最終話 リサと僕の約束
ウェイドが気を失ったのを確認したニコはすかさず床に落ちた愛剣を手に取り、ウェイドの胸へと切っ先を向けた。
ウェイドは気を失っているだけだ。星夜を無事に越える事が出来たとしても、彼はまた同じことを繰り返すかもしれない。それを止める為に、今ここで止めを──
「だめよ、ニコ」
剣の柄を力の限り握りしめたニコの手に、ふとひんやりとしたリサの指先が触れる。
「リサ。しかし……」
「ウェイドを殺しては駄目よ。彼が生きているはずの未来を変えたら、また何が起こるかわからないわ。それに──たとえどんな理由があったとしても、ウェイドを手にかけた事を貴方は思い悩み、それを一生背負うことになる」
そんな事はさせない。だから剣を下ろして。
ニコの手を握り、そうささやくリサの言葉にニコは何処か肩の力が抜け、救われた様な気がした。
殺人鬼の正体はウェイドだった。
トマソンとブランタさんの名を借り、剣術武闘会に出場して好成績を残した事実と合わせて、この書斎を調べれば殺人鬼事件の犯人とウェイドが繋がる証拠は出てくるはず。そうなれば、彼を捌くのは法律だ。
それに──
「メレフェンの懐中時計がなくなればもう時を戻ることも出来ない、か」
ウェイドの首にかけられた輝く懐中時計を手に取り、ニコは自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。
事の元凶はこの懐中時計だ。これがなくなれば、悲劇はもう生まれない。
しかし、触れたものを不幸にするとはまさにこの事か。
「……それにしても、君の安全の為に父の旧宅で『日が落ちてから来てほしい』とは言ったが、まさかこの時代のリサに扮装してくるとは思わなかったよ、リサ」
「これはトマソンの案なの。『屋敷の中に入りたいのであれば、リサ様のドレスを着て行けば安全なはずです』って」
「……最初から最後までトマソンに助けられたわけだな」
テムジンの旧宅で、トマソンの名を知る人物がウェイドであることを聞いたニコは、一連の首謀者、もしくは首謀者につながっている可能性が高いウェイドに直ぐ問いただそうと屋敷に戻る事を考えた。
だが、周囲にはいまだリサの身柄を確保するために衛兵や自警団達が検問を設け、捜索活動を行っている。そのためリサには動きやすくなる日没を待って来てもらうよう伝えていた。
「見てニコ、星夜よ」
夜空に瞬く星たちのダンスを見上げるリサが小さくかすれるような声で囁いた。
リサの傍へ立ったニコの目に映ったのは、絶え間なくまるで雪の様に巻い続ける星たち。
その星たちを見上げたニコの視界にふと時計の針が映った。
天を突いていたその針はすでに地に落ちようとしている。それはつまり──
星夜を越えたという事実。
「リサ、ひょっとして僕達は未来を?」
「……ええ、『元に戻った』のよ、ニコ」
くるりと星空から視線をニコに移すリサ。その表情はとても柔らかく、穏やかで──とても美しかった。
「『戻った』って……」
未来を変えようとしていたのは、本当はウェイドだったという事を君は知らないはず。
「戻ったの。この10年……10年後、私がメレフェンの懐中時計を手にするその時までの記憶が」
「……ッ!」
記憶が戻った。
リサのその言葉でニコはすべてを理解した。
ウェイドが変えようとしていた10年後の未来。そこでリサと結ばれるはずのウェイドの企みが今日失敗したために、「ウェイドと結ばれるリサの未来」に矛盾が生じ、時の流れがそれを修正したんだ。
そして、もとの10年間の記憶が蘇った。
その事に安堵の表情を浮かべるニコ。
だがそれは──もう一つの矛盾点の修正が始まる合図になった。
「でも時間が来てしまったみたい」
「……!?」
そう言って小さく肩を竦めるリサ。
まるで星の光に溶けていくように、リサの姿がうっすらと消えかかっているのがニコにははっきりと判った。
決して重なる事が無い、二つ以上の時の流れが一点で重なった時に発生する矛盾は、時の流れによって修正され、1つの未来に融合される──
ウェイドが語った言葉ニコの脳裏に浮かぶ。
リサは……10年後から来たリサは消えようとしている?
