イデア 初めまして、『イデア』です
「ーーーーイデア様」
アイザックの声に、アレクシス様は神妙な顔で頷いた。
「ーーー知っているだろう。ノイグラー公爵令嬢だ」
紹介されて、わたくしはアイザックに小さく微笑んだ。
「ふふ。初めまして。イデア・イシュタル・ノイグラーと申しますわ」
オムラント辺境伯領地内の駐屯地。
男しかいないその場所に、いきなり金色の髪の女が入ってきたので、辺り一帯が驚愕でザワザワとしている。しかもアレクシス様と一緒だから、尚更に。
想像以上に騒がれている気がしなくもないけれど、わたくしは元々、あまり人の視線は気にならないので、淑女としての微笑みを保っていた。
先程までの魔物達の急襲は、スタンピートとして扱われて、それに関わって負傷した人達が、数多く駐屯地に集まっている。
アレクシス様とわたくしが姿を現すと、かなりザワついたけれど、そこにアイザックが現れ、わたくし達を迎えてくれた。
わたくしが、アイザックと最後に話した時に、自分が『イデアだったとしたら』なんてことを言ってしまったので、訝しげに思われているのかもしれない。
ーーーけれど、アイザックはそんな素振りは一切見せてこなかった。やはり、身体の入れ替わりなど、信じれるものでもないのだろう。
アイザックは騎士として正しい敬礼をした後、わたくしに綺麗な姿勢で頭を下げる。
「ーーーイデア様。この度は、我がオムラントの窮地を救っていただき、心から感謝しております」
アイザックの、肩の上で切り揃えられた灰色の髪が、下を向くとサラリと流れる。
わたくしがちらりとアレクシス様を見ると、とても複雑そうな顔をしていた。
わたくしの悪戯を否定はしなかったけれど、あまりに悪乗りしすぎると面倒くさいことになりそうだな、という表情だ。
わたくしは、少し考えてから、やはりそのまま『初対面のイデア』を継続することにした。
「いいえ。困った人達を助けるのは、人として当たり前のことですわ。お気になさらないで」
ーーーなんて言ってみる。
そんなこと、微塵にも思っておりませんけどね。
アイザックは、そこから少し先にある休憩所までわたくしを案内してくれた。
建前の笑顔で、
「聞いていた話よりももっと素晴らしい方のようで、安心しました」
などと言われる。
爽やかそうな顔を保つアイザックを先頭に、簡易的なテントである休憩所に入ってから、アイザックはわたくしとアレクシス様にお茶を注いだ。
わたくしを始めとして、そしてアレクシス様にもカップを渡しながら、アイザックは現状報告をする。
「魔物達の死骸は、そのままにしておくと疫病などの発生に繋がりますので、早急に回収と焼却に当たらせております」
「そうか」
アレクシス様は頷く。
焼却、と聞いて、わたくしが自分の顔を指差した。
「魔物達の焼却なら、わたくしがしましょうか?回収する手間が省けますわよ」
アイザックはそれに首を振る。
「いえ、客人にそのようなことをさせるわけにはいきませんので」
客人と言われると、他人行儀で少し寂しい。
「ーーーそうですか、、、。では、せめて、怪我人の手当てだけでも。わたくし、白魔法も使えますのよ」
にこ、とわたくしが微笑むと、アイザックもにこりと笑った。
「それは素晴らしいですね。ーーーですが、やはり結構です」
丁寧に断られて、何故、とわたくしは目を見開いた。
魔物の群れがきて、人手が足りないはず。
焼却はともかく、負傷したオムラントの、動ける人員を増やす意味でも、白魔法による回復は喉から手がでるほど欲しいはずなのに。
そして、はっとした。
わたくしが『イデア』だからかーーーと。
アイザックは、アレクシス様の初恋の人が誰か知っていた。
アレクシス様と国王との関係を悪くし、オムラントの後継者の道も絶つ原因の1つになった人物が、のこのこオムラントにやってきて、アレクシス様の隣でのうのうと微笑んでいることに立腹している。
ーーーそういうわけですわね?
