名族の復讐
少し時を遡るが九月半ばのある日、黒須不動産が北浅間村で活動を始めるより少し前、麻山一族の長である麻山老人は一族に依頼した調査結果を一週間の時間を与え報告をさせた。一族は日常の仕事をせずにそれのみに取り組む者や、仕事の合間や終わった後に調査をする者やそれぞれであったが、一様に慎重かつ執拗に状況を調査した。その結果を『組』とよばれるチーム内で共有し、次の調査ターゲットを決め、すぐに対応すると言ったことを繰り返した。まさに、戦国時代さながらの忍者組織のように迅速に動き回った。ただ、一族の者の中には定職に就いていない決して裕福ではなく、その日の生活にも困るような状況の者も居て、これまでは麻山一族のお館である老人から幾ばくかの生活資金を得て生計を立てている者もいた。麻山仁もその一人で、兄と兄嫁がこの詐欺不動産の犠牲になっており、黒須不動産に大きな恨みを持っていた。そのような者にとっては今回の事件はかえって金銭的には助かる話で、麻山老人から結構な額の運動資金が出されており、上手くいった暁にはそれに加えて追加の報酬が得られるのが昔からの常だったからだ。なので、そのような者にとってこの活動は真剣そのもので、まさに戦国時代からの一族の活動スタイルが踏襲されていた。
ある組の構成人数は四人で黒須不動産の仕事の一部始終を、詳細にしかも秘密裏に探った。もう一つの組も四人でこの不動産屋の社長の家族と近隣に住む親族を調べ上げ、部長の家族や親類を調査した。そしてもう一組は不動産屋に所属する社員とアルバイトを調べ上げ、一族の本家筋の荘子の営業担当であった米川に関しては、彼の地元にまで調査の範囲を広げつつあった。その調査担当の中に麻山仁がいて、米川の家族と以前彼が起こしたちょっとした事件や、家族の勤め先までつかんでいた。そして、族長であり依頼主である麻山老人は、頭と呼ばれている組頭と共に妹が契約した内容を、一族の問題をいつも扱ってくれている弁護士に相談しつつ、不動産屋の手口が所謂、地面師のそれと同じようなやり口であることを確信していた。
二週間ほど経った報告会の日に出された内容は酷い話ばかりで、黒須不動産屋は土地や家屋を相場に比して低価格で買い取る契約をして、家のリノベーションの費用は相場より高い価格で見積もり、低価格で地元業者に発注し利鞘を得るような事を繰り返していた。同様の商売を他の地域でも仕掛けており、闇ルートを含めた多くの中古物件や別荘情報をもとに、同様の手口で商売を広げていた。彼らの商売のパターンをまとめると、一つは中古の一軒家を持つ持ち主に対して、リノベーションすれば高く売れると持ちかけ、まずはリノベーションの受注を受け、安く業者に発注することで利益を得る方法。二つ目は、空き家になり買い手がつかない中古物件を、同様にリノベーションすれば必ず売れると焚き付け、資金を持ち主に出させ、売れた場合には高額の手数料を回収するやり方。そして、彼らのターゲットに共通しているのは高齢者のみの世帯や、先祖代々農家や家業をつなげてきている地元に住む真面目な人たちであった。それらに狙いを定め、アルバイトや闇ルートを使い情報を集め、最後の騙しの場面で社長と部長が商談のクローズに行き、リノベーションの発注先は彼らに頭の上がらない中小の地元建築業者であった。そして、クレームが入るとアルバイトや社員のせいにして会社をやめさせ、建築物の瑕疵に関しては下請けの建築業者に責任を取らせる事が日常化していた。
