設定駄目出し④:ヒロイン苛め
ゲオルグは、この日の打ち合わせに向かう馬車の中で深い溜息をついた。
今回持参したのは、現在王都で売れている『略奪純愛物』の中でも、特に人気の高い作品を数冊纏めたものだった。勿論、作者や出版社には許可を得ている。彼らもまた貴族向け市場への参入を狙っており、『何処が拙いのか知りたい』と考えていたのである。
そして、ゲオルグ自身も興味があった。これまでアレクシアは世界観や制度そのものについて説明してくれた。ならば今回は、物語そのものへどう駄目出しをするのだろう。
そんな期待半分、不安半分で応接室へ案内される。
「今回は他社の作品もお持ちになったのですね」
スザナが苦笑しながら本を受け取る。
「はい。私共だけではなく、他の出版社も参考にしたほうが、今後のためになるかと……」
「良い判断です」
アレクシアも頷いた。
「1社だけの癖や得意分野ではなく、市井の恋愛小説全体の傾向が解るもの」
そう言って1冊目を開く。パラパラとページを捲り、ある場面で指を止めた。
「あら」
小さく笑う。
「やっぱりあるのね」
ゲオルグは身を乗り出した。
「何でしょう?」
「ヒロイン苛め」
その一言だった。成程とゲオルグも頷く。確かに今の恋愛小説には必ずと言っていいほどその要素は含まれている。悪役令嬢が平民や下位貴族のヒロインを虐める。だから読者はより一層ヒロインへ感情移入し、最後に悪役令嬢が断罪されることでカタルシスを感じる。言ってしまえばお約束の展開だった。
アレクシアは本を閉じる。
「まず、結論から言うわ」
静かな声だった。
「市井のロマンス小説に出てくる苛めは貴族社会では有り得ない。特に高位貴族」
断言だった。ゲオルグは慌てて帳面を開く。
アレクシアは本を1冊ずつ積み上げていく。
「何処から説明しましょうか……」
パラパラとページを捲る。
「私物を隠す、壊す。ドレスを破く。水をかける。階段から突き落とす。噴水へ落とす。無視する。お茶会へ呼ばない」
読み上げるたび、ゲオルグは『ああ、あるある』と心の中で頷く。どれも人気作品では定番である。
アレクシアは肩を竦めた。
「嫌がらせとしては全部有り得ないわ」
「全部ですか?」
「全部よ」
そこまできっぱり言われると、逆に気になる。
「まず、私物を隠したり壊したり」
アレクシアは1冊を開き、栞を挟んだ場面を示した。
「ここでは祖母の肩身の首飾りを悪役令嬢が壊しているわね」
「はい」
「何故そんなことを?」
「え?」
ゲオルグは尋ねられて逆に戸惑う。
「嫌がらせでは?」
「だから」
アレクシアは笑ってしまった。
「その発想が平民なの」
「……はい?」
「貴族はこんなこと思いつかないもの」
ゲオルグはぽかんとした。思いつかない? 嫌がらさせをするなら、真っ先に思いつく方法ではないのか。
「貴族って、持ち物はきちんと管理されているの。準備するのも片付けるのも侍女や侍従よ。下位貴族だと自分で、ということもあるようだけど」
学院内まで使用人が側にいることにゲオルグは驚く。
「ああ、そういえば、平民の学校と貴族の学院では人数がそもそも違うのよ」
今気付いたというようにアレクシアは手を合わせる。
「貴族の学院は1クラス10人いるかどうかよ。それぞれの机は……そうね、このテーブルくらいはあるわね」
目の前のテーブルを示される。平民の学校ならば横に並んで5人は使えるだろうほどに大きい。
「高位貴族やある程度裕福な中位・下位貴族は家から侍従か侍女を連れてくるわ。そうでない場合は学院の職員の侍従侍女が付くの。彼らが持ち物を管理するから、他の誰かが他人の持ち物に触れることはないわ。だから、私物を隠したり壊したりという発想がない、というより出来ないのよ」
完全な盲点である。平民の学校の規模と設備で考えていた。貴族の学院はまずそこからが違うのだ。確かに貴族がちまちまと自分で筆記用具や教科書の準備をして、片付ける姿は想像できない。