かといって、ここまで『イデア』でやってきて、今更『実はステラでした』なんて言ったら、アイザックが烈火のように怒るのは必至。
アイザックが怒るととても面倒くさい。
わたくしは困って、アレクシス様に視線を送ってみたけれど、アレクシス様は形の良い太めの眉を下げながら、わたくしに首を小さく振ってみせた。
やはり、今更なので自白しない方がよい、ということだろう。
ちょっとアイザックをからかうつもりだっただけなのに、真実を言うタイミングを見失い、気まずくなってしまった。
わたくしは困ってテントの天井を見上げる。 はぁ、と小さくため息をついた。
そういえば、と会話を切り替えたのは、アレクシス様だった。
「アイザック。最近、このオムラントに来たものの中で、怪しい人物を知らないか」
「怪しい者ーーーですか」
アイザックは考えて、あぁ、と顔を上げた。
「いましたね。しばらく長いこと滞在していましたよ」
聞いて、椅子からガタンと、アレクシス様とわたくしが共に立ち上がる。
「いたのか!」「いましたのね?」
その迫力に、アイザックが少し後退りした。
「え、ええ。とても奇妙な連中でして。『トラブルをよく起こしている人物を探している』という」
そのアイザックの言葉に、わたくしは思い出す。
そんなことを、以前にもアイザックが言っていた気がする。
ーーーおや、アレクシス様の方から何やら視線を感じますわね。
どういうことですの?
その視線はまるでわたくしがトラブルメーカーだと言っているようなものではありませんの?
いくらなんでも失礼ですわよ。
愛するアレクシス様とはいえ、わたくし、憤慨してしまいそうですわ。
しかし、ここでアレクシス様と喧嘩しても仕方ない。
わたくしは、「その人達、怪しいですわね」と言ってみた。
アイザックは、しかし、あまりその人達を重要視していないようで、冷静な顔のまま話を続けた。
「あれだけ大勢で捜索しているのにも関わらず、決してそれがどこの者かわからないのです。かなり高い地位の方なのだろうとは思うのですが」
ふむ、とアレクシス様も椅子に座り直し、その話題から興味を失った顔をしてみせる。
「ーーーおおかた、どこぞの嫡男か箱入り娘あたりが家出でもしたのだろう。余程トラブルを起こしやすい人物なのだろうな」
あれ、と思う。
「その怪しい者達がどこの人間か、詳しく調べなくて宜しいのですか?」
アレクシス様と視線が合った。
「ーーー本当に怪しい者は、そんな大掛かりに人探しなどしないだろう。万が一、その闇に隠れて暗躍していたとしても、やはり目立ちすぎるのは得策ではない。怪しんでくれと言っているようなものだからな」
そう言われれば、そうかもしれない。
人探しなんてしたことないし、全く興味がないから、よくわかりませんわね。
「他にはいないのか」
「そうですね、、、。ダルネル様の元に、現在の騎士団長が訪れたという噂は耳にしました。それこそ、その怪しい連中が関わっているようですが。そのトラブルメーカーを探している時に、ダルネル様はうっかり発見されてしまったようですね」
「ダルネルが騎士団長をしていたのは、もう随分前の話だ。しかも見た目もあれほど変わっているのに。見つけた者は、相当、王宮や王都に精通した者達だったのだろうな」
「そうでしょうね」
アイザックは頷く。
そんな暢気な、とわたくしはハラハラとした。
ダルネルが元王宮騎士団長であったことをわたくしが知っていた件で、強くダルネルに威嚇された記憶が蘇る。
「ーーーダルネル様、王都の者達に知られたくなさそうだったのに。ダルネル様は大丈夫でしょうか」
ダルネルを心配したわたくしに、アレクシス様は「大丈夫だろう」と穏やかに言った。
「アイツが王都の人間に見つけられたくなかった理由は、アイツを慕うものが多いからだ。折角、妻とともにこの地で新しい道を歩き始めたのに、王都に連れ戻そうとする人がいたら、それを追いやるのに面倒くさい。その程度のものだから、気にしなくていい」
なんだ、と思った。
「そうですのね。安心しましたわ」
わたくしはアレクシス様と、ほっこりと微笑み合う。
そして喉が渇いたことに気付いて、アイザックの淹れてくれたお茶を啜ると、とても苦かった。 わたくしは、ピクリと身体を強張らせる。だけどなんとか笑顔は保てた。
