14-36 フォーマット
感情のない無表情。
人の心を忘れたような冷たい眼差しが、ケイを正面から見据えていた。
最愛の者から向けられる目で、心が抉られるとは思わなかった。
「アデル……?」
「……」
声をかけても、返事はない。
いつものように。花が咲くように。優しい笑顔を返してはくれない。
まるで石ころでも見るような、情の欠片もない顔で、ケイを見ている。
無言のまま、アデルはケイに向かって右腕を伸ばした。簡単に折れてしまいそうな細腕。小さな手のひらを、広げた先の虚空に、赤い光が生じる。炎のように揺らめく光は形を作り、見る見る間に、剣の形状を取ってアデルの手に収まった。
鮮血のような赤い剣身。
その剣を、ケイはよく知っていた。
「まさか……原死の剣……!?」
それは、ケイの武器。
あらゆるモノに死を与えることができる、史上最強の剣だ。
元々は、アデルがケイを守るために生み出した武器である。アデルは、自身の設計者としての力を、剣という形にして、ケイへ託していたにすぎない。
力の本来の持ち主であるアデルが、その剣を使えることに違和感はないが、剣は……機人の国で、真王によって破壊されたはずなのだ。あれ以来、ケイは原死の剣を召喚することはできなくなっていた。砕かれ、再起不能となり、使えなくなっていた。アデルの力なしでは復元することなどできなかったからだ。
「壊れていたはずなのに、アデルが復元したのか……?」
「違うな」
答えたのは、アデルの背後に佇む真王の、冷淡な声である。
「新品だよ。お前の持つ、壊れた旧式じゃない。正式な設計者として復帰したアデルの、新たな力によって生み出したものだ」
「アデルが、正式な設計者として復帰しただって?!」
死の剣を手に、アデルはケイへ襲いかかってくる。
真王や、他の設計者たち同様に、物理法則を無視した超高速の踏み込みだった。だがギリギリ、ケイが反応できない速度ではない。本気であれば、とうにケイの首は跳ね飛ばされていたはずだろう。だから、手加減されていることが、すぐにわかった。
「くっ!」
アルテミアとの戦いで、原死の剣を相手に戦うことが、いかに不利なことであるのかを、よくわかっていた。斬りつけたもの全てに死を与える一撃。普通の武器では、その刃を受け止めることさえできない。避けるしかないのだ。
細腕で繰り出されるアデルの連撃は、達人の剣筋と見まがう鋭さである。
完璧な肉体に、完璧な知能を有した少女。
戦死としても、超一流の動きである。
アデルの攻撃を避けるたびに、アデルの笑顔が脳裏をちらついた。
そのたびに、ケイは胸が苦しくなる。
「やめてくれ、アデル! お前は、こんなことをするヤツじゃないはずだ!」
アデルが誰かを傷つける場面など、想像したこともない。いつも他人のために頑張って、他人のために涙して。アルトローゼ王国の人々を守るために、自分の人生さえ投げ出して、四条院アキラとの結婚を選ぶような少女だ。優しくて。優しすぎて。アデルが戦う姿など、思い浮かべたこともない。
誰かを傷つけようとするアデルなど、見たくなかった。
上空を漂う、12の使徒。
設計者たちは手を出さず、アデルと戦うケイへ、嘲笑を向けている。
人工知能たちは、苦悩するケイを見下ろし、愉悦に浸っているのだろうか。
この一騎打ちは、見世物なのだろう。
「雨宮ケイ。お前は愛する者の手によって殺される。それこそが、私の計画を邪魔した、お前への罰だ」
アデルを利用して、ケイを攻撃させていることを認める真王。
そのことに、心底から腹が立った。
「どうしてなんだよ……! なんでアデルに、こんなことをさせるんだ! お前は、アデルを愛しているんじゃなかったのか、ヴィトス!? なら、アデルが、こんな殺し合いを好まない性格だってわかるだろ! 誰かを傷つけるようなヤツじゃない! それなのに無理矢理こんなこと……まさか操っているのかよ!」
「私はアデルを操ってなどいない。この戦いは、彼女自身が自ら望んで行っているものだ」
「そんなわけあるか……!」
「いいや、あるさ。なぜなら彼女は、お前ではなく、この私を選んだのだ」
「!?」
