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妻の不貞を疑う夫のような表情でロジーは少女とセオの顔を交互に眺めた。
「お前、結婚してなかったよな……」
隠し子がいたとは。とんでもない事を言い出すロジーにセオは目を剥く。
「違う! 俺の子じゃない!」
「パパぁ……?」
ロジーに声を荒げたら、子供は困ったような声になる。
セオはひとまずその女の子に視線を合わせようとしゃがみこむ。
その子はハーマン人の女の子で、髪はセオに似ても似つかぬ亜麻色の巻き毛、瞳は薄い水色だ。
「パパじゃない……」
間近にセオの顔を確認して、女の子も人違いだと気づいた。だが、その次に自分の父親を見失った悲しみに囚われる。
女の子は、大声で泣きはじめる。
「……迷子か」
やっとセオは納得した。耳元で泣かれてちょっと鼓膜に響く。
ロジーは女の子の泣き声にあからさまに顔をしかめる。
「あーもう、うっせえな」
幼い子供は、その小さな体のどこにそれだけ膨大なエネルギーを蓄えているのかと思うほど、大きな声をあげる。
「大丈夫だ、泣くな。お父さんもお母さんも探してやるから」
最初は少し辟易していたセオだが、すぐに体勢を整えた。なだめるような穏やかな声をして女の子を抱き上げる。
「ほら、こうするとお父さんもすぐ見つかる。高いところなら見やすいだろう?」
セオが自分の肩に女の子を乗せると、泣き声はやんだ。
「もっと!」
どこか楽しげに、何かを要求する。ロジーにはあっという間の変わり身の早さの理由も、何を要求しているのかも分からなかった。
「もっと高く?」
セオが女の子を両手で頭上に持ち上げると、彼女は「もっとー!」と笑い声をあげる。どうやら高所がお気に召したらしい。セオは正解を導き出せたのだ。
何度か高いところを満喫させてやると、女の子は大人しくなった。
「すげえな。ガキの変わり身の早さって、なんなわけ?」
女の子の涙を軽く拭き取っていたセオは、ロジーが心底不思議そうにしているのを知る。
「さあ。ただ、小さい子は何故か高いところが好きだ」
「へー……」
自分から話を振っておいて、ロジーは興味なさそうに応じた。
セオは子供を胸のあたりで抱えていたが、思いいたって尋ねる事にした。
「お名前は、言えるかな?」
女の子はセオにがっしりしがみついているわりに、もじもじと恥ずかしそうにする。
「……マル」
他所を向きながら、その子は答えた。
「さんさい」
周囲の大人から年齢を聞かれる事が多いのか、続けてマルはそう言った。
「そうか。俺はセオ。あっちはロジーだ」
濡れた瞳でマルはセオを見上げ、すん、と鼻水をすする。
「じゃあマル、お父さんとどこではなれた? そこまで行ってみよう」
幼い子供の無邪気な様子に微笑ましくなって、セオは自然と笑顔になっていた。
「そんなん警察にでも頼めばいいだろ」
迷子探しは他に適任者がいる、と指摘したのはロジーだ。
「それはそうだが、たらい回しも可哀想だろ。しばらく一緒に探して見つからなければ、警察に頼むよ」
幼い子供の、親とはぐれた時の心細さは大人になってからのそれとはまったく異なる。心を許せる相手もなく、新しい場所にばかり連れられてはストレスになるだろう。
セオの言い分も、ロジーには分からないでもない。彼女は眉を持ち上げる。
「お前ってお人好しだよな……」
ちら、とロジーはマルを見た。視線に気づきマルもロジーを見返す。ロジーはすぐにマルから視線を逸らすが、マルはそうしない。
「……見るなよ」
横目で窺うと、やはりまだマルはロジーを見つめている。
小さな子供は相手をじっと眺めるのをやめない。
あまつさえ、マルはロジーに手をのばす。ロジーが先に避けたので、マルはロジーに触れる事は出来なかった。それを見てセオはマルに話しかける。
「マルも、お姉さんと一緒がいいか?」
彼女は答えなかったが、ロジーに視線を注ぐのをやめない。
結局――ロジーは観念した。
マルは中央公園に親と遊びに来ていたそうだ。それで三人はひとまず公園を一周する事にした。
「パパと、サンダースマン、してたの」
「……サンダースマン? 子供向け番組か……?」
「サンダースマン、ぴかってするんだよ」
セオの面倒見がいいので、マルはセオとばかり話していた。
今のマルは小さな池に何らかの興味を抱き、一人覗きこんでいる。セオは視線をマルに固定したまま、少し離れた場所で待っていた。
「お前、子供の扱い慣れてんな」
ロジーのつぶやきは、返事を欲しての事ではなかった。セオにもそれが察せたが口を開く。