麻山一族の人たちも彼らの犠牲になっており、昨年一族の親子二人が黒須不動産に騙され、多額のリノベーション工事代金を支払ったものの中古物件が売れずに、事業資金が底をつき事業継続をできなくなり、子供と共に土地を離れたケースもあった。また、これは前述したが、麻山義一という一族の中心に立とうかという男が、この黒須不動産という詐欺まがいの不動産会社を信じてしまい高利の借金をして、リノベーションした中古アパートの経営を始めたが、入居者が思うように集まらず、実家の土地と家を手放すことになった夫の軽率な行為を詰った妻が、夫である義一に殺されるという悲惨な事件だった。その際に、義一は不動産屋に唆されての借金なので、残額を免除して欲しいと何度も不動産屋に談判に行ったが、社員と営業部長である田代にまるで相手にされず意気消沈していたようだ。その上、妻にこっぴどく詰られて、かっとなり包丁で刺してしまったらしい。その後義一は服役中に精神的に病んで刑務所で病死した。この義一の弟が麻山仁だ。この不動産屋はどうやら麻山一族の土地もターゲットの一つにしているようで、彼らを排除しなければ不幸なことが今後も起きると確信し、彼らを徹底的に叩くことを全員一致で決定した。そうなると、次はどうやって復讐をしてさらに立ち上がれないようにするかの相談となった。
黒須不動産の動きを調査していたチームが気になる情報を入手した。彼らが北浅間村で活動をしており、近々現地で説明会を実施する計画があるという情報だった。それを聞いた麻山老人はそこで大掛かりな詐欺営業をするに違いないと読み、北浅間村に麻山仁を含む数人の諜報チームを送り込んだ。諜報チームはすぐにそこで配られているチラシと説明会の案内を入手し、麻山老人に届けた。彼は内容を読み、このタイミングで行動を移そうと決め、一族を招集した。状況の説明とこのタイミングでかなり大掛かりな仕掛けをすると言う方針を宣言し、全員の合意を得た。彼らは方針が決まると果断な動きをすることが特徴で、まさに“戦国時代の勇”たる所以だ。まずは偽名で参加申し込みをした。仕事を持っているメンバーもいるので、確実に当日参加できる八名での参加申し込みを別々の偽名で実施した。住所も実際の住所と表札を事前に調べて、怪しまれないように八名それぞれの名前で申し込みを実施した。当日は二名の追加参加するメンバーを含めて、現地での実行部隊は麻山浩一をリーダーとする十名となる予定だ。
会議で老人は復讐のレベルの相談をした。つまり、一番酷いのはターゲットの「全員殺害」で、次が「大怪我を負わせて二度と悪事を働けないようにする」で、その次は「復帰できる程度の軽傷を負わせ、脅しによりこちらの要求を飲ませる」というレベルに関して意見を出し合った。一族の多くの者は「全員殺害」はやり過ぎで、次の「大怪我を負わせる」に賛成したのは麻山仁を中心に比較的若手のメンバーで、大多数は「復帰できる程度の怪我はやむを得ないが、脅しによる要求」は必須との意見だった。全員が納得するまで議論をするのが彼らのやり方だが、お館はかなり過激な事をしかねない麻山仁たち数名の意見に不安を感じ、お館裁量で多数決とした。仁は兄の復讐の相手でもあり、お館のやり方に内心「お館もやはり耄碌したな」と大きな不満を感じていた。「あいつらへの復讐はなんとしても俺がやり遂げる」と心に誓った。
そして、麻山老人はどうしたら我々の犯行である事が、分らないように出来るのかを議論させた。最近の傾向として多くの人が集まる場所では、コロナ渦以降はマスクをする事が普通になっているので、それを利用してそれぞれマスクと眼鏡とカツラによる変装をする事が決まった。ターゲットの不動産屋を拘束する時に、説明会の会場を真っ暗にして彼らの顔と姿を隠す方法が提案された。これにより、麻山一族の犯行を隠せるとの結論となった。
しかし、麻山老人はこの手順以外に組頭には彼らの犯行がばれた場合には、無理はしない取り決めをしていた。老人はもう少し自分が若く、一人で荒っぽいことを出来るのであれば、この大きな恨みをもつ悪徳不動産屋の社長と営業部長を単独で殺害することも考えていたかもしれないが、流石に年を取りそんなことは出来ない年になっていたのだ。
この脅しによる要求を飲ませるためには、一旦は説明会の参加者を監禁するので、実質的に人質に取る事になるが、民間人を巻き込みたくないといいう意見が出た。麻山仁から
