14-31 扉のサキの未来
――――次の瞬間、意識は自分の肉体を離れていた。
斬首され、切断された自身の頭部が落ちる。路上へ転がると、奇しくも自分と同じように処刑された、掛け替えのない友人夫婦の頭部と並んだ。3つの生首は、力ない眼差しで天を仰ぎ見ている。雨宮ケイの首から噴出する返り血を浴びながら、四条院アキラの表情は、歓喜によって満たされていた。
自分が敗北した先の未来。
その後も、無情に続いていく絶望の光景を、少し離れた位置から見ていた。
戦場で敗れた者たちの末路なら、これまでにも何度となく目にしてきたことだ。
その一部に、ついに自分も加わったことを確信する。
――――ここで終わりなのだ。
人生の終焉。
今、自分が見ているのは、きっと死後の世界の入り口にある光景なのだろう。
これまでにも何度か、臨死体験をしたことはある。いつもは、原始の剣の無死の力によって生き残り、死の淵から生還することができてきた。だが今、頼みの綱であった赤剣は、真王によって破壊されて、以来その力を発揮することはできなくなっている。
ならば今回こそは、本当に死んだのだろう。
胸中に、自らの死という自覚が芽生えるのと同時だった。自分が処刑された直後の世界は、まるで時間が凍り付いていくように、ゆっくりと動きをスローにしていく。やがて停止した。それはまるで、神が絶望の景色を切り取って、永遠に保存しようとしているように感じられた。普通に死ぬというのは、こういうことなのだろうか。ケイにとって死は身近なものであったが、体験するのは初めてだった。
気がつけば、雨宮ケイは時間が止まった世界の中に立っていた。
「よぉ」
止まった世界の中で、意外にも声をかけられた。
聞こえたのは、自分のすぐ背後。
振り返ってみれば、そこにはやはり、意外な人物の顔があった。
「……え? 峰御先輩……?」
こんな時に。
こんな場所で。
見ることになるとは、思っていなかった顔。
峰御トウゴだ。
北の地で別行動になり、罪人の王冠を復旧するための手段を探す旅に出ているはずだった。その旅路の先が、たまたまこの、アルトローゼ王国であった可能性はある。なら、偶然に居合わせたのだろうか。
手頃な位置に落ちていた、瓦礫の石塊。
トウゴはそこに腰を下ろしており、アキラの剣によって斬首されている、ケイの姿を見やっていた。
「見事な、やられっぷりじゃねえか。四条院アキラに首をはねられて、死亡ってか」
そう言うトウゴの姿は、奇妙だった。全身が、鏡に映った虚像のようで、手足の部分がひび割れていたり、細かい破片になって砕け落ちたりしている。まるで、ピースがあちこち抜けているパズル。壊れかけの、ガラス細工でできたような身体に見えた。いつも眼帯をしている左眼の部分は、ピースが完全に抜け落ちており、穴が空いたようになっている。
「先輩……その身体、ガラスみたいに欠け落ちて……怪我をしているんですか?」
「ああ、そういやそうだったな。ならまあ、やられっぷりについては、俺も人のことは言えないか」
死の淵で遭遇した知人。
これは本人ではなく、幻覚なのだろうか。
夢の中にいるような心境で、ケイは恐る恐る、トウゴに尋ねた。
「……ここは死の淵の世界で、俺は死んだんでしょうか?」
「みてえだな」
言葉短く、トウゴは返事をする。
ケイの頭の中は、混乱気味だった。
「……死んだ俺と、こうして話をしているってことは、なら先輩も死んでいる? いや、それとも実は……いつも死んだ時に出てくる、原始の剣の“妖精”が、先輩の姿を真似ているだったりするのか……?」
「なんの話だかわからねえが、あいにくと俺は妖精なんかじゃなく、ただの峰御トウゴだぜ」
トウゴは苦笑して続けた。
「それにお前とは違って、まだ死んだわけじゃねえよ。わけあって、今は魂だけの状態になっていてな……それでどうやら、消えゆく直前の、お前の魂と話ができているみてえだ。この槍が、色々と教えてくれてんだよ」