「……養父母の娘が小さい頃に、よく遊び相手に指名されたからかな。あの子はまだ小さかったから、俺が本当の兄じゃないって分からなかったらしい」
セオは幼い子供のベビーシッター代わりを勤めた経験がある。養父母の長女がまだ五歳ほどの頃、セオはやってきた。新しい兄の存在を義理の妹はすぐに受け入れて喜んでみせた。まだまだ小さな子供だったから、セオが遊び相手をしてやると彼女はとても嬉しそうにした。子供というのはそういうものだ。付き合ってやれば、なつく。
「そのうちに、他の家族が俺によそよそしくするのには理由があるって気づいたみたいで、遊び相手とは思われなくなったが」
セオが家族と上手くいっていない事は、チームの仲間なら知っている。セオの血のつながらない家族は、里子には他人行儀なのだ。
「……それって」
セオの養い親は、幼い娘にもセオとは距離を置けと言ったのだろうか。ロジーはセオの育ってきた環境のいびつさを思って眉をひそめる。
ロジーはセオから詳しい話を聞いた訳でもないし、聞きたいとも思わないが、セオの家族にはあまりいい印象を抱けない。
「ま、そうじゃなくても子供なんてあっという間に大きくなるもんだ。親戚の子供もみんな、すぐに反抗期やら思春期やら、自立心が芽生えるやらで、いつの間にか大人になってたな」
セオが声を努めて明るくしたのを受けて、ロジーも神妙な顔をするのをやめた。
「……なんか、発言がおっさんくさいなお前」
からかうようなつもりでロジーは片方だけ口角を上げる。
「別にいいだろ。俺もお前も、子供がいてもおかしくない年なんだから」
今のチームはセオより若い者もいるせいか、子持ちの隊員はいない。だがセオとロジーの同期には、結婚して二児の親だというのも珍しくない。
「子供、ね……」
ロジーの眼差しが揺らめいたのにセオは気づけなかったが、彼女が黙りこんだので目を向ける。
そこでマルが戻ってきたので、その話はおしまいとなった。
それからはマルが三人で遊びたがったので、公園内の遊具のある場所でマルの相手をする事になった。
元々体を動かすのが得意なロジーも途中からやる気を出し始め、マルに喜ばれた。ちょっと追いかけっこをしたり、すべり台を滑ったり、砂場で穴を掘るだけでマルは楽しげに笑った。
誰かが元気に笑っている様子を見て、嫌な気分になる者はいない。ロジーもマルのはしゃぐ姿を見て微笑みかけるようになっていた。
いつの間にか、マルはロジーの腕の中で眠ってしまった。
それを機にセオがマルの両親探しを再開しようと切り出した。小さな子供にせがまれて遊んでしまったが、そもそも彼女は両親を見失った迷子だったのだ。
夕暮れ間近の空の下、公園を出口に向かって歩く影がふたつ――まるで幼い子供を連れた夫婦のよう。
「ったく、子供は気楽でいいよな。疲れたらどこでも寝れるんだから」
ロジーは迷惑そうに言ったつもりだが、あまりそうは聞こえなかった。
改めて見下ろすこどもの、小さな事。重くはないが、見た目以上に確かな体重を感じる。ロジーに抱えられて安心しきったように瞼を閉じている、いきもの。
「小さいな。こんなに小さいのに、生きてる」
ロジーはこれまで、小さな子供と接する事などなかった。
「新生児なんかもっと小さいのに、指を握ってくるぞ」
何故か得意げなセオに、ロジーはやけに幼児に詳しいなとあやしげな瞳になる。
「お前ほんとに子供いないのか……?」
隠し子疑惑を掘り返すロジーにセオは「知り合いの子供の話だ」と返す。
セオは、マルの顔をちらりと見つめる。
「自分の子供は、ほしいけどな」
自分の望む家族生活。それは、孤児で里親と上手くいっていないセオが口にするには、随分と繊細な問題のように思われた。また、心のうちを見せるようなプライベートな内容にも思えた。
自分の子供がほしいと願うのは別におかしな事ではない。それが、自分の親を知らない者であっても。
「お前はいい父親になりそうだよな」
このまま、ロジーは話を別のものにしてもよかった。
「あたしにはムリだ」
ただ、それは違うと思った。いつか言わなきゃならない時が来ると、ロジーは分かっている。
「俺だって、いい親になる自信なんかない。でも」
セオは同世代の同僚から、ある日突然父親になれと言われても困る、といったような話を聞かされた事がある。よい親になれるか自信などないし、覚悟だって必要だ。だが誰だって親に生まれ育つのではない。親に成ろうと努力をして、親に成ってゆくのだ。セオは子供の面倒を見るのが嫌いではないが、同僚の話からすると現実の子育ては過酷だ。しかも新米の親を一日だって休ませてくれないのだ。誰だって不安になる。
