15-31 戦闘狂
肉体を有する生命体には、肉体を維持しなければ、生命活動が停止するという欠点がある。
心拍、血流、水分補給、呼吸。
様々なモノを外部から摂取し、自らに取り込まなければ、容易く命を失ってしまうのだ。
本来あるべき酸素濃度。
それを薄められただけでも、人体にとっては致命的だ。
肉体は必要量の酸素を得ることができず、ただそれだけのことで即座に意識を失い、死に至る。
――――普通はそうだ。
「コイツ……!」
冷静な態度を崩しはしないものの、タデウスの口調には焦りの色が見られた。
それも仕方がないことだ。
理論上、ありえないことが目の前で起きているからだ。
「なぜ動けるんだ……!?」
刃を地へ突き立て、朦朧として、今にも意識を失いそうになっていた、アルテミアとサイラス。そのまま倒れ伏して絶命するとばかり思われていたが、どういう理屈か、立て直したのだ。多少は足下がよろめいてはいるが、立ち上がる。そうして2人は、何事もないような態度で、タデウスを嘲笑う。
「――――どうした、設計者よ」
アルテミアは余裕の態度で、言葉を投げかけてきた。
「酸素を奪い、呼吸を妨害してやったのに、どうして妾たちを仕留められていないのか。疑問に思っておるような顔色じゃのう?」
「クッ……!」
「図星のようじゃな」
アルテミアは小馬鹿にした態度で続けた。
「――――今までに”殺した数”であれば、妾よりもソナタたちの方が遙かに上じゃろう。なにせ設計者とは、幾度となく文明を滅ぼし、億ではくだらない数の人間を葬ってきたのであろう? 万を殺した程度の妾では、比肩することも、おこがましかろう。じゃが、くぐってきた”修羅場の数”は、どうやら妾たちの方が上のようじゃ。呼吸ができない程度のこと、窮地でも何でもなかろう」
「……!」
アルテミアの唇の周囲。そこで微かに、火の粉が舞い踊っているのが見えた。
それを見たタデウスは、カラクリに気がついた。
「そういうことですか……! その炎……! あなたの王冠がもたらす権能は“燃焼”。あなたが望むあらゆるモノを燃やせる、灼剣バティクル。その力を応用して、やりましたね。私の”魔術の効果”を焼き払った……!」
「やはり達人同士の戦いになると、タネが割れるのは早いのう。つまらぬな」
アルテミアは、ほくそ笑む。
「雨宮ケイの、原死の剣から着想を得たアイディアじゃ。あの刃は、触れたもの全てに死をもたらしておった。魔術の効力にさえ死をもたらし、無力化し、反魔術の効力を発揮することができていた。似たようなことは、妾も出来るのではないかと思っていてのう」
手にしていた刀が纏う炎が、火力を増して燃えさかる。
「試すのは初めてじゃったが、存外、うまくいくものよのう」
「!?」
アルテミアとの会話に気をとられていたタデウスの間近に、いきなり剣聖サイラスの顔が現れる。素早い踏み込みで繰り出される斬撃。危うくもらいそうになり、後じさりながら、手にした棍で、刃を受け止める。得物を押しつけ合うよう、つばぜり合いをしながら、サイラスは深呼吸をした。
「――――やれやれ。やはりアルテミア様は底知れないお方だ」
不気味なほどに穏やかな笑みを浮かべ、サイラスはぼやいた。
「私は魔術を扱えないし、主君のように反魔術の炎も使えない。できることと言えば泥臭く、せいぜい呼吸を止めて、この距離まで近づくことくらいだ」
「なんですって……?」
「今の君たち、設計者とは、アデル・アルトローゼによって無敵の力を奪われ、我々と同じ”肉体という制約”がある中で戦っているのだろう? なら、周囲空間の全体から酸素を奪ってしまえば、その効果は君たちにも及んでしまうことになる。当然、そうはするまい?」
サイラスの細い目線の中に、冷たい殺気が混じっていた。
「――――あると思ったのさ。君たちの周囲になら、酸素が」
「!」
「予想は的中のようだ。つまりこうして、君たちからつかず離れずの距離に留まれば、私は窒息せずに済むだろう」
「貴様……!」
タデウスの大振りの一撃。
強烈な打撃を刃で受けたサイラスは、威力を殺しきれず、派手に後方へ弾き飛ばされた。
近くにあった巨岩へ、背中から激しく打ち付けられ、身体が岩肌へめりこむ。
激しく臓器を揺すられたのだろう、堪らず吐血する。
「調子に乗るなよ、たかが実験動物風情が……! 私たちが肉体の制約を受けているからといって、それで勝てるだなんて、思わないでいただきたいものですね!」
「…………くくく」
大ダメージを受けたはずのサイラスだったが、楽しげな笑いを漏らし始める。
身体が巨岩にめりこんだまま、四肢に力を込めて力むと、岩肌がひび割れ、砕け散った。
後ろで結んでいた髪が振りほどかれ、額から血を流しながら、サイラスはうなだれ、その場に佇む。
「……君たち設計者とやらは、物理法則さえ書き換える強大な魔術を使い、人智を超えた破壊の力を振るう。だが、どうやらそれだけだな」
コキコキと肩を鳴らして、蒸気のような白い吐息を漏らして続ける。
「戦士の放つ一撃。それは、背負っている宿業、想いの強さ、意思。およそ、その者が歩んできた人生の全てを物語る重みを持つ。互いの刃をぶつける戦いとは、相手の重さを自分が受け止めきれるかどうか。自分の重さに相手が耐え忍ぶことができるのかどうか。それによって勝敗が決するもの」
