13 夜会
安アパートの入口の外、欠けた端のある階段を、ゆっくりとおりてくるハーマン人の娘がいる。
こつこつとピンヒールの音を立てて娘は短い階段をおりる。
彼女の着る服の、明るくはないが深すぎない赤の印象は鮮烈。
翻る裾以外は体のラインに沿ったタイトなシルエットで、胸元の見えないベアトップのドレス。髪はウィッグを着け、明るい茶色のロングヘアーを頭の後ろでまとめて頭に固定している。彼女が少し動くと、顔の横のおくれ毛が揺れる。
化粧っけがないはずの娘は、派手過ぎないアイラインや口紅で、はっとするほど美しい女優に化けていた。
普段の短い髪ではなく長い髪のウィッグを装着している事もあるが、化粧がロジーを別人のように見せた。
彼女は慣れない服装で緊張しているのか、どこか戸惑ったような硬い表情をしている。
泥まみれの迷彩服で土の上に伏せ狙撃銃のスコープを覗き、男のように汚い言葉で悪態をつき、敵を打ち倒し不敵に笑う――そんな兵士が、今セオの目の前にいるハーマン人女と同一人物とは、とても思えない。
「ずいぶん遅かったわね。アタシのすぐあとに出るって言ってたじゃない」
動きが停止したセオのかたわらで、ルジェラはロジーに声をかける。
「……この靴、歩きにくいんだよ」
ロジーが心の底から嫌そうに顔を歪めると、ドレスによる美化の効果も薄れそうだ。
「このカツラも視界のジャマだし……ったく、女ってのはめんどくせえな」
顔の真ん中にしわを寄せたロジーは、淑女とは言いがたい仕草で髪に手を突っ込んだ。せっかくまとめた髪型が崩れては敵わないとルジェラは慌ててロジーを制止にかかる。
止められたロジーは仕方なしに手を頭から放す。代わりにブレスレットのかかる右手首をかゆそうに掻く。
そこでやっとルジェラは、セオがさっきから一言も話していないのに気がついた。
「ホラちょっと、美しくドレスアップした女性に何か言う事はないの?」
ルジェラが肘でセオの腹をつつくと、一拍遅れたあとにセオは我に返る。まるで今目が覚めたみたいにまばたきをする。
「…………あ、ああ……。悪くない、な」
とぼけた声と内容に、女性陣はうろんな表情になる。
「お前それなー、フツーの女なら三十点評価だぞ。定型文言っときゃいいんだよてきとーに」
ロジーは両手を腰にあて、呆れきったように息を吐く。
口を開けば、不遜でガサツで大雑把なリ=ゼラ=フェイ=ロジーそのもの。だというのに、セオの目から入ってくる情報がそれは間違いだと訴えてくる。
「ああ……よく、似合ってる」
セオの頭は混乱したまま、言われた通りの言葉を吐く。ほうけたような目はロジーからはなれない。
今更ながらロジーは、セオが自分を凝視している事に気づき視線を逸らす。何を言ったらいいか分からず、とりあえず定型文を返そうと、ぶっきらぼうな声を上げる。
「……お前もな」
ロジーが視線を外したから見つめ合う事はないが、二人の間に生まれた空気は、これまでのものとは違う。
どこか“いい感じの空気”に気づき、自分でけしかけておいてルジェラは眉を寄せる。
「仲直りしちゃったワケ? つまんな~い」
唇を尖らせたルジェラは、またもセオに飛びついて彼の腕を抱き込む。
「セオって実はけっこうカッコいいし優しいし、狙ってたのに。ねえセオ、浮気相手はアタシにしない?」
ルジェラがとっておきの笑顔を向けても、セオはまだ正気に戻っていなかったので反応はない。
「ロジー、セオ貸してくれない?」
今度のルジェラはロジーに訊ねた。表向きは夫婦という事になっている二人に堂々と浮気の相談をするとは――ロジーは眉を持ち上げたが、
「ダメ」
きっぱりと断った。その上、ルジェラに勝ち誇った笑みを見せる。
「ちぇ~~。つまんないのぉー」
ルジェラがぶつくさ言ううちに、ダッタが戻ってくる。
いい加減に大使館に向かわねばならない。支度をしながらルジェラはダッタに自分のドレスが似合うかどうか聞いたが、ダッタは生返事をするだけ。
ルジェラが浮気をしたくなる理由も分かるような気がする、とロジーが思ったほどだ。
