運動会2
維心と久島は睨み合った。
「…我らを甘く見ると後悔するぞ、久島。」
久島はふふんと笑った。
「そのままそっくり返すわ、維心殿。我らは何事も負けぬ。」
翔馬の声が、やはり明るく言った。
「では、位置について、用意、」いい加減空気を読んで欲しい、と明人は思った。「始め!」
玉が一斉に舞い上がる。
今度は、維心達も最初から外さなかった。
双方ともに外すことはないので、こうなって来ると、玉を拾って投げるそのスピードの速さが勝敗を決するようだった。
明人はたかが玉入れに、これほど熱くなる神達にただ茫然と見ていた。嘉韻が、横で固唾を飲んでいる。嘉韻にとって、玉入れは初体験で、しかもそれがこれなので、玉入れが真剣勝負の場だと思ってしまったらしい。慎吾が、横で言った。
「のう、明人…玉入れとは、こんなものであったか。我はもっと和やかに楽しんでおったような記憶があるが…。」
明人は頷いた。
「オレだってそうだ。しかし、神の世の玉入れは、そうじゃなかったらしい。」
ふと、久島が拾った玉を手から落とし、地上に落下する前に受けて上に投げ上げる瞬間が目に入った。嘉韻が横で、小さく、あ、と言った。明人は、嘉韻もそれに気付いたのだと思った。
「止め!」
翔馬の声が叫ぶ。玉は止まり、籠は見た所同じような数だった。数えて見なければわからない。
学校の生徒たちがわらわらと出て来て、皆の前で玉を一個一個数える。それを、両方の宮の軍神達は、固唾を飲んで見守った。
「125、126…」
どれだけの玉を入れたのだろう。明人がじっと見ていると、ついに久島の方の籠が空になった。
「烏の宮、127個、龍の宮、129個で、龍の宮の勝利です!」
維心が、ニッと笑った。久島は本当に悔しそうに横を向いた。やはり、あの時落とし掛けたのが悪かったのか。
「…少しの油断が命取りになる。玉入れとは、ほんに厳しい種目よの。」
嘉韻がそうつぶやくのを、明人は確かに聞いたのだった。
それから、綱引き、玉転がしと、運動会の定番を次々とこなし、いつも龍の宮と烏の宮は競っていた。
どちらも一進一退で、綱引きは龍の宮、玉転がしは烏の宮と、どちらも完全に退かなかった。
しかし選抜二人三脚では、月の宮から代表で出た慎吾と明人がぶっちぎりで優勝した。何のことはない、人の頃にやって、コツを知っていたからだ。
二人で一、二、一、二と言いながら物凄いスピードで走り抜けて行く様は、見ていて怖かったと蒼は後で言っていた。
そして、ついにやって来た。最終競技、リレー。
明人は、知っているだけにゴクリの唾をのみ込んだ。これは荒れる。絶対荒れる。道を塞がないようにしないと、絶対に殺される。
リレーのやり方を見せようと、学校の生徒たちがわらわらと出て来て二組に分かれて位置に付いた。二百メートルずつ走るようで、半分の位置に背向かいで座っている。
最初の生徒たちは、合図と共に神に出来るのか分からないクラウチングスタートをした。
ガンガンと走って、トラックを回って行く。次の生とにバトンが渡され、そしてまた次の生徒にバトンが渡されて行く様を、軍神達は食い入るようにじっと見ていた。その真剣さがまた、明人には怖かった。自分達は知っている。だが、神達は知らないのだ。
「このように」皆が走り終わった時点で、翔馬が言った。「次々にバトンを受け渡してトラックの中を走ります。バトンを持たずにゴールしても失格です。落としても、必ずバトンは拾って、持って走ってください。それでは、出走の順番を決めてください。」
宮々に分かれて、ひそひそと話し合っている。蒼が言った。
「こう言っちゃなんだけど、オレはアンカーは無理だ。」蒼は断言した。「もう何年も走ってない上に、軍神ですらないんだからな。そんな訳で明人、主が第一走者。」
明人は頷いた。クラウチングスタートでないといけないだろうか。
