9、レイモンド・エスパーダ
レイモンド視点です。
物心ついたときから、俺は1人だった。
広い屋敷に冷ややかな態度の使用人。
厳しい家庭教師がつき満点を取らなきゃ鞭で叩かれ、満点でも時折目が生意気とかなどよくわからない理由で叩かれる。
父上や兄上の視界に入るだけで殴られる。母上はまるで汚物でもみるみたいに俺をみる。
それが俺の世界の全てだった。
与えられた屋根裏部屋には小さな窓が一つあるだけで昼間でも薄暗い。
食事は1日1回。いつも同じメイドが俺の部屋の前まで運んできて、スープとパンが置いてあるだけだった。その食事もいつも味がないため、ただのお腹に入れるための作業だった。
辛いと思うことも許されない。これが普通だったから辛いと思うこともなかったのが正解だけど。
窓から時折父上と母上、兄上が楽しそうに出かけていくのだろう声が聞こえる。
それを聞いても何も思わなかった。むしろ家にいないことにホッとする。
家庭教師の授業の時間以外、何もすることがなかったから、たまたま近くにあった書斎で本をたくさん読んだ。
殴られて痛い顔をしたり声をだすと余計に殴られるから必死に表情をなくした。
何かに興味を示すとそのものは全て奪われるから何に対しても考えることはやめた。
気持ちを表にだしてはいけない。それは俺にとっての絶対だった。
公爵家の書斎にあった、いつか読んだ絵本。
そこには継母や義姉にいじめられた少女が王子様と結婚して幸せになる話もあった。
いつか、俺にも。
その少女を自分に当てはめたこともあった。
しかしそんな日は訪れるわけがないとわかっていた。
今後もこの生活が続くのか。そう思いながら過ごしていた、ある夏の暑い日の夜。
「…あの子を、どうするつもり?」
「レイモンドのことか?あいつはどこか高値で売れそうなところを探し中だ。だから最低限の家庭教師もつけている」
「それはそうですけど…」
「見た目はそこそこいいからな」
「それでも、あなたの兄夫婦の子供とはいえわざわざあんな子を…」
喉が渇いて目が覚めたが、水を飲もうとしても水差しの水も無くなっていた。そのため水を取りにこっそりとキッチンへと向かう途中で、父上の書斎から聞こえてきたのはそんな会話で。
(高値……?いや、それよりも。兄夫婦の子……?)
母上は俺の母親ではなかったのか。
話を聞くと俺はもうすでに無くなった前公爵の子供らしい。
父上…義父上の兄だという。
それを聞いてストンと腑に落ちた。だからか、と。
その日はそこまでしかわからなかったが、いろいろ納得した。
もう何も期待していないと思っていたが、心の奥底では違ったのか。ショックを受けている自分もいた。
何に対してのショックなのか。この時にはもう感情がほぼ死んでいたのか、自分ではもうわからなかった。
家の外には出たことがないが、ウィルフレッドが時折友達を招いて庭で遊んでいる時があった。
そのときに運悪く出くわすとそいつらに暴力をふるわれることがあった。
人の集まりとはそういうものなのだという認識になっていたそんな日に、伯爵家以上の子供達を集めたガーデンパーティーに行かなくてはいけなくなったそうだ。
そのときにはもう誰とも言葉を交わすこともなく、自分の声も思い出せない。
「いいか。くれぐれもウィルフレッドの邪魔はするなよ」
そう義父上に凄まれて頷いた。
お前は庭の隅っこにでもいて気配を消していろ、そういって馬車に乗り込んでいった義父上と義母上と義兄上。
なんでも国王陛下も王子殿下も俺の存在を知っているため、連れて行かないわけにはいかないらしい。
俺だって行きたいわけがない。そんな暴力が振るわれるところに。
しかしそんなこと言えるはずもなく。そして俺が乗る前に馬車の扉が閉められた。途方に暮れていると、それを見かねた御者が隣に乗せてくれて出発した。
言いつけ通り、庭園の隅っこでただただパーティーの様子をみていた。
するといつもウィルフレッドと一緒になって俺を殴ってくる奴らが、ちらちらとこちらを見ていることに気づいた。
それでも動くことはできずにひたすら気配を殺して下をみていると、ふと視界に影がさした。
ついにあいつらが来たかと身構えるも聞こえたのは女の子の声だった。
「はじめまして」
その声に顔をあげると、そこには淡いピンク色の髪に、金冠のある空色の瞳のとても可愛らしい女の子がいた。
自分に話しかけているのか。信じられない気持ちでその子を見返した。
「ルーナリア・シュルークと申します。何をされているのですか?」
先ほど来た王女様だった。せめて挨拶だけはと思い、習ったことを思い出して実践してみる。
「初めて、お目にかかります。エスパーダ公爵家のレイモンドと申します」
頭をさげたが、久しぶりに出した声は掠れて小さいものだった。
「レイモンド。これからよろしくね」
笑いかけられたのが自分だと思えず、どう反応していいのかもわからない。
何も反応を返せず、固まってしまう。
「ここで何をしていたの?」
「僕は…」
特に何もしていない。隅っこで大人しくしていろと言われたからここでただじっとしていたとも言えず。いろいろ逡巡したが返事が返せなかった。
「まあ、あれは……」
「やっぱり孤児院でお育ちになったから……」
「それにしても魔力なしにお声がけするだなんて……」
その間にも周囲からの刺すような視線と影口が聞こえる。俺に関わったら、ルーナリア様が悪く言われてしまう。その一心で言葉を発する。
「……ルーナリア様、私に関わらない方がいいです。貴方様まで…」
「大丈夫。私は貴方と仲良くなりたいと思ったから声をかけたの。周りの人の言うことなんて気にしないでいいわ」
これでも偉いみたいなの、と冗談まじりに胸を張っているこの少女がとても眩しくみえる。
でも、それでも。今の状況はよろしくないのではないか。
せめて一声かけてから離れようとしたとき。
「あ、この花見てみて。とても綺麗よ。これはなんて言う花かしら…」
俺の後ろの花壇にあった、青い色の花を指さして無邪気に俺に聞いてくる。
その花は竜胆だった。図鑑の情報を頭からひっぱりだす。ここらへんではとても珍しいと本には載っていた。
「うーん……名前はわからないけど、あなたの瞳の色に似ていてとても綺麗だわ」
そう言って振り返ったルーナリア様は笑った。
しゃがんで少し花を眺めたあと、すくっと立って俺と向かい合い、優しい笑顔を浮かべた。
「レイモンド、私と友達になってくれない?」
──友達
友達とはたしか『互いに心を許し合い、対等に付き合える親しい人』と本に書いてあった。
しかし一方でウィルフレッドとともに俺に殴りかかる奴らも、ウィルフレッドとは友達というものだった。
少し困惑してしまうも、この国の王女様の申し出は断ってはいけないと思い、コクリと頷いた。
するとルーナリア様はにっこりと満面の笑みを浮かべたため、この選択は間違ってなかったのだと思った。
それでもまさかお姫様にならないかといわれるなんて思ってもいなかった。
そのときに絵本のことを少し思い出したのは仕方がないと思う。
この出会いが俺の今後の人生を大きく変えるものになるなんて、そのときは全く思っていなかった──
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