第18話 くだらない
「小凪……」
明らかに不機嫌そうな小凪に、俺は恐る恐る声をかける。
しかし小凪は口を閉じたまま、じとーっとした視線を送ってくるのみ。
なんというか、今の小凪、送られてきたスタンプの犬と同じような目をしている。
「小凪、えっと、お疲れさま」
用事がいったいどんなことだったのかはわからないが、とりあえずと労いの言葉をかけてみる。
しかしそれにも返事をせず、小凪はゆっくりと近づいてきた。
「カノジョがいない間にナンパ?」
「ちっ、違うって。一原さんとは門のところで偶然会って。小凪を待ってる間、話し相手になってもらってたんだよ」
浮気現場を目撃した妻さながらの迫力で問いただしてくる小凪に、俺は戸惑いながらそう答える。
実際は兄妹だというのに、よくもここまでリアリティある演技ができるな。
「ふぅん? でもたしか、小百合はに……夜露がタイプだったよね?」
「ふふっ、そうですね」
「……」
「待て、俺を睨むんじゃない」
頷く一原さんを見て、小凪は鋭い目をこちらに向けてくる。
というか、一原さんも素直に肯定しないでほしい。いっそうややこしくなってしまう。
「にい……夜露のすけこまし」
「だから違うって」
若干『兄さん』が抜けていない小凪は、浮気を非難する彼女らしく罵倒してくる。
いや浮気とかしてないし。
いまだご立腹といった様子の小凪は、ため息を一つこぼして「どんな話してたの?」と尋ねてきた。
「小凪さんと夜露さんの馴れ初めをお聞きしておりました」
俺が答えようとした寸前、一原さんがやや高い調子でそう答えた。
その表情は先ほどのように生き生きとしていて、そのままマシンガンのように話し始めそうな勢いである。
「馴れ初め?」
「はい。夜露さんから告白されたことや、いつ頃からお付き合いを始めたのかなど」
「へぇ……」
一原さんの話を聞きながら、小凪は「なに勝手に答えてるの」と抗議の視線を俺に向ける。
くっ、下手に誤魔化すのもあれだったから、作っただけなんだ……どうにか察してくれっ。
その意図を込めて苦笑を返すと、呆れた様子の小凪は一原さんへと向き直す。
「小百合」
「はい、なんでしょう?」
「コクったの、あたしだから」
「ちょっ!?」
わかってもらえたかと思ったのだが、どういうわけだか小凪は俺が作った話を易々と否定した。
口裏を合わせる必要があるってのに、どうしてそんなことを……っ。
そう焦っていると、小凪は俺を制するかのように「大丈夫だから」と続けた。
いったいなにが大丈夫なのだろう。お兄ちゃんちょっとわからない。
「べつにコクったこと知られたって、恥ずかしくないから」
そういう意味の「大丈夫」か……いやあの、だから一ミリも大丈夫の要素がないんだが。
しかし、こうして小凪が言ってしまった以上、俺が話を合わせるしかあるまい。
「あらあら、そうでしたの」
一原さんは俺と小凪を交互に見ながら、より瞳を輝かせる。
いったい、一原さんの目には俺たちが今どう映っているのだろうか。
表情からして恐らく、嘘つきではなく微笑ましい、初々しい恋人だと思われているはずだ。
変に違和感を与えずに済んだ、のか?
