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攻防の果てに

 この凶悪な事件が起きる一時間ほど前に、丈一郎はこの管理事務所での説明会に参加するつもりはなかったが、気になって様子を見に行った。数日前には管理事務所から管理人が帰った後に見慣れない連中が数人、事務所の周りで何か作業をしていたので、それも気になっていた。

 管理事務所の正面にある駐車場には十台以上の車が止まっていたので、どうやら説明会には二十人位の人が参加しているようで、何気なく自動車のナンバープレートを確認した。殆どが群馬ナンバーで、長野ナンバーの車も三台ほど駐車場に駐車していた。事務所の入り口に目を向けると、何かを見張っているようにも見える、普段見かけない男が立っていた。丈一郎はこの怪しい男の存在に嫌な予感がして、事務所の少し手前で左に曲がり、緩やかな坂を登って行った。幸いその怪しい男には気づかれなかったようだ。そして、坂の上には普段使っていない小屋があるのだが、そこでも人影を見つけ、小屋の前に見慣れない長野ナンバーの大型の黒いバンを見つけた。いよいよ怪しいと感じ、彼らにも見つからないように小屋を通り過ぎ、階段になった短い散歩道を通り、別荘地内を流れる小川の横を通り、小屋からも事務所からも見えないところで、樹木の茂みに隠れて牧野警部補にスマホで電話をかけようとした。

 その前に丈一郎は顎に手を当てて念を集中させるように、例のイメージ能力を使い、少し目を瞑り自分が管理事務所に入る事を想像してみた。彼の頭はこれまでに無いほど強く痛んだ。絶対に中に入ったり、これ以上近づいたら危険だと直感した。


「もしもし、肥後です。今、例の不動産屋の説明会が行われている管理事務所のそばを通ってきたけど、すごく怪しい雰囲気で、見慣れない男や不審な黒い長野ナンバーのワゴン車が事務所の奥の普段使っていない小屋の横に停めてあるんだ」

「ああ、例の不動産屋の説明会ですね。何人ぐらい参加しているんですか?」

「説明会に何人参加しているのか分からないけど、車が駐車場に十台以上停まってる。そのうち三台は長野ナンバーで、例の不動産屋より危険な連中が来ているように感じる」 と丈一郎は例の能力での印象をそうとは言わずに伝えた。

「分りました。すぐに行きますから、安全な場所に居てください」と牧野警部の指示を聞き終わると、丈一郎は別荘地の正面から警察車両が来るのではまずいと判断し、

「それから剛君、こちらに来るときは正面からではなく私の別荘がある側の入り口から入って来た方が良いよ。私はそこから管理事務所に向かった一本道の途中にいる。もしかしたら、説明会に来た人たちが、管理事務所で既に何かに巻き込まれているかもしれない」

「ええっ、本当ですか!了解しました。十分ぐらいで行きます」 と牧野警部補も丈一郎の感の良さを信じているので、異変を想定した対応を覚悟した。


 丈一郎は事務所からも小屋からも見えない茂みに隠れて、いつも携帯している野鳥観察用の”フィールドスコープ”で観察しながら、牧野警部補の到着を待った。既に管理事務所の建物の中で凶悪な事件が起きているとまでは思っていなかったが、ここのところ怪しげな連中がうろうろしていたので、丈一郎は緊張しながら様子を伺った。すると突然、管理事務所の二階会議室の窓のシャッターが音を立てて降ろされ、続けて一階の部屋の窓のシャッターも降りた。彼は強烈に不審に思い、小屋にいた人影に気づかれないように事務所に近づいてさらに様子を伺った。すると、微かに館内放送のような声が聞こえてきた。誰かが何かを喋っているのだがよくは聞こえない。それ以上近づくと牧野警部補の到着も分からないし、得体の知れない連中にも気付かれるので、心拍数が異常に上がっていくのを感じながら、その場でじっと様子をさらに伺っていた。数分後に小屋から二人の人影が事務所の裏口から事務所に入るのが確認できた。彼らはいわゆる目出し帽子をしていた。色は黒。完全に怪しい。何かが起こっているとしか思えなかった。「やはり、監禁だ!」と丈一郎は直感した。その時、後ろから牧野警部補が現れた。


「丈さん、お待たせしました。どうですか?」丈一郎は一瞬飛び上がりそうに驚いたが、すぐに牧野警部補とその部下数人だと分かり、

「絶対に怪しいよ!事務所の一階と二階のシャッターがさっき下ろされ、その事務所の左側の小屋に隠れていた目出し帽子をかぶった男が二人、事務所の裏口から事務所に入って行った。事務所の中では館内放送のような声が聞こえてくるんだけど、ここからじゃ、何と言っているかは分からない。きっとこれは監禁かんきんされていると思う」と丈一郎が一気に早口で喋る尋常じゃない様子に、牧野も状況が悪化していることを感じ取り、

「あれがいつも使っていない小屋で、あれが黒い長野ナンバーのワゴンですね」と彼が指差すので丈一郎は緊張した面持ちで頷いた。警部補はさらに身内の刑事に尋ねるように

「丈さん、駐車場には何台車が停まっていましたか?」丈一郎は横を通過する際に何となく気になって車の数をざっくり数えていたので、澱みなく

「駐車場には十台以上の車が駐車場していて、殆どが群馬ナンバーなので説明会参加者で、それ以外に三台の長野ナンバーの車が停まっていたと思う。そのうち一台は以前散歩中に見かけた長野ナンバーの白いセダンなので、それは不動産屋の車だね。見慣れない長野ナンバーの車は多分二台だと思う。この不明な長野ナンバーの車が犯人らしい連中の車ではないかな」牧野は

「なるほど、連中は駐車場の二台と小屋の前の黒のワゴンに分乗してきたわけだ。そして、丈さんは既に何かが起きていると思うのですね」 と念を押すように丈一郎に尋ねると、

