寄り合い場
修は、その話を自分の宮で聞いた。
緑青の宮の姫。噂には聞いたことがある。何でも、龍王の気まぐれで立ち消えた、皇子の妃の最終選考にまで残った女だとか。
臣下達は、それが龍の宮からの推薦状で、月の宮を通して緑青に渡り、緑青からこちらへ来たのだと聞いた。月の宮は、緑青の鶴の宮と隣接し、そちらへ命の気を供給して余りあるほど命の気に溢れておるとか…。常に月の浄化の力が働き、気は清浄で誰もが癒される夢のような地。
この地上にそんな所があるのか…。
修は、思っていた。
「久島様にも打診があったようでありまするが、早々とお断りになって、しかし今では月の宮の方へよくお出かけになられるのだとか。かえって月の宮と親交が深くなって良かったと、あちらの臣下は言っておりましたが。なので、お心置きなく霧花様とのお話を進めることが出来まする、王。さっそくに、こちらへ霧花様をお呼びするご準備を進めたいかと…。」
臣下達は、どうか断ってくれるなといった雰囲気で修を見る。修は、そんな雰囲気など意に介さないようで、じっと考え込んでいたかと思うと、突然に立ち上がって、言った。
「…いや、我が月の宮へ参る。仲立ちをしたのは、月の宮なのであろう。そこで会うことにする。」
「ええ?!」
臣下達が一斉に叫んだ。王が、宮を出られる。宮どころか、お部屋からも滅多に出られない王が。他の姫が来ても、何を話して良いのか分からないのだと言って、下を向いて、お顔を見にすら出て来られない王が。
「お、王、月の宮はとても大きな神世の最高格の宮。そのような所へ、本当にお出ましになられると?」
修は頷いた。
「行く。」修は、くるりと踵を返した。「準備せよ。」
「は、ははー!」
臣下達は一斉に頭を下げ、そして慌てて手配を始めた。まさか王がここを出て、遠出なさるとおっしゃるとは!とにかく、こんな機会は滅多にないのだから、急ぎ滞りなく準備をせねば!
「…で、修もここへ?」
十六夜が言った。蒼は頷いた。
「そう。さっき書状が来てな。緑青に問い合わせたら、近くでいいと言うし。別にこの宮を使ってくれても全然いいが、久島殿とかぶったりしたらまたあっちこっちに気を使わなきゃならないのかって面倒でさ。」
十六夜は顎に手を当てて言った。
「緑青の祝いは、いつやるんだ?この際だから、まとめてやっちまえよ。誰か来て夜宴、誰か来て昼茶会じゃ、オレも見てるだけで疲れちまう。お前は出てるんだから、もっとだろうが。」
蒼は頷いた。
「翔馬に相談してみる。緑青の祝いの宴と、修と久島の歓迎の宴を一緒に出来たら何度も飲まなくていいしな。」
十六夜は頷いた。それにしても月の宮が皆の社交場になり掛けてるような気がするのは自分だけだろうか。ここは、滅多に入れない宮じゃなかったのか。
月へと戻って行きながら、十六夜はそんなことを考えていたのだった。
当日は不穏な空模様であったが、雨は降っていなかった。
それがそのまま維心の心かと思うと、蒼は落ち着かなかった。まずは緑青と霧花が到着し、そして泰が到着し、二人は和やかに話をして、滞りなく泰の手から緑青の手に雛は移った。
その祝いムードに蒼まで和んでいたその時、昼近くになって、時間通りに久島が到着した。
久島は、正装の甲冑に身を包み、より一層美しく、凛々しくそこへ降り立った。その姿に、霧花が真っ赤になって扇を落としたが、久島はどこ吹く風で蒼に向かい合った。
「維月はどこか?」
蒼は苦笑した。まるでどこかの誰かにそっくりなんだけど。
「まだ、到着しておらぬ。もう着くはずであるから、しばし待て。」
久島は、眉を寄せた。
「もしかして昨日よりこちらへ戻っておるかもと思うたのに。」
蒼は首を振った。
「知らせたとおり、今日は維心様も共に来る。そうそう時間も取れなくてな。」
久島は横を向いた。そして、さっさと歩き出した。
「では、我は部屋で待たせてもらう。」
蒼は翔馬に頷き掛けた。翔馬が進み出て、客間のほうへ案内して行った。その後ろ姿を見ながらため息を付いていると、緑青が言った。
「ほんにいつ見ても心が洗われるような姿であるな。維月殿とか言っておったが、まさか?」
蒼は頷いた。
「まあ、こんなことは慣れておるので良いのだが、母を望んでおるようだ。ま、主もそうだったが、皆あの気にあてられて一度はそんな気になるのだ。おそらくそのうちに、熱も冷めるだろうて。」
緑青は大真面目に頷いた。
