練武の森 6
静岡県御殿場市 東富士演習場
環境科学研究機構・統合幕僚監部超常戦運用計画部合同指揮本部
「リンドウ30 リンドウ00 送れ」
『リンドウ30感明よし これより当該地域へ侵入を開始する 送れ』
「リンドウ00 了 安全を最優先に行動せよ 終わり」
完全に予定外の事態だ。
残機との通信は霧が出てきたという情報を残して途絶、ただ妙なことにこの位置から見下ろした砲兵森は霧など全く出ていなかったのである。
厄介なのはそれだけではない。
ほぼ全ての観測機器、通信機器に強烈なノイズが乗り現地の状況が一切わからなくなってしまったのだ。
それは電磁波による干渉を顕著に受けるものばかりではない。望遠レンズを用いた直接の光学観測さえ、不明なノイズのせいで砲兵森林内を観測することができないといった出鱈目っぷりである。
それを受けてまずはJ-7の要員を用いて当該エリア周辺を封鎖、外部からの目をシャットアウトした上で防護具を完全装備した大嶋君たちが砲兵森に侵入して現地の確認を行なってくれているが……
『リンドウ00 リンドウ30 送れ』
「送れ」
『当該地域の一次検索を終了 現在のところ異常は確認できず 送れ』
「被験者については回収できたか 送れ」
『天幕地域にて回収済み、生存確認済みである 送れ』
特定調査員の回収はできたらしい。
であれば長居することもないか……
「そのまま待て」
まずは残機の解体……いや、今回の個体はインタビューに使うべきか……
「赤塚三佐、当該地域の監視をお願いできますか?」
「わかりました。部隊には警戒を維持するよう伝えておきます」
「いえ、異常な兆候さえわかればいいので二人一組で目視での監視をお願いします。それ以外の方は交代で休んでもらって構いません」
「リンドウ30 リンドウ00 送れ」
『送れ』
「被験者を回収して撤収せよ 送れ」
『了 被験者を回収し撤収する 終わり』
大嶋君が戻ったらこちらも部隊を再編してQRFを交代制で配置できるようにしなくては……
「片切君、重迫の射撃諸元の算定ってできる?」
「えっと……FDCから、データを、その……抜かせてもらえれば……あと、ちょっと時間をも、らえれば」
「どんくらい?」
「えっと……に、2時間……」
「分かった。後で川島君に予備機持ってきてもらうね」
流石に優秀だ。こと計算に関することであれば片切君がいるだけでかなり心強い。
重迫の射撃指揮班で出してる川島君達を下げられれば2交代でQRFを編成できるだろう。
ただ、その代わりに片切君の負担が大きくなってしまうので私とがっさんでバックアップに入ろう。
研究チームは三交代できる人員が揃っているから十分だろう。
「諏訪先生、医療チームを三交代で救護班供給できるように再編成お願い」
「かしこまりました」
医療チームも解剖とかならば諏訪先生か猪狩君が欲しいところだが、救護に関しては優秀な医師揃いなので問題はなさそうだ
「それじゃあ各セクションごと交代でお風呂と食事、各直の責任者は2300に集合して明日以降の計画を立てよう!」
陸上自衛隊 板妻駐屯地 幹部浴場
「あー……沁みるぅ……」
今後の計画を話し合い、ようやく方針が固まった段階でもう午前3時だ。
ボイラーの火を落とさないでいいようにしておいてくれた赤塚三佐には感謝である。おかげで私たちもこうしてお風呂に入ることができているのだから
「のんびりお風呂入ってる場合なんですかね……結構厄介そうな相手みたいですけど」
そう言う割にだいぶのんびりとお湯に浸かっている藤森ちゃん、彼女らFOもなんやかんやと再編に時間がかかってこの時間になってしまった。まあ車両一台でみんなで来られたのだから良しとしよう。これぞSDGsだ!