「ああ、目出し帽しを被った連中が出入りしているからね。監禁の可能性が高いよ」

「そうですか。管理事務所の中には何人ぐらい居ると思いますか?」とさらに警部補は丈一郎に聞くと、

「参加者は不動産屋のメンバーも数人いるし、この別荘地のメンバーも五、六人は参加すると聞いていたので、全部で二十人ちょっといるんじゃないかな。その中に正体不明の犯人グループが紛れ込んでいるのではと思う。ただ、会議室は二十畳もないので、それ以上は収容できないと思う」と丈一郎が話すと、さらに警部補は

「犯人はどんな連中だと思いますか?」と丈一郎に尋ね、丈一郎は推理した。

「もしこれが監禁事件だとすると、事務所を占拠している犯人は例の不動産業者ではなく、もっと用意周到で危険な連中だと思う。先日、見かけない連中が事務所の周りで何か作業をしているのを見かけたので、その時にも長野ナンバーの車が駐車していたから気になっていたんだ」それを聞いて、牧野警部補は上東市で黒須不動産が地元で酷い商売をして、ある一族と揉めていることを現地警察から情報として貰っていて、その事が関係していると感じた。

「もし、そうだとすると、これは根が深いぞ」と流石に牧野警部補も背筋がゾッとするほど緊張してきたようだ。

 その時、管理事務所から目出し帽子をかぶった男が二人、気を失ったような小柄な男を両側の脇から抱えて出てきて、ワゴンに重い人形を抱えるように積み込んだ。そして、彼らが事務所に戻ると一、二分後には、すぐに同じように別の二人の目出し帽子をかぶった男達が、今度は背の高そうな違う男を同じように脇に抱えるようにして出てきて、ワゴンに乗せて、一人は裏口から事務所に戻ったが、一人はワゴン車の運転席に残り周りの様子を伺うようにしていた。警察関係者全員が息を飲みじっと様子を見守ったが、麻山刑事と警察官が動こうとしたので、牧野警部補は「動くな!」と二人に小声で指示し、丈一郎に尋ねた、

「丈さん、今、運ばれた二人は知っていますか?」

「彼らは確か不動産屋の社長と営業部長だったと思う。以前事務所に挨拶に来ている時にそばをたまたま通りかかっているので覚えている。後で管理人にあれは誰かと聞いて確認したので確かだと思う。背が低いのが社長で、背が高いのが営業部長だ」と、丈一郎は冷静に応えた。警部補はさらに同僚の刑事の手前もはばからず、完全に捜査を任せた同僚に対するように次の質問をした。

「他の連中は知ってますか?」

「私が事務所の近くを通り過ぎた時に、入り口で見張をしていた知らない男を含めて全員見たことがない。それと、はっきりとは分らないけど、あの小屋には何かが仕掛けられている気がする。目出し帽を被った男二人が小屋の中から出てきて、事務所に後から合流したのは確認できた」と相変わらず探偵のような口調で丈一郎は返答し、例の能力が機能し始めているようで、予測イメージを付け足した。それを牧野警部補は完全に信用したように、

「小屋に仕掛けられているのは危険物のような物ですか?」とさらに質問し、丈一郎はこれには

「いや、中身は分からないけど、嫌な感じがする」と曖昧に応えた。

「なるほど、分かりました。これはおそらく拉致監禁らちかんきん誘拐ゆうかいの可能性が大だな。人質として監禁されているのは説明会に来た一般市民で、誘拐されたのは不動産屋の幹部だ。そして、近くの小屋には何かが仕掛けられている可能性がある。”大事件”だぞこれは!俺は本部に連絡してくるので、そこで全員待機するように!あっ、それからこの人は通報者の肥後さんだ。知っているよな。一人にすると危険なので少し一緒にここにいてもらう。全員、絶対軽はずみに行動するな!」と言って物音を立てずに、さらに二、三十メートルほど後ろに離れ、携帯で状況報告と応援を要請しているようだった。


「肥後さん、ご無沙汰しています、以前お会いしていますよね」と一人の刑事が肥後に話しかけてきた。麻山刑事だ。

「また、ご協力ありがとうございます。でもこの後は危険なことがあるかも知れませんので、警部補が戻ったら安全なご自宅に戻って下さい」肥後は、以前隣の別荘の住民が亡くなった際にその刑事に会っていた事を思い出し、

「ああ、あの時の。分かりました、そうします」と答えたが、そうは言っていられないと決めていた。牧野警部補はわずか三分ほどで戻って来て、麻山刑事と二人の制服警察官に向かって、

「刑事部長に連絡をして、できる限りのメンバーを集めてくれる事になった。ここに着く前に俺が連絡をした所轄からは五、六人ほどだが、後数分ほど着くと思う。犯人は今人質を運んで来た四人と事務所の中にいるメンバーを合わせると我々と同じかそれ以上いる可能性がある。今、部長に要請したメンバーが着くまでには時間がかかるが、一刻を争う状況だと思うので、所轄から応援が着いたら行動開始だ。事務所に監禁されている”民間人の人質の人命救助が最優先”で、誘拐された不動産屋の二人の救出もするが、事務所に監禁されている人たちが先だ。心の準備をしろ!」そう言う牧野自身が緊張で心臓がドキドキしていた。監禁や拉致事件の場合は犯人の最低三倍から四倍以上の人数で逮捕に向かうのだが、今は犯人たちと同数かそれ以下で、さらに十人以上の人質を取られているのは圧倒的に不利な状況だからだ。

 ふと丈一郎は大事な事を思い出し、牧野警部補と周りにいる彼の部下に伝えた。


「管理事務所の会議室は二階にあります。こちら側にある裏口から入るとすぐ左手に階段があり、そこを登ると会議室です。ただ、一階には管理人室以外に裏口から入ると右側に応接室があります。犯人達はこの応接にもいる可能性があります」

