イデア 母の行方
ダルネルの店からの帰り際、ダルネルがもう一度、わたくしに話しかけてきた。
「これを持って帰りな」
ダルネルから渡されたのは、袋に入ったパンだった。
「うちのが作ったパンだ。うまいぞ。落ち込んだ時はうまいものをおなかいっぱい食べると落ち着く」
「、、、ありがとうございます。いただきますわ」
わたくしは丁寧にお礼を言って、繋いでいた馬の手綱を握りしめる。馬に飛び乗って、高いところにのると、やっとダルネルの目線と同じ高さになった。
「ご馳走様でした。また伺いますわね」
「あぁ、また来てくれ。今度はアレクシスの旦那も一緒にな」
ニッ、とダルネルが破顔して笑う。
この方の笑顔は魔法のようですわね、と思う。
なぜこの笑顔を見ると、心が少し明るくなるのかしら。
わたくしはそんなことを考えながら、ピノット家にたどり着く。
時刻はもう遅くなっていて、わたくしはこっそりと家の中に入っていった。
どうせ、わたくしの夕飯は準備されていないのでしょうし。
ダルネルにいただいたパンを食べようと袋を開いたら、中にそれなりの小銭が入っていた。
一緒に小さな紙が同封されていて、そこに『アルバイト代』と書かれている。
「、、、アルバイトだなんて」
考えて、確かに賃金を稼ぐような行為だったと思い至る。くすりと1人で笑って、わたくしはその小銭を、貯金用の箱にいれようと机の下の棚を開けた。
そして、一瞬、魔術にかけられたような違和感を覚える。
そこにあるはずのものがなかった。
わたくしが、いずれ王都に帰るために貯めたお金の入った箱が、そっくりそのまま、なくなっていた。
わたくしは立ち上がり、顔を険しくしてリリアンの部屋に押し入る。
「リリアン、わたくしのお金の入った箱、知りませんこと?」
夜中に急に部屋に入られて、リリアンはビクリと身体を強張らせた。ハネた焦げ茶色の髪を垂らし、さっきまで寝ていた枕を抱いて後ろの壁にペタリとくっついた。
「な、何よ。知らないわよ。あんたの部屋になんか入るはずないじゃない。あんたのお金なんて、そんなことしたら、どんな目に遇うかわかったもんじゃないのに」
それもそうだ。
リリアンは、わたくしからの厳しい淑女の訓練によって、わたくしに怯えるようになった。
こんなわかりやすい方法でわたくしからお金を奪うはずがない。
「ーーーじゃあ誰が、、、」
こんな貧しさが顕著に表れている家、誰も泥棒に入ろうと思うはずもない。
「あぁ、それは俺が借りたんだ」
後ろから声が聞こえて、わたくしは振り返った。
「パパっ!」
リリアンが、リリアンよりも薄い茶色の髪の中年の男をそう呼ぶ。
リリアンの父であり、ステラの義父でもある男。
デニー。
ステラのことを家族と呼び、家を追い出そうとしていた継母をなだめて、ステラを家に置いてくれていたというので、継母やリリアンよりはマシだと思っていた。けれど、よく考えれば、本当に家族と思っていたら、あんな倉庫みたいな部屋を与えないし、食事を抜かれたりもしない。他の家族から邪険にされていることを放置もしないだろう。
だから、この男は、ステラをただ家に置いているだけなのだろうなと、わたくしは結論付けていた。
その男が、このわたくしのコツコツ貯めたお金に手をつけた、ですって?
