異世界帰還に成功した王女様
異世界人と暮らすなんて、普通は一日で限界が来る。
けれど、インテリメガネの会社員・雄一の生活は、なぜかそれが日常になってしまった。
高飛車で騒がしくて、常識も距離感もバグっている王女リリィ。
そして、なぜか工事現場で順応しすぎた元大司教クリス。
さらに巻き込まれ続ける彼女・かおり。
騒がしくて面倒で、常に何かしらトラブルが起きていたはずなのに――気づけば、それが「いつもの日常」になっていた。
そして、その日常には必ず終わりが来る。
これは、異世界から来た王女と過ごした、少しおかしくて、少しだけ寂しい最後の一日の話である。
遂にリリィとクリスが異世界へ帰る日が来た。
朝からマンションの部屋は妙に静かだった。
……いや、正確には静かではない。
リビングではゲームの効果音が鳴り響いている。
「くらいなさい! ですわぁぁぁ!」
ソファに座るリリィが、携帯ゲーム機を握りしめながら派手に叫んでいた。
「朝からうるさいな……」
休日の朝だというのに、雄一はコーヒーを片手に眉をしかめる。
しかし今日ばかりは、いつものように強く注意する気にもなれなかった。
リリィはゲームをしながら、ぴったり雄一に寄りかかっている。
「おい、リリィ、くっつくなって!」
「何をおっしゃってるの? くっついてきているのはあなたの方ですわ!」
「いや、俺ソファから動いてないからな?」
「ではソファが動いたのでしょう」
「どんなホラー現象だよ!」
リリィはふふんと笑いながらゲームを続ける。
だが今日は、いつもより妙に距離が近い。
肩が触れるたびに金色の髪が揺れ、ほんのり甘いシャンプーの香りがした。
雄一は落ち着かず、読んでいた本を閉じて立ち上がる。
「俺、向こうで本読むから」
「あら、逃げましたわ」
「逃げてねぇよ!」
雄一がソファから離れてダイニング側へ移動すると、数分後――。
今度はリリィがBL本を片手にやってきた。
「……お前、結局最後までその趣味覚えたよな」
「芸術への理解が足りませんわね」
そう言うと、リリィは当然のように雄一の膝へ頭を乗せて寝転がった。
「おい」
「なんですの?」
「なんで俺の膝使ってるんだよ」
「床が遠かったからですわ」
「意味わかんねぇよ!」
だがリリィはまったく動く気配がない。
BL本を読みながら、時々「まあ素敵……」などと呟いている。
「お前、王女だろ……」
「王女ですわ」
「もっとこう……気品とかないの?」
「ありますわ! ほら!」
リリィは寝転がったまま片手を優雅に振る。
「それ、ただのダメ人間のポーズだからな?」
そんなやり取りを見ながら、キッチンで朝食を準備していたかおりが苦笑した。
「あらあら、リリィちゃん、本当に雄一に懐いたわね」
「懐いてませんわ! このインテリメガネは、わたくしの下僕ですもの」
「誰が下僕だ」
すると新聞を読んでいたクリスが、しみじみと頷く。
「しかし姫様もまだ十七歳ですからな。寂しいのでしょう」
「性格は終わっていますけどね」
「クリス、お前あとで処刑な?」
「ひっ」
クリスは本気で怯えた。
かおりはそんな様子を見て吹き出す。
「クリスさん、本当にリリィちゃんのこと怖がってるのね」
「そ、それはもちろんですぞ! 姫様は昔、晩餐会で自分の悪口を言った貴族のワインを全部酢に変えたことがありますからな!」
「地味に嫌な魔法!」
リリィは得意げに胸を張る。
「王族とは恐れられてこそですわ!」
「お前、絶対に悪役側の王女だろ……」
昼になると、雄一は最後くらいまともな食事にしようと思い、少し高めの焼肉弁当を買ってきた。
「今日は送別会みたいなもんだ」
「おお! 肉ですわ!」
「姫様、こちらの世界の肉料理は本当に美味でしたな!」
「クリスが仕事帰りに買ってきた牛丼も最高でしたわ!」
「お前、あれ深夜に俺の分まで勝手に食っただろ」
「育ち盛りですもの!」
「王女が言うセリフじゃねぇ!」
四人で昼食を囲む。
最初は他人同士だった。
だが今では、この光景が妙に自然だった。
かおりが笑い、クリスが大盛りご飯を食べ、リリィが文句を言いながら肉を奪い、雄一が呆れる。
そんな日常が、今日で終わる。
ふと、かおりが静かに言った。
「……なんか、不思議ね」
「何が?」
「最初は絶対に長続きしないと思ってたのよ? でも、気づいたら普通に家族みたいになってた」
一瞬だけ、部屋が静かになる。
リリィは箸を止め、小さく笑った。
「まあ、悪くない下界生活でしたわ」
「上から目線は最後まで変わらないんだな」
「当然ですわ。王女ですもの」
午後になると、リリィはなぜか雄一の後ろをずっとついて回った。
冷蔵庫を開ければ後ろにいる。
洗濯物を畳めば横に座る。
スマホを見れば覗き込む。
「お前、暇なの?」
「暇ですわ」
「帰る準備とかないの?」
「向こうが勝手に迎えに来ますもの」
