片恋
将維は、明人や嘉韻と共に、コロシアムで汗を流していた。
といっても、将維が全力で戦うことはない。そんなことは、父や十六夜と渡り合う時ぐらいしか、最近ではついぞなくなってしまっていた。
それでも、ぐんぐんと成長している軍神達と立ち合うのは、とても将維にとって気分転換になった。今回、将維がここに来る許可を得たのは、何人かの軍神を龍の宮へ連れ帰ることが必要だと維心が判断したからだった。本当なら、維月と一緒にここへ来るなど許されることではない。それで、将維は皆を値踏みしていたのだった。
「…嘉韻は、良い軍神であるな。」将維は李関に言った。「まだまだ伸びしろもある。主らも、宮に居た頃を考えると、格段に成長しておるし、驚いたわ。」
李関は頭を下げた。
「もったいないことでございまする。」
将維は李関に言った。
「主は涼を妻にしておるから、ここから出ることはないであろうが、我は蒼に言って、数人の軍神を龍の宮へ連れ帰ることを考えておるのだ。蒼は、あちらへ戻っても良いという軍神を募ると言っておった。あくまで任意で、命じることはないのだが。」
李関は、驚いたような顔をした。
「は、確かにあちらからこちらへ来た者も大勢おりまするし、駐屯兵としてここへ来て、そのままここの軍神になった者もおりまする。人の世からの帰還者も成長し、今ならば戻っても、軍事態には支障はないかもしれませぬが…。」
李関は渋い顔をした。希望者は居るだろうか。あちらより、こちらのほうが、規則が緩いことは確か。軍務も無理はさせぬようにと考えられてあるもの。しかし、あちらはやはり神の世の常、とても軍神の任務は厳しい。ここに慣れた者が、戻ろうと考えるだろうか。
将維は、悟って苦笑した。
「ま、あくまでも任意であるゆえ。ここが出来た頃、無理にここに残された者もおったであろうし、今ならば戻れるであろう。そういう者を戻したいと思うておるのよ。案ずるでない。」
李関は頭を下げた。確かに蒼様ならば、無理にとはお考えになるまい。李関はまた立ち合いを始めた、将維の背を見つめながら思っていた。
雛は、学校を見る前に、気になっていた大きな建物、コロシアムのほうへ来ていた。ここは軍の訓練などに主に使われる場所で、王の御前の立ち合いや、その他何かの催しものに使われるのだと侍女達は説明した。
そして、観覧席に立った雛は、そこで立ち合いをする数人の軍神達に目を止めた。皆とても凛々しい中、特に際立って動きが早く洗練されている龍に、雛の目は吸い寄せられた。隣りの侍女が言った。
「ああ、本日は将維様がいらっしゃって…いつ見ても、心が沸き立つようなお姿ですこと。」
隣の、別の侍女も頷いて将維に見とれている。雛は、それがあの龍の宮で会った、あの皇子の将維であることに気付いて、頬を赤らめた。なんと凛々しいお姿なの…。
将維はふと、横を向いて、金髪の龍に頷き掛けた。その龍は立ち上がって、将維に対峙した。
雛の息は詰まった。
なんて…なんてお美しいかた。
雛は、その金髪の龍の動きに見とれた。将維にしっかりと付いて行っているその動きは、また無駄がなく立ち合っているにも関わらず、美しかった。
「まあ嘉韻様…。」
侍女が、ため息を付いた。嘉韻?あのかたは嘉韻というの?
