出逢い 9
アプ・ファル・サル王国暦一二一年。弥生月十五日。
その日、リルは王都ファル・バラオの街へララサララの使いに出ていた。用件は一冊の美しい本を受け取ってくること。それは、ララサララが作った詩と歌を職人に製本させたもので、もうじき四十三歳を迎えるパパマスカ王への、ララサララからの贈り物だった。誕生日の当日、祝いの席で驚かせるために、ララサララはわざわざリルを介して街の職人に頼んだのだった。
リルが王宮へ戻ると、出る前と様子が違った。王宮内はしんと静まりかえり、〈奥の宮〉の女官達は、全員食堂に集まってじっと肩を寄せ合っている。
「何かあったんですか?」リルは同僚に声をかけた。
「わからないんだけど……、王宮中の女官に、集まれって号令がかかったのよ」
リルは、受け取ってきた本をすぐにでもララサララに届けたかったのだが、それはできそうになかった。
やがて、集まった女官達の前に、ひょろりと背の高い男が現れた。鉱山候ヴラン・サリュルだった。
「皆のもの、ご苦労」と鉱山候は居丈高に言った。「今から三日間、皆に休暇を与える。以上だ」
有無を言わせぬ口調。本来ならば、女官を統べる礼部尚書から話があってしかるべき内容だった。しかし、女官長を始めとする面々の顔を見ると、すでに決定事項なのだと知れた。
リルはララサララに一目会いたいと思った。しかし、その願いは叶えられず、たたき出されるように王宮を後にせざるを得なかった。
デル・マタル王国から身一つでアプ・ファル・サル王宮へ来たリルは、休暇と言われても行くところがない。同僚の家に泊めてもらい、じりじりと三日間を過ごした。
そして四日後、リル達が王宮に出仕すると、驚くべき事実が告げられた。
パパマスカ王退位。
ララサララ女王即位。
リルはララサララを探した。しかし、〈奥の宮〉のどこへ行っても、彼女を見つけることができなかった。それどころか、パパマスカ王も王妃もお見かけしない。王達の側近も、お付きの女官達も見かけない。近衛兵も新顔に変わっていた。女官長から説明は何もなく、ララサララ付きのリルは途方に暮れた。
公には、パパマスカ王と王妃はマーテチス州の離宮へと隠居したことになっていた。しかし、不穏な噂も流れていた。あの日、リルが街へ出ていた時刻、王宮で何かがあった。その何かを知っている者は、全員いなくなってしまった。
しかし、ララサララ女王即位と言うからには、彼女は王宮のどこかにいるはずである。それを信じて、リルは目立たぬようにララサララを探し続けた。
探し始めて二日、廊下を歩いていたリルは、「姫様」という言葉を聞いた気がして立ち止まった。女官長の部屋の前だった。
「どうだ、姫様にそっくりだろう」
声の主は平原候ジョシュ・マーテチス、相手は女官長のようだった。
「ごまかせますかね。リルはしっかりしていますよ」
「なら、お付きの女官を替えればよい」
リルは口を押さえて、足音をたてないようにしながら、その場から全力で離れた。そして、目についた部屋に飛び込んだ。図らずもそこは、ララサララと教育係の老師が日頃の勉強に使っていた部屋だった。
早鐘のように鼓動が高鳴っている。目には、知らず涙が溢れた。
「姫様……」
平原候と女官長の会話――ララサララの偽者?――偽者を用意するということは、王女は――ララサララは弑されたのか――
噂は――本当で、王と王妃も三諸侯に弑されたのだろうか。王の退位も、ララサララ女王即位の勅令も、三諸侯がでっち上げたのか――
あの日、リルが出かけるときには、ララサララはこの部屋にいた。彼女はこの部屋で最後を迎えたのだろうか。
リルは涙に滲む目で、室内を見渡した。部屋中に書架を配した雑然とした部屋。中央の卓には、ララサララと老師が勉強に使っていた本が散乱していた。
リルは卓に近づいた。そして、散乱した本の中から、〈詩歌の技術〉と題されたものを手に取った。それは、ララサララが最も熱を入れて勉強していた本だった。
ララサララを想い、なにげなくページをめくるうちに、それは目に飛び込んできた。
血で書かれた小さな文字。
――開きませ
はっとリルの背筋に寒気が走った。
リルは慌ててそのページを破ると、改めて部屋を見渡した。大理石の大きな柱が部屋の四隅に立っている。ララサララが襲われたとき老師が一緒だったのなら、老師はどうするだろうか。どこかにララサララを匿おうとするのではないだろうか。人ひとりを隠そうとしたら、書架がこれだけ詰め込まれた部屋では、場所はいくつも考えられない。
リルはもどかしい思いで、破ったページに書かれた血文字を柱にかざして回った。
術者の血文字は詠唱と同じ。魔法の基本だ。この血文字で開く扉が、老師が仕掛けた魔法が、どこかにあるのではないか。この血文字は、老師が戻れなかったときの保険のようなものではないのか――
それは、三本目の柱だった。
かざした血文字が微かに光った。同時に、大理石の柱も青白く燐光を放つ。龍青玉の魔力が発動した証拠だ。
燐光は、一抱えもある柱に、扉のような青白い長方形を描いた。それは本当に扉となって、大理石の柱がゆっくりと開いていく。扉が開いた大理石の柱の中には、真っ暗な空洞が作られていた。
そして――ゆっくりと、そこに隠されていたものが倒れ出てきた。
「姫様!」
リルが慌てて受け止めたその体は、憔悴しきっていたが、しかし生きていた。
隠されていたのは、ララサララ・バラオその人だった。




