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第36話 勝次先生、軍医学校の臨時校長になる。

いつも読んでいただいてありがとうございます。



それでは、、はじまり、、、はじまり、、、


”森林太郎”自宅


私は朝、朝刊を広げいつものように読んでいた、3面記事を読み始めた、、、「えっ!、なんじゃ、これは、、これは、、私が、、、書いた、恋文、え?、なんで、、、なんで、、なんで新聞にのっての~、、それも私の名前までタイトルになって、、、」そこには12~3年前に独逸留学した時につきあっていたエリスに宛てた最初の恋文が原文のまま掲載されたいた、、それも丁寧に日本語の注釈までつけてだぞ、、、私はすぐさま新聞社に抗議の電話をいれた「こんなもんはうっそぱちだ、誰がこんなうその手紙をもってきたんだ!、、裁判所に訴えてやる~」


次の朝、、私は急いで朝刊の3面を開いたそこにはエリスに送った二通目の恋文がまた掲載されていた、、このように毎朝、、朝刊には二人の恋物語が、林太郎の恋文を通してそれは”舞姫”の裏舞台を創作するストーリーのように掲載された。そして最後は日本まで追いかけてきたエリスを林太郎が会おうともせず僅かな金を弟達に託して追いかえすというとんでもね~グズ丸出し最低男の見本のような書き方で締めくくられていた。この最低男に読者は激おこだった、、、そしてしっかりと、タイトルは”陸軍軍医総監森林太郎のハレンチな恋物語”と毎回記載されていた、、、、



私は外に出られなくなった、軍医学校もあれから体調をくずしたという事で10日も休んでいる、家族は全員、妻の実家にいってしまった、、、


自宅に若い兵士が陸軍大臣からの手紙を持ってきた、、明日10時に陸軍省に出頭命令が書いてあった、、、、”あ~~あ~私のキャリアもここまでか~”

いったい誰がここまで手の込んだ事を、、 エリスをどうやって知ったんだ それも独逸にいるエリスと連絡まで取ってあの恋文を手にいれるとは、、、

私はもう考えることをやめた、、辞表を書いて明日、大臣に渡そうと思った。



そうだ私にはまだ未来がある、、おじが進める母校、日帝大医学部の第二外科の教授の椅子がまっていたんだ。






1901年7月のある日

第二外科医局


第二外科と内科で共同で発表した論文は国内で大反響となった、、これを読んだ医者は自分達の患者に米食をやめて納豆や麦飯、うどんを食わせるだけで次々治っていくんだ、みんなが体に必要な栄養素を理解した、そんなある日 第二外科医局長高橋勝次に宮内省の職員が一通の手紙を届けにきた、、


”かつじ”先生

「大変です、、大変です、、サリバン先生、、これ見て下さい、、宮内省から僕宛てに手紙がきてます、、何でしょうか、、こんなの怖いです、」



”尚美”

アチャ~、、やっぱりはずれか~こんな宮内省まで陸軍の手が回っていたのかな?~しょがね~こいつとはもう一蓮托生だよ、、、、


「私が見てもいいの~」



”かつじ”

「なんか気味が悪くて見られません、サリバン先生かわりに見て下さい、、」



私はその手紙を預かると読み始めた、、、、、そして、、、ウフフフフ、、フフフ、ハハハッハッハ~と笑い出した、、、そこには、、





"貴殿の発表した「脚気の原因と人間が必用な栄養素ビタミン」がおそれ多くも今上天皇であらせられる、睦仁むつひと陛下が国民のよりよい健康を考えて研究した成果に感銘をしたので国民にかわり、その功績を旭日章として授与するので7月10日午前10時に皇居宮内省の事務局に参内するように”と書いてあった。





私は笑いながら、、”かつじ”の肩を叩きながら手紙を見せた、、「やったじゃないか~、勲章だよ、勲章、旭日章を今上陛下から直接もらえるよ、、、」


”かつじ”

「エ~本当ですか~アレ~なんで陛下がこの論文知っているんですか~、、、でもこれは、、サリバン先生が書いた論文じゃないですか、、サリバン先生もいっしょにきてくださいよ~」



”尚美”

「ばっかだね~女がこんな論文書きました~なんて言ってみろ、、だ~れも評価なんかしないさ~そもそも女の医者はここに何人いるだい、、ゼロだろ、、ゼロ人、私だってただの上杉先生の助手だよ、、、”かつじ”が発表したことで世間が認めたのさ、、お前さんの成果だよ、、、、」そう言って喜ぶ尚美だった、、、、、、そうだハイリターンを勝ち取ったのである。



”かつじ”

「それでも一緒にいってくださいよ、、それとここ、ここ見て下さい、、なんか追加で書いてあります、、、、」



”僭越ながら、もし貴殿の都合がよければ9月1日付け陸軍軍医学校の臨時校長を勤めてもらいたいと陛下が希望しており前校長の不快な噂で陛下も気分を害され現場の改革をしてほしいとのこと、希望する人材がいればその人物も採用するとの事である、前向きな回答をまっております。”と締めくくられていた。