「黒須不動産の社長と営業部長の田代を捉えて速やかに別の場所に移せば、他の人質は安全にすぐに解放できる」との意見に、今度は老人が
「仁の言う通り、民間人を長く拘束して奴らとの分断に下手に気を遣いすぎて、あの不動産屋を取り逃がしたら元も子もないので、すぐに別の場所に移す作戦は確かに有効だ」と同意したので皆の意見は一致した。
「それなら、具体的にどうやって別の場所に移すのか?」について意見が出され、眠らせるか気絶させるかで用意した車で運べば良いとなり、
「運ぶ先はどこにするか?」との疑問に対しては、老人が
「本家の牢屋に入れておけば、じっくりいたぶれるぞ」と不気味な笑いを浮かべながら話すと、皆が同じように不気味に笑った。
こうして、大凡の犯罪計画が決まったのだった。老人がこの移動作戦には敢えて真山仁をその実行犯に含めなかったのは、犯行後に”動機”のある彼に疑いが向かないようにする族長としての思いやりであった。
しかし、彼らは監禁される一般参加者の心身の事にはあまり感心がなかったようだ。これがこの一族の本質なのか。身内に優しく、敵には厳しい、敵に回してはいけない危険な一族を黒須不動産は敵にしたのだった。
ただし、彼らはこの計画を警察に察知される懸念は抱かなかったようだし、不穏な動きを別荘住民の中に気づくような者がいようとは思わなかった。
この犯罪の準備にはかなり大きな仕掛けが必要で、全員で手分けをして準備を始めた。まずは、現地で説明会を実施する丈一郎が住む別荘地の管理事務所の事前調査だ。ここには例の諜報チームに任せ、事務所のロケーション調査と事務所内のレイアウトや設備の確認だった。丁度同じタイミングであの黒須不動産も現地で活動を開始していたので、早めに事前調査をする必要に迫られたので、管理人が事務所に居ない日程や時間帯を狙ってひっそりと調査を実施した。だがこの時に、丈一郎に彼らの行動は目撃され、不審に思われてしまうことになる。これが運命の皮肉であり、犯罪の犠牲者にとっての幸運だった。
こうして、黒須不動産が悪事のターゲットとしている北浅間村に、上東市の名族による復讐計画が同時進行したのだった。いや、実際にはこれに気づいた丈一郎と牧野警部補の活動も加えると三つの動きが進行し、善と悪が入り乱れた人間模様と重大事件が繰り広げられることになった。
そして、予定通り説明会は開催された。丈一郎のいる別荘地の管理事務所の二階の会議室に集まったのは、説明会の主催者である不動産会社と説明を聞きにきた近隣の住民達のはずだった。主催側の黒須不動産のメンバーは三人で、小山社長と田代部長と米川肇の三人だったが、米川は参加者の中に姉と甥っ子の姿を見つけ大いに動揺した。米川の姉は空き家の売却を検討している近所の老夫婦から相談を受け、同行してもらえるように頼まれて参加したのだった。彼女の方は主催が弟の会社なのは知っていたので、驚きはしなかった。説明会は始まったが米川の動揺は収まらず、さらに参加者の中にあの麻山一族のボケたはずの老人が紛れ込んでいることに気づき、心臓がドキンとするほど驚いた。以前はかけていなかった黒縁のメガネとコロナ以降常識となったマスクをしていたので、社長も田代も気づかなかった。米川は以前、真山浩一が妹に付き添われ彼らの家の近くを散歩する姿を見かけ、挨拶こそ交わさなかったが、かなり近くで見ていたのだ。彼はマスクとメガネをしていても、白髪とその特徴的な七三分けのヘアスタイルでその老人が誰かが分かったので、思わず声を出しかけたが、説明会が台無しになったら怒られると思い、怖くて声が出せなかった。黒須不動産の社長の小山も田代も、やたらマスクをしている参加者が多いのと、眼鏡をかけた参加者が多いことには気がつかなかった。一方で小山も田代も事前の申し込み人数をこえる参加者数に気を良くしており、麻山一族が多く紛れ込んでいて、彼らに乱暴しようとしているとは露ほども考えていなかった。騙そうとしているのは自分たちで、犯罪者に狙われているなんて思うはずもなかった。
