかったメナール。
料理大会に剣術大会とイベントが控えて普段と様子が異なるのも分かるが、それにしたって落ち着きがない。
『荷物が多いのも納得ですねぃ……』
「え、えーっと。特に祭期間中は騎士団の見張りも多いだろうし、そこまでしなくても……」
あまりに真剣に悩んでいる様子のメナールに、俺も思わず真面目に答える。
「そっ、そうですよね!! ハハ……ハ……」
乾いた笑いのあと、目を伏せたメナール。
やはりというか彼はふざけて言ったわけではないようだ。
「その」
「うん?」
「リシトさんだったら、どう思いますか?」
「なにをだ?」
「……自分が目指してきた者と肩を並べた時。……特に、そうですね……もし一緒に生活することとなったら」
「目指してきた者と生活、か」
言われて気付いた。
ハルガさんやアビーは、メナールにとってもともと肩を並べていた同僚のような存在。
対して俺はメナールにとって、実際どうかはともかく『恩師』という言葉を使ってくれるほどの存在だ。
同じ冒険者でありながら、少し違う存在ということなんだろう。
「そういえばリシトさんにとって、憧れの方って……いらっしゃるんですか?」
「俺? 俺は……そうだなぁ。もちろんメナールのことも憧れというか、すごいなとは思っているが。世話になったという点では、ガンプトンさんかな?」
元Aランク冒険者。
ミゼルを彷彿とさせる髪色にちなんで『赤影』の異名を持つ、王国内でも高名な冒険者だった彼は、利き腕のケガやパーティメンバーの引退なんかもあって現役を退き王都のギルドマスターへ。そして現在は王国騎士団で魔物対策の任についているという。
俺とそう年は離れていないのに若くしてトップ層へと上り詰めた彼は、引退後もベレゼン王国のために尽力している。
そうして世話になったうちの一人である俺は、冒険者としても人柄という意味でもガンプトンさんへ憧れを抱いている。
「ああ、ミゼル殿の……たしかに素晴らしい功績をお持ちの方ですね」
「な。うーん、仮にガンプトンさんと一緒に生活することとなったらってことだよな。……恐れ多いというか、緊張するのかな? たぶん」
「──ですよね!?!?」
「うおっ」
勢いに驚き、肩にいたツークが思わず「ぴゃっ」と転移した。
「依頼中はただでさえ気が抜けないですし、その目的に集中しているではないですか」
「そっ、そうだな」
「だから、こう。冒険者としてではなく、いち個人として憧れの者と肩を並べた時のことが……経験がなく、分からないんです」
「メナール」
その悩みに深く囚われる要因。
恐らく、彼の兄との確執だ。
憧れていた者からほの暗い感情を向けられ同じ道を辿ることができず、なんとか別の道を自力で見つけたメナール。
俺が兄と同じであるとは思っていないだろうが……俺でさえ緊張すると思っているんだ。そうした過去のあるメナールが、『憧れ』に近づけば近づくほど怖くなるのも分かる。
また失うんじゃないか。
また遠ざかるんじゃないか。
多くの者にとって『成功者』と思われているメナールだが、彼自身がそう思っていないのは、メナールにとって一番大切だったことを手に出来なかったからだ。
でも、幸い俺は知っている。
深く悩んでいるのはメナール自身が誠実で、真面目であるがゆえのものだというのを。
「えっと、緊張するって気持ちは充分わかるんだが。メナールが一番不安なのは、どういうところなんだ?」
「一番、ですか?」
問われてふたたび考え込むメナール。
ツークは傍のテーブルに飛び乗って静かに成り行きを見守っている。
「不安って、いろいろあるだろ? 俺だと、……そうだな。たとえば一緒に生活する中で、ガンプトンさんに『Bランクに相応しくないな』って思われることとか。『冒険者に向いてない』って思われることとか?」
「ふむ……」
メナールに説いているはずが、俺自身もハッとした。
俺は王都で生活している最中、そうした他人の評価を無意識に恐れて生きていたんだろうか。
「……もし」
「うん」
「レストランでリシトさんのおっしゃったように、『慣れ』から生じたものが無礼なものとなった時」
「……うん」
「リシトさんに、『どうしてそんなに自分に自信を持たないのですか!』と言ってしまいそうな気がして……」
「…………うん?」
それって、無礼……なのか?