”結城”

家に帰ってきた姉さんは喜んで俺に報告してきた。、、ついに森林太郎の奴を引きずり下ろした、、最高の形だ。そして天皇が絡んできたってことはやっぱり陸軍は握りつぶしたんだ、、


天皇はそれを知っている、、もしかしたらそうなると思い天皇の直訴には陸軍大臣にも送ってありま~す、、大臣から何も言ってこなければこの国は終わりま~す、まで書いてやった。大臣は叱られているだろうな~と思った、、、、まてよ、、やばい、、やばいよ姉さん、、俺は”勝次”先生と一緒に陸軍軍医学校にいくつもりでルンルンになっている姉さんにアドバイスした


きっと連中は手ぐすねを引いてまっている、なんてたってメンツまるつぶれだ、、あほな上級国民の森林太郎を崇拝していたんだ、、それを天皇にチクった形になってしまっている、、俺は姉さんが前に医局でつかった”この印籠がみえないか~作戦”を思い出し、、参内にいく姉と勤務条件を考えて今回は天皇に直球勝負して許しをもらう事にした。ダメなら断ればいいだけさ、、、




産婦人科、原平蔵教授自宅


”原平蔵”

さっきほど森林太郎の奴を思いっきり叱ってやった、、、「何やってんだ~独逸まで行って恥をかくようなことをしよって、、、教授選までおとなしくしていろ~」、上杉先生もついに出馬表明した。儂はこれはサリバン先生が仕掛けてきたに違いなと思った、、なんせこっちはあの女を消しちまおうと思い刺客を送ったのだ、それが、、全滅じゃねいか~、、東京の淀川会も壊滅しやがった、、いったいなにものだ~あの女、、今回もそうだ、14~5年前のネタどうやって調べたんだ。そんな事は絶対知らね~だろよ、、内科の先生をもう一度切り崩すか、、、


それにしても、、第二外科中村正忠教授はうらやましいな~先生の論文が世界中の賞賛を受けたと新聞に書いてあった。日本人が世界の著名な医師達のスタンディングオペレーション儂もこんな権力闘争でなくワールドクラスの研究でもしてみたいな~なんかね~かな、、、、



1901年7月のある日


”結城”

先月第二外科の中村正忠教授がパリから帰ってきた、、医学部はもうお祭り騒ぎだよ、、世界中が日本人の作った血圧値のガイドラインが世界基準になったからだ,そして血圧の測定方式の基礎理論 ”ナカムラ音法”が新しい世界の医学書に日本帝国大學医学部が発案と記載され世界中のカルテに最高と最低の血圧値が記載されることになった。


医学部学部長,山口佐久衛門は大喜び、、新聞も先生の顔写真付きではじめてのノーベル医学賞か?と書き立てたが、、、、ノーベル賞候補者リストにものらなかった。


前にも言ったがそんなもんだよ、、日本人の扱いは、だが、、俺はもう仕込んだ、、来年の上杉先生のノーベル医学賞を確実にとるために中村先生が帰国したら次々送られてきたよ、、著名な海外の医者達から、、血圧を下げる薬を下さい、、、お願いします、、ものすごく効きました。、、すぐに平常値に下がりました、、こんなに効能がある薬は初めてです、、どうかお願いします、、薬をください、、、こんな手紙ばっかし、、ほぼ90人ちかく、、薬物学助教授城島洋介先生とは成分表と薬を渡してこの未来の薬ほどではないが近い新薬ができている、、未来の薬をちょっとだけまぜてひと月分ずつ送ってやる、、一生必要な薬だからな、、上杉先生が来年世界に発表する時にはこの90名の著名な先生達に活躍してもらうぜ、、フフフフ

え、、水銀血圧計の売り上げだって、、バカ売れ製造が間に合わない、、月生産5000台に上げてフル生産中全部言い値で買ってもらっているよ、、


それと姉さんがまたおかしな相談をしてきた、マイナス20度に耐えられる防寒具を考えろ~と言いだしてきた。それとインスタントカイロとかスノーシューズとかどのくらいいるの~と聞いたら230人分と言い出した。、何に使うの~と聞いたら詳しく教えてくれた、、、、あ~、、悲劇のあれか~、、、、

俺はさっそく準備をはじめた。




1901年9月1日

陸軍軍医学校講堂


”尚美”

私と高橋勝次は教授の計らいで医学部に籍をおいて出向と言う形でこの軍医学校へやってきた、、佐藤二等兵が従者という事で助手としてついてくれた、、彼は私達に「学生や教官たちが何か企んでいます油断しないでください、」とこっそり教えてくれた、、ここには一学年40名程で3学年までだ合計120名程、半分は平民出だこいつらはおとなしいからいいが残り半分は上級国民の子弟たちだ頭が切れて世間知らずの連中だ、、教官もそうだ、みんなエリートだほぼ全員が独逸留学組だよ、、今日来ている陸軍大臣なんか独逸こそが我々の先生だ~ぐらい思っている、、その先鋒だった森林太郎を始末した張本人が来たわけだから面白くないわけだよ、”勝次”ともその辺は打ち合わせ済み、、私から一発目を決めてやるさ、、、、、、