大使館の横に車をつけるので、カストが自分の家から高級車を貸し出した。運転はダッタだ。カストとゴイツは別所で待機している。出発するとカストに連絡したあと、四人は車に乗った。
走る車から見る外の景色は、街灯の光を流れゆく筋のように見せている。
カストの車の内部は広い。女性二人が隣に座り、向かい合った席にセオが一人腰かけて窓の外を見ている。彼は眼鏡型端末を手にしていた。今回はサングラス機能はない、カストに借りたものだ。いざという時に使えるし変装にもなる。ロジーの変装はウィッグで、セオは眼鏡だ。
「ね、夫婦円満のヒケツって、何なワケ?」
到着までの間、おしゃべりの主役になったのはルジェラだ。すっかり心を開いているというよりも、今になってセオとロジーに興味を持ちはじめただけのようだ。
「ダッタったら、乙女ゴコロなんにも分かってないんだから」
自分の恋人との仲が上手くいってないから、他のカップルが気になるのだろう。ルジェラは先ほどからそればかりだ。
「……そう、だな」
セオが考えこむので、ロジーは彼が上手く夫役を演じられるのか疑問になって眺める。
一度目が合うと、セオはひどく真面目な眼差しをしたので、ロジーは反射的に顔を背けた。
「なんだろうな……。こいつは、それはもう雑な性格だし気が短いし部屋を片付ける才能がないし酒癖が悪いから酔って暴れて大変だし」
偽者でも妻をけなし始めた夫。ロジーはセオに文句を言いたげな顔を向けるが、セオは動じない。彼はまるでありし日を懐かしむかのような目をしている。
「時々細かい事にこだわっていつまでも根に持つし。なんでこんなやつと一緒にいるのか、分からなくなる時はたくさんある」
「……ネメザでの一件の話をしてんのか? ありゃ根に持つだろ」
昔の任務で意見の食い違いがあった事を口にしても、セオはロジーを無視した。呆れてロジーは白目を剥く。
「でも……たぶん俺は、自分にはないところを持つ彼女を、尊敬している。誰とでも時間をかけずに打ち解けられるところとか、いざとなれば小さな子供の盾になろうとするところとか、予想もしないような土壇場に強いところとか」
危険な地域でだって、ロジーは想定外の事例にも柔軟に対応出来た。今回の、宇宙船での見事な妻役の演技もそうだ。肝が座っているとも言えるだろう。
「それから……つらい事があっても、周りに悟らせないほどに強く自分を律する事が出来る。もっと周りを頼ってほしいが……でもその心の強さが羨ましいくらいで……」
“新ハーマン人創成計画”を知って、セオはリ=ゼラ=フェイ=ロジーという人物の強さを知った。計画に利用されている儚さも。それでも彼女は一人、戦っている。
心配や彼女を助けたいという思いと同時に――焦がれた。
たった一人でも生き抜こうとするさまに。
生きるために彼女は魂という炎を燃やしているようにも見える。
「強い……女性なんだと思う。その魂のあり方に、強く惹かれる」
形容しがたい顔でロジーはセオを注視する。
その時のセオの灰色の瞳は、崇拝にも似た、満ち足りた感情を映し出していた。
まるで――本物の妻に向ける、優しくて幸福を知った――愛する者を見つめる眼差し。
ロジーは呼吸を忘れていた。
車内が静けさに支配される。
窓の外で街灯の明かりが、流れ星のように線を描く。とても静かな夜だった。
途中で、セオは今の議題が何だったかを思い出した。わざとらしく咳払いをする。
「……そんな訳で……、えー、相手に敬意を払う。そういう事を忘れないようにしているんだ。そうすると、夫婦や恋人の仲が続くんじゃないか」
最後はルジェラに向かって言った。セオは、彼女に夫婦円満の鍵は何かと問われていたので、それらしく締めくくったのだ。表面上は夫婦なのだから、夫婦らしくしなくてはならない。
「ふううう~~ん」
自分から聞いておいて、ルジェラはつまらなそうな態度を隠そうともしない。
「で? ロジーは?」
「あ、え……」
話をふられると思っていなかったかのように、うろたえた顔でロジーは視線をさまよわせる。
「そ、その……うん、あたしも敬意だ。おんなじおんなじ」