「丈さん、ありがとう。その情報は重要ですね。流石! でも、ここから後は大変危険なので家に帰っていて下さい」ときっと眼光鋭く睨まれたので、丈一郎は仕方なく別荘に戻るふりをしてすぐ近くの別荘の影に隠れた。


 数分後に正面入り口ではない方向からパトカーが、丈一郎の隠れている別荘のそばの比較的広い道に二台駆けつけた。牧野への丈一郎の指示を彼らも守っているようだ。そちら側から別荘地に入れば、管理事務所からは分らないはずだ。制服警官と刑事らしいメンバーを合わせて七、八人が牧野警部補の下に集結した。彼らは牧野が直接連絡し駆けつけた郡警察署のメンバーだ。人数は足らないが何とかこの人数で最善のことをするしかないと自分の心に言い聞かせ、牧野は全員で十人ほどの警察官に状況を手短に伝え、

「いいか、説明会に来ている民間人の人命救助が最優先だぞ。彼らはおそらく二階の会議室に監禁されている。説明会の主催者の不動産屋のうちの二人が不審な長野ナンバーのバンに乗せられていて、彼らがその車でどこかに逃げる可能性があるが、我々はその車の追跡はしない!そっちは他の捜査員に任せる。我々は監禁されている人たちの安全を優先させる!いいな」と念を押した。そして、全員の無線イヤフォンでの通信を確認し、裏口に牧野警部補を含めて六名、正面玄関側に四名を配置し、後方に一人を待機させ、「何かあればすぐに報告しろ、指示は俺がする」と確認した。各刑事と警官は、「了解です」と小さな声で無線で返答したが、全員がはち切れそうに緊張していた。何か不測の事態が起これば、全員が暴発しかねないほどの緊張感だ。その直後に犯人に動きがあった。三人の男が事務所の裏口から出て来て、運転席に乗っていた男を含めた四人が黒い長野ナンバーのワゴン車に乗り込み、正面駐車場に向けて走り出し坂道をゆっくり下り、駐車場の脇を抜けて別荘地の正面出口から村道を右折して行った。牧野は後方の一人の警察官に双眼鏡でワゴン車のナンバーを読み取らせ、携帯で本部に連絡させた。


「現地からです。今、犯人が人質のうち不動産屋の幹部、社長と営業部長らしい二人を乗せて、長野方面に逃走しました。犯人は四人の模様です。車は長野ナンバーで〇〇です」中年の警察官が本部に連絡をした。


 牧野は「よし、これで敵は四人減った。奴らが十人なら、残りは六人だ。でも、まだ動かないぞ。そのまま待機!」と警部補はまるでゲームをしているような不敵な表情で、周りにいるメンバーと無線で正面にいるメンバーに伝えた。麻山は早く監禁されている人質を助けたいと心の中ではウズウズしていたが、牧野の言う通り、「今は動けない」と分っていたので、周りの警官たちを見渡して、目を合わせて頷き合い落ち着くように促した。こんな大事件は誰もが経験したことがなく、浮き足立っていたが、この警部補と麻山刑事の落ち着きが周りの警官たちにも伝染したように、全員が落ち着きを保っていた。


 次に青年らしき男が犯人達二人に抱えられ、裏口の奥にある別小屋に運び込まれたのを裏の出入り口を見張っている牧野たちは目撃した。

「あれは、米川だ。怪我をしているようだ」牧野警部補が小屋に突入するように指示を出そうとした時に、さらに動きがあり指示を止めた。牧野も気持ちが逸っていたのだ。危うくタイミングを間違えて人質を危険に晒しそうだった。犯人達はさらに二人の人質を犯人一人が連れてきて同じ小屋に連れて行った。人質二人は女性と幼児であった。これで、犯人三人が小屋に集結したことになる。牧野は正面に待機させたメンバーから一人を残し三人を、用意してきたジュラルミンの盾を持って事務所の脇に来るように無線で呼び寄せ、犯人の三倍の九人で犯人達が小屋から出てくるところを取り押さえるべく準備させた。牧野は警官全員に

「全員よく聞け、今小屋に集まった三人は実行部隊のメンバーだと思われる。このチャンスに犯人を確保し敵の戦力を半減させる。小屋から出てくるタイミングで、俺と高田と鈴木で彼らの後方に周り込むので、まず盾を持った竹下たち三人は彼らの前を塞ぎ、事務所への道を遮断しろ。麻山たち三人は坂道の横側面にて待機し、事務所への道を遮断したのを確認したら、間髪を入れず横から銃を構え威嚇しろ。もし彼らが抵抗した場合は拳銃の使用を許可する。まずは威嚇だぞ。その方向には犯人以外はいない。そして、俺たちは犯人達の後ろに回って拳銃を構えて、俺が奴らに抵抗しないように威嚇し、手錠を嵌める。分かったら持ち場につけ」警官達が急いで指示通り持ち場に着くのと同時ぐらいに小屋から二人が出て来て、すぐに一人が続いて来たので、牧野は一瞬「これで本当に大丈夫か?」と迷った。するとその瞬間に

「大丈夫!」と丈一郎の声が聞こえた気がした。近くに彼がいるはずはないが、確実にそれは聞こえた。それに勇気づけられ、

「よし!大丈夫!」と心の中で叫び、もう一人の刑事と静かに木の影になりながら、犯人達の後ろに周り気づかれないように拳銃を構え、一、二秒じっと構え、

「竹下、今だ」と口元の無線で指示をした。事務所の脇に待機していた竹下と呼ばれた警官を含めた三人の警官が急いで犯人達の前に回って、警備用のジュラルミンの盾で行く手を塞いだ。犯人たちとの距離はおよそ十五メートル。それを確認するか、しないかのタイミングで、

「麻山、今だ」との牧野の指示で、崖下で待機していた三人の刑事が突然彼らの横に出て、銃を構えた、犯人たちからこれはおよそ十メートル。そして、牧野はそれを見て犯人達との距離を小走りで詰めて、拳銃を構えて