わたくしは父と名乗る男を睨み付けた。
「そのお金は、本当にちゃんと返ってくるのでしょうか?」
髪の色は違えど、ステラの妹リリアンによく似ている。生意気そうな顔も、人をバカにする目付きも。
「借りたと言っている。借りたからには返す。当たり前のことだろう」
「勝手にわたくしの部屋に入って、勝手にお金を持っていったのに、ですか」
「急いでいたから、後で言うつもりだったんだ。だからこうして、俺が借りたとお前に正直に話しているのだろう。何か文句でもあるのか?」
圧をかけてくる父親に、わたくしは鼻で笑いそうになる。
この男は、壊滅的に商売が下手だった。
子爵ながらに貴族というプライドが邪魔しているのもあるだろうが、そもそも人の心の機微というものを理解していない。
わたくしもその点に置いては得意ではないものの、この男よりはマシなのではないかと思う。
この中途半端な圧をかけてくるようでは、かえって人を不愉快にさせるだけだ。
商売という名で、子供達が一生懸命働いて稼いだお金を、他者から搾取されているということに、気付いてもいない。
「文句しかありませんわね。わたくしが働いて稼いだお金は、殆ど家に入れているはずです。その上、こうしてわたくしがコツコツ貯めたお金を、借りるといって奪っていくなんて、父親失格ですわ」
そう言った途端、わたくしは頬を強く叩かれた。
継母とは違う、もっと強い、男の力だった。
くるとわかっていれば、もう少し耐えられただろうが、突然のことで、わたくしは容赦なく飛ばされて、リリアンの机の端で強くぶつけた。
「っっ!!」
頭の衝撃は眩暈を引き起こす。
わたくしは、くらりと眩暈を感じながら、片目を閉じて眩暈が治まるのを待った。
「女の顔に手をあげるなんて、とことん最低ですわね、、、」
呟いて、ふと見ると、リリアンの机の上に、見慣れた紋章の刻まれた小物ケースがあった。
鷹をモチーフとした、精巧な造りの家紋。
オムラント辺境伯のものだ。
わたくしはリリアンを振り返り、その小物ケースをリリアンに突きつける。
「なぜこの紋章がここにあるのですか?」
紋章入りの物は、基本的に他者には渡さない。
紋章は、その人がその家紋の人間であることを示すものだからだ。
リリアンは、わたくしの威圧に怯えて、顔を青くさせている。
「ケ、ケースが可愛いから、ママに貰っただけよ。どこの紋章かなんて、私は知らないわよ」
オムラント地方の人間が、領主である辺境伯の紋章を知らないという愚かさを責めたい気持ちもあるが、今はそれどころではなかった。
「何故、お義母様が、、、」
呟いて、わたくしはまた嫌な予感に襲われた。
継母は、落ちぶれた男爵の出だった。オムラント辺境伯とは全く繋がりもない。
行動に気品もないし、そもそも作法さえ理解していない。
そんな継母アンナが、オムラント辺境伯の紋章つきの小物を持っているはずがない。
あるとすれば、この家に残された『遺品』。
「まさか、、、」
と、わたくしは義父であるデニーに視線を向ける。
血が沸くのではないかというほどに、怒りがわたくしの身体の中で渦巻いていく。
「まさか、これがわたくしの母のものであるとか、言いませんわよね、、、?」
継母であるアンナは、亡くなったと聞いていたステラの母の『遺品』を自分の物としているのは知っていた。
センスの悪いアンナが、たまにちょっとしたスカーフや小物など、高価ではなくてもセンスが良いなと感じるものをたまに使っている。それが実はステラの母のものであると知って、不愉快に思った記憶がある。
返事のないデニーの様子に、わたくしはもう一度、デニーに強い口調で尋ねた。
「わたくしの母のものではないのかと聞いているのです。ーーー違いますわよね?」
デニーはわたくしを見つめている。
その瞳は動揺を示していた。
「、、、、、」
万が一、オムラント辺境伯夫人が、ステラの母親だったとしたら?
その可能性を想像して、ゾッとしてしまう。
「ーーーまさかーーー本当、ですの?」
考えてみれば、オムラント辺境伯夫人は、オムラント辺境伯の屋敷とこのピノット子爵家の間にある町で、『海に行く』と言いながら、ピノット家の方に向かったと聞いた。
わたくしがステラの身体に入る前に、知識としては知っていた『ピノット子爵家』は、かつて王を助けた功績により、子爵の爵位を与えられた『善意』の家系だった。
王宮でも、オムラント辺境伯の屋敷でも虐げられていた夫人が、どうにか助けを求めた相手が、善意で王を助けたという家に希望を託したのだとしたら。
ーーー可能性は、ある。
「お父様っ!?」
悲鳴のようにわたくしが叫んで、ようやくデニーは、掠れた声を、か細く発した。
「、、、お前の、母親のものだ」
「!!!!!」
わたくしはショックが強すぎて。
その場でしゃがみこみ、床にうつ伏せた。
嘘であって欲しかった。
こんな奇跡なんて、望んではいなかった。
辺境伯夫人がステラの母親である、ということは。
ーーーーステラの身体の中にいるわたくしとアレクシス様は、兄妹である、という事実だった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あまりの衝撃から身体を起こせるようになるのに、時間はかかった。
一度それぞれの部屋に戻って、眠れない夜を過ごした。
