目まぐるしい攻防とその果てに
さて、この凶悪な事件が起きる一時間ほど前に、丈一郎は説明会に参加するつもりはなかったが、気になって管理事務所の様子を見に行った。
数日前には管理人が帰った後に、見慣れない連中が数人で事務所の周りで何か作業をしていたので、それも気になっていた。
管理事務所の正面にある駐車場には、いつもは一、二台しか車は停まっていないのに、今日は十台以上停まっている。
車の台数から考えて、どうやら説明会には二十人位の人が参加しているようで、何気なく自動車のナンバープレートを確認する。
殆どが群馬ナンバーで、長野ナンバーの車も三台ほど駐車していた。
事務所の入り口には誰かを待つようなそぶりで、いつもは見かけぬ男が立っているのが目に入る。
丈一郎は嫌な予感がして、散歩のふりをして事務所の手前まで歩き、そこで左に曲がり坂を上がって行く。
幸いその見かけぬ男には気づかれなかったようだ。
そして、坂の上には普段使っていない小屋があるのだが、そこでも人影を見つけ、小屋の近くに見慣れない長野ナンバーの大型の黒いバンが停まっている。
丈一郎はいよいよ怪しいと感じ、彼らに見つからないように小屋の横を通り過ぎ、少しドキドキしながら階段になった短い散歩道を通り、別荘地内を流れる小川の横を過ぎて、小屋からも事務所からも見えないところで茂みに隠れた。
丈一郎は手を顎の下に置き、目を瞑り、例のイメージ能力を使い、自分が管理事務所に入る事を想像してみた。
彼の頭はこれまでに無いほど強く痛んだ。
絶対に入ったり、これ以上近づいたら危険だと直感した。
心臓の鼓動が早くなるのを自覚したので、その場で大きく深呼吸を数回してから、牧野警部補にスマホで電話をかけた。
「もしもし、肥後です」
「ああ、どうも丈さん、どうかしましたか?」
「今、例の不動産屋の説明会が行われている管理事務所のそばを通ってきたけど、すごく怪しい雰囲気だよ。事務所の入り口に見慣れない男がいるし、黒い長野ナンバーのワゴン車が事務所の奥の普段使っていない小屋の近くに停めてあるんだ」
「ええっ、そうですか!例の説明会ですね。何人ぐらい参加しているんですか?」
「正確には分からないけど、車が駐車場に十台以上停まってるから、二十人ぐらいかな?そのうち三台は長野ナンバーで、不動産屋だけではなくて、何か怪しい連中が来ているように感じる」 と丈一郎は例の能力での印象を伝えた。
牧野警部補も丈一郎の勘以上の特殊能力を聞かされているので、すぐに対応するべきと判断し
「分りました。すぐに行きますから、必ず安全な場所に居てください」と丈一郎を心配して指示した。
警部補の指示を聞きながらも丈一郎は
「別荘地の正面入り口から警察車両が来るのはきっとまずい」と思い
「それから剛君、こちらに来るときは正面からではなく、私の別荘がある側の入り口から入って来てよ」
「私はそこから管理事務所に向かった一本道の途中にいる・・」と話す途中で、頭痛がしてきて
「あー、もしかしたら、説明会に来た人たちが、既に何かに巻き込まれているかもしれない」 と切迫した感じで伝えると
「ええっ、本当ですか!了解しました。十分ぐらいで行きます」 と警部補も丈一郎を信じているので、管理事務所での異変を想定した対応を覚悟した。
丈一郎は事務所からも小屋からも見えない茂みに隠れて観察しながら、警部補の到着を待った。
既に管理事務所の建物の中で、凶悪事件が起きているとまでは思っていなかったが、異常な緊迫感と嫌な頭痛に襲われた。
このところ怪しげな連中がうろうろしていたので、丈一郎は注意深く様子を伺った。
すると突然、管理事務所二階会議室の窓のシャッターが音を立てて降ろされ、続けて一階の部屋の窓のシャッターも降りた。
彼は強烈に不審に思い、小屋にいた人影に気づかれないように、少し事務所に近づいてさらに様子を伺った。
そして、例の能力を使うために、顎に右手を添えて目を瞑って意識を管理事務所に集中した。
すると、微かに館内放送のような声が聞こえてきた。
暗い会議室でその放送を聞いている人たちが怯えているのが分った。
誰かが何かを喋っているのだが内容は良く聞こえない。
しかし、それ以上近づくと牧野警部補の到着も分からないし、得体の知れない連中にも気付かれるので、心拍数が異常に上がっていくのを感じながらも、その場でじっと様子をさらに伺っていた。
数分後に小屋から二人の人影が出て来て、事務所の裏口から管理事務所のビルに入るのが確認できた。
なんと彼らはいわゆる目出し帽子を被っていた。色は黒。
「いよいよ怪しい」
というより何かが起こっているとしか思えなかった。
「やはり、監禁だ!」と丈一郎は直感した。その後のことをイメージできそうな気がした。その時、後ろから牧野警部補が現れた。
「丈さん、お待たせしました。どうですか?」丈一郎は一瞬飛び上がりそうに驚いたが、すぐに警部補とその部下数人だと分かり
「剛君、いよいよ怪しいよ!事務所の一階と二階のシャッターがさっき下ろされ、事務所手前の左側の小屋から黒い目出し帽をかぶった男が二人、事務所の裏口から入って行った」さらに、切羽詰まったような言い方で
「事務所の中では館内放送のような声が聞こえてくるんだけど、ここからじゃ、何と言っているかは分からない。中にいる人たちは皆怯えている。きっとこれは監禁されたと思う」
いつも穏やかな丈一郎が一気に早口で喋る尋常じゃない様子に、警部補も先日兄から聞いた丈一郎の特殊能力が働いているのだと思い、状況が悪化していることを感じ取った。
「丈さん、分りました。少し確認させてください。あの小屋はいつもは使っていない小屋で、あそこに怪しい連中が出入りしているんですね?」
「ああ、そうだよ」
「あの黒いワゴンは長野ナンバーなんですね」と彼が指差すので丈一郎は緊張した面持ちで頷いた。
警部補はさらに身内の刑事に尋ねるように
「丈さん、駐車場には何台車が停まっていましたか?」
丈一郎は横を通過する際に何となく気になって車の数をざっくり数えていたので、澱みなく
「駐車場には十一台の車が駐車場していて、殆どが群馬ナンバーなので説明会参加者だと思う。それ以外に三台の長野ナンバーの車が停まっていたと思う」
さらに丈一郎は
