15-26 アデルの光
ビルの最上階から足を踏み外し、落下中だったジェシカ。
その小さな腕が掴まれ、空中で拾い上げられる。
「よーっス」
緊迫した戦場には似つかわしくない、軽いノリの口調だ。
黒髪、無精髭。エアバイクのような、機械仕掛けの大槍に跨がり空を駆ける。
相変わらずのヘラヘラした態度で、重槍騎士はウインクをして、ジェシカへ微笑みかけた。
「やあやあ。ひっさしぶりだねえ、ジェシカ」
「アンタ……レイヴン?!」
「お? 憶えていてくれたか。嬉しいねえ。しっかし、見つけて早々に落下中で、死にかけていたみたいだけど。たまたま俺が近くにいてくれたおかげで、助かっただろう?」
言いながらレイヴンは、ジェシカの身体を軽々と片手で持ち上げ、自分が跨がっている槍の後ろへ腰掛けさせる。ビルから落ちたジェシカを、空中で掴まえて救助してくれたのだ。
「忘れるわけないでしょ?! 騎士団長のくせして、アルトローゼ王国を裏切って、バフェルトに与していた裏切り者じゃない!」
「裏切り者でも、親切でナイスガイなのは変わりないだろ? こうして助けてあげたじゃない」
「そ、それは……まあ……ありがとう……」
「声が小さいよ?」
「う、うるさい! 調子に乗らないでよね! ってか、アンタ、トウゴの話しだと、バフェルト企業国の領土内で、ひっそり隠居してるって話しだったけど……」
「ありゃりゃ、トウゴくんに会ったのか。なーら、俺が裏切った事情も知られちゃってるのかな?」
「……まあね」
自身の身体に掴まるよう、レイヴンはジェシカへ指示をする。
そうして大槍のバーニアを吹かし、夜空を飛行し始める。
「大した話じゃないさ。女の尻を追っかけてきたら、ここまで辿り着いていたってところかな。この都市に来てて、ジェシカちゃんをこうして救助できたのは、たまたまが重なった偶然さ」
自嘲するように笑み、呟くように言う。どういうことなのか、事情を掘り下げようとしてくるジェシカの質問をかわすべく、レイヴンは冗談めかして言った。
「それにしても、しばらく見ないうちに、ちょっとは女らしい体つきになったじゃないの。背中越しに押しつけられてるから、感じるよ。前に会った時よりは、アルねえ」
言われたジェシカは赤面し、胸のことを言われているのだと、すぐに察した。
慌ててレイヴンの背中から、身を剥がしてわめいた。
「せ、セクハラよ! 今すぐ下ろしなさいよ!」
「おいおい、冗談だよ。暴れるなって。本当に落っこちちゃうでしょ。眼下を見なよ、ジェシカの魔術で焼き払った、焼け野の上に、バケモノたちが犇めいてんじゃない。あの中には落ちたくないでしょ」
「きー! もう! 相変わらず、しょうもないオッサンね!」
「命の恩人に対して、オッサンはないでしょうに」
言い合う2人の頭上に――――突如として巨大な鋼鉄の戦艦が現れる。
その存在に気がつき、2人は思わず、頭上を見上げてしまう。
空間転移してきたのであろう。
その巨艦を、ジェシカは知っている。
過去に滞在したことがある。空中学術都市ザハルだ。今はアルテミアの旗艦、空戦艦として運用されているはずだ。だとすれば、この戦場に、ベルセリア帝国騎士団が介入してきたというのだろうか。その理由は、まるで見当がつかない。
『――――ラーグリフの都市は、私たちの足下で、今まさに陥落し、滅亡しようとしています』
「え……?!」
都市全域に展開される、AIV通信。それを介して語りかけてくる、澄んだ少女の声。
ジェシカとレイヴンは、その声をよく知っていた。
「この声は……」
「アデル……!」
ジェシカは思わず、感極まって涙ぐんでしまう。
真王によって奪われてしまったはずの少女。
雨宮ケイは、彼女を取り戻すために、たった1人、別行動で、戦争を止めるという無茶な旅に出た。
あまりにも無謀で、成し遂げられるはずなどない戦い。
だが状況証拠が、少年の旅の成就を意味している。
「アデルが、アルテミアの旗艦に乗って現れている。この放送、言わされているんじゃない。あの子の思いを、正直に話しているんだわ。あの子が、こうして無事だってことは……本当に真王から取り戻せたのね、ケイ」
『――――夜空の先に未来を信じ、剣を手に漆黒の中を進もう。暗く冷たい夜の中で、人の火の熱を灯し、切り拓こう。地上の同胞たちよ。勇気ある人々よ。私はここに宣言します。この深い夜の中で、あなたたちの戦いは、決して孤独ではないのだと』
