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イデア ほんの少しだけでもいいのです

 このオムラント地方からたどり着ける海は、東にあるソケル海 しかない。

 空でも飛べれば別だが、まだ幼子であった妹を連れたアレクシス様の母が、徒歩や馬車以外で海にいく可能性は限りなく低いと考える。


 ピノット子爵家は、北に位置するオムラント辺境伯の屋敷から、やや南西に下ったところにある。

 海に行きたいというアレクシス様の母が東に向かわずに、南西の方向に向かった理由。 

 それがどうしてもわからない。

 

 もしかしたら、迂回する形ではあるが、安全な経路があるのかもしれないと考えてみたけれど、どう考えてもオムラントの屋敷から直接、東に向かう方が近いし、道が整備されている分、女性だけで行くには安全に思えた。


 南西に下った先にある道を1つ1つ辿ると、オムラント地方の西側にある遺跡にたどり着く。


「遺跡、、、か」

 アレクシス様のお母様は、失踪してから約2年後に、遺跡で死体が発見されたということだった。

 その遺体が王家のペンダントを持っていたことで、お母様だと判明した。


 約2年。そんな長い間、遺跡近くに住んでいたというのだろうか。遺跡周辺は高名な冒険者でも迂闊には近寄らないというほど危険な場所なのに。


 驚くほどに痩せていたという彼女は、海に出ることを夢見ながら、ただ我武者羅に生きたのかもしれない。

 しかしーーー。

 わたくしは、あの『映像』を思い出す。

 痩せ細った辺境伯夫人が、ぐったりとした少女を抱えた姿。

『ごめんなさい』と何度も呟く彼女は、『生』を諦めているように感じた。

 

「アレクシス様のお母様に、一体、何があったのかしら、、、」

 東に向かわずに海に出る方法がわからない以上、もうアレクシス様のお母様の軌跡は、亡くなられていたという遺跡しかない。


 忘れられた土地である遺跡の周囲は、争いの絶えない部族達の集落によって無法地帯となっている。

 危険極まりないけれどーーー。


「行くしかありませんわね」

 とりあえず、わたくしなら大丈夫だろうという思いがあった。


 この前のことがあったから、護衛の役目を持ったアイザックに声をかける気になれず、わたくしは1人で遺跡に向かうことにした。

 ロキには、何日か不在にすることを告げて家を出た。


 遺跡までは馬車で行けば数日かかるが、馬で駆けるならば1日でたどり着くだろう。


 途中、相変わらず魔物は襲ってきたが、そこそこの魔法が使えるわたくしの相手にはならなかった。


 早朝に家を出て、遺跡の前にたどり着いたのは、もう日が暮れる頃だった。


 遺跡は、巨大な建物が大きく崩れ落ちて、柱が地面に散らばったままになっている。

 古代王朝の跡。

 近くにはそれ以外に何もなくて、夕陽が崩れ落ちた遺跡を赤く染める景色は、とても淋しく感じた。

 そして、懐かしさもあってーーー。


 ツキン。


 まただ、と思う。

 よくわからない頭痛。

 頭痛持ちではないのに、最近、何かを思い出そうとすると頭痛がすることがある。


 でも、奥に進むにつれ、わかることがあった。

 懐かしいと思うはずだ。

 わたくしは、この景色を知っていた。


「、、、そうだわ。わたくし、初めて誘拐された時、ここに捕えられたのじゃなかったかしら」


 この景色は覚えている。

 わたくしは誘拐犯達に、この付近のどこかの建物に捕えられていた。

 子供と思って甘く見られていたのだろうか。頑丈な囲いの中、意外と自由にさせてもらっていて、一緒にいた可愛い女の子とわたくしは友達になった。


 茶緑の小さな蜥蜴を見つけてーーー。

 そう、そのまだ小さかった女の子が、その蜥蜴のことを、その色のまま名前にしたんだった。わたくしかま「茶緑色ですわね」と言うと、その名前にしようと。


 だけど、その子はまだうまく話せなくて。

 その茶綠の蜥蜴のことを『チャリョ』と呼んでいた。


「ーーーチャリョ」


 ふと、竜のチャロを思い出した。

 茶緑の竜。

 姿形は違えど、そういえば、聞きようによってはチャリョはチャロに聞こえる。

 まさか、と思う。

 まさかチャロは、あの時の。


 ツキン。

 また頭痛がする。


 わたくしは馬を降りて、しっかりとした柱に馬を繋ぐと、一歩一歩、記憶を辿りながら遺跡の周りを歩きだした。


 そういえば、アレクシス様のお母様の『映像』。

 あのお母様の後ろの景色は、この遺跡に似ているんじゃないかしら。

 