心なしかロジーの顔が赤いようだったが、やや薄暗い車内では分かりにくかったので、誰も気づかなかった。
これ以上話を続ける気がないというように、ロジーは下を向き唇を閉じる。膝の上からドレスの布を掴んで車の床面を凝視する。
ルジェラは眉を持ち上げて、物言いたげにロジーを横目で見る。セオもロジーの様子がおかしいのにやっと気づいたが、その時車がゆるやかにブレーキを踏んだので彼は窓の外に視線を投げる。
「あら、着いたのね」
ルジェラが腰を浮かして周りの様子を窺った。
ついにケーセス大使館前に着いたのだ。
車は担当の者に預け、四人は大使館前に降り立った。車を出る前にセオは眼鏡型端末を装着した。
ルジェラが自分の身分を明かし、大使の娘の同行者も建物内に入れるようにと案内係に告げる。ダッタは彼女のそばに寄り添っている。
数歩遅れた場所で、セオとロジーは呼ばれるのを待っている。
「お前、さっきのアドリブは雑すぎないか?」
宇宙船でエンザに見せた妻役を思えば、夫婦円満についての答えは手抜きでしかない。セオはそう言いたいのだ。
すぐ隣にいるのに、お互いに相手を見ず会話をする。仕事中ならいつもの事。だからセオは、この時のロジーがどんな顔をしていたのか、知らない。
「うるせえ黙れ」
その時のロジーの声はやけにきつかった。
建物内からあふれる光のため、ルジェラとダッタの背中は陰っている。彼らは振り向くと、セオたちを手招きした。
歩き始めようとして、セオは気づいた。こういった場では、男女が共に行動するなら紳士が淑女に腕を差し伸べるのがマナーだ。セオは腰に手をあてるように、体の脇と腕の間に空間を作る。
なかなかセオが歩き出さないので怪訝な顔になったロジーは、しばらくしてセオのとった行動の意味を理解する。
タキシードの男の腕にロジーは自分の腕をするりと通した。
セオとロジーはぴったりとくっついて、会場の中へと進みだした。
大使館の建物の様式は、昔のレヴド風で伝統と格式を感じさせる。室内もどこか懐かしいあたたかみのある照明や調度品が置かれている。
騒がしくないがささやき声には大きすぎる、招待客たちの声。行き交う客たちに著名人でない者はあまりいない。みな自分の話し相手との会話にいそしんでいるが、中にはセオとロジーの歩く姿を目で追う者もいた。その視線が男からのものだと分かると、セオは額にしわを作る。
「……お前、その格好」
今も、すれ違ったハーマン人の中年男性が意味深な笑みを浮かべてロジーを見ていた。
「あまりしない方がいい」
セオは自分の声が低くなるのを止められなかった。
それをロジーは喧嘩を売られたかのように解釈する。
「あァ? 男女が女装すんなってか?」
本当に、口を開けばチンピラまがいで頭の悪そうな事しか言えない女だ。
だが今のロジーは泥くさい迷彩服も勇ましい軍服も身につけていない。赤いドレスや艶のあるウィッグや口紅が、彼女をひどく魅力的な女性にさせている。今のロジーを女優やモデルだと説明しても誰も驚かないだろう。
だからこそ、セオの顔は険しさを増す。
「……違う。見ろ、会場中の男たちがお前を見てる」
周りを見もせずに、ロジーは鼻で笑った。
「何言ってんだお前。見てねーよ。見てたとしても身長のデカイ女が珍しいんだろ。てか邪魔だ退けって事だろ」
仲間のつまらない冗談に、笑えないからこそ失笑してしまったような顔のロジー。彼女の口調はセオを馬鹿にしてさえいる。
「そうじゃ、ねえよ……」
今回の任務が決まってから、何度ついたか分からないため息を、またひとつセオはつく。
そうじゃない。
ロジーを視界に入れた男たちが、体ごと視線を向けてロジーの歩く姿を目で追うのは、彼女の美しさに目を奪われたからだ。着飾ったロジーを見た瞬間、セオも同じ状態になったからよく分かる。
「あんまり……きれいになるなよ」
ほとんど口の中でつぶやいたのは、自分の感情があまりにも身勝手だからとセオは気づいていた。
「え? 今なんて言った?」
テレビを見ている時に声をかけられたみたいに聞き返すロジー。完全に聞こえていない。
何も言ってない、とセオは見え見えの嘘をついた。




