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女子高生の築城戦  作者: 早乙女姫織


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2/6

あぶらめか、あいなめか

朝靄の中、北上川から運ばれた花崗岩が工事場に並べられていた。

自然石のままの野面石は、表面がざらつき、大小さまざまな形をしている。

職人たちは縄をかけ、掛け声を合わせて石を転がし、積み上げる位置へと運んでいった。


「ここは本丸東側だ。城の顔となる場所だぞ、気を抜くな!」


監督役の声が響く。

汗を流す職人たちは、自然石を一つひとつ見極めながら積み上げていく。

石の形を活かし、隙間を埋める小石を巧みに差し込む。

野面積みは加工が少ない分、石の選び方と積み方に熟練の技が求められた。


角の部分には、割石が用いられていた。

矢穴を打ち込んで割った石は、角石として積まれることで石垣全体を引き締める。

自然石の素朴な力強さと、割石の整然とした形が交わり、石垣は少しずつ姿を現していった。


朱里はその光景を息を呑んで見つめていた。

教科書で読んだ「野面積み」という言葉が、目の前で現実になっている。

石の表面に残る自然の凹凸、割石の鋭い角。

築城当初の慶長年間に積まれた石垣が、今まさに彼女の目の前で積み上げられているのだ。


「嬢ちゃん、見てみろ。石はただ積むだけじゃない。呼吸を合わせて、互いに支え合うんだ。」


職人が笑いながら声をかける。

朱里は頷き、石垣の隙間に小石を差し込む作業を手伝った。

手のひらに伝わる冷たさと重みが、歴史そのものの感触のように思えた。


やがて石垣は高さを増し、東側の輪郭が形を成していった。

これは不来方城で最も古い石垣――築城当初の姿だ。

後世には埋もれてしまう部分もあるだろう。

しかし今、この瞬間は確かに人々の手で積み上げられている。


「この石垣は百年、二百年先も城を支える。南部の未来を守る壁だ。」


源七の声が響き、職人たちが力強く頷いた。

朱里は胸の奥で熱いものを感じた。

自分はただの女子高生だ。

けれど、この場に立ち会うことで、歴史の重みを共に背負っているように思えた。


今日は仕事がひと段落したこともあり暇をもらった。

築城の現場から少し離れた町は、工事に従事する人々や商人たちで賑わっていた。

仮設の店が並び、野菜や布、魚を売る声が飛び交う。

朱里は初めての町歩きに胸を躍らせながら、石畳を踏みしめていた。


「嬢ちゃん、魚はいらんかね!」


威勢のいい声に振り向くと、木桶に並べられた銀色の魚が目に入った。

商人が笑顔で朱里に近づく。


「今朝、川から揚げたばかりだ。脂が乗って旨いぞ。あぶらめだ。」


朱里は首をかしげた。聞き慣れない名前だった。


「あぶらめ……?」


商人は胸を張って答える。


「そうだ。身が柔らかくて煮ても焼いても旨い。城下じゃ人気の魚よ。」


朱里は桶の中の魚をじっと見つめた。

体はやや細長く、鱗は光を反射して青みを帯びている。

どこかで見たことがあるような気がした。

前に読んだ郷土誌の挿絵に似ている。

だが、名前は違ったはずだ。

その時、背後から声がした。


「それは、あぶらめじゃない。あいなめだ。」


振り返ると、旅装束の男が立っていた。

腰には小さな風呂敷包みを下げ、顔には旅の疲れがにじんでいる。


「江戸から戻ってきたばかりだが、向こうではそう呼ぶ。あいなめ、ってな。」


商人は眉をひそめた。


「何を言う。こっちじゃ昔からあぶらめだ。」


男は笑いながら首を振る。


「いや、江戸では通じんぞ。料理屋で『あぶらめ』と言ったら怪訝な顔をされた。『あいなめ』が正しい、と。」


朱里は二人のやり取りを興味深く聞いていた。

言葉が土地によって変わる――それは歴史文学研究部で学んだことでもあった。

地方の呼び名と江戸の呼び名が交錯する瞬間に立ち会えるとは思わなかった。


「嬢ちゃん、どっちを信じる?」


商人が朱里に問いかける。

朱里は少し考え、慎重に答えた。


「どちらも正しいんだと思います。ここでは『あぶらめ』、江戸では『あいなめ』。言葉は土地と一緒に生きているから。」


男は目を丸くし、やがて笑った。


「なるほど、嬢ちゃんの言う通りだ。土地の言葉を大事にしながら、江戸の呼び方も知っておけばいい。」


商人も頷いた。


「そうだな。嬢ちゃんに言われると妙に納得する。」


朱里は桶の中の魚を一匹手に取った。冷たい感触が掌に伝わる。


「じゃあ、この『あぶらめ』……いえ、『あいなめ』を一匹ください。」


商人は笑顔で魚を包み、朱里に手渡した。


町の喧騒の中で、朱里はふと考えた。

築城の石垣も、魚の名前も、土地ごとに違いがある。

けれど、それらはすべて人々の暮らしを支えるものだ。

言葉の違いを受け入れることは、歴史を守ることにもつながるのかもしれない。

江戸帰りの男は去り際に振り返り、朱里に声をかけた。


「嬢ちゃん、言葉を大事にするんだな。江戸でもここでも、言葉が人をつなぐ。」


朱里は微笑んで頷いた。


「はい。言葉は、私の大事な力ですから。」


その言葉に、男は深く頷き、町の人混みに消えていった。

朱里は魚を抱えながら、築城戦の影が広がる未来を思った。

言葉の力で人をつなぎ、歴史を守る。