 わたくしはアレクシス様のお母様に会った記憶はないけれどーーーここに、よく似ている。


 そうだわ。

 誘拐犯達は、わたくし達を国外に売り飛ばそうとしていた。

 お父様から身代金を受け取るだけ受け取って、そのままお父様のところには戻さずに、売り飛ばしてしまおうと話していたのを聞いたのだった。


 わたくしは、その女の子に『逃げよう』と誘った。

 わたくしはまだその時、魔法がうまく使えなくて、誘拐犯達をやっつけるということは考えなかったけれど、逃げられる自信はあった。

 

 でも確か、その時に女の子は言った。

『お母様が迎えにくるから、私は行けない』と。


 ーーーお母様。

 そうだわ。

 あの子は着てきるものはボロボロだったけれど、仕草や口調は、れっきとした貴族の娘だった。


 ツキン。

 また頭痛がする。


 薄い茶色の、産毛のような柔らかい髪の少女。

 くりくりとした大きな目は、人形のように可愛かった。

 妹が欲しかったわたくしは、その子を自分の妹のように可愛がった。


 その少女はとても穏やかな性格で、わたくしの前で、いつも微笑んでいた。

 金色の髪をしているわたくしを『天使様』と呼んで、わたくしの後ろをついて回って。


 ーーーなぜ、と思う。


 なぜ、わたくしはこんなことを忘れていたのだろう。

 茶緑の蜥蜴のことも、一緒に遊んだ女の子のことも覚えていたのに、なぜか、この遺跡と繋がらなかった。思い出そうとすると、途端に記憶が曖昧になってしまって。


「そうだわ。わたくし、あの時ーーー」


 何かを思い出しそうになったのに、急に後ろから砂を噛む音が聞こえて、わたくしはビクリと身体を強張らせる。


 外の誰かが、この場所にいるとは思わなかった。


 振り返って、わたくしは目を見開いた。

 まさかの人物に、わたくしは息が止まりそうになった。


「ーーーアレクシス様、、、っ!?」


 見上げるほどに背の高い、精悍で凜々しい姿。

 黒い髪を短く切り揃えて。翠の瞳が、宝石のように美しい。

 その瞳が、わたくしを映し出していた。

 アレクシス様も、わたくしがここにいたことに驚いた顔をしている。

「ーーーステラ嬢?ーーーなぜこんなところに」

「アレクシス様こそ、、、」

 アレクシス様の周りには誰もいない。

 単独で来るなんて、いくら最強を誇るアレクシス様とはいえ、その立場を考えると無用心過ぎる。

  

「アイザックはどうしたんだ。なぜ貴女が独りでこんなところにいるんだ」

 アレクシス様に心配されて、わたくしも同じか、と心で苦笑した。

「独りで、ここに来てみたかったんです。わたくしが勝手に来ただけなので、アイザック様を怒らないで下さいませ」

「いや、しかし、、、」

「お願いいたします。アレクシス様。この件でアイザック様が怒られたら、責任感の強いアイザック様は、きっとわたくしに張り付いて離れませんわ。それだと息苦しくて仕方ないでしょう?」