参加者同士も顔見知りもいたが、見知らぬメンバーも多くいたので、ボソボソと挨拶程度はしたが静かに開始を待っている様子だった。説明会への参加者の多数は、先祖代々の土地や建物や、利用しなくなった別荘を安くリノベーションして高く売れるのではと思っている人たちと、一部旅館や貸別荘の所有者も含まれていた。この旅館の関係者の中に後にさらに事件を起こすことになる青年の岩中拳も含まれていた。しかし、この参加者の中に管理会社側のメンバーは一人もおらず、管理人は別荘地内で屋根の清掃の依頼を受けて軽トラックに道具を乗せて出掛けていた。見知らぬメンバーの中にこのあと起こる事件の犯人達が含まれているとは主催者の社長も田代も全く知らなかった。ただ一人、米川だけはあの老人の存在に気づき、不安の中説明会を進めるのだった。参加者にとっても少し違和感がある雰囲気で説明会が始まると、社長の挨拶に続き、部長からの少し長い概要説明、そしてその後に米川からこれから進め方の説明があった。米川のいつもの流暢な説明ではなく、ところどころ詰まるような下手な説明に田代も「こいつ緊張しているのかな」と思ったようだが、そのまま流した。米川は例の老人とそれ以外の参加者からも、変な押し殺したような”圧”のような雰囲気を感じていたのだ。
そして、主催者の黒須不動産は所有不動産と目的別に幾つかのグループに分け、数人ずつを別部屋に案内し相談合意書兼仮申込書という怪しげな書類へのサインを要求する手筈となっていたが、その前にトイレ休憩を参加者が訴えたので休憩となった。結構多くの参加者がトイレに行くようで部屋を出たすぐ後に、事務所のシャッターが嫌な金属音を立てながら降りて、突然、会議室の電気が消え暗闇に包まれ、女性の悲鳴と男性の「おい、どうなっているんだ!」という怒声が室内に響く。彼らは閉じ込められたのだ。このトイレに向かった参加者が犯人達だったのだ。無論、あの麻山一族の老人もそのうちの一人だった。主催者の黒須不動産の社長と田代も慌てふためくが、米川は暗闇の中で社長と田代にあの老人の存在を伝えようとしたが、その前に犯人は館内放送で全員が監禁されたことを次のように伝えてきた。参加者はあまりに突然のことに沈黙した。“ザーザーザー”と言う不快な雑音混じりに、年を経た少ししゃがれてはいるがやけに落ち着いた声が聞こえてきた。
「我々は、あなた達を閉じ込めた。一般の説明会の参加者に危害を加えることはしないので、しばらくじっとしていてくれ。我々は、黒須不動産の社長と営業部長の田代と社員の男に恨みを持っている。彼らへの復讐のために、あなた達全員を監禁した。我々の多くのメンバーは、拳銃やナイフで武装をしている。もし、誰か一人でも、言うことを聞かない場合は、全員が危険に晒される。暗闇の中で発砲するとどうなるかは想像できるだろう。おそらく多くの怪我人が出るだろう。でも大人しくしていれば、あなた達は、詐欺不動産会社に欺されずに無事に帰れるようにする。これから、黒須不動産の悪党達を、その会議室の外に連れ出すので、他のものはその場にいて決して動くな!」と恐ろしい事をやけに冷静な感じでかつ威圧的に館内放送でそう伝えてきた。一般の参加者は夫婦で参加している人たちもいたが、手を取り合っているのだろう、ひそひそと話をしていた。この人質の中にいた米川の姉の正田敬子はあまりの出来事に震えていたが、泣き出した幼い息子を強く抱きしめて、