町の広場は夕方になっても賑わいに包まれていた。

築城のために集まった人々、商人、旅人が行き交い、屋台からはお願いして焼いてもらったあぶらめの匂いが漂う。

朱里は、あぶらめにかぶりついた。

パリッと焼かれた皮を一口。

身から湯気が沸き立つ。

香ばしい塩気と油のうまみが広がった。

ふっくらした白身を食べる。

噛めば噛むほど、魚の凝縮された味が鼻を通り過ぎた。

きめ細かく繊細な身が口の中でほどけた。


「んー、おいしかった。ごちそうさま。」


朱里は町で見つけた職人に誘われて市場を歩いていた。

見慣れぬ品々に目を輝かせていると、ひときわ派手な着物を着た男が声を張り上げた。


「おお、陸奥の衆よ! 江戸から戻ってきたばかりだが、向こうの賑わいは見事なものだぞ!」


男は人々の視線を集め、得意げに語り始めた。


「江戸の町は広い。大通りには人が溢れ、朝から晩まで商いの声が絶えぬ。芝居小屋では役者が舞い、茶屋では甘い菓子が並ぶ。川には船が行き交い、夜になれば灯りが星のように瞬く。まるで昼が続いているかのようだ。」


人々はざわめき、羨望の眼差しを向ける者もいた。男はさらに声を張り上げる。


「江戸では何でも手に入る。布も、菓子も、珍しい魚も。陸奥のような田舎では考えられぬだろう。ここでは『はかりめ』などと呼んでいる魚も、江戸では『真あなご』と洒落た名で呼ばれる。言葉ひとつ取っても洗練されているのだ。」


朱里はその言葉に眉をひそめた。男の自慢は止まらない。


「江戸の町人は粋だ。着物の柄も洒落ていて、歩くだけで華やかだ。田舎者が江戸に行けば、すぐに見分けられる。歩き方も、言葉も、何もかも違う。陸奥のような片田舎では、江戸の風を知ることはできまい。」


周囲の人々は苦笑しながらも黙って聞いていた。

江戸の華やかさは確かに魅力的だ。

だが、その言葉には田舎を見下す響きがあった。

男はさらに続けた。


「江戸では芝居小屋に入れば、一日中楽しめる。役者の声は力強く、観客は笑い、泣き、拍手を送る。茶屋では団子や饅頭が並び、甘い香りが漂う。この町ではせいぜい魚と野菜くらいだろう? 田舎では退屈で仕方あるまい。」


朱里は胸の奥で小さな怒りを覚えた。

確かに盛岡は江戸ほど大きくはない。

だが、ここには人々の暮らしがあり、築城の汗があり、言葉や歌が息づいている。

田舎だからこそ守られているものがある。

男は最後に大きな声で言い放った。


「江戸を知れば、田舎の暮らしなど色褪せて見える。陸奥の者は江戸に憧れるしかないのだ!」


その言葉に、周囲の空気が少し重くなった。

人々は笑ってごまかす者もいれば、黙ってうつむく者もいた。

田舎を揶揄されることに慣れているのかもしれない。朱里は拳を握った。

文学研究部で学んだ言葉の力を思い出す。

言葉は人を傷つけもするが、守ることもできる。

田舎を笑う声に、彼女は黙っていられなかった。


「田舎でいいでしょ。」


広場の空気が変わった。

その言葉は、焚き火の火のように静かに、しかし朱里の中でどんどん燃え上がっていた。

男は驚いた顔をして朱里を見た。

周囲の人々も一斉に彼女に視線を向ける。

朱里は一歩前に出て、言葉を続けた。


「江戸は確かに華やかで、何でも揃っているかもしれません。でも、ここには江戸にはないものがあります。人の顔が見える暮らし、石を積む音、川の流れ、季節の匂い。田舎だからこそ守られているものがあるんです。」


男は鼻で笑った。


「そんなもの、江戸に行けば忘れる。便利さに勝るものはない。」


朱里は首を振った。


「忘れません。だって、ここで生きる人たちは、毎日を積み重ねて城を築いている。石垣の一つひとつに汗と声が染み込んでいる。江戸の灯りは華やかかもしれないけれど、この焚き火の温もりは、誰かの手で守られているんです。」


人々の間にざわめきが広がった。職人が頷き、商人が目を細める。

朱里の言葉は、彼らの心に届いていた。


「江戸では魚の名前が『はかりめ』から『真あなご』に変わるかもしれない。『あいなめ』だって呼び方が違う。でも、ここでは『あぶらめ』と呼ぶ。それは土地の言葉で、土地の暮らしを映している。田舎の言葉は、田舎の人々の命を繋ぐものです。」


江戸帰りの男は口を閉ざした。朱里の声には揺るぎない意志があった。


「田舎だからこそ、歴史が残るんです。江戸の町は変わり続ける。でも、ここでは石垣が百年、二百年と立ち続ける。田舎の静けさは、未来を守る力になるんです。」


沈黙の後、職人の一人が声を上げた。


「嬢ちゃんの言う通りだ。俺たちの汗は田舎の土に染み込んでる。それが城を支えるんだ。」


商人も笑った。


「江戸の菓子もいいが、ここの麦飯だって旨い。田舎の味は田舎の誇りだ。」


広場に笑い声が戻った。江戸帰りの男は肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。


「なるほど……嬢ちゃんに言われると、江戸の自慢も少し色褪せるな。」


朱里は微笑んだ。


「江戸も田舎も、どちらも大事です。でも、田舎を笑う必要はありません。田舎でいいんです。ここが私たちの生きる場所だから。」


その言葉に、人々は深く頷いた。

田舎の町は静かだが、その静けさの中に確かな力が息づいていた。

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