「そのうち一台は以前散歩中に見かけた長野ナンバーの白いセダンなので、それは不動産屋の車だね。見慣れない長野ナンバーの車は多分二台だと思う。この不明な長野ナンバーの車が犯人達の車ではないかな」と調査を依頼された私立探偵のように正確かつ冷静に答えた。
それを聞いて警部補は少し渋い表情で
「なるほど、犯人ですか。彼らは二台の乗用車と黒のワゴンに分乗してきたと言う事ですね。そして、丈さんは既に何かが起きていると思うのですね」 と念を押すように丈一郎に尋ねると
「ああ、目出し帽しを被った連中が出入りしているからね。監禁の可能性が高いよ!」とちょっと脅かすような口調で警部補に伝える。
一緒に来た警官たちは、驚きの表情をしながら丈一郎の話を聞いていたが、警部補は大きく頷きながらも冷静さを保ち
「事務所の中には何人位いると思いますか?」とさらに丈一郎からの情報を聞き出そうと質問する。
「参加者は不動産屋のメンバーも数人いるし、この別荘地のメンバーも数人は参加すると聞いていたので、全部で少なくとも二十数名はいるんじゃないかな。その中に正体不明の犯人グループが紛れ込んでいると思う」
「ただ、会議室は三十畳ほどなので、それ以上は収容できないと思う」と丈一郎が話すと、さらに警部補は この後の活動の重要な情報として
「犯人はどんな連中だと思いますか?」と丈一郎に尋ね、丈一郎は推理する。
「もしこれが監禁事件だとすると、事務所を占拠している犯人は例の不動産業者ではなく、もっと用意周到で危険な連中だと思う」
「先日、見かけない連中が事務所の周りで何か作業をしているのを見かけたので、その時にも長野ナンバーの車が駐車していたから気になっていたんだ」
丈一郎の情報は、ただの近所に住む通報者のレベルではないし、通常警察官は一般市民にこんな重要な事を尋ねたりはしない。
もし、その情報が間違っていて、被害者に害を及ぼすことだってあり得るからだ。
しかし、警部補は丈一郎の冷静な観察力と判断力と、さらに例の特殊能力を信じているのだろう。
そこまで聞いて、牧野警部補は上東市で黒須不動産が地元で酷い商売をして、ある一族と揉めていることを現地警察から情報として貰っていて、その事が関係していると感じた。
「もし、そうだとすると、これは根が深いぞ」と警部補も背筋がゾッとするほど緊張してきた。
「監禁事件だとすると、二十人近い人たちが被害者になる」と想像するだけで、呼吸が乱れてきた。
その時、管理事務所から目出し帽子をかぶった男が二人、気を失ったような小柄な男を両側の脇から抱えて出てきて、ワゴンの荷物スペースに重い人形を抱えるように積み込んだ。
その場にいた警官たちは蝋人形のように固まった。
そして二分後には、同じように別の二人の目出し帽子をかぶった男達が、今度は背の高そうな違う男を同じように脇に抱えて出てきて、ワゴンに乗せて、二人は裏口から事務所に戻った。
二人はワゴンの運転席とワゴンの外に残り、周りの様子を伺うようにしていた。
警察関係者全員が息を飲みじっと様子を見守ったが、麻山刑事と警察官が動こうとしたので、牧野警部補は「動くな!」と二人に小声で指示し、丈一郎に小声で尋ねる。
「丈さん、今、運ばれた二人は知っていますか?」
丈一郎も流石に緊張して、やっと聞き取れるような小声で
「彼らは多分不動産屋の社長と営業部長だと思う。先日事務所に挨拶に来ている時に、私がそばをたまたま通りかかっているので覚えている。後で管理人にあれは誰かと聞いて確認したので確かだと思う。背が低いのが社長で、背が高いのが営業部長だ」と緊張の中でも丈一郎は冷静に応える。
警部補はさらに同僚の刑事の手前もはばからず、完全に捜査を任せた同僚に対するように次の質問をする。
「他の連中は知ってますか?」
「私が事務所の近くを通り過ぎた時に、入り口で見張をしていた知らない男を含めて全員見たことがない。それと、はっきりとは分らないけど、あの小屋には何かが仕掛けられている気がする」と相変わらず探偵のような口調で丈一郎は返答する。
例の能力が完全に機能し始めているようで、予測イメージを付け足した。
それを牧野警部補は完全に信用したように、
「小屋に仕掛けられているのは爆発物のような物ですか?」とさらに質問し、丈一郎は
「ああ、多分」と曖昧に応えた。
「はあ、なるほど、分かりました!」
そして、周りにいる警官たちに小声ではあるが、しっかりした発音で
「これはおそらく『拉致監禁と誘拐未遂事件』だな。人質として監禁されているのは説明会に来た一般市民で、誘拐されたのは不動産屋の幹部だ」と断定的に伝えた。
「そして、近くの小屋には何かが仕掛けられている可能性がある。みんな!『大事件』だぞ!俺は本部に連絡してくるので、そこで全員待機するように!」
「あっ、それからこの人は通報者の肥後さんだ。知っているよな。一人にすると危険なので少し一緒にここにいてもらう。全員、絶対軽はずみに行動するな!」
警部補は小声でそう指示をして、物音を立てずに、さらに二、三十メートルほど後ろに離れ、携帯で状況報告と応援を要請しているようだった。
そのタイミングでと一人の若い刑事が肥後に話しかけてきた。麻山刑事だ。
「ご無沙汰しています、肥後さん」と挨拶しながらも
「ご協力、本当にありがとうございます。でもこの後は危険なことがあるかも知れませんので、警部補が戻ったら安全なご自宅に戻って下さい」
丈一郎は以前、隣の別荘の住民が亡くなった際にその刑事に会っていた事を思い出し、
「ああ、あの時の。分かりました、そうします」と答えたが、そうは言っていられないと決めている。
牧野警部補はわずか三分ほどで戻って来て、麻山刑事と二人の制服警官に向かって、
「刑事部長に連絡をして、できる限りのメンバーを集めてくれる事になった。ここに着く前に俺が連絡をした所轄からは五、六人ほどだが、後数分ほど着くと思う」と伝え、さらに
「犯人は今人質を運んで来た四人と、事務所の中にいるメンバーを合わせると、所轄から来るメンバーを合わせても、我々と同じかそれ以上いる可能性がある」
この予想にその場にいるメンバーは真剣な表情を通り越して、やや怯えているような表情にも見える。
その弱気を鼓舞するように警部補は続ける。
「しかし、部長に要請したメンバーが着くまでには時間がかかるが、被害者の事を考えると、一刻を争う状況だと思うので、所轄から応援が着いたら行動開始だ」