「逆に厄介そうだからこそ今は何にもしない方がいいんだよ」
「どういうことです?」
「『0034U』の活性化するって言われてる時間は夜中だけだからね、それを全面的に信じるわけじゃないけど多分夜中に詳細な調査をするよりは不活性の昼間のうちにやった方がまだ安全でしょ?」
過去に防衛省が行った調査でも夜間、特に俗にいう丑三つ時ぐらいが一番ホットであるとのデータが取れている。
今のところ真っ昼間に発生した事例は報告されていないので、明日……いや、今日日が昇って以降に乗り込むのがベターだろう。
何せほぼ何も分かっていない状況なのだ。無闇矢鱈と危険は冒せない。
「うーん、まあ理屈はわかりますけどあんまりのんびりってのも……いつもだったらまだいいですけど今回は検閲じゃないですか」
「まあねぇ……でも検閲だからってみんなが危ない目にあったら意味ないでしょ? まあおばあちゃんに任せときなよ、今まで大抵のことはなんとかしてきたんだし、今回だってなんとかなるでしょ!」
「そんなお気楽な……まあ博士らしいといえばらしいですけど」
「おっけい、褒められてるって受け取っておくね! あ、サウナあんじゃん!」
帰ってからもやることは多いがそこまで切迫したものは少ない。
のんびり整ってから帰ってもバチは当たらなだろう。
「あー……駐屯地は大体サウナあるみたいですよ、多分この時間だと火は落としてあるでしょうけど」
「えー、残念……」
浮かしかけた腰を下ろし再び湯船に沈む。
「そういえばなんですけど……」
「どうしたの? 恋?」
「違います。今回の編成についてです」
「なぁんだつまんないの」
この数年は浮いた話を聞かない藤森ちゃんである。
根っからの社畜が多く未婚率の高い職場である。恋の相談ということであればいつでも受けつける用意があるのだが……
「班長に中隊長を任せなかったのは何か理由があるんですか?」
おばあちゃんは非常に残念です。
という態度をわかりやすくアピールしている私を完全に無視して藤森ちゃんは続ける。
「班長普段はあんなですけど結構賢いですよ? そりゃ研究職種の皆さんと比べればアレですけど……重迫中隊の指揮だって問題なくこなせるはずです」
「うん、分かってるよ?」
難しい話が嫌いで現場主義の肉体派、実際それは彼を表す上で間違っているわけではない。
ただしそれは言動に関する部分から見ての話だ。
お世辞にも偏差値が高いとは言えない高校から防衛大学校の狭き門を他者に頼ることなく自学のみで潜り、そのまま主席で卒業
第一空挺団、中央即応連隊、特殊作戦群在隊時には優秀な若手士官として活躍しつつ並行して多数の論文を書き上げた俊才である。
論文の内容自体は軍隊の戦術だとかそういったものがメインで専門外の私が偉そうなことを言える類のものでは無かったが、文武両道ここに極まれりといった彼の姿はすぐにJ-7と『機構』の目を引いた。
で、なんやかんやあって羽場主務との拳での語らいを経て『機構』入りを果たした彼である。
その人柄も含めてなんなら中隊どころか方面軍規模を任せる事になったとしても一才不安は感じないだろう。
「それならなんで?」
「できるから……かな?」
あくまで管理収容を目指す『機構』において、小規模な対処案件で専門の指揮所を設けることは少ない。
限られた各分野の天才は各所に散らばる事になる。
その状況において種々様々な情報を統合、取捨選択して必要な場所に必要な人数を振り向ける。そういったことをするためには全ての情報が入ってくる私のそばにいてもらうのが一番都合がいいのだ。
「研究に関してはがっさん、荒事に関しては大嶋くんが私の女房役だからね」
「ちゃんとした理由があったんですね……意外です」
「え……酷い……」
何が酷いと言えば一切の悪意なく言っているのがありありとわかる表情な事だろう。
なんだかなぁ……
「軍隊組織的な考え方で言えば建制の保持は大事なんだろうけどさ、まあうちはこんな感じでもいいかなって。まあ大嶋くんを手元に置いときたいって私の我儘でもあるんだけどね……さてと、そろそろ上ろう。なんだかふやけてきた気がするよ」
東富士演習場 砲兵森
