憧れの宮
明人は、蒼について月の宮へ帰って来た。
すると、同じ時に宮の結界に入る人影を見て、その気に、明人は思わず叫んだ。
「嘉韻!」
嘉韻は、飛びながら振り返った。この一年、父の嘉楠も居る南の砦へ修行に出ていて、月の宮へ帰っていなかったのだ。嘉韻は、微笑んでこちらへ飛んで来た。そして、蒼が居るのを見ると、宙で膝を付く形になった。
「王、このような場所で失礼致します。只今帰りました。」
蒼は嬉しそうに頷いた。
「よく戻った、嘉韻。あちらはどうだった?」
嘉韻は頭を上げた。
「はい。さすが炎嘉様が治めているだけありまして、鳥の宮とそっくりな軍の編成の仕方で、我には慣れた感じでありました。それに、あちらには元鳥の宮の筆頭軍神と次席軍神が居りまするので。」
蒼は頷いた。
「さもあろうな。維心様は、そうなるようにと配置されたのだ。南をずっと守って来たのは鳥。ゆえに鳥に守らせるのが一番だと言っておられた。」
嘉韻は少し驚いたような顔をしたが、頷いた。蒼は、明人を見て言った。
「オレはもう、このまま一人で宮へ戻るよ。明人は任務を離れて良い。」と、嘉韻を見た。「主もな、嘉韻。」
二人は揃って頭を下げた。
「は!」
蒼は、宮へと降りて行く。明人は嘉韻を見た。
「嘉韻、待ってたんだよ。やっぱり慎吾が結婚してなかなか一緒に過ごして話すってのがなくなっちまって、嘉韻が居ればなっていつも思っていた。」
嘉韻は頷いた。
「我もよ。主も大変なことを務めておったのだな。我も知らなかった…気取ることもなかった。10年もの間、うまくやっていたものよ。」
明人は肩を竦めた。
「嘉韻には話そうかと思ったこともあったんだ。だが、王のことだからな。言えなかった。」
「それで正解よ。」嘉韻は言いながら、宿舎に向かって飛び始めた。「軍神は、友を欺かねばならぬこともある。任務とはそれほどに重いものぞ。」
明人は頷いて、嘉韻に続いた。軍神…望んでなったが、ここまで多岐に渡ったことをこなさねばならないとは、その時には思っていなかった。
しかし、明人は今や神の世の軍神と認められた、月の宮の軍神の将なのだ。
泰は、桂が月の宮に収まったことで、回りの宮の王達に羨ましがられ、そのツテから、誰か自分の所の皇女も娶ってもらえないかと相談を受けるようになっていた。
しかし、泰もそれどころではなかった。何しろ、宮にはまだ雛が残っている。桂のことは諦めていたが、思いも掛けない所からあのように格の高い宮へ妃として入ることが出来、本当なら龍の宮や月の宮の侍女でも良いと思っていた泰にとって、まさにそれは棚から牡丹餅状態であった。
そうなると欲が出て来て、桂のツテから雛にも、もしかして龍王の皇子達の誰かの妃に収まることは出来まいかと考えるようになっていた。書状を持って行って気に入ってもらえ、皇子の妃にと言ってもらえまいかと思ったが、雛はそこまで出来るほど世慣れていなかった。
やはり、桂から蒼殿へ言わせて、何とかするよりないか…。
泰は、そう考えていた。
そんな時に、雛が月の宮の姉の所へ会いに参りたいと願い出て来た。
泰は、願ってもないことと桂に使いを出させ、雛は月の宮へと出掛けて行くことになったのだった。
願わくば、誰でも良いから月の宮の中で婚姻を済ませて来てもらえれば…。
泰はそう願っていた。
雛は初めて見る月の宮に興奮気味に輿から身を乗り出した。
なんと美しくて大きな宮なのだろう…。
雛は、こんな所に住んでいる姉に、なぜだが別の世の者になってしまったようで、会うのに緊張した。
桂は、別人のように元気になって、美しい着物を着て雛を待っていてくれた。
「まあ、雛…遠路、大変だったでしょう。よく参ったわね。」
相変わらず美しい姉に、雛は頭を下げた。
「お姉様、お久しゅうございまする。お体はいかがですか?」
桂は微笑んだ。
「あら、もう何ともないのよ。」桂は微笑み返した。「いらっしゃい。王もお待ちでいらっしゃるわ。ご挨拶をして、それから宮を見て回りましょう。」
桂は、ドキドキしながら回廊を歩いた。
しばらく歩くと、戸の前で桂は言った。
「蒼様。雛が到着いたしまして、ご挨拶に参りました。」
蒼の声が聞こえる。
「入るが良い。」
侍女達が戸を開き、桂はその部屋の中へ足を踏み出した。雛も、慌ててそれに倣う。中は、とても広くて、王の居間であるのだと雛は思った。
