イデア 炎の魔法は得意でしたのよ
どのくらい時間が経ったのだろう。
わたくしが付与した、服が温かくなるという魔法付与のおかげもあって、寒さにはあまり邪魔されることなく、『クー・グラン』にたどり着くことができた。
たどり着くまでに出た魔物の数は数えきれず。
アイザックだけでなく、アレクシス様とフィンレー司祭が同行してくれたことに心から感謝する。
このステラの強靭な身体を過信して、簡単に『クー・グラン』に行くと決めてしまったのは、短慮であったと反省する気持ちになっていた。
でも『クー・グラン』に辿り着いて、実はわたくしは、その反省した気持ちが薄れてしまっていることに気付いた。
神のいる山。
霊峰『クー・グラン』。
その道のりの過酷さに、そこにたどり着くこと自体が困難だと、挑戦する人も殆どいない。そう聞いてはいたけれどーーー。
常に黒く厚い雲に覆われ、その雲を貫く山頂は、地上からその全容を見ることはできない。
しかし、まさか頂上にたどり着くと、『クー・グラン』の火山口の奥にこんなにも絶景が広がっているとは、誰が想像しただろう。
かつての噴火によって空いたであろう巨大な穴が、お椀のように、ぽっかりと空いている。その穴はどこまでも続くように見えて、山の中腹あたりの位置で止まっていた。
火山の中はマグマがあるかと思えばそうではなく、すでに固まった溶岩と、上から降り積もる雪の結晶ーーーなのだろうか。いや、これは違う。
ところどころに見えるのはダイヤモンドの宝石なのかもしれない。王宮がすっぽり入ってしまいそうな広い空間全てが、キラキラと光り輝いている。
下から見上げると、まるで満天の星空の中に浮かんでいるような感覚に陥る。
一面に煌めくダイヤモンドの隙間には、何千年、何万年の月日が重ねた複雑な形の模様の芸術が、壁いっぱいに描かれている。
ここはーーー確かに神が住んでいるのだろうと信じられるほどの絶景だった。
こんなに綺麗な場所は、きっともう一生探しても見つけきれないかもしれない。
それほどに素晴らしい景色だった。
ここにこれて良かったと思ってしまったのは、わたくしだけではないはずだ。
アレクシス様もアイザックも。経典で知っているはずのフィンレー司祭でさえ、その光景に絶句してしまっている。
「こんな場所があったなんて、、、」
「さすが『霊峰』というべきでしょうか」
フィンレー司祭は、感動しすぎて口元に笑いが浮かんでいる。
ここはもしかしたら、現世ではないのかもしれない。
天国か、異世界か。
それを疑ってしまうほどに現実離れした世界。
その感動を、一瞬にして現実に戻したのは、低い唸り声だった。
『グルルルルルルル、、、、』
威嚇する音が聞こえて、皆で一斉に体勢を整える。
見ると、さっきまでいなかったはずの場所に、巨大な虎が臨戦態勢に入っていた。
虎は全身が白く、虎らしい身体のラインだけが黒い。
「ーーー白虎ーーー!!!」
熊ほどに大きな白虎は、鋭い牙を見せて大きく咆哮した。
「ガァアアアッッッ!!!」
空気を揺るがすその咆哮に、肌がビリビリと痺れる。普通の人なら、もうこれだけで戦意喪失してしまっているだろう。
アイザックが顔をしかめて剣を抜く。
「なんでこんなところに白虎が」
「間違って入ったのか、それともここを守っているかだが」
アレクシス様も、すらりと大剣を抜いて構えた。
フィンレー司祭も驚いて、持っていた魔法の杖を地面に差す。
「ここに虎がいるという話は、聞いたことがありません。一体、何故」
「キュウッ!」
チャロが対抗するように鳴いた。
大きくなったとはいえ、まだ子犬程度の大きさのチャロには、とても白虎に敵うはずもない。
