第37話 結城と尚美、雪中行軍の準備はじめる。
1901年10月のある日
横浜山手町フェリス女学院
私の名前は日野明子、来年春に卒業である、英語が好きで一生懸命勉強した。
横浜に住んでいるのでよく外人さんの道案内や少し通訳のような仕事もした。
この語学力で何か仕事をしたいな~と思っていたが、だがそんな都合のいい会社なんてない、みんな男の仕事だ女はお茶くみか,すぐ見合いをして結婚、そして子育てで人生は終わる。私の周りでもすでに婚約している同級生は大勢いたそれが普通だ。
私はぜったい違う人生を送ってやる、もっともっと大きな世界を知りたい、でも、そんな仕事はないだろうと就職案内を見に来た。
そこには人だかりができていた。教務員室の前の連絡板に張られた来年春卒業生の就職案内をみんながじ~とみていた。
そこには、やる気のある女子は大募集と書いてあった、英語か、仏蘭西語、独逸語、どれかの言語が堪能が条件となっていた。勤務条件を見てとてもビックリした。
基本は各商社への派遣業務と書いてある、派遣てな~に?と思ったが、お給料は派遣先との契約になるが毎月最低(20万円)、なに~~男子学生の初任給が(15万円)なのに~、それが、最低だよ~、最高はいくらもらえるんだよ~仕事をしながら、社内で行う語学特殊技能の検定で合格した場合、希望者は正社員として採用、その場合は年俸制度に切り替え(400万円)からスタート
”ドカ~ン、、私はぶったまげてしまった!!”
正社員は結婚後も仕事を辞めなくてもいいと書いてあった。そんな会社なんて無いよ~、なに~産休制度、なんじゃこれは、1年間の産休を会社が認めていて、休暇中はお給金も60%支給すると書いてあった。
他に子ども手当、通勤手当、有休休暇制度、病気保健制度、夢のような、募集要項だった。これが都内のすべての女学校の連絡板に張られたのである。
その会社は五条商会人材派遣部、履歴書を送付する為に私はいそいで連絡先をメモに取った、、募集した全員を得意語学で面接すると書いてあり、募集人数はいっぱい採用と書いてあった。それを見てちょっとお茶目な会社だな~と思ってしまった。
1901年9月のある日
”結城”
姉さんが以前言っていた極寒の装備のついての相談とは1902年1月におきる八甲田雪中行軍遭難事件だ。
日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森県の青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件、訓練への参加者210名中199名が死亡
日本の冬季軍事訓練において最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大の山岳遭難事故である。
俺はなんかうまく理由つくってさ~こんな雪中行軍やめされば~いいんじゃないのと言うと
姉は「ほんと~よ、こんなバカな軍上層部が考えた雪中行軍はやめさせたいわよ~、」
「でもなんて~言って辞めさせるんのよ~”あの~皆さん、遭難して人間氷のようになって死んじゃいますよ、雪中行軍はやめて下さいね”~でやめんの、」
「この計画はぜ~んぶロシアとの戦争が絡んでいるんだ、冬季に津軽海峡からのロシア軍侵攻で海岸沿いでの輸送が止まった事を想定してのソリでの輸送訓練なんだよ、帝国陸軍の全体がもうロシアとの戦争を真剣になって考えているだ~仮にいろいろな人の力を借りて今回止めても、また必ず日を改めてやるよ」
「それだったら、あんたと私でここにある未来の便利品を使って、ちょっと怖い冬山を経験させながら無事全員で目的地の温泉に私は行こうと思っての、」
「それで、怖い思いをしながら成功すればもう満足してやらないよ」
「ほら、町内会の会長が置かせてくれって言っていた。災害備蓄品でなんか使えるもんでもあるか見に行くよ、」
”結城”
「え~、それじゃ~姉さんも雪中行軍について行くのかよ~、」
”尚美”
「そうよ~、あんたも行くのよ~~」
俺はもうあきらめた、、こいつが言い出したら絶対やるつもりだ!