「俺がそう思えるかは置いておいて、ぜんぜん言ってくれてもいいんだぞ?」
「そんな! リシトさんに物申すなど恐れ多い……それに、私はリシトさんが思ってくださるほど出来た人間ではありません」
「そうかな?」
「そうですよ!!」
前のめりな体勢で、ここぞとばかりに力説するメナール。
「家ではハルガに「うるさい」と言うこともしょっちゅうですし、アビーはアビーで何を考えているか分からない時があるので、もっと自分の意見を述べるよう小言をいう時もありますし……」
「? いいじゃないか」
「でっ、でも──」
メナールは自分で言ってよく分からないとでも言いそうな、泣きそうな表情になっていた。
「どうせなら……よ、良く……思われたいじゃないですか……」
それだ。
メナールの一番不安に思っていること。
以前の俺が不安に思っていたことは。
「……」
「り、リシトさん?」
「いっ、いや。わるい……その……」
たしかにメナールは、俺自身に対していつもしっかりとした敬語を使うし、俺に対して否定的なことは言わない。
だが、俺がメナールを誠実で真面目だと思う部分は、そこじゃない。
自分が他人をどう思うかは、確かに直接その者とやり取りした時の印象も大きいだろう。
しかし、細かくいえば自分以外の者にどう接しているかであったり、趣味嗜好や行動、習慣など多岐にわたる。
俺がメナールを誠実な青年だと思うのは、初めて会った時真剣に話を聞いてくれたことや、若くして自分の信念のもとに様々な依頼を受けているからだ。
仮に彼が仲間にストレートな物言いが多いのだとしても、その判断は揺るがない。
「もしや……笑っていますか?」
「ご、ごめ」
肩が震えるのを見透かされた俺は、つい言ってしまった。
「いやだって、アドルとかベルメラに対していつも強気なの……、傍で見てるし……」
「………………」
ハルガさんに「うるさいぞ」と言っていることも聞いたことがある。
俺はそんなメナールの一面を見て、彼に失望することは全くない。
でも自分の何が他人に『失望』をもたらすか確信を得ていないメナールは、俺に対して少しでも自分を良く見せたいと必死なのかもしれない。
俺もそうだった。
俺は『強さ』が足りないから、それ以外の部分で補いたいと必死だった。
メナールは『強さ』は充分だろうから、それ以外の部分を必死に良く見せたいと思ったんだろう。そのままでいいのにな。
今はそう思えるけど、必死なうちはなかなか自分で気づけないものだ。
「………………そういえば、…………そう……です、ね」
「ああ!? 落ち込むことないのに」
ずーんと肩を落として再び壁と対話を始めようとするメナールを食い止める。
「でも、一つ不安が無くなってよかったな」
「そ、そうとも言えるかもしれませんが……」
「これからも、そうして思っていることを共有してくれると俺も嬉しいよ」
「っ」
いろんな感情と向き合うのは、一人では出口が見えないことも多い。
俺も、他人のことならこう考えることができるのに……。
自分自身のこととなると、全然わかっていなかったなぁ。
実際にその場所に立つのと傍から見るのとでは、全然違う。
必死で、集中して、のめり込んで。
振り返るより先に前へ、前へともがいているからだ。
『まったく……まだまだ若いですねぃ』
「ツークも同い年だけどな」
腕を組んで云々と唸るツーク。
俺の代わりにいろんな感情に向き合って、俺の代わりに怒ったり助言をしてくれたツークがいなかったら……。
今でも出口のない場所をさ迷っていたのかもしれないな。