私達は講堂のステージの椅子に座っていた、、他に教官が10名に一応校長を兼任している陸軍大臣の池田源蔵が来ている、ここには普段はいない、、校長が不名誉除隊でいなくなちまったからな~


”勝次”や私を、追い出すつもり満々の顔していやがる、、フフフフ、、目の前には120名のやんちゃな学生達がお揃いの陸軍の専用学生服を着てすわっていた。



司会をしている教官が私達の簡単な紹介をした、、そして私から自己紹介の為ステージの中心に向かって歩き挨拶をしようとしたら。


前に座ってた小生意気そうな学生が立ち上がりステージの前にきて用意してきた文章を読み上げた、、


「我々学生一同はおなごから何かを学ぶつもりはありません、、おなごはここからすぐにでていってくれ、、、おなごがいるだけでこの崇高な学び舎がけがれてしまので消えてください。おなごが来る場所ではない!、学生代表、、阿部勝之助」



と言ったとたんに学生全員が立ち上がり「帰れ、、帰れ、、帰れ」の一斉コールが始まった、、ステージの教官や大臣を見ると誰も止めようとせず、みんなにやけた顔で笑っている奴もいた。打ち合わせ済みなのだろう。



私はこれをまっていた、、、、フフフフフフ、、ハハハハッハと笑いながら拍手をしてやったよ、、パチパチパチパチパチとそんなことをしたら学生達がおとなしくなった。



私はヤンキー尚美に凶変した、そしてかました


「オラ~そこの、そこの笑ている奴、、そうそう偉そうにしている、そこの陸軍大臣こっち来い~、こっちこい~て聞いてんのかな、、おめだよ~いけだ~げんぞう~てめいしかいねだろよ~、」


「てめ~とこの学生だろよ~何~教えているんだ!、、ふざけんなよ~」


「ほら、、こっち来て、、これを大声で読みあがれ!!、」



いきなりのサリバン尚美先生の凶変に驚いた、陸軍大臣はおどおどしながら近くに寄ってきた。そして渡された菊の紋が入った上紙を見てまさか!!、、と思い手が震えはじめた。



「はやく!!こいつらにこれを、読んでやれ!~~教官もよく聞きやがれ!」



”ここに着任した高橋勝次医師、および、英国医師、クリストファ・サリバン尚美この両名はこれからの戦場における救命救急医療を大きくかえていく人物である、よって両名が指導する内容には必ず従う事、また気分を害する発言には気を付けるように、特に、何度も書くがこの英国医師、クリストファ・サリバン尚美の気分を害さないように、言葉、態度、目つき、行動、接する際の挨拶まで忖度するようになお彼女の発言は全て我、睦仁むつひとの言葉と思うように それでも逆らうものは英国医師クリストファ・サリバン尚美が決めた罰則を我、睦仁むつひとが全て許可することとする、最悪すなわち余に逆らった非国民として全国に発表して家族も含め国策に関わっている親族は非国民の家族となるのでその職務から外れる事とする。


最後にこれは陸軍大臣にも適用とするもう一度言うが陸軍大臣池田源蔵にも適応とする。”




明治天皇、睦仁むつひと陛下の御名御璽、それとどでかい印が真ん中にしかっりと押されていた。








つづく、、、、、、、








1901年7月10日午前10:30

皇居、謁見の間


高橋勝次先生の勲章授与のあと尚美は陸軍軍医学校の勤務条件を渡した。



”明治天皇 睦仁むつひと


「これが、、軍医学校の勤務条件、えっ、これな~に、これは面白いね、これは面白いよ、あそこは変な奴らばっかりだし、そうだこれに陸軍大臣池田源蔵もたしちゃっていい、、ここの最後に書いてもいいかな~あいつ嫌いなんだよね~何だったらさ~、尚美先生が気にいらなければ首にしてもいいよ、、僕じゃ立場があってさ~、、な~にもできないんだ、、


国の兵士が病気や脚気で死のうが笑いながら仕方ないって言ったんだ、ゆるせないよ、、自分達のプライドが高くて何でも独逸、、独逸、、ここは日本だ~て言ってやりたかったよ、、ホント、、尚美ちゃんて呼んでいい、、あいつらにガツ~ンとやってきてよ、、、がんばってね、、」


「オ~イ次官、、僕の印鑑と、、あとあのでかい印鑑も、、、間違わないでね、、でかい印鑑、国印だよ~、、それとペンもわすれないでね、、」


そして両手でお盆に入ったでかい印鑑を次官がもってくると、、書面の真ん中にどか~んと押してくれた、それと菊の紋が入った上紙も用意してあった。


「尚美ちゃんあとでどうなったか教えてよ~こんな楽しい事久しぶり、、晩餐会でも呼ぶからさ~そん時教えてね~、、えっ、弟さんも呼んでほしいの、、ぜんぜんいいよ~、二人で来てね、、」






とってもフレンドリーな明治天皇だった。





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