表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
説教豚と伊東くん  作者: 沢木青
1/2

豚は舞い降りた

凛とした空の下、人々が白い息を吐きながらすれ違う季節。デパート、本屋、雑貨屋、電器店など様々な店が蛍のように夜道を照らし、人々の生活の音楽が響く街で。黒豚の兄弟はさまよっている。

すれ違う首輪付きの豚たちに会釈をしつつ、潤んだ大きな目の愛らしい黒豚は自身の兄に尋ねた。

「兄上、本当にこっちでござるか?」

兄豚はどこか気品と威厳のある、落ちついた声で答えた。

「義弘。案ずるな。ネプチューンプリンセス川田先生は、今日の魚座のラッキー方向は北と言っていた。」

「でも、肉屋の近くに来てしまったでござるよ。ちょっと移動したほうが……。」

兄豚は首を振る。

「お前は獅子座だろう。

獅子座のラッキースポットは肉屋だ。自分の体の中の太陽を信じるのだ。」

その刹那。兄弟達の頭上に冷たく鈍く光るものが振り下ろされた。それを咄嗟に避ける兄弟。彼らは風の速さで走りだす。そんな彼らを、肉屋のエプロンの男はバイクで追いかける。

「しょうが焼き! チャーシュー!」

人も豚も声もさつま揚げの香りも何もかもかき分け爆走する兄弟豚。しかしバイク相手は分が悪い。

段々と距離を詰められ走行音が近く大きくなってきた。ついに力尽きる義久。

「お前だけでも……逃げろ! ……薩摩黒豚の血を絶やしてはいけない……。あの教えを守るのだ!」

そんな彼の言葉に首を振り、涙ながらに義久を引きずる義弘。

「兄上を置いていけないでござる! ……それに拙者は教えを忘れてしまったでござるよ!」

「な、なんだって!」

迫り来る肉屋。絶体絶命の兄弟。しかし奇跡が起きた。携帯をいじりながら歩く若い男が島津兄弟と肉屋の間に割り込んだのだ。肉屋は咄嗟にハンドルを切ったが横転。彼は体をさすりつつ、チャーシュー……と呟き、ヨロヨロと立ち上がる。そんな彼に携帯電話の若者は声をかけた。

「すみません! 大丈夫ですか?」

肉屋は声を荒げる。

「危ないだろ! 気を付けろ!」

「申し訳ありません……。」

島津兄弟は植え込みの植物の後ろに隠れ、二人をじっと見つめている。肉屋は周囲を見回すと諦めて去って行った。

携帯電話の若者は、その場にへたり込んだ。小柄で色白の、大人しそうな風貌の彼は長い息を吐く。そんな彼に義弘は話し掛けた。

「……大丈夫でござるか?」

若者の目に、自分を見上げる黒豚達が映る。彼はびっくりして目を擦った。

そして首を捻ると、何事もなかったように歩き出す。義弘はそんな彼の足を引っ張った。

「無視しないで欲しいでござる! それから、歩きながら携帯電話を弄るなんて危ないでござるよ!」若者は顎が抜けそうなくらいに口を開くと、再び腰が抜けてへたりこんだ。

「まったく! 今時の若い者は! しっかりするでござるよ!」

義弘はさらに、若者の腕を掴んで続ける。

「腕が細い! もっと鍛えるでござる!」

青年は歯をガタガタさせると、何とか立ち上がって走り出そうとする。しかしあっという間にズボンを掴まれ。彼はその場で足踏み状態になった。

「拙者は島津義弘! そしてこちらが、我が兄であり、島津薩摩黒豚家当主、島津義久様! お主は?」

「僕は伊東宗隆。……お前、島津と言うのか? 」

伊東の目の色が、変わった。大人しそうな青年の目に、怒りの火が灯る。

「僕の通っていた高校の校長が! 島津義弘さん! あなたを見習って体を鍛えようとか言い出して! 体育が週五日になったんだ! 運動神経が悪い僕は苛められてどんなに辛かったか!」

お門違いな恨みをぶつけられ、義弘は思わず仁王立ちして叫んだ。

「それは完全な逆恨みでござる! 男らしくないでござるよ!」

「……確かに僕は背も低くて、顔も女の子っぽいと言われます………。」

義弘は、塩をかけられたナメクジのように消え入りそうな伊東を諭すように言う。

「そう言う問題ではないでござる! 背が高い方が、格闘には有利なことが多いのは確かだ。しかし! 漢は外見だけではないでござるよ!」

宗隆は、自分より小さな義弘が手足をバタバタさせて熱弁するのを見て、頷いた。

「……確かに。」

義弘と宗隆を見守っていた義久も、静かに口を開く。

「ところで伊東殿。貴殿は何座か?」

「……双子座ですけど……。」

義久は、目を見開いて叫んだ。

「双子座! 双子座だと!」

「……そうです。嫌いな星座一位の。」

伊東は溜め息をついた。彼の顔にまた影が差す。

義久はそんな伊東を真っ直ぐ見て、持論を展開した。

「双子座だからといって、全員が全員悪い人間ではないぞ。太陽星座だけでなく、他の惑星星座とアスペクト……その人のホロスコープを見ないと性格も他人との相性も判断は出来ない。話すと長いのだが、ホロスコープとはその人が生まれた時の星の配置だ。星同士の角度で様々な意味があるのだ。」

「……お詳しいですね。」

さっきまで自己防衛の為に取っていた距離を詰めて、宗隆は尊敬の眼差しで義久を見た。宗隆の視線を受け止めた義久は、勢いよく義弘を指差す。

「詳しい判断は出来ないが、便宜的に太陽星座を参照する。幸いなことに義弘の太陽星座は獅子座だ! 伊東殿にとってかなり相性がよい。

双子座は獅子座を見習うと、よいことがある確率が高いような気もしないでもない、とネプチューン川田先生も仰った!」

伊東は目を見開いた。

「そう言えば川田先生のメール鑑定では……運命の出会いがあるとおっしゃっていました。」

義弘をウザイと少し思っていた彼だが、とりあえず頭を下げた。

「失礼な態度を取って、申し訳ありませんでした。」

義弘は素直に頭を下げる宗隆を見て、ひまわりのように微笑んだ。

「素直が一番でござる! 今日から宗隆は、拙者の弟子だ! 鍛えてやるでござるよ!」

「結構です。」

「そうか! 弟子になるのは結構良いと思ったでござるな!」

宗隆は目を見開いた。

「ござるござる詐欺……!」

こうして、宗隆はよくわからない内に弟子にされてしまったのだった。

「とりあえず……お二匹が野良豚で保健所行きとか、チャーシューにされたら、目覚めが悪いですからね。知り合った動物を見捨てる飼育係というのも世間体が悪いですし。僕の家に連れていってあげてもよいですよ。」

「早速上から目線でござる! ……まあこちらとしては大変ありがたいのでござるが、ご家族の方は承知済みでござるか?」

宗隆は下を向いた。

「僕は家族は居ません。」

黙り混み、気まずそうに下を向く二匹。宗隆は話題を変えた。

「それより、お二匹は何で喋れるのですか? それに首輪が無いってことは飼い主さんはおられないんでしょうけど、何であそこをうろついていたのですか?」島津兄弟はすうっと目を閉じて語りだした。

――彼らが言うには、喋れる理由は自分でもよくわからない、つい最近の記憶もない、気が付いたら錦江湾、とのことだ。覚えているのは、薩摩豚パークの幸せな暮らし。そしてそれが何者かに襲撃されたということだけだと。

なんとか仲間たちに逃がしてもらった兄弟は、誘拐された皆を奪還したいと言う。

「それは酷い……。僕が警察に事情を話しますから、詳しい状況を教えてください。あと現場の場所や証拠も。」

島津兄弟は顔を目あわせると、いつもと違う歯切れの悪い調子で答えた。

「場所は覚えていないでござる……まあ……どっちみち証拠がないでござるが……。」

「えっ? 防犯カメラの映像とか、犯人が残したものはないんですか?」

義弘はさらに口ごもり、目をキョロキョロさせる。

「犯人は痕跡を残してないでござる……防犯カメラは……予算が……なくて……。」

「は?」

「……誰だろうと撃退するから、いらないな、みたいな……。」

宗隆は黙り混んでため息をつく。そんな彼の氷の目を見ないようにして、義弘は叫んだ。

「とにかく! こうなった以上は何とか奴らをぶっ殺すしかないでござる。」

「こっちが確実にぶっ殺されます。それにしても、証拠がないなんて。警察がそれでも捜査してくれるか不安です。あ、責任者は人間ですよね? その方と相談しましょう。」

義久は首を振った。

「責任者は私だ。」

宗隆は、西郷どんサイズまで大きく目を見開き、固まった。

「な、何で認可が……。近所の人もオカシイと気が……。」

「人里離れた場所だから、ご近所はいないでござる!」

つまり、証人がいない。頭を抱える宗隆。

それでも一応、二匹を連れて警察に行った宗隆。適当に加工した事情を話すが、相手にされず。腹話術が上手いと誉められる始末。彼らはため息を吐きながら帰った。


――宗隆の家はペット可のアパートであり、小さいながら庭もがあるので不便なことはない。

「今日は、庭で川の字になって眠りたいです。」首を傾げる二匹に、宗隆は空を見て言った。

「昔、両親とキャンプに行った時、川の字になって寝たのです。……今日は月命日だから思い出してしまって……。」

二匹は頷いた。義弘は体温保温シート、冬用寝袋、テントの用意など、防寒対策を指示した。てきぱきと準備し、寝袋に入った宗隆は、尊敬の眼差しで言った。

「師匠は慎重ですね。そう言えば……豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、島津軍からは凍死者が出なかったんですよね。」

義弘はすこし間を開け。元気のない声で答える。

「ああ……。だが息子は病死してしまった。ちょうど宗隆と同じくらいの年だったでござる……。」

ハッとして慌てて謝る宗隆に、義弘は優しく言った。

「悪気がないのはわかっているでござる。気にするな。それにさっきのとおあいこでござるよ! ……鍛えていた久保ですらそうなんだから、鍛えていない宗隆はもっと危ないでござる。明日から、一緒に走るでござるよ! お休み!」

そう言うと義弘は目を閉じた。

「お休みなさい……。」

義久も、眉をハの字にする宗隆の肩を軽く叩くと目を閉じた。

しばらくして。すやすやと眠る宗隆達。しかし、天候と言うものは予測が出来ない。鹿児島は以外と寒いのだ。義弘の予想を越えた寒波が彼らを襲った。

朝、起きた二匹と1人は低体温症になり、死にかけた。


宗隆達が低体温症で苦しんでいたころ。とあるリゾート地の、とある高級ホテルで会議が行われていた。その会議には、日本中の愛食家が集まっている。

高い天井にシャンデリアが煌々と輝く部屋で。司会者は銀色の箸を高々と挙げて叫んだ。

「シルバーーチョーップスティーックス!」

会議に参加している、高級な身なりの人々も銀色の箸を掲げて叫ぶ。

「シルバーチョーップスティーックス!」

司会者は一呼吸置いて、口を開いた。

「前回は中尊寺金色堂の金粉をまぶした、コロッケそばでした。今回は、法隆寺五重の搭の木材で燻製した、イベリコ豚のハムです。」

彼らは己の趣味を貫くためには、文化財をぶっ壊すことすら厭わない犯罪者集団である。その中で、一際異彩を放つ男がいた。男は恍惚の眼差しでハムを嘗め回すように見つめ、部屋中の空気を吸い込みそうなくらいに匂いを嗅ぐ。……彼は、焼き肉チェーンの社長だ。スラリとした長身に、彫りの深い端正な顔立ちの美男子である。彼の愛するものは……肉。何よりも……肉。彼は、皿に書かれた日本地図を箸でなぞると、最後に鹿児島をつつく。そして不敵な笑みを浮かべ、箸を舐めた。そして深く張りのある声で呟く。

「……私は……世界中の肉を食べ尽くして見せる……。」

気味の悪い行動をしても、妙に絵になる彼。しかし。

「桐沢さん、桐沢さん、舐め箸と突き箸は禁止ですよ。」

彼は隣の団員に注意された。銀箸団は法律は守らない癖に、箸のマナーに細かいのであった。


島津兄弟が来てから数日後。数本の不気味なホースが蠢く暖かい室内で。宗隆は勤務中だと言うのに目が泳ぎ、時々ため息をつく。傍らでは、ヘビの道三さんが紫色の体でくねくね回りだした。

「ごめんなさい。今、ご飯をお出ししますから。」

道三さんは、コクッと頷いた。彼は蛇には珍しく、耳が埋まっていない。宗隆の上司は、ここにくる前に手術をしたからではないかと言っていた。

道三さんは風格と知性を感じさせるヘビだ。死なない程度の毒をもつヘビだが、丁寧に対応すれば噛むことはない。

宗隆は道三さんに餌を食べさせると呟いた。

「いけない……集中、集中。」

宗隆はその後は頭を切り替え、仕事に集中。お昼になった。きょうはごま味噌のシソ巻きのお握り小サイズ二つと、野菜炒め。彼は少食なのだ。彼は賑やかな休憩室に入ると、冷たい風が通り抜ける隅っこの席に座る。そんな彼に爽やかな若い男が声を掛けてきた。

「伊東! 一緒に食べよう!」

彼は虎の飼育員で、宗隆の同期の西井だ。宗隆は頷くと移動する。西井は、宗隆のお昼ご飯を見て言った。

「もうちょっと食べた方がいいぞ。俺の唐揚げ、良かったら食べないか? 沢山あるから。」

「ありがとう。でも、あんまり食べると胃もたれするんだ。」

西井はコクリと頷くと、違う話を切り出す。

「わかった。所で、さっき侵入した黒豚の話を聞いたんだけど、お前も何か知らないか?」

宗隆は一瞬箸を持つ手が止まったが、平静を装って答えた。

「どんな話?」

「黒豚が侵入してきて、園内をうろうろしていたらしい。今は地下室の鬼ヶ島博士のところらしいぜ。あの人おっかないからな。かわいそうに。」

宗隆は、慌ててお握りを口に放り込み、地下室へ走った。

――昨夜。宗隆の仕事場の動物園に、島津兄弟は行きたいと言い出した。

「この国はのんびりした人が多すぎるでござるよ! 動物園の守備が不安でござる! 接者が警備状況を把握したいでござるよ!」

「外部調査の方が客観的に見れる。」

やんわりと断る宗隆だが、義弘はしつこい。

「……ではハッキリ言わせていただきます。あっさりやられた師匠と殿では、頼りないからいいです。」

宗隆はついに本音を言った。ちなみに彼は、いろいろ考えた末に義久は殿と呼ぶことにした。

それでも島津兄弟は、馬のように嘶き喋り手足を羽ばたかせ激しく宗隆に反論する。兄弟の押しの強さに宗隆は押しきられた。

「わ、わかりました。では上司に相談……。」

義弘は首をふった。

「こっそり忍び込むから、相談は必要ないでござる。」

「は?」

義久も頷く。

「義弘、よい考えだ。防犯の抜き打ちテストをしよう。」宗隆は思わず身を乗りだして声を荒げた。

「よくねーよ! ……失礼しました。下手すればケガをするし、他のお客様のご迷惑に……。」

島津兄弟は大らかに笑う。

「人が少ない時間にするから大丈夫でござる! ははは!」

「そうだな。ははは!」

……宗隆もつられて笑うしかなかった。回想を終えた宗隆はあさりが砂を吐くが如く、毒をはいた。

「あのバカ豚どもめ……。焼豚になりたいのか!」

西井から聞いた地下室へたどり着いた宗隆。

その地下室には、園長の遠縁の獣医が住み込んでいる。その獣医こと鬼ヶ島博士は、動物実験を繰り返して大学を追い出されただの、夜間の動物園を徘徊するだの、地下室に入った動物は洗脳されてしまうだの、様々な怖い噂を纏っている男だ。宗隆は、西井にダイイングメッセージを伝えてあるので、勇気を出して部屋をノックした。

「誰だ?」

部屋の中の男は、ドアにチェーンを掛けてから開けた。ドアの隙間から、無精髭に天然パーマの、お寿司の光り物のようにギラギラした大きな目の男が宗隆を覗きこむ。宗隆は思わず後退りした。

「は、爬虫類係の伊東と申します。豚どもの弟子です。」

不審の眼差しで見つめる博士。

「……あいつらは知り合いはいないと言ってたが。」

「え……。」

宗隆は、一瞬考え込んだが、すぐに彼らは自分に迷惑をかけたくないのだ、とわかった。

「……それは、僕に迷惑をかけたくないんでしょう。保護して下さってありがとうございました。あとは、僕が。」

博士は笑いながら言った。

「あーんな面白い奴ら、タダで返すわけないだろ! 」

宗隆は左端の口角だけ上げて、ちいさく呟いた。

「ですよね。」

彼は目をぐるぐるさせる。博士は、そんな宗隆の持っていたシソお握りを譲り受けると、頬張りながら無邪気に微笑んだ。

「でもまぁ、チャンスをやるか。俺が出すなぞなぞを解けたら、返してやる!」

博士は宗隆を部屋に招き入れた。部屋は少し散らかっていた。堆く積まれた本がジェンガのように絶妙なバランスを保ち。床には丸められた白い紙ごみの花が咲いていた。そして部屋の少し奥。檻に入った島津兄弟がいる。彼らは宗隆を見ると叫んだ。

「宗隆! 逃げるでござる!」

「そうだ。サツを呼びに行ってくれ。」

宗隆は喉を貧乏揺すりしながら答える。

「だ、大丈夫です。もし僕が帰ってこないようなら、警察に電話してくれ、と言ってあります。あ、でも本当にやばくなったら逃げます。ごめんなさい。」宗隆が島津兄弟と話をしている間に、博士は虎のキャラクターの描かれた屏風を出してきた。

「この屏風の中の虎を捕まえろ。」

宗隆は首を捻って唸る。

「彼らは甲子園に行かないと捕まえられません。っていうか、博士も年末の笑ってはダメスペシャルを見たのですね……。」

博士は退屈そうに言った。

「まぁな。だから、そんな普通の答え望んでねぇよ! 今すぐ捕まえろ!」

宗隆はとんちが苦手だが、とりあえず、胸ポケットの油性マジックを取り出す。静かな部屋にキュッキュッとマジックを滑らせる音と、時計の音が交錯した。

「捕まえました。」彼は屏風にマジックで、つまようじ人間と、虎を縛る紐を追加した。

宗隆は絵がヘッタクソだが、なんとかつまようじ人間が虎を捕まえているように見える。お気に入りの屏風に落書きされて、顔を真っ赤にする博士。宗隆はいじめられっこの本能で、素早く距離を取る。さらに彼は近くにあった分厚いファイルを盾のように持った。

「絵の中の虎は、絵の中の人じゃないと捕まえられません。」

博士はつまようじ人間を高速で指差し、怒鳴る。

「そんなの屁理屈だろ! それにこれはなんだ! 下手くそ!」

宗隆は後退りしながら解説した。

「これは、僕の分身の

『ハトヤに決めた君』です。それから、世の中の半分は屁理屈で出来ていると僕は思います。」

博士と彼が揉めている間に、義弘は根性で檻をこじ開けた。

「逃げるぞ!」

ドアにダッシュする宗隆達。その時博士は、屏風のつまようじ人間を殴った。

何故かとっさに転がって痛がる宗隆。

「アホでござるか!」

彼は義弘に服をくわえられてひきづられる。

――息を切らせ、階段を昇る宗隆達。振り返るが博士は来ない。彼らは少し気が緩んだ。しかし。

「……誰か来る。」

義弘の言葉に身構える、宗隆と義久。だが、そこに居たのは予想外の男だった。

「大丈夫か!?」

宗隆達の目に入ったのは、息せきかけてやってきた西井達。彼らの手には箒が握られていた。宗隆は目をパチパチさせる。

「あ、ありがとう……。」西井は、宗隆の側にいる二匹を見ながら言った。

「豚さん達は無事か?」

島津兄弟は西井達をぐるっと見回すと、頭を下げた。

「大丈夫でござるよ。

拙者は島津義弘。宗隆の師匠でごさるよ! いつも宗隆がお世話になっているでござる。」

「わざわざ駆けつけてきて下さってかたじけない。私は島津義久。宗隆の主君だ。」

その場に居た者は口をぽかーんと開けたり、耳をほじったりと様々な反応を示す。しかし不思議なことに西井は普段通りであった。

その後。宗隆は西井の提案で島津兄弟を豚係りに預けた。島津兄弟は低体温症の際に病院で予防接種や診察済み。他の豚には悪影響はない。安心した宗隆は仕事場に戻った。


宗隆は仕事が終わると、夜空の下で白い息を機関車のようにモクモクさせつつ走る。

「師匠と殿を預かってくれてありがとう。」

豚の飼育係で宗隆の同期・南田かなは、大きな目を三日月のように細め、可愛らしくほほえんだ。

「気にしなくていいよ。こっちも助かったし。」

「え? 」

「義久さんと義弘さんが、虐められた子を助けてくれたの。それに困ったチャンにお灸を据えてくれたし。やり過ぎかなって思ったけど、たまにはいいかな。明日からもよろしくね!」「それはどういう……。」

宗隆が背を向ける彼女にそう言いかけた時、島津兄弟は宗隆に気がついて、手を振った。

「宗隆!」

豚の群れに囲まれている彼らだったが。大きく手を挙げると、豚たちは塩が引くようにさーっと二手に割れ、道が出来た。その中を颯爽と歩く彼ら。宗隆はその様子を口を半開きにして見つめた。義弘は宗隆の元にやってくると、ズボンの裾を引っ張る。

