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女子高生の築城戦  作者: 早乙女姫織


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1/1

朱里の決意

朝の冷たい空気が、窓の隙間から忍び込んでくる。

七月の盛岡は、夏の気配をすでに濃く漂わせていた。

城崎朱里は、目覚まし時計の電子音に顔をしかめながら布団の中で丸くなっていた。

あと五分、あと三分、もうちょっとだけ――そんな小さな抵抗を繰り返した末に、ようやく身体を起こす。

制服のスカートを整え、鏡の前で髪を結ぶ。

鏡に映る自分の姿は、どこにでもいる普通の女子高生だった。


家を出ると、通学路の街路樹には緑が青々と茂っている。

冷たい風が頬を撫で、涼しさを運んできた。

歩道には同じ制服を着た生徒たちが並び、友人同士で笑い合いながら学校へ向かっている。

朱里もその流れに混じり、足を速めた。


学校に着けば、いつもの日常が始まる。教室に入ると友人たちが声をかけてくる。


「昨日の数学のテスト、どうだった?」

「全然だめ。公式覚えたつもりだったのに、頭真っ白になっちゃって。」

「時間足りなかったよね。もっと勉強しておけばよかった。」


そんな会話に笑いながら加わる。昼休みにはお弁当を広げ、友人たちと他愛もない話をする。


「からあげおいしそう。いいなぁ。」

「さすがに痩せないとやばい。もう夏だよ。海行きたいし。日焼け止めも新しいの買わなきゃ。」


スマホで流行りの動画を見せ合ったり、部活動の話題で盛り上がったりしながら昼休みの時間は過ぎていった。


朱里は歴史文学研究部に所属していた。

友人からは「地味だね」「どんな活動しているのかわかんない」と笑われることもあるが、彼女にとっては言葉の世界が心の拠り所だった。

昼休みの後半は図書室に足を運び、古い詩集や郷土史をめくる。

紙の匂い、静かな空気、ページをめくる音――それらが彼女にとっては心地よい時間だった。


その日の放課後、顧問の先生から新しい課題が出された。


「次の研究テーマは、盛岡城跡公園にある石川啄木の歌碑について調べてみよう。」


先生は黒板に「不来方のお城の草に寝ころびて……」と書き、説明を続けた。

啄木が盛岡を詠んだ有名な歌であり、歴史文学研究部としては格好の題材だという。

朱里はノートにメモを取りながら、心の奥で少しだけ胸が高鳴った。

啄木の歌碑――それは彼女にとってただの課題ではなく、言葉と土地が結びつく瞬間を確かめる機会だった。


夕方、一人の帰り道。

朱里はふと足を止め、盛岡城跡公園へと向かう道を選んだ。

石垣の影が夕陽に染まり、冷たい風が頬を撫でる。

公園の入り口には観光客の姿もちらほら見える。

桜の季節ほどではないが、避暑地として楽しむ人々が石垣の周りを歩いていた。

朱里は歌碑の前に立った。

石川啄木の文字が刻まれた石は、夕陽に照らされて淡く輝いている。

彼女は声に出して詩を読み上げた。


「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」


その瞬間、風が強く吹き抜けた。朱里は思わず目を閉じる。

耳に届くのは、現代の街のざわめきではなく、石を積む音、木槌の響き、職人たちの掛け声だった。

目を開けると、そこには見慣れない光景が広がっていた。

石垣を積む人々、材木を運ぶ人々、刀を持った武士たち。

朱里は息を呑んだ。

ここは――築城期の不来方城。彼女は知らぬ間に、時を越えてしまったのだ。


足元の土は柔らかく、まだ固められていない。

周囲には仮設の小屋が並び、煙が立ち上っている。

武士が数人、工事の様子を監督していた。

朱里は制服姿のまま立ち尽くし、心臓が早鐘のように鳴っていた。


「嬢ちゃん、どこから来た?」


突然、背後から声がかかった。

振り返ると、逞しい腕をした職人が立っていた。

額には汗が光り、手には木槌を握っている。

朱里は言葉に詰まった。どう説明すればいいのか分からない。


「えっと……私は、その……」


口ごもる朱里を見て、職人は眉をひそめた。


「見慣れない格好だな。城下の娘でもなさそうだ。」


そこへ、武士が近づいてきた。南部氏の家臣らしい男で、鋭い目をしている。


「何者だ。工事場に勝手に入るとは。」


朱里は制服の胸元を押さえ、必死に言葉を探した。

歴史文学研究部で学んだ知識が頭をよぎる。不来方城、南部氏、築城――。


「私は……石川啄木の歌碑を見に来て……」


しかし、その言葉は通じるはずもなかった。

武士は怪訝な顔をし、職人たちもざわめいた。


「啄木? 聞いたこともない名だ。」


武士は朱里をじっと見つめ、やがてため息をついた。


「まあよい。怪しい者ではなさそうだ。仮の宿へ案内しよう。」


朱里は半ば強引に連れられ、工事場の外れにある小屋へと導かれた。

中には藁を敷いた床と、簡素な机が置かれている。

武士は名を名乗った。


「我は南部家臣、田名部源七。築城の監督を任されている。」


朱里は小さく頭を下げた。


「城崎朱里です……」


源七はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「苗字があったとは失礼した。城崎か。奇妙な縁だな。城を築くこの場に、城の名を持つ娘が現れるとは思わなかった。」