「いいか!事務所に監禁されている“民間人の人質の人命救助が最優先”だ。誘拐されそうな不動産屋の二人の救出もするが、事務所に監禁されている人たちが先だ。心の準備をしろ!」
そのように矢継ぎ早に指示を出した警部補自身が緊張で心臓がドキドキしていている。
通常は犯人の最低でも三倍から四倍以上の人数で逮捕に向かうのだが、今は犯人たちと同数かそれ以下で、しかもさらに十人以上の人質を取られているのは圧倒的に不利な状況だからだ。
丈一郎は逆に自分が知っていたり、感じている事を大体牧野警部補に伝えたので、少し冷静になってきていた。
そして大事な事を思い出し、牧野警部補と周りにいる彼の部下に伝えた。
「伝え忘れてたけど、管理事務所の会議室は二階にあります。こちら側にある裏口から入るとすぐ左手に階段があり、そこを登ると会議室です。ただ、一階には管理人室以外に裏口から入ると右側に応接室があります。犯人達はこの応接にいる可能性があります」
「丈さん、ありがとう。その情報は重要ですね。流石! でも、ここから後は大変危険なので家に帰っていて下さい」と友人の弟でもある警部補にきっと眼光鋭く睨まれたので、丈一郎は仕方なく別荘に戻るふりをしてすぐ近くの別荘の影に隠れた。
数分後に正面入り口ではない方向からパトカーが、丈一郎の隠れている別荘のそばの比較的広い道に二台駆けつけた。
警部補への丈一郎の指示を彼らも守っているようだ。
そちら側から別荘地に入れば、管理事務所からは分らないはずだ。
制服警官と刑事を合わせて六人が、犯人達を監視している牧野警部補の下に集結した。
彼らは警部補が直接連絡し駆けつけた、所轄警察署のメンバーだ。
「人数は足らないが何とかこの人数で最善のことをするしかない!」と自分の心に言い聞かせ、警部補は全員で十人の警察官に状況を手短に伝えた。
警部補はこの後の行動についての指示をする。
「いいか、説明会に来ている民間人の人命救助が最優先だぞ。彼らはおそらく二階の会議室に監禁されている」
「説明会の主催者の不動産屋のうちの二人が不審な長野ナンバーのバンに乗せられていて、彼らがその車でどこかに逃げる可能性があるが、我々はその車の追跡はしない!そっちは他の捜査員に任せる」そして少し息を継いで
「我々は監禁されている人たちの安全を優先させる!いいな」と念を押した。
そして、全員の無線イヤフォンでの通信を確認し、裏口に警部補を含めて六名、正面玄関側に四名を配置して待機させた。
「何かあればすぐに報告しろ、指示は俺がする」と確認した。
各刑事と警官は、「了解です」と小さな声で無線で返答したが、全員がはち切れそうに緊張していた。
何か不測の事態が起これば、全員が暴発しかねないほどの緊張感だ。
その直後に犯人に動きがあった。
二人の男が事務所の裏口から出て来て、運転席に乗っていた男と外で見張りをしている男を含めた四人が黒い長野ナンバーのワゴン車に乗り込んだ。
そして正面駐車場に向けて走り出し、坂道をゆっくり下り、駐車場の脇を抜けて別荘地の正面入口から村道を右折して行った。
警部補は後方の一人の警察官に双眼鏡でワゴン車のナンバーを読み取らせ、携帯で本部に連絡させた。
「現地からです。今、犯人が人質のうち不動産屋の幹部、社長と営業部長らしい二人を乗せて、長野方面に逃走しました。犯人は四人の模様です。車のナンバーは〇〇です」と中年の警察官が本部に連絡をした。
「よし、これで敵は四人減ったな。奴らが十人なら、残りは六人だ。でも、まだ動かないぞ。そのまま待機!」
警部補はいつの間にか冷静さを取り戻し、まるでゲームをしているような平坦な口調で、周りにいるメンバーと無線で正面にいるメンバーに伝えた。
彼もまた丈一郎と同様に、現場の責任者として冷静さを取り戻しているようだ。
一方麻山刑事は早く監禁されている人質を助けたい、と心の中ではウズウズしていたが、牧野の言う通り「今は動けない」と分っていたので、周りの警官たちを見渡して、一人一人と目を合わせて、頷き合い落ち着くように促した。
この警部補と麻山刑事の落ち着きが周りの警官たちにも伝染したように、全員が不思議と落ち着きを保ち始めていた。
その彼らの目の前で、今度は青年らしき男が犯人達二人に抱えられ、裏口の奥にある別小屋に運び込まれるのを、裏の出入り口を見張っている警部補達は目撃した。
「あれは、米川だ。怪我をしているようだ。よし!」と警部補が周りの五人に、小屋に突入するように指示を出そうとした時に、事務所からまた人が出て来たのだ。
警部補は慌てて指示を止めた。
犯人一人がさらに二人の人質を同じ小屋に連れて行った。
牧野も気持ちがはやっていたのだ。
危うくタイミングを間違えて人質を危険に晒すところだった。
人質二人は女性と幼子であった。
だがこれで、犯人三人が小屋に集結したことになる。
警部補は正面に待機させたメンバーから一人を残し三人を、用意してきたジュラルミンの盾を持って、事務所の脇に来るように呼び寄せた。
これで犯人の三倍の九人で、犯人達が小屋から出てくるところを取り押さえるべく準備させるつもりだ。
警部補はその場にいる警察官全員に無線で指示を出す。
「全員よく聞け、今小屋に集まった三人は犯人の実行部隊のメンバーだと思われる。このチャンスに犯人を確保し、敵の戦力を半減させる!」
「犯人が小屋から出てくるタイミングで、俺と麻山と鈴木で彼らの後方に周り込むので、俺が指示をしたら、まず盾を持った竹下たち三人は彼らの前を塞ぎ、事務所への道を遮断しろ!」
「麻山たち三人は坂道の横側面にて待機し、事務所への道の遮断を確認出来たたら、すぐ指示を出すので、横から銃を構え威嚇しろ!もし彼らが抵抗した場合は拳銃の使用を許可する。その方向には犯人以外はいない」
「そして、俺と高田と鈴木は犯人達の後ろに回って、俺が拳銃を構えて静止の警告をする。奴らが従ったら、ゆっくり手錠を嵌める。分かったら持ち場につけ!」との警部補の指示で、警官達が急いで指示通り持ち場に着くのと同時ぐらいに小屋から二人が出て来て、すぐに一人が続いて来た。
警部補は 「しめた!」と心の中で叫び、もう一人の刑事と静かに木の影になりながら、犯人達の後ろに周り気づかれないように拳銃を構え、一、二秒じっと構え
「竹下、今だ!」と口元の無線で指示をした。
事務所の脇に待機していた竹下と呼ばれた警官を含めた三人の警察官が急いで犯人達の前に回って、警備用のジュラルミンの盾で行く手を塞いだ。
