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ステラ 王子様、公爵邸へようこそ

「え?ジュリアン王子がここに?」


 侍女のマリアから聞かされて、私は鍬を持つ手を止めた。頭から巻いた布が暑くて、汗が顔に流れ落ちる。土にまみれた手で汗を拭うと、かえって頬に泥がついてしまった。


「そうなんです。だから至急、屋敷にお戻り下さい。すぐに準備をしなければ」

 とても慌てているマリアに、私はクスクスと笑う。

 いくら王子とはいえ、こんな急に訪問の連絡が入る。それはつまり、それだけ気軽に家に出入りできる仲だということ。


「そんな慌てなくてもいいじゃないの。初めての訪問でもあるまいし」

「初めての訪問なんですよ」


「ーーーえ?」

 婚約者候補なのに?

 私は驚いて、ぽかんと口を開けてしまった。


 さて、それからというもの、ノイグラー公爵邸はとても忙しなく、皆、あちこち掃除をしたり花を飾ったりしている。

 第3王子とはいえ、王族が屋敷に来るとなると、それ相応の対応をしなければならないというのに、今日は父親であるノイグラー公爵が不在なのだ。


 私はというと、すぐに泥だらけの身体を洗われて、マッサージをされた後、爽やかなオレンジの色のドレスを着せられた。

「たまたま近くを通るから、ついでに少しお会いしたいーーーなんて」

 私は巨大な鏡のある化粧台の前で、パタパタと化粧をされながら、送られてきた手紙ーーージュリアン王子の印が押されたものをまじまじと読んだ。


「一体、何をしに来られるのかしら」

 この前、王宮に足を運んでから、まだそんなに経っていない。

 3ヶ月に1回だけ強制的にお茶会。

 それがジュリアン王子との関係の認識なんだけれど。

 

 粗相でもしたかしらと考えてみても、苦情であればすぐに連絡がきていたはず。

 あれから約2週間は時間が経ってから、連絡がくるということはーーー。


 あ。と私は思い当たり、いそいそと部屋の棚を開いた。

 棚に少しずつ増えていくのは、自分で調合した薬剤や、薬になる材料達。

 なぜか公爵邸の庭には、薬になるような高級素材がいくつも生えていた。山奥にしか生えないはずのものもあって、多分、意図的に栽培しているのだと思うのだけど、私はそこから少しずつ戴いては、薬にしている。


 この前、ジュリアン王子に渡したものも、ここにある素材から作ったものだった。渡した薬は2週間分。

 薬に関することが来訪の原因である可能性が高い。


 効果があったら追加の連絡がくるかとは思っていたけれどーーーまさか王子本人がやってくるとは。


 私は首を傾げて、もう一度考える。


 それでも相手は王子。

 公爵令嬢とはいえ、呼べば断ることはできないのだろうから、わざわざ王子が足を運ぶことはない。

 

「、、、もしかして暇なのかしら。ジュリアン王子」


 私が真面目に呟いた時に、王子来訪の連絡が入った。

 私は部屋を出て、王子を出迎えるために一階の玄関フロアに続く、豪華な階段を降りていく。

 大舞台の階段のようなその階段を降りると、すでにズラリと使用人達が、中央を王子が通れるように隙間を開け、向かい合って並んでいた。


 私がその花道の一番手前にスタンバイして、扉を開けた時に王子に挨拶をする心構えをしながらその時を待った。


 ぎい、と扉が開き、私は笑顔を作る。

 金色の緩やかなカーブのかかった髪が視界に入る。スカイブルーの瞳と目が合った。

 私は、ちゃんとしたカテーシーができているか気にしながら、丁寧に挨拶をする。

「輝ける王国の星、ジュリアン殿下。ようこそいらっしゃいました。お元気そうで何よりです」

 よし。悪くなかったはず。

 なのにジュリアン王子はなんとも複雑そうな顔で会釈をした。

「ーーーあぁ。久しぶりだ、イデア嬢。貴女も健やかそうで、、、」

 そう言う途中で、ジュリアン王子は首を傾げる。


 何か気になることでもあるのかな、と思った時に気づいた。

 私の頭から巻いた布が気になっているのだろう、と。

 

 いつも巻いている普通の布で王子の前に出るのは流石に無礼かなと思って、ちゃんと上等の絹を取り寄せて、顔からかかるタイプの見映えの良いものを手作りした。それでもまだダメだったか。