「さぁ、宗隆。走って帰るでござるぞ!」

「あの、何があったんですか? なんか大名行列状態でしたが。」

宗隆の問いに義久は静かな漣のように答えた。

「暴れて好き勝手に振る舞うぶー吉を義弘が半殺しにし、我々兄弟があの集団を制圧した。」

顔がひきつる宗隆に、義弘は頬を膨らませて言う。

「飼育係りさんの見えないところで、ひとりぼっちの子豚を虐めたり、餌を横領して自分と取り巻きだけで食べたりして、許せなかったでござる!」

鼻息が荒くふごふご怒る義弘からちょっと距離をとりつつも、ぽつりと宗隆は言った。

「話し合いとかは?」

義久は空気を切り裂く鞭のような調子で言う。

「最初は平和に解決するつもりだった。だからとりあえず殴って説得し、物陰に隠れて様子を見ることにしたのだが……。私達が見えなくなった途端、ぶー吉はさらに増長した。……ああいう奴らは懲らしめないと駄目だ。」

宗隆は歴代のいじめっこを頭に描いて納得した。

「そうですね。でも、もう侵入とか辞めてください。僕は上司にこっぴどくしかられました。首になったら困るんです。」

義弘はニコニコしながらぴょんぴょん跳ねる。

「大丈夫。もう侵入の必要はないでござる。しばらくここに就職するでござるよ。行き帰りも一緒に走れるでござる!」

宗隆は目をひんむいた。

「はぃいー? でも、お仲間の捜索は……。」

義久が答える。

「……宗隆に言われて、思い出したことがある。薩摩豚パークに変態が来たのだ。もしかしたら、其奴が手下を派遣して襲撃させたのかもしれない。今までは実行犯のことばかり考えていたが、よく考えたら黒幕がいる可能性も考慮すべきだった。」

義弘は手を突き上げた。

「絶対あの変態は、ここを襲うでござる! そしてそのために一度は下見に来るはず。そこを襲撃するでござる!」

「ちょちょちょっと待って下さい! 証拠もないのに襲いかかって、冤罪だったらどうするんですか! 責任を取らなきゃいけないのは僕なんですよ! 首になってしまいます。そもそも襲撃犯を繰り出せる人なら、SPとかがいて近寄れないのでは?」

島津兄弟は下を見て唸る。

議論が行き詰まった一人と二匹は、取り敢えず歩き出すことにした。

動物園の出口に差し掛かっ時。

「よお!」

……そこには鬼ヶ島博士が立っていた。


博士を見て逃げ出した宗隆達。しかし、博士は小さな音楽プレーヤーから人気お笑い番組『笑線』の音楽を流した。宗隆は一瞬、動きが止まる。そして、博士はプレーヤーをポケットにしまうと、両手を上げた。「俺は、お前達を害さないと約束する。だから俺も仲間に入れてくれないか! お笑い好き仲間だろ! 信じろ! たけお城のDVDも貸してやる!」

「たけお城……。」

宗隆は沸き上がる笑みを押さえて博士に提案。

「ではどこかのペット可の店に入りましょう。博士の奢りで。」

「おう!」

二人は近くの店を検索しはじめる。一方、じぃっと博士を訝しげに見つめる義弘に、義久は言った。

「あの男は、結局部屋から逃げた私達を追わなかった。それによく考えたら、私達のことも檻に入れる以外は何もしていない。今は味方が一人でも欲しい。様子を見ろ。夕飯も奢って貰えるしな。」

……というわけで、彼らはペットカフェに入った。

簡潔に事情を説明する宗隆。

「ふーん。」

博士は首を捻った。

「で、なんでお前らは豚なのに喋れるんだ?」

「自分でもわからないでござるよ……。」

島津兄弟はガックリと頭をもたげる。宗隆はそんな兄弟を見て、話を変えた。

「とにかく、薩摩豚パークを襲った変態を突き止めないと、うちの動物園も狙われるかもしれません。師匠と殿の謎はそれが解決してからです。」博士は耳をほじりながら言った。

「顔とか覚えてねえのか? モンタージュ作りゃ良いだろ。特徴を話してみろ。」

博士は鞄から、タブレット端末とペン型マウスを出す。そして、島津兄弟の証言を元に絵を描き、ネットのサイトでリアルな人の顔のCGに加工した。

「博士凄い! 只の変人じゃなかったんですね!」

「本当にそっくりでござる! やはり只の困ったちゃんではなかったでござる!」

「うむ。只の奇妙な男ではなかった。」

感嘆の声をあげる宗隆達に、博士はニヤリと笑った。

「まぁこれぐらい、俺には渋谷アルタ前だ。さて。こいつの顔どっかで……。」

宗隆はこの顔に見覚えがあった。

「前にテレビで見ました。確か高級焼き肉チェーン店の社長で、桐沢なんとかさん。肉が大好きで、世界中の肉を食べ尽くしたいとテレビで言ってたような。」

宗隆は続けて、島津兄弟を見て言った。

「そういえば、何で社長が怪しいと思ったんですか?」

義弘は忌々しげに言う。

「薩摩豚パークが襲われる前。怪しい男が居ると言われて駆けつけたら……。

『美しい……なんと艶かしい……。』

とか言いながら、桐沢はうっとりした目でみんなを見つめ、銀の箸を高々と掲げて動かし、最後には……箸を舐めた! 怖くて泣き出す子豚も居たくらい、非常に不気味でござった!」

宗隆は思わず身震い。

「きもっ!」

一方、顎に手をやる博士。

「銀の箸……銀の箸団か! 文化財でキャンプファイヤーしたり、国宝の刀でスイカ割りやったり、天然記念物の草を天ぷらにして食べる、あのDQN集団か……。」

博士は、目をキラキラさせながら続ける。

「あいつらを敵に回すのか! 会社の社長とかばっかで大変だぞぅ!」

しばしの沈黙ののち、宗隆は目線を下に落として小さく言った。

「……僕の手には負えません。社長に直談判してダメだったら、この件は降りたいです。」


宗隆は、暗く、ひんやりした表情になった。

「大企業を敵に回したら、僕みたいな一般人は、コンクリート詰めで錦江湾に埋められるか、よくて痴漢冤罪で逮捕ですね。だから銀箸団と戦うのは無理です。……僕に出来るのは、師匠と殿の寝食の手配くらいです。」

博士は顎をつきだして自分の腕を組む。

「つまんねぇ奴! 一見確実な道しか選ばないなんてよ。確実に見えて危険な道だってあるんだぜ。若いうちは危険な道の歩き方を学べ!」

宗隆は、博士の目を真っ直ぐに見返す。

「僕は凡庸ですので、スリルのある人生を乗り切る才はありません。難易度の低い道を探して生きていくしかないんです。」

博士は言葉を吐き捨てた。

「お前の頭は保身だけだな!」

その時、宗隆の理性の糸がギターの弦のように音を放って切れた。そして、もやもやした熱いものが体を駆け巡る。

「ああ! そうだよ! 自分を守ることの何が悪い! 自分を守れるのは自分だけだ!」

宗隆はそう言うと、自分の注文したグラタンと島津兄弟のドリンクのお金を置いて、立ち上がった。

「師匠、殿。まだ食べ終わっていないのにすみませんが、帰りましょう。」

義久は座ったまま、静かに目を瞑って言う。

「……我らは縁を切ろう。」

目をパチパチさせる宗隆に、義久は続ける。

「今までありがとう。これからは、鬼ヶ島殿の世話になる。……よろしく、鬼ヶ島殿。」

あっけにとられつつ、頷く鬼ヶ島博士。義弘は義久と宗隆を交互にせわしなく見る。

「義弘。我々はこれ以上宗隆殿に世話にはなれない。」

義久の言葉は、ずっしりとした文鎮のよう。悩む義弘の心は押さえつけられた。彼は俯いて体を小さくして言う。

「今までお世話になったでござる……。」

宗隆は頭を下げて立ち去る。義弘は顔をあげると、優しい声でそんな彼に呼び掛けた。

「……宗隆は何があろうと拙者にとっては弟子でござる。皆の救出もしなければならないから、相談に乗れない日もあるかもしれないが……困ったことがあったら何でも拙者に言うでござるよ!」宗隆は一瞬立ち止まったが。振り向かないで歩き出した。

そして帰宅後。彼は暗く寒い部屋に、灯りと暖房を入れ、テレビも点け、椅子にもたれ掛かる。しばらくぼうっとしていると、明るいテレビの音や光がだんだん遠く薄らいでいく。それと入れ替わりに義弘の言葉がかわりに聴こえてきた。

「何があっても……か。」彼は、窓ガラスに目をやる。

――あの日鹿児島は、予想外の寒波に襲われた。

黒い影が宗隆を起こす。

「宗隆……カギ……。」

「はい……。」

鍵をかじかむ手で何とか黒い影に渡した宗隆は、その影が遠くへ向かうと、再びとろとろと眠りに就こうとした。そんな彼の肩をさすり、起こす声がする。

「寝ては……いけない……。」

夜闇に浮かぶほど白い顔で震える宗隆を、暖かいものが包む。近くに感じた黒い影は義久だった。彼は毛布を被っていない。

義久が珍しく貧乏揺すりしつつ、辺りを見回して少し後。義弘の声がした。庭へ続く窓が開いている。

「こっちでござる……。」声を聞いた義久は、歯をカチカチさせながら固い顔で微笑んだ。義弘はふらふらしつつも、パッタリ倒れた義久と、よろよろあるく宗隆を暖かい部屋の中へ引き摺り入れたのだった。

……今日に帰ってきた宗隆は唇を噛んで立ち上がった。


宗隆は、さつまいも、カブ、おからを島津兄弟用に加工したものをタッパーに詰め、コートを着て外に出た。その途端、冷たい針のような風が彼に近寄ってくる。綿飴みたいな息を吐きながら、宗隆は舌打ちした。

「寒い。地球はサドだ。」

彼は冷たいサドルを擦って温め、自転車に跨がった。深い紺色の空は小さな金色の粒が輝き、お月様がちょこっと顔をのぞかせている。自転車は冷たい空気と迷いを切り裂いて、動物園までまっしぐら。

――そしてしばらくして動物園に到着。入り口には博士と島津兄弟がいた。

「何で……?」

博士は、あじの干物のように干からびてげんなりしている。

「こいつら……めんどくせぇ……明日から走ろうとか、髪の毛をとかせとか……部屋を片付けろとか、オカンかよ。だからお前がきてくれないかなって……。」

宗隆は思わず声を張り上げた。

「さんざん偉そうなことを言ってたじゃないですか! 無責任!」

博士もやまびこのように返事を吐き出す。

「悪かったよ! 冷酷野郎! 桐沢関係は俺が担当するから、お前がメシとか作ってやれ!」

その後も罵りあう二人だったが、利害は一致。島津兄弟は、再び宗隆の家で暮らすことになった。

深い闇夜の中、家路を行く宗隆達。義弘は、首を傾げて宗隆を見上げる。

「どうしてまた拙者達と暮らすことにしたでござるか?」

宗隆は、ちょっと間をあけると無表情で言う。

「師匠や殿と一緒に暮らしている方が得だからです。世間体とか、色々。」

義弘は頬を膨らませる。

「まったく! 宗隆は計算高い!ひどいでござる! 兄上もそう思うでござろう!」

義久は黙って微笑んでいた。


島津兄弟が動物園で働き始めて二週間が過ぎた。

今日は休日。元気なお日さまが薩摩動物園に光と客をもたらしている。義久は、豚が冷茶やお菓子をお客様に運ぶ豚茶屋を監修していた。場所はピクニック広場。芝生がさらさらゆれて、人々の談笑が聞こえる中、義久はてきぱきと指示を下す。

「ぶーの助。これは三番テーブルに頼む。」

「はい!」店員用のチューリップハットを被ったぶーの助は、元気よく返事をした。そして背中にくくりつけられた箱(背負う側は柔らかいカバー付き)の中の茶がこぼれないよう、慎重に歩き出した。そしてすぐに三番テーブルにたどり着く。

「はやーい! ぶたさんありがとう!」

豚の髪飾りを着けた小さな女の子は、そっと箱を開けるとお茶とお菓子を出して静かに蓋を閉めた。ぶーの助がペコリと頭を下げた直後。周りから警報の声がこだまする。ぶーの助は顔を上げた。女の子目掛け走りくる丸い物体が視界に入る。ぶーの助はとっさに飛び上がった。丸い物体はぶーの助のチューリップハットに跳ね返され、無人地帯に方向を変えて走って行く。「菜々! 痛いところはない!?」

両親は怪我がないか注意深く女の子を見る。

「ないよ。それよりぶたさん……。」

両親は深く長い息を吐くとしゃがんでぶーの助に言った。

「ありがとう。あなたは大丈夫?」ぶーの助は深く頷くと、カウンターへ戻っていった。

一方、義弘は元いじめっこ豚のぶー吉と豚のアスレチック走を見守っていた。これも同じくピクニック広場。柵を設け、その中で豚が、ハードル、ネット、坂のあるコースをぐるぐる回るのだ。柵の中では、ドタドタと豚達が勢いよく駆け回っていた。トップのぶーまは、勢いよくハードルをなぎ倒しながら走る。一方、新しく参加したぶーめらんは潜ってしまっていた。

「ずるい!」

子供達からブーイングが飛ぶ。ぶー吉は唸った。

「あのハードルはもう少し低くした方がいいんじゃないすか。」

「そうでござるな。……それにしてもお前が豚プロレスを廃止したがるとは思わなかったでござるよ。」

ぶー吉は口を尖らせた。

「毎回オレがヒールで技を食らいまくりだったんすけど! ……まあ自業自得ですがね。」

義弘は暖かく微笑む。

「拙者は、ぶー吉はきっと改心すると信じていたでござるよ。改心を促す取り巻きが居たでござるからな。」

「改心しなかったらどうしたんすか?」

「普通にぶっ殺したでござるよ。……あ、兄上! 南田殿。お疲れ様でござる!」

初日から島津兄弟の世話をしてくれている南田は、

周りの客に挨拶しつつ、笑顔で二匹に駆け寄って来た。

「いつもありがとう! はい! 差し入れ!」

南田は、芋の入った皿を島津兄弟とぶー吉の前にそっと置く。さらに、違う皿にペットボトルから水を注いだ。彼女はしゃがんで、島津兄弟達を見回しながら言った。

「みんな頑張ってるから、豚係りからプレゼントをあげる! あんまり高級なものは難しいけど……その場合は出来るだけ代わりのものとか探すから教えて!」

義弘の訳を聞いたぶー吉は、南田へ訴えかけるように見つめ、ブーブー鳴く。

「ぶー吉は紫芋が食べたいと言っているでござる。」義弘の通訳を聞き、南田は頷く。そしてぶー吉の頭を撫でながら言った。

「生の紫芋は沖縄から持ち出し出来ないけど、みんなのご飯用に加工されたものはあるかも! 探してみるよ。ぶー吉も頑張ってるからね!」

義弘がぶー吉に説明すると、彼は嬉しそうに飛び跳ねて鳴いた。南田は優しくそれを見守ると、島津兄弟に目線を移す。

「みんなにもアンケートをとってもらえるかな? それから、義久さんと義弘さんは、何が欲しい?」

「私は気持ちだけで十分だ。」

「拙者も。」

南田は、首を傾げた。

「うーん……。そうだ!」

彼女は大きな目を三日月のように細め、芍薬の花のように、まあるく可愛らしく微笑んだ。

「じゃあ、伊東君にプレゼントしたいものはない? 一緒に買いに行こう!」

「……では、お言葉に甘えて、口紅を所望する。」義久の言葉に絶句する南田。義弘は慌てて言った。

「こ、今度博士との飲み会で、女装することになってしまったでござるよ!」

南田はため息をつく。

「……博士なら言いそうだね。悪い人じゃないと思うけど……。女装させるなんて、ちょっとどうかな?」

義久は、南田を安心させるように落ちついた声と眼差しで言った。

「南田殿。ご心配には及ばぬ。これは宗隆本人の意志である。よい経験になるから大丈夫だ。」

南田が居なくなると、義弘はため息をつき、昨夜を思い出した。

――宗隆は、桐沢の被害にあった動物園がないか、女装して調査することにしたのだ。義弘は二本足で仁王立ちして反対したが、正体がバレるのを恐れた宗隆の決意は固かった。義久は、義弘をポン、と叩く。

「宗隆の覚悟を無駄にしてはならん。」

「三十八……三十九……四十! 腹筋終わり……。」窓が朝の青空模様になった部屋で。宗隆は仰向きになったまま、虚ろな目で天井を見つめている。

「……今日は非番だから寝ていたい……のに……何で朝に走るだけじゃなくて……腹筋や背筋や……腕立て伏せもやらなきゃいけないんだ……。めんどくさっ!」

彼はぶつぶつぶつぶつと愚痴を溢した。今日は兄弟は勤務中。家にいるのは宗隆のみ。

「何が、

『人間何が起こるかわからないから体を鍛えるでござる!』

だよ! 事件に巻き込まれたら警察に行けばいいし、病気になったらびょ……医療費高いな。」

結局、宗隆は手抜きしつつも腕立て伏せと背筋もこなし、シャワーを浴びて服を着替えた。淡いパステルカラーのセーター、スカートなど、極めて女性らしい服装だが、華奢で柔和な顔立ちの宗隆にはよく似合う。彼は鏡を見てため息をつくと、化粧をし、激安の女物コートを纏って家を出た。その途端、冷たい風が彼にすりよってくる。

「寒っ! スカート寒っ! タイツ履いてるのに寒っ!」

彼は駆け足で駅に向かい、桐沢が狙いそうな動物が多い動物園へ向かった。

――しばらくして到着した動物園は、平日だというのにそこそこ盛況だった。

宗隆は忙しなく働く飼育係さんに、躊躇しつつも声をかけ続ける。しかし、何人かに声をかけたものの、目撃情報は無かった。

これで最後の一人。宗隆はそう思って近くの飼育係さんに声をかけた。


「あの……お忙しい中すみません。テレビで有名な桐沢社長の、お気に入り動物は、このエミューちゃんですか?」

餌をあげていた係員の女性は、首をかしげた。

「桐沢社長ってあの? 来たらかなり目立つからわかるはずなんだけど、聞いたことないですね。」

宗隆はふいに、もう一つ気になることを尋ねた。

「ありがとうございます。……あの。あと一つ。薩摩豚パークって聞いたことはありますか?」

「ないです。」

宗隆はお辞儀をすると、小さく呟いた。

「ここは白か……。それにしても薩摩豚パークを何でだれも知らないんだろ。西井も南田も知らないって言うし。ネットにも地図帳にもない。師匠も殿も名前を覚え間違いしてるのかな。」

ため息をついた時、宗隆はポンと肩を叩かれた。

「おねぇさん一人? 一緒に遊ぼうよ!」

振り替えると、どう見ても柄の悪い二人組。宗隆は同行を断るが、強引に腕を掴まれる。仕方ないので屁をこく宗隆。

「なんて下品な女だ!」

「汚い! 触るんじゃねぇ!」

宗隆は二人組が走り去るのを見届け、ボソリと呟いた。

「薩摩隼人とまではいかなくても、薩摩並人くらいにならないと駄目だな。」

彼は、この日から本腰をいれることにした。

――結局、もう一ヶ所動物園を巡ったが特に情報はなく。彼は書店で桐沢関係の本をペラペラめくると、買い物をして帰宅した。

バレンタインの三日前、閉園後。一匹の白狐に話しかける茶髪の若い男がいた。「最上さん! 聞きたいんだけどさ……。」

最上は逞しく、知的な雰囲気の白狐だ。彼は鮭を食べながら、軽く頷いた。

「南田ってさ、俺のことどう思ってるかな?

結婚してください、好き、普通、嫌い、死ねの中だとどれ?」

最上は即答する。

「普通。」


「だよな! だよな! だよな!」

最上は悔しがってゴロゴロ転がる北見を起こすと、諭すように言った。

「お前は、黙っていれば男前なんだけどねぇ……言動が残念すぎるんだよ。もっとどっしりと構えて、落ち着いて行動しなさい。」

「落ち着けない! 好きだから! 好きだから!」

「床にヒビが入るから止めなさい。……まぁ、南田殿はとても可愛らしくて優しい方だから、恋い焦がれる気持ちはわからないでもないが……。あのように素敵な女性なら、彼氏がいるのではないか?」

北見は目を見開き、ロダンの彫刻のポーズになって考え込んだ。

「まさか……西井? でもあいつは彼女いないと言ってたし……。そういえば最近、伊東と話している姿をよく見かけるな。もしかして伊東は南田を狙って……。」

彼は目の色を変えて叫ぶ。

「決闘だァァあァァ!」

北見は野太い声で叫ぶと、最上の静止を振り切り、走り去った。

――その頃。

「なんでそんなに急ぐでござるか?」

「……高校時代を思い出しまして。」

宗隆はさっさと帰り支度をしていた。そして彼らは、いつものようにランニングして帰る。帰り道にスーパーの特売で義弘が好きな大根などを買って家に到着すると……上半身裸の若者が庭にいた。何やら合気道のような、拳法のような、謎のフォームで突きや蹴りを見えない相手に繰り出している。宗隆達は黙ってまわれ右をした。しかし北見は宗隆達に気が付いてしまった。彼はフラミンゴのようなポーズをとる。

「きぇーッ!」宗隆はガクガクしながら後退りしたが、深呼吸をすると落ち着いて言った。

「アイスクリームを冷凍庫にいれてくるから、ちょっと待ってて。」

北見は頷いた。

「キェァアヒィー!」

宗隆と島津兄弟は急いで部屋に入り、鍵を閉める。そして食品を冷凍庫や冷蔵庫に収納した。宗隆はため息をつく。

「さすがに、同僚を警察につき出すわけには……でも外に出たら身の危険が……。」

義弘は北見の動きをじっと見ている。

「男なら戦え! と言いたいでござるが……レベルが違いすぎる。彼は体格といい、一般人とは思えない身のこなしでござる。プロの格闘家と言ってもよい。意味不明な動きが多いでござるが。彼は一体……。」宗隆は頭を抱えた。

「狐係りの北見君です。元ヤンキーの……。」

それを聞いた義久は、結論を出した。

「あと一時間位部屋にこもって、相手が疲れた頃に話し合おう。」

宗隆は頷き、夕飯の支度を始める。最近は島津兄弟も手伝うようになり、仲良くもやしのひげを取る。しかし。宗隆が夕飯をテーブルに置き始めた頃。ふと窓を見た宗隆は、窓ガラスに顔と手をくっつけて、こちらをじっと見る北見と目が合った。宗隆は口を大きく開けて仰け反った。

「お、お待ちどうさま。夕飯出来たよ。」

北見は窓ガラスの向こうから黙って睨んでいる。そして、バン! と窓ガラスを一度叩いた。涙目になる宗隆の踵に、義久は、火星のマークをマジックで書く。

「お前におまじないをかけた。これで足が普段より微妙に速くなるであろう。」

「宗隆! 本当に危険な状態になったら拙者が飛び出すでござる!」

二匹はチェストいけー! と叫んで窓を指す。

宗隆は仕方なく外に出た。 「き、北見君、何の用?

