15-12 人類抹殺軍
最初は田園の風景だったが、周囲は徐々に、都市部の様相へ変わっていた。
小規模なビルディングが建ち並ぶ道路を、アクセル全開で走り抜けていく。
すぐ後ろにまで、異常存在たちの大群が押し寄せてきているのだ。
異形の壁――――。
そのように表現して差し支えのない、おぞましい光景である。ジェシカたちが振り返る後部窓の向こうには、道路を埋め尽くすほどのバケモノたちが溢れていた。餌、あるいは繁殖用のメスであるジェシカたちを手に入れようと、我先に、押し合いへし合いで追いかけてきているのだ。この街へ訪れた時よりも、遙かに数が増えている。
『数万……いえ、数十万の大群ですよ、これ! これほどの数の異常存在が、一斉に街を襲うなんて、かつてなかったことかもしれません!』
「かつては知らないけど! 今は現実に起きてる大事でしょ! リーゼ、もっとスピード出ないの!?」
「もうアクセル全開まで踏み込んでるよ! これ以上は無理!」
「追いかけてきてる奴等、気のせいか追跡速度が上がってるわ! このままじゃ近く、追いつかれるわよ!?」
「そんなこと言っても……!」
戦って撃退するには、数が多すぎる。
超高火力なジェシカの攻撃魔術と、要塞並みに強固なエマの防御魔術を駆使すれば、あるいは踏みとどまることはできるかもしれない。だが、相手の正確な数もわからず、どれだけの敵を倒せば、この大群を無力化できるのか、未知数だ。消耗戦になるのは間違いない。もしも、こちらの体力や集中力が切れて、物量で押し切られてしまえば、その先には恐ろしい未来が待ち構えている。
現状は「逃げ切る」というのが最善手のはずだ。
必然的に、運転手であるリーゼが、このパーティの命運を担っていると言って過言ではないだろう。
「私が……何とかしなきゃ……!」
ジェシカの言うとおり、背後の大群は、少しずつ速度を増して迫ってきている。
このままでは、やがて追いつかれてしまうだろう。
「……!」
機人族は、過酷な宇宙空間に適応できるよう、肉体を有機機械に造り変えた人類種である。その五感は、体内に内蔵されたセンサ機関によって強化されており、通常の人間には感じ取れない、様々な情報を感じ取ることができる。
リーゼは気がついた。
「近くに、人がいる……!?」
「え?」
集中すれば、リーゼは半径2キロ内にいる生物の気配を感知することができる。どんな誰が、どこにいるのか。普段であれば、詳細な情報まではつかめない。だが逆に、周囲に人間がいない、異常存在ばかりの状況であるからこそ、そこに人間の気配があれば、わかりやすかった。
「この先……!」
ホログラムのナビゲーション地図を見やる。
気配を感じるのは、ベルセリア帝国騎士団の所有する、空軍基地である。
リーゼは急ハンドルで、車の進行方向を変える。ジェシカやミズキは、目を白黒させながら座席にしがみついた。速度を落とさず、ドリフトして流れる車両後部。スキール音と共に、タイヤマークを路面に刻む。そんな荒っぽい運転を繰り返すと、やがて車両は、有刺鉄線の金網で囲まれた、広大な滑走路脇の道路へ出る。
「見つけた!」
リーゼが指差す先に視線を促され、ジェシカとミズキも気がついた。
「あれって……ベルセリア帝国騎士団の輸送ヘリ?!」
「今にも飛び立とうとしています……!」
滑走路の中央付近に、輸送ヘリが数機。
ローターを回しながら、今にも飛び立とうとしていた。
だが、離陸する前にヘリへ襲いかかろうと、異常存在の大群が押し寄せている。怪物たちの包囲網の中で、今にも押し潰されそうになりながら、懸命に交戦している武装修道士たちの姿が見えた。
「アレって、まさかロゴス聖団の修道兵たち?!」
『ヘリが離陸するまでの間、異常存在たちを近づけないように戦っているみたいです!』
「ヘリには、修道兵の人たち以外の姿も見えますね」
『たぶん、民間人を逃がすための輸送ヘリですよ! この街で生き残った人たちを逃がそうとして、離陸まで時間稼ぎしているんです!』