果敢に襲いかかっていったチャロを、白虎は大きな右の前肢で激しく弾き飛ばし、チャロは地面に叩きつけられた。
勢いが強すぎて、チャロがぶつかった地面が抉れる。
「チャロ!!!」
わたくしはチャロに駆け寄り抱き締めた。
ぐったりはしているけれど傷は浅い。しかも元々超回復の魔物だったので、すぐに傷は塞がった。さすが竜というべきか。
チャロの無事に、わたくしはホッと息を吐く。
「弱いもの苛めなど、許せませんわね」
わたくしはチャロを端の方に寄せて寝かせると、そのまま立ち上がる。
「攻撃してくるということは、こちらも攻撃していいのだろうな?」
剣を振り上げたアレクシス様。
その嬉々としたお顔。
辺境伯という立場上、仕方なく戦をしているのかと思えば、戦いがお好きな方なのねと考えを改める。
前は洞窟という狭い空間で、そのお力を発揮できなかった。強い敵と制限なく戦えることが嬉しいのだろう。
アレクシス様が剣を振り上げて降ろす。
その精悍なる体躯が弧を描くだけで、ゾッとするほどに美しい。
大きく振られた剣は、避けそうとした白虎の腰に追い付き、当たったまま振り抜くと、岩のように大きな白虎の巨体が斬り飛ばされた。
振り抜いてピタリと止まる、その鍛え上げられた肉体。厚着をしているのにわかる、獣のようなその筋肉。
素晴らしいものをこの目で直接拝見できたこと。生まれてきて良かったと、わたくしは心から神に感謝する。
いま、この場所にいる自分が誉れですわ、と、アレクシス様を称賛したい。
しかし、あの日、A級魔物でさえ一刀両断したアレクシス様の剣を直撃して、まだ白虎は死んではいなかった。この虎、防御力にも優れているようだ。
白虎の傷から血は流れてはいるが、白虎の目はまだ戦う意思の方が強い。
「ーーー浅かったか」
倒せていないのに、アレクシス様は楽しそうにしている。
「強いな」
笑うと、アレクシス様は白虎は歯をむき出しにして噛みつこうとされた。
「ガアアァアアアッッッ!!!」
「・・・ダディ」
わたくしの腕の中にいるチャロが、アレクシス様を心配して声を出す。
アレクシス様がそれを軽やかに躱したのを確認して、わたくしはチャロの頭を撫でた。
「チャロ。大丈夫ですわよ。あなたのダディは強いですわ」
アレクシス様は白虎の激しい攻撃を紙一重で避け続ける。そして隙を見て、足を曲げて腰を低くすると、また剣を構えた。
『剣のお手本』を見ているように、1つ1つの動きに無駄がない。それは、剣の軌道が読みやすいということになるのだろうが。
アレクシス様が剣を振ると、また白虎に直撃した。
「速い」
わたくしはアレクシス様のその技の早さに驚く。
アレクシス様の持つ大剣は、下手したら大人の人ほどの重さがあるだろうに、それを感じさせない程に素早く剣を振り回す。
魔物は逃げる間もなく、重さと勢いの乗った剣で斬られた。白虎は、飛ばされ、地面に引き摺られる。
抉られた傷から血が滴り落ちるが、それでも白虎は身体を捻って、ふらつきながら起き上がった。
「流石、『クー・グラン』の守護獣は強い」
楽しそうに笑ったアレクシス様が、ふと、白虎の変化に気付いた。
「ーーー姿を変えるのか」
グニャリ、と白虎の身体が歪んだ気がした。
それは気のせいではなく、膨らんだ後に窪み、窪みから膨らんで違う形を作り上げる。
「これはまさかーーー」
アイザックが呟いた。
わたくしも聞いたことはあるけれど、実際見るのは初めてだった。
獣の獣人化を。
大きく白い獣だったはずの虎は、白く長い髪の女性となった。頭に虎の耳のようなものが残っているが、胸と腰から下には、毛並みなのか服なのか、ちゃんと虎の柄の布のようなもので隠されている。白くて長い尻尾も、お尻のところからユラユラと揺れていた。