「第二走者、信明。第三走者、オレ。第四走者、慎吾、第五走者、嘉韻、アンカーは李関。」
李関は緊張した面持ちで頷いた。確かアンカーとは、一番早い者でなければならないのではないか。涼にさっきチラッと聞いて来た所によると、確かそうだった。
蒼はため息を付いた。
「大丈夫、維心様の所と久島殿の所が絶対に競るから、ついて行くつもりでやればいいんだよ。別に命が懸かってる訳じゃないんだから。本来これは、楽しむものだ。それをあの二人は、必死になり過ぎなんだ。」と上を見上げた。「十六夜め。自分だけ高見の見物しやがって。」
月はまだ出ていないが、気配が空にあった。維月と十六夜は、月から見ているのだ。日がかなり傾いて来ている…どうするつもりなんだ、十六夜は。
一方、維心は、言った。
「今の所点数は、こちらが一点上だが、油断はならぬ。我らが順位を落とし、あちらが二位にでも入ればそれで逆転されるのだからな。」
皆が険しい表情で頷いた。
「もっと差を広げられるものかと思うておりましたが…あちらもかなり必死に追いついて参りますな。」
義心は言った。維心は頷いた。
「あやつは生粋の軍神であるからの。負けるのが我慢ならぬのだ。我だってそうよ。今まで負けたことなどないのに、気を抑えられているばかりにこのようなことに。」と、恨めし気に空を見上げた。「十六夜め。とにかく、維月を返してもらわぬことには、宮にも帰れぬからの。義心、主は人の世の事に詳しいの。この競技、順番はどう致すか。」
義心は頷いた。
「王、王は恐らく我らの中で一番スピードがおありなので、最終走者、つまりアンカーと呼ばれるものをお引き受けくださいませ。」
維心は頷いた。
「して、主は?」
「我は、第一走者を致します。」義心は言って、地上に書いた。「第二走者は…」
そうやって全ての走者が決まり、皆それぞれの位置へと散って行った。
維心は、自分と同じところに久島が居るのを見て取って、フンと鼻を鳴らした。
「なんだ、主もアンカーか。」
久島は眉を寄せた。
「アンカー?」
維心は手を振った。
「ああ、良い。主は人の世を皆目知らぬのであったな。それでよく、元人の妃を迎えようなどと思うたものよ。呆れるわ。」
久島はムッとした顔をした。
「知らぬなら、知って行けば良いだけのこと。主とて知らぬこともあろうに、大きな口を。」
同じアンカーの席に居た李関は、居たたまれなかった。それでなくても、最終走者など荷が重いのに。
「位置について」翔馬の声が言い、皆そちらを見た。「用意、」
パン!と何かの音が鳴った。
一斉に皆走りだし、美しく並んでカーブを曲がって行く。曲がり切った所で、皆一斉に内側に入って来た。明人は、何としても上位でバトンを渡したいと必死に走った。しかし、義心はものすごいスピードで、もう十メートルほど先をバトンを前に差出ながら走っていた。すごい…気が無くてもあの速さだなんて!
「明人!」
「親父!」
明人は、走り出した信明の手にバトンを渡した。そして、ぜいぜいと肩で息をしながら、父が走って行くをの見た。かなり早い。親父も神か…オレもだけど。
蒼にバトンが渡った。今のところ二位だ。龍達の速さは凄まじく、まるでオリンピックのリレーを見ているようだった。そうか、あのフォーム…選手達と同じなのだ!
蒼は必死に遠くに見える背を追った。とても追いつける距離ではなかったが、そのほうが走りやすかったからだ。
「慎吾!」
「王!」
慎吾は走り出した。元人同士なので、バトンの受け渡しには慣れている。慎吾は後ろも振り返らずに蒼からバトンを受け取ると、一目散に嘉韻を目指した。
龍は、もう遥か先を行く。一位と二位の差が開き過ぎている…。
しかし、後ろも忘れてはいなかった。物凄い気迫が追って来る。見なくても分かる…これは烏の宮の軍神だ!慎吾は必死だった。このままでは、抜かれてしまう!