「全員手を上げろ!抵抗すれば発砲する」と怒鳴った。犯人は虚をつかれて非常に驚いた様子で、キョロキョロと後と横を見て、事務所に逃げようとしたが前方を盾で塞がれ、横には銃を構えた警官たちがいて、逃げられそうもないことを自覚したらしく大人しく三人全員が手をあげた。


「よし、全員、膝をついて手を後ろに回せ」と言う牧野の指示にも犯人は従った。よほど訓練されているのだろうと牧野は逆に感じた。

「よし、手錠をかけろ」と牧野は極力冷静な口調で指示し、手錠を整然と犯人三人にかけて拘束した。犯人に逃亡の気持ちを起こさせないように配慮しているのだった。

「これで、逃亡した四人を含め七人は減ったな」牧野の読みでは、丈一郎の情報と管理事務所の会議室の大きさと犯人を含む参加者の想定人数を二十数人として、そのうち説明を聞きにきた人が十人程度とすると、今管理事務所にいる残りの犯人は三人か多くて四人だと推測した。ただ確証が持てない。確保した犯人が暴れれば元も子もないので、牧野は犯人に気取られないように次の支援が来るのを待った。


「管理受務所にはまだ多くの民間人の人質がいるので、犯人は三人か四人だと思うが慎重に行動せよ」と心の中で念じた。その時、何台ものパトカーが別荘地の正面玄関から管理事務所の前に静かに到着した。静かと言ってもさすがにこの音に事務所内にいる犯人達は気づいたものと判断し、牧野は正面にいるメンバーにはそのまま待機するように指示し、応援で到着した捜査一課長の山本に裏口に来てもらえるように無線で要請した。すぐに牧野警部補のところに山本課長と十人以上の警察官が到着したので、逮捕していた三人の犯人の拘束を同僚の警部補に依頼して、山本課長に「人質が小屋の中と管理事務所の中にいて、管理事務所には犯人数名がまだ残っています」と報告した。山本課長は 大きく頷き、

「小屋には人質だけですか?」

「はい、多分。ただ、未確認ですが、何かが小屋に仕掛けられている可能性があります」それを聞きすぐにそばに待機している警官に、慎重に小屋の人質の救助と安全確保を命じた。

「管理事務所はどうする!交渉出来ますか?」

「多分、残った犯人は三名か四名で、多分残っているのが主犯です。警察が来たことには気づいているはずですが、交渉する前に小屋に連れて行かれた女性に少し話をさせて下さい。管理事務所の中の状況を聞きたいので」

「分かった、私はここで管理事務所の様子を見張っておく。話を聞けたら、すぐに報告を!」

 牧野警部補はすぐに麻山刑事と共に米川と思しき青年が運ばれた小屋に向かい、女性一人と幼児が警官に支えられて小屋から出てくるのを確認し、彼女が米川の姉の正田敬子だったので驚いたが、 小屋の外で

「正田さん!大丈夫ですか?」と聞くと、彼女は牧野警部補の顔を見て少しホッとしたような表情となったが、

「私は大丈夫です。弟も無事なのですが、柱に縄で括り付けられているようなのです」

「分かりました、すぐに弟さんの縄を外しますので、あなたと娘さんは安全なところに避難していてください。その前にまだ多くの人質を捉えられているので、教えてください。あなたが連れてこられた時に、犯人は事務所の中に何人いましたか?」と尋ねると、彼女は気が動転しているだろうに気丈に答えてくれた。

「私たちを連れてきた人を除くと、多分三人だと思います」

「そうですか、やはり三人か。正田さん、ありがとうございます」と牧野が答えると、警官に安全な場所に連れて行くように指示をした。


 牧野の読み通り管理事務所には主犯格含めて三人しかおらず、警官の数は十分に足りているのを確認できたので、山本課長に報告をした。すると、山本課長は

「管理人から聞いたが、会議室は二階で裏口のすぐの階段で登ったところにある。裏口から侵入し、犯人と交渉しよう」と牧野警部補に指示をした。牧野はその指示を受け、麻山に

「麻山、相手はお前の同族かもしれないな」とぼそっと呟くと、麻山は

「はい、私は面識はありませんが、父は多分知っていると思います」課長はそれを知っていたらしく、

「麻山君、牧野警部補と交渉に立ち会ってもらえるか?」と麻山に指示すると、麻山は

「はい、分っています。覚悟はしてました」と強い口調で言い放ったので、牧野と山本は大きく頷きあった。こういう時の交渉役は身内が適していることも多い。


 牧野は山本に裏口で待機してもらい、麻山と数人の刑事と警察官数人で静かに裏口から入り、人質が監禁されているらしき会議室に近づくため、階段を登ろうとしたが、二階に上がる階段の下の薄暗い廊下に数人の男たちが立っているのが見えた。牧野は拳銃を構えて近づき

「もう、お前たちの仲間は全員逮捕した。諦めて投降しなさい」と、大声でもなく普通の話し方で声をかけると、 その中の一人の老人が

「我々は民間人に危害を加えるつもりはない」と言って、あっさりと三人とも手を挙げるので、牧野は「確保!」と警察官に指示し、七、八人が突入し三人を取り押さえた。

牧野警部補が「これで、全員か?」と先頭にいた主犯らしい老人に聞くと、

「そうだ、我々はこれで全員だ」と老人は静かに答えた。その時彼らは武器を持っていなかった。三人を警官が即座に逮捕し、手錠を掛けるのを確認し、牧野警部補と数人の刑事が暗い二階の会議室に向かった。暗い室内をライトで照らし、「警察です、安心してください」と声をかけて入ると、室内の中には十人以上の人質が椅子に座り怯えていたが、警官が電気をつけて犯人達が手錠をかけられ取り押さえられた事を聞くと、安心して泣き出す人たちもいて、安堵の空気が流れた。牧野は人質の一人一人の顔を見ながら無事を確認すると、「人質を全員無事救出!」と山本課長に報告すると、課長が無線で管理事務所の制圧と人質全員救出を全警察官に伝え、犯人を拘束した刑事の一人に状況の報告を要求した。