「ならチャンスだよ! 私たちも、あのヘリに乗せてもらおう!」
ジェシカは炎の魔術で、前方の金網に大穴を開けた。
そこを突き抜け、リーゼは一直線に、輸送ヘリへ向かって車を走らせる。
「邪魔よ!」
行く手を阻む異常存在の群れを、ジェシカは持ち前の火力特化魔術で焼き払う。その威力は、相も変わらず凄まじく、ヘリに群がろうとする異常存在たちを一瞬で蒸発させ、包囲網を緩めることができた。
ジェシカたちの登場に戸惑った様子の修道兵たちだったが、援軍であると見なしたのだろう。手にした重火器で、リーゼが運転する車の、進行方向にいる怪物たちを片付け始める。
「味方だと認識してくれたみたいね!」
「困った時は、お互い様だからね!」
炎の魔術で燻る路面を疾駆し、車は輸送ヘリの間近まで接近することができた。もう一走りすれば、後部ハッチに辿り着き、貨物室へ乗り込めそうな距離まで到達した時だった。
――――横殴りの衝撃で、車は横転する。
「きゃあああああ!」
ミズキとジェシカの悲鳴が重なる。
ひっくり返った車の中で、全員が頭を抱えて朦朧とする。全員がシートベルトをしていたため、反転した座席に座ったままの姿勢で、天地がひっくり返っている。
「いたた……! ジェシカ、ミズキ、無事?!」
『お姉ちゃんたち、早く車から出て! 異常存在たちが襲ってきちゃうよ!』
車が横転する事故に遭ったというのに、息をついている暇はないのだ。モタモタしていれば、異常存在たちに襲われて引き裂かれてしまうだろう。めまいと痛みに耐えながら、ジェシカたちはシートベルトを外し、這うようにして車を出た。
ひっくり返った車から脱出し、よろめく足取りで立ち上がる。ジェシカが焼き払った一帯に、再び異常存在の群れが集まり、包囲網を分厚くしようと迫ってきていた。それを見て、急いでヘリへ向かって駆けようとした。
「――――危ない、ジェシカ!」
切羽詰まった声色のリーゼに、突き飛ばされる。
背中を推されたジェシカは、前方へ転がり、尻餅をついた。
振り返ったジェシカは、驚愕した。
「アンタ……!」
「あっははは! 久しぶりだねえ、ちっこいの!」
ゴシックなメイドのドレスを着ていた。アップツインテールにまとめた金髪。眠そうな眼差しと、姿勢の悪い猫背が、全体的に気怠そうな態度をかもしている。シルバーアクセサリやピアスを多く身につけているのを見ても、かしこまった様子など見受けられない、気まぐれなワイルドキャットのような性格に思えた。見るからに奔放そうな外見である。
ジェシカは青ざめた。
その顔を知っていたからである。
『たしか、シュバルツ流、第2階梯の。ネロ・カトラスさん……?』
「まさか、シュバルツ家の不良メイド……!? アンタが、車を横転させたわけ?!」
手にした銀装の銃剣、シルバーデスの刃が、ジェシカを庇ったリーゼの右肩を貫いていた。腕を刺されて苦しむリーゼを放り投げ、血の放物線を虚空に描くと、ジェシカの顔に返り血が付着した。投げ飛ばされたリーゼは、ヘリの傍へ転がり、その場で呻いている。
「リーゼ!」
「――――よそ見してる暇、あんの?」
「!」
傷ついたリーゼ。それを心配した隙を突かれ、ジェシカは一瞬で間合いを詰められている。
『お姉ちゃん! 風束の壁!』
ネロの繰り出した刃を防いだのは、エマが発動した風の魔術である。見えない大気の壁に刃を弾かれ、ネロは後方へ吹き飛んでいく。飛来した先は――――異常存在の群れの渦中だ。
「?!」
誰であろうと構わず、人間であれば捕食するはずの異常存在たちは、群れの真ん中に放り込まれた餌も同然のネロに、興味を示さない。それどころか、ネロに手を貸して、身を起こすのを手伝ってさえいた。
「どういうことなの……異常存在が人間に協力しているの……?!」
「くくく! あはははは! 違うよ、違う! ちっこいの、ふせいかーい! きゃはははっはは!」