血が溢れていたはずの傷は変態の際に完全に塞がれていて、どこに傷があったのかもわからない。
胸やお尻は大きいのに、腰は驚くほどに細い。とてもグラマラスなその姿。しかも獣人とはいえ、目が大きく整った顔立ちをしている。
つまり、かなりの美人。
赤い口紅を塗ったかのような妖艶な唇が、にやりと弧を描く。
「ーーー2回戦じゃな。そこの色男」
色男、と言われたアレクシス様は、さっきまであれほど楽しそうだった顔をいきなり困惑させて、アイザックに視線を送った。
それにアイザックは小さくため息を漏らす。
「女性の姿になったからって、いきなり戦線離脱するのは、いくらアレクシス様とはいえ、どうかと思います」
苦言を漏らしてから、アイザックはすでに抜いていた剣を振り上げて、元白虎だった女に斬りかかった。
髪の白い女は両横の腰に差していた短剣2本を即座に抜き取り、その2本の短剣でアイザックの剣を受け止める。
ガキィンと金属音が響いた後に、激しい打ち合いになり、キンキンキンと細かい音が止まることなく続く。
拮抗している、といいたいところだが。
フィンレー司祭が、アイザックに白魔法を唱える。
隙をつかれてアイザックの左腕にできた傷が、瞬時に回復した。
「人のことは言えなさそうですね。アイザック様」
フィンレー司祭に苦笑されて、アイザックは黙る。
アイザックも、なんだかんだ、女性と戦う時に本気は出せないということだろうか。
「なんてことですのーーー」
言葉にするならば、不愉快、だった。
わたくしは腕に抱えたチャロを、フィンレー司祭の腕に押し付けた。
わたくしの顔は今、怒りで眉がつり上がっているのでしょうが、そんなこと気にしていられなかった。
「女性だろうが子供だろうが敵は敵。攻撃してきた段階で、もうそれは抹殺対象。そうではありませんの?」
アイザックは眉を下げて苦笑した。
「しかし、、、」
「しかしもお菓子もありませんわっ!」
見た目に流されるなんて情けない。そう口に出したいのをグッと我慢する。
わたくしはアレクシス様やアイザックの前に出て、右手を伸ばしてその白い髪の獣人に向けた。
怒りのせいか、まだそこまで出ないと思っていた強さの炎が獣人の足元の地面を燃やす。
獣人は素早くジャンプして炎から避けた。
思ったよりも使えそうですわね。火の魔法。
避けられるのはわかっていたけれど、わたくしの怒りは全く収まらない。
「そこの貴女。獣人なら獣人だとはじめから言っていただけませんと、後出しは卑怯だと言われますわよ」
獣人は鼻で笑う。
長く光沢のある白髪が、さらりと流れた。
「そんなこと知らぬわ。獣の方が脅すには効果的。それだけのために獣の姿になっていただけのこと。力は獣の時の方が強いが、それ以外ではこの姿の方が強いのじゃ」
わたくしは腕を組んで、斜め視線でその獣人に対峙した。ステラの胸は大きい方だが、この獣人の方が更に大きい。肉体美で負けている以上、他のことで負けるわけにはいかなかった。
「では、その姿の貴女をこてんぱんに叩きのめしてさ差し上げますわ。そうすれば見苦しい言い訳もできないでしょうから」
「小娘。軽口を叩くと後悔するのはそなたじゃぞ」
ユラユラとわたくしを煽るように揺れる長く細い尻尾が、わたくしの不快を増強させた。
何ですの、その可愛い尻尾は。アレクシス様がその尻尾をお気に召したら、どうするのですか。
そう言いたいのを喉の奥で飲み込む。敵を褒めてもわたくしに何の得もないのだから。
「軽口かどうかは、すぐにわかることですわ」
わたくしは両手を広げて、低級魔法のファイアボールをいくつも発射させる。