とりあえず服来なよ。風邪引くし、わいせつ罪で捕まるよ。」

「男は拳で語るのみ。」

無言で拳を繰り出す北見。風を深く切り裂く音がする。鎌鼬の嵐の中、宗隆はなんとか拳も蹴りも避け続けている。しかし彼は元々あまり体力がない。だんだん息が荒く、深くなり、目が虚ろになってきた。義久は今にも飛び出しそうな義弘の腕を引っ張った。

「大丈夫だ。」

宗隆は北見の拳を何とか避けながら言った。

「……卑怯……者。」

「お前に言われたくねぇよ!」

ごもっともであるが、宗隆は冷静に続ける。

「僕のは身を守るための卑怯。北見君のは自分の望みを強引に押し通す卑怯。どっちが悪質かは明らか。

僕に体力がないのを知っているのに、問答無用で襲いかかるなんて。人としてどうか……。」

かなり自分を棚に上げている宗隆。しかし彼は何となく北見を説得できる気がしていた。その予想通り。北見は自分の顔をひっぱたくと下を向いた。

「お前の言い分は自分を棚に上げててムカつく!

俺を騙して夕飯の支度を始めた所もムカつく!

でも……確かにお前がひ弱だってわかっているのに、待ち伏せして襲いかかったのは悪かった。」

宗隆もふらふらしながら謝る。

「こっちこそ、騙してごめん。とりあえず、ご飯食べない?」

北見の腹が返事をした。


……数分後。

「なかなかうめぇぞ! 野菜だらけだけどよ! 只のネクラじゃなかったんだな! おかわり!」

宗隆は一人暮らしが長いため、そこそこ料理はできる。

今日はハンバーグと蒸し野菜、にらともやしの炒め物、桜島だいこんの味噌汁。デザートはコーヒーゼリー。

食べ終わった北見は、ポツリポツリポツリと降り始めの雨粒が落ちるように、静かに言った。

「南田を好きになったのは……入社説明会の時だった。筆記用具を忘れた俺に、南田はボールペンを貸してくれたんだ……。一目惚れだった……。」

北見は続ける。

「それから……俺が落ち込んでいた時には……声を掛けてくれたり……でも……あいつは誰にでも優しいんだよな……だから好きだけど、だから寂しい……。」

宗隆は、たまたま南田と話をしていた時、北見がじっと自分を見ていたことを思い出した。

「そうだよ。だから僕にも優しい。……でも、南田が好きなのは僕じゃない。北見君でもないけど。」

項垂れる北見。

「じゃあ……誰だ……でも知るのも辛い……。」

義弘が口を挟んだ。

「西井殿でござる。こないだ買い物に行った時に気がついたでござる。」

「……やっぱり! やっぱり! やっぱり!」

北見は椅子から落ちて転がり出した。そんな彼を一瞥すると、宗隆はちょっと眉間にシワを寄せて言う。

「何でバラすんですか? 勝手にバラされる南田の気持ちも考えて下さい。」

義弘は宗隆と北見を交互に見て言った。

「宗隆、北見殿。二人とも普段から西井殿に色々助けてもらっているでござろう? 今回は恩返しできるチャンスでござる! 西井殿と南田殿をくっつけるでござるよ!」

宗隆はあっさり決断した。

「でしゃばるのはアレですが……西井もフリーだし、南田に好意を持っている感じだったから……そうですね。二人を見てると、このままじゃ埒があかない。」

宗隆は遠慮がちに北見を見る。

「ごめん。」

北見はゴロゴロ転がりながら、しくしく泣き出した。

「そんな簡単には諦められないぜ……でも…西井じゃ仕方ない……。あー! 俺はしばらく立ち直れない! 心がこっぱだぜ……。」

北見はしくしく泣きながら、眠ってしまった。宗隆は一生懸命揺らしたが起きない。彼はため息をつくと、職員名簿から北見の家の電話番号を探しだし、家族に連絡した。そして島津兄弟と一緒に彼を持ち上げると、客用布団に寝かせる。宗隆はため息をついた。

「西井は、鬱陶しい僕だけじゃなくて、こんなめんどくさい北見君の面倒まで見てたのか。気の毒に……。」

――二月十四日。閉園後。天涯の黒い布に刺さった縫い針のように、お星様がキリキリキラキラ光る夜。宗隆達は、氷のように冷たいアスファルトの園内を歩いていた。西井と南田は笑顔である。

「イタリアンかぁ。ナポリタンが好きだから楽しみだ。」

「私も! 楽しみ!」

宗隆は三人と二匹で食事し、自分と島津兄弟が先に帰るという計画を立てた。しかし。いきなり現れた北見が西井をずるずる引っ張って行く。

「南田! 西井を三分借りるぜ!」

慌てて追いかける宗隆、島津兄弟、西井。南田に会話が聞こえない距離まで走った北見は、涙目で言った。

「南田はお前が好きだ! 本当はお前も南田が好きって気がしてた……。だから……お前が南田と付き合わないなら絶交だ!」

追いかけようとする西井を引き留め、宗隆は北見を追いかけた。

「北見君は僕が。それより南田のところへ! 夜に女一人は危ない!」

――北見を追いかける宗隆と島津兄弟。北見は手足をカクカクさせ、背中を丸めて走っているのだが。なぜかどんどん彼の姿が遠く小さくなっていく。

「あんな奇妙なフォームなのに何で早いでござるか! 宗隆! もっと早く走るでござるよ!」

「これが……限界です。」

宗隆は以前より体力がついたものの、スピードそのものが足りない。距離はどんどん開いていく。

「私が先行する。義弘は宗隆を乗せて走れ。」

「承知したござる!」

義弘は立ち止まり、遅れてきた宗隆を乗せて走り出す。

「しっかりしがみつくでござるよ!」

宗隆が義弘に乗って耳をつかんだ瞬間。義弘は特急で走り出す。

「ぁああァァ落ちる落ちない落ちるぅ!」

宗隆の絶叫を無視して義弘は走る。その甲斐があり、北見と義久には何とか追い付いたのだが……。なんと北見はイルカプールの柵を登っていた。義久が何とか彼の銀色のコートにぶら下がって止めているが、コートは裂ける寸前。

「殿!」

とっさに宗隆はコートを脱いで、義弘とトランポリンのように拡げ持った。義久は無事に服の上に着地。

しかし義久の無事を見届けた北見は、真冬のイルカプールに飛び込んだ。

「嫉妬で頭の中がマグマみたいだ! ちょっと頭を冷やすぜ!」

「ちょっとどころじゃねえ! やめろ!」

宗隆の突っ込みを無視し、キレイに飛び込む北見。

彼は直ぐ様水面に浮かび上がり、華麗に泳ぎ出す。北見が運動神経がよいことを思いだし、ほっとした宗隆達。しかし。北見に異変が起きた。バタバタ手を上げて何か訴える彼。

「足がつった!」北見はプールに飛び込んだあとに足がつってしまった。彼は必死でバタバタ水面に浮かんでは潜るを繰り返す。幸いなことに園内の街灯が北見の銀色のコートに反射し、目印となっている。だが、イルカプールは深い。急を要するのにも関わらず、宗隆の運動神経では柵は登れない。宗隆は一瞬頭が真っ白になったが……。

「ちょっとどいてね。」

いつの間にか、白狐・最上が背後に立っていた。

「まったく! あの子は!」

最上は柵を掴み、あっという間にぐにゃりと拡げた。そこから宗隆達は侵入。義弘はプールに飛び込み、義久は北見に浮き輪を投げた。一方、宗隆は医務室に電話しながら、イルカトレーナーさんを探しに走る。

騒ぎの現況の北見は。近くに浮き輪があるにも関わらず。混乱していた。

「ギャーッ! ヤバい! ヤバい! ヤバい!」

「今行くでござるよ! ……ちょ、離れるでござるよ!」

北見の近くにたどり着いた義弘だったが。黒い水面はブラックホールのように彼らを吸い込む。

義久は腹の底から叫んだ。

「義弘! 近くに浮き輪がある!」

「浮…き輪…。」

義弘は潜ったまま北見の鳩尾に一発お見舞いした。北見は動かなくなる。

続いて義弘はそんな北見を何とか浮き輪に乗せた。

一方、最上は。

トレーナーさんを連れ帰った宗隆からベルトを引っこ抜くと、ベルト金具をちぎって釣り針型フックにした。

ズボンが落ちたが、緊急事態なのでそれどころでない宗隆。彼は唇を噛んでじっと北見と義弘を見つめていた。ちなみに彼は下にハーフパンツを履いていたので、公衆良俗には反しない。最上は辺りを見回す。

「何か紐はないかい?」

トレーナーさんは、ショーで使われた長縄を渡した。

「ありがとう。」

彼は長縄をベルト金具にくくりつけ、浮き輪めがけて投げた。見事に浮き輪に引っ掛かる。

「最上殿さすがだ! 引っ張るぞ!」

義久、最上、トレーナーさん、宗隆は、プールサイドにしっかり足を踏ん張り、浮き輪と義弘達を引っ張った。

宗隆達は見事に北見を救出。駆けつけたお医者さんにより、命に別状がないとわかった宗隆達は安堵した。

―次の日。

灰色の空の下。雪女が近くで息を吹き掛けているような冷え冷えとした日。宗隆と北見はプール掃除に駆り出されていた。

宗隆は喧嘩をしていたら北見が飛び込んだと皆に説明した為、連帯責任を取らされたのだ。北見は真剣な顔で宗隆に頭を下げた。

「失恋のショックだっていうのを伏せてくれてありがとな。昨日は本当に悪かった。今日の昼はおごる。あとベルトも弁償する……。」

宗隆は眉間に皺をよせて、顔を真っ赤にして言った。

「僕は大したことしてない。それよりも飛び込んで助けた師匠は北見が抱きついたせいで危なかったんだ! それに一生懸命浮き輪を引っ張った殿、白い狐さんにも謝りなよ。」

項垂れる北見に、宗隆は続ける。

「あと、掃除が終わったらトレーナーさんと、お医者さんにお詫びに回るよ。帰るところだったのに、わざわざ来てくれたんだから。菓子代半分出してよ。」

萎びた花のようにヘナヘナする北見。それを見て宗隆は、白い狐・最上が許してやってくれと言っていたのを思い出した。ちょっと口調を柔らかくする。

「ベルトは……白い狐さんが北見君を助けるためにちぎったんだからいい。……狐さんに免じて僕はもういいよ。」

「本当にごめん……。」

宗隆と北見が黙々と掃除をしていると、西井がやって来た。昨日の騒ぎを他の友人から聞いて駆けつけてきたという。お前は関係ないから帰れ、という二人に、西井は言った。

「両想いになれたのは、二人のおかげだから。それに……友達だろ。」

西井は爽やかに微笑むと、黙々と掃除をし始める。宗隆と北見は、その背中が男らしく、立派に思えた。

しかし宗隆は南田のことが気になった。

「でもせっかく両思いになったのに放って置くのは……。今日は西井も南田もシフト休みだよね。」

「かなが行けって言ってくれた。それに昨日は一晩中一緒だったから。心配してくれてありがとう。」

宗隆は舌打ちをした。北見も無言でデッキブラシをガシガシ床に叩きつけ始める。宗隆は思わず言った。

「お昼は西井のおごりでよろしく。北見は何が食べたい?」

北見はデッキブラシで床をまだガシガシ叩いている

「……村上寿司の水軍握りの松。」



「伊東君、背筋伸ばして! ……そう! はい頭から!」

風に飛ばされた冷たい小さな白い結晶が窓で花咲く日。人々の熱気と文明で暖かい部屋に宗隆の音波が響く。

「私は〜イモーヌ〜 芋の妖精〜 もっさりしてると言わないで〜♪」

ドレス姿でピアノを弾いていた中年女性は、満足そうに微笑んだ。

「やっと音程通りになったわね。では芋武士の皆さんもご一緒に、頭から最後まで通しでお願いします。」

芋武士の男達は、野太く元気よく返事をした。

陽気なピアノに、低く艶やかな芋武士の声と甲高く脱線気味の宗隆のハーモニーが重なる。見守っていた島津兄弟は思わず二本足で立って拍手した。


――一週間後。宗隆は島津兄弟と冷気漂う家路を行く。暗い景色に、宗隆の腕、島津兄弟の足に巻いたお揃いの反射シートがキラキラ浮かぶ。最近、島津兄弟はときどき二本足で歩くようになった。

「裏声で話せとか言われるし、事前から言ってあったのに音痴過ぎると未だに呆れられるし、何故こんな目に。着ぐるみは重いし疲れました。」

口角をピクピク上げてぐちぐち愚痴る宗隆に、義弘はニコニコしながら言った。

「拙者は面白かったでござるよ!」

「真面目にやってたのに、笑うなんてひどいですよ! 真剣に見てくれた殿を見習って下さい! 所で、豚ど……皆さんはホワイトデーは何をやるんですか?」

義久が口を開く。

「アスレチック走、芋食い走など、数種目の運動会を開催する。それから特設ステージでは、湯飲みを添えてジャンケン大会勝者にお渡しする。こないだお前が連れていってくれた窯元で焼いていただいたものだ。本日、動物園に届いたが、中々良い出来であった。特に義弘作成のものは素晴らしい。お客様にもご満足いただけるだろう。」

義弘はもじもじした。

「誉めすぎでござる! それにしても、宗隆のイモーヌは楽しみでござるよ。」「僕はちっとも楽しみではありません。」

宗隆は高速でカリカリと人参をかじるウサギのように続ける。

「爬虫類係は道三さんが賢いから、動物園で一番楽なのは認めます。でも、野郎が女の子の着ぐるみを着るなんて夢ぶち壊しですよ。北見はショックを受けていました。西井の頼みじゃなかったらやってません。」

義弘はため息をついた。

「全く! 宗隆は愚痴やネガティブな話が多い! 一度引き受けたのだから頑張るでござるよ!」

宗隆は言い返そうとしてはっとした。話が出来る豚がいるから『言い返す』ことが出来る。腹立たしいことはあっても反応が反ってくる方が楽しいと宗隆は思うようになっていた。

「……愚痴や話を聞いてくれる豚がいるっていいですね。」


――一方。閉園後に西井は虎の加藤と話をしていた。「かながイモーヌをやるのは心配でしたが……他に方法はあったかも知れないし、伊東には悪いことをしました。あ、加藤さんありがとうございます。」

加藤は二本足で立つことが出来る。彼は凝り性の西井の肩を叩いてやりながら言った。

「お前にはいつも部屋を綺麗にしてもらってるからな! 伊東の件だが、たまには迷惑掛けたっていいんじゃないのか! こないだ高い寿司を奢ってやったんだろ? お前は悪くないのにプール掃除も手伝ったしな。」

「あれはかなとの仲を取り持ってくれたお礼ですから、今回の件とは別ですよ。村上寿司の板前さんも親切な方で、オマケして下さいましたから、大したことではありません。」

「でも朝早くにネタの仕入れを手伝わされたろ。 お前、無理ばかりすると早死にするぞ! それに気を使われ過ぎると逆にこっちが疲れる。」

「そうなのですか……気を付けます。

……加藤さん。そろそろ、島津さん達に話しかけたらどうですか? いい人達ですよ。」

加藤は一瞬下を向いて黙ったあと、再び口を開いた

「わかってる。でも、施設のことを忘れてるなら、そっとしといてやったほうが良い気もするんだ。

俺はそんなにトラウマではねえけど、やっぱりきつかったからな。脱走したいと言ってる奴もいた。」

加藤はそう言うと、クレヨンで塗り潰したような夜空を見上げた。

三月は鹿児島県もまだ寒い。窓の隙間から侵入する冬将軍を、エアコンの風壁で防御する日々である。島津兄弟は完全に二本足で生活するようになっていた。宗隆は彼らにますます謎を感じつつも、穏やかに日々を過ごした。

「おお! ご馳走でござるな! 兄上の誕生日だからでござるか?」

今日は三月五日。義久の誕生日である。

「はい。」

匂いにつられ、義久もやって来た。

「……安納芋か。私は芋の中でも特にこれが好きだ。……ありがとう。」

義久は何時もより柔らかい顔で言うと、ペコリと頭を下げる。そして台所を出ると小さく鼻歌を歌い始めた。宗隆と義弘は、顔を見合わせて微笑んだ。

――その翌日。非番の日の夜。宗隆は、とある山に居た。彼は歯をカチカチさせ体をさすった。

「まじで寒いんですが。あり得ないんですが。」

「お前は佐々成政の情熱を見習え! ……シッ。銀箸団だ。」

博士は元銀箸団の男から情報を得て、この山中に宗隆を伴ってやってきた。銀箸団キャンプに潜入し、桐沢の情報を得ようと言うのだ。無謀なのではないかという宗隆に、博士は低く小声で囁く。

「俺の帽子に付けたカメラで記録をとれるし、随時動物園の地下室のPCにも映像が流れるようになっている。そこには叔父さんも待機してるから、いざとなったら警察官を呼んでくれるぜ。まぁ無駄死にはならねぇから安心しろ。」

博士と宗隆が岩影に隠れてひそひそ話をしている間にも、銀箸団は天然記念物の草花をむしり、賑やかに天ぷらを揚げている。

「じゃ! カメラ宜しく!」

「はいぃ?」

博士は、自前の銀の箸と本を持って銀箸団へ向かっていった。


――宗隆の心配をよそに、博士はすっかり銀箸団に馴染んでいた。

「天ぷらは、音で温度を計るんです。」

科学実験の如く、慎重に天ぷらを揚げる博士。おーっと歓声が上がる。宗隆は念のため、物影に隠れてビデオを回している。博士はさりげなく桐沢の話を持ち出した。

「所で、今回は桐沢社長は来てないんですか? サインしてもらおうと思って、以前出版された本を持ってきたんですよ。」

博士が本を見せると、近くにいた男が口を開いた。気品と知性のある印象的な紳士であった。

「桐沢さんは今年、大変なんだよ。ほら、牛の伝染病が流行っただろう。あれの処理で会議以外は来てないんだよ。」

「そうなんですか。ありがとうございます。あ、肩にゴミが。」

たまに気が利く博士。紳士の水色のダウンについていた羽を取ってやる。羽を見せられた紳士は一瞬険しい目付きになったが、微笑んだ。

「どうもありがとう。羽は私が捨てるよ。それにしてもお見苦しい所を見せてしまったね。恥ずかしい限りだ。」

「いえいえ。お気になさらず。」

踵を返して歩き出す博士を紳士は見送る。その後も博士は飯盒炊飯を手伝いつつ、桐沢についての聞き込みをした。博士は、悠々と宗隆のところへ戻ると、断言。

「桐沢はシロだ。島津兄弟の豚パークが襲われた日は、ずっと役員と会議したり会社に缶詰めだったそうだ。そもそも牛の伝染病の処理で忙しいらしいから、豚パーク襲撃どころじゃねぇと思う。それに桐沢の焼き肉チェーンは豚肉がメニューにねぇし。襲うメリットがわかんねぇ……非常に言い辛れぇんだが。」

珍しく言葉を濁す彼。宗隆は話の続きを急かす。

「何ですか?」

「島津兄弟は何なんだ? そもそも人里離れた場所だからといって、薩摩豚パークを誰も知らないって変だろ。地図にも載ってねぇし

……お前も本当はうすうす気づいてたんじゃねぇか?」

宗隆は一瞬黙った。そして目を伏せて語りだす。

「……仰る通りです。でも、彼らは嘘はつきません。特に師匠は顔にでますから。師匠も殿も、ショックで時系列があやふやなのかもしれません……。」

博士も頷く。

「確かに嘘をついてるとは思えねぇな。桐沢が違うなら、犯人は誰なんだよ。せっかく山まで来たのによ!」

手掛かりを失い、二人は黙り混む。そんな中、博士はこっそりポケットに忍ばせていた天ぷらを出した。

宗隆はそれを凝視した。

「博士は食べなかったんですか?」

ああ、と答えると、博士は天ぷらの衣をていねいに取った。そしてペットボトルの水をコップに入れると、その中で水切りをする。

「普通の草とすり替えられりゃよかったが……まぁ供養してやろう。」

博士はそっと天然記念物の草を埋めた。さらに。

『天然記念物 織田急草ここに死す』

と小枝に書き、地面に刺す。宗隆は首を傾げたが、取り敢えず手を合わせた。

博士は真面目な顔で言う。

「……あいつらの記憶に問題があるなら、それ専門の奴に頼むしかねぇな。」

頷く宗隆。しかし。ふいに博士の表情が変わった。彼は口の片端を上げて、ニヤリと笑いだす。

「良いこと思い付いた。」忘れたらどうか、と宗隆は勧めたが、博士は無視した。

「……ショック療法しかないか。ヒヒヒ!」



山から帰った次の日。磨りガラスの空からの間接照明が部屋に刺す朝。宗隆はサーモンピンクになっていた。砂を呑み込んだような声で、彼は言う。



「……ぢがよる……どうづり……ま……ず……。」

「しゃべっちゃダメでござるよ! 三十八度か……とりあえず水分補給でござる。」

彼は、薬局で買ってきた脱水症防止用水を宗隆に与えた。そして、熱冷ましのシートをおでこに貼ってやる。ひんやりとした感触に宗隆の顔は少し柔らかくなる。その直後。義久が帰ってきた。ゴミ捨てに行ってくれたのだ。