「それにね、貴族の嫌がらせの基本は無視。存在をないことにするのよ。そのうえで気に入らなければ家の力を使う」
「無視……家の力」
「だから、ちまちまとした個別の嫌がらせなんてしない。邪魔なら排除する。その家ごと」
さらりと言われた一言に、ゲオルグの手が止まる。
「排除……」
「ええ」
紅茶を一口飲みながら続ける。
「商売をしているなら店を潰す。勤め人なら仕事を失わせる。王都から追放する。国外へ出す。或いは──事故死」
最後だけさらりと言った。しかしそのほうが恐ろしい。アレクシアは苦笑する。
「勿論、小説でそんなことをしたら物語が終わるでしょう?」
「はい……」
「だから、作者は読者が想像しやすい学校での苛めに置き換えているのでしょうね」
ゲオルグは何度も頷いた。貴族の嫌がらせが想像できないから、平民が解りやすい、読者が共感できる嫌がらせが描かれるのだろう。だが、それは貴族から見れば何故そんな迂遠な手間のかかる幼稚なことをするのかと思われ、共感を得られない。
「だから、全て有り得る嫌がらせとして、どうなのかお話しするわ」
つまり、どれも本来なら貴族では有り得ないことなのだ。ゲオルグはそれも確りとメモした。
「ドレスを破く」
ページを見せる。舞踏会で悪役令嬢がヒロインのドレスを裂く有名な場面だった。
「まぁ……準備段階で使用人にやらせるなら、なくはないけれど。会場でするのは無理があるわ。ドレスの生地って結構頑丈よ? 刃物を持ち歩いているのかしら。でもわたくしたちが手にする刃物って、ペーパーナイフかカトラリーくらいなものだわ。それで破けるの? 汚すにしても何を以て汚すの?」
「定番は泥でしょうか」
「高位貴族令嬢が、泥を運んで汚すの? 会場に持ち込んで? 態々?」
ゲオルグは想像してしまう。豪華なドレスを着た公爵令嬢が、庭で泥を集め、両手で抱え、こそこそと運び、標的を探す。確かに滑稽だった。アレクシアも笑いを堪えている。
「想像できた?」
「……はい」
「有り得ないでしょう?」
「有り得ませんね」
初めてゲオルグは自分からそう断言した。言われてみればその通りだ。上位貴族がそんな真似をするくらいなら、もっと別の方法を使う。それこそ、家の力を。アレクシアは満足そうに頷いた。
「今日はまだ始まったばかりよ」
「まだあるんですか……」
「勿論」
悪戯っぽく笑うその表情を見て、ゲオルグは苦笑した。どうやら今回も自分の常識は木端微塵になるらしい。彼は新しいページを開き、改めて万年筆を握り直した。まだまだ今日の講義は終わりそうになかった。
今日だけで何度の『有り得ない』を聞いただろう。しかし、アレクシアの説明には一貫して理由がある。単なる『わたくしの好みではありません』ではなく、『その社会では成立しない』という理屈なのだ。だからこそ、編集者であるゲオルグにも納得できる。
物語を描く作者は読者に違和感を抱かせてはならない。そのためには、まず作者自身がその世界に納得していなければならない。そして今、自分は漸く貴族社会という世界の輪郭を少しずつ理解し始めていた。
アレクシアは次の本を開いた。
「では、水をかける場面ね」
そこにはヒロインと悪役令嬢が校舎の廊下で向き合っている挿絵が描かれている。ヒロインは水を浴びて哀れな姿だ。ゲオルグも見覚えがあった。王都で大ヒットした人気作である。該当する本文には『悪役令嬢がヒロインに水をかけた』としかない。
「水をかけるって、どうやって? 個々人で魔法を使える者はいないし、水を出す魔道具はあるけれど、全て器に付属したもので持ち運べるものではないわ。だとすれば何処かで水を汲み何かの容器に入れて運んで水をかけるの? その姿を想像してみて。有り得ないでしょう。水を入れる瓶なんて重いでしょうし。せめてカフェや食堂ならまだしも、廊下ではね……」
真顔で問われ、ゲオルグは思わず噴き出しそうになった。確かに水を運ぶ大きな桶や瓶など、洗濯場や井戸にはあっても学院の廊下には存在しない。況してや公爵令嬢が使用人から桶を奪い、廊下を歩いて待ち伏せする姿など、滑稽以外の何物でもない。
