決着
宇宙船は飛び立った。種子島へと進路を定め、雨上がりの紺紫の空をゆく。種子島へ行く目的は三つだ。一つは捕らえた団長と団員を警察に預けるため。二つ目は。警察官を乗せて悪石島に舞い戻り、金豚団を逮捕するため。三つ目は宗隆達の休養のためだ。金豚団員が凍死すると事情聴取が出来なくなるため、宇宙船はとんぼ返りで種子島へ向かう予定である。宇宙船の運転室には、宗隆、島津兄弟、道三さん、園長と桐沢、桐沢のボディーガード二名、紳士、そしてそのボディーガード四人。そして一階の大広間には、動物園側の全員。(家久、北見、加藤、最上、西井、博士、警察官、桐沢の派遣した警備員)そして金豚団団長と団員十数名。残りの団員は乗り遅れた。団員十数名は警察官に手錠をかけられ、船内の「反省室」に収容された。博士達は団員を交代で監視する。監視当番でない者は団員の寝室、レクリエーションルーム、食堂、談話室などで休憩をとることに。
――一方。団長は相変わらず家久と戦っていた。人が締め出された大広間の真ん中で。静かな部屋に冷たい金属音だけが響く。……戦況は家久が有利に傾いてきた。団長は息が荒く、玉の汗が体を伝う。身に付けている家久の甲冑の重さに押し潰されてきたのだ。家久はため息を吐く。
「何で私を目の敵にするのですか。人の怨みを買う職業なので、文句は言えませんが。」
団長は焔のような眼差しで、涙声で叫ぶ。
「……島津幕府が……いきなり豚食禁止命令を出したから……うちの養豚場は倒産しちまった! 父ちゃんはショックで死んじまうし、母ちゃんも俺を養おうとして無茶して働いて……。そんな目にあったのは俺だけじゃない! 他の団員もだ! 島津黒豚家に恩があったとかいうがそんなの知るか!」
家久は一瞬ハッとしたが、その後は冷静に彼の刀を受け止める。彼の刀はさっきよりも熱く、重く、哀しい。団長は思いを吐き続ける。
「宗教で禁止されているとか元々の土地柄や文化で禁止されているなら歴史があるから理解できる。だが! お前達は思いつきで……たった一ヶ月で……俺達一家の歴史を終わらせた! 保証もたいして無かった! 路頭に迷った奴がどれだけいたか!」
家久は気が付いた。島津幕府が制圧したのは敵だけではなかったということと、団長の本質……刀に。
団長は一見、只の怒り狂う焔。だが彼の本質はそれだけでなかった。その刀は涙なのだ。大事なものを亡くした涙なのだ。リーダーとしては判断力、戦略眼など知的能力が最低の彼。しかし仲間への思いは人並み以上にあった。敵地に少人数で特攻したのも、囚われた仲間を助けるため。部下に火星に帰れと言ったのも、まだまだカオスな火星なら部下は捕まらないと思ったためであろう。そしてまだ戦っているのも家久への怒りだけではない。勝てば部下の罪だけは少し軽くしてやると家久に言われたため。家久は彼の目を見据えて刀に言葉をのせた。
「……確かにこちらの先代の将軍……そして我々にも落ち度はあります。準備期間も保障も不十分でした。しかし、豚肉に禁食令にはもう一つ理由があります。火星人の我々は、豚肉が体に合わない者が多いんです。取りつかれたようにひたすら豚肉を食べ続けたくなる者や、豚肉の消化酵素が足りない者がいる。新聞などに研究所の検査結果を載せたり、テレビで説明したこともありますよ。」
「あんなのこじつけだろ! 後からそんな話が出るなんて不自然だ!」
顔を紅色に染めて叫び遮る団長に、家久は違う角度からも話をする。
「団員に、豚肉ばかり狂ったように食べて体調を崩した方はいないのですか?」……団長は少し過去に思いを巡らせる。そして辞めた団員達を思い出した。
「……そういえば……いた。退団後、豚肉の量を減らしたら体がよくなったとハガキが来た……。」
家久は頷くと続ける。
「確かに禁食令を出した時点では感情論の上に唐突でした。いくら先代将軍の命の恩人がブタだからと言って、それだけで豚肉食禁止とは。止められなかった私にも咎があります。ですが今はもう、科学的に禁止令の有効性が証明されているのです。平均寿命も伸びました。」
団長の頭の中は。さまよう羊の牧場である。家久は畳み掛けるように言葉を続ける。
「私にも咎があるように、貴方達にも罪があります。罪なき動物を強制労働させたこと。島津家を騙ったこと。そして……。」
家久は団長に当たらない距離で刀を突きつけた。
「貴方のご一家のような一家離散者を貴方自身が生み出したこと。」
団長はがっくりと膝をついた。宇宙船は、九州の島を目掛けて空を駆ける。時はもう夜。窓からは暗紺の中に小さな小さな白や黄色の宝石が光を放っているのが見える。
宇宙船の運転を最上と加藤に任せた宗隆、島津兄弟、道三さんは。小会議室に紳士とその部下四人、園長と桐沢、桐沢の部下二人、さらに警察官四人も引き連れて入り、事情を聞いた。紳士は淡々と話し出す。
「私は金豚団のスポンサーだったんだ。様々な技術、宇宙船、資金提供の見返りに、珍しい動物を横流しして貰っていた。うちの会社は宇宙事業を手掛けていたからね。」
紳士は立派な革のコートを着ている。宗隆達は目を閉じた。紳士は首を振る。
「いや、これはうちの会社が開発合成皮革だ。……話を本題に戻そう。私は珍しい動物達を集めて、動物が従業員の小さな遊園地を作った。まぁ病弱な仔とかもいたから病院も併設してね。で、それが園長さんにバレてしまった。私のコートに天然記念物の鳥の羽がついていたのを見られてね。鬼ヶ島博士に撮られたハイキングのビデオに映っていたんだ。博士は気が付かなかったようだが。当然、園長さんに遊園地を解散させろと言われた。解散すれば警察には黙っているからとね。……だけど。」
紳士は窓の外と同じ闇夜の眼差しになる。
「手離したくなかった。大人しくて引っ込み思案な孫がすごく楽しそうなんだよ。遊園地にいると。」
彼はさらにオニキスのような、暗く深い眼差しで続けた。
「それに何より、私は手にいれた物は手離したくない主義なんだ。何も持ってない頃からの願いを叶えたあの遊園地は、私の人生のご褒美だったから尚更ね。」
紳士は目を閉じて深く息を吐いた。
「だから園長を殺すことにした。悪石島に呼び出して宇宙船の中で殺害し、死体を火星に運ばせようと思った。まさか私が手配したプチジェットじゃなくて潜水艦でくるとは思わなかったが。」
園長は苦笑いした。
「自分は飛行機が苦手でして。桐沢社長が潜水艦で悪石島に旅行に行くとネットでおっしゃっているのを見て、便乗させて頂きました。……桐沢社長には本当にご迷惑をおかけしました。只でさえ動物園防衛にお力添えを頂いていましたのに、事件に巻き込んだ上、潜水艦酔いの看病まで。」
桐沢は無表情で口を開く。
「いえ。こちらが無理について行きましたので。こちらこそ、大変有意義な経験をさせて頂きました。」
桐沢はイベントとして事件を楽しんだ様子が、無表情を装う顔の枠からはみ出ていた。宗隆はキチガイの多様性を学びつつ紳士に問う。
「そう言えば何でさっさと園長と桐沢社長に止めを刺さなかったのですか?