桂が頭を下げた。
「蒼様。妹の雛でありまする。」
雛は深々と頭を下げた。
「お世話になりまする。」
蒼は微笑んだ。雛は桂の腹違いの妹で、泰のもう一人の妃との間の子だ。こちらも確かに美しいが、桂が儚げな清楚な美しさであるのに対し、雛は明るく華やかな美しさだった。そして、まだ顔にはあどけなさが残る。
「そのように固くならずとも良い。ここには、他にも留学して来ている皇女達が何人か居るゆえに、主も良ければ学校でも覗いて参るが良いぞ。」
雛は緊張しながら頭を下げた。
「はい。ありがとうございまする。」
侍女が、進み出て蒼に言った。
「王。将維様、維月様ご到着でございまする。」
蒼は立ち上がった。
「やれやれ。今日は来客が多いな。しかし、母と皇子となれば、オレも出迎えぬ訳には行かぬ。桂、雛のことは良いようにすれば良いぞ。部屋は侍女に申し付けてある。後は主が決めるが良い。」
桂は頭を下げた。
「はい。」
蒼は出て行った。桂は雛を振り返って、微笑みかけた。
「では、まずはあなたのお部屋へ案内しましょう。それから、行きたい所を決めて、参りましょうね。」
雛はわくわくして微笑んだ。
「はい、お姉様。」
雛の足取りは、軽かった。そんな妹を、桂は微笑ましい思いで見ながら先に立って歩いて行った。
「…将維は軍のことばっかりだな。」蒼が将維と並んで歩きながら言った。「だから、うちの軍神達はまだそっちへやれないよ。やっと育ったのに…そりゃあ、そっちが大変なのは分かってる。領地がまた広がったしな。」
将維は頷いた。
「父上も軍神の将が足りぬと嘆いていらっしゃる。何しろ、軍神達を遠方に駐屯させてばかりいると、婚期が遅れて生涯独身を貫く者も多くなって、そうなると軍神の血を継いだ者が出ないしで、また少ない軍神を外へと回して、さらに婚姻をしない者が増えて…と悪循環であるのだ。南は良い、炎嘉様ならお一人でも守ってしまわれる。しかし西へといびつに広がっているため、明維と晃維の二人では御し切れない。北西の森は放置状態であるし、たまに巡回には参るものの、その向こうの神である志心殿の結界と近いゆえに本来なら砦を置いても良い所であるのに…。」
蒼はそれを聞きながらため息を付いた。要は、ここの軍神達を何人か欲しいと言っているのだ。分かっているが、そうほいほい渡せるものでもないのだ。
「…わかったよ。維心様にはお世話になりっぱなしだし、一回将達を集めて、龍の宮へ行ってもいいという軍神を探してみよう。元は龍軍に居た神だっているから、戻りたいかもしれないしな。どっちにしても、無理矢理は嫌なんだ。それでいいか?」
将維は頷いた。
「頼む、蒼。」
と、将維は横へ逸れた。蒼は慌てて言った。
「どこへ行く?将維。そっちは違うだろう。」
将維は歩いて行きながら言った。
「コロシアムへ行って来る。今頃演習しているだろう。見て参る。」
さっさと歩いて行く将維を見送りながら、蒼は思った。将維、政務や軍務以外のことを考えている時ってあるんだろうか…。
雛は、奥宮の中と庭を桂に案内されてから、奥宮から出ようとして、止まった。桂は言った。
「我はこれより先には、王と一緒にでなければ行けないわ。雛、侍女達について行って来なさい。学校などもあるし、ここは見るところがたくさんあるわ。」
雛は桂を振り返った。確かに、お姉様は妃。ここからは出れないのね…。
「はい。お姉様は、あちらに行ったことがおありですか?」
桂は微笑んだ。
「ええ、王がいつも連れて行ってくださるから。学校も参ったのよ?そこの図書室からたくさん本を借りて来ているし、我は退屈しないの。あの本を読み終えたら、また連れて行ってくださるとお約束くださっているから。」
姉は、幸せそうだ。雛は、そんな姉が羨ましかった。
「お姉様、お幸せそう…。お父様が、お姉様のことを大変に喜んでいらしたから、大きな宮は気苦労も多いだろうにと思っておりましたのに。」
桂は首を振った。
「ここは違うわ。確かに龍の宮などは厳格であるとお聞きしているけれど、こちらは人の世からの帰還者を受け入れている宮。とてもそういう所には寛大なの。なので私も心安く過ごすことが出来ているわ。」
雛は、そんな姉と別れて、侍女達について、宮を出て外を見に出て行ったのだった。