「他には?」

「……ありが……と……ござい…まず。……あ…どば…ない…で…ず。」

宗隆は時計を見た。彼は有給を取れたが、島津兄弟もホワイトデーのイベントの予行練習がある。

「ダグジーよぶのでどうぶづえんに……。おぎゃぐざまが…までまず。」

義弘は思わず手をバタバタさせた。

「何を言うでござるか! イベントは兄者もいるから大丈夫でござる。拙者は医術の心得があるから看病するでござるよ。ゆっくり寝るでござる。」

義久も宗隆の肩に手を置いて言う。

「こっちは大丈夫だ。安心してゆっくり休め。」

「ぼんどにぐあいがわるがだらでんわじまず。だいじょぶでず。」

彼は手を振動させつつ西井達にメールし、

何とか水を一口飲んでから、島津兄弟に言った。

「ぼぐど、ばがぜば、じじょう゛どどののぎおぐはむじゅんじでるどおもてます。うぞをいでるとおもてまぜん。ただ、だいじなぎおぐがぎえでるが、かんちがいのきおぐなんじゃどおもうでず。」

下を向く兄弟。

「確かに……自分でも大事な事を忘れている気はする。」

義久の言葉に頷く義弘。宗隆は続ける。

「ばがぜばいのぢにががわるこどまではしまぜんが……ごういんになにがをおもいだざぜるがもしれません。いぢお゛ぎおづげでくだざい」

彼はそう言い終えると、ペット可タクシーに彼らを乗せ、帰りのタクシー代も持たせた。そして今度は博士宛にもメールを送る。

『オークションで落とした耳長教の人々のDVDを貸しますから、師匠と殿には手を出さないで下さい。』

メールを打つと、彼は携帯を枕もとに置き、目を閉じた。


……その後。島津兄弟は宗隆を心配しつつも、ホワイトデーのイベントの予行練習に参加していた。舞台袖で蛇の道三さんと一緒になる。挨拶する兄弟に、道三さんは言った。

「お主達、あの館の出身ではないか?」

義久は首を傾げる。

「あの館とは?」

道三さんは無表情に言った。

「違うのなら良いのだ。それより……。」

島津兄弟は思わず二本足で立ち、道三さんの入った篭を掴んだ。

「教えてくださらないか。」

「話して下されば思い出せるかも知れないでござるよ!」

道三さんは溜め息を吐くと低い声で語った。

「静かにしてくれ。……動物を拉致して売り飛ばしたり……知能の高い動物にはスパイ活動等を仕込む、金豚団の館だ。我はそこから送り込まれたスパイだったが……脱走してこの動物園へ逃げた。地球は火星より動物が希少だから、待遇も居心地もよいからな。ちなみに虎の加藤殿、狐の最上殿もそうだ。」

島津兄弟は頭がくらくらしてきた。金豚団という言葉に聞き覚えがあるのだ。彼らは目を閉じ、暫くするとゆっくりと開く。彼らはすべてを思い出した。

目が、戦闘種族のような険しい眼差しになる。

義久は道三さんにお礼を言うと、ため息をついた。

「……斎藤殿のお陰で、全てを思い出した。私達もその館に誘拐されたのだ。……だが、もっと早く思い出せればよかった。やつらは来月、ここを襲撃しにくる。」

道三さんは目を見開く。

「……襲撃にくる人数・装備は?」

道三さんの問いに義弘は答えた。

「詳しい人数はわからないでござるが、ここの動物園は火星では珍しい皆さんが沢山おられるし……あの団体は経営難だから、今度の襲撃に賭けているでござろう。」

―リハーサルを終えた島津兄弟。義弘は、義久に明日の豚達の芸の指導を託して早退した。彼は家につくと、そーっと宗隆の様子を見る。宗隆は眠っていた。

「父さん……母さん……。」

宗隆はたまに、寝言で両親を呼ぶ。義弘は普段熟睡しているので、宗隆の寝言を初めて聞いた。

彼は涙目になりつつも、宗隆の額の保冷剤を取り替えてやった。

翌朝。宗隆は温くなった熱冷ましのシートを剥がし、おでこを触った。彼は長い息を吐く。顔色はいつものちょっと白い顔に戻っていた。そして発声練習をする。

「あ…あ…あ……喉が痛くない。」

空は宗隆の体調のように青信号だ。カーテンと床の隙間から光が射し込む。

目を覚ました彼の傍らには。熱冷ましのシートを持ったまま寝ている義弘、こちらをじっと見ている義久が居た。宗隆は義久と目が合う。義久は水を注いで宗隆に渡した。宗隆は受けとるとお辞儀し、あっという間に飲み干す。

「大丈夫か?」

「大丈夫です。もう起きられます。看病ありがとうございました。」

「礼なら義弘に言ってくれ。さっきまで起きていて、お前に付きっきりだったのだ。」

そういうと、義久は義弘にブランケットを掛けた。

そして宗隆には、手紙を渡す。

「朝御飯は、西井殿、南田殿、北見殿が作っておいてくれた。おまけに冷凍食品の補充も……。ありがたいことだ。それから書き置きを預かっている。」

宗隆は折り畳まれた紙を開く。……そこには、宗隆を心から気遣う思いが溢れていた。彼はこういう手紙を両親以外に貰ったのは初めてだった。思わず瞼を押さえて上を向く。

「よき友を持ったな。」

義久は優しく宗隆の肩を叩いて続ける。

「今日は私達も休みをとったから、見送りは大丈夫だ。お前は一応病院に行け。途中で具合が悪くなったら、電話しろ。」

義久は続ける。

「……帰って来たら大事な話がある。」

今日はもともとシフト休みなので、宗隆は病院に行った。万が一インフルエンザだったら、人にうつす恐れがあるからだ。マスクをすると宗隆は病院に。結局、只の風邪と疲労と診断された。


――彼が家に帰ると、部屋中が重い雰囲気であった。リビングダイニングに宗隆が買わされた赤い布が敷かれ、後ろに屏風がわりのついたてがあり、座布団も敷いてある。まさに茶室だ。島津兄弟は宗隆に茶を出すと、頭を下げる。

義久は真剣な眼差しで、戸惑う宗隆を見て言った。

「宗隆殿。あなたに謝りたい。私達は島津氏の一族ではない。」

義久は珍しく目を潤ませ、後ろめたそうに続ける。

「斎藤殿と話をして思い出した。私達兄弟は、火星にある動物誘拐団体・金豚団に誘拐され、様々な技能をしこまれた戦闘用豚だったのだ。その施設で人の言葉を喋る訓練や、様々な教育を受けるうち、自分が島津兄弟だと思い込むようになっていた。……いや、自分自身をそう思い込ませたかったのだろう……。」

唇を噛み、苦しげな義久。真摯な瞳から光るものが落ちる。彼は肩を少し震わせた。義弘が話を引き取る。彼も目が赤い。

「まず、火星の島津家の話をするでござるよ。

火星には、地球の島津家の親戚がいるでござる。

でも、弥生時代まで遡ると先祖が同じというレベルでござるが……。

地球の島津家に伝わる貫頭衣と火星の島津家の貫頭衣を合わせると、島津十字が浮かびあがるらしい。火星の博物館で見たでござる。ちなみに今の地球の島津家の皆さんは、有能で、社会貢献をなさる穏やかな名家でござるが……。火星の島津家はちょっと戦闘民族くさいでござる。」

義弘は続ける。

「火星の島津家は、弥生時代に地球にきたUFOを奪い、火星に移住したのが起源。そして火星を瞬く間に制圧し、島津幕府を開いたでござる。……おい、大丈夫でござるか!」

「熱がまた出たのか?」

心配する島津兄弟の声も聞こえず。宗隆は目の白黒を反転させる勢いで高速瞬きし、口を琵琶湖のようにグニョンと開く。そしてそれが終わると虚ろな目付きで石膏像のごとく固まった。「おい! おい! おい!」

揺すられた宗隆は不思議な心の旅から帰ってきた。

茶を一口飲み、宗隆は心を落ち着かせる。

「大丈夫です。続けてください。」

義弘は宗隆の顔が元に戻ったのを見ると続ける。

「島津幕府を開いた、伝説の狂家族の絵本が施設にあって、訓練の合間に見ていたでござる。読めば読むほど、強い島津将軍家にあこがれ、拙者も斯くありたいと思ってきた。

……最初は憧れで真似していただけだったでござる。

しかし……辛い訓練も、不甲斐ない自分も……全部が嫌になって……。

自分が島津義弘公だったらという妄想をするようになってしまった……。

自分がもし島津義弘公だったら、こんな施設さっさと制圧できるのにと……。今まで結果的に嘘をつくことになって、すまなかったでござる……。」

兄弟は、宗隆に頭をさげた。彼らは、まだ頭の中が整理しきれていない感じの話し方である。

宗隆は口を開いた。

「気持ちはわかります。……僕も、そう強く思ったことがありますから。それに、騙されたとか思ってないです。何となくわかってました。」

目を見開く兄弟。宗隆は続ける。

「やっぱり豚が島津一族なんておかしいので。……喋る時点で只者ではないですし、あまりにお二人が自信たっぷりだったんで、出会った日は信じてしまいましたが。

島津一族じゃないとはっきりしたんで、ブランド的なものはもうないです。所詮は豚だと思います……でも………。」

宗隆はいつもの平坦な喋り方でなく。日だまりのように暖かく、心を込めて呼び掛けた。

「僕は貴方達が大好きです。たくさんの事を知っててくそ真面目なところが父さんに、優しく明るくて真っ直ぐなところが母さんに似ているから……。」

兄弟は、水攻めの堰を切ったように涙をこぼした。

宗隆は、ティッシュとゴミ箱を持ってくる。

そして、ぐしゃぐしゃに泣く島津兄弟の顔を拭いてあげた。

「これからも僕の師匠と殿でいて欲しいです。黒豚の島津兄弟でいて欲しいです。」

頷く兄弟。宗隆は微笑んで言葉を続ける。

「これからもよろしくお願いします。豚ども。……あ、なんでもありません。」

二匹は一瞬黙ったが、鼻声で怒りだした。

「一言余計だ。」

「結局、見下しているでござる! 性格悪いでござるよ!」

二匹は頬を膨らませて怒り、ゴミ箱の中の丸めたティッシュを宗隆に投げつけた。雨がシャワーのように降り注ぐ、生暖かい日。宗隆達は警察にいた。相談室の警察官は申し訳なさそうに言う。

「個人的には黒豚さんが喋って主張している時点で信憑性はあると思います。しかし脅迫文が来ているわけでもないし、パトロールは数人出すのが限界です。鹿児島市内に潜伏している凶悪犯の捜査で、人手不足なんです。」

というわけで、戦力は園長が追加してくれた警備員二十人ほどに加えて警察官数人だ。飼育員で腕に覚えのあるものを追加しても、やっと四十人ほど。東京都の上野動物園を模した広い園内を守るには、圧倒的に足りない。

――閉園後、宗隆達は動物園の大会議室に集合した。窓に衝突する水の雫と、色々な高さの音が混ざりあうスピーカーの中のような部屋で、宗隆は自分が作成した資料を配る。

金豚団に詳しい義久が司会になり、会議が始まった。

「武器の技術レベルは互角。人数は恐らく今までの傾向からして百五十人〜二百人程度と思われる。我々には地の利はあるが、相手はプロの上に人数が多い。苦戦は必至だ。」

張りと深みのある声で、義久は続ける。

「まず、この戦いの目的は、動物のみなさんを守ること。事件が起これば警察は来てくれるであろうから、それまでの時間を持ちこたえられるかが問題だ。

他に凶悪事件が発生した場合はもっとかかるし、運が悪ければ援軍がこないことも覚悟せねばならない。これからの予定だが、お客様を巻き込まないために、予想襲撃日の一週間前、三月十九日から閉園とする。そして、その後は動物のみなさんを全国の動物園に分散してこっそり移動する……囮以外を。」

空気に色があるなら。この部屋は困惑と非難の二色である。義弘は皆を宥めるように言った。

「全然動物が居なかった場合、奴らはターゲットを変えるでござる。そうしたら、他の動物園が危ない。」

しかし西井と北見は反発した。特に北見は、会議室の長机を蹴飛ばして抗議する。

「冗談じゃねえ! 誰も囮にしたくない!」

そんな彼に、狐の最上は長机を直しながら言った。

「……私は残るよ。奴らと決着をつけたいからね。」

武人のごとき最上の目を見た北見は、しぶしぶ頷く。虎の加藤も。

「俺も……奴らをぶん殴ってやらないと気がすまぬ!」

蛇の道三さんも。

「……我の毒で毒の水鉄砲を造るがよい。それから宗隆。我を武器として使え。」

ホワイトボードに向かって書記をしていた宗隆は、無表情のまま、声を裏返す。

「ひゃあぃ?」

道三さんは続けた。

「お前は普段から我の世話をし、扱いになれている。おまけにお前は所作が丁寧だ。よい鞭使いになれる。」

宗隆は振り返る。そして目も口もかっぴらいて訴えた。

「無理です! 僕は運動神経が悪いんです! 村人その一の僕に戦士ポジションは無理です!」

しかし義弘は賛成した。

「いや、宗隆は反射神経は良くなったでござるよ! 北見殿の攻撃は……北見殿が疲労していたせいもあるがかわせていたし、

こないだ拙者と兄上が近距離で投げたゴミくずも、

何とかよけられたでごさるから!」

義久も頷く。

「逃げ足も速いから大丈夫であろう。」

北見まで。

「鞭使いかっけーからやれよ!」

二匹と一人は、宗隆を指して言った。

「ちぇすと行けー!」

宗隆は天を仰いだ。


会議の次の日。外に出た瞬間に体が電動ブラシのように震えるほど寒い日。園内の街灯が、白く美しく毒々しい女性を夜闇から切り離している。その女性は、ビシッビシッと何か長いもので空気に暴力を奮っていた。

「嫌いな奴をぶっ殺すぅッ! という気持ちでやるのよ。」

イカスミ色の長い髪をかきあげると、女性は宗隆に道三さん鞭を渡す。宗隆も女性の真似をするが、中々上手くいかない。疲れた彼はふらふらしだす。

「……ヘビ子係長が道三さんを扱ってくださいよ……。そもそも接近戦になったら僕なんて足手まといです。」

その瞬間、宗隆はヘビ子のヘビ柄マフラーで首を絞められた。

「ぐぉああアアぁ!」

「道三さんだって、振り回されながら頑張ってるのよッ! それに私は道三さん銃を使うの。昔海外で射撃をよくやってたから、そっちの方が自信があるわ。」「僕も……銃が……。」

「伊東君は下手じゃないの。こないだ飲み会の二次会でゲーセン行った時にわかったわよ。射撃で中々ピンガーのぬいぐるみが落とせなくて、私が落としてあげたでしょ。それに執念深そうな顔だからきっと鞭が向いてるわ。」

「係長に言われたくな……グァアぁあ!……わかりましたわかりました!」

宗隆は白眼を剥きながら練習を続行した。



――訓練を終えた宗隆は、ヨロヨロしながら島津兄弟と家路を行く。その道中、彼は疑問を口にした。

「薩摩豚パークってそもそも何だったんですか?」

島津兄弟は二匹同時に首を傾げる。

「それが、よく覚えてないでござる……。ただ弟たちがいて、仲良く暮らしていたのだけは覚えているでござるよ。……拙者達だけのんびりして申し訳ないでござる……。」

「……そうだな。記憶か……金豚団に消されたのかもしれない。」

二匹は目を潤ませて悲しそうに下を向き、溜め息を吐いた。宗隆は躊躇しつつも言葉を発した。

「めちゃくちゃ気休めですが……。金豚団を捕まえればきっと手掛かりはあると思います。話を聞いていると、金豚団は動物は死なせないようにはしているみたいですし、少なくとも生きている可能性が高いです。だから……。」

沈黙のあと。島津兄弟はポツリと言葉を落とした。

「ありがとう。」

少し経ち、島津兄弟は顔を上げた。宗隆は違う話を切り出す。

「そう言えば、桐沢社長は薩摩豚パークに来たんですよね?

動物園近くに桐沢社長のチェーン店もありますし、そのご縁で警備員さんを何人か頼めたらいいのに。牛肉も輸入のメドがたったようですから、ちょっとは余裕ができるはずですし。」

「俺もそう思うぜ。」

振り返ると博士がいる。 車の窓から身を乗り出した彼は、宗隆達に同乗を促した。

「今日の二十時から、奴の本のサイン会がジュンイク堂書店で開催される。そこで連絡先を書いたメモを渡してアポを取るぜ。」

助手席の宗隆はうーんと唸る。

「そんなに上手くいくんですかね。一応やってみる価値はあると思いますが。」「駄目だったら脅してやるからいいんだよ。こないだのビデオでな。」

博士はニヤリと笑うとアクセルを踏んだ。

――宗隆達は、サイン会で何とかメモを渡すことに成功した。しかし夜中になってもメールはこない。

今日は博士も宗隆の家にいる。お茶を啜りながら、宗隆は博士に問うた。

「博士、どんなメモを渡したんですか?」

博士はテストで満点をとった子供のように、得意げに言う。

「あいつは著書でよ、日々笑って日常を過ごしたいって言ってただろ? だから

『お前を笑い殺してやる(はぁと)』って書いた。」

茶を飲んでいた宗隆はむせた。

「……ケホッ。さ、殺人予告?」

博士は普通に茶をすする。

「ハートマークつけたから大丈夫だろ。」

その直後、部屋のインターフォンが鳴った。宗隆は受話器をとる。

「警察です。ちょっとお話願えませんか?」

宗隆はドアの覗き窓からそーっと外を見た。彼は顔をひきつらせつつ部屋に戻る。

「桐沢社長と、なんか怖い二人の男が来たんですが。」

「社長も来たなら、殺されることはねぇな。警察って名乗ったのは意味不明だが。……このレアチーズケーキうめぇな。どこのメーカーだ?」

呑気にな博士に対し、宗隆は頭を抱える。しかし何か思い付いた彼は部屋の奥から段ボールを取り出した。

「茶室でもてなしましょう。」

――素早く準備を終えた宗隆達はドアを開けた。

「何だこれ!」

宗隆は玄関を入ってすぐの場所に、

『にじり口』を設置した。四つん這いにならないと通れないΠ型の段ボールのゲートである。

「ここから先は日常とは違う世界です。貴重品以外のお荷物は預からせて頂きます。」

宗隆は自ら率先してにじり口を通った。桐沢は段ボールを蹴飛ばそうとする黒服二人を制する。まず彼らは鍵を閉めた。そして玄関に置いた荷物箱に拳銃などを入れ、にじり口を通る。

――部屋には赤い布が敷かれ、ついたて、桐沢達用の座布団が置いてある。そして真っ暗な部屋を、昔宗隆が父親に買ってもらったプラネタリウムルームライトが照らす。墨を溶かしたような空間に金砂がポツリポツリと散りばめられて光っている。黒服の一人は、厳つい顔を崩して星を指差す。

「社長の星座を見つけましたよ!」

「……そうか。」

桐沢は星を見てニヤリと笑う。整った顔立ちなのだが表情は薄気味悪い。一方、もう一人の黒服は。能面のような表情で社長の前に立ち、義久と博士を注意深く見ている。

義久はお辞儀した。

「どうぞ楽な姿勢でお座り下さい。」

桐沢は義久を視界にいれると、灰色の目を見開く。

「お前は薩摩豚パークの……。」

義久は普通にお辞儀する。

「ご来園ありがとうございました。」

宗隆はチーズケーキを出し、茶を入れるのが上手い義弘が抹茶を立てる。

厳つい黒服は目を丸くした。

「ぶたさん宗匠カッコいい!」

一方能面の黒服は義弘に問う。

「君。手は洗ったの?」

義弘は頬を膨らませた。

「当然でござるよ!」

ちなみに茶碗数の都合で、宗隆達は一つの白い茶碗を回し飲みすることとなる。宗隆は習いたてのため、最後だ。

「楽な姿勢をさせていただきます。」

義久は足を伸ばして座る。そして豚なのに丁寧で流れるような所作で茶を飲み、慎重に博士に渡す。

「あっ。」

白く縁どられた緑の円が、勢いよく赤い布に着地する。そしてその円はくるくると駒のように回りだした。茶のマナーくらい知ってる! と威張っていた博士の失態に宗隆は首を傾げる。しかし彼はすぐに理解した。サイン会用に購入した本のあとがきには、