(同じ銀箸団仲間だから)躊躇したんですか?」
「いや。部屋に入ってすぐに狙ったよ。でも全員防弾チョッキを着ていたから防がれた。その後は銃を使えない間合いの格闘戦に持ち込まれてね。おまけに黒豚ちゃんが乱入してきたから、止めをさすチャンスがなかった。……私が撃てばよかったんだがねぇ。」
紳士は宗隆に目線を移す。「君も口封じのために殺しちゃおうと思ったけど、逃げ足が速いね。」
警察官は確認するように口を開いた。
「貴方は園長さん、桐沢さん、伊東さんの三人を、
口封じのために殺害を企てたということですね。」
紳士の部下達はおずおずと口を挟む。
「会長は……殺す気はなかったんじゃ……ないかと……俺達が暴走しただけで……。」
紳士、いや会長は首を振った。
「人の罪を被るのはもうやめろと雇う時に言った筈だ。……お前達にも悪いことをしたね。」
――残りの尋問を警察官に任せて、宗隆、道三さん、島津兄弟は博士の元へ向かった。怪我の治療をしてもらうためだ。宗隆は本当はさっさと連れて行こうとしたのだが、義弘は事情聴取が聞きたいとゴネたので今さら行くことになった。
船内の動物治療室にいた博士を発見した宗隆は。早速島津兄弟と道三さんを診察して貰う。特に異常はないと言われてほっとした彼は、へたりこんでそのまま眠りについた。
宇宙船は宗隆達を下ろすと、警察官を乗せて再び悪石島へ舞い戻る。夜はもう深い。宇宙船の食堂で、警察官の一人はあくびをしながらさつま揚げ入りカレーを食べている。この警察官は昔、北見を補導した男だ。
「この季節はまだ寒い。金豚団の奴等は大丈夫なのか?」
隣の若い警察官もあくびをしながら答える。
「心配した団長が、プレハブ小屋に交互で入って休めと電話したから大丈夫じゃないですか。もう晴れましたし。それに小屋は電池や手動で動く暖房器具、おやつの屋久島たんかんパイ、救急箱、おまけにテントも置いてあるそうです。おまけにテントも有るらしいですよ。」
「何でテントがあるんだ?」
「あのプレハブ小屋は、もともと倒産したアウトドアショップです。だから大きめでした。そんでそれを買い取った動物園の会員さんが動物園に寄付してくれたそうですね。つうか要らなくなったんでしょう。」
カレーを食べながら呑気に世間話をする二人の近くに、芳ばしい香りが漂ってくる。若い警察官は思わず鼻をひくひくさせた。そして匂いの元の鉄板を囲む四人に近寄る。
「何してるんですか? 」
四人の中でリーダーらしき男が答えた。
「焼き肉すごろくです。」電池式のホットプレートの表面が、すごろくになっているという。
「ルールは普通のすごろくと同じで、ゴールしたら食べれるんですよ。コマは肉で、僕は牛タンにしました。」
警察官は首を捻った。
「ゴール遅いと焦げちゃうし、さっさと焼いて食べる方が美味しいんじゃないですか。それ蛍光イエローの鉄板ってちょっとねぇ。」
リーダーは頷く。
「実はこれ、ダイエットやパーティー用に制作したんですが、社内でも不評で……。肉を置くと蛍光イエローがちらついてまずそうだとか、食べ物で遊ぶんじゃねぇと怒り出す社員も居まして。」
「そりゃそうですよ。それにしても美味しそうですね。」
「新発売の家康風味噌漬け牛です。よかったらどうぞ」
警察官は渡された箸を持ったまま、石膏像のように固まった。
――宇宙船は夜中二時に悪石島に到着。暗闇のキャンパスに光の粒の点描が輝く空の下。白い息を吐きながら、警察官達は雨上がりのしっとりした土をザクザク踏みしめ歩く。すぐにプレハブ小屋を囲むテントが見えてきた。
「さぁ! 観念……」
「……してます……。」
拳銃を向けた警察官達だったが。団長の言う通り、テントの中で輪になっていた団員はあっさり両手を上げた。テントを制圧した警察官達はさらにプレハブ小屋へ向かう。そこでは。金豚団員が乾いた全身スーツを着て、潤んだ目で歌を口ずさみ肩を寄せあい詰まっていた。まさにリアル豚小屋。桐沢の部下は写真を取った。
「こら! 」
警察官に叱責された彼らは項垂れながら呟いた。
「社長が考え直してくれますように。」
事件解決から一週間後。戦闘動物たちは離れていた家族と無事再会した。そして。薩摩動物園か、他の動物園か、火星か、自然に帰るか、選択肢を与えられ、それぞれの道を歩むことになった。悪石島で戦った警察官は表彰され、桐沢の部下は臨時ボーナスが出たという。一方。紳士とその部下は刑事事件で送検された。紳士はとんでもない資産家なので、彼らには有名弁護士がつくらしい。その弁護士は、世の中金だクソッ! と宗隆が新聞紙をビリビリ破く程の凄腕だ。特に紳士の部下は、身寄りがない所を拾われた恩があったので逆らえなかった(紳士談)ということが考慮されるという。そして……問題は金豚団だった。睡眠手榴弾によりプレハブ小屋で眠りこけていたもの含め全員元気だが、処罰を下さねばならない。宗隆の家に無理矢理押し掛けた家久は、久々にマイ甲冑に身を包み、茶を啜り、山川漬けをボリボリ食べながら旅行雑誌を見てご機嫌であったが。金豚団のこととなると、少しだけ顔を曇らせて唸る。