「槍……?」
そういうトウゴの手をよく見れば、何か刃物のようなものを持っていた。
青白い光を帯びた、槍の矛先。そんなふうに見える。
「まあ、その話は後で良い。それよか、まあ座れよ。久しぶりに世間話でもしようぜ」
「……」
死の淵で耳にするにしては、ずいぶんと穏やかな提案である。
怪訝に思いながらも、ケイも手頃な岩を見つけ、トウゴの隣りに腰掛けた。
そうして現実の出来事を忘れるように、2人並んで、処刑の光景に背を向ける。
反対側に視線を向ければ、広大なパノラマが目に入った。
「見ろよ。何もかも壊された、渋谷の景色だ」
トウゴの眼差しは遠い。
言われてケイも、周囲の景色を改めて見渡してみた。
……あちこちから黒煙を上げ、傾き崩れた建造物が連なる瓦礫の廃墟。
記憶に残る面影が、あちこちに見受けられる、戦争によって破壊された故郷の風景だ。
トウゴは遠くを指差して言った。
「憶えてるか? たしかあっちの方に、古びた小さな廃病院があったよな。サキの撮影に付き合って、俺が初めて行った心霊スポットだ」
思い出し、ケイは無意識に微笑んでしまう。
「……まだヘタレだった頃の先輩が、撮影開始1分で逃げ出したところですよね」
「そんなこともあったな」
つられてトウゴも、微笑んだ。
「厳密に言えば。ここは俺たちの育った故郷とは違う、偽物の東京だ。いや、新設された東京か? どっちでも良いが、何もかもが似ていて、何もかもが懐かしいって感じるぜ。それがこうして、ぶっ壊されてグチャグチャにされてるのを見るのは、寂しいと思うぜ」
「そうですね」
ケイは心底から同意した。
ほんの少し前。
ケイはこの街で、普通の高校生として、普通の暮らしをしていたのだ。
それを思えば……今はずいぶんな非現実の世界に来てしまったように思える。
しばらく無言で、2人は景色を眺め続けた。
やがてトウゴが、ポツリと言った。
「……サキは、ずっと後悔していたんだと思う。あの日、あの時。怪物が住む家の扉を開けてしまったことを」
「……」
吉見サキ。
その名は、ケイの胸中深くに刺さったまま抜けない、忘れがたい古傷だ。
それはトウゴも同じだろう。
2人とも、表情が少し陰ってしまう。
「扉を開けてしまったことで、俺やお前、アデルやイリアの運命を大きく変えてしまった。東京に住む、大勢の関係ない人たちを傷つけてしまった。そんな自責の念を、いつだか、聞かされたことがあってな。もしもアイツが今も生きていて、こうしてここで、同じ景色を見たら、きっとこう思うのかもしれねえな。あの日、自分が扉を開けてしまったから……人類が滅んでしまうんだって」
ケイも悲しげに、表情を暗くした。
「……オレも」
言うべきか、一瞬だけ迷った。
だがケイにとって、トウゴは信頼できる先輩だ。
他人に打ち明けたことのない、胸の痛みを口にする。
「……よく考えています。オレが部活に入らなければ……オレさえいなければ。今も東京の街は平和で、帝国という歪んだ社会構造の下層で、みんな平穏無事に過ごせていたんじゃないかと。オレが全てを壊して、ダメにしてしまったんじゃないのかって。不安になります」
珍しく弱音を口にする後輩を、トウゴは軽く笑い飛ばした。
「そうじゃないと、俺は思ってるぜ」
面と向かってハッキリと、トウゴはケイへ応えた。
「東京を出て、兄貴と旅をして。そんで今じゃ、俺たちの住んでるこの星の真実や、真王や設計者たちの存在を、知ることができただろ。だからこそ言えると思うんだ。あの日、サキが扉を開けたのは正しかったって」
力強く断言する。
「サキだけじゃねえ。お前も正しかったんだ、雨宮。俺たちは、何も知らないまま普通に生きていたら、いつかは真王たちの気まぐれによって文明を滅ぼされる運命だっただろう。永遠に繰り返される文明実験のループ。その車輪を回す、実験動物のモルモットだ」