「ちげーよ。……子供を、片親にはしたくない」
だが、セオの予想は見当外れだ。
「それに」
ロジーの足が止まる。少ししてセオがそれに気づいて振り返るまでは、ロジーも自分の歩みが止まっていたのを知らなかった。
また歩き出し、何でもない風に振る舞わねばとロジーは焦る。
“新ハーマン人創成計画”のせいで、ロジーはいつ死ぬかも分からない身の上だ。だから自分の家族を持ちたいとは思えないでいる。それは確かだ。だが、彼女には別の理由もある。まだセオには言えそうにない理由が。
「だがそんな事はどの親にも言える事だろう。生きるものはいずれ死ぬ。遅かれ早かれ、」
「そうじゃねえよ」
言ってしまおうか。セオの好意を受け入れられない理由のひとつを。
ロジーは以前からセオが家庭を持ちたいと思っているのを知っている。同僚たちとの会話でそうと窺えた。大抵の者なら、自分だけの家族を欲しがるに決まっている。自分の子供を望むのはごく自然な事だ。
「だからなのか」
だからこそ――ロジーはセオにふさわしくない。
急にロジーは、小さなマルを抱いている自分が悪いものに思えてきた。セオに子供を渡そうと彼を見ると、ひどく真剣な顔をした男がいる。
「誰かを遺して……逝きたくないから、か」
家族を作っても、ロジーはじきに死ぬ。それがいつかは分からなくとも、セオよりは早死にに決まっている。
「当たり前だろ。誰が、余命一ヶ月の身で恋人を作る気になる?」
耐えきれなくなり、ロジーはセオに子供を押しつけた。セオはマルを慣れた手つきで受け取る。
しばし彼は、小さな女の子を慈愛に満ちた父親のような眼差しでもって子供を見下ろす。
それは、ロジーが与えられないもの。
ロジーは、“計画”のせいで誰かを父親にしてやる事が出来ない体になった。手術を終えた後に知らされた事実。
あの時はまだ実感がなかった。改造されたハーマン人であるという自覚も、不妊という事実も、他人のもののように馴染まずにいた。
ロジーだってなんとなくではあるが、いつかは家族をと思った事がある。だが孤児でまともな家族を知らずに育った自分には無縁な未来だとも分かっていた。恋人がいた事はあっても、結婚をしたいとはあまり思わなかった。
きっとずっと一人で生きていく。精神的にも経済的にもそう出来るし、それでもいいと思っていた。手術で普通の体でなくなってからは本当に叶わぬ願いだと知り、淡い望みを放棄した。
あんな任務に就くまでは。
ニセモノの家族を演じさせられて、今もまた、新たなニセモノの我が子がいる。
相手がセオで、夫婦になるなら、それも悪くない。
そう感じてしまったら、自分が彼を父親にしてあげられない事がとても――おそろしい事のように思える。
ロジーの心臓がひやりとした。
我が子を望む男に、ロジーはふさわしくない。
「それでもいいって言ったら?」
まるでロジーの頭の中を見透かすような言葉に、彼女は眉根を寄せる。
夕焼けの光がセオを包む。彼は、少し困ったような顔で微笑んでいた。
「むしろ、残り少ないかもしれない時間を、誰かと共に過ごしたいとは思わないのか?」
彼は、ロジーがセオを拒む理由をひとつだけだと勘違いしている。当たり前だ、ロジーは不妊の事を話していない。まだプロポーズをされてもいない、付き合ってもいない相手に言える話ではない。そんな話をされては身を引く者だっているだろう。
だが、彼なら――セン=テ=ラング=セオなら――それでも構わないと言ってくれそうな気がして、ロジーは俯いた。
「つらい、だけだろ」
新しい命を生み出せない、その上死に近しい者。そんな相手と寄り添いたいと願うなんて。
「つらいだけじゃないだろ」
セオは笑ったが、ロジーは自分の爪先を見るので忙しかった。
どんな言葉を口にするのが正解なのか、二人にはちっとも分からなかった。
しかしながらセオは、ロジーが少しでも心のうちを話してくれた事で、奇妙な安堵感を抱いた。
このところ二人の間にあった、巨大な壁が今ではなくなっているように思えたのだ。
セオはロジーを抱き寄せようと足を踏み出すが、マルがいた事を思い出し、腕を伸ばしていいかためらった。
「お前が俺を嫌っての事でないなら、よかったよ」
せめてそれだけは伝えたくて、自分を見ようともしない彼女に微笑みかける。
「別に、嫌ってなんか……」
ロジーの拗ねたような声に、セオの心臓は過剰な期待をしそうになり、腕を伸ばすが――
「マル!」
第三者の大きな声に遮られた。
迷子の女の子の両親が見つかった。見つけられたのはマルたちの方だったが、とにかくマルは母親の呼びかけに目を覚まし、親子は無事に再会した。