「ふふっ、夜露さんはやはり可愛らしいお方ですわね」
「い、いや、可愛いとか言われても嬉しくないんだが……」
反応に困りそう返すと、いっそう愉快そうに一原さんは「ふふっ」と笑った。
くっ、白夜に続いて一原さんにもおもちゃにされている気がする……。
「そ、そろそろ帰るか、小凪」
敵わないと思い、俺は小凪にそう提案する。
「そうね」
「夜露さん、よければ校門のところまでご一緒させてください」
「いいけど……イジらないでくれよ?」
「ふふっ、善処しますわ」
「……ばか」
一原さんに振り回され、なぜか小凪は再び不機嫌になり、落ち着くことなく俺たちは図書館を後にした。
ーーーーーーーーーー
小凪と一原さんに挟まれて慣れない廊下を歩き、昇降口の正面まで戻ってきた。
あとは校門を過ぎ、家に向かうのみ。
図書館にいたときは忘れていたが、こうして歩いているとやはり場違い感があり疲れたので、一分一秒でも早く帰りたい。そして寝たい。
そんなことを考えていると、不意に不愉快な笑い声が聞こえてきた。
「あら? 空垣さん、もしかしてそちらの方が新しい彼氏ですか? ずいぶんと冴えない顔をしてますわね」
一原さんと似た言葉遣いだというのに上品さの欠片も感じられない嫌味ったらしい声音。その声に込められた悪意に俺は察した。
コイツが、小凪のありもしない噂を流したやつか。
声のしたほうへ向いてみれば、そこには長い髪を脱色した、悪役に似つかわしい笑みを張りつけた女子が取り巻きと共に立っていた。
彼女の発言に、辺りにいた生徒たちは足を止め小凪や俺へと視線を向ける。
「小凪、説明頼む」
「……影石さん。気に入らない人をとことんいびる人。最近、やけにしつこいの」
「なるほど」
小声でやり取りをしつつ、俺は気づかれないよう小さく苦笑する。
……十中八九、犯人だよなぁ。
しかし、なるほど。いつかは解決したいと思っていたが、まさかタイミングよく会えるとは。
あの日小凪が浮かべた表情を思い出しながら、一歩前に出る。
「あら、かっこつけていますの? そんな庇うように立って」
「まぁ、そんなところだ」
そう答えると、影石一同は嘲るように笑いだした。
「ふふっ、ごめんなさいね。冴えない顔でかっこつけるものだから」
「残念だが、小学生みたいな嫌味に乗るほど俺は子どもじゃないんで」
「……」
嘲笑から一転、気に食わなそうに真顔を浮かべる影石さん。
散々煽ってくるのに、煽られるのには耐性がないんだな。
「それで、俺の彼女になにか用か?」
「俺の、カノジョ……」
少し圧を乗せて影石さんに言葉を投げると、なぜか小凪が恥ずかしそうに復唱した。
ちょっ、かっこつけて言った分、復唱されると恥ずかしいんですけど……っ。
なんて言葉は呑み込んで、できる限り余裕のある態度を作り睨みつける。
やや目つきが悪いと評されるだけあって、影石さんは怯んだように半歩下がった。
「べ、べつに、用というほどではありませんけど。別れてから一ヶ月も経たないうちに新しい彼氏を作るだなんて、やはり噂は本当のようですわね」
「噂、ねぇ……」
後退りするところをバッチリと見られているというのに、よくもまぁ挑発できるよな。
ある種の図太さに感心しつつ、ふつふつと沸き上がってくる黒い感情を深呼吸で鎮める。
「ご存知ありませんか? そこの空垣さんは、頼まれれば誰とでも肌を重ねると噂になっているのですよ」
あなたもそういう目的で付き合っているのでしょう、と人の神経を逆撫でするように嘲笑してくる影石さん。
いるよなぁ、人のこと悪く言うときは饒舌になるやつ。
そんなことを考えながら、俺はわざとらしく「ふっ」と大きく苦笑する。
「おいおい、まさか根拠のない噂で人を誹謗してるのか? それは人としてどうかと思うが」
「たしかに、なにも知らないあなたからすればそうかもしれませんわね」
ですが、と声音を上げて影石さんは続ける。
「空垣さんが以前付き合っていた方は、誠実でまさに紳士のようなお方だったのです。その方は空垣さんに尽くしていたというのに、空垣さんは無情にもフッたのですよ」
ただの説明に、明らかな怒りが漏れ始める。次第に瞳も怒りに染まり、鋭くなっていた。
ここまで感情を露にされると、恋心の存在を察しずにはいられない。
ただ敬意があるだけでは、ここまで感情的になるとは思えないから。
「あの心優しい方をフるだけでも信じられませんのに、空垣さんは新しい彼氏を作るだなんて、軽いとしか言い様がありません」
だからそんな噂が立つのですよ、と彼女は小凪を睨む。