「うーん……実は金豚団関係の事件で死亡者、後遺症が残るような重傷者、重病者は出てないんですよ。奇跡ですね。 人間だけじゃなくて動物もです。訓練で弱った動物やもともと体が弱い動物は紳士の病院に連れていっていたようですし。動物戦士に向いてない仔は遊園地行きだったそうですよ。まぁ、訓練が過酷だったから虐待にはあたりますがね。で、火星では動物は物扱いだから、強盗犯扱いになります。団長の証言と宇宙船を売った金で団員の罪はかなり軽くなりますよ。こちらも配慮します。……ただ。」
宗隆達は息を飲んだ。
家久は彼らの目を見据えて続ける。
「……火星の法律では団長は死刑です。島津家を騙ったことは赦されません。」
島津兄弟は目を見開いて顔を目会わせた。
「それは重すぎてござるよ! 拙者は何となく後ろめたいでござる……。」
「確かに後味が悪い。改心の余地はあると思うのだが。」
家久は茶碗に映る自分の顔を見ながら言った。
「火星は治安がまだ悪いんですよ。団員はこちらにも落ち度があるんで配慮します。ですが団長はフォローは無理です。……彼はもう覚悟していますよ。遺書も預かっています。」
「……では地球の法律だったら? 裁きを地球に委任して下さる場合は?」
家久は宗隆をじっと見た。、視線の波長が変わる。重力の強い惑星に来たような重苦しさを宗隆は感じつつも、何とか続けた。
「地球でも犯罪を犯していますし、地球でも裁く権利はあるはずです。それに……。とにかく……。」
家久は無言で続きを待っている。いい加減な答えは赦されない。理屈だけでも、感情だけでも簡単に説得できる相手ではない。宗隆の視線は一瞬揺れた。それでも、彼は何か言わずにおけなかった。何でなのか自分でもわからなかったが。
「僕は冤罪の可能性が0の凶悪犯罪には死刑反対派ではありません。金豚団のせいで亡くなった人や動物がいるなら死刑でも生ぬるいと思います。しかし、そういう被害者は出なかったんですよね? それに再犯の可能性があるなら、重罪にして当然ですが、団長はもう同じ轍は踏まないと思います。動物戦士の皆さんに謝罪もしましたし。今回のケースは謝っても許されない気はしますが……。それでもケジメは本人なりにつけようとしているのは伝わります。それに養豚が火星で出来なくなった理由も理解したようですし。それは家久将軍が一番ご理解なさっているはずです。というか刑期を終えれば国の立派な納税者になるであろう人を殺すのは勿体ないと思います。」
家久は珍しく溜め息をついた。
「……私も最初は宗隆君と同じ考えでしたよ。でも彼は、自分が全部責任を被って死ぬと言うんです。それに地球の法律だと、団員は火星と違って恩情が効かないから火星で裁いてくれと言うんです。地球で彼らが牢獄に長い間投獄されたらメンタルが弱いので心配だ、と言うことらしいです。」
「それは確かに……。」
宗隆達は頷いた。捕まった時の話もだが、船内にやたら『勇気をだそう系』の標語があったからだ。
「団員はどういう意見なんですか?」
宗隆の問いに、家久は眉間に皺を寄せ、声を荒げて答えた。
「団員は団長が死刑に成るのは嫌だ、地球の法律で裁いて欲しいと言ってました。でも団長の言う通り本当にメンタルが弱い! あれは刑務所で苛められるタイプですね! 直ぐに正座して泣くんですよ!」
うわぁ……。と思った宗隆だが、ふと思い付いた。
「団長を地球、団員を火星で裁けばよいのでは?」
家久は、火星の兄に電話した。
金豚団は結局、全員地球で裁判を受けることになった。刑期を終えたら就職してお金を貯め、皆で養豚場をやりたいのだという。捕まった時の豚小屋のような写真に大爆笑した桐沢が、凄腕弁護士を手配し、刑期が短くなるよう努めるとのこと。
一方、脱税した園長は、税務署にばれる前に申告漏れを申請し、今も園長をやっている。勤務終了後、地下室で博士の部屋掃除をしながら、宗隆は愚痴った。
「捕まった会長は園長の脱税を掴んでいたのに黙ってくれていたみたいです。それにしても申告漏れとするなんてズルイ気がします。まぁ園長は自分のためじゃなくて、動物園のために使ってたみたいですが。」
博士はPCを操作しながら言う。
「俺としては万々歳だ! 叔父さんが園長辞めたら地下室に居づらいからな。」
「でも、そうなったらそうなったで、動物の夜間診療をするためだと主張すればいいじゃないですか。本当のことですし。」
博士はいつも、寝る前に自転車で園内を一周して動物の顔を見る。著しく体調が悪い動物が居れば地下室に連れ帰ったり、寝袋を持ち込んで、動物小屋の近くで眠ることもあった。彼は動物に対しては非常に献身的である。しかし、生まれつき纏っている不気味な雰囲気と、イタズラ好きな性格の為にヘンな噂が立ってしまっていたのだ。
「何かそれを言うのは嫌なんだよ。七不思議がなくなっちゃうしな。まあ、いつまでも居られるわけじゃないのはわかったぜ。最近は物件を探し始めてる。それより、サイトの不具合は治してやった。原因はざっくりとこのメモに書いたから後で読め。」
「ありがとうございました!」
――家久の話を聞き、薩摩豚パークの皆と再会したことで総ての記憶を思い出した島津兄弟。彼らは早く弟に会いたくて会いたくて仕方なかった。そこで宗隆は博士に教わり、行方不明になっている島津兄弟の弟の情報収集サイトを作ったのである。宗隆はごみ袋を結ぶと、ため息をついた。