そして次の朝、薄汚れた食堂で、わたくしは改めて父であるデニーに問い詰める。
継母であるアンナや子供達がいたら、変にもめそうだったので、わたくしがお願いして、家から出ていってもらった。アンナはヒステリックに拒絶したが、リリアンがわたくしの様子を見て怯え、アンナを引き摺るように連れ出してくれた。
義父であるデニーと2人きり。
デニーははじめ、わたくしに吹っ切れたように「だから何だというのだ」と言い出した。
「リネットが、少しの間、匿って欲しいというから、この家に置いていただけだ。それの何が悪い」と。
リネットというのは、ステラの母のことなのだろう。
しかし、そんな簡単な話ではないはずだ。
辺境伯夫人が、アレクシス様の妹を連れて、オムラント辺境伯の屋敷から追われて逃げ出した。
海を渡りたいと言っていたという辺境伯夫人が、このピノット家にきて、ただ匿ってもらっていただけとは思えなかった。
頭の中に浮かんだ映像。
ガリガリに痩せた少女を抱いて、『ごめんなさい』と言い続ける辺境伯夫人は、その瞳は暗く、驚くほどに痩せ細った姿になっていた。
ステラもこの家では食事をたいして食べさせてもらっていなかったのだ。もしかしたら、夫人にも同じような扱いをしていたのかもしれないと思うと、無慈悲にも程がある。
わたくしは手の上に火魔法で炎を作り出し、それをデニーの顔に近付けた。
「わたくしは嘘は嫌いですわ」
赤い炎から青い炎に変えると、体感温度が一気に上昇する。
「赤い炎が1000度にあるのに対して、青い炎は1700から10000度もあるんですって。同じ炎なのに、そんなに違いがあるなんて、面白いですわよね。昨日叩かれたお返しに、わたくしがこの手で、嘘をつくお父様を叩いてさしあげましょうか」
ひ、とデニーは声をあげた。
「う、嘘はついてなどいない。本当に」
「では失礼」
わたくしが炎を出したまま張り手をしようとして、デニーは、悲鳴のように声をあげた。
「ほ、惚れたんだ、俺が、リネットに」
ピタリとわたくしは平手打ちをしようとした手をすんでのところで止めた。
「惚れた?」
デニーは顔をそらして、悔しそうに口を歪める。
「ものすごい美人だったんだ、リネットが。あんなに綺麗な人を見たのは初めてで。それなのに、リネットからは、この国を離れるために海を渡りたいから、助けて欲しいと言われた」
今度は嘘ではなさそうだ。
「ーーーそれで?」
「助けるも何も、うちにはお金がないから助けられない。でもそれを口に出したら、リネットはここを去ってしまうと思って、準備が整うまでの間だけ、この家への滞在を勧めたんだ」
「、、、準備なんて整うはずもないのに、ですわね」
デニーは俯く。
「そうだ。そしてリネットとお前は、うちで暮らし始めたんだ」
わたくしは思い出す。
わたくしが誘拐されていた時に一緒にいた女の子。
もしかしたら、あれはステラだったのではないかと。今のわたくしと同じ薄茶色の、とても顔立ちの整った可愛い女の子だった。
わたくしは誘拐されていたのに、なぜ施設内で自由にさせてもらっていたのかも、今となっては不思議で仕方ない。
しばらくの間、わたくしはステラであろう女の子と一緒に遊んで暮らした。
あれは、何故だったのだろう。
「お父様。わたくしは小さい頃、どこかの施設にいましたわよね?」
デニーは顔をあげる。
「覚えているのか?」
驚いた顔のデニーに、わたくしは首を傾げる。
「ーーーわたくしは、そのことを覚えていなかったのですか?」
ステラは、わたくしと遊んだ日々を覚えていない?
「、、、リネットを手にいれたかった俺は、いつも傍にいるお前がいると近寄れなくて」
「邪魔だったのですね」
「、、、1年ほど一緒に過ごした後、少しだけの間、知り合いの人間に、お前を預けたことがある」
「少しだけの間、、、ねぇ」
「知り合いの人間というのは、もしかしてお父様の、あの軽薄そうなお友達のことですか?商売仲間の」
「ーーーそうだ。一時的に子供を預かってくれるところがあると勧めてくれた」
「まぁ、良いお友達ですこと」
わたくしの記憶では、あそこにいた人達は、わたくしの身代金をお父様に請求した後、わたくし達を国外に売り飛ばそうとしておりましたけれどね。
「それをリネットに気付かれて、リネットに出ていかれた」
「当たり前ですわね、最低ですわ」
「リネットとは、それ以来、会っていない」
「、、、、え?」
意外な終わり方だった。デニーの顔を見るに、嘘はついていなさそうなのに。
そんな簡単な話であるはずはない。
「でも、わたくしはお母様がいなくなっても、ここで暮らしていますのよ?お父様は、ここでのわたくしの暮らしはともかく、わたくしを娘として戸籍に入れてくださっているし」
どういう経過かわからないけれど、アレクシス様のお母様とこの男は、結婚したのだと思っていた。そうでなければ、ステラを娘として迎えるはずがない。
少なくとも、わたくしはリリアンに父の子ではないと教えられるまで、この男はわたくしの父であると疑わなかった。
その程度には、それなりの態度をされていたのだと思うのだが。
「、、、俺も、よくわからないんだ」
デニーは継母のアンナがわたくしを追い出そうとしても、『ステラは家族だから』と言って、追い出そうとするアンナを止めたと聞いた。この男がそこまでするだろうか?
