15 進行
ラーマーティ地下研究所。
本来は科学技術などの研究のための施設だったが、いつしかその研究範囲は多岐に渡り、施設内は増改築を重ね、今では政治的な役割も兼ね備えている。
その広大な敷地は地下とも思えぬほどの多くの部屋を持ち、蟻の巣のように地面の奥底に広がっている。中心部に近づくにつれ行き交う者は増えていった。
その中を、妙に大柄な白衣のハーマン人男性が闊歩している。チェックのシャツとジーンズに白衣を羽織り、眼鏡をかけた、服装だけは研究者らしい男だ。
中心部に入る手前、少し大きな扉に阻まれ先に進めなかった時、セオは他者から物を“借りる”事にした。旧式銃でも光線銃でさえも扉を壊す事が出来ず、また研究所職員のIDカードを使うしかないと分かった。ついでにセオと背丈が近い者から服も借りて変装をした。
研究者に成りすましたら、研究所の事がより把握しやすくなった。セオは自分が牢屋に近いところに居ると分かった。研究者たちは、牢に囚われた者を“ラット”と呼び何に使うか分かったものではない研究の実験台扱いしている事を知った。
どこかで聞いたような話に、セオは是非にそのラットたちを逃がしてやりたくなった。この地下研究所自体を壊してしまいたい、とさえ思う。
ケーセス陸軍の任務である新型兵器の図面を持ち帰るという目標も忘れてはいなかったが、ベバハル探しを兼ねて牢を目指した。
何度か不審がられたがセオは無理矢理に切り抜けて牢までたどり着いた。
そこは、人体実験に必要な台や器具の置かれた血なまぐさい部屋の隣にあった。
実験の真っ最中ではなかったのはセオにとっても研究員にとっても幸運だった。確実に人に使う道具ではないものが並べられる部屋で、それが使用されているのを目にしたら、セオは普通ではいられなかっただろう。部屋にいた人物を端から撃ち殺していたかもしれない。
何人かの研究員を武器をもって散らすと、セオは警備兵が到着する前にと行動をはじめた。
何の罪かは知らないが、体を玩具のように扱われる場所にいていいはずがない、血の通った生き物が隣の部屋に押し込められている。
扉を開けると、何人かが怯えきった瞳でセオを見上げる。
やや薄暗い牢の中をセオは見回す。こちらに背を向ける者もいて、セオはすぐにはベバハルを見つけられなかった。
突然現れた出口に戸惑っていた者たちが、次第に現状を理解しはじめる。セオは一番最初に立ち上がった者にIDカードを渡した。この地下研究所から逃げるには必要な道具だ。
牢屋はまだ別にもあるのだろうかとセオが歩き出すと、ばらばらと捕まった者たちが飛び出してくる。
『セオ』
無線機がロジーの声を届けたのはその時だ。端末が使えず古くさい通信機器を使っているため、相手の声はこもっていて遠い。
「どうした」
『……新型兵器、見つけちまったみてえだ……』
声が遠くとも、セオにはロジーが動揺していると感じとれた。それとも、彼女の体の調子がよくないせいか。
いずれにせよセオは彼女の元に駆けつけなければならない。
「すぐに向かう。一人で動くなよ」
違う部屋を見つけ、セオはまた捕虜たちを解放する。まだまだ不当に捕らえられた者たちがいるかもしれないが、時間がない。セオはベバハル捜索を諦めようとした。
『ああ』
短い返事を残し、ロジーは通信を終える。本当に彼女が立ち止まっていてくれるか分からず、セオは無線機にもう一度話しかけようとした。
「……ハーマン人、セオ」
声に顔を向けると、背後にセオよりも高い身長の男が立っていた。
鬣の萎れたライオンがそこにいる。
ベバハルだ。本当に彼は地下研究所に囚われていたのだ。であればベバハルはやはりテロリストの仲間入りを果たしていたのだ。カストたちは複雑な思いをするだろうが、今のセオにはそれどころではない。
「ベバハル、君を心配する仲間が地上で待ってる。俺にはやる事があるが――」
疲れたようなレンセラ人の男は、トペレンサ語をほとんど知らない。セオの使う言語を理解出来てはいないだろう。
「これを持って行け。カストなら使い方が分かるはずだ」
セオが手渡したのはレヴドでは大戦中に滅んだ小型記憶装置だ。中にはデータが入っている。ベバハルは実に不思議そうに渡されたものを見つめる。
だが彼にそれをゆっくり見つめ続ける時間はなかった。この場所にも警備兵たちが到来する。
まだ牢や実験室にいた者たちが悲鳴を上げる。警備兵は脱走者にも容赦なく発砲した。セオはなんとかベバハルや他の者たちを守ろうと警備兵たちを迎え撃つ。中には果敢にも警備兵に立ち向かう者もいた。
