第11話 続きの重さ
高田に原稿を送った。
字義との対話の中で書き直した部分、新しく書いた部分、合わせて第二章の冒頭三十枚。
送信ボタンを押してから、後悔した。
あれは「俺と字義の間にある」と思っていたのに。
返信は、二時間後に来た。
『神代さん、読みました。
率直に申し上げます。
第一章と、文体が違います。
第一章は、速い。読者が追いつくより先に物語が走っていく。刃のような文章でした。
第二章は、遅い。でも遅い分、深い。呼吸している感じがする。
どちらが優れているかを私は判断できません。
ただ、この二つを同じ作品として続けることが、本当に可能なのか、確認させてください。
明日、会えますか』
俺は画面をしばらく見ていた。
字義に問いかけた。
「俺の書いたものが変わったと、編集者が言っている。お前との対話で書いたものを、第一章の続きとして出していいのか」
字義が少し間を置いた。
――俺には分からない。お前の言う「同じ作品」の意味が、まだ掴めない。
「一本の川に、速い場所と遅い場所があるように、同じ物語の中に速い文章と遅い文章が共存できるかどうか、ということだ」
また間があった。
――川は、上流と下流で速さが変わる。それは同じ川だ。
俺は返信を打った。
『明日、伺います』
◇
翌日、高田と向き合った。
会議室ではなく、編集部近くの喫茶店だった。高田が指定した。机の上に、俺が送った原稿を印刷したものが置かれていた。
「読みました。何度も」
高田が眼鏡を外し、レンズを拭いた。考えているときの癖だ。
「第二章は、第一章より言葉が少ない。なのに、情報量が多い気がする。おかしな話ですよね」
「おかしくない」
「神代さんが言うなら、そうなんでしょうね」
高田が原稿の一枚を手に取った。
「この一文です。『彼女は窓の外を見ていた。見ていた、というより、外に何もないことを確かめていた』。この感覚、どこから来たんですか」
俺は少し考えた。
正直に答えるなら、字義が物語の内側に入っていたときの気配から来ている。あのとき物語の空気に溶けていた「外に何もないことを確かめる」感触が、文章になった。
「読者ではない何かが、内側から物語を見たときに感じるものを、書いた」
高田が俺を見た。
「読者ではない何か」
「うまく説明できない。でも、確かにそういうものがいる」
高田が長い沈黙を置いた。
眼鏡を再びかけた。
「続けてください。このクオリティで、続けられるなら。私は、この第二章の方向を押します」
「第一章との違いは問題になりませんか」
「問題にします」
高田が真顔で言った。
「問題にした上で、通します。この二つが同じ川の上流と下流だと読者に感じさせられるなら、それは欠点ではなく構造になる。その説明責任は、私が引き受けます」
俺は、高田という男を改めて見た。
売れない作家の、稚拙な原稿に溜息をつき続けてきた男。それが今、「説明責任は私が引き受ける」と言っている。
「高田さんは、なぜ編集者をやっているんですか」
唐突な問いだった。
高田が少し驚いた顔をして、それからゆっくりと笑った。
「読んだことのない文章に、出会いたいからです。誰も書いたことのない文章を、初めて読むときの感触のために、この仕事をしています」
俺は頷いた。
その言葉を、後で字義に語って聞かせようと思った。
◇
帰り道、LANOSの白い封筒を開けた。
中には一枚の紙が入っていた。施設の住所と、面会申請の手順が、淡々と記されていた。
一番下に、一行だけ追記があった。
『安藤仁氏は、面会を望んでいます』
俺はその一行を、三度読んだ。
字義の光が、俺の視界の端で、静かに揺れていた。