「でも……」
「言いたいことはわかる。恐ろしいことなんて何も知らずに、問題の本質に向き合わず、平穏無事に生きられさえすれば幸せだって、そう思う奴等もいるだろう。そんな連中からすれば、俺たちのやったことは迷惑でしかねえのかもな。けどそれって、たとえばいつか隕石が落ちてきて、人類の文明が滅ぶかもしれないなら、今を幸せに生きられればそれで良いって、そんな考えに似てんだよ」
トウゴは真顔で、視線を鋭くする。
「隕石の落下は、本当に変えられない運命なのか? その先の未来はないのか? 諦めちまって、絶望に挑むことも、未来を変えようと試すこともしねえ。そんなの、誰も未来のために生きてねえと同じだろ。ただ毎日、頭に石ころが降ってこないことを祈りながら、息苦しい不安だらけの中で生きてるだけだ。そんなのの何が楽しい。そんなのの何が幸せだ。自分たちの未来を輝かせるために、立ち向かうことが必要なら、そうするしかねえのさ」
「先輩……」
「俺は確信しているぜ。あの日、あの時、扉を開けたサキが、人類の未来を良い方向へ変えたんだ――――雨宮ケイという“英雄”を生み出すことでな」
寸分の迷いなく、トウゴは力強い眼差しと言葉を向けてくる。
その重責を感じて、ケイはバツが悪くて言葉を濁した。
「すいません……。オレは見ての通り、英雄にはなれませんでした。ここで終点みたいです」
トウゴは頭上を見上げた。
標高の高い、アルトローゼ王国首都バロールから見える空。普段であればそこには、人工的に作り出された青空が見えるはず。だが、戦争によって都市機能が停止した今は、天井の向こうに透けて、満天の星空が見えている。
ふと思い出して、トウゴは苦笑しながら問う。
「なあ、雨宮。お前、好きなヤツはいるか?」
「……急に、なんですか」
「懐かしい質問だろ? たしか廃墟ホテルの撮影の時にも、聞いたはずだぜ。こっぱずかしい言い方をすれば、あの時はお互いにまだ、愛なんてものを知らなかったよな。誰かのことを一途に想う気持ちなんて知らなくて、曖昧だった。けれど今は、そうじゃないはずだぜ。俺の場合は……知っての通り、吉見サキが好きだった」
突拍子のない、思いつきの再現。
いつか尋ねられた問いに、今のケイは明確な答えを持っていた。
だから、真顔で応えた。
「オレは、アデルのことが好きです」
それを聞いたトウゴは、嬉しそうに微笑んだ。
「サキは、もういない。けど、お前はそうじゃねえだろ。ならこんなところで、簡単に自分の未来を諦めてんじゃねえ。まだアデルを、真王の野郎から取り返してねえんだぞ。くたばってる場合じゃねえだろ」
トウゴはおもむろに、手にしていた槍の矛先を持ち上げる。
それを見下ろしながら語った。
「自分の過去の選択が間違いだったのかなんて、誰にもわからねえよ。けど、選んだ未来が正しくなるように、狂いそうになりながら、誰だって必死に歯を食いしばって生きているんだ。俺は、サキの選択が創った今の現実を、間違いだったことにはしない。それが俺の選択だ」
手にした槍を、トウゴは差し出し、手渡そうとしてくる。
「先輩、それは?」
「カースグリフの槍。そのコアデータだ。細かいことは割愛だが、これこそが罪人の王冠を復元するために必要な最後のピース。設計者どもが構築した、王冠データを守る防御障壁を貫ける至宝だ」
「!」
「槍が教えてくれている。お前の手にしている、リーゼの剣。そこに内蔵された機人の女王の目と、この槍のデータがあれば、罪人の王冠を手に入れるための“鍵”を生み出すことができる」
「カースグリフの……槍……」
「この槍のデータを使って、真王や設計者に対抗するための力を手に入れろ、雨宮」
罪人の王冠。