長寿の落語番組『笑線』の話が長々とあったのだ。宗隆は博士が、

『荒大名の茶の湯』を表現し、社長の気を引きたいのだと判断した。


『荒大名の茶の湯』は落語の題目の一つだ。

時代設定は豊臣秀吉の死後〜関ヶ原前夜の1599年。

家康の茶会に招かれた加藤清正達は作法が解らず、同行の茶道プロ細川忠興の真似をし過ぎて奇行になってしまう話だ。

ちなみにこの落語では加藤らが茶の湯の作法を知らない設定だが、実際には知識があったと思われる。


宗隆は博士を見て頷くと、真剣な眼差しで茶碗を落として回す。そして義弘は二杯目を振る舞った。また博士の番に。

「……あ、すまん。」

茶碗に、濁った色の危険な液体がトッピングされた。宗隆は、顔がひきつる。

震える手で茶碗を受け取ると目をぐるぐるルーレットのようにまわした。

「池田……黒田……加藤!」

宗隆は見事に飲み干して荒茶を完成させた。そしてラストの三杯目。博士は普通に飲んだ。

「えっ?」

宗隆は慌てた。落ちがない。彼は咄嗟に飲み干した茶碗を義久に投げる。

「と、殿!」

やけくその放物線が義久へ向かう。

義久はレシーブした。

「義弘! まとめろ!」

「意味がわからないでござる!」

義弘はとりあえず茶杓の柄でくるくる器を回した。黒服達は拍手をする。

そして桐沢が静かに口を開いた。

「荒茶をやろうとしたのだろうが、中途半端だな。

しかし荒茶のように鼻水茶を飲み干した根性は認めてやろう。話を聞いてやる。」

宗隆は今までのいきさつを話し、桐沢に頼みごとを切り出す。

「社長にお願いが……。」

「火星に行きたいんで、ロケット貸して下さい。」

宗隆の言葉を遮り、博士は続ける。

「火星の偉い奴に、お前んとこの犯罪者を何とかしろって言いてぇ。あの動物園は俺の大切な居場所なんだ。両親が喧嘩ばかりしていた時、しょっちゅう世話になったからな。あそこが潰れたら住むとこがねえし。」

桐沢は即答した。

「無理だ。私にはそこまでの金銭的余裕はない。だが薩摩動物園が潰れたらうちも困る。動物園帰りの客がくる支店もあるからな。動物好きで屈強な警備員を百人手配する。

あと火星に偉い知り合いがいるから、金豚団の事を話して置いててやろう。それでいいか? ……それから、お前。」

桐沢は博士を見る。

「私との交渉材料を持っているんだろう。出せ。」

博士は、ポケットから小指サイズの記録媒体を渡した。桐沢はそれを直ぐに博士に再生させ、受けとった。―桐沢が帰った後、島津兄弟は動物園の地図を見ながら、戦術を考えていた。

宗隆はそんな兄弟の横顔が、本物の戦国武将のように見えた。

三月二十二日。冬と春のグラデーションの黄色がかった青空が鹿児島を包む。

宗隆は台所で大根を切っている。そこへ義弘が走ってきた。

「兄者と神社に行ってくるでござるよ。」

「えっ? 日が暮れちゃうし、明日にして下さいよ。」

「宗隆はゆっくり休むでござる。今日は兄上と二匹だけで出かけたいでござる。」

「ペットだけで外出は、出来れば避けていただきたいんですが。」

義弘は頬を膨らませ、ぷいっと横を見た。

「拙者は宗隆の師匠、兄者は主君でござるよ! ペット呼ばわりは酷いでこざる! もういい!」

「……待って下さい!」

宗隆は、ハート型にくるんとカールした義弘のしっぽを掴んだ。

「あと一時間だけ待って下さい。夕飯の支度を……。」

「二匹で十分でござる! しつこいでござるな!」

宗隆は声を荒げた。

「こっちの気も知らないで! 師匠はこないだ電車でつり革にぶら下がって車掌さんに注意されたじゃないですか! いくら空いてたからってそんなことをするなんて非常識ですよ筋肉豚! 僕は眠っていたところを叩き起こされて怒られました! あーもう! 勝手に出かけやがれ! 但し動物アレルギーの方にご迷惑を掛けないように、上着を着ていって下さい!」

「……その件は確かに悪かったでござる……。」

宗隆は思わず自分の口を押さえ、少し間を開けてからゆっくり振り返ったが。既に義弘は居なかった。

「まぁ……帰って来たら謝ればいいか。神社はそんなに遠くないし。」

久しぶりに独り言を言ってため息をつくと、彼は料理再開した。


――宗隆の予測は甘かった。兄弟は空が照明のない深海になっても帰ってこない。心配になった宗隆は義久に電話した。しかし何度鳴らしても、聞こえるのは無情な一本調子のアナウンスのみ。続いて保健所や警察にも電話する宗隆だが手がかりはなく。ため息をついた。

「……そりゃあ、豚じゃ捜索はしてくれないよなぁ。一応明日帰ってこない場合は融通きかせてくれるみたいだけど。」

すれ違った時のために彼は書き置きを残し、神社へ向かった。しばらくして到着すると、神社の周辺は黒漆の御椀を被るが如く真っ暗であった。宗隆は懐中電灯で光りの道を作りながら、震え歩く。

「師匠! 殿! どこですか! ……ヒイィイ!」

夜の神社は、恐ろしい。

黒い空間から光を目掛け高速で迫る小さな小さな小さな黒い物体、木の葉をバサバサかき鳴らす目付きの悪い飛行機、そしてどことなく浮世離れした空気が、宗隆を全方向からおもてなし。宗隆はそれを感受性豊かに享受した。絶叫、イナバウアー、尻餅と、神社を一人で賑やかに、忙しく探索する。だが。島津兄弟は見付からなかった。

宗隆は参内者用の固い長椅子に座り、また兄弟に電話したが。兄弟は出ない。宗隆は空を見上げてため息をついた。そして携帯で何かを検索をし始める。

「……探偵事務所はもう営業時間外か……早く電話すりゃよかった!」

ガックリと肩を落とした彼は、腕を組んで目を閉じた。そして少し経つと目を開き、また携帯電話を操作する。

「……というわけです……。申し訳ありませんが、博士の力を貸して下さい。部屋掃除しますから。」

「分かった。じゃあ駅で集合な。お前は神社から直ちに出ろ。塩はこっちで用意してやる。」

「塩?……どういうことですか!」

宗隆は博士に切られた携帯を握りしめ、涙目で駅へ走った。

――駅に到着すると。西井と北見がいた。

「なかなかメールの返信がないから不安になってな。その時にちょうど、博士からメールが着た。事情はわかったよ。俺も探す。」

頭を下げる宗隆。一方、北見は。慌てて塩の袋をあけた。

「塩! 塩! 博士の塩!」

さらさらと北見に塩をかけられる宗隆は、恐る恐る聞いた。

「……あの神社やばいの?」

西井は宗隆を安心させるように、穏やかに答える。

「大したことないよ。夜九時以降に一人で行くと、事件の目撃者になる呪いが一%のくらいの確率で掛かるってばあちゃんが言ってた。まあ事件って言っても、食い逃げとからしいよ。」

宗隆はへなへなと座り込んで長い息をはいた。

……そして、トイレから博士が帰って着た頃。宗隆の携帯が鳴った。

「いまどこですか!」

しかし電話に出たのは、義久ではなかった。「島津兄弟を預かった。警察を呼んだら殺す。二人分と二匹の夜食を持って、一人で来い。」

とても可愛らしい子どものようなアニメ声が宗隆を脅す。イタズラなのか本気なのか。これだけでは判断しかねる宗隆。

「誘拐?」

宗隆は首を傾げる。一方、博士は車のトランクから出したヘリウムガスを吸うと宗隆から携帯を奪って画面を確認し、電話に出た。

「もしもし。宗隆ちゃんのママよ。あなた達だあれ? ……まぁテレビでやってた凶悪犯さんなの! 豚を誘拐してどうする気? ……動物誘拐団体なのね……はい。玉手箱ビルね。私がいくわ……わかった。」

博士は電話を切り、皆を見回した。

「島津兄弟がテレビでやってた凶悪犯……金豚団とかいう動物誘拐団体に拉致られた。……警察に頼りたくはねぇけど……仕方ないな。録音を証拠として突き出せばいいだろ。西井。一番世間受けのいいお前が電話してくれ。」

宗隆達は警察へ向かった。警察に到着した彼らは、相談室に通された。

西井は警察官の目を真摯な眼差しで見て、低く落ち着いた声で事情を説明した。

「……というわけなのです。な、伊東。」

宗隆は頷く。警察官は腕を組んで唸った。

「子供のイタズラではありませんか? こんなアニメ声の成人男性がいるんですかね。そもそも凶悪犯がアニメ声なら、そう報告書にあるはずですよ。」

西井は一瞬下を見ると、丁寧に答える。

「犯人は二人組です。スーパー食料強盗の際は、アニメ声じゃない方が喋ったのでしょう。それに、アニメ声の成人男性もいます。伊東。」

宗隆は立ち上がり、裏声で歌い出す。

「私は〜イモーヌ♪」

警察官はペンを落とし。

マスクを着けた北見は下を向く。博士は満足そうに頷き、宗隆は頭を下げてまた座る。西井は警察官の視線がこちらに戻ったのを感じて続けた。

「そして犯人が今回要求したのは二人分と二匹の食糧品です。スーパー強盗も食糧品しか要求しませんでした。人数だけでなく、金品を要求するという発想がない点が共通しています。そマメな性格の島津兄弟が連絡なしに外泊するなんてありえません。」

宗隆は立ち上がり、深々とお辞儀をした。

「僕は天涯孤独の身の上で……豚どもしか家族がおりません。お忙しいと思いますが、どうか宜しくお願いします!」

警察官は頷いた。

「わかりました。玉手箱ビルには我々が向かいましょう。」

笑みがこぼれる宗隆達。

しかし警察官は鋭い目付きで釘をさした。

「今度からは拙くてもいいんでカンペ読んだり、芝居くさいことはやめて下さい。……まぁ喋らせる人選は良かったですがね。」


――警察官は玉手箱ビルに行き、あっという間に誘拐犯を捕えた。強盗は数件犯行に及んでいたが、鍋の蓋にキッチンハサミの初心者装備だった為、襲われたどこのスーパーの人々も警察官もケガはなく。

めでたしめでたしとなったのだが。新たなる問題が発生した。島津兄弟が目覚めないのだ。動物園へ車を走らせながら、博士は真剣な眼差しで言った。

「一応、息や脈はあるが、設備のある動物園に連れ帰る方がいいな。」

宗隆は心から深々と頭を下げた。

「本当にありがとうございます。」

「これは俺の仕事だ。気にするな。あ、だけど感謝してるならクロカン刑事の二巻を貸してくれ。金豚団を追っ払ったらな。」

――玉手箱ビルに突入した警察官によると。

部屋のカレンダーには三月二十三に赤丸が付いていて、用事が書き込まれていたという。

「薩摩動物園襲撃予定日」と。

金豚団の団員が捕まったことで、警察も本格的な事件と判断。警察官を五十人くらい派遣してくれるという。そして指揮も警察が取ることとなる。

囮の動物達の世話の為、西井と北見も博士の車で動物園に向かう。西井は虎の加藤、北見は最上の様子をそれぞれ見に行った。

宗隆が爬虫類ゾーンに着くと。ヘビ子は風を死神の鎌で斬るが如く鞭を操っていた。イカスミ色の髪を振り乱し、彼女は顔に黒い薄布を被ったような表情で何か言霊を吐いている。宗隆は深呼吸すると、鞭が届かない範囲から声をかけた。

「か、係長。遅くなって申し訳ありません。明日……いや今日は宜しくお願いします。あの……ヘビ子係長?」

ヘビ子は地面に崩れ落ち、ハンカチを噛んで泣き出した。対処に困った宗隆がとりあえず遠巻きに見ていると、道三さんが宗隆のズボンの裾をつついた。

「道三さん、遅くなって申し訳ありません。」

頭を下げる宗隆を見上げて、道三さんはため息をついて語りだした。

「彼氏に振られて気が立っておるのだ。少しそおっとしておいてやれ。全く……尾行や、人の携帯を見る時はバレないようにやれと言ったのに。」

どん引きしている宗隆を尻目に、道三さんは気遣うように続ける。

「……所で島津殿達はまだ目覚めないのか?」

「はい……。」

アスファルトを見つめる宗隆に、道三さんは優しく言う。

「彼らは金豚団の厳しい訓練を堪えてきた豚。きっと大丈夫だ。」

「ありがとうございます。……係長。」

「伊東君。事情は聞いたわ。警察官の方も待っているからあっちで。」

――暫くして話と軽く訓練をし終わると、宗隆は島津兄弟のいる地下室へ向かった。博士は唸った。

「CTも心肺も異常がない。ただ眠っているだけなんだろうが……。何故起きねぇのかわからん。明日になっても目覚めねぇなら、もっと設備がよい病院で検査しなきゃな。」

腕を組んでため息を吐く博士に、宗隆は深々と頭を下げた。

「博士、昨日と今日は本当にありがとうございました。もう休んで下さい。異常があったら起こさせていただきますが。」

「あぁ。じゃあ三時間経ったら起こせよ。」

宗隆は首を振る。

「いいえ。起こすのは非常事態だけです。僕より博士が倒れたら困るんで。それに……。」

宗隆は島津兄弟に視線を移す。

「師匠と殿のおかげで、少しは体力がつきました。大丈夫です。」

「わかった。このウインドブレーカーと、ブランケットを貸してやる。風邪引くなよ。」

博士は背伸びをすると、自分の部屋に戻っていった。一人残った宗隆は、すやすや眠る兄弟達を見守る。彼は徹夜があまり得意でない。しかし、時々ぐりぶーダンスをしたりして睡魔と戦う。

……そうしているうちに時計が朝に針を進めた。

光の入らない地下室では、時間感覚は時計頼りだ。

「もう朝か。占いコーナーをはしご見しなくちゃ。殿の分も見ないと。」

宗隆は小さく呟くと、携帯でテレビを見る。すると、着信音が鳴り響いた。電話は門付近に居る北見からだ。

「伊東! どうしよう!」

緊迫した様子の北見に、宗隆は息を飲む。

「金豚団が来たの!?」

「違う。俺のヤンキー時代を知るお巡りさんにあっちまったんだよ!」

「……自業自得だよ。切るから。」

切ろうとした宗隆の耳に、嵐を巻き起こす重低音が入ってきた。

「北見! ヘリの音?」

「ああ。ピンク色の派手なやつだ! 切るぜ!」宗隆が携帯越しの爆音を聞く少し前。

西井は麻酔銃を持ち、虎の加藤や警備員さん達、虎係と鳥係りの数名と西門にいた。きれい好きな虎の加藤は、下駄を履いて二足で立ち、手には三mくらいの七本の槍を持っている。

固い顔で一リットルタンクの付いた麻酔銃を握りしめる西井の肩を、加藤は安心させるようにトン、と叩いた。

「俺は槍が得意で、コードネームは加藤清正こと賤ヶ岳の七本槍だ! 負けるわけないぜ!……まぁ俺の本名はトララだから、芸名みたいなものだが。」

西井は落ち付いた加藤を見て、少しだけ表情が柔らかくなる。

「賤ヶ岳の戦いは聞いたことがあります。織田信長が死んだ後、三男信孝の後見人の柴田勝家と、信長の嫡孫・三法師の後見人の豊臣秀吉が戦った戦ですよね。加藤さんは秀吉……さんの配下として目覚ましい働きをなされたとか。」

「秀吉『様』と言え!」

加藤は七本の槍を強く握り締める。

「この槍には、七人の武士の魂が宿っている。」

加藤の持つ七本の槍は、大量生産の廉価品。しかも外見は全く同じ。

西井は少し間を開けて答えた。

「え……あぁ、そうなんですか。」

周りのみなさんも、空気を読んで黙っていた。加藤は槍をじっと見つめて厳かに続ける。

「一見同じだが、それぞれ違う個性がある槍だ。

区別が付くように、博士に頼んで柄の部分に匂いを付けてもらった。桐の匂いが片桐の槍。脇の匂いが脇坂とかな。」

警備員の一人が質問する。

「もう一人の加藤さんはどんな匂いですか?」

「逞しくて地味な匂いだ。」

加藤は皆から離れると、一本の槍を振り回す。素早く力強く動く黄色い体と赤い槍の軌跡が青空の背景で際立つ。西井達は思わず驚嘆の声を上げた。しかし、加藤は槍を見つめてため息をつく。

「俺も焼きが回ったな。

平野の槍と市松の槍を間違えた! こうなったら……!」

彼は苦しげな表情で、七本の槍に油性マジックで名前を書いた。西井も手伝う。しかしあと一本と言うところで、加藤は苦い顔になった。

「何たること!」

西井は眉をハの字にして加藤を見た。

「具合が悪いのですか? ……ちなみにこの油性ペンは北見が鼻に差したペンとは違いますよ。」

「……いや! それも大事だが! 糠屋の糠を額田王の額と間違えてしまったのだ!」

周りの皆は全員声を揃えた

「どうでもいいです。」

その少し後だった。

警備員の一人が空を差して叫ぶ。

「上空にヘリが!」

ピンクの豚柄のヘリ三機は姿を表すと、ひと呼吸置いて丸いものをポロリと同時に落とした。

「……爆撃だ! 頭を保護してここから離れろ!」

指揮棒を振りかざし、指示する警備員隊長。それを聞いてちりぢりに逃げる皆。しかし爆音も爆風も一度きりで止んだ。皆が元居た場所には小さな穴があいたが、素早い退避により皆無事だ。

「紹太! あの建物に登るぞ! 急げ!」

直ちに西井と屋上にたどりついた加藤は、風にはためく軽食コーナーの旗を見る。そしてその直後には。真っ赤な直線が数本高速で青空を駆けてピンク色の的に命中。ヘリ二機は墜落する。しかし空にはヘリから脱出し、キラキラ光るパラシュートで園内侵入を試みる金豚団員が浮かんでいた。その十四名。彼らはピンク色の豚耳フードつき綿素材全身タイツを纏い、銃を手に持っている。だが急に吹いてきた強風に煽られている彼らは、着陸に専念しているようで。銃は撃ってこない。まだ屋上にいた加藤は、そして残りの槍をパラシュートに投げ、五人をイルカプールに不時着させる。そして顔をしかめながらも、脱いだ下駄も投げてさらに二人仕留める。

しかしまだ七名残っていた。西井は抱えた銃をじっと見て少しからだが固まっていた。しかし彼は深呼吸をすると腹を決めた。高度が一番低いパラシュート脇をめがけ、麻酔銃を超遠距離モードで打つ。一発目は空砲。しかし二発目は計算通りの軌道を辿り、麻酔弾はパラシュートを脇から貫通させる。金豚団員はこれまたイルカプールへ。しかし、西井の睡眠銃は空気切れに。他の虎係も西井に続き、残りは五人。

そんな中、どこか懐かしい調べが園内に響く。鳥係長は口笛を吹いていた。近くにいた鳥係りも合わせて吹き始める。すると。どこからともなく騒音を発する黒い雲が現れ。パラシュートを侵食していった。

金豚団は銃を取り落とし、全員イルカプールに流されていく。そして。着陸より僅か前には。高らかな金属音がプールに響く。蒼く揺れる透明な水絨毯から、ねずみ色の滑らかで愛らしい新幹線が浮き出る。そしてそれらは降り立とうとする団員を突き上げた。ピンク色がプールの水面に浮かぶ。そこへ、緑の天井が落ちた。それを掻い潜る猛者共々、金豚団員はプールに移動していた警備員達により捕らえられた。

――携帯でヘリコプター音を聞いた宗隆は、直ちに本部に電話した。しかしなかなか繋がらない。宗隆は目を瞑り、腕を組む。

「正門に僕一人が行っても役に立たない。救援を求めに本部へ走るか……。

取り敢えず、途中で怪我人にあった時の為に、博士を起こして連れていこう。」

そう呟いたとき。彼の背中に固い物が強く押しあてられた。……島津兄弟により。

「……師匠? 殿?」

振り返った彼は、目を見開く。愛らしい義弘の面影も、気品と威厳のある義久の面影もない。猛々しい表情の戦闘豚がそこにいた。

「まさか、誘拐された時に洗脳されて……。」

宗隆は、泳がせた目を潤ませた。

「師匠、殿。宗隆です!」涙目で訴える彼を島津兄弟は意に介さない。そして冷たい金属音のような調べを繰り返す。

「セイモンへアンナイシロ。ヒトケノナイミチヲトオレ。」

宗隆は兄弟に脅されつつ、まずは建物から出るべく歩く。彼は神経が固くなり、微かに震えていた。しかし何故か、一人芝居状態で大騒ぎだった神社の時より僅に落ち着いていた。そしてコンクリートの塊から出た瞬間。朝の空が宗隆の頭上に現れた。空から降り注ぐ光は彼の自律神経を優しく起こす。神経が光ファイバーのようになり、普段より少し速く思考が走り出した。もしかしたら話しているうちに何かを思い出してくれるかもしれない。そう思った宗隆はあたり触りのないことを二匹に話しかけた。

「お二匹のお名前は?」

「シマズヨシヒロ。」

「シマズヨシヒサ……ア。」

高い金属音が冷たいアスファルトを走る。

銀色のハサミがヨシヒサの手からすり抜けたのだ。ヨシヒサはそれを拾い、また素早く宗隆に突きつけた。……柄の部分を。宗隆は目を見開いた。そして彼はわざとゆっくり歩くことにする。島津兄弟はイライラしだし、宗隆に走るよう促した。

「コノママデハ、ソウコウゲキニチコクシテシマウ! ムネタカ! ハシルゾ!」

「ムネタカ……?」

兄弟は顔を目合わせると、頭を抱えて唸りだした。

宗隆は兄弟の据わった目を見つめ、ゆっくりと丁寧に大好きだという思いを込めて話しかける。

「……いつも一緒に走りましたよね。ご飯も一緒に食べて、一緒に真冬に外で寝て死にかけて、一緒に神社にも行って、一緒に動物園で……働いています。」

「……ウー!」

二匹は唸りだし、ハサミを落とした。彼らはウーウー唸りながら頭を押さえてうずくまる。宗隆は慌てて博士に電話をするが、繋がらない。彼は、ハラハラしながら二匹を見つめる。