「生きてくれていればいいんですけど……。殿は時々花占いまでするんです。
……あ、明日は殿と師匠の好きな時代劇の俳優さんのサイン会だ。忘れないようにしなく」
宗隆の言葉を遮り、博士は真剣な顔で言った。
「俺が言うと全く説得力がねぇんだがよ。……そろそろ島津兄弟離れを覚悟した方がいいんじゃねぇか。あいつらもともと火星豚なんだろ。マジキチ将軍の観光が終わ……。」
博士は珍しく黙って下を向いた。宗隆はごみ袋の結び目を見ながら、掠れた声で呟く。
「……そうですよね。」
下を向いたままの博士に、宗隆は軽く頭を下げた。
「今日はこれで失礼します。ありがとうございました。」
宗隆は、逃げるように地下室を出た。
島津兄弟を連れて帰宅後。彼はPCを立ち上げる。
「……あっ……。」
宗隆は刺された魚のように目を見開いた。島津兄弟の弟らしき豚の情報の書き込みがあったのだ。
「……もう見付か……いや、良かったんだよな。」
彼は眠りこけた島津兄弟に毛布を掛けなおし、彼らの寝顔をじっと見つめた。
――次の日。島津兄弟を連れ、宗隆は新幹線に乗って福岡県へ向かった。目撃情報は人里離れた山奥の寺。宗隆達は住職さんに案内され、島津兄弟の弟達が修行している竹林に案内された。彼らは義久達を救うために強くなろうと、毎日過酷な特訓をしているのだという。宗隆達は頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「いやいや。こちらこそお土産ありがとう。それにしても、もっと早く気が付けばよかったねぇ。孫に言われるまで気がつかなかったよ。」
住職は法螺貝を吹く。勇ましい音が竹のシンバルで増幅され響き渡る。すぐに二匹の小さな黒豚が現れた。
「住職殿! 何かご用ですか……あ……。」
「あにじゃぁぁぁあ〜!」
二匹の小さな黒豚は、島津兄弟を見付けると全身全力で走って泣きながら抱き付いた。……宗隆はそれを遠くで見ていた。
宗隆は義弘、義久、歳久、家久(豚)の四匹を連れ歩く。顔を柔らかく崩し、楽しそうに嬉しそうに跳び跳ねる四匹を見て、宗隆は自分が背景になった気がした。歳久と家久は恩人だと言うことで丁寧に接してくれるし、義久と義弘はさりげなく会話に入れてくれる。しかし、やはりうっすらとした仕切り板のようなものを宗隆は感じた。そんな中、宗隆の携帯が鳴る。
「はい。……家久将軍。……かしこまりました。博多駅に十五時半ですね。」
――博多駅につくと、家久が部下達と満面の笑みで立っていた。宗隆はちょっと引き気味に近付く。
「夢の国に行ったんですか。」
家久達は頭にライオンのキャラクターのカチューシャを装着し。桐沢から貰ったジャージ(桐沢の焼肉チェーン店の地図が印刷されている)の上にはくまのキャラクターのハッピを羽織っていた。
「夜のパレードは綺麗でしたよー! それにしても地球というかこの国は平和ですね。火星で飛ぶのは妖精じゃなくて手榴弾ですよ。」
「……お前は凄まじくはしゃいで居たな。」
宗隆が声の先に目をやると。家久によく似た顔立ちの若い男が、軽く杖をついてこっちへ来た。家久よりは華奢で、知的かつ穏やかな雰囲気の人物だが。どこか幸薄い、若草物語でいうと三女のベスのような空気感を宗隆は感じた。頭を下げる島津四兄弟と宗隆に、男も頭を下げる。家久はすぐに人物紹介した。
「兄上。蛇使いの宗隆君です。」
「いいえ普通の飼育係です。初めてお目にかかります。伊東宗隆と申します。」
頭を下げた宗隆に、男も軽く会釈し、自己紹介する。
「私は島津歳久と申します。……我らが義兄弟の島津黒豚家の皆様と家久がお世話になりました。」
歳久は厳かな眼差しで続ける。
「今後の予定ですが。明日。皆さんを火星に送り届けます。」
笑顔を輝かせる歳久と家久。彼らはとても可愛らしく小さく跳び跳ねる。一方、義久と義弘は下を向いて黙っていた。宗隆は一瞬呆然としたが、開けたての紙粘土をこねるようにぎこちなく固く微笑んだ。
「良かったです。火星なら地球と違って肉屋に襲われることはないです。今日はお祝いですね。」
――家久の手配したホテルに到着すると。島津四兄弟、家久と歳久、その部下、宗隆はそれぞれの部屋で一休憩する。部屋についた宗隆は、今まで堪えていたものが堰を切ったように熱く溢れだした。少しして落ち着くと、彼は目を拭う。
「ヘビ子係長にシフトを変わって貰っておいて良かった。兄弟水入らずの所に悪いけど、師匠と殿には豚小屋の挨拶と……新しいリーダーも決めてもらわないと。」
「全くもうメソメソ君だねー!」
宗隆が驚いて部屋の中を見回すと。家久が天井に張り付いていた。
「ぎゃぁああァアー!」
宗隆は口を口裂け女になりそうな位にあけ、慌てて鞄を盾代わりに構えて家久を見上げる。家久は眉をハの字にして言った。
「様子がおかしいから見にきました。良いものあげるから元気出して下さいね!」
家久は天井に張り付いたまま、直径三cm程の銀の丸玉を投げた。彼は手加減して投げたのだが。丸玉は鈍い音を立てて壁にめり込む。宗隆は涙と一緒に心臓が止まる気がした。家久はそんな彼に優しく微笑む。
「これ、プラチナの塊なんです。綺麗でしょ?