 わたくしがやんわりとお願いすると、アレクシス様は不本意そうにしながらも、納得してくれた。


「どちらに行かれますの?」

 わたくしがアレクシス様に尋ねると、アレクシス様からの返事はない。

 言いたくないものと理解し、わたくしは微笑むに留める。

「申し訳ありません。無粋でしたわね。ではこれで」

 ペコリとわたくしが頭を下げて踵を返すと、慌ててアレクシス様はわたくしを止めた。

「ま、待て。どこに行く気だ。こんな危険な場所で」

 後ろから肩を掴まれて、わたくしは振り返る。

 目のすぐ近くでアレクシス様を見上げられることが幸せ過ぎた。

「ご心配していただいて嬉しい限りですが、わたくし

は大丈夫ですわよ。これでも、強靭な身体と、自慢の反射神経がありますもの」 

 どちらもステラのものですけどね。


「それはそうだろうが、そういう意味じゃない。ここは何があるかわからない場所で」

「知っていますわ」


 わたくしは、あの時、ここで遊んでいた。

 古代王朝の様々なカラクリが仕掛けられていて、それを解くのがとても面白かった。

 あの女の子は、カラクリは得意ではなかったけれど、根気強さだけなら、わたくし以上かもしれなくて、黙々とパズルのような仕掛けを解いていた気がする。


「ここは危険過ぎて、周りの部族の方々もやってきませんわ。その点ではわたくし、安心しておりますの」

「俺と一緒に行かないか」


 わたくしの言葉を聞いていたかどうかわからないほど、噛み合っていない言葉を聞いた。

 瞬時に反応できた頭の反射神経は、わたくしの愛だと思う。

「宜しいのですか?」

「勿論だ。ーーその、、、」

 アレクシス様は言い淀んで、わたくしを見下ろす。

「、、、俺の妹を探しに、貴女もここに来たのだろう?」

 少し照れたようなアレクシス様。

 身体が大きいのに、意外と可愛くも見えるから不思議過ぎる。

 わたくしはくすりと笑った。

「そうでしたわ。一緒に探す約束でしたものね」

「あぁ、そう。そうだったな」

 破顔したアレクシス様。

 わたくしは、その横に並んだ。アレクシス様の横顔を見上げて、幸せを感じる。


 こんな素敵な方が、もう恋愛をしないと誓うなんて。本当に、勿体ないお方ですわね。

 でもそれさえも愛しく思う自分が、可笑しくもあり、当然でもあるような気がしてくる。 

 

 アレクシス様の誘導に従い、わたくしは、遺跡の中央へと足を踏み入れた。


 瓦礫の多い遺跡の中で、全く瓦礫の残っていない広場のような場所へたどり着く。白い大きめの石が置いてあった。アレクシス様は、そこで足を止める。

「ーーーここだ」

 

 湿気を含んだ、生暖かい風が吹いた。

 見上げた空には、分厚く灰色がかった雲が広がっている。

「ここで俺の母が、息を引き取っていたらしい」


 広場のちょうど真ん中だった。

 辺りには何もない。

 なぜこんなところで、とわたくしは不思議に思う。


 あの映像。

 子供を抱いた、辺境伯夫人の姿を思い出してみるけれど、こんな場所ではなかった気がする。


 もっとーーーそう、沢山の高い柱が何本も立っていた。真っ白な柱が、夫人を囲むように。

 まるで大きな鳥かごに入っているかのようだったけれど、ここにはそれらしきものはない。


 わたくしはアレクシス様とともに地に膝をつき、ご冥福を祈って白い石に手を合わせる。

 そしてわたくしは立ち上がった。

「もう少し、辺りを見て回っても宜しいでしょうか」

「あぁ、構わないが、雨が降り始めそうだ」

 アレクシス様が雨を受けるように手をすぼめると、やはりポツリと雨が落ちてきた。


 落ち始めた雨は、一気に強さを増して、わたくしとアレクシス様に打ち付ける。

「一旦、避難しよう」

 そう言ったアレクシス様に手を握られて、わたくし達は、屋根のような形になった遺跡の下にたどり着いた。


 雨が届かないところまで来て、アレクシス様は小さく笑う。

「この前もそうだったが、俺達は天候に恵まれないらしいな」

「吹雪よりはまだ、雨の方が幾分マシですわ」

 わたくしがそういうと、アレクシス様がわたくしの顔よりも下に視線を向けているのに気づく。


 アレクシス様は、急に自分の上着を脱ぎ始めた。

「夏の雨はべたついていかんな」

 

 わたくしは突然のことに、頭がパニックになりそうになる。アレクシス様の上半身の裸体が目の前にあるのだから。


 わたくしらしくなく狼狽えていると、アレクシス様は、まだあまり濡れていなかった下に着ていた服をわたくしの肩にかけた。その後は、アレクシス様はわたくしが見えない位置まで視線を移動させた。


 あぁ、とわたくしは自分の胸元を見て納得した。


 雨のせいで、わたくしの服が濡れて、わたくしの肌に張り付いてしまっている。

 これでは、わたくしのーーというか、ステラの身体のラインが丸わかりだ。上に羽織りものを着ているので、明らかになっているのは胸だけではあるものの、それでも目のやり場がないことに変わりはない。


