15-3 赦し
黒塊の首都バロール。
その最上層階に位置する新東京都の空に、雪は見えない。
星1つない、真なる闇の夜空。終わらない暗黒が、頭上一面を覆い尽くしていた。
四条院騎士団や、真王たちとの戦いで傷ついた首都は、復旧作業の最中だった。酷く損壊し、瓦礫と化していた建物の残骸は撤去され、まばらにビルやテナントなどの復旧が進んでいる様子である。かつてクーデターの際、焼け野原同然だった平地に、短期間で都市を築き上げた、帝国の優れた建築技術は健在だ。この3ヶ月間で、東京都は元の輪郭程度は、取り戻そうとしていた。
暗い夜に、少しずつ灯火を増やしていく景色。
それを、少女は高台から見渡していた。
戦没者たちが埋葬されている、都市郊外の静かな墓地。
エリーゼ・シュバルツは青草の上に立ち、寂しげに東京の夜景を見つめている。
そこから少し離れた位置には、黒スーツを着た、複数の屈強な男たちが控えていた。物陰に身を隠しているわけでもなく、背筋を伸ばして、堂々と佇んでいる。エリーのことを監視しているのは、一目瞭然だった。
「……私は敗戦の将です。心配しなくても、この期に及んで脱走なんてしませんよ」
ふと、エリーは呟いた。
それは周囲にいる監視役たちへではなく、無言で背後から歩み寄ってきた少年へ、かけられた言葉だ。
忍び寄るつもりはなかったが……近づくことを気取られていたのだろう。
雨宮ケイは愛想笑いを浮かべることもなく、冷めた表情で返事をする。
「……アルトローゼ王国騎士団は、捕らえた君の処分についてを議論していたよ。君は四条院騎士団を率いていた敵将ではあっても、統率していた王、四条院アキラじゃない。本当に裁きたい首魁は、今は肉体を横取りされて、設計者になってしまったんだ」
「敵はまだ健在であり、私を生かしておけば人質として利用できないか。それとも国民の不満のはけ口として、見せしめの公開処刑にでもかけるか。政治家の考えそうなことは、そんなところでしょうか」
ケイはエリーの隣りに立つ。
互いに視線は交わさず、ただ景色を眺めながら語った。
「だいたいそんなところかな。監視がついているのは、逃亡防止の意味もあるけれど、どちらかと言えば……君が自殺しないかどうかを心配しているのさ。君は、四条院アキラと恋仲だったんだろう」
「……」
「目の前で、恋人があんなことになれば……誰だってツラい」
「……相変わらず。ケイ様は甘いのですね。あなたへ散々、酷いことをしてきた私のことを、まだ案じてくださるなんて」
エリーはケイを見ず、それでも苦笑を浮かべていた。
少しの間を置いてから、やがて独白のように、胸中を吐き出し始める。
「シュバルツ家は……アーク全土に名の轟く部門の名家。帝国最強の騎士たる剣聖、その娘たる私」
「……」
「生まれながらにして、強者であることが求められました。ですが子供の頃の私は病弱で、引っ込み思案の泣き虫で。最強の家系には、およそ似つかわしくない弱者で。そのうえ、男ではなく、女。剣聖の血筋と呼ぶにはおこがましい、出来損ないだと、いつも揶揄されてばかりいました。私は、周囲から寄せられる期待に応えられる存在になりたくて……いつも必死で、お父様の修行についていこうとしていました。それはまるで、自分の人生が、自分を見る観客たちのためにあるような生き方で。毎日が、とても息苦しい日々でした」
最初に出会った時、エリーの家名のことなど、ケイは知らなかった。シュバルツ家といえば、アークで知らない者がいないほどの大貴族だ。いつでも穏やかな雰囲気のエリーと話していると、今でも、武門の名家の出であるというイメージは湧きにくい。
強い戦士ではあっても、強さよりも優しさの方を先に感じてしまう。
その違和感の理由が、わかった気がした。
「それでもお父様や、周りの家臣たちに認められたくて……がむしゃらに強くなりたかったのです」
エリーは悲しそうに目を細めた。
「そしてある日、私は初めて人を殺しました」
「……」
「それまでにも、名だたる騎士たちと試合をし、ルール無用の戦いを行ってきた経験はありました。けれど、相手を死に至らしめるまで傷つけることは、その時が初めてでした。他人が長い時間をかけて積み上げてきた人生を、私は一瞬で、功名心のために摘んだ。そのことを、お父様や周りの人々は褒めて、喜んでくれていました。ですが私の内心は……自分へのひどい嫌悪。それしかありませんでした」
エリーはボロボロと涙を流し始める。
それを心苦し気持ちで、ケイは見つめていた。
「強くなりたかった。けれど私が歩んできた道は、自分が認められるために、誰かを傷つけることだった。それを理解してしまって、私の人生は何のためにあるのか、わからなくなりました。強くなるためには、これから先も、私はずっと、自分のために他人を傷つけていくのか。そうだとしたら……私はもう強くなんてなりたくない。けれどそれを、周囲は許してくれない。絶望し、怖くなって。あの時も、このように女々しく涙を流していました」
エリーは苦しみに耐えているように、自身の胸元を固くつかみ。
「試合をご覧になっていた貴族の中に、アキラ様がおられました。アキラ様は私に歩み寄り、血にまみれた、傷だらけの私の手を取って、言ってくれたのです」
ここにいない想い人へ、すがるように言った。
「もう大丈夫だよ、よく頑張ったって……!」
「……」
「あの時、アキラ様だけが、私の絶望を理解してくれていた。アキラ様だけが、強くない私を認めてくれた。アキラ様だけが……私の心の拠り所なのです」
そのままエリーは、その場でへたり込んでしまう。
深くうなだれ、涙を流し続けている。
心の拠り所である四条院アキラが、設計者に変貌してしまった後、今どこで何をしているのか。また元の人間に戻すことができるのか。わからないことだらけ。不安なことだらけなのだろう。
エリーが、四条院アキラのことにこだわり、父親を裏切ってまでアルテミアの計画を阻止しようとした動機が、今になってようやく、少しだけわかったように思えた。
「……エリーが、オレや、オレの仲間たちにしてきたことには、今でも怒りを感じるよ」
ケイの言葉を、エリーはうなだれたまま黙って聞いていた。
「けれど、少なくともオレは昔、君に助けられたことがある」
「……!」
「君に命を拾われ、君が戦い方を教えてくれた。それがあってこそ、今のオレがある。君に恩義があるのは、揺るぎない事実だ。だからかな……。オレは、どこか君のことを、憎みきれずにいるんだ」
「……」
「たしかに君は、オレのことを消そうとした酷いヤツだ。四条院アキラに加担し、アルトローゼ王国への侵攻にも協力した、悪いヤツだ。仕返ししてやりたいし、憎いよ。けれど君の優しいところを、オレはたくさん知っているし、恩返しもしたいと思ってる。……オレは君のことを許したいんだと思う」
「……ケイ様」
「アデルや、アルトローゼ王国の議会に進言しておいたよ」
泣き顔でケイを見上げてくるエリーへ、ケイはやっと、微笑み返した。
「真王軍に立ち向かうためには、過去の憎しみはいったん忘れて。今はアークに住まう全ての種族が協力して、一丸となって立ち向かう以外に生き残れない。四条院アキラがいない今――――残った四条院騎士団を率いられるのは、エリーゼ・シュバルツだけだって」
ケイは踵を返した。
「これからどうするかを話すために、明日のこの時間に軍議が開かれる。たしかに伝えたよ」
去って行くケイの背中を見つめ、エリーはさらなる涙を、静かに流した。