 すると、”とんでもない”報告が飛び込んできた。管理事務所の裏側で逮捕した三人を拘束していた刑事が

「逮捕した犯人の一人が事務所の裏の小屋に爆弾を仕掛け、スイッチを押したと喚いています!」と山本課長と牧野警部補らが揃っているところに、慌てて報告に来た。

「しまった!丈さんが小屋に仕掛けられていると言ってた爆発物だ。すぐにそこに行く」牧野は大急ぎでその報告に来た刑事と一緒に犯人を拘束しているパトカーに合流した。山本課長は大声で警官たちに、

「人質の人たちを引率して、管理事務所の玄関側に回って、駐車場のパトカーや警察車両の後ろに隠れるように!大至急!警官も全員同じだ!」と避難を指示した。


 牧野は爆発物を仕掛けたと言っている犯人が拘束されているパトカーに着いた。

「あの小屋に爆弾を仕掛けてあり、さっきボタンを押した」と大声で喚くのを牧野も確認した。その男は麻山一族の一人で麻山仁だった。牧野はその犯人に向かって、

「あと何分で爆発するんだ!」と怒鳴ると、

「多分四、五分だ」と答えた。

「どこに仕掛けた?」

「小屋の奥の流しのところだ」

「止めることは出来るのか?」

「ああ、出来る。俺ならばね」

 そこにいた全員が驚く。牧野はその爆弾のボタンを押したという麻山仁を、手錠をはめたまま引きずるようにすぐに小屋に向かった。小屋に入るとまだ二人の警察官が米川を助けようとしていたが、縄が柱に括り付けられておりすぐに外せないようだった。牧野はたまたま近くにあった草刈りに使う鎌を米川を抱き抱えていた一人の警察官に渡し

「これで縄を切れ!」

 そして、犯人を爆弾が設置されている小屋の奥の流し場に連れて行くと、確かにそこにはプラスティックのケースと、陸上のバトンより大きな爆薬が数本とそれに繋がった色のついた配線ケーブル、スイッチらしき装置と小さなライトがついた手作りの箱が無造作に置かれていた。

「爆弾を止めろ」と命じた。しかし犯人は一分ほど何もせずに時が止まったようにしていたが、鎌で縄を切ろうとしている警官が

「牧野警部補、なんとか切れそうです」と言う声を聞き、牧野は痺れを切らすように再度犯人に命じた。

「何をしてる!早く爆発を止めろ!」流石の牧野の額にも冷や汗が流れていたが、犯人は意外にも落ち着いた様子で、

「この”赤い線”を抜けば爆発は止まる」と言うが抜こうとしない。

「早くやれ!」と牧野は遂に拳銃を抜いて犯人に命じようと思った瞬間に、青年の縄を切っていた警官の

「縄が切れました!」という喜びの声が聞こえた。青年を柱に結びつけていた縄が外れたのだ。

 次の瞬間になぜか犯人は”青い線”を抜いた。その瞬間牧野の心臓はびくんと反応し、爆弾のライトは点滅し始めた。

 牧野は「お前、色が違うだろう」と怒鳴り、犯人を拳銃の柄で殴ろうしたが止めて、

「さあ、みんな急いでこの小屋から離れろ!」と大声で指示を出し、二人の警官が米川を両脇から抱えて小屋の外に出るのに続いて、牧野も犯人の腕を掴み、出ようとした瞬間に犯人が手を振り解き小屋の奥に入って行った。牧野は慌てて、「お前、どういうつもりだ?」と犯人に向けて怒鳴った。すると犯人は薄暗い小屋の奥から気味の悪い声で

「さっきので本当の爆発のスイッチが入った。後三分で爆発する。早く逃げた方がいいぜ!」と言う。牧野はこれは本当だと直感し、急いで小屋から離れるようにそこにいた全員に告げ、自らも必死で小屋から離れ、事務所の正面側に逃げた。麻山仁は米川を爆発物で殺害するつもりはなく、復讐を果たせなかった自分だけで死ぬつもりでいるのだ。

 牧野警部補からの無線を受け、山本課長は近くの警官が携帯していた拡声器を使い、

「爆発物が爆発します!警察車両の後ろ側に隠れて下さい!」と、一、二分の間に数回も喚くので、そこにいた人質と警察関係者は転げるように避難をした。二分後には人質と警察関係者のほとんどは管理事務所の正面側駐車場にはみ出すように駐車していた警察車両の裏に隠れることができていた。最後に避難した牧野たちが事務所の正面入り口付近に揃った時に、大きな爆発音がして、地響きと共に小屋の破片が事務所の脇に飛び散ってきた。幸い事務所は鉄筋コンクリートの頑丈な作りだったので、それが堅い壁となり直接の風圧も受けず、避難している場所には破片も殆ど飛んでこなかった。結果として誰も怪我をしていない様子だった。そこには逮捕された犯人達も揃っていて爆発音に驚き、犯人のうちの誰かが「仁!」と悲痛な叫び声を上げたことで、麻山老人も全てを察したようだった。麻山仁は指示通りではない、大量の火薬を使い爆発物を作って、本当に爆発させたのだった。

「あいつはなんて事をしたのだ。音がする程度の小さいのを作れと言ったのに」と非難するようでもあり、絶望するようにも聞こえる呻き声を発した。


 一方、丈一郎は警察の足手纏いにならないよう気をつけて、小屋からは小さな川沿いに百メートルほど離れた、誰かの別荘のウッドデッキの下にずっと潜んでいた。別荘からバードウオッチング用に購入したフィールドスコープを持参していたので、犯人と警官の動きを具に確認出来ていた。三人の犯人達が事務所から出てきた時に、牧野警部補以下の警察官たちが犯人逮捕を目論んでいる時に、牧野警部補の逡巡さえも手に取るように分かった。その瞬間に彼に心の中で語りかけた。