それにしても泣き止んで良かった!」
壁を見つめて少し唖然とする宗隆だったが。唾を飲み込むと家久を見上げた。
「か壁がか壁がか壁がめり込んでるんですががが!」
しかし、すでに家久は鼻歌を歌いながら消えていた。宗隆は食べれない飴玉を持って、近所の貴金属店へ走った。
家久作成の壁ミステリーサークルを眺めた宗隆は。血相を変えて近所の貴金属店に走った。そして換金したお金をホテルのフロントカウンターに置いて平謝り。プラチナ玉を換金した半額を『迷惑料』として無理矢理チーフに押し付けたのだった。
――その後は、皆と風呂、夕飯、卓球と賑やかに過ごし。解散して部屋に入った宗隆はベッドにひっくり返る。寝っ転がってふと見た携帯には。西井、博士からメールが着ている。彼は直ぐにメールに返信すると、今度は北見から電話が来た。
「もしもし?」
「伊東! 生きてるか! 博士が心配してたぞ! 島津さん達の弟は見つかったのか?」
「見つかった。心配してくれてありがとう。明日皆で火星に帰るって。お土産は辛子明太子でいい?」
北見は絶叫した。宗隆は思わず携帯を取り落とす。
北見は宗隆に注意され、少しボリュームを落として続けた。
「まじかよ! 島津さんが居なくなるなんて嫌だ! 四匹も伊東の家に住めないってことなら、弟達は俺の家にくればいいだろ! うちもペット可能な団地だぜ! 遠慮すんな!」
宗隆はこみ上げるマグマのようなものに一生懸命氷の蓋を押し付けた。
「元は火星豚なんだし、火星に帰るのが自然だ。それに地球だと肉屋に命を狙われるけど、火星ならそんなことはないし。」
「お前はそれでいいのかよ!」
「……いい。」
二人の間に沈黙が生まれる。一呼吸間を置き、北見は寂しそうに言った。
「わかった。でも明日帰るとしても、島津さん達には動物園に顔をだしてもらえよ。」
「うん。家久将軍と歳久将軍にも頼んである。お休み。」
切ろうとした宗隆に、北見は力一杯叫んだ。
「待て! お前は本当に見栄っ張りでええかっこしいだな! 泣きたいのを我慢する方がかっこいいとか健気だとか思ってんだろ! 泣かれても島津さん達は迷惑だろうとか思ってんだろ! 大人なのに泣くのは恥だと思ってるんだろう!」宗隆は携帯の電源を切る指を止めた。北見の鼻を啜る音が、肩を震わせる音が、真っ直ぐな熱い声が、まるで近くにいるように聞こえたからだ。
「はじを…がぐのをおぞれる……のが…はじだ! ずなおに…なれ!」
「……僕も本当はそうしたいよ……。」
宗隆が携帯を切って目を閉じた。それと同時に部屋のインターホンが鳴る。覗き窓から玄関を見ると、義久と義弘が居た。宗隆がドアを開けると、彼らは自分用のベッドを引きずって部屋に入る。
「今日は一緒に寝るでござるよ。」
戸惑う宗隆に彼らは言った。
「最後の夜だから。」
彼らはベッドの上に座り、頭を下げる。
「本当に今までありがとう。」
「楽しかったでござるよ。」
宗隆も正座して頭を下げる。
「こちらこそ色々なことを教えて頂いて、ありがとうございました。あの、茶道セットは……。」
「宗隆に持っていて欲しいでござるよ。道三殿の言う通り、宗隆は所作が丁寧でござる。きっと茶道をたしなめば、もっと磨きがかかるでござるよ。」
「わかりました。殿、占いの本は……。」
「手間をかけるが、お前が読み終わったら、図書館に寄贈してくれ。」
「わかりました。」
その後、宗隆は黙り込んだ。言いたいことはあるのに、何から話したらよいのかわからない。そんな中、義久はベッドから出た。夜景を見たいと言うのだ。彼らは窓を開けた。冷たくも清らかな風が彼らを夜空へ誘う。
「綺麗ですね。」
赤、青、黄色、緑、白、紫。文明の光が夜闇に咲き誇る。
「夜空の光が過去の光なら、夜景の光は今を生きる光……未来へ突き進む光だな。」
「そうでござるな。」
しみじみと頷く島津兄弟。「でも、無駄に電力を消費している気もします。」
義弘はちょっとむくれた。「たまにはそういう現実的な突っ込みはやめるでござるよ! 雰囲気ぶち壊しでござる!」
「僕は雰囲気に流される人生は嫌です。」
義久は静かに微笑んだ。
「宗隆は雰囲気の男ではない。地味だが現実をしっかりと生きる、それがお前の持ち味だ。忘れるな。」
「はい。」
――その後部屋に入った宗隆達は体を擦りながらベッドに入った。
「今まで本当に色々なことがあったでござるな。」
彼らは今までのことを振り返って話す。話すうちに宗隆はだんだん胸が苦しくなってくる。これからはその話の先が作れないのだ。そうこうしているうちに、義久と義弘は寝息を立てていた。眠るのが勿体ないと思いつつ宗隆も目を閉じた。
――しばらくして夜中。宗隆はかすかに意識が戻った。そんな彼の耳に義久と義弘が話をしているのが聞こえる。集中しないとわからない、ちいさなちいさなちいさな声だ。
「拙者は……やっぱり宗隆が心配でござる。地球に残るでござるよ。我らを救うための修行を積んでいた歳久も家久もだいぶ逞しくなったでござるし。」
「駄目だ。」
「何故でござるか!」
「義弘。宗隆はこれから何年生きると思うか?」
ハッとして黙り混む義弘に、義久は続ける。
「我ら火星豚の寿命は二十年程。豚と人間はいつまでも一緒に居られないのだ。……それにもう宗隆は一人ではない。西井殿、北見殿、博士がいるではないか。彼らは本当によい人々だ。大丈夫だ。大丈夫なのだ。」
「兄者……目が光っているでござるよ……。」
「……もう寝る。」
宗隆は二人の話を聞かなかったことにして、光る目をさらに固く閉じた。
――朝になり、宗隆達はホテルを出て動物園に向かう。到着したのはちょうどお昼時。入園するなり、島津兄弟はお客様に囲まれる。
「今までありがとうございました。」
握手を求められ、応じる彼らだが、列はキリなく続く。歳久は空気を読んだ。
「すみません。道を開けて頂けますか。義久殿と義弘殿はこれから職員の方や、豚小屋の皆様とお別れ会をするのです。代わりと言っては何ですが、私達の大道芸をご覧いただけないでしょうか。」