「どうもありがとうございました。なんとお礼を言ったらよいか」
広い公園の中でどれだけマルを探しても見つからず、日が暮れたら警察に連絡をしようとしていたとの事。夫に肩を抱かれ、マルの母親は涙ぐんでいた。
マルの父親はセオと同じくらい背が高かったので、マルがセオを自分の父親と間違えたのも無理はない。
「こちらも遊んでもらえて楽しかったです」
セオは何て事ないように返事をした。母親を見るなり飛びついたマルは、ずっと彼女の体にしがみついている。
「ほらマル、お兄さんとお姉さんにバイバイしなさい」
母親の声に、マルはやっと顔をあげる。
「またあそぼうね」
セオが軽く手を振ると、マルは小さな手を振り返した。
両親は何度もお礼を言った後、セオたちと別れた。
取り残されたセオとロジーは日がすっかり暮れていた事に気づく。
「かわいいな、子供は」
まだマルと両親の去った方角を眺めていたセオが言った。ロジーが同意するには、胸中が複雑過ぎた。
「……帰るか」
ロジーがただ呼びかけると、セオは頷いて応じる。
歩きながら、思いついたようにセオは口を開く。
「なあ、ロジー」
薄暗い公園を出ると街灯やネオンの明かりが増えた。なんとなくそれを見ていたロジーは、声が少し遠くから聞こえて振り返る。彼が立ち止まっていたのだ。
「俺は待つよ」
セオは微笑もうとしていたけど、あまり成功していない。叶わない願いを口にしていると知っているみたいに、切なげだ。
「お前の事、気長に待つ。俺はお前の事情を分かったつもりでいたけど、そうじゃなかった。だから――」
自分の体が兵器と化していて、死期も早められてしまった。そんな時に誰かと恋愛をする気にはなれないだろう。セオはやっと、その事に気づいたのだ。
彼女がそういう気持ちになれるまで、彼は待つ。
「最近の俺の態度は、あまりよくなかった。俺はこれまで通りにする。だから出来ればお前にも、以前のようにしてほしい」
以前と同じ友人同士のように接してほしい。ロジーに想いを伝えようとした時に言われた事と同じだ。だが今のセオが口にしたのはロジーの望みと少し違う。ロジーは全てをなかった事にしてくれと言った。セオは、偽物の夫婦を演じた事も今日の事も何かの変化を促す理由にはしないから、忘れないでほしいと思うようになった。今はまだ友人のような距離感でいいから。それもセオの望みだ。
「……ん、分かった」
こくりと頷いたロジーの表情は、殊勝なもの。セオは彼女の肩を抱き寄せた。
すぐに「チョーシのんな」とつれない事を言うが、ロジーはセオを突き放したりはしなかった。
二人はまるで夫婦のように連れ添って歩いた。
「ありがと、な」
ロジーがつぶやいた言葉の意味も、彼女が打ち明けられなかった事の内容も、少しも知らないセオだったが、ロジーを抱き寄せる手に力をこめた。
いつものイディル陸軍第五基地、その食堂で二人の男女がいつもの言い合いをしている。穏やかというにはけんか腰過ぎるが、深刻というほど険悪なムードではない。気心の知れた友人同士だからこそためらいのない言葉で議論が出来る。そんな風景だ。
「で?」
ナイツはそれだけで自分の語りたい事全てを理解してもらえると思っているかのように不遜に言い放った。
「何が」
ナイツは食堂に入ってくるセオとロジーを一瞥する。彼らはまだ何か言い争っている。
「あの二人。どうなったの。デートセッティングしたのにヨリ戻らなかったの?」
友人たちのデートの機会を無理矢理作り上げた身としては、結果が気にならないはずがない。その上彼らは同僚の動向を賭けの対象にしている。
「……以前と同じには戻ったな」
ワールトが日差しでも眩しいかのように額に手をかざす。
「普通の友達みたいだな」
つまり、本当にこれまで通りのセオとロジーだ。恋愛事に詳しい男を見ると、ファスにも判断がつきにくいらしい。彼は黙っている。
「……これだけは断言出来る! あの二人、まだ寝てない!」
自信満々のファスは二人の仲間にスルーされた。
「賭けはどうなるんだよ」
「そもそもデートでヨリ戻す、に賭けてたやつしかいなくね?」
その時、いち早く気づいたファスは何食わぬ顔で立ち上がった。
「お前ら……まだ他人で賭けを」
不機嫌さをあらわにしたセオがナイツとワールトの前におり、彼がナイツたちの会話を耳にしていた事は明らかだ。
「じゃ、オレはこれで」
ずるいぞと怒るワールトの声を無視してファスは立ち去る。
隊長のお説教が始まるのを見て、ロジーはこらえきれない様子で笑っていた。