爆弾低気圧の中でー20度の山中に2泊3日するつもりだ中1日は絶対に身動き出来ない天候だ3日目で天候は少しよくなる。その3日目の昼までに田代新湯にいくつもりだ
具体的な行動計画は別として210名の参加者を無事に連れて帰ると決めた姉さんと俺は備蓄品をあさった。
この時代の人も驚く品物かもしれないが関係ないよ、自分の生き死に関わる問題だ、喜んで使ってくれるよ
備蓄品は250~300人程を対象とした量がおいていた、食料は3~4日分、冬の電力やガス、水道が止まった状態での備蓄内容になっている。
使える物をどんどん出した。
”結城”
「すごいよ~、、これだけ、あれば何とかなるかも知れない、、」
「あとは、防寒着と頑丈なテントだ、それと軽量なソリとリュック、それに防寒靴、まだまだあるが日本より寒い国なんかいっぱいある、そんな国から輸入してやる、時間がない、早く手配しよう、いったいいくらかかるやら、えっ、な~に姉さん、金より、命が大事、そりゃそうだ。」
それから俺と姉さんは他に何がいるか、、いろいろ相談した、この時代にない物は、職人に頼んで作ってもらう事にした。あと3ヶ月あまり時間がない、
1901年11月ある日
私立沖縄高等女学校
”比嘉タマエ”
学校の案内掲示板を見ていたら、おもしろい募集を見つけた。
”全国のうら若き女子の皆様へ、商品企画の大募集、普段の生活で困っている事、、こんな物があれば便利なもの、こんな素敵な洋服がほしとか、なんでもいいで~す。 皆さんの発想や創造、工夫など大募集、すばらしい創意、工夫は賞金(3万円)、、他に商品化され売り上げ貢献できる創意、工夫については別途契約させてもらいます。
みなさ~ん、、いっぱい応募してね、、五条商会、、住所、、
私はこんなことを募集する会社初めて見た。私は生理用品で困っていた、うまく固定することができない、、そんな固定ができる下着があれば便利だと思い自分で考えた下着についてあまりうまくないが絵を描いて説明をつけて送ってみた、、1ヵ月後、、賞金(3万円)の為替手形が送られてきた。
それと手紙がついてきた。これは商品化を考えたいと思っています。その際にはまた連絡します。 それと東京のうちの会社で働いてみませんか‥‥
あなたのような女性の恥ずかしい話を積極的に創意、工夫できる人を大募集しています。ぜひ面接させてください、、興味があるようでしたらお手紙下さい、、(旅費と日当お支払いします。)
私は飛び上がって喜んだ、こんな島の生活に我慢出来なかった。
本土に行くことは私の夢だ、すぐ返事を書こうと思った、学校もやめてやるつもりだ、、、
青森第一高等女学校
”工藤久江”
”全国のうら若き女子の皆様へ、、商品企画の大募集、~~~~~~
じ~と私は掲示板を見てた、、ほかに数人興味があるようだ住所を書いていた。変な会社だと思ったがこうやって女子の意見を聞く会社は初めてだ。
私は洋服を作るのが好きだ、家の者には言えない、だって~うちの家は呉服屋だよ~、、その娘が洋服が大~好きなんて言えるもんか~
この最後に書いてある、こんな素敵な洋服がほしい~に惹かれてしまう、私はこっそりいろいろな洋服を創造してデザインと言う物をいろいろ書いている。
これを送ってみるかな~と思って私もこれに応募した‥‥1ヵ月後、賞金(3万円)の為替手形が送られてきた、、それと手紙が、、、
あなたのようにできる人を大募集しています。ぜひ面接させてください、、興味があるようでしたらお手紙下さい(旅費と日当お支払いします。)
私は決めた、、呉服屋は弟がやればいい、私は好きな道を行くことにした。
俺と姉さんと今年春女学校を卒業して五条商会で働いている愛ちゃんと3人で応募してきた内容を見ていた。、やっぱりこんな時代でも、、やる気のある女性は大勢いたじゃないか、、これだよ、これこれ、、こういう女性を埋もれさせてはいけないできるだけの事はしてやろうと思った。
1901年11月ある日
桜田門近くにある陸軍参謀本部
”児玉源太郎陸軍中将”
「阿部中佐このあいだの予備役の原隊復帰命令ではどのくらいの人数が集まったんだ、そうか、1万2千人が集まったか、前の日清戦争を経験した兵士は貴重だ、、来年から新兵の徴兵もはじまるからのう~」
「こいつらが鍛えてくれなければ強い軍はできん、、ところで、、お前は何型じゃ、A型か~、、儂と会わないのう、、えっ、儂かAB型じゃ、、あれ、、確かお前の息子が進言したんじゃなかったか~」
「これは素晴らしいという事で参謀本部が最初にみんな調べてもらんたんじゃが、、みんなに聞いとるんじゃが、参謀本部にはAB型が儂しかいなんじゃ、、えっなんだって10%しかいない~」
「AB型は貴重だと~、誰が言うちょる、息子の教官が言っているって、資料がある、見せてみ~、血液型の割合、A型が40%、O型30%、B型が20%、AB型が10%、調べはじめたばかりなのに、なんでこんなことがわかるんじゃ?、、まいっか、、中佐もAB型探してくれ、、なんかあった時の保険じゃ~」
つづく、、、、、、