「大丈夫よ!お母さんと一緒だから大丈夫よ!」と盛んに励ましながら、同じ部屋のどこかにいる弟の肇のことも心配した。何せ名指しのように犯人達のターゲットだと言われたのだから、何かされるはずだと思い、暗い闇の中で必死に肇を探した。他の参加者も二十畳もある会議室の中で、スティールの椅子に座りほとんどの人が暗闇に目を慣らそうとしてしていたが、暗闇の中で怯えた人の気配しか感じられず、すぐ隣の人に「大丈夫ですか?」「怖いですね」と話せる人は良い方で、一人で参加している年配の参加者の中には心臓が強くない人もいるようで、荒い息をしている人もいた。麻山一族の出身である岩中拳も暗闇の中で、自分の実家の一族が犯人に関係しているのではないかと不安を覚え、こうして人質にされたことに恐怖は感じていたが、彼らのターゲットはあの信用できない不動産屋で、参加者が怪我を負うようなことはないと楽観視していた。
そして、会議室の入口のドアが開き、薄暗い廊下に人影が見えた。会議室にいた全員の視線がその薄暗いが真っ暗な中ではとても明るく感じられる方へ集まった。まず黒須不動産の小山社長が呼び出され、犯人の男達に両脇を強い腕力で固められ、腰にはナイフのような硬いものが突きつけられているようだ
「絶対に暴れるなよ!逆らえばその場で刺す」と脅され、二階の暗い会議室から薄暗い廊下に引きずり出され、階段を降り一階の応接室のような別の部屋に連行された。その部屋は蛍光灯に照らされていたが、犯人達は全員黒い目出し帽しを被っていて、社長は堅く尖ったナイフを突きつけられて動けなくなり、手際よく手は後ろに回され縛られ、足首にも縛をかけられ、乱暴に床に座らされた。社長は恨まれることはあるにせよ、ここまでされる理由が分からず喚いた。
「あんた達は誰だ?なぜこんな事をする!俺にこんなことをしてタダで済むと思うなよ!」と脅すような口調で喚くと、犯人の一人が社長の側頭部をナイフの握り柄で黙らせるように殴りつけた。気絶するほどではないが、強い痛みを感じるような強さで殴った。社長は思わず呻いて横様に倒れた。
次に呼び出された田代も同じように薄暗い廊下に引きずり出された。会議室に監禁されている人たちは、またも同じように明るい入り口に一斉に視線を移した。不謹慎だが犯人達の目的は本当に黒須不動産のメンバーだと言うことがわかり、少し安堵のため息が漏れていることが感じられたが、肇の姉の正田敬子だけは次は弟の番だと思い、胸が塞がれて、呼吸が苦しくなるような緊張感を感じていた。田代は社長と同じく一階の応接室に連行され、手足を手際良く縄で縛られ、倒れている社長の横に無理やり座らされる。社長が頭を抱えて呻いているのがわかり、
「社長、大丈夫ですか?」と倒れている社長に気がつき驚いて声を上げると、
「痛い!痛い!」と社長は呻き声をあげる。殴りつけた犯人は、
「我々はお前達を罰するためにここに呼んだ。胸に手を当てて考えてみろ。心当たりがあるだろう?お前達がした事とこれからしようとしている事は、そんな痛みでは償えない事だろう」と大きな声ではあったが、冷静さを失っていない真に冷たい声だった。その声で田代は思い出した。犯人はあの麻山の屋敷の老人だと確信した。以前に老人が元気だった頃に古い家の売却を提案した際に、
「帰れ!お前らのようなハイエナに売るつもりはない」と、ピシャッと言われ退散したことがあった。それも一回ではなく二度も言われたのでその時の屈辱とともに完全に思い出した。
社長は頭を殴られ呻いているし、部長は次に殴られるのは自分ではと思いビクビクしていた。 その時、館内放送で流れたあのしゃがれた声で
「我々はお前たちの詐欺行為を決して許さない。これで分かっただろう、そう麻山一族だ」と名乗った。これには部長も反応し何か反論しようと
「私はちゃんとあの婆さんに内容を説明し、手付けだって振り込んだのに、そんな言いがかりを・・」「つけるな」と言おうとしたようだが言い終える前に、田代は犯人達が持っていた棍棒のようなもので数回背中や腰や腹を中心に殴られて、田代は呻きながら床にくの字になった。その殴った犯人の中に麻山仁がいた。
「お前らがあの地域でどんな悪さをし続けているかは既に調べてある。この数年間で何件も同じような詐欺事件を起こし、俺の知り合いが少なくとも二人が死に、何人かが泣く泣く街を出て行ったことも調べてある。それでも言いがかりだと言うのか!」と、仁は怒鳴った。社長はこんな状況でも自分の身だけは守ろうとして、