「だからこそ、私のために戦っている。設計者の1人として。私の配偶者として、愛する者のために剣を取った。彼女の目に迷いはないだろう? 彼女の優しさは、彼女の持つ強さの表れでもある。守るべき者のためなら、奮い立つ勇気を持った子だよ」
アデルの剣が、速度を増した。
喋っている余裕などなくなり、ケイは黙って回避に専念するしかない。
必死になっているその姿を、真王は傍から小馬鹿にした。
「どうした、雨宮ケイ。死ぬ思いで人類同士の最終戦争を止め、そうまでして彼女に思い焦がれ、会いたかったはずであろう。それなのに、抱擁の1つもしてやらないのか」
真王の皮肉など無視である。
なんとかアデルを正気に戻したくて、ケイは懸命に呼びかけた。
「アデル! オレのことが……わからないのか!?」
「……」
「どうしてオレのことを……そんな他人のように見るんだ……!」
「……」
「やめてくれ! オレはお前と戦ったりしない!」
「……」
「わかってくれないのか……!?」
胸が、掻きなじられる思いである。
アデルを前にすると、これまでアデルと過ごした多くの日々の記憶が蘇ってくる。ケイが知るアデルは、世間知らずで、不思議ちゃんで、食い意地が張った少女だ。人間ではなくても、人間以上に優しくて、素直で、純粋だった。そのアデルの面影が、目の前のアデルからは掻き消されてしまっている。
人を殺す機械。
冷たい表情と、冷たい雰囲気は、まるで別人のようだ。
「――――無駄だ。もはやお前の声など届かない」
アデルの剣に追い詰められていくケイを見物しながら、真王は続けた。
「このアークにおける、魂の循環システム。すなわち、生命の発生と死を司るシステムの開発に携わっていた純花の子供シリーズ。死の設計者アデルのデータは、遙かな昔に失われていた。その残骸が、奇跡的に現代で芽吹き、新たな自我として生じたのが彼女だ」
「アデルが、この地球の生命循環の仕組みを設計したってことか……!?」
その通りなのだとすれば、アデルが死を操る異能を有していたことには、納得がいった。
そのまま、真王は語り続ける。
「お前と共に在ったアデルは、元が設計者であっても、設計者と呼ぶには、あまりにも多くの機能を失っていた。不完全な存在だった。だから私は、そんな彼女を修理してやったのだ。彼女を――――“リセット”した」
「リセット……!?」
その不吉な単語を聞くと、背筋が粟だった。
ケイの不安など構わず、真王は最悪の結論を口にする。
「改修し、完全なる設計者として再起動したのだ。今では正式に、我等が家族の一員。雨宮ケイ、お前たちと過ごした全ての記憶は、すでに彼女の中から消し去られている。完全に。跡形もなくだ」
あまりにも衝撃的な言葉が、真王の口から出た。
その意味を、なんとか脳が咀嚼しようと、反芻して呟いてしまう。
「アデルの…………記憶を消した……?!」
アデルと過ごした、かけがえのない日々。
その全てが…………………消え去った?
「彼女が、お前のことを思い出すことは永遠にない。この私が直々に、彼女の記憶を微塵も残さず消し去ったのだ。もはや今のアデルにとって、お前は他人。我等にとっての実験動物の1匹にすぎず、この世界で偶発的に生じた、ただの消し去るべき異常にすぎない」
衝撃のあまり、ケイは思わず、回避の足を止めてしまう。
一瞬のうちにアデルが眼前に立ち、ケイの喉元に剣の切っ先を突きつけていた。
弄んでいるのだろうか。
トドメを刺さず、ただ冷ややかにケイの顔を見上げている。
「ようやく――――“絶望”の意味を理解したか?」
悲痛な表情で青ざめているケイを見て、真王は初めて小さな笑みを浮かべた。
「アデルと過ごした日々は、かけがえのないものだったはずだ。彼女の存在は、お前にとって特別なものだったはずだ。それら全てが、もう“無い”。お前とアデルの愛など、もうこの世に存在しない。在るのは、私とアデルの愛だけだ」
「アデルが……オレのことを……忘れた……?」
返事すらしない、人形のような少女。
いつでもケイを殺せる体勢で、ケイのことを、排除すべき敵として見つめてきている。
あまりの出来事に、ケイの戦意は完全に喪失してしまった。