犯人たちとの距離はおよそ十五メートル。
犯人達はそれを見てビクッとして、立ち止まる。
そのタイミングで
「麻山、今だ!」との警部補の指示で、崖下で待機していた三人の刑事が突然彼らの横に出て、銃を構えた。
犯人たちからの距離はおよそ十メートル。
犯人たちは麻山たちの出現に、さらに驚いたように静止する。
そして、警部補はそれを見て犯人達との距離を小走りで詰めて、拳銃を構えて
「全員手を上げろ。抵抗すれば発砲する」と怒鳴った。
この流れるような警官たちの動きに、犯人たちは完全に虚をつかれて、キョロキョロと後と横を見て、立ち竦んだ。
事務所に逃げようとも前方を盾で塞がれ、横には銃を構えた警官たちがいて、後ろには同じように警官が銃を構えている。
逃げられそうもないことを自覚したらしく、大人しく三人全員が手をあげた。
「よし、全員、膝をついてそのまま手を後ろに回せ!」と言う警部補の指示にも犯人は従った。
無言でのこの犯人達の動きに、良く訓練されているのだろうと警部補は逆に恐怖を感じた。
「よし、手錠をかけろ!」と警部補は極力冷静な口調で指示し、一人の犯人に警官二人がかりで手錠を慎重にかけていった。
犯人に逃亡の気持ちを起こさせないように、こちらも訓練された警官である事を分らせようと配慮しているのだった。
これが効を奏したのか、犯人達は素直に膝をついて手錠を掛けられた。
警部補もこれを確認しながら、かなり気持ちに余裕が出ていた。
「これで、逃亡した四人を含め七人は減ったな」警部補の読みでは、丈一郎の情報と管理事務所の会議室の大きさと犯人を含む参加者の想定人数を二十数人として、そのうち説明を聞きにきた参加者人が十数人程度いるとすると、今、管理事務所にいる残りの犯人は三人か四人だと推測した。
ただ確証が持てない。
また、確保した犯人が暴れれば元も子もないので、警部補は犯人に気取られないように次の支援が来るのを待った。
「管理受務所にはまだ多くの民間人の人質がいるので、犯人は三人か四人だと思うが、慎重に行動するぞ!」と心の中で念じた。
その時、何台ものパトカーが別荘地の正面玄関から管理事務所の前に静かに到着した。
静かと言っても、さすがにこの音に事務所内にいる犯人達は気づいたものと判断し、警部補は正面にいるメンバーにはそのまま待機し、状況を説明するように指示した。
警部補は無線で、到着した捜査一課長にメンバーを二手に分けて、正面での待機を課長補佐にお願いし、一課長にはメンバーと裏口に来てもらえるように要請した。
すぐに警部補のところに捜査一課山本課長と十人ほどの警察官が到着したので、逮捕していた三人の犯人の拘束を同僚の警部補に依頼した。
そして山本課長に「人質が小屋の中と管理事務所の中にいて、管理事務所には犯人数名がまだ残っています」と報告した。山本課長は
「小屋には人質だけなのだな?」
「はい、多分。ただ、未確認ですが、何かが小屋に仕掛けられている可能性があります」山本課長はそれを聞き、そばに待機している警官に、慎重に小屋の人質の救助と安全確保を命じた。
「管理事務所はどうする!交渉出来ますか?」 と山本課長は牧野警部補に尋ねた。
「多分、残った犯人は三名か四名で、多分残っているのが主犯です。事態には気づいているはずなのすが、交渉する前に小屋に連れて行かれた女性に少し話をさせて下さい。管理事務所の中の状況を聞きたいので」
「分かった、私はここで管理事務所の様子を見張っておく。話を聞けたら、すぐに報告を!」
警部補はすぐに部下の刑事と共に米川と思しき青年が運ばれた小屋に向かい、女性一人と少女が警官に支えられて小屋から出てくるのを確認した。
彼女が米川の姉の正田敬子だったので驚いた。
小屋の外で警部補は
「正田さん、大丈夫ですか?」と聞くと、彼女は警部補の顔を見て少しホッとしたような表情となったが、
「私は大丈夫です。弟も無事なのですが、柱に縄で括り付けられているようなのです」
「分かりました、すぐに弟さんの縄を外しますので、あなたと娘さんは安全なところに避難していてください。その前にまだ多くの人質を捉えられているので、教えてください。あなたが連れてこられた時に、犯人は事務所の中に何人いましたか?」と尋ねると、彼女は気が動転しているだろうに気丈に答えてくれた。
「私たちを連れてきた人を除くと、多分三人だと思います」
「そうですか、やはり三人か。正田さん、ありがとうございます」
警部補は警官に二人を安全な場所に連れて行くように指示をした。
警部補の読み通り管理事務所には主犯格含めて三人しかおらず、警官の数は十分に足りているのを確認できたので、山本課長に報告をした。
すると、山本課長は
「さっき管理人から聞いたが、会議室は二階で裏口のすぐの階段で登ったところにある。裏口から侵入し、犯人と交渉しましょう!」と警部補に礼儀正しく指示をした。
この山本課長はキャリアであったが、かなり変わり種で、現場にすぐに出て行くし、しかもなかなか勘が良い。
部下にも年齢を考慮した言葉遣いをすることでも有名だ。
牧野警部補はその指示を受け、麻山に
「麻山、相手はお前の同族かもしれないな」とぼそっと呟くと、麻山は
「はい、私は面識はありませんが、父は多分知っていると思います」課長はそれを知っていたらしく、
「麻山君、牧野警部補と交渉に立ち会ってもらえるか?」と麻山に指示のような口調で話すと、麻山は
「はい、分っています。覚悟はしてました」と強い口調で言い放ったので、警部補と山本は大きく頷きあった。
この若い刑事は良い刑事になると二人とも思っていたし、こういう時の交渉役は身内が適していることも多い。
警部補は山本課長に裏口で待機してもらい、麻山と五、六人の刑事と警察官数人で静かに裏口から入り、人質が監禁されているらしき会議室に近づくため階段を登ろうとした。
二階に上がる階段の下の薄暗い廊下に数人の男たちが立っているのが見えた。
攻撃してくることを覚悟して、壁側に身を寄せたり、しゃがんで防御態勢を取ったが、予想に反して何もなかった。
警部補たちは犯人にライトを当て、拳銃を構えて近づき
「もう、あなたたちの仲間は全員逮捕した。諦めて投降しなさい」と大声ではなく普通の話し方で声をかけると
「我々は民間人に危害を加えるつもりはない」と言って、あっさりと三人とも手を挙げるので、警部補は「確保!」と警察官に指示し、七、八人が突入し三人を取り押さえた。
