運動会
明人は、指示通りに部下達に、コロシアムに陸上競技に使うトラックを書かせていた。気を使って地面を柔らかめに硬め、そこに焼き付けるように白く、一周400メートルのトラックを作って行った。それを上から並んで見ていた嘉韻が、顔をしかめる。
「これは何ぞ?一体、神世にこれが何の役に立つと申す。」
明人は苦笑した。
「オレも慎吾も、きっとここに居る人の世からの帰還者は皆懐かしく見てるだろうよ。学校行ってる時は、これを走らされたもんだ。ほら、一番内側が一番距離が短くなるから、ああしてスタートの位置がずれる訳だよ。」と、指差した。「あの線の間を、はみ出さないように走る。ゴールまで、速かった者が勝ちだ。人は気が使えないから、鍛えた筋肉と、それを扱う能力だけが頼り…思えば、すごいことじゃねぇか。」
嘉韻は感心した。
「そうか、人は飛べぬものな。地を、己の足だけで駆け抜けるのだから、大したものよ。」しかしふと、表情を曇らせた。「して、あれをここで何に使うつもりぞ?」
明人は首を振った。
「知らねぇよ。王が急いで作れと言って来た。ものの一時間ほど前のことだ。」
すると、下から玲の声が呼んだ。
「明人!王がこれを、皆に配れって!」
明人は、嘉韻と共にそこへ降りて行った。見ると、玲は大きなダンボールを気で持ち上げている。
「王がなんだって?」
明人が言うと、玲がそのダンボールを降ろした。
「えーと、明人と、慎吾、嘉韻、李関殿、信明殿。」と、玲は何かの紙を読み上げた。「これ、履けって。」
明人は、ダンボールの中を恐る恐る覗き込んだ。
そこにあったのは、白いジャージと、ジョギングシューズだった。
「オレ、」明人は思わず叫んだ。「ここ数十年、走っちゃいねぇのに!」
コロシアムには、神達が貸し出されたジャージを着て降りて来ていた。
足には、きっちりジョギングシューズを履いている。その新品の白さが、陸上競技初心者を嫌でも思わせて、明人は緊張した。
何しろ、自分も初心者のようなものだ。神の世に来たばかりの頃、飛び方を知らなかったので、散々走ったものだったが、いざ飛べるとなると、どこででも飛んでしまう。果ては宮の中を移動する時ですら、軽く浮いて移動したりする。そんな訳で、走るなどとは無縁の生活をしていたのだ。
嘉韻は、全くの初心者だった。
陸上競技というもの自体を知らず、それを簡単に説明するだけで慎吾が30分しゃべりっぱなしでなければならなかった。李関も心持ち緊張した面持ちだ。父は、長く人の世で暮らしただけあって、余裕の表情だった。
しかし、緊張しているのは、明人達ばかりではなかった。
龍の宮の軍神達は、ジャージを着せられて身軽にはなったものの、初めて履くジョギングシューズに、慣れようとかなりうろうろと歩き回ったり走ったりしていた。義心はなぜか知っているようで、じっとトラックを見ている。他の龍の軍神達は、義心から聞いているものの、それでもためらっているのが分かった。
もっと困っていそうなのが、烏の宮の軍神達だった。頼光という筆頭軍神は、明人達に事の次第を聞きに来たが、明人達も何が起こるのかは予想出来るものの、それがどうしてどうなってこうなったのかまでは分からなかった。
なので、一応説明をし、かなり衝撃を受けていたようだったが、後は服と靴に慣れようと必死に動き回っていた。
修の宮の軍神達も然りだった。しかし、こちらの軍神達は覚悟があるようで、王に何があってもお守りしなければと、一体何が起こると思っているのか、黙々と靴に慣れるためにダッシュを繰り返していた。修様と言う王は、そんなに頼りない王なのだろうか。
明人はそう思って見ていた。
そんな面々を観察しながら、明人が白いジャージ姿でせめて足がつらないようにとストレッチをしていると、珍しく皆、歩いてコロシアムに入って来た。蒼、維心、久島、修が並んで歩いて来る中、明人も他の軍神達も、その場に膝を付いて頭を下げた。ふと見ると、観覧席にそれぞれの宮の臣下達が気遣わしげに座っている。
貴賓席には、蒼の妃達が嬉しそうにこちらを見て話し、微笑み合っていた。おそらく、珍しいものが見れるので、わくわくしているのだろう。
蒼が言った。
「あー月の宮の者達は人の世に居たものが多いゆえ、分かっておるかと思うが、これよりは、月に気を奪われて、一切気を使うことが出来ぬ。」皆が驚愕の表情をした。「つまり、己の体のみで戦えということだ。戦うと言っても、戦ではない。そこのトラックと申す枠の中を、一番早く走り終えた者とか、まあ競技によっていろいろぞ。宮対抗の運動会とでも思ってくれたらいい。」
明人は、今更に驚いた。神の世で、体一つで運動会をするって…。
「運動会が何か知らぬ者もおるだろうが、とにかく競うのだ。己の速さ。己の能力の高さをの。気が使えぬので、この体のみでの。」蒼はため息を付いた。「まあそれというのも月が言い出したこと。あれは一度言い出したら聞かぬゆえ。では、始めようぞ。」
皆、それぞれの軍神達の所へと歩み寄って行く。そんな様を上から十六夜と共に見ていた維月は、思っていた。維心様、ジャージも似合う…。やっぱり何を着ても似合うなあ…。