「どういうことですの、、、、?」
わからなくて混乱する。
この表面上の利害しか頭になさそうな人間。そんな人が、親切でステラを引き取ったとは思えない。なのに、邪険にしながらも今でもステラを娘として育てている理由がわからなかった。
「ーーー『隷属の絆』、じゃな」
わたくしとデニー以外、誰もいないはずの家に、後ろから急に声をかけられて、わたくしは飛び上がりそうになった。
声の方を振り返ると、そこには長い白髪の髪の美人が立っていた。お尻の部分から、白い虎の尻尾が生えている。クー・グランの守護獣。白虎の獣人。
「カネシャ!?」
「ほうほう、ワレを呼び捨てとは大層な身分じゃのぉ」
上から目線で見下ろされて、わたくしはカネシャを睨み付ける。アレクシス様ね無理やり押し掛けただけの獣人など、呼び捨てで充分に決まっている。
「なぜここに?」
「旦那様が、数日お主が屋敷に来ておらんことで心を痛めておるからな。不本意じゃが、迎えにきてやったぞ。なにやら面白そうな話をしておるので、しばらく観覧しておったがの」
「アレクシス様は貴女の旦那様ではございませんわよ」
「旦那様じゃなければ、ダーリンとでも呼ぼうか」
バチバチとわたくしとカネシャの間に火花が散る。
しかし、ここでカネシャとわたくしが戦ったら、このオンボロの家はすぐに崩壊してしまうだろう。
それでは困るので、わたくしはぐっと我慢した。
「ーーー話を戻しますわ。『隷属の絆』とは、獣に対する方法ですわよね。人間にも可能ですの?」
「人間同士で『契約』は不可能じゃからな。無理やり魂を縛るため、その『対価』は大きいが、呪術じゃから人間に対しても不可能ではない」
カネシャはデニーを向き、近寄る。
「どれ、視てやろうではないか」
「、、、!!!」
デニーは、グラマラスな美人であるカネシャを前に、真っ赤な顔をして硬直している。
この男、本当に美人に弱いのだろう。呆れてしまう。
カネシャはデニーの瞳をじっと見つめた。
そしてポツリと呟く。
「弱いな」
「弱いーーーとは?」
「呪術が中途半端、ということじゃ。機能はしておるが、完全に支配はされておらん。もしや、その『絆』を結んだ人間は、もうこの世にはおらんのではないか?」
わたくしは頷いた。
「正解ですわ。お亡くなりになられています。でも、亡くなられたらその『絆』は解除されるのではないのですか?」
「持続させる方法がなくはない。余程の魔力を魔石に注ぎ込めば、その『依代』の中に魔力が残る限り効果は続く」
「依代、、、」
わたくしは考える。カネシャが目を細めて、わたくしに助言をした。
「相当の魔力じゃ、それこそ、その者の命が失われるかもしれんほどの、な。その者が亡くなる時に、何か持っておらんかったか?魔石のついた何か」
わたくしは、アレクシス様がわたくしに話してくれたことを思い出した。
『母は王族の印であるペンダントを持っていて、それによって身元が判明した』
「王族の紋章の入ったペンダント、、、」
紋章入りのものは、基本的に最高級のものを使用する。そこに魔石が組み込まれていてもおかしくはない。
「それかもしれんな。自分の命を引き換えにしてまで、叶えたいものがあったのじゃろ。それを依頼する相手がこの男だとは、なんとも頼りない話じゃが」
カネシャはデニーを見下ろしながらくつくつと笑う。
こんな男でも、この男しか頼る相手がいなかった辺境伯夫人。
本当は自分自身で守りたかっただろうに、自分の命をかけてまで、デニーを頼らないといけなかった。
そこまでしないといけない理由があったのだろうけれど、、、、。
「悲しすぎますわね」
最期まで、辛い人生だった辺境伯夫人。
アレクシス様やステラの存在が、彼女の唯一の幸せだったのだ。しかしそれさえも虚しく奪われた。
辛かっただろう。
どれほど悔しかっただろう。
わたくしには想像もつかない。
せめて、と思う。
わたくしは、彼女のご冥福を祈り、目を閉じた。