ひとしきり語り終え、アデルは最後に告げる。
『私の名は、アデル・アルトローゼ。世界を覆う、この絶望の暗闇を――――焼き尽くす者』
その一言と共に、世界が様相を変える。
天高くに、煌々と輝く青白い光の星が現れる。
最初は閃光弾でも打ち上げられたのかと思った。
だが、その光量はすさまじく、まるで太陽のように地上を照らし、地平線の向こうまでを鮮明にする。
昼が訪れたような明るさ。頭上から降り注ぐ光の粒子は心地よく、温かい優しさを感じられた。
「この光は……温かい……」
「アデルちゃんは、いつもながらに、ぶっ飛んだことを成し遂げてくれるよなあ」
AIV通信が、沸き立つように騒がしくなっていく。
都市内の各所で戦線を展開している兵士たちの会話は、興奮と希望に満ちていく。
『すごい……さっきまで夜だったのが、いきなり昼になったみたいな明るさだ。周りの敵の姿が、よく見える……!』
『何なんだ、あの眩しい星の輝きは!? おいおい、すげえなこりゃ!』
『さっきの放送、アデル・アルトローゼって名乗ったか?! たしかエヴァノフ企業国で革命を起こして建国した、アルトローゼ王国の王様だったろ! それがどうして、アルテミアの国の旗艦と一緒に登場してんだ!』
『知るかよ! 知らんが、どうやら俺たちに味方してくれるみたいな口ぶりだった!』
状況の変化に、ざわめく無線でのやり取り。
それだけに留まらない。
けたたましい銃声と爆発音が聞こえた後に、兵士たちの歓声が聞こえてきた。
『おいっ! すごいぞ! 俺の銃弾が、シールドを貫通して異常存在を撃ち殺せた!』
「!?」
ジェシカとレイヴンは、驚いた表情になる。
無線越しに聞こえる歓声は、ますます大きくなっていく。
『ハハ! 死にやがった! 信じられない! バケモノどもを殺せるぞ!』
『どういうわけだ?! こっちの攻撃が通ってる! 攻撃が通るようになってるぞ!』
『まさか、この光のおかげか?! 敵のシールドが、無力化されてる!』
『おい、そこ! くっちゃべってないで、しこたま銃弾を浴びせ続けろ! なぜだか知らんが、急にバケモノどもを殺せるようになったんだ! 今のうちに、殺して殺して殺しまくれ! 数を減らせ!』
通信のやり取りを聞きながら、レイヴンの大槍に乗り、空を駆けるジェシカ。
都市の全貌を俯瞰していて、あることに気がついていた。
「すごい……! これ全部あの子が……アデルが、この一帯全域にいる異常存在に対して、一斉同時の超大規模EDEN侵入攻撃を仕掛けてるんだわ……!」
魔術を使えるジェシカには、世界を縦横無尽に駆け巡る、マナの繋がり、つまりはEDENの姿を目視することができる。
天高くに輝く青白い光は、おそらくアデルが、周辺一帯と通信を確立するための中継地点として生み出したものだろう。そこから数え切れない青い光の線が、シャワーのように地上へ伸びている。そして1つ1つが、異常存在たちに紐付いているのが見えた。通信相手が膨大であるため、本来であれば人々の目に見えない、EDEN通信の輝きだが、それが密集しすぎて、一般人でも目視できるほど鮮明になっているのだ。
『お姉ちゃん、あの空の光が届く範囲にいる怪物たちは全部、シールドを無力化されて、丸裸になってるよ……! これたぶん、アデルさんが、敵軍の守備を無力化してるんだよ!』
エマにも、姉と同じモノが見えているのだろう。
信じられない光景に興奮した口ぶりで、話しかけてくる。
「ひゅ~、そりゃすげえ。いったい、何匹の異常存在相手にハッキング仕掛けてんのさ」
「こんなの、人智を超えてるスケールの力よ……! 天才の私にだって、こんな途方もないことは真似できない。これがアデルの、設計者の力なんだわ……!」
地上に犇めく、怪物たちの大軍が、一斉に咆哮を上げ始める。
戦況が変わったことを、本能で感じたのだろう。
改めて、人類を威嚇するように吠え狂い、騒ぎだした。
「まあ、アデルちゃんが敵のシールドをぶっ壊してくれてるってことの意味はさ」
それら怪物の群れを見下ろし、レイヴンは唇を舐めて言う。
「――――反撃を開始しろ、ってことだよな」
不敵な笑みで、大槍は加速を始めた。