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俺の小説を食べる何かに、名前をつけた  作者: 九条 蓮夜


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第12話 抜け殻の言葉

 施設は、郊外の住宅地の中にあった。

 外観は普通の一戸建てだった。表札もなく、インターフォンのパネルに番号が一つあるだけ。呼び出すと、9話で会った「担当者」が現れた。


 通された部屋は、面会室というより、ごく普通のリビングに見えた。

 柔らかい照明。木目調のテーブル。壁際に本棚。

 演出だ、と思った。ここが施設だと感じさせないための。


 仁は、すでに椅子に座っていた。


 一ヶ月前、居酒屋でゼニアのスーツを着ていた男の面影は、残っていた。

 だが、何かが欠けていた。

 目が、俺を見ていなかった。俺の少し後ろを見ていた。焦点の合わない目で、空気の一点を見ていた。


「仁」


 呼びかけると、男がゆっくりと俺の方を向いた。


「……紡」


 声は残っていた。低く、穏やかな声。だが抑揚がなかった。まるで台詞を読み上げているような。


「久しぶりだな」


「そうだな」


 仁がテーブルの上に両手を置いた。指先が、微かに震えていた。


「お前に、渡してしまったな」


 謝罪の言葉ではなかった。ただ、事実を確認するように言った。


「俺は平気だ」


「そうか」


 また沈黙があった。

 仁の目が、また俺の後ろへ向いた。

 俺は振り返らなかった。視界の端で、字義の光が揺れているのは分かっていた。仁には、それが見えているのかもしれない。


「仁、俺に話してくれないか。何があったのか」


 仁が少しの間、黙った。

 それから、ゆっくりと息を吐いた。


「最初は、面白かった。見えなかったものが見えるようになる。考えが速くなる。俺は製薬の研究者だから、機序きじょが分かる分、恐怖も少なかった。観察しながら使えると思ってた」


「観察できなくなったのはいつだ」


「三ヶ月目」


 仁が言葉を選ぶように間を置いた。


「それまで一個体として認識していたものが、俺の中に入ってきた。外から見ていたものが、内側に来た。最初は夢の中で。次に、起きている間も」


「……字義と話せていたのか」


「字義?」


 仁が初めて、表情らしい表情を見せた。

 不思議そうな顔。


「名前を、つけたのか」


「ああ」


 仁がまた少し黙った。

 それから、ぽつりと言った。


「俺は名前をつけなかった。名前をつける発想がなかった。ただ使っていた。向こうも、俺を使っていたと思う。最初は対等だと思っていたが、気づいたら比率が変わっていた」


「比率」


「俺の思考の中で、俺の言語で考えている部分と、向こうの概念で動いている部分の比率だ。最初は九対一だった。それが、八対二になり、七対三になり、気づいたときには半々になっていた。半々になると、もう自分の言葉がどれで向こうの言葉がどれか、分からなくなる」


 俺は黙っていた。


「今は?」


「今は六対四くらい、か」


 仁が苦笑いに近い表情をした。


「LANOSが引き離してくれたから、戻った。拮抗薬も使った。完全には戻らないが、今は俺の言葉で話せている」


「引き離す、というのは」


「カプセルを断ち切ること。そして、向こうとの接触を物理的に遮断すること」


 俺は考えた。


「物理的に遮断できるのか」


「LANOSは方法を知っている。だから俺はここにいる」


 仁が俺を、今度は正面から見た。


「紡。お前は名前をつけた。話もしている。それは、俺とは違う関係性だ。俺には分かる。お前の後ろにいるのは、俺が付き合っていたものと、同じ存在ではない気がする」


 俺は少し驚いた。


「どう違う」


「俺のは……俺を通り抜けていった。お前のは、お前の傍にいる。そこが違う」


 仁がまた視線を外した。

 遠くを見る目に戻った。


「だから、俺と同じにはならないかもしれない。でも」


 間があった。


「でも、気をつけろ。お前が思っている以上に、向こうはお前の言語を使いこなすようになる。お前の言葉で、お前に都合のいいことを言えるようになる。それが本心か、お前に向けた言葉かは、向こう自身にも分からないと思う」