「将維様と立ち合っている軍神は、嘉韻様とおっしゃるの?」
雛が思わず訪ねると、侍女は嘉韻と将維から目を離さずに言った。
「はい。龍と鳥の間にお生まれの龍の君で、大変に優秀なかたとお聞きしておりまする。」
雛は、ドキドキする胸を押さえた。嘉韻様…将維様…。これほどに、胸を騒がせるお姿があるなんて。
雛は、そこで侍女達と共に、皆の訓練が終わるまで、ずっとそれを見つめ続けたのだった。
自室に戻った後でも、その姿は目に焼き付いて離れなかった。嘉韻様と将維様。お二人共、なんと凛々しい殿方であられることか。雛はなかなかに眠ることが出来ず、悩んだが、姉の所へと向かった。
姉は、休む準備をしているところだった。
「雛?どうしたの、もう休む時間ではないの?」
雛は首を振った。
「とても眠れなくて。」
桂は苦笑した。確かに、これほど大きな宮に来た初日。興奮してもおかしくはない。
「こんな宮は初めてであるものね。いらっしゃい。お話ししましょう。」
雛は嬉しそうに微笑んで、桂の前の椅子に座った。桂は雛を、愛おしげに微笑んで見た。
「それで、何か興味のあることはあって?」
雛は、話そうとして、少し恥ずかしそうにした。桂が不思議に思って見ていると、雛は赤い顔をして言った。
「…本日は、訓練場に参りました。観覧席から、軍の訓練の様子を見ておりましたの。」
桂は頷いた。軍になど、興味があったのかしら。
「そう。立ち合いをしていたのかしら。」
雛は頷いた。まだ赤い顔をしている。
「そこで…とても美しい殿方を見ました。」桂は、びっくりしたような顔をした。雛はまだ恥ずかしそうに続けた。「将維様と、嘉韻様です。」
桂は記憶をたぐい寄せた。将維様は知っている。龍王の皇子でいらっしゃる、跡継ぎのかた。嘉韻は、確か月の宮の軍神の…師団長とか聞いている。
「まあ、雛…龍のかた達ね?」
雛はこっくりとうなずいた。
「はい…。我はあの方々とお話しをしてみたいと、一度、話したことのある明人様に頼んでみようかと思うておりまする。」
桂はまたびっくりした。それは…でも、女のほうからなど…。
「雛、気持ちは分かるけれど、女からそのように頼むなど、嗜みがないと言われるかもしれないわ。特に龍の宮ではそうであると、我は聞いておるの。なので、龍の方々を恋しても、己からは近付かぬ方が良いかと思うけれど…。」
雛は、必死の表情になった。
「でも、我はここに住んでおるのではないし…将維様も、いつ戻られるか分からない。では、今しかありませぬの…。お姉様はこちらに住まわれていらっしゃるけれど…。」
桂は苦笑した。確かにそうだけれど、それは蒼様がいらっしゃるからで。我が望んだのは蒼様と共に居るということなのだけれど。
「でもね雛、やはり殿方のほうから乞われて嫁いだほうが、我は良いと思うわ。それはお互いに想うほうが幸せであるのだと思うけれど、己から一方的に想うても、相手に迷惑だと思われたら、遠ざけられてしまうかもしれないのよ。我はそう思う…でも、雛はそうではないのね?」
雛は頷いた。お姉様はそういうけれど…でも、それはお姉様が蒼様を愛してらして、蒼様もお姉様を愛していらっしゃるから…お分かりにならないのだわ。
「我に気付いていただかねばなりませぬ。お姉様、我はお話をしてみたいのでありまする。」
桂は、ため息を付いた。仕方がない。
「わかったわ…我は勧められないけれど…将維様は地位の高いかた。簡単にはお傍に寄ることは出来ませぬ。蒼様に一度、お話してみます。嘉韻殿のことも、一度申してみまするけれど、それは明人殿に頼んだほうが良いかもしれませんね。」
雛はパアッと明るい顔をした。
「ああお姉様!ありがとうございまする!」
桂は困ったように微笑んだ。
「さあ、では、今日はお休みなさい。全ては明日から。それに備えて、休まなくては。」
雛は頷いて、立ち上がった。
「はい。では、お休みなさいませ。」
桂は頷いた。
「おやすみ、雛。」
そして足取りも軽く出て行く雛を、桂はため息を付いて見送ったのだった。
次の日、蒼は桂からそれを聞いて渋い顔をした。将維…また、よりにもよって一番敷居の高い者を。しかも、嘉韻もと。
「桂、話ぐらいはさせてやれるやもしれぬが、将維はおそらく諦めた方が良い。嘉韻も、我は性格を知っておるが、とても無理ぞ。恐らく、辛いのは雛殿のほう。両方とも勧められぬな。」
桂も、申し訳なさそうに蒼を見た。
「はい。我も女のほうからそのように申すのはと、反対は致したのでありまするが、何分言い出したら聞かぬ性分で…悪い娘ではないのです。なので、お話さえすれば、気も済むかと。」
蒼は仕方なく頷いた。
「では、将維には我から申そう。嘉韻は、明人に頼むと申しておったのであるな?」
桂は頷いた。
「はい。お手数をお掛けしてしまって、申し訳もございませぬ。」
桂は恐縮して下を向いた。蒼は苦笑して桂の肩を抱いた。
「主がそのように言うことはない。分かっておるよ。せっかくここへ参ったのであるから、雛にも良い思い出ぐらい残してやらぬことには。」
桂は微笑んだ。
「はい。ありがとうございまする。」
そうは言っても、将維がわかったとすんなり言うはずもない。母さんを使うか…。
蒼は、一計を案じたのであった。




