15-30 致死領域戦
ラーグリフ都市、防壁前。一帯の雪原は、アルテミアの一撃によって、怪物の大軍もろとも焦土と化している。黒煙と火の粉が立ち上る大地の上で、設計者とアルテミアたちの戦闘が開始されていた。
アルテミアとサイラスは、非常識な速さの駆け足で、アンデレとタデウスの元へ迫ってくる。
両者の武器が刀であることからも、得意な接近戦を仕掛けたいのだろう。
ふと、設計者の2人の周囲に、分厚い”水の膜”が生じる。それはアンデレが魔術によって発生させた障壁だ。水の膜は水球状となって、アンデレとタデウスの身を守るように覆った。
「こうしておけば、ワタシたちへ近づくためには、行く手を水の壁に阻まれることになる。水中に飛び込んだら、思うように動けなくなるから、簡単には近づけないでしょ?」
ノンビリした口調で言いながらアンデレは、迫ってくる、覇王と剣聖へ警告した。
「この水壁は守り。そんで。これは攻撃ね」
アンデレを覆う水球から、トゲのような無数の水柱が飛び出してきた。
ウォータージェット。圧縮された、鋼線のように細い水流だ。
その水圧はすさまじく、金属や鉱石でさえ、紙切れのように切断してしまう威力である。
水球から飛び出たウォータジェットの刃が、アルテミアとサイラスを切り刻もうと、四方八方から斬撃のように放たれてくる。だが両者は動じない。不敵な笑みを浮かべ、左右に分かれ、最小限の動作で水の刃をかわして見せる。
「調子狂うなー……。一般的な人間の身体能力では、100パーセント避けられないはずの速度で攻撃してるんだけど、当たり前のように避けるんだから」
この程度のことで殺せる相手だとは思っていなかった。
だが、どう考えても、人間離れしている動作を披露する人間たちを前にすると、呆れてしまう。
「――――こんな水壁ごときが、守りじゃと?」
炎を灯した刀を構え、アルテミアは嘲笑う。
刃から迸る火が、巨大な炎の刀を形成する。
「妾も見くびられたものよのう」
一閃。横薙ぎに放った一撃から、紅蓮の斬撃波が生じ、アンデレを包む水球を叩きつけ、弾き飛ばしてしまう。障壁を失ったアンデレの目前に、アルテミアは一瞬で踏み込んでくる。
瞬く間に、首を切断しようと放たれたアルテミアの2撃目を、アンデレはかろうじて、手中に生み出した水のナイフで受け止めていた。
「しかも身体能力は、ワタシたちと同等の速さかー。どんな育ち方をすれば、そんなふうになるの?」
「――――後ろが空いていますよ?」
目の前のアルテミアに気をとられていた背後に、回り込んでいたサイラスが迫っていた。アンデレの不意を突いて、刀を振り下ろしてくる。その刃を受け止めたのは、アンデレの援護に駆けつけたタデウスの棍だ。刃物が付いていない、槍と見まがう長さの得物である。
タデウスは嘆息を漏らしながら、アンデレへ忠告した。
「油断しないように、アンデレ。剣聖はともかく、アルテミア・グレインは、ユダが特別な遺伝子操作によって製造した、理想的人類の試験体。人間のカタログスペックで測れる相手ではありません」
「はーい。ごめんなさい」
「今の私たちには、EDENの無制限改ざん能力はありません。よって、ある程度は物理法則に縛られた条件で、彼等と戦う以外にありません。この条件下での戦闘経験は、相手側の方が上。慎重に見積もれば、勝率は”五分”と考えておくべきでしょう」
「実験動物と同等だなんて。屈辱、ってやつだねー」
両陣営ともに離れ、距離を空ける。
2対2で対峙する形となり、互いに不穏な眼差しを向け合った。
サイラスは穏やかな笑みを浮かべたまま、主君へ警告する。
「アルテミア様。敵が使う水の魔術に囚われれば、動きを緩慢にさせられます。行動速度が刹那でも遅れれば、致命的な攻撃をもらいかねない。相手は、こちらの僅かな隙さえ、見逃さない。それほどの手練れ。ご注意ください」
「クク。誰に言っている、サイラス。妾が、あのような魔術程度に絡め取られるなどと、ゆめゆめ思うまいな。それよりも、妾のように炎を使うこともできぬ、ソナタの方こそ気を張るのじゃな。曰く、ソナタは魔術の使えぬ、ただの人間であるのじゃろう?」
「手厳しいお言葉。ですが、私は魔術ごときを相手に遅れを取ることなどありませんよ。それよりも、アデル・アルトローゼに感謝でしょう。彼女のおかげで、設計者たちは確実に弱体化している。以前に遭遇したマティアと同様に、間合いも何も関係ない攻撃を仕掛けられていたら、ひとたまりもありませんでした。神から、天使くらいまでには降格した。そんなところでしょうか。まだ、戦いようがある程度にはなりましたね」
「相手が神であろうと、天使であろうと、妾には関係ない。仇なす者は、斬るのみじゃ」
タデウスとアンデレも語らう。
「アルテミアも驚異ですが、剣聖と呼ばれる、男の方も要警戒です。雨宮ケイと同じく、人間という群体の中に生じた、特異な存在と見られます」
「わかってるよ、タデウス。アルテミアにも劣らない、あの動き。たぶん、人間が到達できる頂点の強さなんじゃないの? 普通じゃないねー、この2人。長期戦になると面倒そうだし、一気に片をつけたいところだねー」