「……言われてみれば」
「言われなくても気付いてほしいところだけれど」
アレクシアは呆れたように笑う。
「では、これは?」
ゲオルグは別の本を差し出した。
「お茶会で紅茶をかける場面です」
「ああ、それならあるわ」
「あるんですか!?」
初めて肯定された。ゲオルグは思わず身を乗り出す。それにアレクシアは頷く。
「ヒロインと悪役令嬢が同席することは有り得ないから、それについては後でね。でも、紅茶やワインを掛けるというのはあるの。こう、相手の顔にパシャっと」
空になったティーカップをゲオルグに向け、顔に掛ける振りをする。
「社交の場で侮辱されたときにするの。けれど、それを隠したり、弁解したりはしないわ。侮辱されたと示す行為なのだから。掛けた後に追及したり叱責したり、或いは政治的な宣戦布告をしたり。嫌がらせですることはないわ」
ゲオルグは瞬きを繰り返した。
「宣戦布告……ですか」
「ええ。殿方が手袋を相手の顔に叩きつけるのと似ているわね」
アレクシアは当然と言う顔をする。
「例えば、家門や家族、領民を侮辱された。婚約者を辱められた。そうした場合に、『今の発言は看過できかねます』という意思表示として飲み物を掛けることはあるわ」
「つまり、感情ではなく……」
「政治ね」
その一言で理解した。貴族社会では怒りすら社交の一つなのだ。だから、小説のように感情に任せて、或いは何のアクションもないのに紅茶をかけるような真似はしない。そんなことをすれば、自分の家が責任を負うことになる。
「成程……」
ゲオルグはまた一つ世界が変わる音を聞いた気がした。
アレクシアは更に本を閉じる。
「次は噴水。学院に噴水なんてないわ」
「……ありませんか」
「ないわ」
きっぱりとした否定だった。
「学院は教育施設だもの。敷地内のあるのは全て教育に関わる施設と設備よ。憩いの場などないの」
言われてみればその通りである。裕福な平民向けの学校では生徒獲得のために庭園があるところもあるが、貴族の学院は生徒獲得など必要なく実用第一。国費で運営されているのだから無駄な設備に維持費を掛ける理由がない。
「では、階段」
アレクシアは次の場面を指差す。
「高位貴族は移動の労力をかけないために教室が1階にあるの。上層階は下位貴族ね。態々高位貴族が上層階へ行くことはないわ。でも、それだと物語には合わないわね。全ての爵位が同じクラスになるのだし。それでも階段から落とされるというのはないの。学院の階段には転倒転落防止の魔法が掛けられているから」
「転倒防止の魔法……」
「当然でしょう」
アレクシアは少し首を傾げる。
「学院には王族も通うのよ。王族がいなくても生徒は全て貴族だもの。万全の安全対策をするわ。窓は全て外からは割れない魔法がかけてあるのよ。襲撃がないようにね。逆に内側からは簡単に割れるようにもなっているわ。万が一の時の脱出路になるから」
その理屈にはぐうの音も出ない。貴族の安全対策。だから、たとえ僅かな可能性であっても排除し、魔法で万が一に備えて対処する。至極当然のことだった。
ゲオルグは感心しながらペンを走らせる。
「では次ね」
アレクシアは一番よく見る場面を指さした。
「下位貴族だと馬鹿にして文句を言う」
ページには悪役令嬢が男爵令嬢へ厳しい口調で責め立てる場面が描かれている。アレクシアは読み終えると微笑んだ。
「既存の小説を読む限り、言っている内容は貴族の常識ね。下位貴族から声をかけない、勝手に名前を呼ばない、異性に触れない。どれも当然のことよ。それを指摘するのは指導であって苛めではないわ」
ゲオルグは言葉を失った。悪役令嬢が言っていた台詞は実は正論だったのだ。読者はヒロイン視点だから悪役に見えていただけ。貴族から見れば、常識を知らない者へ常識を説いているだけだった。