……しかし、時間が少したった頃。宗隆は近くにあった石ころを蹴飛ばし、

声をあらげて愚痴りだした。

「……何で思い出してくれないんですか。そりゃあまだ知り合って短いですけど。 師匠には、大河ドラマで島津家をやれってハガキを百通以上も書かされたり、茶道セット買わされました。殿にはパワースポット巡りに何度も連れて行きましたし、結構僕は尽くしたんですが。特に師匠は……。

『何があっても弟子でござるよ。』

とかほざいたのにあっさり忘れやがって! それによく考えたら、二回も誘拐されるなんて、学習能力が無さすぎる! ……やっぱり所詮は豚どもか!」

それを聞いた島津兄弟は、据わっていた目をカッと見開いた。

「……一言余計だ!」

「性格が悪いでござる!」

眉を吊り上げて仁王門のようになる島津兄弟。

それを見て宗隆は心から微笑んだ。いつもの木枯らしのような乾いた笑顔ではなく、青空の下の小さな花が、風でゆれるようなほのかで柔らかい笑顔であった。鼻と耳から湯気を出して、頬を膨らませた二匹も笑顔になる。

「……いい笑顔だな。」

「同意でござる!」

しかしほのぼのとしているのは数秒。正気を取り戻した二匹は慌てだす。

「金豚団は!?」

「恐らくもう来ました。

警察の方が指揮を取っています。師匠と殿の作戦メモは渡しましたし、感じのよい方だったので安心して任せてよいかと。

ちょっと待ってて下さい。」

宗隆は、一応携帯で本部に電話した。

「……かしこまりました。」

彼は電話を切ると島津兄弟に言った。

「東門へ向かいましょう。動物部隊が東門を襲っているそうです。」

本部からの指令で、東門へ向かう宗隆達。

東門は手薄だった。島津兄弟のメモを見た警察の責任者は、金豚団が正門に戦力を集中する傾向だと判断。正門重視の守備作戦を取ったからだ。おまけに本日の県警は、海外から緊急来日の要人の警護で忙しい。応援を望むのは厳しいであろう。

――その東門には。

博士、ヘビ子、警察官十人、ぶーの助、ぶー吉がいた。そこへ攻めて来たのは、金豚団の戦闘動物。彼らは己を生ける溶岩と成し加速したエネルギーと質量を力の限り門へぶつけてくる。それを受け止める門は、甲高く硬質の悲鳴を上げていた。そして博士達の頭上には。鼻をつんざく果物や石を落とす羽音がする。


「とりあえず頭上の鳥をやっつけましょう。」

警察官はそう言うと、素早く鳥を睡眠銃で打ち落とし、博士達はそれをマットを拡げてキャッチ。頭上の憂いがなくなった皆は、前方を見る。門は歪み苦しげな顔に見える。

「麻酔銃で彼らを眠らせましょう。弾切れになったら後列と交代……という形で絶え間なく撃つのです。」

警察官の指示通り、麻酔銃を二列交代で打ち続けるヘビ子。しかし。動物達は当たっても山の如く揺るがない。警察官はため息をついて、空を見上げた。

「……仕方ない。道三さんの毒入り水鉄砲に切り替えましょう。急所は外したいので教えて下さい。」


……毒入り水鉄砲は効果があった。体当たりしていた動物達は止まる直前のメリーゴーランドのようにゆっくりとぎこちない動きになり、門から離れて行って倒れた。しかし、それと同時にあらたな動物が入れ替わって門に体当たりする。ぶーの助はぎゅっと目を閉じて下を向いていたが、顔を上げると門につかつか近寄ろうとする。ぶー吉は彼のしっぽをくわえて引っ張った。

「バカ!」

「動物のぼくなら、説得出来るかも知れないです。……体当たりしているみんなも痛そうだし……。」

「甘いんだよバカ! 今アイツラは気が立ってるんだから踏みつけられるぞ! こうやってな!」

そう言ってぶー吉は落ちていた羽を踏みつけた。

「でも道三さんの毒は苦しそうです……。」

そう言うとぶー吉は道三さんを見た。人間から見ると、ブーブー言っているだけに見える。しかし作業をしながら一部始終を見ていた博士はピンと来た。毒入り銃の替えタンクを追加生産し終わると、二匹に近寄る。彼は門を指して、両手で×を作って言った。

「……今は駄目だ。気が立ってる。それに金豚団員が二人見張っているぞ。」

二匹はきょとんとした顔だ。博士はしゃがんで頭を掻いた。

「島津兄弟はどっかに消えたし道三さんは体力の限界で気絶してるしな……。

あー! とにかく薄めた毒水鉄砲を打った方が、体当たりさせたままよりマシなんだよ! もともと致死性のない毒だし、解毒剤もあるからな。金属製の門でケガして破傷風になる方が不味い!」

「あの……ゆくり…はなし…ください。」

博士は大きな目をさらに見開いた。寝ている道三さんをさして○を作り、そして体当たりをかるーくぶー吉にし、手で×印、などジェスチャーしながら二匹に話す。

「どくの、みずでっぼうで、あいつらは、しなないし、しなせない。さくに、たいあたりするほうが、あぶない。せっとくは、おくの、きんぶた、だんいんを、なんとかするまで、まて。」

ぶーの助は頷いた。

ぶー吉も何となく解ったらしい。頷きながらブーブー鳴く。一方ヘビ子はトランクケースからエアガンを出した。目を丸くする警察官に、彼女はエアガンをひしと握りしめ、剣山のように険しい眼差しで言う。

「私は奥の金豚団員を狙います。この連射式エアガンは遠距離用ですから。……アイツラ……道三さんの仇ィ!」

彼女は勇ましく銃を肩に担ぎ、博士に脚立を運ばせる。そして脚立に登ると奥の金豚団員を狙い撃ち。風の弾丸が団員二人を掠めた。さらにヘビ子は団員達が避ける方向を予測して撃ち続ける。怨念の波動が籠った弾丸のネックレスが地面を這う。

「つ、追尾弾?」

「何か寒気がする……。」

団員達は手で十字を切ったり念仏を唱えながら足元を這う見えない大蛇から逃げる。しかし団員の一人は慌てて避けようとして転げ、頭を打って気絶した。

「大丈夫か! 」

もう一人の団員は気絶した団員を門から逃げるように引き摺りながら電話をし始めた。ヘビ子は夜光キノコのように目を光らせ、舌なめずりして叫ぶ。

「博士ェ!」

博士は水鉄砲を投げる。

それを受け取ったヘビ子は団員を狙い撃ち。極狭トンネルから走り出た水素と酸素と毒素の集団は空を翔け団員達に直ぐ様追いつき体当たり。気絶させる。動物達は冷えた溶岩のように気合の熱を失い、動きが一瞬停止。そして自分の腕を舐めたり擦り出す。

「今だ!」

博士、ぶーの助、ぶー吉はヘビ子が降りた脚立から門の外へ飛び出した。

ぶーの助、ぶー吉、博士、警察官の一人は門の外へ出た。博士と警察官は銃を床に置き、両手を上げる。

ぶーの助は自分より大きな動物達を見上げ、雪に抱き締められたようにカタカタ震えた。そんな彼にぶー吉が小さく言う。

「大丈夫だ。やつらは団員が見てないと頑張らねーよ。」

博士もぶーの助の頭にポン、と手を置く。

ぶーの助は博士とぶー吉を見て頷くと、深呼吸して口を開いた。

「みなさんの住む場所を見つけられるよう、ぼくも協力します。だから攻撃はやめて下さい。……それから水鉄砲の毒は、皆さんに配慮した弱い毒です。でも一応治療が必要です。あとさっき体当たりした時に怪我をした方、破傷風の予防接種はお済みですか?」

動物達は口を揃えた。

「先月やった。」

ほっとして長い息を吐いたぶーの助に、ぶー吉は苦笑した。

「死んじゃう毒だって脅した方がよかったんじゃねーの?」

「その意見も正しいですが、今回はいかにこちらが配慮をしてるか、よい条件かを訴えた方がいいと思います。……彼らは結構、シビアす。ぶー吉さんのおかげで気が付きました。」

ぶー吉は頷いた。彼も動物達に訴える。

「島津さんから火星や金豚団の話は聞いたぜ。うちもショーやイベントの訓練とかはほぼ毎日あるが、金豚団ほど厳しくねーぞ。メシもうめーよ。それに飼育係は優しいし、動物が火星みたいにうじゃうじゃいねーから動物自体の待遇はいいぜ。……調子こくと絞められるけどな……。」

動物達は顔を目あわせ、ひそひそ話を始めた。彼らの顔に天秤と感情と疲れが浮かぶ。

「金豚団みたいに、ご飯と住み家が保証されるならいいか。」

「でも金豚団から出たら、遊園地で働いている家族が……。」

「新しい場所に出ていく勇気がない……。」

迷いの滲んだ声で鳴く彼ら。そんな中。ぶーの助とぶー吉は、彼らの輪へ入って行く。博士と警察官も慌ててそれを追い掛けた。警察官は、ゆっくりぶーの助に話しかける。ぶーの助は頷くと、通訳した。

「金豚団は今回の作戦で捕らえてみせる、とおっしゃっています。」

動物達の心の天秤は段々薩摩動物園側に傾いてきた。固く結ばれた糸のような緊張がほどけ、柔らかい表情になってくる。その様子を見ていた警察官達は、門の外の一人を残し応援要請のあった北門へ走った。

――宗隆達は到着したのは、そのように和解へ向かった時であった。

「遅くなって申し訳ありません!」

トランクに寄りかかって蛇の脱け殻状態のヘビ子だったが、宗隆に気がつくと一リットルタンクのついた水鉄砲を渡した。

「薄めた道三さんの毒が入っているの。これが最後の一丁。今は交渉中だから撃っちゃだめよ。」

しっかりと受け止め、頷く宗隆。ヘビ子はドスの聞いた声で続ける。

「……遅刻した理由は後で聞くわ。」

「はい! 申し訳ありません!」

「宗隆は悪くな……むぐっ。」

宗隆は島津兄弟の口を押さえ、また頭を下げた。続いて門の外をみる。

「えー!」

彼は目を地球のように丸くし、口をお吸い物の蛤のようにぱっくり開いた。そして腹話術の人形のようにカタカタと口を動かす。

「は……博士……ぶーの助……ぶー吉も……何て無茶を……。止めた方がいいですかね?」

宗隆は振り返るが。さっき見た光景の中で島津兄弟だけが透明になっていた。

「……師匠! 殿!」

島津兄弟は門に登り、門のコンクリート部分に二本足で立った。

「危ないです! 降りて下さい!」

目と眉を寄せて叫ぶ宗隆に島津兄弟は優しく微笑む。そして義久は彼にしては珍しく火山の如く、内に秘めた熱いものを吐き出す。

「厳しすぎる訓練で死にかけた日々! 理不尽な八つ当たりを受けた日々を思い出すのだ!」

義弘も手をバタバタさせて熱弁する。

「今こそ金豚団を捕まえて家族と自由をとりもどすでござるよ!」


動物達ははチラリと、ハブのアマミンを見る。彼は体で?マークをとって考えていたが、おっとりと答えた。

「彼らはボクをパシリにしたしー。おやつを上納させたしー。好きじゃないけどー。言ってることは正しいよー。」

アマミンの隣のアライグマは、下を向いてボソッと言った。

「でも俺たちも訴えられたりしないかな。こないだ法律の絵本を読んだんだけど。きぶつそんがい? とか……。」

「まじかよ。」

ぶー吉はため息を吐くと、吐き捨てるように言った。

「おめーらいい加減に決めろよ! 何で自分で決められないんだ!」

「偉そうに! くそ豚!」「んだとくそ牛!」

ブーブーモーモー火花を散らす二匹。

「もういい加減にしろ!」

博士と警察官が間に入る。一方ぶーの助は、ふと横を見た。その景色を見た彼は、無意識の内に駆け出す。倒れていた金豚団員が一人静かに立ち上がろうとしていたのだ。彼は銃を義弘に向ける。その瞬間。

「義弘さん!」

団員に黒い風となって襲いかかるぶーの助。アスファルトをカラカラと冷たい音が走る。ぶーの助はさらに団員にさらに噛みついた。

「なにすんだよ!」

団員はぶー吉を引き剥がして地面に叩き付ける。苦し気に呻き転がるぶーの助。ぶー吉、博士、警察官は彼の元へ走り出す。その直後、島津兄弟の声がぶー吉達の背後から追いかけてきた。

「桜島アタックゥウー!」最後尾の博士はとっさに警察官とぶー吉を地面に押さえ付けて臥せる。黒い流れ星は博士達の頭上を通り過ぎ団員に降りかかった。二匹の直撃を食らった団員は気絶。

「み、皆さん!」

高所が苦手な宗隆も頑張って脚立を登って続こうとするが、途中で足を止めた。様子を見に来た金豚団員が、少し離れた場所から現れたのを発見したのだ。彼は、義久に向けて銃を構えた。苦しみうめくぶーの助に駆け寄った義弘も、診察をしている博士も、動物を説得している義久も、義久を見守る警察官も、本部に連絡しているヘビ子も気が付かない。騒がしい中で声による注意は無理と一瞬で判断した宗隆は銃を構え、団員へ高速の水の帯を走らせた。それはキラキラと虹の軌道を描くが、着地点は団員の足元。さらに団員と目が合う。団員は銃を構えた。

「ァァアワァァアワ!」

恐怖のあまり腰を抜かした彼が脚立からドスっと尻から落ちた直後。彼の頭上を透明な衝撃波が走る。

「あと一人いたか!」

団員が消えた宗隆を見つける前に。警察官は団員を仕留めた。

防弾チョッキとゴーグルを装備した北見は、麻酔銃を構えて警察官や警備員達と正門にいる。そんな正門に百名程の金豚団員がやって来た。彼らが投げた球体は世界中の騒音を凝縮したような音、光、嵐を起こして正門を襲う。しかしそれは兄弟のメモに書いてあった為、予測済み。怪我人は出なかった。それを知ってか知らずか、金豚団は破壊した正門から一気に雪崩れ込む。

「さっさと動物どもを拉致って帰るぞ!」

「おぉー!」

意気軒昂な金豚団。そんな彼らの視界ギリギリに最上が現れ、彼らを挑発した。

「お久しぶり。筋肉だけのお馬鹿さん。」

「最上か! 裏切りものめ!」

金豚団の一部は金豚団攻撃隊長の制止を振り切り最上へ一直線。最上は猛スピードで動物園の奥へと彼等を誘い出す。ある程度金豚団員を引き込んだところで、警察官と北見は特殊部隊から借りた盾を構え、金豚団の前に立ちふさがった。金豚団の一部は北見達に銃を撃ちながら走りくる。

「これは罠だ! 下がれ!」

金豚団作戦隊長は罠を見破ったが時すでに遅し。

「床がやわらけー!」

固いはずの地面がグニャリと柔らかく凹み、絶叫する金豚団員二十二人。彼らの足はぬずみ色のクリームにすっぽりはまった。これは生コンクリートで、熱により直ぐに固まるタイプのもの。一度嵌まるとなかなか抜けない。

「とりあえず脱出だ!」

金豚団員はコンクリートから出ようと必死。その隙に警察官は催涙手榴弾を投げる。ピリピリした霧が団員の目にまぶされた。彼らが目をこすったりしているうちに、コンクリートは完全に乾く。そこへ残り八十人弱の金豚団は仲間を奪還すべく走り来る。しかし。

「地底人が出たー!」

金豚団員の側面を突くように、マンホールの下や建物に隠れていた警備員が現れた。警備員は催涙銃を乱射し、ネズミ花火を投げる。混乱する金豚団員。金豚団作戦隊長は片耳に着けたヘッドホンから流れる声に返事をし、叫んだ。

「とりあえず一時退却!」

逃げ足の早い金豚団員は目をこすりながら素早く逃げる。それを追撃する北見達。しかし様子を見ていた最上はそれを止めた。

「……逃げ方がキレイすぎるよ。深追いは禁物!」

正門隊長の警察官は少し思案したあと、頷いた。

「捕虜は得たし……そうですね。深追い禁止!」

隊長の命令に警察官達は足を止める。だが。必死に金豚団を追いかける北見には聞こえない。彼は風の速さで深追いする。北見の近くにいた警察官も、最上も、飛び出した彼を追いかける。最上は叫んだ。

「罠だから! 帰ってきなさい!」

「金豚団が怖くて泣いてる仔がいるんだ! さっさと捕まえてやるぜ!」

「お馬鹿! そんなんだから失恋したんだよ!」

「そ……それは今は関係ねーよ!」

――北見が正門を出る瞬間。隊長は笛を吹く。金豚団員は何故か左右に別れて走り出した。ちょうど北見に前方の道をあけるように。そして。北見の真っ正面に到着したての金豚団後詰めが現れる。北見はやっと理解した。

「……来るな!」

その叫び声と同時に。後詰め団員はバズーカから動物用捕獲網を発射。北見と追い付いた最上を捕獲した。

「待ちなさい! ……北見君? 最上さん?」

ちょうど正門を出た警察官達の目の前で。北見と最上の入ったネットは、ヘリにくくりつけられていた。

警察官達は団員へ銃を向ける。

「北見君と最上さんを解放しないと撃つぞ!」

そんな彼らに団員は手榴弾を投げる、警察官達は何とか直撃は避けたが負傷。立ち上がった彼らと、彼等を追いかけてきた警察官達の目の前で。ヘリコプターと車は去っていった。

金豚団の戦闘動物は、大広間や動物小屋に収容された。宗隆達動物係はその世話をしている。

「やっと休憩か……。」

風に揺れる吹き流しのようにふらふらしながら宗隆は休憩室へ向かう。休憩室では園長と南田達が、皆のお昼をワゴンに乗せて持ってきてくれていた。

「僕も配膳を手伝……。あ、西井。」

「お前はいいから座ってろ。俺が手伝うから。」

「……ごめん。」


少しして、西井と南田は落ち着いた宗隆の前にまぜご飯のお握り、蒸した牛肉と野菜の皿、タレの皿、たんかんゼリーを置き、同じテーブルについた。

「お疲れ様。伊東君は重いのダメだよね。」

「ありがとう。焼き肉だと重かった。」

「かな達も朝から大変だったのにな。ご飯ありがとう。疲れてないか?」

西井の言葉に南田は手を振る。

「ううん。園長や他の方もいたし。大丈夫。今日は重傷の人はいなかったからよかったよ。でも……。」

南田は下を向く。西井も、電気が消えた部屋のような顔になる。

「本当に……あいつは無茶して……。電話したらおばさんは泣いてた……。」

宗隆も北見の話は聞いていた。暗い顔でちょっと目を潤ませる二人に対し、宗隆は顔をしかめ、声を荒げた。

「おばさんを泣かせるなんて! あいつは本当に本当に稀代の超絶親不孝バカうつけアホくそ野郎だ!」

「……ヒステリックだなぁオイ。何でもいいから静かにしろ。アマミンがびっくりしちゃうだろ。」

振り向くと、干物寸前の博士と目をパチパチさせるアマミン。

「申し訳ありません。……そうだ。」

宗隆は眼の白目に蛇の舌を走らせ、身を乗り出してアマミンに詰めよった。

「アマミンさん。金豚団の逃走経路ってわかりませんか? 友人達が誘拐されちゃったんです。何か手掛かりがあったらどうか教えてください! お願いします!」

起立して頭を下げる宗隆に、西井と南田も続く。アマミンは三人を見上げてじっと見つめる。

「……だいじなともだちなんだね。」

頷く三人。アマミンはいいなぁ……と、ごまつぶのように小さく呟いて続ける。

「宇宙船は錦江湾に沈めて来たから、錦江湾に行けばいいとおもうよ。もう移動してたらごめんね。」

「ありがとうございます!」

宗隆はアマミンの話を本部に電話した。


警察は直ちに錦江湾へ人員を送るという。博士は椅子を持ってくると、宗隆の隣に座った。

「……早く見つかるといいな。」

宗隆は頷く。そして立ち上がる南田を制し、博士の分のお昼を持ってきた。

「博士もお疲れ様です。」博士は珍しくため息を吐いてぼやいた。

「近所の先生が来てくださったし、ひどい怪我の奴は居なかったから治療自体は楽だった。でも……疲れたぜ。」

彼は頭を抱えて続ける。

「道三さんは、

『自分は死んでもいい。血も体液も出来るだけ抽出して活用しろ。』

って言うし、お前の上司には、

『道三さんを殺したら呪います。』

と血走った目で脅されてな……。どうしろっていうんだよ。本当にあの人怖ぇよな、アマミン。」

アマミンはコクコク頭を上下して肯定した。

「でも私が変な人に追いかけられた時、助けてくれましたよ。巻き尺を鞭みたいに振り回してかっこよかったです。頼りになる方ですよ。」

「南田はあの人の怖さを知らないんだよ……。ところで道三さん、あれからどうですか?」

「お前が見舞いに着た後、目を覚ました。すっかり元気になったぞ。」

「そうですか。良かったです。」

宗隆は急いでご飯を食べると、食器をワゴンにのせ、休憩室を出た。

「ちょっと師匠と殿の所に行ってきます。」


――建物を出た宗隆は、空を見上げた。ロイヤルブルーに、真っ白な雲が映える。

「……何でこんなことに。」

宗隆は小さく呟き、歩き出す。そんな彼の目の前に。堂々たる偉丈夫が現れた。男は、五月人形の甲冑スリム版を身に纏い。その上に、陣羽織(袖無し法被みたいなもの)を羽織っている。陣羽織は大島紬のような素材で、どこかの地図が描かれている。縁取りは銀色のモール。そして背中には、純銀ビーズで刺繍された島津十字が静かに輝く。とても豪華な和装であるが、身に纏う男もまたそれに相応しい風貌だった。

プロテニスプレイヤーのような体躯。少し浅黒い肌。兜から少し見えるパーマがかった黒髪。大きくキラキラした黒曜石の目。掘りの深い顔立ち。そしてパーマ男の回りには和風の甲冑の男十人。あまりの立派さに一瞬写メを取ろうと思った宗隆だが。冷静に考えればパーマ男達は不法侵入である。宗隆は黙ってUターンし、走りながら不審者通報した。