歳久は近くの人々を下がらせると、持っていた杖を高く放り投げ、一回転して取った。更に美しい杖さばきを見せる。周りから歓声があがった。家久とその部下も組体操をし、お客様の視線を釘付けにする。宗隆と四兄弟は頭をさげ、更に園内の奥を行く。西井がみんなで食堂でご飯を食べたいと言い出したため、ぞろぞろと社員食堂へ。……食堂に入ると。豚の皆が一列に並んで、島津兄弟を出迎えた。部屋の中は、さまざまな色とりどりの花やくす玉やらが飾りが施され。小学校のお別れ会のようであった。宗隆と島津四兄弟は拍手されながら席に通され、さまざまなさつまいもやら食事が振る舞われた。
「これはどういう……。」北見はさつま揚げを頬張りながら言った。
「西井が中心になって準備したんだ! ありがたく思え!」
宗隆が西井を見ると。
西井の目の下には珍しく隈がある。宗隆は義久の言葉を思いだし、西井の手伝いに走った。
――北見の司会進行で、お別れ会は進む。歌やら手品やらの出し物が催され、島津四兄弟は嬉しそうに手を叩く。そんな中、島津兄弟の元には、最上、加藤が挨拶に来た。
「ちょっと寂しいねぇ。」
「島津殿達は綺麗好きで気が合ったので残念だ。」
涙ぐんで彼らの手をとる義久と義弘。そして道三さんもやってくる。
「明日からは、我が宗隆の相談にのろう。だが島津殿達はずっと宗隆の師匠であり殿だ。それは忘れないで欲しい。」
頷く義久と義弘。一方、島津兄弟の弟の子豚、歳久と家久は甲斐甲斐しく働く宗隆をじっと見ていた。
――お別れ会も後半になり、人間の家久と歳久も合流した。彼らはさまざまな宴会芸を披露するが……。
「えぇ〜鉄砲ルーレットはやらないんですかぁー。
一般人用に火力は抑えてありますから、せいぜい肋骨一本パキーンだけですよ!」
「一般人はそもそもやらない。」
歳久の突っ込みにしょげた家久は、剣舞を始めた。拍手が鳴り響くなか、宗隆は〆の一言を考えていた。西井に促されたのだ。
(ベタなことはしたくない。今までありがとうございました、でシンプルに纏めよう。でも……。)
宗隆がうだうだ考えている間に、出し物はすべて終わる。そしてぶーの助、宗隆は〆の一言を言う時となった。いつのまにか、ぶーの助は言葉を喋れるようになっていたのだ。最初にぶーの助。深呼吸して、堂々と前に出る。
「ぼくはずっとひとりぼっちで、さびしくて、そんなぼくにてをさしのべてくれて、せいちょうさせてくれたのはよしひささんとよしひろさんです。であったひからいままでのことは、ずっとわすれません。こんどは、ぼくがこまっているこをたすけます。ずっとずっと、ぼくはがんばって、よしひささんやよしひろさんみたいなりっぱなとのになりたいです。いままでほんとうにほんとうにありがとうございました。」
読み終えた彼は頭を下げた。ちいさな雫が足元に落ちる。豚の群れに戻った彼は号令をかけ、豚たちは頭を下げた。そして宗隆の番。宗隆は悩んでいた。たどたどしく下手くそながらも心をこめたぶーの助の言葉、そして北見の昨日の言葉がひっかかっていたのだ。そんな彼の視界に時計をちらっと見る家久将軍が入った。時間がない。深呼吸すると宗隆は口を開いた。
「皆様、本日は師匠と殿の為に、お忙しい中お別れ会を開いて下さり、ありがとうございました。」
宗隆は西井達を見て、心から頭をさげる。
「歳久将軍、家久将軍、将軍の部下の皆さんもありがとうございました。」
宗隆は彼らにも頭を下げた。そして走って義久と義弘に近づいた。昨日の夜に言うチャンスを逃してしまった以上、今しかないのだ。
「本当は……離れたくない。ずっとずっと一緒にいたい。でも、昨日の夜中殿が仰っていたようにそれは無理だってわかっています。だけど……。」
「僕がいつか……師匠や殿にすがらなくても生きていけるようになったら……また会って欲しいです。」
宗隆は義久と義弘に抱きついて泣いた。人前でこういうことはしたくない彼だったが、もう関係なかった。いつのまにか二匹と宗隆だけになった部屋で。宗隆と、義久と義弘は。ただひたすら泣いた。
――しばらくして落ち着いた宗隆達は、皆が待つロケットの前に走っていった。
「歳久さん、家久さん。昨日の夜も、さっきも兄弟水入らずの所にすみませんでした。」
頭を下げた彼に、歳久と家久は柔らかい笑顔で言った。
「宗隆さんも、兄弟ですよ。」
宗隆は目から溢れそうになったものを押さえつつ、ポケットから四つお守りを出した。彼は一匹一匹に手渡しをする。
「師匠と殿にご兄弟がいると聞いてから神社で買いました。僕が動物園の試験で使ったのと同じお守りです。効果はわかりませんが縁起はよいと思います。持ってて下さったら嬉しいです。……どうかお元気で。」
最後に四匹は宗隆に抱きつくと、宇宙船へと向かった。元金豚団の戦闘動物で火星に帰るものも宇宙船から出てきて、挨拶する。
一方、歳久将軍は現島津幕府将軍の義久から、宗隆へのプレゼントを預かったという。
「ちょっと変わった柄だから、人によって好き嫌いが別れるかもしれないね……。」
歳久は杖を家久に渡すと、義久将軍から預かったタペストリーを拡げて見せた。歴史で悪人と呼ばれる男達が、邪悪な笑顔を浮かべ迫りくる、胃もたれがする絵面。しかも特大。そしてその絵は印刷ではなく。柄が織り込まれているのだ。絹のような上品な光沢といい、無駄に高級品と思われる。義久だけは素晴らしいと絶賛するが。宗隆も、周りの皆も絶句した。家久将軍は、気楽に言う。
「この布は気持ち悪いくらい丈夫です。イライラしたときにダーツの的として使えばよいですよー!」
一方、歳久将軍は真面目にこのタペストリーの利用方法を説明した。
「兄上は毎日、これを見て反省会をなさいます。悪人を反面教師するということなのでしょう。……でも。」
歳久将軍は苦笑した。
「いらないよね?」
「はい。……殿。僕からの餞別ということでもらって下さい。」