 私は顔の前の布を指差して、軽く首を倒す。

「これのことは気にしないで下さい」 

「気にしないでと言われてもーーーいや、そうだな。気にしないように心掛けよう」

 目を閉じて、ジュリアン王子は咳払いをするように口に手を持っていく。

 とても何か言いたそうだ。


 でも仕方ないわよね。

 オースティン父が私の、というかイデアの容姿を見て悪い男性に声をかけられないか気にしているのだから。

 ジュリアン王子も、あくまで婚約者候補。まだ確定ではない。ということは、やはりこの布は必要だろう。


 私が何事もないように動き始めると、ジュリアン王子はそれに続く。


 応接室に案内されたジュリアン王子は、応接室のソファーに座り、この前も一緒にいた侍従の男がその横に立つ。

 私はその向かいのソファーに座った。


 侍女のマリアが、最近入ったばかりのお茶を王子と私に差し出す。侍従の男が毒味をするかどうかで視線を合わせ、ジュリアン王子はその男に首を振った。

 ジュリアン王子はカップを手に取り、それを1口、口に入れる。


 これはーーー王子なりに私を信頼しているという暗黙のアピールだろうか。


 ジュリアン王子がお茶を飲む間、沈黙が続く。

 何しにきたの、なんて、格下の私から話を切り出すわけにもいかず。

「お菓子もいかがですか。これは私が作りましたの。お口に合えばいいのですが」

 ジュリアン王子は青い瞳をまた私に向ける。

「、、、君が?」

「ええ。まさかジュリアン殿下がおこしになるとは思わず、工夫もないただのお菓子ですけれど」

 

 公爵邸のお菓子は美味しい。

 とても美味しいけれど、あまりに高級なものを使いすぎていて、正直、食べ過ぎるとゲッソリする。だから庶民のお菓子が懐かしく、最近、自分でお菓子を作るようになった。公爵と同じく高級なものしか食べたことがないだろう王国の王子様に、私の食べ慣れた手作りのお菓子を出すのは失礼なのかもしれないけれど。


「ふぅん、、、いただこう」

 ジュリアン王子が私の手作りのお菓子を口に入れると、さくり、と音がした。

 

 ジュリアン王子の手が止まる。

 

 しばらくして、またジュリアン王子の口が動き始め、サクサクサクと噛み始めた。

「美味しい、だと!?」

 疑問符がついているのが少し気になるけれど、美味しいと思ってくれたことは素直に喜ぶ。

 

「良かった!私、このお菓子が大好きで。クッキー生地に、アーモンドと砂糖を溶かしたものをかけて焼いただけのもので、とても簡単なんですけど、これが最高に美味しくて」

 正確には、継母アンナとリリアンのおやつの時間のためにお菓子を作っていた。自分で作ると、そのお菓子の残りやその欠片などをこっそり食べることができた。

 私がこのお菓子が好きだからよく作っていたけれど、あまりに作りすぎて、継母から文句を言われたこともある。

 ジュリアン王子は私を見ていた。

「、、、君は、薬だけでなくお菓子まで作れるなんて、、、多才なんだな」

「多才だなんて」

 私は首を振る。こういうのを多才とは言わない。作る必要があったものができるようになっただけ。

 薬も料理も裁縫も。全て必要だったからできるようになっただけだ。

 別に褒められることは何もしていない。

 褒められるというのは、できないことができるようになったりーーーあ。

「そういえば」と私は声に出した。


「お野菜。食べました?貧血に良い料理があるんですよ?今からどうですか」

「今からどうですか、とは?」

 ジュリアン王子は、その話の展開についていけなくて、困った顔をしている。


 ダメね、私。

 思い付いたらすぐ行動してしまう。

 でも動き出したのだから、仕方ないわね。


 私は「失礼します」と言って立ち上がり、マリアに耳打ちする。「至急で」と伝えたので、きっとすぐに準備してくれるだろう。


 その間に、私は私ができる準備をする。私は一旦応接室を出て自分の部屋に戻った。

 棚から取り出したのは、火の出る魔道具。

 とはいっても武器ではなく調理用。


 多少高価にはなるけれど、オースティン父にお願いしたら、すぐ購入してくれた。

 

 キッチンでなくても部屋や野外で料理ができる優れもの。『即席コンロ』と名付けられたその魔道具の存在を知った時から、欲しくて仕方なかった。

 

 そのコンロを、応接室に戻って王子の目の前のテーブルに置き、お皿を並べる。部屋に準備が整ったところで、マリアがあちこち手配して、すべての材料を持ってきてくれた。


 私はそれを確認して、小さく頷く。

「うん、バッチリね」

 それもテーブルに並べて「今から料理して良いですか」と笑顔で尋ねる。手には包丁。

 侍従の男が「殿下の前で刃物や火を使うなんて」と止めようとしたけれど、それもまたジュリアン王子に制止された。

「マテオ。いい。好きにさせろ。ここは王宮ではない。公爵邸だ」

「し、しかし殿下、、、」

 戸惑うマテオと呼ばれた侍従の男は、王子の強い視線にしぶしぶと諦めて、元の位置に戻る。


「良いのですね!では今から調理を始めます。食事は出来立てが一番美味しいですから」

 そうして私は、まな板の上にほうれん草を置き、ザクザクと素早く切っていく。それを作りたてバターを乗せたフライパンで炒める。

 塩コショウを少々。

 とれたて牛乳を少し一緒に混ぜた卵を上から流し入れて、取っておいた野菜たっぷりお出汁も入れる。

 しばらく炒めて。

「完成!」

 