「待てっ! 早く懐中時計を使って、10年後に戻るんだリサ!」
そうすれば君は消えなくて住む。
そしてそこには、僕が待っているハズだ。
だが、ニコのその言葉にリサはただ、嬉しそうに微笑むだけだった。
「……無理よニコ。私が持ってきた懐中時計は消えたわ」
「な、なんだって!?」
「最初からこうなるかもって覚悟してた。だってそうでしょ? 未来が変わって、私は……ずっとニコと一緒にいるはずだもの。こうして過去に戻る私は──居ないはずだもの」
馬鹿な。
ふざけるな。
僕にこの事を伝え、僕を助ける為に命がけでこの時代に来たリサが何故消える必要がある。
「駄目だ! 何故君が消える必要がある! そうだ、この時代の懐中時計を使って──」
「もういいのニコ! 貴方が一緒に居るべきは私じゃなくて……この世界のリサでしょ!?」
貴方は星夜の夜に、私に愛の言葉を伝えるんでしょう。
そう続けるリサにニコは言葉を失ってしまう。
目の前の彼女は紛れもないリサ本人だが、彼女が言う通り。僕が愛するリサは──居城に居るリサだ。
心の中でそうささやくニコだったが、彼の足は何もせずにこの場を立ち去る事を拒絶した。
「……君を……君をひとりにして行くわけにはいかない」
「……フフ、そんな悲しそうな顔をしないで。私は幸せよ? なぜだか判る? ニコとの幸せな記憶が私の中に蘇ったからよ。それがあるだけで、どんなに幸せか」
強がりではない、心のそこからそう思ったリサは笑顔でそう口にした。
「……私はニコと出会った『あの場所』に居るわ。だから早く行って、ニコ」
さぁ、早く。
突き放すようにそう言うリサ。
だが、ニコは──そんなリサを抱き寄せると、ぎゅうと力強く抱きしめた。
「……ッ!? ニコ、何を……」
「……絶対に君に……絶対に同じような辛い想いはさせない。必ず君を幸せにするよ。もう絶対に……離さない」
「……ッ!!」
ニコの腕の中の温もり、懐かしいニコの香り。そしてニコの暖かい言葉。
それはリサにとってかけがえのない、そして二度と手に入らないと思っていたプレゼントだった。
そしてそのすべてに、リサの頬を優しい涙が伝う。
「……ああ、ニコ」
「愛しているよ、リサ」
「私もよニコ。貴方にもう一度会えて……本当に……本当に良かった」
ニコの両手に感じるリサの温もりがふと消えかけていく。
その声も薄れ、輪郭がぼんやりと薄れていく。
「リサ、ありがとう」
そっとニコはリサの頬に両手を添えると、静かに笑うリサへ優しく唇を重ねた。ひんやりとしたリサの唇が、静かに、音もなく消えていく。
そして刹那、リサの頬を伝っていた涙が、まるで星夜の星達に連れて行かれるように、輝きながら、夜空に消えていった。
***
あれから10年が経った。
今思えば、夢だったのではないと感じてしまう、まるでおとぎ話のような出来事だったと窓辺に立つニコは思いふけっていた。
あれから直ぐにウェイドは殺人鬼事件の犯人として逮捕される事になった。
犯人が持っていたとされる剣と衣服が書斎から見つかり、そして剣術武闘会のあの書状が偽装だと判断され重い刑に処される事になった。だが、リサの口添えを貰った辺境伯が終身刑を求め、今はパラミシアの地下牢獄へ投獄されている。
時の流れが正常に戻った為に彼の中で僕に対する憎しみが弱まったのか定かではないが、ウェイドは模範囚として刑期を過ごしているようで、今後終身刑から減刑される可能性もあるらしい。
そして彼を狂わせる事になった、メレフェンの懐中時計は金庫へ入れられ、誰も立ち入ることができない地下へと収められた。懐中時計を破壊するという考えもあったが、ウェイドの殺害と同じく時の流れに狂いが生まれる事で、別の異変が置きてしまうかもしれないと考えたからだ。
「父上ッ!」
「お父様っ!」
突如背後から襲いかかってくる様な2つの甲高い声がニコの鼓膜を揺さぶった。
今年で9歳になる、息子のベルタと、娘のアンジェリカだ。
「時間です!」
「その時です!」
「……時間です、じゃない。リサの手伝いは済んだのか?」
「はいっ!」
元気よく返事を返すベルタとアンジェリカ。
ふたりともその腰には特別オーダーした小ぶりのレイピアがぶら下がっている。
流石はニコとリサの血を引く子供だ、と言うべきか、どんな遊びよりも2人が夢中になっているのは剣術だった。
「……お父さんに剣を教えてもらうって、メイドも真っ青なテキパキとした動きで洗濯、掃除は直ぐ終わっちゃったわ」
