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金茶頭が月を仰ぎ、冴えた光をじっと身に受けている。

 金茶頭が月を仰ぎ、冴えた光をじっと身に受けている。吐息が白い。

 月の精気を浴びる、と言ってガルは肌を刺す寒さの中、暗い縁側でぴくりともしない。昼間にコタツに埋没していたのと同じ体とは思えない忍耐強さだ。薄い半股引に草履で残りはナマ足の下半身は見ているだけで鳥肌が立つ。

 日付が変わっても置物と化しているガルに声をかけるのも気が引けて、一人で先に寝る支度をした。ガルは猫のときでもふすまを開けるくらいはやってのけた。月光浴が終われば自分でガラス戸を開けて帰ってくるだろう。

 奥の部屋にあるおばーちゃんのベッドを借りたかった。が、ガルがやっぱり戸を開けられずに凍死したら高確率で祟られそうなので、近くにいることにする。

 ガルのいる縁側がついた和室へ客用布団を引っぱり出し、冷たさに震えながら潜り込んだ。常夜灯の下、半開の障子とガラス戸の向こうで背を向けている朱色のどてらを眺めながら手足をすり合わせる。

「おばーちゃんはすごいね・・・・・・」

 ベンガル猫をヤマネコに、そして猫又にまで育ててしまった。

 ヒトの形と言葉を得ると猫の愛情がどれほど強いか、思い知らされる。

 ガルがおばーちゃんを「サトさん」と呼ぶ声には甘えと信頼がたっぷり染み込んでいて、無表情を装っていてもむしろ逆効果だ。聞いてるこっちの背中がウズッとする。

 手が自由にならない四足歩行ではどてらを着るのも一苦労だっただろう。おばーちゃんの匂いがするであろうどてらに頬ずりして目を細めるなんて、人間ならストーカー認定の愛情表現だ。

 慕うおばーちゃんが倒れ、待っているしかできないもどかしさに耐えかねたガルは、動物と妖の越えがたい壁をブチ抜いた。飼い猫としての安泰な環境を捨ててまで、人に化けて会うほうを選んだ。純愛だ。

 猫又って他にもいるんだろうか。猫又山や猫魔ケ岳みたいに猫のつく山は猫又伝説があった場所だと聞いたことがある。そんな山奥には猫又の集落があって、若いメス猫又もいたりするんだろうか。

 ガルがおばーちゃんと別れを告げられたら、猫又村を探して送って行ってあげよう。どう猛で短気だけど二足歩行もできない新参だ。年寄り猫又が根性叩きなおしてくれるだろう。

 まっとうな猫又に更生すればメス猫又と幸せになれるかもしれない。おばーちゃんのために妖になるほど愛情深い一点はある。一面というには性悪すぎるので点だ。

 送るときには鰹節とダウンジャケットを持たせてあげよう。どてらじゃメス猫又に引かれる・・・・・・。

 カラカラとガラス戸の音に目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。ひゅうっと寒風が吹き込んできたので首をすくめ、布団をかき寄せた。

 そこへボッサァァ、と勢いよく冷えた塊が侵入してきた。

「うきゃー! つ、冷たっ、何すんの、せっかく人があっためた布団にー!」

「恩知らずめ。散々連れ込んだだろう」

「人聞きの悪い! 毛皮のあったかい猫なら湯たんぽだけど、今のガルは布団に入れる価値がない! 全くない!」

「毛ならある。部分的に。頭と、」

「見せなくていいんだ痴漢!」

「トイレで見ただろう。今さら何を恥ずかしがる」

 布団から蹴り出そうとするが、ビクともしない。ガルは身を丸めて頭を胸に、こともあろうに胸にすり寄せてきた。

「寒いっ、心臓止まる、殺す気かー!」

「死ぬと冷たい。死ぬな」

 自分が暖を取りたいから死ぬな。そんな自己中な理由で死を禁じられた人って今までいたんだろうか。

 ガルの頭をつかんで、むぎぎと力と怒りをこめ押し離そうと試みる。悲しいほどビクともしない。

 ふと触れた猫耳が夜露に湿ったみたいにしっとりと冷たくて、ためらいが生まれた。寒さの苦難に耐えたのも、おばーちゃんに会いたいがため。メス猫又との未来を考えてやるなら、愛情深い一点は伸ばしてやるべきだろう。

「もー。しょうがないな・・・・・・それで? 月の精気で二足歩行できるようになったんだよね?」

「文句なら、月を隠した雲に言え」

「出てけ」

 猫又排斥運動を再開したが、ガルは腕のあいだにするりと割り込んできて、逆に取り押さえられてしまった。ぴったりと凍えた体を重ねて体温を強奪され、息が止まりそうになる。

 冷え切った鼻先が触れてきた。見下ろす瞳孔がきらきらと光っている。赤、緑、黄、瞬時に様々に色を変える瞳孔のイルミネーション。その艶やかさに目が離せなくなる。

「月では足りない。だからおまえの精気をよこせ」

 なーおぅ、と発情期特有の鳴き声に似た吐息はそれこそ獣欲と呼ぶべき欲望がむき出しで、本能をわしづかみで引きずり出された気がした。

 肌の感覚が一気に鋭敏に研ぎ澄まされる。ざらりとして使い方を心得た猫の舌が煽り立ててくる。その度に体が小さく跳ねてしまうのは、密着している相手にはごまかしようがない。オーロラを思わせる幻想的な瞳孔が嬉しそうに瞬いた。

 寒さと熱さが交錯して脳が惑わされる。脚のあいだに熱が息づき、背筋をはい上がって意識をぼかした。

 伏せろと言われ、なぜとも考えずうつ伏せになる。人間より体温の高い生き物が、さらに体温を凝り固まらせてのしかかってくる。首の後ろを甘く噛み留められた。野性のままに腰を反らす。

 幾度か阻まれたあと、耳元で忌々しげなうなり声がした。

「脱がせろ。脱げ」

「・・・・・・・・・・・・」

 夢見心地だったガルが縁側から転げ落ちたときも、こんな興ざめな気分だったのだろうか。

「やっぱり四足歩行とやるのは間違ってると思う」

「人間のやり方など知ったことか。四足歩行でも交尾はできる。精気をよこせ、二足歩行しろと言ったのはおまえだ」

「おばーちゃんのためとはいえ、人の道を踏み外したくない。だいたい、サトさんサトさん言っといてこれ浮気だよ」

「は? 主とメスは別だろう。メスならなんでもいい」

 渾身の蹴りで、人間にも動物にも急所である場所は妖怪にも急所であることを立証してやった。


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