そう言うアンデレの頭。くせ毛のように生えた青色の花が、生き生きとした輝きを放ち始める。小さなシルエットの背後には、巨大な光の壁が現れた。それは、ところ狭しとひしめく制御言語。大規模な魔術が発現する直前に、術者の周辺のEDENが、そこに放流される大量の現象理論によって輝いて見える現象だ。
「現象理論ナンバーMDW99972起動――――アルターコード“こうずい”」
アンデレの宣告の直後、地の底から、あるいは天から。とめどない大水が溢れ出る。
それは見る見る間に、周囲一帯の地表を覆っていく。
大洪水――――。
周囲一帯の景色が、瞬きするほどの時間で、水没しようとしていく。アンデレが現象理論を発動させ、1秒もしないうちに、水嵩は膝上にまで達しようとしていた。
濡れる足下を見下ろし、アルテミアとサイラスは、なぜかニヤけていた。
自らが窮地に陥ることを愉しんでいるように、余裕の笑みを浮かべて会話をする。
「ほお。これは、企業国王であるエレンディアを葬った超魔術か。水塊を使った圧殺攻撃。まともに喰らえば、即死は免れない」
「ククク。水によって足を取られ、相手の間合いに飛び込めるほどの速度を殺されている。このままでは、俗物のエレンディア同様、水に飲まれて押し潰されてしまうかもしれんのう。ソナタなら、この状況をどうする?」
「フフ。私を、彼の方のような素人と同じにされては困りますよ」
まるで困難なゲームの攻略方法を考察し、楽しみ、語り合う子供たち。
2人の姿は、そんなようにも見える。
サイラスは苦笑して言った。
「どうするも何も――――」
言うなり、サイラスはその場で跳ねる。
まるで飛び乗るように、その足は水面の上に立つ。
「水の上を駆ければ、沈むことも、足を取られることもありますまい?」
そのままサイラスは、目にもとまらぬ速度でアンデレへ迫る。
「はあ……?」
水上を人間が駆ける。
そのあまりにも奇妙な光景を前に、アンデレは呆れた声を出してしまう。
一呼吸で肉薄し、繰り出されるサイラスの刃を、アンデレは水のナイフで受け止めた。
つばぜり合いをしながら、サイラスは警告した。
「――――1度見せた技は、私には通用しないな」
「……おじさん、すごいね。魔術も使えないはずなのに、どうやったら水の上を移動できるの?」
「万物に流れる星の気を読み、その向きに沿って踏みしめれば、流れに乗ることができる。我が師ほどの練度はないが、世の中には、水を踏むことさえできる特別な歩法があるとでも言っておこう」
「デタラメすぎるよ。……本当に人間なの?」
「よく言われる」
そのまま雪崩れ込むように、サイラスは嵐のような斬撃の舞を繰り出す。その全てをナイフで捌きながら、アンデレは後退を余儀なくされた。集中力が途切れたため、大洪水の魔術も解除されてしまう。そうなれば、足下の水が引いて、自由を取り戻したアルテミアも動き出そうとする。
――――ぞわり。
だがその時、背筋に寒気が走った。
「!?」 「?!」
周囲の空気の質が変わったことを、2人の本能が鋭く察知する。サイラスは慌て気味にアンデレから間合いを空けて離れ、アルテミアはその場で固く身構える。両者が見つめる視線の先には、銀髪オールバックの男、タデウスがいた。
それまで、あまり戦闘には参加せず、一歩後ろからアンデレを援護するような姿勢であった男が、ゆっくりと前線へ歩み出てくる。ポケットに手を入れ、冷ややかな眼差しで、人間2人を見つめていた。
「――――生命体とは脆弱です」
奇妙な話を始めるタデウスに、アルテミアとサイラスは最大限の警戒を向けている。
気配を大きくした、もう1人の設計者は、淡々と語りだした。
「生命体は、データ存在である私たちとは異なり、肉体というハードウェアが機能不全に陥れば、すぐに活動を停止してしまう。斬殺、圧殺、刺殺、焼殺。ハードウェアを持っているということは、あらゆる死のリスクを持っていることであり、弱みと言えるでしょう。なにせ、破壊する方法が、他にも、いくらでもあるんですから」
「つまり、妾たちのことなど、いかようにでもして簡単に殺せるぞと、脅したいわけか?」
「ええ。肉体を破壊しあう戦いのやり方は、君たちのように、原始的な武器を振り回して、物理的な破壊を狙う以外にだって、いくらでもあるんです」
「……!」
突如として、サイラスとアルテミアは、その場で膝を突いてしまう。
急激に息苦しくなり、頭は朦朧として、視界が霞み始める。
あからさまに呼吸を乱して弱っている2人の人間を、タデウスは憐れそうに見下ろして告げた。
「空気中の酸素濃度が6%以下になると、一呼吸で失神します。呼吸が停止することで、即死の危険性もあるでしょう。人体は通常、およそ21%の酸素濃度で生きていて、18%を下回ると、酸素欠乏症になって、意識障害を引き起こすんです」
「これは……まさか……!」
「ぬかったわ……!」
「推察いただいている通りですよ。この周辺一帯の空間から――――酸素を奪いました」
刃を地面に突き立てることで、途切れそうな意識を懸命につなぎ止める。
青白い顔で、今にも息絶えようとしている弱者を前に、タデウスは初めて不敵な笑みを浮かべた。
「初めまして、さようなら。私はタデウス。空間の設計者です」