 私はそれを皿に盛って、ジュリアン王子に差し出した。

「ただのほうれん草の卵とじ、ですけど。ほうれん草はとても鉄分が豊富で、貧血に良いんですよ」

 ジュリアン王子は、その料理をじっと見る。

 なかなか手を動かさないジュリアン王子に、私は「遠慮せずに!パクッといっちゃって下さい」と勧める。

 不安そうな顔でジュリアン王子を見つめるマテオと、敵を見るかのように料理を見るジュリアン王子の視線。

 だいぶ待ったが、ようやくジュリアン王子が諦めて、口に1口、パクリと入れた。


 ジュリアン王子は、苦虫を噛み潰したような顔をしてみたが、じわじわと元の顔に戻っていく。

「ーーーえ?」

 不思議そうにした後、マテオが「殿下。大丈夫ですか?」と心配して問う。それには返事をせず、ジュリアンはもう1口、その料理を食べた。

 もぐもぐと咀嚼して、ごくんと飲み込む。

「ーーー食べれるーーーだと?」

 ジュリアン王子は自分の口の前に手を置き、そして小さく呟く。

「しかも美味い」

 その言葉に、私はパッと目を輝かせる。

「っでしょう?これは新鮮な卵と、アントニオの作りたてのバターと牛乳が美味しいからで」

「、、、、」

 いつの間にか完食してしまっていたジュリアン王子は、聞いているのか聞いていないのか、食べていた食器を置いて、私を向いた。


「ーーーこの前の薬はよく効いた。また追加できるか」

「え、ええ。すぐに準備します」

 突然帰る雰囲気を出したジュリアン王子に、やっぱりその話だったのかと、私は準備した薬を袋に詰めた。

「薬の量は2週間にしますか?効果があったのなら、もう少し長くも渡せますが」

「2週間でいい」

「そうですか。では2週間分。また薬の効果に問題なければ、王宮まで送り届けられますので、わざわざここまで来られなくても大丈夫ですよ」

「また来る。ーーーでは失礼する」


 立ち上がり、ジュリアン王子はマテオを連れてさっさと屋敷を出てしまった。

 嵐のようにやってきて、嵐のように去ったジュリアン王子の乗る王宮の豪華な馬車を見送りながら、私はマリアに尋ねる。

「、、、私、なんか王子の気に触ることをしてしまったかしら」

 そうですねぇ、と私に少しずつ打ち解けてくれているマリアは答えた。

「婚約者である王子に、直接お顔も見せず、本人の嫌いそうな食事を目の前でいきなり料理した上に、無理強いのような形で食べさせたこと以外には、思い当たらないですねぇ」

「、、、、」


 ダメだったかしら。

 でも、ジュリアン王子は、ちゃんと最後まで食べてくれた。美味しいとも言っていた。料理の問題ではない気がする。顔を隠すのも、気にしないように心掛けると言ってくれていた。だから多分違う。

 でもそれ以外に、確かに理由がない。


 ふむ、と考えてーーー。

 微笑む。 

「便意があったのかもしれないわね。そうに違いないわ」

「え、絶対違うと思いますけどーーー」

「いいのいいの。そういうことにしましょ」

 そして私は、ノシノシと歩き始めた。


 考えても仕方ないことに時間を使うのは勿体無い。私は今から、野菜作りのための土を耕すという大仕事がある。

「さあ、働きましょう!」

 明るい太陽。透き通るような青い空が私を待っている。外に出ると優しい風が吹いて、とても気持ちが良い。

 そうして私はまた鍬を持って庭に行くのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 王宮の馬車の中で、ジュリアン王子は、ガタガタと揺られながら、馬車から外を眺めていた。だが、その視線の先に外の景色は見えていない。


「、、、本当に大丈夫なんですか?殿下。ほうれん草なんて、殿下の嫌いな野菜の中でもトップクラスのものじゃないですか。以前に食べた時なんか、2日くらい口の中から苦味が取れないってずっと機嫌悪かったのに」