「嘉韻!頼む!」
「任せろ!」
嘉韻はすぐに走り出した。嘉韻は、物凄く速かった。恐らく、龍並だ。嘉韻も龍なのだが、僅かの間にあのフォームを見て覚えたのは確かだった。ドンドンと龍に追い付いて行くが、その嘉韻を追う烏の軍神もまた、物凄いスピードで追っていた。龍の軍神第五走者、慎怜から王、維心にバトンが渡ったのが見えた。
「王!」
慎怜は叫んでバトンを手渡した。それを手に、先にトラックへ出て走って行く維心に焦りながら、久島は叫んだ。
「頼光!来い!」
目の前で、李関が嘉韻からバトンを受け取って駆け出した。ほぼ同じ時に、久島は頼光からバトンを受け取った。
「うおおお!まだ追い付けるぞ!」
アンカーの距離は、400メートルで設定されていた。追い付くのに他より半周の余裕がある。最後尾の修がバトンを受け取ってそこを出た直後、そこにはゴールテープが用意され、勝者を待ち構えた。
観客が叫んでいる。しかし何を言っているのか分からない。維心は、必死にゴールテープを目指した。これほどに、気を使わずに体を動かしたことがあっただろうか。
維心は、その場の誰よりも速かった。しかし、必死の久島もそれは早かった。李関を追い抜き、維心を追って久島は走った。
あと二百メートルになった時、突然に声がして、上から何かが降って来た。
「きゃあああ!」
ドサ、と聞こえたかと思うと、ゴール手前のトラックの内側に、維月が倒れて起き上がろうとしていた。どこかを打ったようで、腰の辺りを擦り、起き上がろうともがいている。
「維月!」
維心は、そちらを向いた。しかし、後ろからは久島が追って来ている気配がする。このままでは、負ける…。勝つために、我ら皆ここまでつないで来たものを。
「何をしている!」
久島の声が聞こえる。維心は、迷わず真っ直ぐに走った。
「維月!」
維心は、バトンを放り出して維月を抱き起した。
「どうした?実体化を間違ったのか?どこを打った?大事ないか?」
維月は、維心を見上げた。
「維心様…突然に、十六夜が…。」
歓声が聞こえる。振り返ると、久島がゴールテープを切っていた。続いて李関が、そして修がゴールした。久島が、維心を見て言った。
「主は、勝負の最中に何を考えておるのよ!油断が命取りぞ!」
維心は、ため息を付いた。
「…負けてしもうたの。十六夜に、何を言われるか。」
十六夜が、そこに浮いていた。
「別に。オレは何も言わねぇよ。お前の嫁だろうが。連れて帰りな、維心。」
維心は驚いて十六夜を見上げた。久島が抗議した。
「何を言う!これの勝者が連れ帰るのだろうが!」
十六夜は首を振った。
「お前じゃ駄目だ。何を置いてもまず維月、のヤツでないと、安心して預けられねぇんだよ。オレがそうだからな。」と、維心を見た。「オレが、わざと維月を突き落したんでぇ。勝負の狭間で、お前と久島は何を選ぶのか見たかったんだ。お前は維月を選び、久島は勝利を選んだ。オレもあの場面ではお前と同じ事をした。だから、お前にしか維月は預けられねぇんだよ。」
「十六夜…。」
日が暮れて来ている。久島は、ふっとため息を付いた。
「…やってられぬわ。試されておったのか。最後の最後での。」と、一位の旗を見た。「しかし、かなり面白かったぞ。こんなに必死になったのは、何年ぶりのことか。戦ったというのに、清々しいわ。」
蒼が進み出て、言った。
「それが、人がスポーツをする所以であるのだ。」と、皆に向かって言った。「さあ、日も暮れる。宮のほうに宴の準備がされておるゆえ、皆寛いでくれ。」
皆が、ぞろぞろと宮のほうへと向かった。維心は、ふと自分に神の気が戻って来たのを感じ取った。
「…なんと。人のような感覚に慣れ始めておったのに、変な感じぞ。」
維月が笑った。
「まあ、維心様、人のほうが良いと申されまするか?」
維心は笑って首を振った。
「いや。しかし時々に、このようなことも良い。我も、面白かったわ。」
維月は維心に抱き上げられながら、ふふと笑った。
「維心様は、何をお召しになってもお似合いになられまする。ジャージが似合うなんて、今さらに知りました。」
「そうか?しかし、着物に着替えねばの。」と、維心は浮き上がった。「さ、宮へ参ろうぞ。」
そこに居た全ての神達が、宮へと向かって行った。
維月は皆に見えないように、ソッと維心に唇を寄せ、維心は微笑んでそれを受けた。