「大丈夫!」と。


 その後、犯人達の一部が警官に逮捕され、牧野警部補が盛んに動き回り活躍している姿をある程度確認できていた。ただ、逮捕された犯人や人質がどうなったのかが分からないので、管理事務所の正面入り口側に静かに移動をしていた。そこには、いつの間にか多くのパトカーや警察車両が集合していたので、少し安堵しつつ、近くに寄っていこうとした瞬間に、「車の影に隠れろ!」「なるべく遠くに逃げろ!」と言う、スピーカーや拡声器や生の警官たちの大声が聞こえ、彼も慌てて警察関係者や人質と思われる民間人に紛れて警察車両の一台の後に隠れた。牧野警部補のことが気になっていたが、一番最後に彼が逃げてきたのを確認し、ホッとしていた。

「やはり、あの小屋に爆発物を仕掛けていたのだ」と思った瞬間に、大音響とともに地響きのような振動が伝わってきた。

「嘘だろう!これほどの爆発物を仕掛けるとは!これじゃあ、テロじゃないか」と丈一郎は驚いて叫んだ。


 爆発音がして数分後に人質をサポートしている警察関係者と犯人を確保している警官を残し、牧野と山本課長、刑事数名で爆破された小屋を見に行った。その後に救急隊員が担架を持って続いた。そこには家が燃えさかる炎とバチバチと木が爆ぜる音が響き、火薬の匂いも充満しており、微妙に何か生き物が焼けたような匂いも混ざっていた。家の屋根はまさに木っ端微塵の状態で吹き飛び、壁が薙ぎ倒され、色んな物がそこには散らばっていた。その燃えさかる火の中からあろう事か男が転がり出てきた。焼け焦げた壊れたマネキンのような姿に皆は怯えたが、こういう時の警察官の動きは速い、一人が消火器を彼に向けた。もう一人がバケツに汲んだ水をかけた。火は何とか消えたが酷い状況で、燃えた衣類を脱がすことは出来そうもなく、駆けつけた救急隊員も悲壮な表情で彼に話しかけたが全く返事はない。何とか担架に乗せて救急車に運んだが、

「あれじゃ、助からないな」という声が寂しく聞こえてきた。牧野警部補は

「あいつは米川が小屋から出られると知った時に、自分で爆発させて死のうとしたんだな。しかし、なんと言う爆発だ。これじゃ、爆破テロだな」と独り言を言ったが、周りの警官達はまだ放心したような状態だった。牧野警部補は、この時以前もこれに似た光景を見たような気がしたが、それが何だったかは思い出せなかった。


 それから数分後に警察関係者と人質だった人たちと、タイミング良く警察車両の後ろに隠れ無事だった丈一郎も、爆発した小屋の周りに集まっていた。そして、爆発音に驚いて集まってきた別荘地の住人が遠巻きに取り囲む輪が出来ていた。その輪の中で一部始終を見ていた人質が一人いた。岩中拳だった。彼は犯人の中に実の兄である麻山仁がいることを知っていて、彼が爆発の犠牲となり死を遂げようとした事を目撃していた。あまりの出来事に彼は呆然とするしかなく、警察関係者と爆発後にさらに追加で来てくれていた救急隊員に手当を受けている間も、放心したようになっていた。集まった人たちや旅館の人たちが心配して声をかけるのだが、あまりまともな返事はできず、迎えにきた車に乗せられて家である北浅間旅館に帰った。丈一郎は人質の中に、同じ別荘地の住民はともかく、面識のある正田敬子が含まれていたことに大きな衝撃を受けていた。そして、米川が無事保護されたことを近くで確認できた。まだ、終わってはいないが、犯人十名程度が関わりこれほど凶悪な犯罪を、良く北浅間村の少ない警察組織と県警捜査一課が中心となって対応し、犯人一人の犠牲で切り抜けられた事にも衝撃というか、これまで経験したことがないような心の底から湧き出る安堵を伴う感動に浸っていた。


「前代未聞の事件を悲劇的な結末にしなかったのは、剛くんのお手柄だ!」そう思い、本当に頼りになる弟のような彼を労いたいと思ったが、まだ、事件は解決したわけではないので、時折遠目にその姿を見つけては一人で頷くのだった。

「そうだ、牧野に連絡しておこう」と不意に気づき、スマホで彼にかいつまんで経緯を報告した。牧野は驚いて、

「さっき、お前の別荘地の方で大きな音がしたので驚いていたが、まさか本物の爆発だとはな。人質はみんな無事なのか?」

「ああ、ほぼ全員。ただ、例の不動産屋の幹部がまだ連れ去られているけど・・」

「剛は大丈夫か?」と弟を気遣い聞くので、

「ああ、彼は多分無傷だよ。でも彼がいたからこんな大事件で、被害者側から犠牲者を出さないで済んだんだよ!お前の弟は凄いよ!」

「これからそっちに行っても大丈夫か?」

「いや、こちらはまだ”ごった返している”から、俺が頃合いを見てそちらに行くよ」

「ああ、分かった。待ってる」


 現地では事件発生から三時間が経過した、その頃には近隣の警察署からこれまでの倍以上の警察関係者が現場に集まっており、現場検証を始めていた。牧野警部補は現場にいた犯人達がさほど抵抗する事なく現行犯逮され、警察車両に乗せ警察署に連行するのを見届けていた。牧野は事件がまだ解決していな事を当然認識していた。そう、現場から不動産会社社長と部長が連れ去られており、彼らを追いかけている長野県の捜査員がいて、まだ彼らを捕まえていないのだった。牧野は興奮している頭を冷静にするべく自分の頬を叩き、山本課長が警察無線で本部長に報告するのをすぐ横で聞いていた。

「監禁されていた人質は全員無事に避難させました。不動産会社の社長と幹部一名が犯人達に連れ去られたままです。犯人が仕掛けた小屋の爆発で犯人の一人が重傷を負い、それ以外の現場にいた犯人五名は全員現行犯逮捕しました。郡警察署に連行しますので、対応をお願いします」