「もしもし! 変なコスプレーヤーが……。」

「なんだと! この野郎!!」

パーマ男はシャッシャッシャッと音の速さで走り来る。そして宗隆の携帯目掛けて刀をフェンシングのように真っ直ぐ衝きだした。バーベキューの具材の如く串刺しにされる携帯。混乱した宗隆は、携帯がパーマ男に捕られたのにも気付かず。クラゲのように真っ青で不安定な顔でエア携帯に話し掛ける。

「きょ……狂暴なコスプレ団体が……休憩室建物近くに!」

「待ちなさーい! 私達は、決して野蛮な輩ではありません! 私は桐沢殿に頼まれてやってきた、島津幕府防衛軍少将! 島津家久であります! 金豚団をぶっ殺すため参上いたしました!」

家久は宗隆を追い越し、両手を上げて前方に回り込む。後ろにいたはずの男のドアップが宗隆の視界を占領する。ろくろで失敗した壺の如く顔を歪め驚く宗隆に、家久は問う。

「ところで、対策本部の建物と、義久殿と義弘殿はどこですか? ご挨拶をしたいのです!」

宗隆は自分の顔を両手で復元してから答えた。

「正門近くの建物です。

……所で師匠や殿とはどういうご関係ですか? ……ちょま!」

宗隆を無視し、家久と恐ろしい部下達は正門へ走る。宗隆は彼らが見えなくなると、休憩室の建物へ走りつつ、正門近くの建物に電話した。

「謎の武者コスプレ団体十人くらいがそちらに行きました。一応桐沢さんに頼まれたと言ってましたし、火星の貴族と名乗っていて立派な和装をしています。

でも狂暴です。……銃はわかりません。刀は所持しています。滅茶苦茶強いです。もし僕の勘違いだったら責任とって土下座します。どうか取り調べして下さい。お願いします。」

そして直ぐに本部へ電話。

「……はい。そうなんです。警察官さんが一番多くいらっしゃる正門で一応チェックしてもらおうと思います。」

さらに島津兄弟にも。

「……取り敢えず動物達が収容されている建物で相談……。」

宗隆は、合流して武器を取りに行ってから正門の警官に合流した方がよいと訴えた。しかし、電話の向こうの島津兄弟はすぐに会いに行くと主張した。宗隆は顔を歪め、言葉に刺が生えてくる。

「とにかく武器がないと万が一の際、警察官さんの足手まといです! ……はぁ? ……言うこと聞いてくれないなら夕飯抜くぞオラァ!」

結局島津兄弟に携帯をぶち切られた宗隆。彼は顔を真っ赤にし、タコが墨を吐くが如く毒づいた。

「バカ豚! ドジ豚! うつけ豚!」

宗隆は走る。マグロに追われるイワシの如く。休憩室にたどり着いた彼は、空気を抜かれたタイヤのようにふがふがとに博士に話しかけた。

「と……いうわけで……武器は……ないですか。」

そんな彼に、博士は道三さん銃、キャップ付きパン切り包丁(刃身長め)を渡した。

「島津兄弟でも持ちやすいユニバーサルデザインになっている。こないだ掃除に来てくれたお礼だ。」

「ありが……とうござい……ます。では道三さ……ん達をよろしく……お願いします。」

そう言って走りだそうとする宗隆に西井と博士は声をかけた。

「待て! 俺も行くよ。」

「俺も宇宙人が見たい。」

近くにやってきた道三さんと加藤も。

「アマミンから事情は聞いた。彼は寝込んでしまったから、代わりに我を連れて行くがよい。ヘビ子も説得したから安心せよ。」

「いっつも紹太には部屋を綺麗にしてもらっているからな! 俺も行く!」

宗隆は一瞬間を開けてから断った。

「僕の思い込みかもしれないし、警察官さんもいますから。それよりここで動物の世話を……。ちょまぁっ!」

宗隆の言葉を遮り。博士と西井と加藤はさっさと走っていく。宗隆は巻き付いた道三さんを連れ、慌てて二人と一匹を追いかけた。


――三人と一匹は猛スピードで走り、警官が待機している正門近くの建物に到着した。その建物は二階建てのプレハブ作り。工事現場でよくあるものだが、それより大きい。道三さんからアマミンの伝言を聞き、窓からそっと覗き見る宗隆達。一階には居なかったので二階の部屋へ入る。そこでは。

「あぁ〜また負けてしまったでござるよ!」

呑気にトランプをする島津兄弟達がいた。

「あっ……あのぉ……。」

宗隆達は遠慮がちに静かに部屋に入る。義弘は頬を膨らませて宗隆に注意した。

「全く! 宗隆はひどいでござるよ! 家久殿達を最初から不審者扱いするなんて! ……桐沢殿のビデオレターを持っておられたのに!」

「ホンモノ……。」

宗隆の顔筋に、一滴。

焦燥の流れ星が走った。

彼は口をパクパクさせ。

三つ指ついて土下座した。

「申し訳ありません! 僕の勘違いで皆様にご迷惑をおかけしました! 」

彼に続き、島津兄弟も頭を下げる。

「火星からわざわざ来てくださったのに申し訳ない。我が弟子は、人を疑わないと生きられなかった生い立ちなのだ。」

「大変申し訳ないでござる……。兄上の仰る通り。弟子は一人で生きてきたでござるから、こういう性格になってしまったでござるよ……。」

家久はポロリと呟いた。

「一人で……?」

義弘は頷くと下を向いてせつなさの混じった表情で続ける。

「そうでござる……。

無条件で肯定してくれる家族が居なくて……。冷たくて暗くて疑り深くて女々しい性格になってしまったでござるよ! 口が悪くて、友達も博士と西井殿と北見殿だけ……女性とは付き合ったことも無いでござる!」

家久も。恐ろしい部下たちも。警察官も。憐れみの目で宗隆を見た。宗隆は土下座して下を向いたまま、肩を震わせる。義久は義弘をたしなめ、宗隆をフォローした。

「言い過ぎだ義弘。宗隆は我らの生活の面倒を見てくれているではないか。部屋も綺麗に保たれているし、夜には動物の勉強もしている。そこそこ真面目な若者だ。」

西井も。

「口も性格も酷い所があるけど……。俺とかなの仲を取り持ってくれたし、北見係もわりとしてくれるし……。お前は本当はそこそこイイヤツだと思うぞ。」

博士も。

「まぁ、そこそこ顔げ……面白い奴だと思うぜ!」

宗隆は微妙な気分になった。義弘もフォローする。

「言い過ぎて悪かったでござる! 彼女だってその内出来るでござるよ! こないだ近所の神社に行った時、

『宗隆に彼女が出来ますように。』

と拙者は絵馬に書いてきたでござる! たまたま出会った動物園のお客様達も一緒に書いて下さった。元気出すでござるよ!」

宗隆は思わず立ち上がり、白い顔に赤く波打つ道を沢山走らせた。

「……出ネェよ! このおせっかい豚!」

「師匠に対して何て口の聞き方でござるか!」

宗隆と義弘はお互いの頬をつねったり罵声を浴びせ合う。そんな彼らを家久は懐かしくも寂しそうな目で見ていた。

家久はひと呼吸置くと立ち上がり、にこやかに言う。

「……宗隆君。疑ったことは許してあげるよ! 本部長や園長のところへ案内してくれるかなー?」

その時、家久をじっと見ていた道三さんは口を挟んだ。

「……宗隆は皆の看病に行ったほうが良いであろう。彼の口は毒の泉だ。また失礼なことを言うのではないか? 警察官の皆さんの方がよい。」

しかし。家久は道三さんの言葉をおおらかな笑顔で一蹴した。

「いやいや! 好青年ですよ! 不満があってもしっかり頭を下げられるなんて、美徳ではありませんか! 私は気に入りました。」

家久は宗隆の肩に手を置き、穏やかに微笑む。その手を見て道三さんはアマミンの伝言を思い出した。

『容姿は本当に家久将軍そっくり! だけど手の甲をよくみるとねー、ハート型の小さなアザがあるよー。』

彼は宗隆にゴニョゴニョ話す。宗隆は目を見開いた。

「僕の息は臭くありません!」

その言葉は家久が偽物だった時の合図だった。何かを勘づいた偽家久は、素早くは宗隆を引き寄せ、噛み付こうとした道三さんを払いのけた。

「……道三は鋭いな。俺が加入する前に消えた癖に。。」

彼は宗隆の首筋に刀を突きつける。

「俺は金豚団二代目団長! コイツの命がおしけりゃ、島津、道三は俺達についてこい。それからお前らが捕らえた団員と、バカ男と最上と加藤も連れてこい!」

残りの十人も刀を構える。警察官も銃を構えるが、宗隆を人質に取られて撃つことが出来ない。宗隆達はやっと事情がわかった。

金豚団員が人質を取ったのに、金品などの要求をしてこなかったのは。団長が家久に変装してわざわざ乗り込んで来たのは。人質に逃げられたからなのだ。


宗隆は突きつけられた刀の冷たさが、心臓まで伝わる気がした。彼は恐怖に震えながら思う。

(それにしても一番運動神経が悪い僕をきっちり狙ってくるなんて。こういう状況なら大抵の人は俺に構うな! って言うのかな。

申し訳ないけど死にたくないからそれは言いたくない。でも、金豚団員全員解放なんて無理だ。このままだと火星まで連れて行かれて殺されるか。腹いせに殺されるか。)

「宗隆は屁がくさい。解放してくれ。」

「そうでござる! 人質に向かないから解放して欲しいでござるよ!」

島津兄弟は跳び跳ね手をバタバさせて説得するが、団長は聞かない。

「嘘をつくな! どう見ても白衣の男の方が臭そうだ! 」

博士が顔をしかめたその時。一階にいた警察官が、騒ぎを聞いてやって来た。彼は咄嗟に睡眠手榴弾を投げる。見事金豚団員を眠りにつかせたが……投げた本人及び博士達まで眠りこける。

「……助けを呼ばなきゃ……。」

宗隆は唇を噛みしめ、家久から逃れると屁をこいた。宗隆の周囲に生ゴミのような不快な大気がじわりとひろがる。あまりの臭さに目をかっぴらき、咳き込む彼。近くの島津兄弟と加藤も目を覚まして、鼻を押さえた。

「ど、毒ガスか?」

「すみません。僕の屁です。」

目覚めた兄弟と加藤は博士達を必死で揺する。しかし起きない。みな疲れが溜まっているのだ。仕方ないので彼らはせっせと金豚団員の刀を没収して窓から投げ捨てた。一方、宗隆は本部に電話。

「もしもし! 正門に来て下さい! 家久が偽物でし……。」

その時プレハブ小屋が揺れた。そしてふわりとした感覚がする。

「あれ?」

宗隆達は外を見た。さっきより景色が下に見える。

義久は窓から頭を出して上を見る。彼は目を見開いて言った。

「……この建物は、未確認飛行物体にぶら下げられている。」

未確認飛行物体に持ち上げられたプレハブ小屋。周りの木々や建物がどんどん低くなる。高所恐怖症の宗隆は涙目でため息をついた。

「もうやだ……。」

それでも彼は、何とか何とか本部に状況説明をした。そして一旦電話を切る。島津兄弟の携帯は電池切れ間近だからだ。一方、刀を窓から投げ捨てようとした島津兄弟と加藤がふと外を見ると。こちらに近づくピンク色の金豚団員二人が視界に入った。一人はドデカイリュックを背負っている。団員めがけて鞘に入った刀を投げつける島津兄弟と加藤。刀はプロペラのように回転しながら落下エネルギーを併せ持って団員を襲う。団員はそれを避けながら叫んだ。

「家久です!」

「俺だよ! 俺!」

二人は浮き上がったプレハブ小屋一階窓めがけ、紐付きフックを投げる。そして引っ掛かったのを確認するとぶらさがった。三匹は無言で回収した刀を二人に投げ続ける。

「ですから! 家久かっこ本人ですよー!」

「島津さん! 俺だよ!」

ずっと俺俺叫ぶ声に聞き覚え覚えがあった宗隆は三匹を止めた。

「この声は北見じゃないですか?」

その時ちょうど、俺俺男のリュックから最上が頭を出した。

「正真正銘、家久将軍と恭司……北見だよ!」

「えっ。」

宗隆達は慌ててぶらさがっている二人を引きあげる。プレハブに入れた家久は、華麗な殺陣を決めて自己紹介をしようとするが。

「もう偽物から聞いたでござるよ! それより団員達を縛るでござる!」

と義弘に遮られた。とりあえず三人と四匹は、北見が金豚団からパクったロープで気絶している金豚団員を縛りあげたのだった。


――作業が終わると、宗隆はふと外を見た。外は白と灰色が混ざっている。彼が窓から手を伸ばすと、手に冷たい粒が落ちてきた。風神の息のような風も吹き荒れてくる。プレハブ小屋はぐらぐら揺れ始めた。

「朝でーす! 起きてくださーい!」

二人と四匹は、冷めたお茶をぶっかけたり、ひっぱたいたり、つねったり、容赦なく博士達をたたき起こす。そんな中、金豚団員から団長に電話がかかってきた。

「腕時計型の電話か! いいなこれ!」

目をキラキラさせる博士を押し退け、家久は団長の物真似をして電話に出る。

「……そうか。……種子島か。……わかった。……。ゆっくりでいいから慎重に運べよ。」

電話を切った家久は皆をぐるりと見回した。

「奴等は種子島に一旦着陸して、団長達を収容してから火星に帰る気です。そうはさせませんがねー!」

警察官は種子島署に応援要請をした。その後、警察官中心に宗隆達は会議を始めた。西井は真剣な眼差しで言う。

「……プールに落ちた金豚団員と戦ったけど強かったです。気絶からすぐに目覚めるし、全身タイツが濡れて重そうなのに身のこなしが素早くて。加藤さんが一目置く警備員さんも驚いていました。」

白髪混じりの警察官は、西井の言葉に頷き、おっとりと語る。

「ああ、彼らは『六白隊』だ。金豚団の中でもトップクラスの手練れらしい。彼らは豚肉の銘柄で強さと階級が決まっているらしいね。仲間の情報は吐かないくせに、それだけは自分から話してきたよ。六白黒豚は旨いが、私はあぐー豚も捨てがたいと思っている。」

隣の若い警察官は話の方向を元に戻した。

「それはどうでもよいので本題に入りましょう。皆さんは種子島に到着しましたら、事情聴取を受けていただきます。お手数をおかけしますがご協力お願い致します。」

警察官の依頼を、宗隆と西井以外は拒否した。事情聴取より先に宇宙船に殴り込みたいと言うのだ。

「家久将軍のことが思い出せないせいで、申し訳ないことをしたでござる。拙者も戦うでござる!」

「今日は仕事運がよい獅子座が二匹もいるから大丈夫だ。」

「我も参る。」

「あいつらは絶対許さん! トイレから出た後に石鹸で手を洗わないやつもいるんだ!」

「この手で決着をつけたいよ。警察官の皆さんの協力が得られる今日はチャンスだしねぇ。」

警察官達は動物達の同行には納得したが、家久と北見の同行には少し難色を示した。民間人の北見と一応VIPの家久は死なせたら責任問題だからだ。家久と北見は立ち上がり拳を握って抗議する。

「事情聴取ぅ? そんなことより! 私は一分一秒一瞬でも早く奴等をぶん殴りたいぶっ飛ばしたいぶっ殺したい! 部下達を助けたいんです!」

「そうだぜ! 俺達を助けるために残ってくれたんだ! 助けねぇと!」

奇声を発しながら素振りをする家久と北見。警察官達は顔を目あわせる。

「まぁ、お二人は宇宙船の内部をご存知ですから来ていただけますとありがたいです。……但しご同行頂く場合、命の保証は出来ません。自己責任でお願いします。」

家久と北見は笑顔でハイタッチ。

「イェーイ自己責任!」

「ポジティブ自己責任!」宗隆は五月蝿い二人に菓子を与えて黙らせた。

警察官は、続いて宗隆達を見る。

「皆さんは種子島署に駆け込んでください。警護もお付けしますので。」

西井は少し下を向いていたが、顔を上げた。

「俺も宇宙船に行かせてください! 北見のお母さんにあのバカをお願いと頼まれているんです。それに俺は運動神経はよい方です。高校時代は健康部でした。足手纏いにはならないかと存じます。どうか宜しくお願いします!」

博士も。

「宇宙船が見たいので連れてってください。逃げ足には自信があるんで。」

警察官達は唸る。そして悩んだ末に頷いた。義弘は手を突き上げて叫ぶ。

「よし! 皆で心を一つにして! 突撃でござるよ!」

一方、義久は冷徹な声で言った。

「……宗隆は種子島署へ行け。」

「えっ?」

宗隆は目をパチパチさせる。義久は宗隆の目を見て続けた。

「さっき携帯でニュースを見た。鹿児島でまた事件があったらしい。県警はそっちの事件にも人員を割かないといけないだろう。種子島署も警官の人数が少なそうだし、少数精鋭で戦わなくてはならない。つまり……。」

少し間を開け、義久は厳しい声で断言した。

「徹夜明けで体力のないお前は足手纏いだ。お前は十分頑張った。休め。」

宗隆は黙って下を向いた。彼の頭は様々な考えで彩られる。怖いから行きたくない。しかし一人だけ逃げるのは世間体が悪い。それに不謹慎だが宇宙船が見たい。だが、それらの感情より大きかったのは。島津兄弟の力に成りたい、側にいたいと言う気持ちだった。彼としては何でもよいので力になりたい。しかし、冷静に考えれば運動神経の悪い自分が無理について行くのは逆効果だと判断した。宗隆は眉間に皺を寄せ、唇をぎゅっと噛み締めた。しかし、彼はすぐに無表情で口を開いた。

「……世間体は悪いですが、僕は正直怖いし、足手まといなので行きません。皆さんの幸運を祈っております。」

冷たいとか臆病だとか罵られるのは覚悟していた彼だが。誰も非難はしなかった。宗隆の肩を義弘は優しく叩く。

「宗隆の分も頑張ってくるでござるよ! 帰ってきたら安納いもを食べさせて欲しいでござる!」

――皆は突入作戦を練った。家久、北見の話も加味し、最上がさらさらと船内の地図をテーブルに書く。一方、疲れた宗隆は壁にもたれて少しうたた寝をしてしていた。しばらくして目覚めた彼は高速で目をこすり、携帯で現在地を確認する。その結果を見て彼は目を見開いた。そして博士をつつく。

「種子島を通り越している気がするんですが。」


博士も事態を確認。家久は団長の携帯電話で、物真似しながら電話した。

「種子島通り越しているんじゃねぇか?」

「そうですよ。あそこに着陸するのは目立つので悪石島に変更しました。そう言えば団長、我々に言うことはありませんか?」

「は? あぁ……ご苦労。」

団員は沈黙したが、再び口を開いた。ドストエフスキーな低音の声で。

「……家久か。火星に帰れって命令を無視した俺達にお小言一切無しなんておかしい。」

家久は冷静に自分が団長だと主張するが、逆効果だった。

「団長は短気だ。こういう時に冷静に反論できない。さっきも『ゆっくりと慎重に運べ』とお前は言ったが。団長はゆっくりという言葉は殆ど使わない。ぶら下がる団員を見て少し変な気はしていたが……。あまりに声がそっくりだから騙されていた。団長達は無事なんだろうな!」

家久は舌打ちすると、いつもの口調に戻って答えた。

「みんな生きてますよー。でも此方に手を出したらどうなるかは知りませんが。」

家久は電話をぶち切り、皆を見回した。

「すみません。偽団長だとバレました! 私達が助けを呼べないように、悪石島に着陸するそうです。」

警察官達は県警や種子島署に電話するが、強くなった雨と風のため、ヘリや船を出すのは難しいと言う。宗隆達の日本の悪石島は無人島だ。助けは期待出来ない。吊るされたプレハブ小屋の中に居る警察官は十二人。博士達を+しても戦闘要員は十六人+五匹。金豚団はプレハブ小屋に十一人、さらに宇宙船に百人くらいは居るであろう。真っ正面から挑むのは不利だ。皆は黙り混む。しかし家久は手を叩くと、皆に明るく爽やかな笑顔で提案する。

「よしっ! ここにいる団長達を人質にしましょう! 」

何が「よし」なのか。大多数の者は顔がひきつるが、無視して家久は続ける。

「私がプレハブ小屋の屋上に昇って金豚団を脅迫します。プレハブ小屋を吊るしているクレーンのツメに刀を突き付けりゃ、奴等も驚きますよ。爪が外れたらプレハブはまっ逆さまに海面に落ちて……金豚団員は全員あの世行きです!」

それは自分達も同じである。しかし家久は自信満々に続けた。

「奴等は仲間愛が激しいです! 絶対必ず確実にこっちの要求を聞きます! ……聞かなかったら……。」

皆は息を飲む。家久は鋭い眼差しと地の底で呻く悪霊のような声で低く呟く。

「……皆殺し。」

雨と風の合奏が聞こえる小屋の中で。皆は言葉を失った。その静かな空気をぶった切るように一人の男は叫ぶ。

「……それよりももっとシンプルな方法がある! 島津家久! 俺と戦え! プレハブ小屋の屋上で! 俺が負けたら降伏してやる。だが俺が勝ったら、捕らえられた団員を解放させるための人質になってもらう!」