警部補が「これで、全員か?」と先頭にいた主犯らしい老人に近寄り問いただすと
「そうだ、我々はこれで全員だ」と老人は静かに答えた。
その時彼ら武器を持っていなかった。
その三人を警官が即座に逮捕し、手錠を掛けるのを見ながら、警部補と数人の刑事が暗い二階の会議室に向かった。
会議室に着くと暗い室内をライトで照らし
「警察です、安心してください」と声をかけて入ると、室内の中には十人以上の人質が椅子に座り怯えていた。
警官が会議室の電気をつけて、犯人達が手錠をかけられ取り押さえられた事を伝えると、安心して泣き出す人たちもいて、安堵の空気が流れるのが警官たちにも分る。
警部補は人質の一人一人の顔を見ながら無事を確認し、
「人質を全員無事確保!」と山本課長に報告する。
「そうか、良かった!」と課長は喜びの声をあげた。
すぐに課長は無線で管理事務所の制圧と人質全員の救出を全警察官に伝えた。
警官たちは監禁されていた人たちを順番に外に連れ出すと、皆が笑顔で無事を喜び合っていた。
涙を浮かべて抱き合っている隣人同士もいたし、警官に感謝を伝えている人もいた。
無論、そこに集まっていた警官たちもほっとした表情だったが、そこにとんでもない報告が飛び込んできた。
管理事務所の裏側で逮捕した三人を拘束していた刑事が
「逮捕した犯人の一人が事務所の裏の小屋に爆弾を仕掛け、スイッチを押したと喚いています」と捜査一課長と牧野警部補らが揃っているところに、慌てて報告に来た。
「しまった!丈さんが小屋に仕掛けられていると言ってた爆発物だ。すぐにそこに行く」警部補は大急ぎでその報告に来た刑事と一緒に犯人を拘束しているパトカーに合流した。
山本課長は大声で課長補佐に、人質になっていた人たちを引率して、警察関係者全員とともに小屋と反対側の管理事務所の玄関側に連れ出し、パトカーや警察車両の後ろに隠れさせるように指示をした。
警部補は爆発物を仕掛けたと言っている犯人が拘束されているパトカーに着いた。
「小屋に爆弾を仕掛けてあり、さっきボタンを押した」と大声で喚くのを牧野も確認する。
その男は麻山仁だった。
現場聴取で警察がリストアップしていた、麻山一族の一人で麻山仁だと分っていた。
警部補は麻山仁に向かって、
「あと何分で爆発するんだ!」と怒鳴ると、
「多分四、五分だ」とハッキリした声で答えた。
そこにいた全員が驚く。
「どこに仕掛けた?」
「小屋の奥の流しのところだ」
「止めることは出来るのか?」
「ああ、出来る。俺ならばね」
警部補は麻山仁の手錠をはめたまま、引きずるようにすぐに小屋に向かう。
一分ほどで小屋に到着し、中に入るとまだ二人の警察官が米川を助けようとしていたが、縄が柱に括り付けられておりすぐに外せないようだった。
牧野はたまたま近くにあった草刈りに使う鎌を、米川を抱き抱えていた一人の警察官に渡し
「これで縄を切れ!」 と指示をした。
そして、麻山仁を爆弾が設置されている小屋の奥の流し場に連れて行くと、確かにそこにはプラスティックのケースと、それに繋がった色のついた配線ケーブルとスイッチと小さなライトがついた手作りの箱が無造作に置かれていた。
「爆弾を止めろ」と警部補は命じた。
仁は米川の縄が切れるのを待つかのように、一分ほど何もせずに時が止まったようにしていた。
鎌で縄を切ろうとしている警官が
「警部補、なんとか切れそうです」と言う声を聞き、警部補は痺れを切らすように再度犯人に命じた。
「何をしてる!早く爆弾を止めろ!」流石の警部補の額にも冷や汗が流れていたが、犯人は意外にも落ち着いた様子で、
「この『赤い線』を抜けば爆発は止まる」と言うが抜こうとしない。
「早くやれ!」と警部補は麻山仁の肩を揺さぶって命じた。
その数秒後に青年の縄を切っていた警官の
「縄が切れました!」という喜びの声が聞こえた。
米川を柱に結びつけていた縄が取れたのだ。
次の瞬間になぜか仁は『青い線』を抜いた。
その瞬間、警部補の心臓はビクンと反応し、爆弾のライトは点滅し始めた。
警部補は「お前、嘘を言ったのか?」と怒鳴り、かっとして麻山仁を殴ろうしたが、既の所で止めて
「さあ、みんな急いでこの小屋から離れろ!」と大声で指示を出した。
二人の警官が米川を両脇から抱えて小屋の外に出るのに続いて、警部補も麻山仁の腕を掴み出ようとした瞬間に、仁が手を振り解き小屋の奥に素早く入って行った。
警部補は慌てて、「お前、どういうつもりだ?」と仁に向けて怒鳴った。
すると仁は薄暗い小屋の奥から気味の悪い声で
「さっきので本当の爆弾のスイッチが入った。後三分で爆発する。早く逃げた方がいいぜ!」と言う。
警部補はこれは本当だと直感し、自らも必死で小屋から離れ、事務所の正面側に懸命に逃げる。
走りながら無線で
「山本課長、大変です!本当に爆発します!爆発に備えてください!」と裏返りそうになる声を懸命に押さえて大声を出した。
麻山仁は米川を爆発物で殺害するつもりはなく、復讐を果たせなかった自分だけ死ぬつもりでいるのだ。
警部補からの無線を受け、山本課長は一瞬で顔面蒼白となりながら、近くの警官が携帯していた拡声器を使い
「全員、直ちに管理事務所の正面側に逃げてください!爆発物が爆発します。管理事務所前の警察車両の後ろ側に隠れて下さい」と、一、二分の間に数回も喚くので、まだ残っていた警察関係者は転げるように避難をする。
被害者となった人たちは既に警察車両の後ろや、さらに離れた別荘の陰に避難していた。
三分後には人質とほとんどの警察関係者が、管理事務所の正面側駐車場にはみ出すように駐車していた警察車両の裏に隠れることができている。
最後に避難して来た牧野警部補たちが事務所の正面入り口付近に揃った時に、ドカンという大きな爆発音がして、地響きと共に小屋の破片が事務所の脇に飛び散ってくる。
事務所の反対側の壁には破片がぶつかる音が、ゴン、バチン、ガチガチと響いている。
幸い事務所は鉄筋コンクリートの頑丈な作りだったので、それが堅い壁となり直接の風圧も受けず、避難している場所には破片も殆ど飛んでこなかった。
結果として誰も怪我をしていない様子だった。
そこには逮捕された犯人達も揃っていて爆発音に驚き、犯人のうちの誰かが「仁!」と悲痛な叫び声を上げたことで、麻山老人も全てを察した。
