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第68話 新章・私の居場所

「葵、今日は朝からお疲れ様」


 雅が私に声をかける。昼食を終え、二人で立ち寄った公園は、昼下がりの穏やかな空気に包まれていた。


「ううん、雅もお疲れ。思ったより話がスムーズに進んで、少し安心したね」


 私も雅に微笑み返す。今日は朝からアニメ監督との打ち合わせがあった。


 『二人と一人』のアニメ化に伴い、雅と私は声優として出演する話を正式に引き受けることになった。少しでも啓の役に立ちたい。そんな思いで二人で決めたことだ。


「まさか私たちに声優の話が来るなんてね」


 雅が、少し驚きと照れくささの混じった声で言う。


「ほんとだよね。でも、雅がいるから心強い」


 私もそう返しながら、ふと雅の横顔を見る。相変わらず綺麗で、自信に満ちた表情。監督やスタッフたちも、雅のことを目を輝かせて褒めていた光景が思い浮かぶ。


 昔から、雅はどこへ行っても特別だった。私が隣にいても、注目を集めるのは雅で、私は「雅の友達」として扱われる。


 それでも、雅と一緒にいることが嬉しかった。雅が隣にいてくれるだけで、私は私なりに頑張ろうと思えた。そうやって、雅のそばにいる理由を見つけ続けてきた。


「こうして二人で歩くのって、久しぶりだね」


 雅がふっと柔らかく笑う。


「そうだね。最近はお互い忙しかったし……」


 私も静かに頷いた。


「でも、こうやって二人でいると、何だか落ち着く」


 雅が空を見上げる。その横顔を見ながら、私は少しだけ目を伏せた。


「……うん。昔から一緒にいるからかな」


 穏やかな会話の裏で、私はずっと自分の気持ちを持て余していた。


 雅と比べてしまう自分。真凛さんや神楽さんの存在が重なり、どんどん小さくなる自分。どこにもぶつけられない不安と、焦りと、情けなさ。


 そんな自分から目を逸らすように、私はふと、今朝のことを思い出していた。


 アニメ監督のいる制作会社を訪れた時、スタッフの人たちは雅を見るなり、「わあ、本当に美人ですね」「イメージぴったりです」と口々に褒めていた。監督も、「天音さんが声を当ててくれるなんて、とても心強いです」と嬉しそうに言っていた。


 昔からそうだった。どこへ行っても雅はみんなの注目を集める。大人も子供も、男も女も、雅がそこにいるだけで、自然とその視線は雅に向けられる。私は、そんな雅の隣にいる「友達」として紹介されるのが当たり前になっていた。


 それが嫌だったわけじゃない。むしろ、そんな雅と友達でいられることを誇らしく思っていた。だけど、いつの頃からか、雅の友達という肩書きが、自分自身の存在を薄めてしまうような気がしていた。


 雅は綺麗で、頭も良くて、完璧で、どこへ行っても輝いている。


 私はがさつで、取り柄なんて何もない。


 雅の友達という立ち位置が、いつしか私のすべてになってしまった気がする。


 そんなことを思い出していた時だった。ふと視線を上げると、遠くに見覚えのある後ろ姿があった。


「……え」


 私は思わず立ち止まる。隣の雅も気づいたようで、足を止めた。


 間違いない。啓と神楽だ。


 二人は並んで歩き、楽しそうに話している。その距離の近さに、胸がきゅっと締め付けられた。


「……どうする?」


 雅の小さな声が耳に届く。私は答えられず、反射的に木の陰に身を隠した。雅も同じように私に合わせる。


 悪いことをしている自覚はあった。でも、見たくなかった。見てしまったら、きっと耐えられないと思った。


 それでも、視線は二人を追ってしまう。


 啓と神楽はそのまま公園を抜け、駅前へ向かう。その先にある建物の前で立ち止まり、何か話していた。


 そして、二人が入ったのはラブホテルだった。


「……っ」


 息が詰まるような感覚に襲われる。現実感がない。それでも目の前の光景は、紛れもなく現実だった。


 雅は静かに息を吐き、遠くを見つめるように目を伏せた。


「葵、帰ろう」


 雅の声は驚くほど穏やかで、どこか自分に言い聞かせるような響きだった。


「雅、平気なの……?」


 思わずそう聞いてしまった私に、雅は少しだけ笑ってみせる。


「私は、もう啓のことに口出ししないって決めたから」


「そんな……でも……」


「散々迷惑かけて、啓に辛い思いさせてきた。私がどうこう言える立場じゃないの」


 雅の言葉は淡々としていたけれど、その奥にある感情に気づかないほど、私は鈍くない。


「それでも、私は啓のそばにいたい。啓が私なんかいらないって思うまでは、ずっとそばにいる。それだけでいいの」


 その強い覚悟が、痛いほど胸に刺さる。私は、雅みたいに覚悟なんてできていない。


「……私は、ちょっと頭冷やしてくる」


 絞り出すように言って、雅の視線を避けるように背を向けた。


 雅は何も言わず、ただ優しく見送ってくれていた。


 一人になった私は、公園の木々の間を当てもなく歩いた。地面を踏む自分の足音が、やけに大きく響く。胸に広がる焦燥感と虚無感。頭ではわかっているのに、気持ちがどうしても追いつかない。


 ふと、風に揺れる葉の隙間から見えたのは、少し先のベンチに腰掛ける啓の姿だった。


「啓……」


 声にならない声が漏れる。どうしてここにいるの。さっきまで神楽さんといたはずなのに。混乱した思考のまま、私は足を止めた。


 啓は私に気づくと、軽く手を挙げて微笑んだ。その笑顔が、今はまぶしくて、見ていられない。


「こんなところで何してるの?」


 そう尋ねられて、私はうまく言葉を返せなかった。少し間を置いてから、ようやく口を開く。


「今日……朝から雅と一緒に、監督さんに会いに行ってたんだ」


「ああ、アニメの件か。二人とも声優やるって聞いたよ。頑張ってるんだね」


 啓の言葉は優しくて、どこまでも私を肯定してくれる。それが辛かった。


「あの、少し聞きづらいんだけど……」


 胸の奥がざわついて、何度も声にならない言葉が喉の奥で渦を巻く。


「啓……」


 名前を呼んだ瞬間、喉がぎゅっと締め付けられる。こんなこと、言いたくない。でも、知ってしまったからには、見てしまったからには、もう誤魔化せない。


「さっき、神楽さんと一緒にホテルに入るの、見かけて……それがずっと気になってて……」


 語尾が震えて、途中で言葉が切れそうになる。それでも無理やり繋いで、ようやく最後まで口にした。


 言葉にした途端、涙がこみ上げる。啓は驚いたように目を見開いたが、すぐに目を逸らした。


「……そう、なんだ」


 何かを説明しようと口を開きかける啓を、私は小さく首を振って遮った。


「いいの。責めるつもりなんてないから。ただ、どうしても……気持ちが抑えられなくて……ごめんね、こんなこと言って」


 そう言い残して、私は啓に背を向けて走り出した。胸の奥に突き刺さる「選ばれなかった」という現実。ずっと分かっていたはずなのに、目の当たりにするとこんなにも苦しい。


 涙を拭うこともできず、私はただ公園の出口へ向かって駆け抜けた。


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― 新着の感想 ―
一々よく確認しないですぐにまた他の野郎に走ろうとするのは流石にもう止めようよ。 あまりにもヒロインが学習能力が無さ過ぎでしょ。 ちょい前にバカやらかして痛い目に遭いかけたばかりなのに、何故すぐにまたそ…
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