女達 5
ノースの腕の中で、リルは息を引き取った。
「く……」
ノースは唇をかみ、ゆっくりとリルの体を横たえた。乱れた黒髪を綺麗に整えてやる。そして、片膝をつくと、深く頭を垂れた。
「もっと早く何とかできていれば……。ごめんなさい」
そう呟き、ノースは立ち上がった。今は遺体を置いていくしかない。後ろ髪を引かれつつ、ノースはリルの牢から出た。そして、振り向き、左斜め前の魔術師ルーリーの牢を開いた。龍青玉の光が地下牢に溢れる。
ルーリーが目を開いて顔を上げた。ノースはルーリーに近づくと、耳元でささやいた。
「ララとマーリーは生きている。この意味、わかるわね?」
ルーリーはしばらくノースを見つめていたが、やがて静かに頷いた。ノースがルーリーの猿轡を外す。ふうっ、とルーリーが大きな息を吐いた。そして、まず訊いた。
「リルさんは?」
「さっき、息を引き取ったわ」
「なんてこと……」ルーリーは唇をかんだ。
「申し訳ないけれど、今はあなたを出してあげることはできないの。でも信じて欲しい。私は、本物の女王陛下のための騎士よ。陛下を守るために情報が欲しいの」
「本物……つまり、偽者が?」
「ええ。首謀者はカカパラス王子殿下と、リルの父親の子爵という話ね?」
「はい。デル・マタル王国のブリスター子爵は、各国に娘を送り込んで、情報を集めていたようです。私は、そんな子爵の伝令としてこの国に来ました。もっとも、リルさんは、子爵のためというより、ララサララ陛下のために情報を集めていたようですが……」
「そのようね」
「それを王子殿下と子爵に利用されました。私は、子爵とは古い知り合いで、子供の頃のリルさんも知っていました。陛下とリルさんが危ないから、是非手助けをして欲しいと頼まれたんです……。それで、リルさんと連絡を取るために王宮へと近づきました。陛下が晩餐会へご招待してくださったのは偶然ですが、結果として、大司教達に格好の舞台を提供することになってしまいました……」
「あなたもリルも、陛下が襲われるとわかっていたような対応だったそうね?」
「私とリルさんが情報を交換したのは、晩餐会の直前でした。大司教が〈魔法封じ〉を解くと言い出したとき、私は嵌められたことにようやく気が付いたんです。大司教は私を嵌めるために、陛下を傷つける可能がありました。最終的に私のせいにすれば良いのですから。
時間がありませんでしたが、なんとしても陛下はお守りしなければと……。結果的に、私は逃げる機会を逸しました。私は陛下とリルさんの味方になろうと思っていましたから、あのときは、陛下を人質に取られたも同然でした。それに、魔術師の力は随分と長い間封印していましたし……」
「つまり、あの晩餐会での茶番劇は、陛下を亡き者にしようとしたわけではなく、あなたを捕らえるためのものだったということね?」
「……おそらく」
「でも、その理由はなに? そこまでしてあなたを捕らえたがる理由は?」
「私は、〈金翠の一族〉と呼ばれる魔術師の家系に生まれました。遙か西の地で生まれました。でも、一族にこんな歌が伝わっています」
「歌?」ノースが少し驚いた顔をする。
ルーリーは、小さな声で口ずさんだ。
――我ら生まれし故郷は はるか東の風の原
昨日と今日と明日とを 貫き止めた風の原
我ら犯せし大罪は はるか東の白き山
想って待ちたる人も無き 悲しき家の白き山
我ら求めん安らぎは はるか東の青き海
母の広げた翼が紡ぐ 終わりなき夢の青き海
「それって……」
「はい。おそらく、我が一族の出自は、このアプ・ファル・サルの地なのでしょう。そして、何らかの理由で西へと渡った。後悔と罪の意識を胸に抱いて。私達の祖先は、何か取り返しのつかないようなことを、この地で行ってしまった……。それはおそらく、この王国の、伝説の守護魔法にかかわることだと思います」
「そこまでわかっていて、なんでこの国に来たの?」
ノースの語気が荒くなる。ルーリーは悲しそうに首を振った。
「ごめんなさい。気が付いたのは最近なんです。王国に入ってからこっち、ずっと違和感がありました。その正体にようやく思い当たりました。この国は、もう百年もの間、魔法にかかり続けているんです」
「どういうこと?」
「これは〈操心魔法〉です。でも、ほとんど切れかかっている。だから気が付きました。効力が完全なら、たぶん私でもわからなかったでしょう。守護魔法の正体は、おそらく、王国への疑念や、野心や、敵愾心を押さえ込むものだと思います。微かですが〈金翠の一族〉の魔力を感じます。そして、アプ・ファル・サル王国の百年以上の繁栄……。おそらく、魔法を実行したのは初代王と〈金翠の一族〉の先祖……」
「……ねえ、その魔法は、敵国にばかり効果があるわけではないわよね?」
「はい。効果は人を選びません」
だから、この国の王宮は穏やかで、政変の一つも起きなかったということか。こんな、吹けば飛ぶような小さな国土の国が、百二十年もの歴史を刻んでくることができた。しかし、守護魔法が綻びだし、カカパラス王子が野心を抱いた。――野心? そのままでも王位に就くことが決まっていたのに、どこに不満があるというのだろう。王子はおそらく、何かで守護魔法のことを知ったのだ。とすると、次は何を考えるだろうか。今度は、自分に都合の良い守護魔法をかけ直そうとしやしないだろうか。
「あなたを利用すれば、守護魔法をかけ直すことができるかしら」
ルーリーは項垂れた。
「わかりません。もう、我ら一族には伝わっていないんです」
でも、この王宮に伝わっている可能性はある。百年以上も続く魔法など、ノースの想像を遙かに超えている。魔術師の命を一つや二つ犠牲にする、と言われても驚かない。もしかしたら、王の命も必要なのではないだろうか。王も精霊の秘儀を受けて精霊と契約した存在だ。ノースは詳しくないのだが、魔術師が契約する〈魔力の精霊〉と、王が契約する〈土地の精霊〉は少し違うのだという。
〈王としての精霊の秘儀〉を受けたララサララと、稀代の魔術師ルーリー。そのふたりを犠牲にすれば、百年続く魔法が行えるということだろうか。でも、ララサララが必要で、パパマスカ王では駄目な理由はなんだろう――
「それは、おそらく女王が必要だということだと思います」
「王と女王では違うの?」
「昔から、強力な魔術師は圧倒的に女性なんです。それは、子供を産む能力と関係しているといわれていますが……詳しくはわかっていません。魔術師がそうなのですから、王をして魔法を成そうとするなら、女性の方が圧倒的に向いている可能性があります」
「魔力は子宮に宿るってこと?」
「推測ですが……」
女王が必要だから、わざわざララサララを王位に就けた――。百年前に守護魔法を行ったというババカタラ・バラオは――女王だった。
「大隊長、そろそろやばいですよ。切り上げてください」
ベルルが入り口でそわそわし始めた。
「息子さんに伝言はない?」
「黙っていてごめんなさい、と……」
ノースは、ルーリーの猿轡を少し緩めに付け直した。そして、「陛下のことは任せて頂戴」と言い、牢を閉じた。
リルの遺体のある牢に後ろ髪を引かれた。しかしノースは、振り切るようにして地下牢を後にした。