「あれはこの田代が勝手にやっているんだ。俺はあんまり無理なことはやめろといつも言っている」と言い逃れを始めた。田代は息苦しさに堪えながら慌てて
「あんたがやれ!と言うからやっているんだ」とお互いに罪をなすりつけ合いだした。表情は見えないが呆れたように老人が顎で合図すると、仁を含む犯人達は無言で二人を交互に棍棒で数分間殴りつけた。そして、二人は
「もう許してくれ、お願いだ。これ以上は勘弁してくれ。お金も土地も返します」と、鼻水と血の混じった涎を垂らしながら懇願した。
老人はこの一部始終を何事もなかったように眺めながら、
「あの契約を破棄することに同意するなら、命は助けてやっても良い」社長の目を見ながら宣言した。社長と田代はすぐに恐怖からかその条件をのんで
「はい、同意します。契約だってすぐに破棄しますので、命だけは助けてください」とやっと聞き取れるような声で答えた。老人は
「分かれば良い。これから場所を変えるので、少し眠っていてもらう」と言って、他の犯人たちに目で合図をした。全ての行動が綿密に計画されているようだ。しかし、この社長と田代が生き残り、警察の捜査で彼らが逮捕されることは想定していないように思える。社長は体中に耐えがたい痛みを感じながら、
「俺たちを殺害してどこかに埋めてしまえば、彼らが犯人である事は分らなくなる。きっとこいつらは、そう考えているはずだ」と遠くなりそうな意識の中でぼんやりと考えていた。
そして、この拷問が十分ほど続いた後に犯人の老人の指示で、そこに米川が連れてこられた。米川は社長と田代が床に無惨な姿で倒れている様子をみて怯えるしかなかった。社長と田代の酷い有様に怯えつつも、次は自分だとも覚悟した。
「俺は、こんなに恨まれることをしたんだ!」といまさらになって悔やんだ。彼は、麻山義一が彼らに欺され、結局、妻を亡くし、自分も獄中死したことを知らなかった。一方の老人は米川が自分の存在に気づいているとは知らなかった。もし、知っていたら二人と同様に乱暴をされ、結局は殺されるターゲットになっていただろう。
一方で、田代が連れ出された後に何分か経った後に、同じように米川が部屋から連れ出されるときに「ああ、肇!」姉の敬子は小さな声を漏らした。でも、娘を守らねばならないので、それ以上の事は到底出来なかった。
さほど広くない同じビルにいるので呻き声は会議室に監禁されている人質達にも聞こえていた。正田敬子は娘の耳を塞ぎ声や音が聞こえないようにしたが、自分にはかえって良く聞こえる気がした。
「なんて、酷い事をするのでしょう!」と心の中で叫んでいた。しかし、暗闇の中では、自分たちも詐欺不動産会社に欺されたとはいえ、先祖代々守ってきた土地や建物を売って儲けようとした事を悔やんでいる人もいた。恐怖と後悔で嗚咽を漏らす妻を抱きしめながら、慰めようとする人もいるようだ。
「大丈夫だよ、俺たちには何もしないと言っているのだから」と少し目が慣れてきたが、それでも暗い部屋の中で、小さな声と黒い影が蠢いているだけだった。誰もが恐怖から逃れられる兆しは見えず、一人一人が孤立しているようで、ほとんどの人が震えながら耐えていた。封鎖された会議室の暗闇の中で監禁しているのは、監禁されている人たちにお互いに協力をさせずに孤立させることが、麻山一族の狙いなのだろう。
そして、黒須不動産の社長と田代の二人は脇を抱えられ部屋の外に連れ出され、軽く後頭部を殴られて気絶する。そして、裏口の外に待機していた黒いワゴンタイプの車に運び込まれた。それを丈一郎と牧野の通報を受けて到着した牧野警部補達は少し離れた木の影から見ていた。米川は「この犯人たちは社長や田代を許さないし、きっと殺すだろう」と感じていた。「誓約書か何かを書かされた後にどこかまた違う所に連れて行かれて殺されるだろう」と思った。また、人質も無事に解放されないような気がしていた。その理由はこの部屋には連れて来られる途中で、薄暗い廊下で犯人の一人が仲間に小声で「爆弾の事は・・良いのか」と言っているのが聞こえ、その仲間に強く睨まれて頷いているのを見たからだ。彼らの身代金を要求するのではとも思っていた。しかし、爆弾が使われれば、姉ちゃんと甥っ子が危ない。米川がそんなことをぼんやり考えていると、突然、米川に麻山老人が尋ねた