相変わらず、お茶を淹れるのはヘタクソなようですわね。まぁ、淹れてくれるだけ、進歩したと言っていいのかもしれませんけど。
「ーーー他には?」
アレクシス様が更に聞いて、アイザックは首を振った。
「他には特に、怪しい者の噂は聞いておりません」 「そうか、、、」
アレクシス様は少し黙る。
そして、アイザックは、そういえば、とわたくしの方を向いた。
「イデア様はずっと王都でお暮らしでしたね。あちらでは何か、そういう怪しい人物の噂はなかったのですか?」
そう尋ねられても、わたくしは王都を離れてずっとオムラントで過ごしていたので、噂などは知るはずもない。
情報収集のために毎日、新聞は読んでいるけれど、興味のある世界情勢や株価などの方ばかり見てしまって、スキャンダルのような内容はスルーしてしまう癖がある。
淑女として、女性との会話を弾ませるために、そういう内容にも目を通さなければとは常々思ってはいても、どうしても興味のないものには意欲が湧かない。
つまりーーーわたくしは、噂にはとても疎い人間だった。
「ーーー知りませんわね」
短く、そうとだけアイザックに告げる。
ふむ、とアイザックは顎に軽く手を当てる。
「アレクシス様とともに、怪しい人物をお探しのようですが、スタンピートでこれほどオムラントが混乱を極めている中で、それを差し置いてでも探さないといけない人物なのですか?」
ええ、とわたくしは頷いた。
「とても重要なことなのですわ。あの『黒い岩』に関わることですもの」
「あぁ、あのーーー。もう魔物が現れていないということは、あの黒い岩は、無事に落ち着いたということなのでしょうね。ーーーあの岩も、イデア様が?」
わたくしは首を振った。
「いいえ。あれはアレクシス様が壊してくださいましたの。流石ですわよね。相当硬い鉱石なので、かなりの時間が必要だと思っておりましたのに、あっという間に壊されてしまわれましたわ」
誇らしげにわたくしは微笑み、あの、黒い岩を割る時にタガネとハンマーを使う時の、アレクシス様の腕の筋肉を思い浮かべる。
腕捲りをしたために見えた、アレクシス様の筋肉。
見事なまでに隆起した、腕の上腕二頭筋も、肩の三角筋も、惚れ惚れするほどに美しかった。
ほぅ、と、心酔してため息を漏らすと、アイザックは「そうですか」と微笑んだ。
「ーーーそれで、ステラ様は、王宮に行って、用件は無事に済ませることができたのですか?王太子の誕生祭だったのでしょう?警備も厳しかったでしょうに」
アイザックに尋ねられて、わたくしは「ええ」と答えた。
「着いたらもう、誕生祭は終わっておりましたわ。だからむしろ、警備は薄れておりましたわね。訪問されている各王族や要人達の護衛の方に意識が集中していたのだと思いますわ。ラッキーでしたわ、、、ね?」
そう言ってから、わたくしは、じわりと目を見開く。
ーーーステラ様、ですって?
はっとしてアイザックを見た。
不機嫌そうに口を歪めたアイザックと目が合う。
隣でアレクシス様は苦笑していた。
「な、なぜわたくしがステラだと、、、」
「わかりますよ。このアレクシス様と、これほど仲良さそうに話ができる女性は、この世でただ1人しかおりません。例え初恋の人であろうと、殆ど他人である『イデア様』では無理でしょうね」
そして、アイザックはわたくしの前に、ティーポットをドンと置いた。
「そんなに私の淹れたお茶は不味いですか?これでも練習をしているのですけどね。たかがお茶程度で、そこまで不味さを顔に出せる人も珍しい」
そんなに顔に出していないつもりだったけれど。
それにたかがお茶って。お茶の美味しさは、とても大切ですわよ?お茶は人を幸せにしてくれますわ。
「王宮に向かう前に、貴女が言った『もし自分がイデアだったら』という話。とても信じられない話ではあったけれど、聞いた瞬間、何故か腑に落ちたんですよ。貴女のその、とても子爵令嬢とは思えないほどの美しい所作も、あり得ないほどの専門的で高度な知識も。魔塔主との関係でさえ、魔法の天才という噂のイデア様なら、おかしくはないと」
わたくしはアイザックをチラリと見る。
「ーーー褒めていただいて光栄ですわ」
「褒めておりません!」
アイザックは怒っている。
え?物凄く褒めていますわよね?