2人の子供を追い、ニコの部屋へと現れたのはリサだった。
すごいわね〜、と満面の笑みをこぼしながら頭をしゃかしゃかと撫でられた2人はこぼれ落ちる笑顔を母に返す。
「本当か、リサ。……やるな、ベルタ、アンジー」
「えへへ」
そんな2人の子供に、呆れたように肩をすくめるニコ。
それはニコなりの「諦めさせる為の方便」だった。
幼い子どもに剣を握らせる訳にはいかない、とニコが剣術を教える条件に話していたのは彼らが最も嫌いな「家事手伝い」だった。
それを条件にしておけば、彼らは諦めるだろう。
そう考えていたニコだったが、直ぐにその考えは甘かったと打ちのめされる事になった。
メイドの仕事を奪うかの如く、ベルタとアンジェリカは頼んでも居ない掃除や皿洗いまでこなすようになったのだ。
「王室騎士『だった』お父様に剣を教えてもらう為だからねっ!」
当然でしょう、とリサ譲りの勝ち気な性格を持ち合わせているアンジェリカが鼻の穴をぷくりと広げる。
「わかったわかった。直ぐに行くから、中庭で待ってろ」
「やった!! 早く来てね!!」
きゃっきゃと喜びの声を上げながら、足早にニコの部屋を去るベルタとアンジェリカ。
その姿を困ったようでも有り、嬉しそうでもあるような表情でニコとリサは見つめていた。
「王室騎士『だった』って」
「まぁ、間違いではないが」
ふふ、と笑みを浮かべるリサに、ニコは気まずそうに鼻の頭を掻く。
10年前、あの事件の後──ニコは剣の道を諦めた。
王室騎士を辞め、ウェイドの代わりにテムジン商会を継ぐ事に決めたのだ。
ウェイドへの償い。それも理由の1つとしてあったが、10年前、パラミシアの街に戻った時に知った、陰ながらニコの剣術への道を応援していたという父の本当の気持ちに、ニコの中にあったわだかまりは消え、父の商会を守りたいと考える様になっていたからだ。
そしてリサは、そんなニコの決断に賛成した。
「ほんのわずかしか在籍してなかったから、『元』と言われるとなんだか騙しているような気分になる」
「フフフ、でも所属していたのは本当なんだから、いいんじゃないかしら?」
「そうなんだがなぁ。それに……最近彼らの剣の上達が早くてね。少々骨が折れるんだ。君にも手伝ってほしいよ」
「あら、元王室騎士とは思えない言葉。辺境伯令嬢のわたくしに剣を教えよ、と?」
「運動不足の令嬢には最適だと思うけど?」
そういってクスクスと笑い合う2人。
窓から差し込むパラミシアの日差しが2人の身体を照らす。
とても幸せな時間だ。
笑うリサの姿を見て、ニコはそう感じた。
「そういえば、今夜の星夜の夜は皆で食事を?」
「辺境伯の居城へ行こう。きっと喜んでくださる」
「そうね」
星夜──
その言葉を聞いて、ふとニコは10年前の記憶が蘇った。
10年。
そうだ、あれから10年が経った。
僕を助ける為に時をさかのぼって来たリサが居た時代と同じ10年後──
そしてふと、ニコはリサを優しく抱きしめた。
「……な、なに? ニコ?」
「約束は守っているよ、リサ」
「……え?」
そして、これからもずっと君を守る。
そう続けるニコの言葉に──何故かリサの頬には一筋、涙がこぼれた。
一筋、そしてもう一筋と、途切れること無く、涙がリサの頬を濡らす。
「……え? え? 何これ? なんで私涙なんか──」
わけも分からず涙を拭くリサ。
そんなリサにニコは笑顔を送る。
「涙を見せる君も好きだよ」
「な、何言ってるのよッ!!」
きゅっとその手を握りしめ、真面目な表情で歯が浮いてしまう言葉を言い放つニコに、リサは顔をほてり上がらせる。
10年後のリサ。
リサのその手は、あの時、雪原に現れたリサのそれとは違い──傷ひとつ無い、美しい手だった。
時の流れが正常に戻ったのかわからないけど、リサの未来は元に戻った。
そしてこれからは、僕達が最高の未来を作る。
中庭から、父を呼ぶ子の声が聞こえる。
ニコはリサの手を取り、暖かい日差しが舞い込むその部屋を出た。
──了──
correct:訂正する、校正する、添削する
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ここまでお読み頂きありがとうございました!
共通プロローグ企画として書き下ろした「コレクト」いかがでしたでしょうか。
コレクトは2つの意味があったんですね!!←
去年のクリスマススタートで、ちょ、ちょうど二ヶ月!?
もっと早く終わらせるつもりがこんなことに……(汗)
兎に角、ありがとうございました!!