あだ名で呼び合おう
林間学校当日がやってきた。
それぞれ生徒は班ごとに集まってバスに乗り、目的地である山の中の施設へ向かうことになっている。
俺たちの班も例外なくバスに乗せられ、ドナドナと山へ連行されて行っていた。
バスの座席については原則班ごとに集まって座るようになっていた。そしてバスは一番後ろにある後部座席以外は二人がけの座席。
俺たちの班はバスの中央付近に集まって座ることになった。
ということで二人がけの座席の俺の横に座っているのは、もちろん唯一の友達である西澤だ。
今日は林間学校という通常の授業とは違うイベントなので、いつもの制服ではなくジャージ姿なのだが、相変わらずビッチの西澤はジャージをイイ具合に着崩している。
いや、乱していると言った方がいいか。ところどころダメージありのジャージになっている。
また上ジャージのジッパーを胸の位置あたりまで下ろしているため、下に着ている白いTシャツがちらりと覗けるような状態となっている。
まあ、ただの白いTシャツだとわかってはいるのだが、俺としては、その、目のやり場にに困る。
そういうわけで俺は西澤を意識し過ぎないように、バス内で勉強に勤しむことにした。
「ねえアレ見て〜!アレ!可愛くない〜?」
西澤はテンションが上がっているのか、いつもより声が若干高めだ。そして俺の腕を引っ張り、窓から見える可愛い何かを見せようとしてくる。
だが俺は西澤の声をスルーし参考書をただ眺めた。
「移動中は貴重な勉強時間なんだ。静かにしてくれないか」
「むー。キョーミの件はどうなったの〜?」
「ぐっ……」
一番のウィークポイントを突かれると、俺は返す言葉もなくなってしまう。
どうしようもない。西澤に付き合うとするか。俺は参考書をリュックに入れた。
「なんだ?何が見えるんだ?」
「ほらアレ!」
指が差された方向を見てみると、なんか熊のような謎の着ぐるみが、道沿いのパチンコ店の前に棒立ちしていた。
「アレが可愛い?奇妙の間違いじゃないのか?」
「なに言ってんの〜?どう見たって可愛いじゃ〜ん!ほらあの丸っこいフォルム!ちょっと上を向いた目!可愛いでしょ!」
西澤の可愛いの基準がわからん。俺にはアホっぽい奇妙な存在にしか見えん。
だが、まあ、なんだ。西澤が可愛いと言うのなら可愛いんだろう。
それからも西澤は事ある毎に「アレ見て!綺麗じゃない?」などと言ってくる。
おかげで通路側に座っている俺は、窓側に座っている西澤の座席越しに何度も外の景色を見させられることになった。
そうしているうちにバスは次第に街から山中へと入って行っていた。
また当初はあったバス内の騒がしさも、いつの間にかなくなっていた。ぐるりとバス内の様子を見回してみると、疲れたのか寝てしまっている生徒が多数だった。元気なのはむしろ俺たちくらいだ。
「ねえ、なんか一緒に車でドライブしてるみたいだね」
突然西澤は耳元で囁いてきた。くすぐったくなるような声だった。
「ドライブ?バス旅行の間違いだろ?」
「もう、あたしの中ではキミとのドライブなのっ」
「あっそう」
「そうなのっ。で、キミはさ、車の免許とか取る予定ある?」
「免許?ああ、免許証は身分証明にもなるし、一応持っとかないといけないと思ってるからな。免許は取る予定だ。車も必要となれば買う」
「じゃあ免許を取って車も買ったら、あたしをこんな風にドライブに連れてってねっ」
そう言うと西澤は頭を俺の肩にもたれてきた。
まただ。最近の俺はいつも西澤によってひどく胸が締めつけられる。
西澤のひとつひとつの表情や、今のような言動によって、胸をキュッと締めつけられる感覚になってしまう。甘酸っぱい感覚といえばいいのか。まるで砂糖漬けにしたレモンを搾ったようだ。
これまで一度も友達がいなかった俺は、友達同士でこのような感情になってしまうものなのかどうかはわからない。
だが俺は感付いている。この感情は友達同士としての感情ではなく、別の関係としての感情なのだと。
俺は西澤を相手にそんなことを想うはずがないと思っていた。
だいたい俺は高校生のうちにそんな関係にはならないと決めていた。決めていたはずだった。それなのにこれだ。もう間もなく俺の意志は決壊しそうな勢いだ。
しかし一方で俺は厳しさもわかっているつもりだ。なにせ母さんにあんなことがあって離婚してしまったんだから。
そしてやはり、そういうことは高校生では早いと、そう思うわけで……。
「ああ、免許取ったら連れてってやるよ。友達としてな」
「友達として……。そうだね。まだ友達としてだもんね」
「まだ?」
「こっちのハナシ。気にしないで」
そう言うと西澤は、窓の方を見て切ない表情になった。
まだ友達……。
この言葉だけで西澤の考えていることも恐らくだがわかる。
しかし、俺には不安がある。それは西澤にはビッチ、しかも至高のビッチという噂が流れているというところだ。
果たして至高のビッチが孤高のボッチをターゲットにするのか?