しかし、維心はそれどころではなかった。
「維月が懸かっておる。」維心は軍神達に言った。「我は負ける訳には行かぬ。」
義心が頷いた。
「我が宮の軍神達は、気だけでは補えない所を、肉体の強化で補っておりまする。ゆえ、筋力はありまする。気がなくとも、大丈夫です。」
維心は頷いた。
「走るというのは、技術ぞ。ゆえ、我は人が走る様をテレビとやらで見た記憶を、主らに送る。これを真似て走るのだ。」
維心は、念で送ろうとした。だが、全く何も働かない。
「…王、おそらく、念すら人の世には無いものであるので、無理なのでは。」
維心は仕方なく、下にあぐらをかいて座り、その辺の小枝を手に取って地面に書いた。
「体の軸はこう、まず最初はこう…」
龍の軍神達が、紺のジャージ姿で輪になって地面に絵を描きながらうんうんと頷いている様は、なぜかかわいらしかった。
「維月もそうであるが、維心殿よ。」久島は言った。「我は負けとうない。主ら、知恵を出さぬか。」
黒いジャージ姿の、頼光が言った。
「我は月の宮の軍神から話を聞いて参りましたが、不正はそれで失格とみなされてその競技は参加しなかったことになる、要は最下位になってしまうのでありまする。なので王、ここは正々堂々と、体で勝負するよりないのでは。」
久島は頷いた。
「元よりそのつもりよ。我は負けぬ。我が気だけの神だと思うたら大間違いぞ。我らは体も鍛えておるわ。」
頼光は頷いた。
「人は体のみで生きておるため、大変に体を使うことに対して優秀でありまする。月の宮の方が、もしかしたら強敵やもしれませぬぞ。」
久島は、頷いた。
「やるしかないの。」
その目は、好敵手を見つけた時のように、光っていた。
最初の競技は、玉入れだった。
競技を考えたのは玲で、急遽準備されたので、宮に有るものを使わねばならなかった。
学校では玉に紅白戦をするので、余興用のものがあったのだ。
籠と、回りに散らされた紅白の玉を見て、神達は狼狽していた。あれはなんだ?
「玉入れの説明を致します。」翔馬が言った。声は気で大きく響き渡る。「真ん中の籠に、より多くの玉を入れた方が勝ちです。合図と共に投げ入れ、次の合図で止めます。四つの宮がありますのでまずは二つずつ対戦し、勝ったもの同士が再戦して一位を決めます。一位は三点、二位は二点加算され、最後に点数の高い宮が優勝でごさいます。何かご質問は?」
皆は何も言わない。翔馬は満足げに頷いた。
「それでは、月の宮、龍の宮、前へ!」
明人は、前に進み出た。籠が、人の時よりずっと高い位置にある。気を使えないのだから、しっかり狙わねばならぬ。
蒼が呟いた。
「まさかこの歳で玉入れするとは思わなかった。」
明人も同感だった。翔馬が言う。
「よろしいですな?位置について」明人は慌てて玉を持てるだけ持った。それを見て、龍の宮の方も倣う。「用意…始め!」
途端に、紅白の玉が宙を舞った。
神になって久しいので、明人には力加減が分からない。だが、気を使えないと、結構な力で投げないとあの高さには届かなかった。
「…案外高いな!」
蒼が言う。確かにそうだ。見ると、龍の宮の方は最初こそもたついたものの、見るまに籠に、確実に玉が入って行く。
維心に、脇に居る軍神が玉を拾ってせっせと渡し、それを維心が確実に決めている。義心にも一人付き、あちらは僅かな間にきちんと役割分担が出来ていた。
あまりに効率がいいので、明人は感心した。龍は玉入れも得意なのか。
「止め!」
合図と共に、皆手を止めた。もう、数えなくても龍の宮の方が多いのが分かったが、玉はきちんと数えられ、当然のこと、龍の宮の勝利だった。
「意外に入らぬものよの。最初はどうしたものかと力加減に悩んだわ。」
維心は言った。
「力の計算には舌を巻きます。我らは戸惑うばかりだった。」
蒼は言って、肩をすくめた。
次は、烏の宮と修の宮だった。
もう、最初から気迫が違った。玉入れに殺気など無縁だと思っていた明人は、あまりに久島が勝ちにこだわっているようなので、身震いした。玉入れは、小学校でも一年生の専売特許なんだけど。
「始め!」
翔馬の合図と共に、一斉に玉は籠へと飛んで行った。
久島の方は最初から皆、確実に籠へと決めて行く。その集中力と真剣さに、明人はただ茫然とした。
「…あれは、あれほど頑張らねばならぬ競技であったのか。」
嘉韻が、横で呟く。確かに、久島の方の軍神達は、命でも掛かっているのかというほど真剣に玉を投げ入れていた。しかし、玉入れがそんな殺気だったものではないのは、明人や慎吾は知っていた。
「止め!」
手が停まった。久島の籠は、溢れんばかりに玉が収まり、間違いなく勝利だった。維心が、それを見て言った。
「…手を抜けぬぞ。」
龍の軍神達は、一斉に頷いた。さっきの自分達よりも、間違いなく玉数は多い。
翔馬が、ベンチ側とは場違いな明るい声で言った。
「では、決勝を行います!」
龍の宮と、烏の宮の面々が、体全体から、今は出ないはずの闘気まで出しているのではないかという雰囲気で出て行く。
玉入れの決勝とは思えない真剣勝負が幕を開けた。