ベバハルが目で切実な訴えをしてきたので、セオは彼に旧式銃を放る。ベバハルはやすやすとその銃を使いこなした。頼もしい限りだとセオは口角を上げる。
忌まわしき実験室は混戦した。
脱走者たちが何人も倒れた。だが、やられっぱなしではない。警備兵は拾った銃や実験に使う道具を手にした“ラット”たちの返り討ちにあった。
そう長くかからずに戦闘は終了した。数は脱走者たちの方が多かったためだろうか、警備兵はすべて沈黙した。
生き残った者の息づかいだけが聞こえる中、セオは使えそうな銃をいくつか探し拾い上げる。捕虜たちが無事に地上に戻れるか気がかりではあったが、セオはすぐに行動に出る。
「とにかく、俺は行く」
素っ気なさすぎかとは思ったが、セオはベバハルを一瞥しただけで部屋を出た。
警報がやまない。
どこかの区画で問題があったと一般職員へ避難を促す放送がなされた。警報のせいか職員が慌ただしく廊下を駆ける姿も見られた。セオは先ほどの戦闘で変装用の白衣を失い眼鏡型端末も捨て、血のシミがある小汚い格好になっていたが、彼を不審がる余裕を持つ者はなかった。
セオがカストに頼まれた事はこなした。ベバハルは――地上まで送る事までは出来なかったが――解放した。ベバハルの救出はセオとロジーが地下研究所に潜る口実でもあったが、目的のうち一つは達成出来た。
だがセオは焦燥感を抱いている。
先ほどからロジーが応答しないのだ。無線機の故障かと思ったが違う。彼女になにかあったのだ。セオの足は早まる一方だ。
通信が出来ないほどの強敵に会ったのか。それとも負傷をしたのか。あるいは――
セオは奥歯を噛み締める。
仲間に何かがあったら。そんな事は入隊後、何度も何度も繰り返して考えた事だ。いつだって――戦友、同僚、上官、部下、新人、会って話した回数や相手を嫌なやつと思っているかに関わらず――仲間の死傷は気持ちのいいものではなかった。
だがセオがこれまでにしてきた心配など、今となっては他人事レベルのもの。
こんなにも、焦がれるような恐怖感は知らない――。
セオは拾った端末の力を借りても、兵器開発場所を探せなかった。地図のどこにも表記されていないからだ。機密事項なのだから当然だ。
だが、問題の場所はいくらもしないうちに見つかった。行く手にあった廊下には、大きな穴が壁に開いているところがあった。まるで道がないから作ろうとしたかのように、壁の穴はほぼ直線に並んでいる。
閉ざされた扉を開ける必要がないのは楽だったが、異様な光景だ。
一体何が起きたのか。セオにはちっとも分からない。
穴をくぐって先へ進むうちに、耳鳴りのような、何かの機械が稼働を続けるような音が聞こえて来る。それから、獣の遠吠えのような、うなり声にも似た何か。
百戦錬磨の軍人のはずのセオも、気分が悪くなりそうな奇妙な音と声である。
この先に、何かいる。
そんな事は生まれたばかりの赤子にも分かるだろう。空気がおかしいのだ。肌に当たるような、緊迫した空気と、嫌悪感。セオは思わず、光線銃を持たない手で警備兵から借りた旧式銃を構えた。このままの装備ではあまりにも心細すぎる。そう思えるほどの存在がこの先にはいる。
どん、と大きな振動が起こった。セオはたたらを踏む。
壁に穴を開けられた時に入っただろうヒビのある照明が、明かりを失う。
セオがその中心に近づくにつれ、揺れが大きくなってゆく。
薄暗い廊下を抜けたその先には広い空間と、信じられない光景が広がっていた。
競技用ドームのように広い空間において巨大な、何本もの鈍色の触手を持ったいびつな機械。壁と同化したような偽物のラフレシア。それがセオの初見の印象だ。
だが今は何よりも。
「ロジー!」
赤茶の髪の、ハーマン人女が、謎の機械と対峙している。
機械に汚染された床に赤い血が落ちていた。紛れもないハーマン人の血だ。
セオは光線銃でもってロジーの目前に迫る機械の触手を撃ちながら駆ける。が、何の効果もない。ロジーを襲う一本の触手は床を貫き、寸でのところでロジーは避ける。
敵の触手は一本ではない。次々と剣先のように尖ったそれをロジーに向けてくる。
あと少しでロジーのそばに行けるはずだ。セオは機械の稼働音を聞いた。それは生き物であれば哄笑だったのかもしれない。
触手を避けきれず、ロジーの体が吹っ飛んだ。
セオのすぐ隣で、赤い血を撒き散らしながら。
「ロジーーッ!」
彼女の体は壁に叩きつけられ、ずるりと床に落ちた。