これを考える度に、そんなことあるはずがないよなあ、と思ってしまう。
まあただの遊び相手、暇つぶしの一人として俺を狙っている可能性はあるが。
だが遊びや暇つぶしでここまで一人の男に迫ってくるものなのか?
それとあの期末テストの宣戦布告のときは、成績が一番の俺に興味があってしょうがないと言っていた。
俺にとっての興味の対象は勉強だ。俺は勉強が好きだ。
じゃあ西澤は?
西澤の興味の対象とやらは、やはり俺のことで、ということはやはり俺のことが……?
それにもう一つ不安がある。
もし俺が成績で一番を取れなくなったら?
俺が一番でなくなったとき、西澤は興味の対象から俺を外してしまうのでは?
などと、俺が深く頭を悩ませている時だった。
「ねえ、せっかく友達同士になったんだし、あたしたちあだ名で呼び合わない?」
西澤が面白い提案をしてきた。
「あだ名?じゃあ西澤は至高のビッチだから……シコビッチとか?」
「じゃあキミは孤高のボッチだからココボッチだね!って、ぜーんぜん違う!もうっ!ほら、もっとこう、下の名前で呼び合う……的な?」
下の名前で呼び合う……。
ああ、確かにクラスの男子たちは気軽に「タカ」とか「トシ」とか下の名前で呼び合ってるもんな。
女子も女子で、「ハルカ」とか「ハルナ」とか言ってるし。
西澤も俺とそんな風に呼び合いたいのか。なるほど。
「ちなみに西澤はあのイケてるビ……友達たちからは普段何て呼ばれてるんだ?」
「あたしはまあ、フツーに彩香とか、あやっぺとか、あやち、とかかな」
「じゃあ彩香で」
「もう……急に呼ばれると照れるじゃん……。でももう一回言って……?お願い……」
「あ、彩香」
「嬉しい……。ありがとね、マーくんっ」
「マ、マーくん!?」
「そっ、雅人くんだから、マーくん」
「恥ずかしいな、マーくんか……」
母さんは俺のことを「マサくん」と呼んでくるが、「マーくん」は家族にすら呼ばれたことのない呼び方だ。慣れるのに苦労しそうだ。あと思った以上に照れる。
「も、もちろんこれは、二人っきりのときだけの呼び方だよっ」
「ああ、そうしてもわらないと困る。突然教室でマーくんなんて言われたら俺、すごく恥ずかしいし、クラスの男子たちからは来世まで呪われそうな気がするからな」
「ふふっ、わかった。じゃあこの呼び方は二人だけのヒミツだね。あーあ、またヒミツが一つ増えちゃったね。マーくんっ」
「そ、そうだな……彩香……」
「照れっ照れだねえ〜」
「う、うっさい!」
「えいっ」
「ふぐおっ」
ここにきてお馴染みの脇腹を小突かれた。
そしてそうこうしているうちに俺たちは山の中の施設へと到着した。