「陰の月の気というのは、ほんに恐ろしいものぞ。誰彼構わず惹きつけてしまうゆえの。だが、その想いが本当かどうかは、しばらく経てば分かるもの。その身が欲しいのか、その心が欲しいのか、己に問うたら自ずと答えは出て参る。それにしても、維月殿自体は意識しておらぬところでこんなことになるのだから、困ったものよの。龍王も大変ぞ。」
蒼は何度も頷いた。
「そう、本当に。振り回されるのは疲れるはずであるのに、維心様には頭が下がる。」
そんなことを言っていると、結界を抜けて龍の一団が降りて来た。今日は維心も公式訪問だ。またぞろぞろと大変な数を連れて来たな…。蒼は思って、その行列が途切れるのを見守った。
やっと輿が降りて来たと思ったら、中から維心が降り立った。そこに居た者達は、蒼ですら息を飲んだ…維心が、正装の甲冑を着たのは、初めて見る。霧花はぼーっと維心に気を取られて扇をまた落としたことも忘れ、雛は呆然と口を開けたまま維心を見ている。そんな女達の様子にも気付かず、泰も緑青もただ言葉を失って維心を見た。
「蒼、待たせたの。何しろ維月が気を失ってしもうて。」と、輿を振り返って両手を突っ込むと、維月を抱き上げて輿から出した。「何事かと思ったが、大事ないようだし、そのまま連れて参った。しばし部屋へ入るぞ。」
維月も豪華な着物を着て正装していたが、真っ赤になって扇で顔を隠している。さては母さん、維心様があんまりご立派なんで見とれるを通し越して気を失ったな。
蒼は、ごくりと喉を鳴らすと、なんとか言った。
「はい。後で十六夜が行くと思いますので。それまでに母上のお加減を良くして置いていただければ。」
維心は頷いて、気遣わしげに維月を見た。
「維月、大丈夫か?どうしたのだ、今朝までは何でもなかったものを。ほんに世話の焼けることぞ…。」
維心は維月を抱いて歩いて行く。蒼は、それだけでもう、先が不安になったのだった。
修がそこへ着いたのは、時間ぴったりだった。
久しぶりに出た宮の外の空気は心地よい。それにも増して、この月の宮の結界の中は清々しい気で満ち、何もかもが洗い流されるような心地がした。
臣下達が大挙して付いて来たので、また大所帯であったが、月の宮の軍神達は慣れた様子で皆を誘導して行った。
それも道理で、そこにはもう、龍の軍神達や臣下達が大勢着いて、休んでいた。今日は、龍王も、龍王妃も来ていると聞いている。ここは、龍王妃の里になるのだ。
修は、己の輿だけ宮の到着口に直につけられるのを見て、輿から降りて、王の蒼に向かい合った。
蒼は、修という神がどんな神なのか全く知らなかった。
確かに会合では会っているのかもしれないが、たくさん居るので全て覚えていないのだ。輿が目の前に降り立って、修がその輿からスッと降りて来るのを見て、蒼は驚いた。
修は、嘉韻のような金髪に、金色で中心近くは緑の瞳の、背が高く、がっちりとした体型の神だったからだ。
噂に聞く、宮の奥深くから出て来ない、女にもまともに対面出来ない気の弱い王、といった印象は、その姿からは全くなかった。蒼は進み出て言った。
「修殿。我は蒼。この月の宮の王。よう来られた。」
修は頷いた。
「初めてお目に掛かる。我は東の宮の王、修。ここは素晴らしい宮であるな、蒼殿。」
蒼は、そのはっきりとした物言いと、物怖じしない雰囲気に、本当に本人なのだろうかと訝しんだが、緑青を見た。
「緑青よ、修殿とは、どこぞでお会いしたことはあるか?」
修は呆然と修を見ていたが、首を振った。
「いや、ない。あまり宮を出て来られない王であるのでな。」と、傍らの霧花を見た。「修殿、これが我の娘の、霧花。お見知りおきくだされ。」
霧花が進み出て深く頭を下げた。
「初めてお目に掛かりまする。霧花と申します。」
修は、じっと霧花を見ていたが、頷いた。
「修と申す。以後お見知りおきを、霧花殿。」
霧花は、修がまたあまりに凛々しく、そして聞いていたような気の弱い王ではなかったので、どぎまぎして顔を赤くしていた。今日は、あまりに美しい神を見すぎてしまっているわ…。
「では、こちらへ。」蒼が歩き出した。これで全員揃ったし。「広間へ参ろうぞ。まずは茶の支度をさせてあるのでな。」
皆がそれについて歩く中、十六夜は離れた場所からそれをじっと見ていた。
「…また困ったな。なんだって神の世には、あんな顔ばっかなんだ。」
そんな風に言う十六夜も、やはり美しい顔立ちであるのは間違いなかった。