麻山仁は指示通りではない、大量の火薬を使い爆発物を作って、本当に爆発させたのだ。
「あいつはなんて事をしたのだ!音がする程度の小さいのを作れと言ったのに」と麻山老人は非難するようでもあり、絶望するようにも聞こえる呻き声を発する。
一方、丈一郎は警察の足手纏いにならないよう気をつけて、爆発した小屋から小さな川沿いに百メートルほど離れた、誰かの別荘のウッドデッキの下にずっと潜んでいた。
別荘からバードウオッチング用に購入した双眼鏡を持参していたので、犯人達の一部が警官に逮捕され、牧野警部補が盛んに動き回り活躍している姿をある程度確認できていた。
ただ、逮捕された犯人や人質がどうなったのかが分からないので、管理事務所の正面入り口側に静かに移動をする。
そこには、いつの間にか多くのパトカーや警察車両が集合していたので、少し安堵しつつ、近くに寄っていこうとした瞬間に
「車の影に隠れろ!」「なるべく遠くに逃げろ!」と言うスピーカーや拡声器や生の警官たちの大声が聞こえた。
彼も慌てて警察関係者や人質と思われる民間人に紛れて警察車両の一台の後に隠れた。
「やはり、あの小屋に爆発物を仕掛けていたのだ」
全員避難しているのか?と近くの警官に聞こうとしたが、その時、大音響とともに地響きのような振動が伝わってくる。
「嘘だろう!これほどの爆発物を仕掛けているとは!これじゃあ、テロじゃないか」と丈一郎は驚いて叫んだ。
爆発音がして数分後に被害者と被害者をサポートしている警察関係者と、犯人を確保している警官を残し、牧野警部補と山本課長、課長補佐と刑事数名で爆破された小屋を見に行った。
その後に救急隊員が担架を持って続いた。
そこには家が燃えさかる炎とバチバチと木が爆ぜる音が響き、火薬の匂いも充満しており、微妙に何か生き物が焼けたような匂いも混ざっている。
家の屋根はまさに木っ端微塵の状態で吹き飛び、壁が薙ぎ倒され、色んな物がそこには散らばっている。
その燃えさかる火の中からあろう事か男が転がり出てきた。
焼け焦げた壊れたマネキンのような姿に皆は怯えたが、こういう時の警察官の動きは速い、一人が消火器を彼に向けた。
もう一人がバケツに汲んだ水をかけた。
火は何とか消えたが酷い状況で、燃えた衣類を脱がすことは出来そうもなく、駆けつけた救急隊員も悲壮な表情で彼に話しかけたが全く返事はない。
何とか担架に乗せて救急車に運んだが
「あれじゃ、助からないな」という声が寂しく聞こえてきた。
山本課長はその惨状を見て
「酷いな、なんと言う爆発だ!被害者が巻き込まれずに済んで本当に良かった・・」と呟いた。
警部補が「あいつは、麻山仁は、米川が小屋から出られると知って、自分で爆発させて死のうとしたんだな」と山本課長の言葉に反応したが、周りの警官達はまだ放心したような状態だった。
警部補はこの時、以前もこれに似た光景を見たような気がしたが、それが何だったかは思い出せなかった。
それから数分後に警察関係者と人質だった人たちと、タイミング良く警察車両の後ろに隠れ無事だった丈一郎も、爆発した小屋の周りに集まっていた。
そして、爆発音に驚いて集まってきた別荘地の住人が遠巻きに取り囲む輪が出来ていた。
その輪の中で一部始終を見ていた一人の被害者がいた。
岩中拳だった。
彼は犯人の中に実の兄である麻山仁がいることを知り、さらに彼が爆発の犠牲となり死を遂げようとした事を目撃していた。
あまりの出来事に彼は呆然とするしかなく、警察関係者と爆発後にさらに追加で来てくれていた救急隊員に手当を受けている間も、放心したようになっていた。
集まった人たちや旅館の人たちが心配して声をかけるのだが、あまりまともな返事はできず、迎えにきた車に乗せられて家である北浅間旅館に帰った。
丈一郎は人質の中に、同じ別荘地の住民はともかく、面識のある正田敬子が含まれていたことに大きな衝撃を受けていた。彼女は村役場の職員だった。
そして、米川が無事保護されたことを近くで確認できた。
まだ、終わってはいないが、犯人十名程度が関わったこれほど凶悪な犯罪を、北浅間村の警察組織と県警捜査一課で対応した事に丈一郎は驚いていた。
しかも、犯人一人の犠牲で切り抜けられた事にも衝撃というか、これまで経験したことがないような心の底から湧き出る安堵を伴う感動に浸っていた。
丈一郎は「前代未聞の事件を悲劇的な結末にしなかったのは、剛くんの大手柄だ!」そう思い、本当に頼りになる弟のような彼を労いたいと思ったが、まだ、事件は解決したわけではないので、時折遠目にその姿を見つけては一人で頷くのだった。
「そうだ、牧野に連絡しておこう」と不意に気づき、スマホで彼にかいつまんで経緯を報告した。
牧野はその一報に大声で反応し
「さっき、お前の別荘地の方で大きな音がしたので驚いていたが、まさか本物の爆発だとはな。人質はみんな無事なのか?」
「ああ、ほぼ全員。ただ、例の不動産屋の幹部がまだ連れ去られているけど・・」
「それで、剛は大丈夫か?」と弟の無事を気遣って聞くので
「ああ、彼は多分無傷だよ。彼がいたからこんな大事件で、被害者側から犠牲者を出さないで済んだんだよ!お前の弟は凄いよ!」 と心からの賛辞を送った。牧野ははやる心で
「これからそっちに行っても大丈夫か?」
「いや、こちらはまだ“ごった返している”から、俺が頃合いを見てそちらに行くよ」
「ああ、分かった。待ってる」 と牧野は引き下がった。
警察官の家族とは、こういう時は可哀想だが、一民間人ではないのだ。公務の邪魔は出来ない。
現地では事件発生から三時間が経過した。
その頃には近隣の警察署からこれまでの倍以上の警察関係者が現場に集まっており、牧野警部補は現場にいた犯人達がさほど抵抗する事なく現行犯逮捕され、警察車両に乗せ警察署に連行するのを見届けていた。
警部補は事件がまだ解決していな事を当然認識していた。
そう、現場から不動産会社社長と営業部長が連れ去られており、彼らを追いかけている長野県の捜査員がいて、まだ彼らを捕まえていないのだった。
警部補は興奮している頭を冷静にするべく自分の頬を叩き、山本課長が警察無線で本部長に報告するのをすぐ横で聞いていた。
「監禁されていた被害者は全員無事に確保し、手当をほぼ完了しました。ただし、残された四人の犯人が不動産会社の社長と社員である営業部長を連れ去ったままです。また犯人が仕掛けた小屋の爆発で、犯人の一人が大怪我をして救急対応中。それ以外の現場にいた犯人七名は全員現行犯逮捕。郡警察署に連行しますので、対応をお願いします」