団長は懐から取り出した銃を家久に向けて構えている。とりあえず家久だけは始末しようと判断したらしい。

「……こっちは貴方を取り囲んで殺せる状況ですが。島津家を騙る無礼者を私の手で滅ぼしてやるのもありですね。」

家久は皆の意見を無視して団長の申し出を了承する。そして、装備の交換を申し出た。

「お互いに正装がよいと思いませんかー?」

「それは断る。俺はこの甲冑が気に入ったからな。」

「分かりました。ではこちらは武士の正装で挑みます。」

何度も止める皆の制止を振り切り。プレハブ小屋の屋上に彼らは昇る。金豚団長は家久から奪った豪華な甲冑に身を纏い。家久は褌一丁に裸足だ。

「何でそれが武士の正装なんだよ!」

階段で待機していた北見は疑問をぶつけ。

「頼むから何か服を着ろ。キモイ。」

団長は顔をしかめた。

二人の言葉を無視して家久は叫ぶ。

「武士の鎧は己の精神なり! ちぇすとー!」

いきなり斬りかかる家久。それを受け止める団長。

激しくぶつかる刀と刀。連打される硬質な金属音は静寂を破り。白銀の刃は暗い空に光と熱を生み出す。異常に気付いた金豚団員は家久を狙撃しようとするが、団長は止めた。

「何でお前らは帰ってきた? とにかくこいつは己の武勇を鼻にかけるキチガイだ! だから俺の武力でぶっ殺してやるぜ! 手を出すな!」

団員達は頷くと、金豚団の団歌を合唱しだした。艶やかで深みのある歌声が広がる。それを聴いた団長の太刀筋は強さと速さを増していった。階段で待機する北見達はハラハラしながら二人を見つめる。一方、階段の耐久重量の関係でプレハブ小屋にいた宗隆は。同じく部屋にいた博士、警察官の一部と、せっせと気絶した団員の懐から銃を回収する。警察官は宗隆と博士に銃を渡す。

「一応持っていて下さい。科学操作班によると、この銃は構造的にあまり殺傷力が無いみたいですが。……それにしても彼らは少し体が熱いですね。」

――眠り続ける団員の一人は寝言を言う。

「……一ヶ月で……無理だ。」やることのなくなった宗隆達が茶をすすっていたころ。家久と団長は嵐の中戦い続けていた。空は宝石のタイガーアイのように煌めく光の縦線が走り。小さな水玉を絶え間なく生み落とし家久達と小屋を冷たく打ち続ける。

「風邪をひくから中に入るでござるよ!」

彼らには心配する義弘の声も聞こえず。時にふらつき時につばぜり合いしつつ刃を交える。最初は心配していた皆だが、二人をもうほっとくことに。皆はローテーションで家久と団長を見張る。


――そんなこんなで時間が経ち、悪石島に着いた。宇宙船はプレハブ小屋をそうっと下ろす。団員は団長の腕型携帯に電話した。

「団長! 着陸したら戻って来ます!」

団長が答える間もなく電話は切れ、宇宙船は着陸場所を探しに消えた。すぐに家久は叫ぶ

「皆さん! 私のことは大丈夫です! 早く金豚団をぶっ殺して下さい!」

宗隆達は迷った。プレハブ部屋の金豚団員は熱があるし、ほうって置いても大丈夫そうだ。しかし団長がクソ強く、家久は少し押され気味である。最上は氷のような表情で言った。

「家久将軍の仰る通り、人質を取って交渉するしかないねぇ。真正面で短期決戦は無謀だよ。……卑怯だろうが私はそれが最善だと思うね。犠牲を少なくしたいなら。」

「でもよ! 病人を人質にするなんてひでぇよ!」

反発する北見の頬を最上はぶん殴った。

「皆の命も掛かっているんだよ!」

「……わかった。でも、いきなり殴ることないだろ!」

こんな時なのに北見と最上は殴りあう。西井は彼らをなんとか止めた。そしてその間に宇宙船は着陸。中から団員が銃を構えて出てきた。百五十人はいるであろう。彼らは此方へ走り来る。昼間よりも早く。激しく。その時だった。地鳴りと暑苦しい声が響く。

「家久様ァアー!」

現れたのは六十人の男。彼らは宗隆達と金豚団の間に割り込むように立つ。

六十人の内訳は。迷彩柄の生地に、大きく電話番号がプリントされたジャージの男二十人。そして。

「我らが竹……盾になります。」

青竹のように緑色で湾曲した鉄板から顔と手足だけ出ている男四十人。まさに歩く青竹……いや盾のようだ。彼らはお好み焼きのコテをもち、金豚団の銃弾を丁寧に弾き返す。甲高い音が雨音よりも大音量で島に響く。彼らは鉄板の内側にジャージを着用。背面には広告が踊る。

『新商品・竹の香りの鉄板』

そんな青竹鉄板男達の後ろにいるジャージ男の一人は、三倍速で事情説明した。

「遅くなって申し訳ありません! 宇宙船から脱出して褌姿で走っていたら逮捕されたのであります! しかぁし! この褌の島津十文字を見て気が付いた警察官さんがおられて、釈放されたであります! で、色々あって桐沢殿が潜水艦で送って下さいましたァア! 加勢の警備員さんも四十人来て下さいました! さあ突撃です! ちぇすとー!」

家久も叫んだ。

「よくぞ無事だった! ちぇすとー!」

宗隆達の戦力は。

青竹鉄板警備員四十人+家久の部下二十人+警察官十二人+家久+北見+西井+博士の七十六人。

さらに島津兄弟+最上+加藤+道三さんを足して

合計七十六人+五匹

金豚団員は。

プレハブ小屋の十人は戦力に成らないので、宇宙船からの百五十人+団長。

合計百五十一人。

厳しい最終決戦が幕を開いた。

灰色の中に光が走る空の下で、皆は金豚団と戦っていた。銃声、雨音、金属音、雄叫び。様々な音色が静かな島に響きわたる。金豚団は向かい風に逆らうが如く凄まじい勢いで銃を打ち。そんな執念の弾丸を青竹鉄板男達はお好み焼きのコテを手足の如く素早く動かし跳ね返す。そして、警察官達は団員の弾換えの隙を狙って彼らを次々と撃った。腕を抑えて呻く団員達。

「こっちの方が数が多い! 取り囲め!」

数に勝る金豚団員達は皆を取り囲もうとする。しかし。最上達は北見達をその外へぶん投げた

「ちぇすとー!」

最上達にぶん投げられた島津兄弟、北見、加藤。槍や刀をブンブン振り回しながら空を舞い、団員の後ろに回り込む。団員達は散り散りになり隊列が乱れた。戦場の空気を感じ取った金豚団長は叫ぶ。

「お前らもういい! 先に火星に帰れ!」

団長の言葉に団員は逆に奮起し、彼らは隊列を建て直した。

「全員総攻撃! 団長達をお救いせよ!」

その後は戦いは拮抗。お互いに銃弾切れとなり、近接戦となる。午後から夕方へ切り替わる空は相変わらず悪天候。雨音が響くプレハブ小屋に残された宗隆は、携帯の天気予報を見て少し震えつつ立ち上がった。

「悪天候が変わらない限り援軍はこない。もう僕たちだけで勝つしかない。……僕にもできることがある。」

彼は家久が脱いだ金豚団の全身スーツを着用した。

「くさっ!」

彼は顔をしかめつつ、そうっと窓から頭だけ出して家久達を見る。ちょうど団長は出口を背にして立っていた。宗隆が出ていっても見えない角度だ。家久と目があった彼は頭のフードを取って、外を指差した。家久は頷くと、奇声を挙げて団長を引き付ける。宗隆はその隙に小屋を出て、辺りを見回した。乱戦状態で、宗隆が小屋から出たことに誰も気がついていないようだ。彼は腕を抑えて痛そうな振りをしつつ、こっそり宇宙船が着陸しそうな場所を探しに行く。彼はまんまと金豚団員の群れを通りすぎる。しかし。

「逃げるなんて許さないでござる!」

肩に道三さんを乗せた義弘、そして義久が刀を構えて走ってきた。

「ぎゃあぁあ!」

宗隆は涙目で走る走る走る。それを鬼の形相で追いかける島津兄弟。立ちはだかる金豚団員をラグビーのタックルの如く薙ぎ倒し。ただひたすらに宗隆を追いかける。だが何故か金豚団員の群れから離れたところでぱったりと二匹は倒れた。恐る恐るフードを取って近づいた宗隆に、道三さんは突っ伏しながら小声で言う。

「我らを人質にせよ。」

一瞬迷った宗隆だが、フードを被って深く頷いた。彼は二匹をに両手を挙げて立たせると、それぞれに刀を突きつけた。道三さんは目を閉じて気絶した振り。彼らはしばらくして宇宙船を見つけると、まんまと中に侵入した。

宗隆は宇宙船を見上げる。

「これが……。」

宇宙船はキューブ状で、色はメタリックブルー。

「宇宙船を占領してどうするのだ。」

義久の問いに宗隆は自信無さげに答えた。

「行き当たりばったりなんですが……。宇宙船で金豚団にビーム攻撃をするとか、種子島署の刑事さんを連れてくるとか、この状況を変える何かが必要だと思いました。」

「無謀でござるよ全く! だいたい操作方法もわからないのに!」

口を尖らせる義弘に、宗隆は頷きつつも反論した。

「仰る通りですが、戦闘では僕は全く役に立ちません。せめて怪我の手当てをしようと思っても師匠に小屋行きを命じられるし。だったら違うことで役に立ちたいと思いました。」

まだ何か言いたげな義弘を制し、道三さんはさっさと中に入ろうと提案。彼らは深呼吸して宇宙船に乗り込んだ。


船内は様々な標語、ポスターが貼られ、掃除もそこそこされていた。

「ちょっと学校みたいな雰囲気ですね。」

節電モードで薄暗い船内を、警戒して中を進む一人と三匹。しかし人影はおろか、動物の影もない。最近までここに居た島津兄弟は船感がある。なので彼らはあっさり船の運転室の付近にたどり着いた。しかし。そこで義弘は足をピタリと止めた。

「人が居る気配がある。……ちょっと見てくるでござるよ。拙者が五分経っても帰らないときは……助けを呼びに帰って欲しいでござる。」

宗隆は何となく嫌な予感がした。

「なら……とりあえず戻りませんか?」

義久と道三も同意。しかし。

「ここまで来て何を言うでござるか!」

義弘は行くと言って譲らず、音をたてずに走り出した。……嫌な予感は当たった。五分経ったが義弘は帰ってこない。宗隆はとりあえず警察官、博士、最上、加藤、西井、北見の順に電話した。しかし誰も電話に出ない。一応メールをしたものの、直ぐにはこれないであろう。宗隆は腕組んで唸った。

「このままここから逃げて助けを呼びに行っても……間に合わないかもしれない。かといって、師匠がやられたレベルじゃ……。」

義久は道三さんと目配せする。そして。頭を抱える宗隆に冷徹に言った。

「お前は一人で助けを呼びに行け。足が一番早くて、おまけに金豚団員のタイツを着ているから疑われない。」

宗隆は目を見開き、思わず彼にしては大きな声を出した。

「……一人で? 殿と道三さんはどうするんですか!」

義久は穏やかに微笑んだ。

「私も金豚団の訓練を受けた身。大丈夫だ。人間が近くに居ると出来ない、敵陣用のおまじないをしたら後から追いかける。」

道三も。

「我の策にはお前が邪魔だ。」

宗隆は目を瞑って下を見た。怖いから逃げたい。義久達は心配だが、自分が走って助けを呼びに行く方が合理的だ。自分は戦力にならないのだから。しかし。合理的な思考を越えた何かが、不思議な何かが彼を動かした。宗隆は金豚団の携帯電話が全身タイツのポケットに入っていることに気がつくと、それを使って電話する。たまたま、宗隆の使っている機種と操作方法がそっくりだったのだ。

「団長に電話します。」

目を丸くする道三さんと義久。団長の携帯電話は腕時計型。もしかしたら出るかもしれないと思った宗隆は、緊張して声が裏返りつつも声を張り上げて電話をかけた。


「も、しもし、団長ですか?」

団長は電話に出た。

「お前誰だ? こんなヘリウムガスを吸ったような面白声のヤツは団員にいないはずだ!」

宗隆はショックで一瞬言葉を失ったが、今はそれどころではない。精一杯腹から大声を出す。

「どうも。伊東、伊東です。宇宙船を乗っ取りました。降伏して下さい。」

団長は鼓膜を破きそうなほどの凄まじい声量で怒鳴った。

「伊東ォォア! 首を洗って待ってやがれ!」

団長は携帯をぶち切る。宗隆は長い息を吐いた。

「団長は伊東〜と叫びながら走ってくるでしょう。これで団長、団長を追いかけた団員、そしてそれを追いかけにくる皆が大挙するするはず。」

道三さんは納得いかない顔をする。

「確かに皆の到着時間は半分に出来る。しかしこれでは金豚団も来てしまうではないか。」

「木綿素材のスーツは水を吸って重いです。脱ぐとしても時間はロスします。

ぴったりしてるので。

恐らく元気な団長だけ突っ走って最初に来ます。鉄板の皆さんは、道三さんの話では鉄板を外したとのことですから身軽ですし、早く来てくれるはず。それに一番身軽なのは家久将軍。彼はサド。追撃戦が大好きなはず。へばっていても笑顔で走ってくるでしょう。」

宗隆は運を天に任せた。

宗隆の精一杯の大きな声は、鍔迫り合いしていた家久にも聞こえた。団長は渾身の力で家久をぶっ飛ばし。宇宙船へと一直線。

「伊東! ぶっ殺す!」

そんな団長を追いかける家久。ギリギリ追い付かない程度に走る。宇宙船まで案内させるためだ。家久は爽やかな笑顔で走りながら叫ぶ。

「みなさーん! 伊東ちゃんが宇宙船を乗っ取りましたァ! さぁ総攻撃のお時間ですよー!」

彼の声はとてもよく響く。まさに走るスピーカー。

「宇宙船を取り戻すぞ! 」

「伊東!」

「島津さんと道三さんもいねぇ!」

全員戦いを中断し、徒競走がはじまった。ゴールは宇宙船。金豚団員は足が速いが雨を含んだ木綿素材の全身タイツは重い。さすがに学習した団員はタイツを脱ぎ、Tシャツとハーフパンツ姿で加速。……先頭集団は団長、家久、北見、加藤、最上。少し遅れて西井、警察官、桐沢が派遣した警備員。疲労のある金豚団員は遅れを取った。


――一方、メイン運転室前の宗隆達は首を捻る。暗証番号を入力しないと入れないのだ。

「殿や道三さんがいた頃とは違うでしょうし。師匠はよく入れましたね。」

道三さんは! マークにくねると言った。

「確かに毎月変更していたな。でも携帯にメモをしているかもしれんぞ。奴等は忘れっぽい。」

義久も頷く。

「道三さんの仰る通り。」火星人と日本人の言語は同じだったので、宗隆は『メモ』の項目を探す。いくらなんでも携帯にメモするのか疑問の彼だが。

「……ありました。一二三四五六七。それくらい覚えろよ。」

宗隆はそうぼやくと、義久と道三さんを見た。

「とりあえず金豚団のスーツを着ている僕だけ入ります。おっと。その前に。」

宗隆は携帯を弄ってポケットに入れたあと、暗証番号を素早く入力し、ドアを開けた。


部屋を見た途端、宗隆は目を己の限界まで見開いた。園長と桐沢と屈強な筋肉男四人が倒れているのだ。筋肉男達のうち二人は、宗隆の茶会ごっこに来た般若顔と厳つい男である。宗隆はさらに視線を部屋の奥にやる。奥では義弘と逞しい男二人が戦っていた。男達は身長二m近く筋肉質の体格で、空間を切り刻むが如く日本刀を振り回していた。宗隆は思わず声が出そうになるのを口に手を当ててこらえ、さらにさらに視線を奥にやる。そこには悠然と座っている初老の紳士。宗隆はその紳士に見覚えがあった。銀箸団のキャンプで博士と話していた男だ。とても端正な顔立ちで気品に溢れていたので、何となく宗隆の脳裏に焼き付いていたのだ。宗隆は事情を少し理解した。

(園長、桐沢社長、紳士……共通点は銀箸団。もしかして内輪揉め? ……何故ここで……?)

部屋の奥の紳士は宗隆に気が付き、声を掛ける。

「おや、君。仕事はいいのかな?」

宗隆は深呼吸すると精一杯低音の声を出した。

「……宇宙船ががら空きだったので、不安になって様子を見に来ました。」

紳士はブラックホールのように、底が知れない微笑みを返す。

「道三さんと、島津兄弟を連れて様子を見に来たのかな?」

宗隆の顔に汗が走る。一瞬固まった彼だが、努めてゆっくりと落ち着いて、言葉を絞り出す。

「無傷で団長に差し出したくて……説得に成功したんですが、義弘だけ見失いました。」

紳士はそんな彼を見て、意地悪そうに笑う。

「義弘さんは自分一匹で来たと言ってたよ。」

紳士は最初からすべて知っていて、必死な宗隆を面白がっていたのだ。宗隆は義弘を見る。義弘はふらつきつつ踏ん張っていた。宗隆の視線に気が付いた義弘は、息も絶え絶えに叫ぶ。

「……拙者は……大丈夫でござる! 行け!」

宗隆は思わず一歩前に踏み出したくなる。しかし、唇を噛んで踵を帰した。


「殿、道三さん、逃げましょう!」

宗隆は道三さんを掴むと猛ダッシュ。自分を筋肉男のどちらか一人が追いかけて来れば、義弘にも勝機が出ると判断したのだ。しかし。

「ぁああ!」

飛び上がる宗隆。天井からは重低音が響き渡り。白い煙と火薬の匂いが広がる。天井を見た後そっと振り返った宗隆の視界に入ったのは。肘を押さえる筋肉男。宗隆を狙撃しようとした筋肉男の肘に、義久が突き上げるようにタックルしたのだ。さらに彼は目を瞑って全身で全力で男に噛みつく。

「殿!」

宗隆は目をかっぴらいた。義久の元へ自分史上最高速度で駆ける。そして道三さんを鞭のようにしならせ筋肉男目掛けて思いっきり振り下ろした。

「ちぇすどォォアぁぁぁあ!」

蛇鞭は風を切り裂く。宗隆から力を受け筋肉男の首筋におもいっきり噛みつく道三さん。その歯は筋肉男の分厚いハイネックインナーを貫通。毒を食らった筋肉男は気絶した。一方義弘は。相手が一人になったことで余裕が出てきた。そして。包丁を強く握りしめて叫んだ。

「島津十文字斬! 」

もう一人の筋肉男を苦戦の末に何とか倒した。

宗隆は荒い息をはきながら、仰向けにひっくり返って天井を見上げた。そして、自分に駆け寄る義久と道三さんに、掠れた声で言う。

「だい…じょ…ぶです……それよ…し……しょぉお、お。たすく、て。」

義久と道三さんは頷くと運転室に走った。


――運転室ではもう事件は解決していた。義弘が紳士と筋肉男をやっつけたのだ。そこへ、道三さんを首に巻いた義久が、息せきかけて運転室へ入ってきた。

「義弘!」

義久は珍しく顔を崩した笑顔で駆け寄る。義弘もまた同じ。

「兄者ぁあ! 道三殿! ……宗隆は無事でござるか?」

近寄ってくる義弘に、義久と道三さんは無言で後ろを指差す。彼らは感動の再会時も気を緩めない。義弘は背後から殺気を発する筋肉男をぶん殴ると、何事もなかったかのように義久と道三さんに笑顔で歩み寄った。。

「疲れてひっくり返っている。怪我はないし大丈夫だと思うが、一応診てやってくれ。」

「わかったでござる! でも先に園長殿と桐沢殿と……。」

「私は大丈夫です。」

「同じく。」

「俺も。」

「私も。」

桐沢とその部下の屈強男二人、園長は目を覚ました。彼らは銃で撃たれたが、防弾チョッキを着ていたのでその傷自体は大したことがなかった。気絶していたのはその後の近接格闘のせいだという。次いでに紳士の部下も目覚めてしまったが、すかさず桐沢の部下がボディーブローで気絶させた。義久の指示で、桐沢達は、紳士とその部下の手首を縛り始める。紳士達の捕縛は義久達にまかせ、義弘は宗隆の元へ向かう。運転室を出ていく義弘の背中に義久は声をかけた。

「道三殿のお陰ではあったが、宗隆も男を見事に倒した。誉めてやるのだ。」

義弘は頷いて走りだす。そして少しして。

「宗隆!」

宗隆は力尽き、こどものように寝息をたてている。義弘は春の太陽のように微笑んで、そっと宗隆の頭を撫でた。

「本当に頑張ったでござるよ。」

起こしたらかわいそうだと思った義弘は、宗隆を引きづり走る。

「……いただだだ! いだだだだだだ引きづらないでくだしぃ!」

宗隆は目が覚めた。当然だ。彼はよろよろと壁に手を当てて立ちあがり、ゆっくり歩き始めた。

「師匠、だいじょ……ちょっと怪我してますね。」

義弘の腕に走った赤い線をじっと見つめる宗隆に、義弘は安心させるように言う。

「これくらい大丈夫でござるよ! それより戦況は?」

「あ。……いろいろありまして。これから博士達、金豚団員、団長がここに押し寄せます。」

「えー! どうするでござるか!」

そんな中、宗隆の携帯が鳴った。電話を取ると、博士の声の他に北見の雄叫びが微かに聞こえる。

「もしもし伊東です……はい。僕達は無事です。」

「……運転室の場所はわかるか?」

「はい。」

「じゃあ急いで宇宙船を離陸させろ。」

「へっ? 」

「こっちは全員乗った。早く離陸しろ! 仁王立ちしている北見達が限界だ! 操作方法は今最上に変わる。」

「……はい。わかりました。僕は限界なんで師匠に変わります」

宗隆はもう走る気力が無かった。義弘に携帯ごと託すと、よろよろと、また歩き出す。義弘は猛スピードで運転室に入った。そして、てきぱきと機械を操作する。宇宙船は無事離陸し、オレンジと水色に塗り分けられた空へ浮かび上がった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