「お前はこいつらの仲間だな。同じようにされたいか?」と聞かれ、
「俺はまだこの仕事を始めたばかりで、よく分からずに仕事を手伝いましたが、二度とあんな事はしません」と後ろ手に縛られた状態で土下座をして謝った。しかし、次の瞬間、後頭部を殴られ気絶しそうになり、フラフラして意識が遠のきそうになると、彼だけは別の小屋に運ばれた。この小屋は管理事務所の裏口から出て、三十メートルほど山裾を歩いた少し高くなったところにあり、山裾の反対側に坂道がつながっていて黒い大きなワゴン車が駐車していた。不動産会社の社長達二人を乗せたワゴン車には運転手を含めて四人が同乗し、どこかに走り去った。それを既に近くで待機して状況を見ていた牧野警部補をはじめとした警察官達と丈一郎は見届けていた。
犯人達は不動産会社の幹部を誘拐し自分たちのアジトに隠し、もし事件が発覚した際には、爆弾を仕掛けていると警察に通知して、事務所に人質として監禁したまま逃走するつもりであった。彼らは警察は彼らに対抗できる体制を俄かに整えられるはずがないと鷹を括っており、ほんの数人の警察官ならば、人質の救出のみに注力せざるを得ず、彼らを捕捉するなど出来ないと思っていた。実際には爆破物は別の小屋に仕掛けており、さほどの威力は無いもので、本当に人質を危険にさらすつもりはなく、逃走後に無事に解放する計画だった。しかし、麻山仁は組頭から指示された物とはほど遠い強力な爆発物を用意しており、それを小屋に仕掛けそれを爆発させるつもりでいた。それで、少なくとも社長はその犠牲者にするべく機会をうかがっていた。麻山老人の計画では、黒須不動産の小山社長と田代は別の場所にさらに監禁し、米川をどうするかは決めかねていた。米川に関しては老婆の話だとあの青年は嘘は言っていないと言うし、誘拐はやめて小屋に閉じ込め解放することにしたようだった。つまり、この時点でかなり規律が乱れ、思惑の違う行為が並行して進んでいたようだ。
そして、館内放送で米川の姉である正田敬子とその娘が呼び出され、米川が運び込まれた小屋に連れて行かれる。麻山老人の指示だった。小さな男の子が可哀想だと思ったのと、余り大きな声で泣くと他のメンバーが騒ぎ出す可能性があると思ったからだ。警察が動き出す前に、さっさと黒須不動産の二人の悪人を連れ去りたかったのだ。敬子は息子の手を引きながら震える足を何とか動かしながら小屋まで歩いた。その古ぼけた木造の小屋の小さな部屋に連れて行かれ、弟が血を流して倒れているのを見つけ、慌てて駆け寄り揺り動かす。
「肇!肇!大丈夫?」男の子は怯えて入口で泣き出した。姉はそれをちらっと見たが、弟の安否が先だと思い、声をかけ続ける。そこに米川を運んできた犯人達はその様子に少し驚き、
「そいつはあんたの家族か?」と敬子に尋ねた。
「はい、弟です」と敬子が震える声で応えると、犯人の一人が、
「そうか、偶然だな」とぼそりと言いながら、米川を柱に縄で括り付けて、静かにその場を去った。麻山仁だった。仁はこの三人には何の恨みもないので、爆発の犠牲者にするつもりはなかったので、これからの展開を頭の中で考えていた。一方、姉敬子は弟の肇に何回か声をかけ、軽く揺り動かすと米川は息を吹き返し、目を開け姉の顔を見る。
「お姉ちゃん、どうしてここにいるんだ。あいつらに殴られたんで頭が痛えよ」幸い彼の側頭部の傷はさほど深くなく、血も多くは流れていないので、姉は思わず泣きながら弟を抱きしめる。