 わたくしは魔法で服を乾かすことができる。しかしここまでしてもらった上に、アレクシス様なんて上半身が裸なので、それを今更言い出しにくく、わたくしは微笑むに留める。


「ありがとうございます。こんな格好でお恥ずかしいですわ」

 わたくしがお礼を言うと、アレクシス様も小さく笑った。

「いや、こちらこそ、わざとではないとはいえ、見てしまって申し訳ない」

「いえ、それは別にアレクシス様にならーーー」

 そう言おうとして、それではまるでわたくしがアレクシス様を誘っていると受け取られかねないことに気付き、慌てて口を閉じた。


 ちらりとアレクシス様の様子を見ると、アレクシス様と視線が合う。

「、、、、」

 わたくしが黙るとアレクシス様も黙るが、アレクシス様の視線がわたくしから離れず、わたくしもまた、アレクシス様から目を離さなかった。


 胸が高鳴る。

 こんなにも、わたくしはアレクシス様のことを想っているのに。

 何故、この人を愛してはいけないのでしょうか。


「アレクシス様、、、わたくし」

 アレクシス様からかけられた服をぎゅっと握り、アレクシス様との距離を縮める。


「ステラ嬢」

 低く、直接心臓に届いているのではないかと思うほどに心に響く声で呼ばれて、わたくしは言葉を失った。


「アイザックから、ステラ嬢に俺の『誓い』のことを話したと報告された」 

 わたくしは目を見開いた。

 じわりと暗い闇がわたくしの心に染みを作る。

「、、、、聞きましたわ」

 わたくしは心を込めない声で返事をした。


 これは牽制だろうか。これ以上踏み込むなという、わたくしへの拒絶。


「貴女が俺を慕ってくれているのは、前から感じてはいたのだが、俺は『誓い』を立てたので、貴女の気持ちは受け取れない」

 じわり、と黒く染まりゆく心。

「ーーー理解、しようとしておりますわ」

 

 告白もしていないのに、わたくしは振られてしまうのかしら。

 泣きたくなってしまう。

 いけませんわね。このステラの身体になってから、わたくし涙脆くなった気がしますわ。

 泣くなどーーーわたくしらしくないのに。


「だが」

と、アレクシス様の声が耳に届いて、わたくしはうつむきかけた顔が上を向いた。

 アレクシス様は、わたくしに優しい瞳を向けている。

「その気持ちは嬉しい。自分が望んで行った『誓い』を悔やみそうになるほどにはな」

「アレクシス様、、、、」

 わたくしを慰めようとしてくれているのだろう。

 本当にそう思ってくれていたらいいのに。

 

「結婚が全てではない。だが、女性は結婚することで安定する世の中であることに間違いはない。貴族の女性ならばなおさら。貴女はまだ若いのだから、俺の傍で止まらずに、貴女の好きなところに飛び立てると良いと思う」


 アレクシス様。

 それができれば、わたくしも楽なのです。

 わたくしが望む場所は貴方の隣なのに。それは許されないのでしょう?


「、、、わたくしは、アレクシス様の傍が良いですわ」

 悲しく笑うしかない。

 これでは告白も同然だ。

 目の前で振られているというのに、わたくしは全然、アレクシス様を諦める気になれない。

 

 アレクシス様は、わがままを言うわたくしに困ってしまったのか、太めに整った眉を少し下げて微笑む。

「あまり可愛いことを言ってくれるな」

 

 本当のことですもの。

 アレクシス様がどう思おうと、わたくしは今まで、欲しいものを欲しいがままにしてきたのです。

 そのために努力もしてきました。

 今までも、そしてこれからも、そうであると思っていましたのに。

 ーーーこの世の中で、本当に欲しいものは、手に入らないものなのですね。


「可愛いと思っていただけるのでしたら、もう少し、そちらに寄っても宜しいでしょうか」

「ステラ嬢、、、」

 アレクシス様を困らせてしまっているのはわかっている。ごめんなさい、とわたくしはアレクシス様に心で謝罪する。

 まだ、わたくしは諦めがつかないのです。


「今だけ。今この時だけで構いません。少しだけ、わたくしにアレクシス様の時間をくださいませ」

「、、、、」

 黙ったアレクシス様の瞳に、受け入れもないが拒絶もなかった。わたくしは、僅かに安堵して、アレクシス様に少しだけ近寄った。


 すぐ目の前に、アレクシス様の太くて逞しい腕がある。それに触れて、腕を絡ませられたら、どんなに幸せだろうか。

 アレクシス様の体温を感じて、アレクシス様のその切れ長の瞳で、優しくわたくしを包み込んでくれたのなら。


 ーーー叶わない夢なのでしょうが。


 わたくしはそうして、ほんの少しだけ。

 アレクシス様との二人きりの時間を、過ごしたのだった。


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