真王に対抗するための、最強の兵器。
絶滅を決定され、窮地に立たされている人類にとって、今は唯一の希望。
それを手に入れるために、ケイたちの長い旅と、戦いが存在した。
だが、それを手に入れるためには、何もかもが遅かったのだ。
「……さすがです、先輩。ちゃんと約束通り、設計者たちの防御障壁を破る手段を見つけてきてくれたんですね。けれどオレはもう死んで……」
「俺が生き返らせる」
「……?!」
「お前の魂はまだ、ここにこうして存在してんだろ。壊れて消えて、なくなっちゃいないんだ。この槍の力で、お前を殺される前の時間に戻してやれば良いんだ」
「そんなことが……できるんですか……?!」
「ああ。俺の命と引き換えだがな」
「!?」
トウゴは、微笑んだ。
「どうしても助けたい女がいるって、言ってただろ? 感染能力者って呼ばれてる女。妻川ミズキだ。この槍を使って、その願いを叶えることはできた。ただ、生身で時を操る力を使うには、自分の命の時間。つまりは寿命と引き換えでよ。ミズキを人間に戻すことに、ほとんどを使っちまって……今の俺は残りかす。あと幾日、生きられるかどうかの、僅かな余命しかねえんだ」
「まさか、そんな……!」
「悪いな、雨宮。あんまり前の時間までは戻してやれない。俺の残り時間の全部を使って、せいぜい、お前が殺される直前か、そこらまで送り届けてやるのが限界だ」
「何言ってんですか、先輩! そんなこと、しないでくださいよ! オレを助けたら……つまり先輩が死んでしまうってことでしょう!?」
「そんな顔すんなよ。俺があと何日かだけ生きるために、ここでお前を見殺しにするなんて、バカだろ。兄貴もバカだったが、俺は少なくとも、それよりゃ利口なんだぜ。人類を救う英雄のために犠牲になるなんて、かっこよすぎだろ」
「やめてくださいよ! オレは……たとえあと数日だろうと、先輩に生きていて欲しい! オレや他の人たちのために、犠牲になろうなんて……吉見先輩みたいなことを言うなんて……頼むからやめてください!」
「吉見先輩みたいなこと、か……」
すでにボロ泣きしているケイの顔を見て、トウゴは苦笑いを返すしかない。
「東京解放戦の時、サキがお前に託した気持ち。今ならわかる気がする。東京でお前と別れた、バカだったあの時には、わからなかったことだけど」
トウゴはただ、感慨深く言った。
「あちこち撮影に行って、バカな話して。時々、ケンカして、またバカ言って。それから長い旅に出て、戦って、死にそうになりながら生き延びて。……全部、楽しかったよな」
「先輩……!」
トウゴの胸にすがりついて、ケイは深くうなだれて涙した。
もはやトウゴの決意が、変わらないことを悟ったからである。
「すいません、先輩……! オレ、吉見先輩を助けたくて……でもできなくて……弱くて……! だからあれから、一生懸命に強くなろうとして……今日までずっと頑張って……やっと強くなれたと思っていたのに……なのにまたオレ、先輩に助けられて……まだぜんぜん強くなくて……!」
「泣くなよ、雨宮」
そういうトウゴの言葉が、吉見サキの最期の言葉と重なった。
泣かないで――――。
どうかずっと、みんな笑っていて――――。
トウゴは、ケイの頭を優しく撫でて言った。
「真王や設計者、企業国王。どいつもこいつも、俺たちを見下し、自分が優位だと勘違いしてやがるヤツばかりだ。だからお前は、そんな連中に教えてやるんだったろう? 弱っちい人類は、いつも逃げ回っているばかりじゃねえ。たまには――――“殺しに来るヤツもいる”んだって」
槍を手にした拳を握り、それをケイの胸へ押しつけて言った。
「負けんじゃねえぞ。勝って未来を変えてこい」
トウゴの全身が、眩い光を放ち始める。
それは最期の命の炎を燃やし、時を戻そうとするがためだ。
「ありがとうな、雨宮。楽しかったぜ」