 本部長は「分かった、良くやった。人質を連れ去った犯人の追跡は長野県警に任せて、後片付けが終わったら現場検証班を除いて全員署に戻るように」と、やや興奮した口調で指示をして無線を切った。


 そして、牧野は人質となった人たちに目をむけ、警察官や救急関係者が介護している姿を再度確認すると、麻山老人を警察署へ連行するのを一番後にするように山本課長にお願いしたので、警官に両脇を抱えられた犯人達の主犯格である麻山老人の前に立った。牧野警部補は

「あなたに聞きたいことがある。もう抵抗しても無駄なことは分かっていると思うが、”人質”の二人をどこに連れて行ったかを教えてくれ」と冷徹に尋ねた。すると思いがけず彼からこう非難された。

「人質だと!警察の正義はどこにある!善良な人たちを苦しめる、詐欺師たちを懲らしめようとした我らが逮捕され、奴らを被害者として助けるのか?」と。

 牧野警部補は麻山老人をじっと見つめ真剣な表情でこう答えた。

「我々は目の前で自由を奪われている”市民”を助ける。詐欺犯に裁判で有罪判決を下すのは我々ではない。仮に犯罪者であっても、最低限の権利はあるし、あなたたちのように、自分たちが主張する理由と方法で、一般市民の自由を奪うやり方は間違っている」と宣言するように老人に言った。老人は反論した。

「何を言う。我々一族は常に正義のために戦って来た。そうやってこれまで生き残ってきたのだ。その我らの大切な先祖からの遺産を平気で盗み取る連中を君らは守るのか!警察の正義なんて、『偽善』じゃないか」それに対して、牧野はさらに冷静に

「あなたたちは、何の罪もない市民や、幼児にトラウマになるよう恐怖を与えた。そして、あなた達の大切な仲間の一人は、自らが死ぬために爆発物を爆発させたんだ。おそらく助からないだろう。警察はあなた達のような一部の暴力集団のためのものじゃない。一般市民を守るためにある。それが我々の『正義』だ!それに迷うようじゃ、我々は存在する意味がない。あんたに、わかってくれとは言わないさ。ただ、善良な市民を騙す輩も逮捕するさ、それは今日じゃない」老人は、言葉を探したが適切な言い訳が見つからず、しょんぼりと肩を落とした。


「さあ、教えてくれ、彼らをどこに連れて行ったんだ。これ以上あなたの仲間に罪を重ねさせるな」牧野は祈るような口調でそう言い募った。正義感の一番強かった一族の麻山仁が助かりそうにない事を改めて自覚し、老人はフラフラとしながら疲れ果てたように、

「アジトに連れて行った」 と白状した。

「そこはどこですか?」

「わしの家だ」

「分かった、彼らに連絡する方法はありますか?」と先ほどの激しい口調とは違い、いつもの穏やかな口調で丁寧に尋ねた。

「わしの携帯に番号が登録されている。でもあんたが言ってもダメだ。わしが言えば、言うことを聞くだろう」それを聞いて隣に来ていた若い警察官が押収した老人の携帯を持ってきた。牧野警部補が

「登録されている名前は?」と尋ねると麻山老人は素直に

麻山和夫まやまかずお」と答えた。若い警察官が「パスワードは?」と聞くと、「1115だ」と老人は答えたので、若い警察官は慣れた手つきで「これだな」と言ってそのナンバーに携帯から発信をした。

若い警官はすかさずスピーカーモードにし、二回ほど呼び出し音が鳴った後に電話の相手は低い小さな声で、

「もしもし、お館ですか?」と尋ねるので、老人は

「ああそうだ、そちらはどうした?」

「はい、先ほどお館の家に着いて、指示通り奴らを監禁しています」

「そうか、申し訳ないが、こちらは全員逮捕された。わしもだ」相手は不思議にも、そうなるのを覚悟してたかのように冷静に

「そうですか、残念です」と答えた。老人は全てを観念したように

「和夫、そいつらにはこれ以上手を出すな。これからそこに警察が行くので、決して抵抗するな」との指示に少し間が開いたが、

「お館、わかりました。そうします」と言って、電話が切れた。事前の決め事で犯行がばれた場合は、二人にこれ以上手は出さないことになっていたのだ。つまり、殺害しない事に。


 牧野と山本課長はその事を本部長にすぐに連絡し、長野県警察から現地に向かってもらうべく要請した。そして、牧野は老人を警察署に連行するパトカーに同席した。警察署までの道中、牧野も老人も全く無言であった。パトカーの窓からの景色はいつもの高原の静けさを取り戻し、夕陽が照らす穏やかさの中を、何事もなかったかのように車は進んだ。老人はその景色をぼんやり見ていて、それを牧野も静かに見守った。

 そして、郡警察署に着くと牧野の上司である本部の刑事部長が到着し彼らを待ち受けていた。刑事部長は牧野の姿を見ると老人には見向きもせずに、

「牧野警部補、お疲れ様。良くやった」と肩を叩き労った。 牧野は

「人質が全員無事で良かったです」と言って、やっと大きく深呼吸をして笑い顔を見せた。その後夜八時頃になって、長野県警察が人質を救出し、犯人を全員確保したと言う報告に続いて、怪我をした人質二人を救急病院に運んで治療を受けさせているが、命には別状がないとの連絡が郡警察署に入り、関係者全員が安堵した。取り調べは翌日行われることとなり、拘置に関わるメンバーと一部取り調べを始めるメンバーを除いて、その日は解散となった。刑事部長は牧野に

「後は俺が責任を持つから、お前は少し休め」と優しい調で声をかけて、刑事と警察官が集まっている会議室に戻って行った。牧野は刑事部長の気配りに感謝し休憩室に行った。そこにいた数人の刑事と警察官一人一人に労いの言葉をかけていると、同僚の一人が自販機で缶コーヒーを買ってきて牧野警部補に渡した。牧野は礼を言い、ごくりと缶コーヒーを美味そうに半分ほど一気に飲んで、大きな声で