 俺は答えなかった。

 その警告が正しいかどうかを、今の俺には判断できなかった。


 帰り際、廊下で担当者と擦れ違った。

 担当者が何か言いかけて、やめた。

 その目が、俺の肩の辺りを一瞬見た。

 字義がいる場所を、正確に見ていた。


 外に出ると、曇り空だった。

 字義に問いかけた。


「お前には、今日の話が届いていたか」


 少しの間があって、概念が来た。


「……届いていた。仁の言っていた存在は、俺ではない。俺は、お前を通り抜けようとしたことは、一度もない」


「分かってる」


 俺は歩き出した。

 分かっている、と言いながら、仁の言葉の重さが、足に絡みついていた。第12話 抜け殻の言葉


 施設は、郊外の住宅地の中にあった。

 外観は普通の一戸建てだった。表札もなく、インターフォンのパネルに番号が一つあるだけ。呼び出すと、9話で会った「担当者」が現れた。


 通された部屋は、面会室というより、ごく普通のリビングに見えた。

 柔らかい照明。木目調のテーブル。壁際に本棚。

 演出だ、と思った。ここが施設だと感じさせないための。


 仁は、すでに椅子に座っていた。


 一ヶ月前、居酒屋でゼニアのスーツを着ていた男の面影は、残っていた。

 だが、何かが欠けていた。

 目が、俺を見ていなかった。俺の少し後ろを見ていた。焦点の合わない目で、空気の一点を見ていた。


「仁」


 呼びかけると、男がゆっくりと俺の方を向いた。


「……紡」


 声は残っていた。低く、穏やかな声。だが抑揚がなかった。まるで台詞を読み上げているような。


「久しぶりだな」


「そうだな」


 仁がテーブルの上に両手を置いた。指先が、微かに震えていた。


「お前に、渡してしまったな」


 謝罪の言葉ではなかった。ただ、事実を確認するように言った。


「俺は平気だ」


「そうか」


 また沈黙があった。

 仁の目が、また俺の後ろへ向いた。

 俺は振り返らなかった。視界の端で、字義の光が揺れているのは分かっていた。仁には、それが見えているのかもしれない。


「仁、俺に話してくれないか。何があったのか」


 仁が少しの間、黙った。

 それから、ゆっくりと息を吐いた。


「最初は、面白かった。見えなかったものが見えるようになる。考えが速くなる。俺は製薬の研究者だから、機序きじょが分かる分、恐怖も少なかった。観察しながら使えると思ってた」


「観察できなくなったのはいつだ」


「三ヶ月目」


 仁が言葉を選ぶように間を置いた。


「それまで一個体として認識していたものが、俺の中に入ってきた。外から見ていたものが、内側に来た。最初は夢の中で。次に、起きている間も」


「……字義と話せていたのか」


「字義?」


 仁が初めて、表情らしい表情を見せた。

 不思議そうな顔。


「名前を、つけたのか」


「ああ」


 仁がまた少し黙った。

 それから、ぽつりと言った。


「俺は名前をつけなかった。名前をつける発想がなかった。ただ使っていた。向こうも、俺を使っていたと思う。最初は対等だと思っていたが、気づいたら比率が変わっていた」


「比率」


「俺の思考の中で、俺の言語で考えている部分と、向こうの概念で動いている部分の比率だ。最初は九対一だった。それが、八対二になり、七対三になり、気づいたときには半々になっていた。半々になると、もう自分の言葉がどれで向こうの言葉がどれか、分からなくなる」


 俺は黙っていた。


「今は?」


「今は六対四くらい、か」


 仁が苦笑いに近い表情をした。


「LANOSが引き離してくれたから、戻った。拮抗薬も使った。完全には戻らないが、今は俺の言葉で話せている」


「引き離す、というのは」


「カプセルを断ち切ること。そして、向こうとの接触を物理的に遮断すること」


 俺は考えた。


「物理的に遮断できるのか」


「LANOSは方法を知っている。だから俺はここにいる」


 仁が俺を、今度は正面から見た。


「紡。お前は名前をつけた。話もしている。それは、俺とは違う関係性だ。俺には分かる。お前の後ろにいるのは、俺が付き合っていたものと、同じ存在ではない気がする」


 俺は少し驚いた。


「どう違う」


「俺のは……俺を通り抜けていった。お前のは、お前の傍にいる。そこが違う」


 仁がまた視線を外した。

 遠くを見る目に戻った。


「だから、俺と同じにはならないかもしれない。でも」


 間があった。


「でも、気をつけろ。お前が思っている以上に、向こうはお前の言語を使いこなすようになる。お前の言葉で、お前に都合のいいことを言えるようになる。それが本心か、お前に向けた言葉かは、向こう自身にも分からないと思う」


 俺は答えなかった。

 その警告が正しいかどうかを、今の俺には判断できなかった。


 帰り際、廊下で担当者と擦れ違った。

 担当者が何か言いかけて、やめた。

 その目が、俺の肩の辺りを一瞬見た。

 字義がいる場所を、正確に見ていた。


 外に出ると、曇り空だった。

 字義に問いかけた。


「お前には、今日の話が届いていたか」


 少しの間があって、概念が来た。


「……届いていた。仁の言っていた存在は、俺ではない。俺は、お前を通り抜けようとしたことは、一度もない」


「分かってる」


 俺は歩き出した。

 分かっている、と言いながら、仁の言葉の重さが、足に絡みついていた。

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