はぁ、とアイザックは肩を落とした。
「先程、アレクシス様とともに、『イデア様』の姿を見た時は、自分でも驚くほどに嬉しかったのですよ。あのステラ様の言葉は真実で、ステラ様は『イデア様』になって戻られたのだと。しかし、『初めまして』と言われてしまうと、もうーーー」
そこでアイザックはわたくしを睨みつけて、言葉を止める。
怒っているのか、落胆したのか。
あるいはどちらもか。
ちょっと悪ふざけが過ぎてしまったようだ。
わたくしは気まずくなって、素直にシュンとすると、アイザックは、しばらくわたくしを睨んだ後、はぁ、ともう一度ため息をついて目を閉じた。
「ーーーあのステラ様の身体は、どうしたのですか?」
言われて気付く。
そういえば、アイザックはステラのことを好きだったのだ。
その中身はわたくしだったとはいえ、急にいなくなって、その代わりにわたくしがアレクシス様の隣に現れたら、ステラの身体を心配するに決まっている。
わたくしは慌てて、アイザックに伝えた。
「ーーーステラは、今、王宮にいますわ。王宮で倒れたジュリアン王子の介抱をしています」
それを聞いて、アイザックの表情が少しだけ緩んだ。
「ーーーそうですか」
ほっとした様子で、アイザックはそれ以上は何も言わなかった。 そんなアイザックを見ながら、残念ですわね、とわたくしは思った。
本当だったら、ステラをここに連れてきて、アイザックにステラを紹介したかった。 アイザックとステラなら、きっと良い関係になれたと思うのに。
目が醒めたジュリアンのあの様子だと、ジュリアン王子とステラは、そのまま予定通り婚約するだろう。
あの胸糞悪いジュリアン王子なんかより、アイザックの方がステラは幸せになれるはずだ。
人生の迷路というものは、なんとも複雑で、意外な道を見つける難儀なものだと、つくづく思う。
「ーーーでは、ジュリアン王子と婚約したという方が、本物のステラ様だったというわけですね。ジュリアン王子とイデア様が婚約すると聞いて、それを阻止するために急いで王宮に行きたかったと」
「せ、正解ですわ」
名推理。
アイザックは探偵にもなれそうですわね。
ーーーん?
名推理。ということはーーー。
「アイザック様。ーーーご覧になっていただきたいものがあるのですが」
わたくしはアレクシス様にアイコンタクトをする。
アレクシス様はすぐに気付いてくれて、その胸のポケットから、オムラント辺境伯の精巧な紋章の彫られたタイピンを、コトリと机の上に置いた。
アイザックは、それを立った姿勢のままで覗き込む。
「ーーーこれは?」
「火山のマグマの中に落ちていたのですわ。あの『黒い岩』に繋がるかもしれないものです。その紋章の意味するものを、アイザック様にも検討していただきたいのですわ」
オムラント辺境伯の家紋の入ったタイピン。
それを手にすることができる人間は限られている。
「ーーーわかっているとは思うが、俺のものではないぞ」
アレクシス様が言うと、アイザックは頷いた。
「こんなタイピンは、私も見たことありません。特別、珍しい材質というわけでもありませんが、この持ち主がアレクシス様ではないとなるとーーー前、オムラント辺境伯のものでしょうか」
前オムラント辺境伯というと、アレクシス様のお父様のこと。
タイピンは男性しかしないし、その可能性が一番高いとは思うけれどーーー。
「でも、もうアレクシス様のお父様は、、、」
アレクシス様のお父様は、アレクシス様が隠居を勧めてオムラントの田舎に行き、その後、数年前に亡くなられたと聞いた。
アレクシス様のお父様のものであっても、落としたのはアレクシス様のお父様ではない。
アイザックはしばらくそのタイピンを見つめた上で、す、と姿勢を正した。
「ーーーアレクシス様には、遠縁の親戚がおりましたね。そこを含めて、アレクシス様の血縁を調べてみます。それでよろしいでしょうか?」
アイザックの言葉に、アレクシス様は口の端を持ち上げた。
「そうか。宜しく頼む」
「では、早速調べてみますので、失礼します」
会釈して、アイザックは踵を返した。
その後ろ姿を、アレクシス様は微笑ましそうに眺める。
「頼り甲斐のあるヤツだ。あぁいう人間が俺の弟だったら良かったのだが」
ーーー本当に。
わたくしも、そう思うのですけどね。
そう、わたくしは心の中で強く同意したのだった。