「ああ!あああ!凄い事件だった。もう頭が狂いそうだよ!」と大きな声で喚くように言うので、同僚が

「へえ、あんたのような冷静な刑事でかでもそうなるんだ!あんたも人の子なんだ!」と言うと、休憩室にいたメンバーは大きな声で笑った。


 その頃、刑事課の他のメンバーは犯人への取り調べを始めていた。そして、応援の他部署の警察官も人質となった人たちへの事件の聞き取りを続いていたが、大変な思いをした人達への配慮で夜八時頃には、二人を除いて全員を自宅へ送り届けた。その一人とは黒須不動産の社員であり、事件の発端となった説明会の主催者側の米川肇と説明会参加者の姉正田敬子だった。米川は北浅間村の唯一の総合病院で手当を受けていたが、犯人側から危害が加えられる可能性もゼロではないことから、保護の意味合いもあり、姉正田敬子が同席のもと当日の成り行きに関する聞き取りをされていたのだ。主にどのように説明会が始まり、どのタイミングで監禁され、犯人から受けた暴行に関する聞き取りであったが、夜八時を過ぎて聞き取りをしていた刑事にも長野県警から犯人逮捕と、人質の黒須不動産社長と田代が怪我はしているが、意識もあり無事との連絡が来た。それを聞き米川は色んな意味でホッとした。今回の事件のきっかけの一端は自分にもあると思っていたし、犯人の一人の爆死にも無関係とは言えないと思っていたからだ。長野県警からの連絡を受け、それ以上の事件の可能性がなくなったため、米川には念のため警護の警察官が付き、正田敬子はパトカーで自宅へ送り届けられた。家に帰ると先に送り届けられていた息子も含めて家族全員が起きて待っていて、警察官も二人付き添っていた。息子は母親敬子に抱きつき声を出して泣き出した。敬子も息子をいつもよりきつく抱きしめ、二人は安心して嬉し涙を流し、それまで暗かった玄関と家全体が一気に明るくなったようだった。


「肇も無事ですよ。今日は警護の人がついてて、病院で一晩過ごして明日には退院できると思うよ」と父母と夫に話すと、警察官は

「我々はこれで引き上げます」と言って、パトカーで帰っていった。彼らに頭を下げ見送ると、敬子は一家全員に対して、ストーブの火が入り暖かないつもの居間で、何があったのかを少し順番は前後したが、気丈に話し切った。夫は敬子の背中をそっとさすりながら、

「本当に大変だったね。よく頑張ったね」と慰めたが、祖母は途中で頭を抱えて、

「そんな事があったなんて、信じられない」と涙ながらに言い、孫を膝に抱えて

「怖かったよね。でも、もう大丈夫だからね」と言いながら頭を撫ぜていた。息子もやっと少し安心したのか、好きなお菓子を食べながらいつもの表情に戻っていった。いつも間にか夜が更け夜中に差し掛かる頃には、一家の全員が安心し息子が眠そうな様子なので、床につく事になった。正田敬子と息子と米川一家にとって、長い長い恐怖の一日が終わった。そして、その頃、病院の白いシーツの掛けられたベットに横になっていた米川も、医者に処方された鎮痛剤の影響で眠りについていた。


 県警としても前代未聞の事件は解決に向けて進んだようだった。晩秋の高原地帯らしい平地の真冬のような冷たい風が吹く中、夜の九時過ぎには牧野も家族と兄の待つ家に向かった。その頃、丈一郎は心配して牧野宅にいて、牧野警部補の帰宅を彼らの家族と共に待った。牧野が帰宅して、玄関でいきなり「ああ、疲れた」と言って大の字になったが、丈一郎の存在にはすぐには気が付かなかった。兄の牧野巌と丈一郎が彼の顔を覗き込んで「お疲れ様!」言うので、やっと牧野警部補は丈一郎の存在に気が付き慌てて起き上がり

「ああ、失礼しました。丈さんもいらっしゃたんですね。今日は本当にありがとうございました。丈さんのお陰で人質は全員無事に解放できました。犯人も全員逮捕できました」

「いやいや、剛くんのお手柄だよ。君は本当に凄いよ!」と褒められ、ニコニコと笑い首を叩く剛だった。居間で少しその後の事件の顛末を牧野警部補から聞いた後に、丈一郎は

「今日はお疲れだろうし、明日も大変だろうからゆっくり休みなよ」と言って、自宅に車で帰って行った。牧野警部補は、犯人逮捕の瞬間に自分の迷いを払拭してくれたあの「大丈夫!」という心の声について、今日は丈一郎に聞くのはやめにしておいた。


 翌日、病院に搬送された麻山仁の死亡が伝えられた。そして、犯人の一人が仁から受け取ったと言う封筒が牧野警部補に渡された。彼の遺書のような物だった。そこには素朴でつたない文章と気持ちが良く分る優しい詩が書かれていた。「巡り来る季節と僕たち」と言う詩と仁のコメントだった。そのコメントと詩を読んだ牧野警部補と周りの警察官達は一様に事件の背景の悲惨さを改めて思い知った。自殺した人もまた人の子で、兄思いの優しい人だったのだ。巡り合わせが悪くなかったら、こんな不幸な事件は起こらなかったのか?誰が悪いんだ。そう思う彼らに牧野警部補は

「我々は事件が起きてから慌てて解決に向けて必死で動くが、事件が起きる前に予兆をつかめれば事件が起きないかもしれない。それを怠ると、また不幸な事件が起きるかもしれない」とかなり哲学的な言い回しであるが、現代警察の課題を言い当てているので、皆の心には悪魔の影がちらっと見えたようにも聞こえた。実際に数ヶ月後にそのことは証明されてしまうが、少し先のことだ。

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