そう言うと、リリィは雄一の背中に寄りかかった。
「……なあ」
「なんですの?」
「帰ったら元気でやれよ」
「突然どうしましたの?」
「いや……」
雄一は少しだけ言葉に詰まる。
うまく言えなかった。
面倒ばかりだった。
毎日騒がしかった。
けれど、いなくなると思うと妙に寂しい。
そんな感情を、雄一自身うまく整理できなかった。
リリィは少し黙ったあと、珍しく静かな声で呟く。
「……雄一」
「ん?」
「わたくし、こちらの世界、結構好きでしたわ」
「ゲームあるしな」
「あとアイス」
「あとBL本だろ」
「芸術ですわ!」
夕方になると、クリスがスーツケースをまとめ始めた。
「いやぁ、工事現場の皆さんには本当にお世話になりましたぞ……」
「最後まで競馬新聞持って帰る気かよ」
「もちろんです!」
「異世界に競馬場ないだろ!」
「姫様に作っていただきます!」
「やめろ、異世界が終わる」
夜。
遂に迎えの時間が来た。
寝室のクローゼットの前に、淡い魔法陣が浮かび上がる。
以前失敗した時と同じ光景。
だが今回は明らかに魔力が安定していた。
「おお……今度は大丈夫そうですな!」
クリスが感動している。
リリィは静かに雄一の前へ歩いてきた。
「雄一、お別れですわ!」
「ああ」
「こちらの世界では別れの際にハグをすると聞きます。特別にわたくしとハグすることを許します!」
「まあ、日本じゃそこまでやらないけどな……」
雄一は少し困った顔でかおりを見る。
すると、かおりは肩をすくめて笑った。
「最後くらいいいんじゃない?」
「……だそうだ」
「光栄に思いなさい!」
リリィは偉そうに両手を広げる。
雄一は苦笑しながら、そっとリリィを抱きしめた。
「じゃあ、元気でな」
その瞬間。
リリィの腕がぎゅうっと雄一の腰に回る。
「チャンスですわ! このメガネをわたくしの世界に連れて帰るのです! 早く転移魔法を!」
「ふざけるなぁぁぁ!」
雄一は本気で暴れた。
「お前の世界、人権意識終わってるだろ!」
「大丈夫ですわ! 雄一にはわたくし専属の宮廷魔導士兼BL図書管理官という名誉ある役職を――」
「嫌すぎるわ!」
リリィは本気で引っ張っている。
雄一も本気で抵抗している。
「離せ! マジで連れていく気だろ!」
「観念なさい!」
「嫌だ!」
五分近く本気の攻防が続いた。
最終的に雄一はリリィの頬をむにーっと掴み、強引に引き剥がす。
「お、お姫様……じょ、ジョークですわ……」
「心臓に悪いわ!」
息切れする二人。
かおりは腹を抱えて笑っている。
クリスは「やはり姫様なら本当にやりかねん……」と青ざめていた。
ようやく落ち着くと、リリィはクローゼットの前へ立つ。
クリスも横に並ぶ。
魔法陣が強く光り始めた。
「雄一」
「ん?」
「……楽しかったですわ」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
リリィは、いつもの高飛車な顔ではなく、年相応の少女みたいに笑った。
雄一は少し目を細める。
「……まあ、俺も退屈はしなかったよ」
「ツンデレですわね」
「うるせぇ」
リリィは笑う。
そして最後に手を振った。
「またいつか戻ってきますわ!」
「絶対来るな!」
クローゼットの扉がゆっくり閉まる。
光が溢れ――。
ドンッ!
大きな音とともに部屋が揺れた。
静寂。
雄一は慌ててクローゼットを開ける。
だが、そこには誰もいなかった。
魔法陣も消えている。
「……帰った、のか」
ぽつりと呟く。
少しだけ部屋が広く感じた。
すると、クローゼットの隅に紙切れが落ちていることに気づく。
「なんだこれ……?」
拾い上げる。
そこにはリリィの字でこう書かれていた。
『またいつか戻ってきますわ!』
雄一はその紙を見つめる。
そして――。
ふっと笑った。
「……もう、絶対戻ってくるなよ」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
リリィというキャラクターは、「わがままな王女」という設定から始まりましたが、書いているうちにどんどん“生活力のある迷惑系同居人”になっていきました。
そして雄一もまた、最初はただのツッコミ役だったのに、最終的には完全に保護者ポジションに収まっていました。
かおりは現実と常識のバランサーとして、クリスは謎の適応力で世界観を安定させる存在として、それぞれが勝手に役割を獲得していった感じです。
物語としては終わりますが、彼らの日常はたぶんこの先もどこかで続いている気がします。
特にリリィは、絶対にまた変な形で現れます。
そのとき雄一の平穏が守られているかどうかは……きっと誰にもわかりません。
それでは、本作に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