獣人の左頬、右膝、左爪先をギリギリ当たるかどうかの微調整で擦らせて、真後ろの壁を爆発させた。
獣人の左頬からうっすらと血が流れる。
「ーーほう、たいした技術じゃの。ここまで細かく魔法を操作できる人間に会うのは、久しぶりじゃ」
「あら。初めてではございませんのね」
わたくしは今度は両手を胸の高さで広げて、その両方の手のひらに大きな炎を作り出した。
わたくしが作った炎なので、わたくしは全く熱くない。
「これではどうですの?」
「そんな小さな炎など」
獣人が薄ら笑いを浮かべると、わたくしも同じように微笑んだ。
「炎柱」
わたくしが詠唱して両手を振り上げると、獣人の周りの地面から、いくつもの炎の柱がそそり立った。
「炎柱。炎柱。炎柱。炎柱」
白髪の獣人は直撃しないように避けるが、それを1つずつ増やして、獣人の足場をなくしていく。
「ーーっく、この小娘が。小癪なことを」
案の定、この獣人は炎に弱いようだ。
さっさとくたばればいいものを。
「喰らえっ!」
獣人が2本の短剣をわたくしに投げつけてきた。
わたくしはすぐにその剣を風の刃を魔法で作って弾き飛ばす。
「なっ!?」
わたくしに刺さる自信があったらしい。
残念でしたわね。
わたくし、元々、誘拐や暗殺者からの攻撃対する耐性がつきすぎて、暗器でさえ即座にぶっ壊せますのよ。
目に見えた攻撃がわたくしに届くと思わないでいただきたいわ。
「まぁ。その剣を失って、貴女、戦えますの?早く元の獣の姿に戻って、牙や爪で攻撃した方がまだマシなのではありませんか?」
アレクシス様の目の前から、そんな淫らな身体を早く消してしまわなければ。
その気持ちに押されて、徐々にこのステラの魔力と自分の魂が定着していくのがわかった。
「炎柱。炎柱。炎柱、、、」
溢れる魔力が、わたくしの身体を、流れる血のように駆け巡る。
「ステラ様っ!?」
「ステラ嬢」
「ステラ様、どうか」
ステラを呼ぶ声が耳に届いているけれど、わたくしには聞こえない。
あちこちで立ち上がる炎の柱は、この『クー・グラン』の広大な土地の半分以上を炎で埋め尽くした。
ごうごうと炎は燃え上がり、極寒の地を灼熱の地獄と変える。
獣人の女は、辺りを見渡しながら顔を蒼白にさせている。
「ーーーなんじゃ、この力は?あり得んじゃろ、たった1人の小娘が」
わたくしはほくそ笑む。
「この力?ーーーこんな力のことですの?」
元のわたくしの身体からしたら、こんな力など、たかが知れている。
だけど、わたくしには遠く及ばなくとも、ステラも魔力量は多い方であることをわたくしは知っている。
このくらいなら、魔力が枯渇することはございませんわね。
「面倒なことはこれで終わりにしますわ」
わたくしは自分の頭上に、右手で円を描いた。
その中に素早く細かい回路を描いて、魔力を込める。
「ーーー炎陣」
炎陣。それは指定した範囲全てを炎で埋め尽くす、火の中級魔法。
わたくしはこの『クー・グラン』を範囲指定した。
つまり。
『クー・グラン』の地面全てが炎に覆い尽くされた。
「貴女の逃げ場はございませんわよ」
「キャアァァアア!!」
白髪の獣人の悲鳴を聞いて、高らかにわたくしが笑うと、そこに低い老人の声が響いた。
「そこまで!!」
この声が聞こえた瞬間、わたくしの炎の魔法全てが一気に打ち消された。
焼け焦げた地面だけが、炎の痕を残し、炎によって溶けかけた『クー・グラン』を覆う氷達もまた、元の状態に戻っている。
これは、過去に戻されたのではない。
わたくしの火魔法を凌駕する氷の魔法の力。
ーーーもしかしたら、元のわたくし以上かもしれないその力の主はーーー。
「ほっほっほ。若い。若いのぉー」
好好爺と呼べそうな、細くて弱々しい、白髪の老人だった。