源七はしばし考え込んだ後、出て行ってしまった。

朱里は胸の奥で震えを感じた。

偶然なのか、必然なのか。

自分の名字が「城崎」であることが、この場に導いたのだろうか。


夜が近づくにつれ、工事場は静かになった。

焚き火の周りで職人たちが飯を食い、笑い声が響く。

朱里は小屋の隅で膝を抱え、現実感のない状況に戸惑っていた。

スマホもない、友人もいない。

ここは教科書でしか知らない時代。

ふと耳を澄ますと、職人たちの会話が聞こえてきた。


「石が足りねえ。北上川から運ぶのも骨が折れる。」

「それより、最近妙な連中がうろついてるらしい。工事を妨げようとしてるとか。」


朱里は息を呑んだ。築城を妨害する者――それは歴史を歪めようとする影なのかもしれない。

源七が焚き火の前に立ち、声を張り上げた。


「この城は南部の未来を支える要だ。何者が妨げようと、必ず完成させる!」


職人たちは「おう!」と声を合わせた。

朱里はその光景を見つめながら、家に帰りたいと願っていた。


夜の工事場は焚き火の明かりに包まれていた。

石を積む音は止み、職人たちは飯を食いながら笑い声を交わしている。

ずっと隅で小さくなっていたがいい加減、周囲の視線が気になる。

彼女の格好はあまりにも異質で、誰の目にも奇妙に映っていた。


「嬢ちゃん、その服じゃ寒かろう。」


声をかけてきたのは、昼間に彼女を見つけた職人だった。

逞しい腕をした男が、藁を抱えて小屋に入ってくる。


「城下の娘でもないようだし……せめて着替えを用意してやろう。」


朱里は戸惑いながらも頷いた。

職人は隣の小屋へ案内し、布包みを差し出した。

中には麻の着物と帯が入っている。

朱里は制服のままでは目立ちすぎることを理解していた。


「ありがとうございます……」


小さな声で礼を言い、朱里は着物を手に取った。

小屋の奥に仕切りがあり、そこで着替えることになった。

制服を脱ぎ、麻の着物に袖を通す。

布はざらりとした感触で、普段の柔らかな生地とはまるで違う。

帯を結ぶのに手間取り、何度もやり直す。

ようやく形になったとき、鏡はないが、自分が「時代の娘」に変わったことを感じた。

外に出ると、職人たちが目を丸くした。


「おお、似合うじゃないか。」

「まるで城下の娘だな。」


朱里は頬を赤らめ、恥ずかしさと同時に少しの安心を覚えた。

制服のままでは異質すぎたが、着物姿ならこの場に溶け込めた気がした。

お披露目が終わると、彼女は焚き火の周りに招かれた。

職人たちが飯を分け与えてくれる。

木の器に盛られた麦飯と汁物、焼いた魚。

朱里は箸の代わりに木の匙を渡され、ぎこちなく口に運んだ。

素朴な味だが、冷えた身体に染み渡る。


「嬢ちゃん、名は何と?」

「城崎朱里です。」

「城崎……城に縁ある名だな。築城の場にふさわしい。」


笑い声が広がり、朱里は少しずつ緊張を解いていった。

職人たちは彼女を不思議な存在として扱いながらも、敵意はなく、むしろ好奇心と親しみを持って接してくれた。

やがて、南部家臣の源七が焚き火の前に現れた。


「客人をもてなすのは我らの務めだ。城崎殿、今宵は安心して休むがよい。」


源七は真剣な眼差しで朱里を見つめた。

彼女の名が偶然か必然か、この場に導かれたことを感じ取っているようだった。

朱里は木の器を置き、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……」


その言葉には、感謝と同時に決意が込められていた。