当該エリア周辺における異常な人の動き
演習中の部隊ではないのかという考えは陸上自衛隊に詳しい職員に否定された。
曰く何もかもがチグハグなのであるという。
現状として東富士演習場内に対象が欲しがりそうなものは無いはずだが……
一旦はそう思った彼ではあったが、しかし同時にこの兆候が無関係であるとも思えない。
ただでさえ不気味な組織が相手なのだ。
念には念を……
そう思って現地に到着した時には既に真夜中だった。
「まったく、人手不足には困ったものだな……」
「まあまあ、今に始まったことじゃ無いでしょう」
「だがなぁ……通報があったはいいが監視の人員を近在から送れないのでは手間が増えるばかりだろう。我々は軍人では無いんだ。こんな真夜中にこの広大な荒地で人探しなどやれる気がせんのだよ」
五台のバンに分乗した概ね20人程度の男達はヤクザ式ではあるが小銃を含めた完全装備を整えている。
街のゴロツキを相手にするのであれば過剰なほどのそれも、彼らの敵からすればあまりにもか弱い。
加えてその特性上従軍経験者が極端に少ない彼らである。
捜索し、調査し、捕獲……最悪でも減殺など専門外の仕事もいいところである。
「どうあれ今後楽をしたいのであればここでの苦労は避けては通れないでしょうな」
「ああ、分かってる。分かっているとも」
それでもやらねばならぬ仕事である。
それにこれがあたりであれば……よくも悪くもこの仕事の終わりが見えてくることになる。
だからこそ、彼は決意を込めた瞳で車外を見やる。
夜とはいえ巨大な山容を聳えさせる富士山、どうかかの女神の加護の一つもありますように
彼が思ったのはそんな柄にもない戦捷祈願だった
「お疲れ様です! これどうぞ」
砲兵森を監視しているJ-7の隊員さんのところに差し入れだ。
残念ながら夜中なのでこの辺の名物なのだというお肉屋さんの揚げ物だとかは手に入らなかったが、流石は軍都御殿場である。
駐屯地の近くには複数のコンビニがあるのでとりあえずマッチョが好みそうな飲食物を手当たり次第に買ってきたのだ。
「ありがとうございます」
「すみません、気を使わせてしまって……」
「いえいえ、こちらこそですよ」
何しろうちの仕事をあれやこれや手伝ってもらっているのだ。
税金で運用されている彼らを納税とは無縁の『機構』が手弁当で働かせてしまっているのだから気ぐらいは使わなくてはバチが当たるというものだ。
「ここは私たちで見ときますんで休憩しちゃってください」
「いやいやいや、そこまでしていただくわけには」
「そうです! 皆さんにはただでさえお世話になってしまっているのに……」
「まあまあまあ、そこはほら助け合いということで! それにアイスもあるんで早く食べないと溶けちゃいますよ」
遠慮深い二人の隊員さんをどうにか休憩に行かせて監視の任を引き継ぐ。
「……博士って妙に外面いいですよね」
「そうかな? 内面が滲み出ちゃってるのかもね」
砲兵森のすぐ横、農林5号と呼ばれる小径の脇に設けられた監視ポストに入るなり藤森ちゃんがそんなことを言ってきた。
「内面ねぇ……いやまあいいんですけど……言い方があれだったかもしんないですね、政府機関の連中に優しすぎませんか? 元自とかでもないのに」
「あー……まあそうなのかも……」
正直に言ってしまえば『機構』職員は自衛隊をはじめとした事案対処組織に対してあまり態度がよろしくない。
もちろん自衛隊出身のDS職員やら警察組織出身のGS職員、海自や海保出身の海洋部職員など古巣が事案対処組織を有する機関の職員はそれなりの愛着を持って対応するだろうがそれ以外の者たちは概ね彼らを下に見ている傾向がある。
彼らの言い分としてはこの国の対超常安全保障を担うのはあくまで『機構』であり、事案対処組織は中途半端に介入してきて場を荒らしているだけの邪魔者……そういう認識を持っているからこその対応なんだそうだ。
だが、警察・海上保安庁の監視体制とネットワーク、防衛省自衛隊の持つ純粋な打撃力は私たち『機構』にはないものだしそれらを提供してもらっているからこそ私たちも十全に実力を発揮できるのである。