本部長は「分かった、良くやった。人質を連れ去った犯人の追跡は長野県警に任せて、後片付けが終わったら、鑑識を残し全員署に戻るように」と、やや興奮した口調で指示をして無線を切った。
警部補は人質となった人たちに優しい目をむけ、警察官や警察関係者が介護している姿を再度確認すると、麻山老人を警察署へ連行するのを一番後にすように山本課長にお願いした。
警部補は警官に両脇を抱えられた残された犯人達の主犯格である麻山老人の前に立った。
「あなたに聞きたいことがある。もう抵抗しても無駄なことは分かっていると思うが、誘拐した二人をどこに連れて行ったかを教えてくれ」と冷徹に尋ねた。
すると思いがけず彼からこう非難された。
「誘拐だと!『警察の正義』はどこにある!善良な人たちを苦しめる『詐欺師』たちを懲らしめようとした我らが逮捕され、奴らを被害者として助けるのか?」と。
警部補は麻山老人をじっと見つめ真剣な表情でこう答えた。
「我々は目の前で自由を奪われている『市民』を助ける。詐欺犯に裁判で有罪判決を下すのは我々ではない。仮に犯罪者であっても、最低限の権利はあるし、あなたたちのように、自分たちが主張する理由と方法で一般市民の自由を奪うやり方は間違っている」と宣言するように老人に言った。
老人はすぐに反論し
「何を言う。我々一族は常に正義のために戦って来た。そうやってこれまで生き残ってきたのだ。その我らの大切な先祖からの遺産を平気で盗み取る連中を君らは守るのか!警察の正義なんて、『偽善』じゃないか」と口角泡を飛ばすように怒鳴る。
それに対して、警部補はさらに冷静に
「あなたたちは、何の罪もない市民や、幼い女の子にトラウマになるような恐怖を与えた。そして、あなた達の大切な仲間の一人は自らが死ぬために爆発物を爆発させたんだ。おそらく助からないだろう。警察は権力者やあなた達のような一部の暴力集団のためのものじゃない。一般市民を守るためにある。それが我々の『正義』だ!それに迷うようじゃ、我々は存在してもしょうがないんだよ。あんたに、わかってくれとは言わないさ。善良な市民を騙す輩も逮捕するさ、ただそれは今日じゃない」と言い放った。
老人は、言葉を探したが適切な言い訳が見つからず、しょんぼりと肩を落とした。
牧野警部補がここまで辛辣に人を批判するのは珍しい。
一つ一つの言葉が、老人の考えを完全に封じ込めるように聞こえた。
周りに残っていた警官たちも、警部補の言葉に胸を打たれたようだ。
「さあ、教えてくれ、彼らをどこに連れて行ったんだ。これ以上あなたの仲間に罪を重ねさせるな!」牧野は祈るような口調でそう言い募った。
正義感の一番強かった一族の麻山仁が助かりそうにない事を改めて自覚し、老人はフラフラとしながら疲れ果てたように
「俺たちのアジトに連れて行った」
「そこはどこですか?」
「本家のわしの家だ」
「分かった、彼らに連絡する方法はありますか?」と相変わらず丁寧に尋ねた。
「わしの携帯に番号が登録されている。でもあんたが言ってもダメだ。わしが言えば、言うことを聞くだろう」それを聞いて隣に来ていた若い警察官が押収した老人の携帯を持ってきた。
牧野警部補が「電話をする相手の登録されている名前は?」と尋ねると麻山老人は素直に
「麻山和夫」と答えた。若い警察官が「パスワードは?」と聞くと、「一一一五だ」と老人は答えたので、若い警察官は慣れた手つきで「これだな」と言ってそのナンバーに携帯から発信をした。
若い警官はすかさずスピーカーモードにし、二回ほど呼び出し音が鳴った後に、電話の相手は低い小さな声で
「もしもし、お館ですか?」と尋ねるので、老人は
「ああそうだ、そちらはどうした?」 と元気なく聞くと
「はい、先ほどお館の家に着いて、指示通り奴らを監禁しています」 と麻山和夫が報告をする。
「そうか、申し訳ないが、こちらは全員逮捕された。わしもだ」
相手は不思議にも、そうなるのを覚悟してたかのように冷静に 「そうですか、残念です」と答えた。
老人は全てを観念したように
「和夫、そいつらにはこれ以上手を出すな。これからそこに警察が行くので、決して抵抗するな」との指示に少し間が空いたが
「お館、わかりました。そうします」と寂しそうに言って、電話が切れた。
事前の決め事で犯行がばれた場合は、二人にこれ以上手は出さないことになっていたようだ。つまり、殺害しない事に。
警部補と山本課長はその事を本部長にすぐに連絡し、長野県警察から現地に向かってもらうべく要請した。
そして、警部補は老人を警察署に連行するパトカーに同席した。警察署までの道中、警部補も老人も全く無言であった。
パトカーの窓からの景色はいつもの高原の静けさを取り戻し、夕陽が照らす穏やかさの中を、何事もなかったかのように車は進んだ。
老人はその景色をぼんやり見ていて、それを警部補も静かに見守った。
そして、郡警察署に着くと牧野警部補の上司である本部の刑事部長が到着し彼らを待ち受けていた。
刑事部長は警部補の姿を見ると老人には見向きもせずに、
「牧野警部補、お疲れ様!良くやった!」と肩を叩き労った。 警部補は
「人質が全員無事で良かったです」と言って、やっと大きく深呼吸をして笑い顔を見せた。
その後夜八時頃になって、長野県警察が犯人を確保したと言う報告に続いて、牢屋のような場所にいた怪我をした不動産屋の幹部二人を救急病院に運んで治療を受けさせているが、命には別状がないとの連絡が郡警察署に入り、関係者全員が安堵した。
本格的な取り調べは翌日行われることとなり、拘置に関わるメンバーと一部取り調べを始めるメンバーを除いて、その日は解散となった。
刑事部長は警部補に「後は俺が責任を持つから、お前は少し休め」と優しい調で声をかけて、刑事と警察官が集まっている会議室に戻って行った。
警部補は刑事部長の気配りに感謝し休憩室に行った。
そこにいた数人の刑事と警察官一人一人に労いの言葉をかけていると、同僚の一人が自販機で缶コーヒーを買ってきて警部補に渡した。
牧野は礼を言い、ごくりと缶コーヒーを美味そうに半分ほど一気に飲んで、大きな声で
「ああ!あああ!凄い事件だった・・もう頭が狂いそうだよ!」と大きな声で喚くように言うので