再び顔を上げた時。
サイラスの顔は、愉悦に満ちた狂犬の笑みを浮かべていた。
「――――君たちの一撃は”軽い”なあ」
先ほどまでは理性的だったというのに、今のサイラスは、まるで狂戦士のような荒々しい雰囲気に変わっている。全身の筋肉が、こみ上げてくる戦意と高揚感に踊り、爆発寸前にたぎっている様子だ。これまでとは比べものにならない超スピードで、サイラスはタデウスの懐へ一瞬で飛び込んでくる。設計者でも対処が難しい速度であることを察し、アンデレが青ざめて叫んだ。
「タデウス、危ない!」
手にした棍を身構え、かろうじてタデウスの防御は間に合う。
だが、サイラスの一撃は強烈であり、信じられないことに、設計者でも受け止めきれなかった。
「なんて……重っ……!」
「この程度でガッカリさせないでくれ?」
サイラスの一撃は棍を弾き、返す刀で、タデウスの肩口から脇腹までを斬りつける。
後退が間に合ったため、幸いにも傷口は浅かった。だが、血しぶきを散らす程度には傷ついた。
「バカな! この私が人間に?!」
「かすり傷程度でわめくでない――――隙だらけじゃぞ?」
サイラスの背後に隠れていたアルテミアが飛び出し、高く跳び上がっていた。そうしてタデウスの、がら空きになった頭部へ、炎の斬撃を振り下ろす。
「タデウスをいじめるな!」
家族の窮地を救うべく、横から飛び込んできたアンデレが、アルテミアの横っ面を思い切り殴りつけてくる。バキリという骨が砕けるような音がして、そのままアルテミアの身体は吹き飛ばされ、地面の上を転げた。
タデウスを仕留め損ね、サイラスは深追いをせずに後退する。設計者の2人も、相手にしている人間たちの危険性を理解し、距離を空けた。思い切り殴りつけられたアルテミアは、土埃が舞う中で伏して、そこからピクリとも動こうとしなかった。まるで死んだようにも見える。
今のは危なかった。
殺されるかもしれないと感じたタデウスの表情からは、血の気が失せている。
余裕のない青ざめた表情に、脂汗を滲ませながら、タデウスはアンデレへ尋ねた。
「……今ので、アルテミアは殺せましたか?」
タデウスの動揺に気付きながら、アンデレはなだめるように、落ち着いた口調で応えた。
「頸椎を砕いた音がした。殺せたと思うよ」
アルテミアを殺したと、確信している様子のアンデレ。
だがそれを聞いても、サイラスは楽しげにニヤついているだけだった。
主君が死んだかもしれないというのに、慌てた様子は微塵もない。
「フッ。アルテミア・グレインという方の恐ろしさを、君たちは、まるで理解できていないようだね」
意味ありげなサイラスの警告に、タデウスは不快な顔をする。
「……何が言いたいのですか」
「さっきの音、オジさんもを聞いたよね。まさか、生きてるだなんて思っているの?」
サイラスは余裕の態度で、肩をすくめ、皮肉を返す。
「追い詰めたと思っても、さらにそこから、凡人の想像を上回ってくる。それが、あのお方だ」
その言葉の直後だった。
倒れ伏していたアルテミアが、何事もなかったかのように、むくりと起き上がった。
「?!」
「ありえないよ、そんな……!」
驚いている設計者の2人。
想像を超えた現実の景色を目の前に、アンデレの表情からも、血の気が失せていく。
「…………くく。くかかか……!」
鼻と唇の端から、大量の血を流し、アルテミアは乱れた髪を掻き上げて笑った。
よく見れば、左腕がおかしな方向に曲がっており、骨折しているのが見てとれる。
それを見下ろしながら、何が楽しいのか、高らかに哄笑を上げているではないか。
「あっははははは! 咄嗟に左手を犠牲にしなければ、今頃は首を折られて即死だったぞ! くく、痛いなあ! こんなに痛いのは、雨宮ケイとの戦い以来か! 面白いではないか! 全力で殺そうとしても壊れない相手! 逆に殺されるかもしれない、この緊張感! 実に愉しませてくれるじゃないか、設計者たちよ!」
殺意のこもったギラギラとした眼差しを、設計者に向け、アルテミアは狂った笑みを浮かべている。心底から、命ギリギリの戦いに出会えたことを喜んでいる態度だ。
「ククク。さすがは私の主君」
それは、家臣であるサイラスも同じである。
「アルテミア様、お許しください! このような戦い、1人の武芸者として、高ぶらずにはいられません!
連携や援護は、これ以上はできません! 私1人の力で、この強敵たちにどこまで通用するのか、試さずにはいられませんよ!」
「奇遇じゃのう、サイラス! 妾も同じ考えじゃ! こんなご馳走を前に、理性など邪魔でしかなかろう! 良い具合に血が流れ、身体も温まってきたところじゃ! 死ぬまで存分にやろうではないか!」
傷つきながら、ニタニタと狂人のように笑んでいる2人を前に、タデウスとアンデレは表情を引きつらせていた。
「なんなの……こいつら……」
まるで血に飢えた獰猛なケモノ。
人間を相手にしているとは思えない、おぞましい威圧感が放たれている。
「異常者どもめ……!」
にじり寄ってくる2人の戦闘狂。
まるで理にかなわない衝動。
狂気というものに、設計者の2人は初めて触れた。
人類の中には、雨宮ケイ以外にも、畏怖すべき者たちがいる。
タデウスとアンデレは、その時、確かに”恐怖”を感じていた。