「それにね、わたくしたち高位貴族であれば、直接ヒロインの男爵令嬢に声をかけることはないの。まずは相手の男爵家の寄り親もしくは本家の令息か令嬢に声をかけるわ」
寄り親や本家。以前にも出てきた言葉だ。貴族社会ではかなり重要らしい。直属の上司や本部のお偉方という捉え方でいいだろうか。
「寄り親や本家の方にね、お尋ねするの。『あの寄子の娘は礼儀がなっていないけれど、どうなさるの?』とね。或いは『あれを放置しているということは、貴家は我が家に何か含むところがおありなのかしら?』と」
その言葉にゲオルグは愕然とする。学園恋愛小説では考えられないものだった。やはりここでも『政治』なのだ。学院が社交の実践練習の場というのは、こういった立ち回りを学び、対処を学ぶということなのだ。『学院=社交の実践訓練の場』と大きくメモをする。
「そして、最後」
アレクシアは静かに締めくくる。
「無視する・お茶会に呼ばれない。付き合いのない下位貴族から声を掛けられて無視するのは、寧ろ温情よ。不敬に問われて当然のことだもの。通常はまず侍女か侍従、或いは側にいる同格の令息令嬢に取次を頼むの。そこで名乗り、『知り合い』になれば次からは対面して頭を下げ声がかかるのを待つ。学院だとそれでは不便だから、基本的に目が合えばこちらから声をかけるわね。まぁ、親しい友人になれば、公的な場ではない限り、そこまで五月蠅くは言わないけれど」
日常まで貴族は階級を重んじるのだとゲオルグは内心溜息をつく。面倒臭い。しかし、それが貴族社会のルールなのだ。
「お茶会も付き合いのある友人か派閥と行うの。お茶会は飽くまでも社交であって、謂わば仕事よ。情報交換の場であり、情報操作の場でもある。そこに家に何の利益もない下位貴族を招く理由はないわ」
ゲオルグは思わず天井を仰いだ。平民にとってのお茶会は遊び。友人たちの気の置けないお喋りの場。しかし、貴族にとってはそうではない。たとえ友人たちのお喋りが中心だとしてもそこには情報交換が含まれる。大なり小なり貴族のお茶会は社交の中心であり、会議でもあるのだ。だとすれば会議へ部外者を招かないのは当然である。だから『仲間外れ』は成立しない。最初から参加資格がないのだから。
アレクシアはティーカップを置き、穏やかな口調で続けた。
「ヒロイン苛めとされている内容は恐らく平民にとって苛めと認識しやすい内容でしょうね」
そして、その声音が少しだけ冷たくなる。
「でも、高位貴族が下位貴族の令嬢を邪魔に思えば、潰すわ」
部屋の空気が変わった。
「本人だけを潰すのか、家ごと潰すかは、その行い次第。例えばわたくしだったら、分家や寄子の令息や令嬢の前でちらりと相手を見て『不快ね』と呟くだけでいいの」
ゲオルグは息を呑む。
「そうすると、分家や寄子、我が家に擦り寄りたい貴族が、その令嬢の家に様々な圧を掛けるわ。1か月もしないうちにその令嬢は学院から姿を消すでしょうね。その令嬢がやってきたことによってはこの世から姿を消すこともあるでしょう。高位貴族を敵に回すとは、そういうことよ」
脅したわけではない。事実を述べただけ。だからこそ、恐ろしかった。
アレクシアは小さく肩を竦める。
「勿論、頻繁にすることではないわ。だから、わたくしも読み取る周囲もどの程度で済ませるのか、発言に気を付けるのだけど。尤も、そんなことを物語にしても読者は楽しめないでしょうし、貴族に無用の恐怖を与えるだけでしょう」
「ええ……」
ゲオルグも苦笑するしかない。現実はあまりにも救いがない。だから小説では靴を隠し、池に落とし、悪口を言う程度に留めている。それは現実を知らないことは元より、読者が共感しやすい、望む物語に添わせた結果なのかもしれない。
帳面を閉じながら、ゲオルグは改めて思う。夢を描くことは悪くない。だが、リアリティを持たせるならば、その現実をまずは徹底的に知らなければならない。
そして今日もまた、自分の中の『貴族令嬢たちの学院生活』は大きく塗り替えられたのだった。