同僚が 茶化すように
「へえ、あんたのような冷静なデカ(刑事)でもそうなるんだ!あんたも人の子なんだ!」と言うと、休憩室にいたメンバーが皆、大きな声で笑った。 大事件を解決した安堵感だった。
その頃、刑事課の他のメンバーは犯人への取り調べを始めていた。
そして、応援の他部署の警察官も監禁された人たちへの事件の聞き取りを続いていたが、大変な思いをした人達への配慮で夜八時頃には、二人を除いて全員を自宅へ送り届けた。
その一人とは黒須不動産の社員であり、事件の発端となった説明会の主催者側の米川肇と説明会参加者の姉正田敬子だった。
米川は北浅間村の唯一の総合病院で手当を受けていたが、犯人側から危害が加えられる可能性もゼロではないことから、保護の意味合いもあり、姉正田敬子が同席のもと当日の成り行きに関する聞き取りをされていたのだ。
主にどのように説明会が始まり、どのタイミングで監禁され、犯人から受けた暴行に関する聞き取りであった。
夜八時を過ぎて聞き取りをしていた刑事にも長野県警から犯人逮捕と、人質の黒須不動産社長と田代が怪我はしているが、意識もあり無事との連絡が来た。
それを聞き米川は色んな意味でホッとした。
今回の事件のきっかけの一端は自分にもあると思っていたし、犯人の一人の爆死にも無関係とは言えないと思っていたからだ。
長野県警からの連絡を受け、それ以上の事件の可能性がなくなったため、米川には念のため警護の警察官が付き、正田敬子はパトカーで自宅へ送り届けられた。
家に帰ると先に送り届けられていた娘も含めて家族全員が起きて待っていて、警察官も二人付き添っていた。
娘は母親敬子に抱きつき声を出して泣き出した。
敬子も娘をいつもよりきつく娘を抱きしめ、二人は安心して嬉し涙を流し、それまで暗かった玄関と家全体が一気に明るくなったようだった。
「肇も無事ですよ。今日は警護の人がついてて、病院で一晩過ごして明日には退院できると思うよ」と父母と夫に話すと、送り届けてくれた警察官は
「我々はこれで引き上げます」と言って、パトカーで帰っていった。
彼らに頭を下げ見送ると、敬子は一家全員に対して、ストーブの火が入り暖かないつもの居間で、何が合ったのかを少し順番は前後したが、気丈に話し切った。
夫は敬子の背中をそっとさすりながら、
「本当に大変だったね。よく頑張ったね」と慰めたが、祖母は途中で頭を抱えて、
「そんな事があったなんて、信じられない」と涙ながらに言い、孫を膝に抱えて
「怖かったよね。でも、もう大丈夫だからね」と言いながら頭を撫でていた。
娘もやっと少し安心したのか、好きなお菓子を食べながらいつもの表情に戻っていった。
いつも間にか夜が更け夜中に差し掛かる頃には、一家の全員が安心し、娘が眠そうな様子なので、床につく事になった。
正田敬子と娘と一家にとって、長い長い恐怖の一日が終わった。
そして、その頃、病院の白いシーツの掛けられたベットに横になっていた米川も、医者に処方された鎮痛剤の影響で眠りについていた。
県警としても前代未聞の事件は解決に向けて進んだようだった。
晩秋の高原地帯らしい平地の冬のような冷たい風が吹く中、夜の九時過ぎには牧野警部補も家族と兄の待つ家に向かった。
その頃、丈一郎は心配して牧野宅にいて、牧野警部補の帰宅を兄と家族と共に待った。
その間、丈一郎が知っている限りの話は牧野たちにはしてあったが、監禁されていた人たちを開放し、犯人を逮捕した詳細ないきさつは分らなかった。
牧野警部補が帰宅して、玄関でいきなり「ああ、疲れた!」と言って大の字になったが、丈一郎の存在にはすぐには気が付かなかった。
兄の牧野巌と丈一郎が彼の顔を覗き込んで「お疲れ様!」言うので、やっと牧野警部補は丈一郎の存在に気が付き慌てて起き上がり
「ああ、失礼しました。丈さんもいらっしゃてたんですね」
「今日は本当にありがとうございました。丈さんのお陰で監禁されていた人たちは全員無事に解放できました。犯人も全員逮捕できました」
「いやいや、剛くんの大手柄だね。君は本当に凄いよ!」と褒められ、ニコニコと笑い首を叩く剛だった。
「いやあ、でも、兄貴から聞いてはいましたが、丈さんには本当に凄い能力があるんですね。最初に現場に着いたときに、丈さんから状況や犯人の事を聞いておいて、本当に良かったですよ」と警部補は素直に助かった事に感謝すると
「良い結果に少しでも貢献出来ていたのなら本当に良かったよ」と丈一郎も首筋をさすりながら嬉しそうだ。
居間で少しその後の事件の顛末を剛から聞いた後に、丈一郎は「今日はお疲れだろうし、明日も大変だろうからゆっくり休みなよ」と言って、自分の別荘に車で帰って行った。
牧野警部補は疲労困憊状態であったが、興奮状態が解けずに、なかなか眠りにつけずに居た。
「丈さんはどうしてあの場面に遭遇したのだろう?もし、丈さんがあそこにいなければ、まだ、事件は全く解決していなかっただろうな」と思うと、丈一郎の不思議な運命を思わずにはいられなかった。
「でも、いつも丈さんがああして現場に居合わせるわけではない。俺がもっとしっかりとしなければ!」と思いながら、深呼吸をするうちに疲れに負けて熟睡をした。
翌日、定刻に警察署に出勤した牧野警部補に、病院に搬送された麻山仁の死亡が伝えられた。
そして、犯人の一人が仁から受け取ったと言う封筒が鑑識経由で警部補に渡された。
封筒の中身は彼の遺書のような内容だった。
そこには素朴でつたない文章と気持ちが良く分る優しい詩が書かれていた。
「巡り来る季節と僕たち」と言う詩と仁のコメントだった。
そのコメントと詩を読んだ牧野警部補と周りの警察官達は一様に悲しみ、事件の悲惨さを改めて思い知った。
自殺した人もまた人の子で、兄思いの優しい人だったのだ。
「巡り合わせが悪くなかったら、こんな不幸な事件は起こらなかったのか?誰が悪いんだ」と警察官たちは口々に嘆いた。
彼らに牧野警部補は
「我々は事件が起きてから慌てて解決に向けて必死で動くが、事件が起きる前に予兆をつかめれば事件が起きないかもしれない。それを怠ると、また不幸な事件が起きるかもしれない」とかなり哲学的な言い回しであるが、現代警察の課題を言い当てていた。
皆の心には悪魔の影がちらっと見えたようにも聞こえた。
実際に数ヶ月後にそのことは証明されてしまうが、少し先のことだ。