自分はただの女子高生だ。

けれど、この場に受け入れられた以上、何か役割を果たさなければならない。


夜空には星が瞬いていた。

朱里は藁の上に横たわり、目を閉じた。

心臓の鼓動はまだ早いが、不思議と恐怖よりも期待が勝っていた。


翌朝、朱里はまだ慣れない麻の着物のまま、小屋を出た。べたべたした空気が肌を刺す。

工事場ではすでに職人たちが動き始めていた。

縄をかけて石を引き上げる者、材木を削る者、土を固める者。

掛け声が響き、築城の現場は活気に満ちていた。


「嬢ちゃん、手伝えるか?」


昨日声をかけてくれた職人が笑いながら呼びかける。

朱里は戸惑いながらも頷いた。

彼女は、力仕事はできないが、石を並べる順番や材木の扱い方を観察し、メモを取るように頭に刻んでいった。

歴史文学研究部で培った「観察する目」が役立つとは思わなかった。


昼になると、職人たちが焚き火の周りに集まり、飯を食う。

朱里も木の器を受け取り、麦飯を口に運ぶ。

素朴な味だが、昨日よりもずっと美味しく感じられた。

彼女は少しずつ、この時代の人々に受け入れられているのだ。

武士である源七が近づいてきた。


「城崎殿、昨夜はよく眠れたか?」

「はい……まだ慣れませんけど。」


源七は頷き、真剣な表情で続けた。


「この築城は南部の未来を支えるものだ。だが、妨害の噂が絶えぬ。城を落とそうとする者がいる。」


朱里は息を呑んだ。

昨日耳にした噂が現実味を帯びてきた。

彼女は歴史文学研究部で学んだ史実を思い出す。

不来方城は完成したはずだ。

ならば、この妨害は、歴史を歪める影なのだ。


午後、朱里は石垣の近くで職人たちの作業を見守った。

石を積む角度、隙間を埋める小石の配置。

彼女は教科書で見た築城技術を思い出し、思わず口を出してしまった。


「ここ、もう少し角度を変えた方が……」


職人は驚いた顔をしたが、試しに朱里の言葉通りに石を置くと、安定感が増した。


「嬢ちゃん、よく分かってるな!」


笑い声が広がり、朱里は頬を赤らめた。


夕方、工事場の空気が一変した。

材木の束が突然崩れ、職人が怪我をしたのだ。

慌てて駆け寄ると、縄が不自然に切れていた。

誰かが意図的に細工したのだ。


「やはり妨害か……」


源七の声が低く響く。

職人たちもざわめき、恐怖と怒りが広がった。

朱里は周囲を見渡した。人々の中に、視線を逸らす者がいる。

裏切り者が紛れているのかもしれない。


夜、焚き火の周りで源七が語った。


「九戸の残党が動いているらしい。城を完成させないことで南部の力を削ごうとしている。」


朱里は拳を握った。

もし彼らが成功すれば、歴史は変わってしまう。

不来方城は完成せず、未来は歪む。


「昨日来たその嬢ちゃん、怪しくないか?」


ざわざわとした波が広がっていく。

朱里は怪しいことを自覚していた。

唇をかみしめる。

手には力が入り着物がしわになった。


その時、職人の一人が声を上げた。


「嬢ちゃん、昼間の助言で石垣が安定した。九戸の残党なんかじゃない。俺たちの仲間だ。」

「そりゃそうだよなぁ。娘と同じぐらいの女の子を疑うなんて恥ずかしいぜ」


笑い声と拍手が広がり、朱里は胸が熱くなった。彼女は受け入れられたのだ。


「私は、きっと歴史を守るためにここに来た。城を落とそうとする者を止めなきゃ。」

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