アイツのことを思い浮かべているのか、影石さんはどこか悲しそうに「お可哀想に……」とこぼす。
……なにも知らないのは、どっちだよ。
じわり、と黒い感情が心に広がっていく。
アイツの上っ面に惑わされ、被害者である小凪を責め立て、悪質な噂を流し、貶めて。
小凪がアイツに振り回されて泣いたこと、心ない噂に傷ついたこと。お前は、お前らは知らないんだろ。
真実は別にあるというのに、考えない。信じたいことだけしか信じず、気に食わないものを悪とする。
恋は盲目? くだらない。そんなのただ正当化してるだけだ。本当に、
「くだらない」
「……なんですって?」
俺の漏らした言葉に、影石は怒気を孕んだ様子で睨んでくる。
「聞いてりゃ一方的に好き勝手言いやがって。話してることが主観的で、結局根拠らしい根拠はねぇだろ」
次々と、口から言葉が流れ落ちる。
「お前の話を聞いてるとさ、小凪がやったことって元カレをフって俺と付き合ったってだけだよな? それって、ただ単に元カレと馬が合わなかっただけだろ? そりゃ期間は短いかもしれないが、そんなにおかしいことか?」
「おっ、おかしいですわ! あの方は誰にでも優しくて、誠実で、紳士的で、素晴らしい方ですから!」
「それが主観的だって言ってんだろ。そりゃお前にはそう見えてるかもしれんが、少なくとも小凪はそうじゃなかった、それだけの話だろ。客観的な情報もなしに言いくるめられると思うなよ」
そう返すと、影石は悔しそうに唇を噛む。反論が浮かばないのだろう。
「まぁ、客観的な意見なんて言えないよな?」
「ど、どういうことかしら?」
「好きなんだろ? 見てりゃわかる。好きでもない、ただ人気のあるやつのためにそこまで怒れないからな」
「っ! べ、べつに私はっ……っ!」
図星だな。まぁ、本当に見ればわかることなのだが。
羞恥と動揺に染まる表情に、予想通りすぎて笑いが込み上げてくる。
「お前は好きなやつに選ばれた小凪に嫉妬してただけだろ? だから小凪を攻撃して、不満を解消してただけなんだろ?」
「ちっ、ちがっ」
「なにが違うんだ? 相手を納得させられる言葉を持ち合わせずに、ただただ感情に任せて小凪を攻撃してから、身勝手にもほどがあるだろ」
「っ! ちがっ、わっ、私は、彼が悲しんでいたから……」
「悲しんでたから? そんな理由で小凪の根も葉もない噂を流したのか? 違うだろ。それなら普通、小凪になにかするよりも前に慰めたりするんじゃないか? 嫉妬心で小凪しか見えくなってたんだろ? 憎くて憎くて、小凪を貶めることしか考えられなかったんだろ?」
「ちがっ、私はっ彼のことを思って!」
「それしか言えないのか? あと、否定し忘れてるぞ、噂のこと」
「……っ!?」
俺が指摘すると、影石はハッと目を見開いた。
こんな単純な手に引っかかるとは、などとは思わない。狙ってやったことだし、むしろ予想通り引っかかったことに笑えてくる。
「で、どうなんだ? お前が流した噂に、根拠はあるのか? 証拠はあるのか?」
どうなんだと問い詰めると、影石はその場に崩れついに泣き出した。
俺、同年代の女子を泣かせたのでは?
声を上げて泣く影石の姿に、冷静さが顔を出す。
しかし、こいつは小凪を苦しめたやつだ。やりすぎたかなとは思うが、同情はしない。手加減もしない。
ふっ、と短く息を吐いて、影石に向かって歩きだす。
影石の取り巻きは近づいてくる俺に、怒りと恐怖が交ざったような視線を向けてくる。
影石本人はというと、足音で気づいたのか顔を上げてこちらに目を向けた。
「嫉妬心に駆られて悪質な噂をでっち上げ小凪を傷つけて、他人に理由を求めて自分がやったことの責任も負おうとせず、感情任せなことしか喋れないで、今日会ったばかりのやつになにもかもバラされて、本当に──くだらない」
「っ」
最後に言いたいことすべてを吐き出すと、影石はくしゃりと顔を歪め幼児のように大泣きをしだした。
もはや誰も喋らない。影石の取り巻きも、偶然居合わせたガヤも、一原さんも、小凪も。
うずくまって泣きじゃくる影石に、俺は最後にもう一つだけ言葉を投げる。
「もう二度と小凪に余計なことをするな。いいな?」
影石は顔を上げることなく、ゆっくり頷いた。
それを確認してから、俺は踵を返し小凪のもとへと戻る。
「帰るぞ、小凪」
「う、うん」
どこか唖然とした小凪の手を取り、俺はまっすぐ校門へと向かう。
はぁ、疲れた。早く寝てぇ……。
この歳になって生まれた黒歴史に内心悶えつつ、俺は天を仰いだ。
「……兄さん、ありがと」