歳久将軍は頷くと、遠慮する義久にタペストリーを無理矢理押し付けた。
――すべてを乗せて、宇宙船は火星に旅立って行った。
「もう、六年でござるな。」
「そうだな。」
薄い薄い桃色の花の隙間から青空が覗く麗らかな日。義久と義弘は、一族と遠出してピクニックをしていた。今日は義久の息子・忠恒の、サッカー技能検定合格祝いの臨時定休日なのだ。
「六年前って宗隆殿のこと?」
忠恒は、リフティングをしながらニコニコと義弘に近寄る。しかし。
「あ……。」
ボールは予期せぬ放物線を描き、義久の娘・亀寿の食べていた芋羊羮に落っこちた。亀寿は潰れた羊羮を涙目で見つめる。
「亀寿、すまぬ! 忠恒、謝るでござるよ!」
「ごめんなさい……。」 亀寿は一瞬目頭を押さえると、頭を下げる忠恒に優しく微笑んだ。
「大丈夫、気にしないで。」
「……亀ちゃん。僕のあげる。」
じっと亀寿を見つめていた忠恒の兄・久保は自分の芋羊羮を差し出した。
「いいよ。久保くんのが無くなっちゃう。」
「僕はもう食べたから。」亀寿は少し思案したが。久保から芋羊羮を皿ごともらうと、久保のフォークで二つに割り、一つを自分の器に入れた。
「じゃあ半分もらうね。ありがとう。」
場が丸く収まった中で、忠恒だけは下を向いている。
「亀ちゃんごめんね。こっちの大根餅も美味しいよ。……忠恒も、ほら。」
。義弘の妻・まどかは、忠恒はもう反省したと判断し、さりげなく話題を変えた。
――忠恒と亀寿と久保は毎回こうだ。義久はこないだの義弘の話を思いだした。
(「忠恒は毎回、亀寿の疫病神でござるな……。親として申し訳ないでござる。」
と義弘が言っていたが。こうもしょっちゅうだと本当だな。類い稀なる才覚や天命を感じるから忠恒が跡継ぎでも構わない。だが……亀寿が久保にフラれたとしても忠恒とだけは結婚はさせぬ。)
そんな彼の決意を知らずに、亀寿は可愛く微笑んで、義久の器に大根餅を入れた。
「おとうさん。おばさんの大根もちおいしいよ。」
「……ああ。ありがとう。」
義久は穏やかに微笑む。亀寿は、餅を食べ終わると義久を見上げて言う。
「ねぇおとうさん。さっき忠ちゃんが言ってた、むねたかどのってどんな人なの?」
義久は目を細めて懐かしむ。
「よい意味で普通の、しっかりとした青年であった。……口が悪いし、困った所もかなりあったが、本当は寂しがりやで……我々によく世話を焼いてくれた。」
義弘も頷く。
「そうでござるな。それから冬に弱くて、五年前は死にかけたでござるな! 最近は大丈夫そうでござるが。」
実は義久と義弘は、家久(人間)→桐沢経由で、元金豚団員に冬だけこっそり宗隆の家の見張りをして貰っていた。人と豚とは暮らせないとか言っていた癖に過保護な彼ら。因みに桐沢には火星のお笑い番組やバラエティー番組のDVDをお歳暮に送っている。地球と違って出演者が危険で過激な種目に挑む所が面白いらしい。
――空が青からオレンジ色に切り替わった頃。ピクニックを終えた島津一族は、薩摩豚パークに帰った。ポストを見た歳久と家久は、春休みの団体客の予約の書類の他に、一つの小包を見付けた。
「兄者! 兄者! 」
何事かと近寄る義久と義弘に、二匹は花柄の小包を見せた。
「この視力検査のように小さくて……。」
「女々しい字は……。」
二匹は叫んだ。
「宗隆だー! 」
「もう、六年でござるな。」
「そうだな。」
薄い薄い桃色の花の隙間から青空が覗く麗らかな日。義久と義弘は、一族と遠出してピクニックをしていた。今日は義久の息子・忠恒の、サッカー技能検定合格祝いの臨時定休日なのだ。
「六年前って宗隆殿のこと?」
忠恒は、リフティングをしながらニコニコと義弘に近寄る。しかし。
「あ……。」
ボールは予期せぬ放物線を描き、義久の娘・亀寿の食べていた芋羊羮に落っこちた。亀寿は潰れた羊羮を涙目で見つめる。
「亀寿、すまぬ! 忠恒、謝るでござるよ!」
「ごめんなさい……。」 亀寿は一瞬目頭を押さえると、頭を下げる忠恒に優しく微笑んだ。
「大丈夫、気にしないで。」
「……亀ちゃん。僕のあげる。」
じっと亀寿を見つめていた忠恒の兄・久保は自分の芋羊羮を差し出した。
「いいよ。久保くんのが無くなっちゃう。」
「僕はもう食べたから。」亀寿は少し思案したが。久保から芋羊羮を皿ごともらうと、久保のフォークで二つに割り、一つを自分の器に入れた。
「じゃあ半分もらうね。ありがとう。」
場が丸く収まった中で、忠恒だけは下を向いている。
「亀ちゃんごめんね。こっちの大根餅も美味しいよ。……忠恒も、ほら。」
。義弘の妻・まどかは、忠恒はもう反省したと判断し、さりげなく話題を変えた。
――忠恒と亀寿と久保は毎回こうだ。義久はこないだの義弘の話を思いだした。
(「忠恒は毎回、亀寿の疫病神でござるな……。親として申し訳ないでござる。」
と義弘が言っていたが。こうもしょっちゅうだと本当だな。類い稀なる才覚や天命を感じるから忠恒が跡継ぎでも構わない。だが……亀寿が久保にフラれたとしても忠恒とだけは結婚はさせぬ。)
そんな彼の決意を知らずに、亀寿は可愛く微笑んで、義久の器に大根餅を入れた。
「おとうさん。おばさんの大根もちおいしいよ。」
「……ああ。ありがとう。」
義久は穏やかに微笑む。亀寿は、餅を食べ終わると義久を見上げて言う。
「ねぇおとうさん。さっき忠ちゃんが言ってた、むねたかどのってどんな人なの?」
義久は目を細めて懐かしむ。
「よい意味で普通の、しっかりとした青年であった。……口が悪いし、困った所もかなりあったが、本当は寂しがりやで……我々によく世話を焼いてくれた。」
義弘も頷く。
「そうでござるな。それから冬に弱くて、五年前は死にかけたでござるな! 最近は大丈夫そうでござるが。」
実は義久と義弘は、家久(人間)→桐沢経由で、元金豚団員に冬だけこっそり宗隆の家の見張りをして貰っていた。人と豚とは暮らせないとか言っていた癖に過保護な彼ら。因みに桐沢には火星のお笑い番組やバラエティー番組のDVDをお歳暮に送っている。地球と違って出演者が危険で過激な種目に挑む所が面白いらしい。