再び武器を手に身構えながら、ネロは狂人のようにニヤけている。
ワイングラスでも手にしているような身振りで、左腕を掲げてみせる。
その指先が鋭く、長く形状を変え、かぎ爪に変形した。
「あたしさ~。もう――――人間じゃないんだよねー!」
「!?」
「きゃはははははははは!」
何がそんなにおかしいのか。異形の一員と化したネロは、笑い転げている。
知っている人物が怪物に変わったのだという告白を聞いて、ジェシカは思考の整理が追いつかない。
呆気にとられているジェシカに構わず、ネロは次なる攻撃を仕掛けようとしていた。
「――――緑酸!」
緑色の液体。ネロの周囲へ局所的に生じたそれが、頭上から雨のように降り注ぐ。液体に接触した異常存在たちは、銃弾に撃ち抜かれたように、身体に大小の穴を開けられ、溶解していった。
いち早く危険を察知して、別の場所に移動を終えていたネロが、忌々しそうに呟いた。
「またこの、酸の魔術か~。厄介だな~」
ジェシカを援護するべく、その攻撃魔術を使ったのは、ヘリを防衛していた修道兵たちのリーダーである。金刺繍された白いローブを羽織った、長い金髪の修道女。彼女はかぶっていたガスマスクを外すと、おっとりした顔立ちに似つかわしくない大声で警告を発した。
「さあ! あなたたち、急いでこちらへ! 輸送ヘリに乗り込むのです!」
助けてくれた修道女は、部下に命じ、傷ついたリーゼを救助させていた。その横顔を見るなり、ジェシカとエマは嬉しくて、涙目になって喜びの声を上げる。
「シスター・ルリア!」
『シスターは無事だったんですね! 良かった!』
「話は後です! 今すぐここから撤退しなければ、飲み込まれますよ!」
「飲み込まれるって……?」
異常存在の群れ。そして間隙を縫って仕掛けてくるネロを、シスターは部下を引き連れ、牽制し続けた。そうしながら後退し、ジェシカたちと共に、ヘリへ乗り込む。
やがて上空から、空気を引き裂くような轟音が聞こえてきた。暗い夜空を貫くように現れた戦闘機の編隊が、滑走路に集まりつつある異常存在たちを空爆して、怯ませていく。
「ロゴス聖団の航空支援がある内に! 今です!」
シスターが命じると、ヘリは空軍基地から離陸する。
地上の景色が足下に遠ざかっていくのを見下ろし、ジェシカは冷や汗を浮かべていた。
「人間が……異常存在に……?」
ニヤニヤと不気味に微笑みながら、ジェシカたちを見送っているネロの顔が、まだ見えている。そのおぞましい表情は、空から見れば、異形の怪物たちの群れの中にポツリと浮かぶ、小さな小島のように見えた。
ネロに視線を奪われていたジェシカへ、修道兵に包帯を巻いてもらっているリーゼが言った。
「……この異常存在の数、上から見ると、本当にすごい。何十万どころか、何百万体といるんじゃないの……?」
『地面を埋め尽くすくらいの大群だよ、お姉ちゃん』
地面が遠ざかっていくと、炎に包まれた街の全貌が見えてくる。どこもかしこも、黒く蠢く怪物だらけ。微塵の隙間もないほどに、びっしりと地上を埋め尽くす異形たちが、どこか一方向へ向かって移動をしている状況が、よく見えた。
「こいつら、自然発生した野生の異常存在なんかじゃない。本能だけで、これだけの大群が、統率された行動をとるなんて無理よ」
「見て、街の外側にも、大群の波が続いてる。地平線の向こうから、ずっとこの大群の行列が続いているの……?」
『お姉ちゃん……私、なんだか怖いよ』
「……」
「魔国パルミラ。いいえ。もはや今は、“真王の軍勢”です――――」
唐突に、ミズキが口を開いた。
血の気が失せた表情で、自分の肩をきつく握りしめ、震えを押し殺しながら断言する。
「私は感じ取れるから……わかります。全ての個体が、1つの目的を共有している。真王の命令で、エレンディア企業国に向かっています」
「全個体が、1つの目的を共有しているですって?」
『それっていったい……』
ミズキは、震える唇で告げた。
「人類を殺し尽くすこと……!」