 王子の向かいに座るマテオに言われて、ジュリアン王子は、窓の方を向いたまま返事をする。

「ーーー問題なかった」

 そうとだけ答える。マテオは一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐにまた顔をしかめる。


「だいたい、なんですか。殿下の前だというのに、顔を隠してみたり、急に火や刃物を使いだしたり」

 何かあれば侍従件護衛であるマテオの過失になってしまう。そういう意味で、マテオはずっと気が気でなかった。そんなマテオの様子に、ジュリアン王子は小さくため息をついた。

「怒鳴って暴れだしたりするよりマシだろう」

 そうジュリアン王子が窘めると、「確かに」とマテオはしゅんとして呟く。


 ガタガタと馬車は揺れる。

 外出どころか、外気に触れるだけで具合が悪くなっていたはずなのに、外出して、更にこんなにも揺れる馬車に乗っても車酔いもしない。

 イデアに貰った薬を飲んでからだ。

 でも薬だけではない。他にもーーー。

 

 ジュリアン王子は、多くの疑問が頭を過っては消えずに、ずっと巡り続けていた。


 『イデア公爵令嬢』という存在は、優秀かつ高い地位にはいるものの、ワガママで癇癪持ち。その有り余る権力と魔法の力で他人に対して残虐非道で有名だった。

 実際、幼い頃に婚約者候補となってからというもの、3ヶ月に1回会うようになったが、その度に彼女は怒鳴ったり、その癇癪によって王宮の物や人が数えきれないほどに破壊された。

 彼女を『人』と思わないことでなんとか最近までやってこれていたのだが。


 この前、『3ヶ月の日』で会った時から、イデア嬢は変わってしまっていた。

 終始穏やかで、とても感じが良い。

 能天気そうに見えて、時々、様々な知識や才能を発揮してみせる。

 薬作りも、お菓子作りも、料理も。


 丸々と太り過ぎて、『人でないもの』の姿に例えられるほどなのに、あのように顔を隠されると、何故か布をめくって見たいと思ってしまう不思議。


 そしてーーー彼女の手作りのものは、薬でも料理でもーーーなぜかとても身体に染み渡る。

 

 そもそも、公爵邸に病弱な自分がわざわざ足を運んだのは、その薬の効果が出すぎたからだった。


 常に重く苦しい身体が、彼女の作ったという薬を飲み出してから、信じられないほどに楽になった。

 王宮の優秀な医師達がどんなに苦労して処方しても回復することはなく、ただ悪化を防ぐだけだったのに、僅かの時間、話をしただけの彼女の薬がこんなにも自分の身体に効くなんて、どう考えてもおかしい。


 他の、王宮に知られていない『公爵のツテ』での優秀な医師や薬師が作ったかとも思っていた。

 本当にイデア嬢自身が作ったとして、どのような材料で、どのようにして作っているのか。

 それを見せてもらわねばと、薬がなくなるタイミングで公爵邸に来てみたはいいがーーー。


 まさか、お菓子や料理までも、あんなに美味しく、そして身体に染み渡るとは。


 公爵邸にくる前と比べ物にならないほど、身体が軽くなっている。これはどう考えても異常だ。

 

 薬だけじゃなく、彼女が作るものを取ると。

 いや、むしろ、彼女がそこにいるだけで空気が澄んでいるように思う。息がとてもしやすい。

 彼女がいることで何かがーーー。


 と考えて、「じゃあ、何があるというのだ」という疑問によって結論に至らず思考が終了する。

 堂々巡りだ。

ジュリアン王子は、もう一度小さく息を吐いた。


 顔は見えないが、楽しそうに料理をするイデア嬢。

 ケラケラと明るく笑い、その場を和やかにするあの雰囲気。布の端からわずかに見える薔薇色の小さな唇。むちむちした腕のあの白く艶やかな肌。

 それに意外と可愛い声をしている。

 ーーーそんなこと、今まで思ったこともないのに。


「、、、マテオ」

「はい?」

 何かを考えている風だったのに急に名を呼ばれて、マテオはびくりと姿勢を正す。

「どうかしましたか?」

「イデア嬢から、人の名が出るなんて珍しいが、、、アントニオって名の男ーーーどう思う?」

「へ?」

 マテオはジュリアン王子の意図がわからず、ただ首を傾げた。

「どう思う、とは?」

「ーーーいや、いい。忘れてくれ」


 自分が言ったことを、自分で否定する。

 そうだ、何を言っているんだ、とジュリアン王子は自分自身を可笑しく思う。


 まさか、イデア嬢から男の名が出ただけで、胸にモヤがかかって落ち着かなくなったーーーなんて。


 そんなこと、言えるはずがない。

 相手は世間でも有名な『悪魔の豚姫』なんだ。

  

 ジュリアン王子は、自分の考えを何度も打ち消しながら、王宮までの馬車の道のりの間ずっと、イデアのことを考えて過ごしたのだった。

 

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