――空が青からオレンジ色に切り替わった頃。ピクニックを終えた島津一族は、薩摩豚パークに帰った。ポストを見た歳久と家久は、春休みの団体客の予約の書類の他に、一つの小包を見付けた。
「兄者! 兄者! 」
何事かと近寄る義久と義弘に、二匹は花柄の小包を見せた。
「この視力検査のように小さくて……。」
「女々しい字は……。」
二匹は叫んだ。
「宗隆だー! 」
急いで封筒を開ける義久。彼は手紙を朗読し始めた。
「桜の花が咲く季節となりました。長い間、ご無沙汰しております。皆様お元気ですか。
月日は早いもので、お別れしてもう六年になりますね。僕は、一人前になるまで皆様に連絡をしないと心に決めておりました。しかし、ご報告したいことがございまして手紙を投函させていただいた次第です。
本当は直接お会いしてご報告したかったのですが、臨時休業で皆様もいらっしゃらなかったので、手紙にて失礼させていただきます。」
義久は続きを読み上げる。
「僕はこの度結婚することになりました。」
義弘は顔を曇らせた。
「まさか結婚詐欺でござるか! 意外と貢ぐタイプだから心配でござる!」
まさか、といった表情の歳久と家久に、義弘は宗隆がいかに女性に縁がないか滔々と語った。二匹の顔が曇る。義久も少し眉間に皺をよせながら朗読を続ける。
「妻は、特別頭が良いとか、超能力が使えるとか、金持ちとか、容姿が良いというわけではありません。
ですが、誠実で愛情深く、僕の心を明るい気持ちにしてくれる人です。笑いのセンスも僕より上です。妻の両親も抜けた所はありますが優しくて、僕は妻も、妻の家族も大好きです。
師匠や殿のお陰で、僕は自分自身を嫌いでは無くなりました。好きというほどでもないですが。
彼女に素直に向かって行けたのは、師匠と殿のお陰です。
それから、歳久さん、家久さんが僕のことを兄弟だと仰って下さったことも心の支えになりました。
本当にありがとうございます。皆様お忙しいとは思いますが、お時間が御座いましたら是非来ていただけますと嬉しいです。」
涙ぐむ四匹は口を揃えた。
「とりあえず詐欺じゃないな。」
宗隆の手紙はさらに続く。細かい字でびっしりと白い便箋は埋め尽くされ、まるで辞書のような手紙である。
「皆様もご存じかと思いますが、金豚団の人々と危険紳士の部下は全員無事に刑期を終えて、桐沢社長の牧場で働いています。
不思議なことに、なぜか冬になると彼らとスーパーで一緒になることが多いのです。それは別によいのですが、僕の買い物カゴを覗いてきてはお菓子を買いすぎだと勝手に棚に戻したり、生姜をいつもぶちこんでくるので困ります。
ついでに危険紳士も出所しました。弁護士の力って凄いですね。やはり世の中金です。ちなみに直後に出した自叙伝はベストセラーになりました。只では起きない人ですね。
紳士の遊園地は、結局国と紳士の会社が共同で運営しれています。ここでの勤務を希望する動物も結構いたからです。園内ではパレードや、ユニークなイベントが多いですよ。
師匠と殿も薩摩豚パークを経営なされているということなので、紳士遊園地の動画とレポートとお客様アンケートを纏めたデータも同封しました。用途は先方も承諾しているので、どうぞ参考にしていただけますと幸いです。
それからこの間、銀箸団は埋蔵金愛好会と動物語研究会に生まれ変わりました。警察にバレそうになったからだそうです。要領がいいですね。全く。
そして、僕の近辺です。少し色々ありました。
西井と南田に二人子供ができたんです。二人とも素直で人懐っこくて可愛いですよ。
博士は以前より部屋が綺麗になりました。
北見は少し人の話を落ち着いて聞けるようになりました。彼は調理師免許を取って、動物園のフードコーナーのメニュー作りにも参加しています。家久将軍を見て、自分はあそこまで割りきれる軍人にはなれないと思ったようです。そこがいい所でもあるのですが。
そして僕は、こないだ夜間大学の生物学部を卒業しました。蛇の研究がしたかったからです。まだまだ知らないことがたくさんあるので、今は博士の手伝いをさせていただきながら、学んでおります。
(偉そうなことを言いましたが、まだパシリです。)
皆様もご存知だと思いますが、ヘビ子係長が家久将軍の部下と結婚して火星人になってしまったので、
新しく係長になった斎藤さん
(園長がヘビ子係長の退職後、奄美大島でスカウトしました)
の補佐がしっかり勤まるよう頑張ります。
道三さん、最上さん、加藤さん、アマミンさん、豚の皆も元気です。ぶーの助は優しく頼れるリーダーになり、ぶー吉もよく補佐をしています。
(ちなみにみんな結婚しました。)
薩摩動物園は無事にやっております。」
長い長い手紙に同封されていた案内状によると、結婚式は四月十四日。日曜日。春休みの客が一段落つく頃である。
「四月十四日か。地球の旅行会社の方が数社、見学にくる日だな……。せめて義弘だけでも。私は……。」
団体客ツアーの予約を掴むことは、テーマパークにとってとても大切なことだ。唸る義久に、歳久と家久は口を揃えて言った。
「私達が対応致します。兄上達はどうぞ行ってきて下さい。」
「その近辺はお前達も忙しいだろう。いいのか? 」
歳久と家久は微笑んだ。
「兄弟ですから。」
義久は暖かい眼差しで三匹を見回す。
「ありがとう。……義弘、歳久、家久。お前達が兄弟で本当に良かった。」
――そして、結婚式当日。春の太陽に照らされた教会の入り口で、義久と義弘は、自分たちを探す花嫁と宗隆を見付けた。
「宗隆!」
六年前よりも、少し明るく、少し逞しくなった宗隆と。二匹は抱き合う。そして、二匹は花嫁に挨拶した。
「初めまして。私は島津義久。」
「拙者は島津義弘!」
二匹は同時に言った。
「我らは薩摩黒豚家の誇り高き豚であり、伊東宗隆の……兄!」