「それでなくても自衛隊さんが頑張ってくれればそれだけ私たちも仕事が楽になるからね、大事な仕事仲間だよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんなんです」
自衛隊に所属していた経験があるとはいえ藤森ちゃんはかなり特殊なケースなのであんまり実感が湧かないのだろう。
その辺は自衛隊関係との渉外業務の矢面に立つ立場になれば諸先輩方から教わることになるだろうからまあ今はこの程度でいいだろう
そんな風に藤森ちゃんと雑談しながら端末で片付けられる仕事を片付けているとヘッドライトを全灯にした二台のバイクがこちらにやってきた。
降りてきたのは大嶋くんと宮田くんだった。
「あれ、二人ともどうしたの?」
「どうしたのって……こっちのセリフですよ……なんか問題でも起きたんですか?」
どういうことだろうか? 一応ここにくる前に歩哨さんとこに遊びに行ってから帰ると伝えてあったはずなのだが……
「班長、今回はマジで遊びに来ただけです」
「あーマジの方か……まああれだ、取り越し苦労で良かった……のか?」
ふむ、私が何か気になることがあってここに来たと思ったという事だろう。
いい子だけど心配性なんだから……いや、うん私の説明不足だなこれは
「それでジャー戦非武装で歩哨に立っていると……」
再度状況を説明すると大嶋くんの呆れ顔が加速した。
「あ、拳銃はあるよ! お風呂道具と一緒に手提げに放り込んであるから!」
「そういう問題では……いえ、もういいです。大瀬博士も天幕に入ったんで」
うーん、何かドレスコードに引っ掛かっているんだろうか?
いや、陸自のお風呂上がりはジャー戦だというのは複数のDSの人間から聞いているから間違いないはずだ。だとすれば拳銃の方? やっぱり吊っといた方がいいのかなぁ? ただジャージにレッグホルスターってのも心地が悪そうだし……
ということで、まあ気にしないでおこう。口うるさいお舅さんが寝てる間くらい好きにやってもバチは当たらないはずだ。
とりあえず四人で砲兵森の方をぼーっと眺めながら買ってきたスナック菓子を摘む。
いつの間にか会話も途切れたが、灯りの少ない演習場で静かに星を眺めるのもたまには悪くないだろう。
「この辺も意外と星がよく見えるもんだねぇ」
そんな私の言葉に誰も返事を返さないのは夏の夜空の見事さに言葉を失っているからだろう。
常に頭上に戴いていても、意識的に観ようとしなければ見落としてしまうものだ。
私の専門分野ではあるが、初々しい感動を得た彼ら相手に賢しらな解説なんて野暮だろう。
「博士……」
「ん? どうしたの」
穏やかな時間に私の声音もつられてのんびりしたものになってしまう。
「ゆっくり歩哨壕の中にしゃがんでください」
「……へ?」
対してひりついた様子の大嶋くん。
見れば藤森ちゃんも宮田くんも完全に目が据わっている。臨戦体制やる気満々の猛獣といった様子だ。
おかしい、星空を眺める長閑な時間はどこに行った?
「囲まれてます。最低20人はいそうです」
はいはいはい、静かになってたのは星空に見惚れていたからじゃなかったわけだ。だがまあ常在戦場見敵必殺な彼らの過剰反応は今に始まったことでもない
「演習中の自衛隊さんでしょ? ここ富士演習場だよ」
実際敵だと思って包囲している可能性はあるだろうが、あくまでそれは演習の想定上のお話だ。
演習と無関係の自衛隊だと分かれば帰ってくださる事だろう。
「自衛官がニッカボッカ履きますか?」
89式に着剣しつつ宮田くんが言う。
いや、こんなに暗くちゃ何も見えないのだが……
「とにかく数が多いです。俺たちが突破口を開きますから合図したら博士はJ-7の車両の方に走ってください」
大嶋くんの言葉は暗に相手が『保全財団』機動部隊だと示唆している。
『機構』とは異なり日本政府と米国は比較的仲良しだし、それは『保全財団』にしても概ね同様だ。
少なくとも自衛隊への攻撃は現場指揮官レベルの判断で許可される類のものではない。
それ故の判断なのだろうが……
「動くな! 武器を捨てて両手を上げろ!!」
フラッシュライトの閃光と共に放たれた声
どうやら相手の出方の方が速かったみたいだ――




